マグナゲート短編集 - 短編
第一〇話:人間の頃の話なんて口に出せるわけがない
 大氷河への遠征が終わって、しばらく平和な時間を過ごしていたが、つい昨日の事。俺は夢を見た。
 人間だった俺がこの世界に来る際、聞こえていた助けを呼ぶ声。この世界に来たとき以外にも何度かその夢を見たことはあったが今回は今までで最も鮮明に声が聞こえ、そして会話もできた。
 その内容だが、夢の中の声の主であるムンナが、ゲノウェア山と呼ばれる火山のふもとに息をひそめているらしく、サザンドラに追われている自分を助けてほしいとのこと。俺達はそのために呼ばれた人間であるという事だ。という事は、あいつ……あのサザンドラがいわゆるラスボス……ってやつ、なのかな?
 そのことを話すとまず、俺が人間だったことに驚かれた。
「えっ!? ええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?」
 ノコッチが大声をあげ。
「ティーダ が!?」
 エーフィが目を見開き。
「ティーダが実はポケモンじゃなくって……」
 双子ゆえのピッタリ息を合わせて、ブラッキーがエーフィの補足する。
「本当は、ニンゲンの世界からやってきたニンゲンだってぇぇぇぇぇ!?」
 おいエモンガ、なぜそこでお前の息も合う?
「えええええ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?」
 ズルッグ、お前社交辞令で驚いているんじゃないか?
「ヌオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!?」
 ヌオーは……うん、、まぁいいや。
「ドテッコーーーーーーーーーーツ!?」
 おい、ドテッコツ……その掛け声何とかならないのかな?
 そうか……そういえば俺、人間だったことをみんなに話していなかったっけ。記憶喪失ってことにして、ごまかしていたなぁ……うん。そりゃ驚くようなぁ。夢の話の前にそっちの説明をしておくべきだった。
「みんな、御免。隠すつもりはなかったんだけれど……でも、いろいろ詮索されても面倒だし、狂言癖があるとでも思われたら面倒だからって、言いそびれちゃってたね。ともかく、ティーダは夢の中で助けを求められて……ポケモンの姿でこの世界にやってきたらしいんだ。なんでかね?」
「擬態じゃないのか? 木を隠すなら森の中だ。もしもニンゲンがこの世界を救うのに必要な存在ならば、俺が悪の組織なら、表立って『俺はニンゲンです!』なんて言うような奴がいたら殺すよ」
 パートナーの疑問に俺は答える。人間の姿のほうが俺は強かったから何とも言えないが、ポケモンの特殊能力が役に立つというような側面もあるかもしれない。他のポケモンもなんだかんだでいろんな技使えるし。
「あぁ、なるほど……確かに、神話に登場する『ニンゲン』がいたら、みんな崇め称えちゃって目立つよねぇ。その分周りのみんなが守ってくれるから安全かもしれないけれど、それはそれで行動がし辛いし。ともかく、そこでティーダは私と出会って、どこにも行く当てがなさそうだったから、私が誘ってパラダイス作りを手伝ってもらったんだ。
 これまで、どうしてここに来たのかわからないままにずっと過ごしてきたけれど……その疑問を解くカギがあるとすれば、それはやっぱり夢の中にあるんじゃないかって、ティーダと話してきたんだ。そして、それが昨日やっとわかったんだよ。信じられないような話かもしれないけど…… 」
「まあ……信じられんよな。そこまで話がトンでちゃよ…… 信じろって方が むずかしいだろ。フツー」
 ズルッグが言う。もともとお前、人のことをあまり信じていないような気もするがな。
「そうだよな。オレも信じられ……」
「アラッ? 私は信じるわよ」
 ドテッコツが言おうとしたのを遮るように、ビリジオンが笑顔で信じるという。さすにリアはダンジョンで行動を共にしてきただけある、俺を信用してくれているんだな」
「オレも信じられ……信じられ…… 信じられ……なくはないかな。 ははははーーーーーっ!」
 無理してビリジオンに合わせようとするドテッコツ……なんというか、恋をするって悲しいねぇ。
「で、でもよぉ。それなら、もっと早くいってくれたってよかったんじゃねえのか?」
「あぁ、それは――」
 いろんな意味の分からない単語がありすぎて無理だったんだよなぁ……うん。

 ◇

 人間世界にて。9歳の時、俺はホウエン地方にある宗教施設、神社にある鳥居のくぐり方を間違え、異世界に迷い込んだことがある。
 その時は、追ってくるヨノワールを敵だと思い込み、散々逃げ回った挙句にヨノワールにつかまり、日付が変わってからこちら側の世界に戻された。俺が恐ろしくて逃げ回っていたヨノワールは、実は親切なポケモンだったわけで、俺をもとの世界に戻してくれたわけだが、しかし俺の体は完全にはこちらの世界のもどっておらず、異世界とこの世界のはざまにて、行ったり来たりをしていた。
 そんな俺は、身の回りでわけのわからないことばかり起こっている。やたら頻繁に明晰夢を見るようになって、全身に冷や汗をかくような怖い思いをした出来事から、二度と目覚めたくなくなるような楽しい出来事、とても口に出来ないような出来事も。いい夢を見られることはちょっと得した気分だったことはよく覚えている。
 その他にも、バスや電車に乗れば、窓の外が異世界となっていて、荒れた野原だったり、沼地だったり。乗客は不思議と何も言わず、怖くなって目的地につく前に下りてみると、そこはいつもどおりの街並みだったり。
 家族旅行でキナギタウン近郊の海域でホエルオーウォッチングを行えば、自分一人だけが大きな島を見つけて大騒ぎをした事があったり。その島にぶつかりそうになって怯えていたら、船が島を素通りしてしまったこともある。
 そこにある幻島と言う島は、見える人にはたまに遠くから見えるそうなのだが、目の前に見えると言っていた俺は非常に奇異な目で見られたものだ。下手すると俺の奇行は他人も巻き込んでしまうので、数回ではあるが両親に迷惑をかけてしまったこともある。

 そんな俺の高校の頃の話である。
「あ、あの……ティーダ君……」
 何人の女子だかは忘れてしまったが、このころには俺は何人もの女子と付き合っていた。例えば、帰り道で待ち伏せされていたりなどして、話しかけられることもある。今日は、クラスメイトのユナであった。
「なんだ? ユナ」
 高校生の頃は、これでも結構モテた。もじもじしている女性が、恋人になってほしいと告白されるのは、一応まんざらでもないのだが、内心複雑な気持ちである。
「ティーダ君……頭もいいし、それに運動神経もいいから……」
 ついでに俺は顔もいい。こういうふうに惚れている奴らは口には出されないが、俺の顔も目当ての一つである。俺に対して特別な感情を持っていない女からは、たまに女子からイケメン扱いされていると聞いていた。
「ずっと、気になっていて……それで、私と……一緒に、遊んだりして欲しいの」
「いいよ、ただし条件がある」
 この条件をクリアできないようならば、男だろうが女だろうが、つるむことはできない。
「明後日の土曜日の一日、俺の後を黙って……いや、黙らなくていいや。ついてこれるのなら」
「え、何その条件……まさか、いきなりホテルにでも連れ込む気?」
 ユナはそう言って、少々引いたような顔をするが、もちろんそんなことはしない。まぁ、別の意味で危険であることに変わりはないのだけれど。
「大丈夫? 夜になっちゃうかもしれないけれど、部活とか何かの都合があるなら日曜日でもいいけれど」
「それなら大丈夫。部活は最近勉強の方を優先していてほとんど行っていないし」
 ユナはそう言って、俺の誘いを受けてしまった。


 そうして土曜日。ユナの私服は初めて見たし、こっちも初めて見せた。俺の方は、ジーパンに黒いTシャツ、その上にブラウンの上着を羽織り、ユナは流行りの黒いリングマのキャラがお洒落にプリントされたTシャツと、ジージャン、膝上10cmほどの青いショートパンツに黒いタイツという出で立ち。ファッションセンスはそれなりといったところか。
「待った?」
 待ち構えていた俺に、ユナが尋ねる。
「3分くらいね。君はきっちり5分前に来ていたから問題ないよ」
 まぁ、そんなファッションセンス等はどうでもよく、むしろお気に入りの服を着てこないほうが良かったかもしれない。少なくとも、今日は確実に。
「じゃあ、こっちについてきて」
 最寄りの駅でもなければ、遊園地でもショッピングモールのある駅でもなく、住宅街しかないような土地。デートをするには不向きだが、ここにはちょっとした面白い場所がある。それは、完全な暗闇が楽しめる公園だ。駅前の住宅街にあるこの公園、公園を縦断するようにして私道が走っており、そこをトラックや救急車、消防車などが通れるようになっている。
 別にそれで渋滞するわけでもないというのに、この公園にはなぜか地下トンネルが掘られており、子供たちはそこを行き来して遊ぶのだ。その地下トンネルは夜間に電気がつくとか、そんな親切なことはなく、この住宅に住んでいる大人たちもわざわざ地下を通る意味なんてないので、もっぱら子供の遊び場となっているそこは、壁も床もコンクリート張りで長さは15メートルほど。道の端に排水溝があるだけの無機質な空間だ。
「ここはね……俺の友達が住んでいた場所でさ、よく遊んだものなんだけれどね……」
 子供たちが元気に遊ぶ声を聴きながら、俺はユナの手をつないでトンネルに入る。
「子供たちの遊び場のここはさ……完全な暗闇じゃないと楽しくないからって。子供たちが秘密基地みたいに改造しているんだ。それがこれ……」
 目の前では家で使っていたのだろうタバコ臭い古びたカーテンが、捨てられる運命を回避する形で使われており、丈夫そうな突っ張り棒でつりさげられている。
「大人たちも、利用していないからって理由で、こんな改造をしていても誰も気にしないし、むしろこういう秘密基地のような遊びも面白いんじゃないかと認めちゃっているんだよね」
「へー、面白そう」
「噂では、変態なカップルも野外でアレなことをするためにこのカーテンを利用しているとかって話だよ……何やっているんだかって感じだよね」
「こ、こんな白昼堂々とやらないわよね?」
「当たり前でしょ」
 俺は微笑んでユナに言葉を返す。手を繋ぎながらカーテンをめくってみると、向こう側にも同じようなカーテンがあって、その二つに挟まれた空間では自分の手の平すら見えないような漆黒の闇があたりを包む。
「ま、ここに来るとセクハラし放題っていうのもあるけれど、今日はそんなことしない……それより、子供の声、聞こえる?」
「ん? そういえば、随分と静かになったわね……」
「そうでしょ? こっちから出てみようか」
 子供の声がなくなったことに疑問を持つ暇も与えず、俺は手を引いて地上に上り、そして絶句させる。
「なにこれ……」
「子供がいない、か?」
 子供がいない、どころの話ではない。太陽はまだ午前中だというのに、何だか夕暮れのようにオレンジ色の光があたりを包み込んでいる。遊具はそのままだったが、なぜか子供はおらず、持ち込んでいたと思われるボールなどの遊び道具もない。
「子供達、いきなりかくれんぼでも始めたのかしら……?」
「はは、まさか。かくれんぼを始めたとしたら。俺達が始めたんじゃないかな? だって、空の様子が殺気と違って明らかに変だ。俺達が神隠しにでもあっているんじゃないかな」
「な、なん……ティーダ君は、なんで落ち着いているの?」
「日常茶飯事ってわけでもないけれど……まぁ、よくある事だから……こっち来て」
 そう言って、俺は有無を言わせないままに、ユナを引っ張ってゆき、公園にある水飲み場へと歩む。
「さて、喉は乾いている?」
「ちょっとだけ……」
「そう、残念だね」
 ため息交じりに蛇口をひねる。上に向かって噴出する水は、本来のような透明な色ではなく、血のような赤い色。ではなく、匂いも血そのものである。
「ひゃっ……」
 驚いて、腰を抜かしそうになるユナの手を、俺は強く握る。
「まぁ、見ての通り。今日は自分から入り込んでいったけれど、今の俺達、異世界にいるんだよね。もともとの世界といろいろ違うから、水道から血が出たりとか、下水道を産みが流れていたりとか、刺激的な感じでさ。外国の水道からはコーラが出るなんていう冗談があったけれど、中々刺激的でしょう?
 今回は多分簡単に帰れるけれど、たまに望みもしないのにこういう世界に紛れ込んで、中々帰れないことがあるからさ……大変だよ。まぁ、ここは安全だからまだいいけれどね。野山に行くと結構酷いんだ、死体が我が物顔で歩いていたりとかする」
「酷いって……」
「肉が腐った状態のグラエナとか、平気で襲い掛かって来るよ。行ってみる? そういうところだと、酷いときは水道から蛆虫が噴き出してくるし、車は内臓を燃やして走っていたりする。行ってみる?」
「嫌……絶対嫌」
「そう。逆に、お花畑のような場所でセレビィやらラティアスやらに平気で会えるような場所もあるけれどね……まぁ、おすすめはしない。危険なところが嫌いならば、異世界にはいかないほうがいい」
 言いながら、俺は歩き出す。もちろん、手を繋いだまま。駅前の住宅街から駅の方へ。
「ちょ、ちょっと待ってよ……このままどこに行く気?」
「君の家の最寄り駅へ……このまま、送っていくから」
「待ってよ、さっきの所から帰ってよ! っていうか意味わからない……どこなのここは?」
「ここは俺たちの世界と、別世界のはざまあたり。いま、シャドーダイブを使っている最中のギラティナみたいな感じなんだけれど……完全に向こう側の世界は、もっと怖いぞ。一度だけ行ったことあるけれど……町が、街というよりは迷宮のようだった」
「ここがどこなのかっていう質問には答えているけれど、その前の事については? さっきのトンネルから帰れないの?」
「帰れないことはないが……もっと怖いところを見せておいた方がいいかなと思って。というか、あれ? 俺と付き合ってくれるのかな?」
「いやだ……こんなことが日常茶飯事なんでしょ? こんな変なことに巻き込まれるなら、さすがに告白しなかったわよ」
「まあな。日常茶飯事って言っても、こういう風に迷い込むのは狙ってやらないと無理だなぁ……世界が重なって見えたり、体の一部分だけ入り込むくらいならばよくあるけれど。全身迷い込むのは、タンスの角に小指をぶつけるのとそう変わらないくらいの確率さ。あとは、月食の日とかは結構迷いやすいよ。そういう日は、家にいないで繁華街とかに行けばみんなの視線が俺をこの世界に固定してくれるから何とかなる。けれど、逆に言えばそういうことをしないとさらわれそうになる。
 でもまぁ……こういうところに迷い込んでも、大抵は戻れるから問題ないさ。逆の手順でいけば戻れるんだもの」
 ふと、何かの気配を感じて俺は石を拾って植え込みに投げる。驚いて飛び出してきたのは、ボロボロの醜悪な翅で飛び回るドクケイル。明らかに生前のそれではない格好で、しかし生前と変わらぬ起動で飛びながらしばらくこちらの様子をうかがっていたが、やがてこちらにいる俺達を敵視して襲ってきた。この程度、手持ちのヨノワールを使うまでもない。俺は構えた腕からシャドーボールを繰り出す。ひらりと身をかわされ避けられるも、その時には俺の浴びせ蹴りがドクケイルの翅を叩き割る。
 ……一撃。まぁ、こんなもんか。
「今の、何? なんか、ティーダの手の平からシャドーボールが出てきたけれど」
「そうだよ、シャドーボールだ。こんな生活続けてたら、使えるようになっていたんだ。ポケモンがいなくっても、身を守れるようになったし、いいことづくめだよ……」
「いや、技もだけど、技じゃなくって……そのドクケイルのようななにかは、何?」
「あれは……ドクケイルだったものさ……生者を襲うんだよ、死者は。俺たちが生きているからって理由で襲ってくるのさ」
 説明にならないような説明をして、俺はため息をつく。
「あぁ、そうだ、ユナちゃん。帰るんだったね。こっちだ」
「う、うん……」
 やっぱり、この女もダメだったかと思い、俺はもう興味を失っていた。手を繋いで、今度は逆側のカーテンから入り込めば、今度は逆に子供の声が復活する。
「……今日、俺とかかわったことで怪奇現象が起きるようになったら、君もどこかでお祓いでも受けなよ。多分、問題ないとは思うけれどさ。まぁでも、駅までついていかなかったのは正解だな。電車の中とか、脱出のしようもない所で異世界に迷い込むのが一番性質が悪いけれど……こういうところはすぐ戻れるから楽だぜ?」
「そんな場所に、私を連れて行こうとしたの……? 怪我とかしたらどうするのよ」
「怪我もできないような女に、俺と付き合うだけの力量があるとは思えないんでね」
 涙目で尋ねるユナに、俺は冷たく言い放つ。このまま、擦り寄ってこられても迷惑だからな……
「それとも、ヘルメットと鉄パイプを持って俺とデートする? いいよ、変人と思われてもいいならね」
 意地悪に笑みを浮かべてカーテンから出ると、俺はユミの顔をじっと見る。
「どっちも嫌……」
「だよね、じゃあばいばい」

 言いながら俺は、もう一度カーテンに入り込んだ。
「あ、ちょっと待ってよ」
 という声も聞こえてくるのが普通だろうが、今回は聞こえてこなかった。言われる前にこっちの世界に来てしまったからだろう。こっちの世界からなら、電車に乗ってもお金払わないで済むし……あーあ、やっぱり今日も時間を無駄にしてしまった。

 高校生活でそんな感じだった恋愛事情は、大学生になって社会人になっても変わることはなかった。女性に告白されたことは何度もあったが、一日は耐えられても、次の日更に酷い場所へ連れて行った時の一言で『もう付き合いきれない』と言われたのは強烈であった。そんな経験が、俺をすっかり恋愛から遠ざけ、女性は一日限りの使い捨てで十分だと、そんな風に俺を変えていった。
 それから、社会人になってバリバリ仕事をこなしているうちに、異世界への招待状替わりのゲームが、ダウンロード版で届いた。最初は興味本位で『体験版』を起動してしまったが、その世界に行けば怪奇現象に悩まされることもないので快適で。まぁ、ダンジョン世界そのものが怪奇現象みたいなものだと言われれば反論はできないが。
 とにもかくにも仲間と冒険できるようになれば、そこで一緒に支え合う中で友情のようなものが生まれたりして、それに癒しや救いを求めたりもした。そうして、ラスボスと言うやつであろうか、ホウオウを倒した時に、例のゲームは姿を現さなくなってしまった。定期的にゲームを起動できるようになっていたはずのそれが、一か月たっても二ヶ月経っても起動できず。

 ようやくゲームを起動できたのはジョウト旅行を計画していた日食の日の前日。月食の日は、現世と別世界との境界があいまいになってしまい、家の中にいたというのに異世界へともぐりこんでしまったこともある。そのため、月食の日は人が多い繁華街などで、みんなの視線で自身の存在を繋ぎとめてもらうしかないのだ。視線にはそういう魔力がある。睨めば動けなくなるし、逃げられなくなる。悪タイプのポケモンにエスパータイプの攻撃が当たることもあるなど、視線の魔力は馬鹿にできない。

 だが、日食ともなれば月食の比ではないほどに、異世界との境界は曖昧になるだろうから、果たして視線だけで俺の存在を繋ぎとめられるのかが心配であった。上手くすれば、どっちつかずの場所にいる俺の体をこちらの世界に完全に戻すことも可能かもしれないが、逆に自分が完全にあちら側の世界に行ってしまったら、俺はもはやどうしようもない。ジョウト地方のエンジュシティであれば、聖域に近い場所だから土地の神に守ってもらえるし、人も多いのでちょうどいいと踏んでいるが、上手くいく保証もない。
 ヨマワルの時に捕獲してからというもの、相方として長いこと連れ添ってきてくれたヨノワールも、異世界から現世に戻すことは多少なら出来るが、今までの月食でさえ戻ってこれるかどうか危うかったことがある。今回は大丈夫そうだと気を抜いて繁華街でトイレに入り込んだ時に、俺はそのまま異世界に迷い込んでしまい、その時は数え切れない怨霊や、地縛霊たちを相手にさせられたことがある。
 それからというもの、月食の日はオムツを履いてトイレにすら行かないようにして生活するようになって、オムツ姿を誰に見られるというわけでもないのに、非常に恥ずかしかった覚えがある。
 そして、日食……国を超え、大陸を超え、日食というものを人々は畏れていた。月食も似たようなものだったのであろうが、月食は暗い夜がさらに暗くなるくらいで大事ではない。だが、この日食というのは夜と昼が混ざり合うという状況。それに合わせて違う世界と違う世界が混ざり合う。危険極まりないことは容易に想像が出来た。
 『体験版』の文字が消え去った『ポケモンなりきりダンジョン マグナゲートと∞迷宮』。こいつの起動までの期限日は日食の日までとなっている。それはおそらく、俺がそういう日に異世界に迷いやすい事と同じ理由で、『このゲームを配信した何者かが異世界に引きずり込みやすい日』がこの日食というタイミングだからだろう。いっそのこと、ダンジョンの世界に行ってみればもう一生怪奇現象に悩まされることもないのか? そんな考えが頭をよぎった。
 ダンジョンの世界で出会った幼女は、今よりも幼いころに何回か、親に放置されて死にかけたそうで、夏に車内に放置されたときはあと数分遅ければ死んでいたそうだ。今でも、たまに死の世界に惹かれるらしく、交差点などに立つと背中を押されるような感覚が、噴水を覗けば、そのままば水底に引っ張られるような感覚が常に付きまとうそうだ。でも、ダンジョンの世界に来ればそんなことはないから快適だと、楽しそうに笑っていた。
 高校への受験生はどうも未熟児で生まれて学習障害があるらしく、得に漢字に対しては小学一年生並の知識しかないらしい。その分なぜか暗算だけは数字を見た瞬間に8ケタ同士の掛け算が答えが分かるほど優秀で、円周率の暗記もやたら得意であった。ダンジョンに行ってもその能力はそのまま引き継いだが、「現実ではたどたどしい口調がダンジョンの世界ではすらすら流れるのだとか。
 大学生のやつは、幼いころから共感覚に悩まされ、人間を見つめると、その人の感情に合わせて周囲の色が変わる現象に悩まされていた。時には便利だが、自分に対して悪い感情を持たれていることもわかってしまうので、いじめを受けていた時はノイローゼになっていたとか。こいつもダンジョンの世界ではそういう事はないらしかった。
 難聴の女性は、耳の代わりに指先の感覚が異常に発達し、いつしかその指は触れることで人やポケモンの心の声が聞こえるようになったそうで。こいつも共通してダンジョンではそんなことはないそうだ。
 要するに、ダンジョンに集められたみんなは、何らかの形で異世界との境界があいまいな奴らばかりなのだ。日食の日が別の世界へ行ける唯一の日となっているのもそういった理由からだろう。


 ……こいつは何の冗談かね?
 日食の当日、俺はそう思った。日食が始まった途端に、大勢の観光客でにぎわうジョウト地方はエンジュシティ。もともと異界に近いような寺院が立ち並ぶような場所とはいえ、どちらかというとここは聖域に近い場所。異界に迷っても、この場所ならば大丈夫だと踏んでいたのだが。
 しかし、現実はそう簡単にはいかず、迷い込んだ場所は聖域ではないらしい。多くの人の目があるから、その視線が俺を自分の世界に引き止めてくれる。そういう淡い期待があった。しかし、これはどうだ……日食で空が暗くなると共に、人の視線は一斉にそちら側へ。太陽を直接見ると目に悪いので、日食グラスなる物を通してみている間、俺の方は誰も見ちゃいない。そんな、誰しもが便利な日食グラスなんてものを持っているわけでもあるまいのに、まるで俺がこの世界のどこにもいないかのように、不自然に。
 おかしいと思ってわざと人にぶつかってみれば素通り。胸や尻を触ろうとしても、こうなったら意地でも気にさせてやると、地面に寝転がってスカートの中をのぞいてやっても無反応。歌を歌ってもだれも見向きもしなかった。
 気づけば、周囲にある数百年の歴史を誇る建造物は消滅し、振り向けば人はいなくなり、俺は草がまばらに生える、平坦な荒野に取り残される。あまりに怖いので、寺院の内部で大型のポケモンを出すことは禁じられているとわかっていてなお、ヨノワールを出してしまった。
 そのまま、日食が終わるまでじっと待つ。待っていれば、日食の終了とともに戻ってこれることもあるだろうと、そう思っていたのだが……そんな希望的観測は打ち砕かれた。携帯電話はもちろんのように圏外で、行けども行けども人の姿は無し。
「飲み水がもうないか……」
 2リットルのペットボトルいっぱいのお茶を持ってきたはずなのに、炎天下にさらされたせいもあってそれももう空っぽ。建物の一切ない乾燥した荒野で直射日光を浴びていればこうなるのも当たり前だ。ふと、リュックサックを探ってみれば、3DS。
「襲ってくる敵は散々殺し飽きたし、もうあちら側に行ってしまうかぁ……?」
 周囲には、腐った死体のようなものから、そのまんまガス状の幽体まで、相棒のヨノワールと二人で仕留めた死体が所狭しと散乱している。あともう少しだけ待っていようとも考えたが、喉の渇きは厳しく、意識がもうろうとして来る。ヨノワールは汗をかかないようだし、こんな腐った死体でもその血を飲んだり食えるかもしれないから、もしかしたら生き残れるかもしれない。
「ちぃっ……すまんな、ヘル」
 俺はヨノワールの名前を呼び、そのモンスターボールを割砕く。ボールを割っておけば、俺の元から離れて野生に戻れるかもしれない。もしかしたらこの街のジムリーダーが拾ってくれるかもしれないし。
「このまま現世に戻れずに、野垂れ死ぬのはごめんだ……すまないな。動けなくなる前に、お前を開放しておく……こんなところにほっぽり出すのは心が痛いが……大丈夫か?」
 ヘル。俺のヨノワールは、静かに首を横に振る。
「わからない、か。そうだよな……すまない」
 ため息をつく。ポケモンとはいえ唯一の傍にいてくれる女とも別れなければならないとは、俺はとことん女に縁がない……結局添い遂げることも出来ずに別れることになっちまう。だが、こんなところで死ぬのはごめんだし、何よりこの怪奇現象に悩まされない日常が欲しい。
 一度俺は、暑いのを我慢して、ヘルと抱擁を交わした。幼いころ、異世界に迷い込んだ俺を自分の世界に戻してくれたヨノワールと同種族のポケモン。同種なら俺を守ってくれると信じてこいつをゲットして見たが、まさかこんな形でお別れが来るとは思わなんだ。
 ゆったりとため息をついて離れると、俺はヘルの事を見上げ――
「さようなら……」
 ほほえみとも、悲しみとも取れない表情をしてそう告げて、俺は3DSの『ポケモンなりきりダンジョン マグナゲートと∞迷宮』を起動する。直後、襲われる浮遊感。意識が遠のいて気づけばそこは夢の世界だった。しかし、いつもとちょっとだけ様子が違う……いつもは考える間もなくポケモンになっているというのに、今の自分は、自分を遠くから見ていた……今度は何のポケモンになるのだろうか……できれば二足歩行がいいかな。それに武器も持てるからミジュマル系統とか……あぁでも、最終進化形を考えればオノノクスも捨てがたいけれど……うーん。
 そんなことを考えていると、俺の体はミジュマルへと変化していた。そのあと、今思えばあいつと同じ声。あのムンナと同じ声が聞こえた。最初は音質(?)が悪いのか、それとも俺の耳が目覚めていなかったのか何だか別人の声のようであったが、まぁ気のせいだろう。

 ◇

 こんな経緯でこの世界に来ただなんて言っても、いろんな名詞に対して『それって何?』と聞かれるだけだよなぁ……
「それは、教えることでどこかの誰かに命を狙われる可能性があるからな。それに、人間界の知識はアレだ……神の世界ゆえに、こちらの世界には教えられないんだ」
 なんてことを話しても、まず何から説明すればいいのやらわからん。家族との関係とかなら少しは説明できるけれど……うん、3DSとか電車とか、説明できないだろうなー……ましてやモンスターボールとか、そんな代物をどう説明すればいいのやら。だから俺はいろいろはぐらかした。
 この世界における人間は服という名の『希望』を纏う者であると信仰されているから、こういっておけばなんとなくごまかせるだろう、多分。
「そっか……人間の世界は確かに神の国だものなぁ……あまり尋ねるのもおこがましい行為か」
 ブラッキーが納得する。うんうん、おそらく一番の常識人が納得してくれたなら、たぶん大丈夫だ。
「まぁ、仲間の言う事なら、俺は信じるよ、ティーダ」
 ブラッキー……こういう時は、冷静な物言いがありがたい
「ティーダさんなら…… 信じられます」
「だれが何と言おうと信じるだろ! ティーダがそんな言葉で俺達を惑わそうとするかっての!」
 ノコッチも、エモンガも、こういう時はこいつらの率直な意見がとても気持ちいいな……よかった、こいつらと仲間で。


 そうこうして作戦会議を終える。あまり大人数で行動して、敵に見つかってもまずいという事で、今回は俺とアメヒメの2人だけでの行動となる。行きは、エーフィとブラッキーがマグナゲートを開いてくれるらしいので、それを使って移動することに決めた。
 結局、二人きりでいくという事になったので、エーフィとブラッキー以外は特に普段とやることが変わることがないわけで、エモンガもノコッチもダンジョニストの仕事へと赴いていった。ただ、1人だけ様子が変なのが……
「ビリジオン……どうかしたか?」
「……いや、なんでも」
 彼女は何か考え事をしてぼーっとしている。そのせいかビリジオンは、俺に話しかけられてから反応するまでの時間が少々長かった気がする。なんだろうか、あいつの事だからまた昔を思い出して感傷に浸っているのかもしれない。
「なあ、ビリジオン。たまには、誰かに自分の気持ちを吐き出すことも大事だぞ?」
「そうだよ。辛いことや、懺悔なんかは話すことで楽になることもあると思うし……」
 俺とアメヒメは、ビリジオンの辛そうな様子を見かねてそう諭す。
「そうよね。話したいことを少しだけまとめてみたら、そうすることにする……」
 そういったビリジオンの言葉はいつになく儚げで、危うい雰囲気を孕んでいる。ため息、俯き気味の視線、そして、心ここにあらずといった雰囲気。眼が俯いているから、長いまつげが強調されている。
「貴方たち、長い旅になるんだっけ? 気を付けてね」 
 ビリジオンは無理して微笑んでいた。一体、今回の話で何があったのやら……。いろいろ気になることは多いが、今はともかく、ムンナの救出に集中しないといけないな。

Ring ( 2015/06/19(金) 23:32 )