いつかは玉の輿
わたしはレミリア。チョロネコの女の子。私は毎日、路地裏でゴミあさりを終えた後、丘の下に並び立つ屋根に上って、丘の上の豪華な建物を見ている。
そこは上流階級の人達が住む、治安も良く衛生環境もよろしい場所。当然、餌となるゴミなんかも、悪臭の元になるからと落ちていない。だから、私達野良猫が住むには眩しすぎる場所、そこが富裕街。
一般人が立ち入れば、ものすごく警戒されるし、家の門に近づいたりすれば、ガードマンとガードポケモンが黙っちゃいない。私達ポケモンならばそこら辺を歩いていても何も言われないが、特に何も得る者はないから、鳥たちが休憩する以外にはほとんど立ち入りなんてない。
だから、歩いているだけでも怪しまれてしまい、警戒心の強いガードポケモンに唸り声を上げられたりすることもしばしばだ。下手に動いて、機関銃を向けられても嫌なので、殺されたくなければ大人しく近づくことなく遠くから見ているしかないのだ。
どれだけ見ない振りをしても、美味しそうなスープの匂いが風に乗って運ばれてくる。しかし、肝心の食事は運ばれてこず、憧れていてもただ見つめる事しか出来ない、近くて遠い場所。それが、あの町並みだった。
だけれど、最近私には変化があった。どうにも、ガードポケモンの一人、トリミアンのアトリという子が私を気にかけてくれたのだ。そして、アトリと親しくしていると、アトリのご主人も私があばら骨が浮き上がった体じゃ辛かろうと、餌を分けてくれるようになったのだ。今ではすっかりアトリやそのご主人と仲良くなって、近づけば話をするような関係なってくれている。
今では仕事が終われば毎回私に餌を分けてくれるので、高い食事にありつこうと、私もアトリとガードマンには必死で取りいった。
彼らが食しているビーフジャーキーは、彼らがお館様と呼ぶ雇主。つまりこの豪華絢爛な家の持ち主が自分のポケモンに与えているものと同じものを食べているらしい。その味は、ゴミあさりをして得られる食糧とは比べ物にならないほど美味しくて、舌がとろけそうだ。しかし驚いたことに、この豪華な家に住んでいる子は、それを毎日のように食べているという。
アトリに指(?)さされたその先を見上げれば、窓の中にそれはいた。美しいエネコロロが、月明りに照らされた街を見下ろしている。食べているものの美味しさもさることながら、彼の毛並はこの位置からでもわかるくらいに艶やかで美しい。その魅力的な身体は、是非とも近くで見てみたいものだ。しかし、今の私では屋敷にこれ以上近づくことは叶わず、頼み込んでも了承は得られなかった。
「ねー、アトリ……どうすれば、あんな生活できるかな?」
私は、きらびやかな屋敷を見上げてため息をつく。
「さーな。いっつも厳しい訓練をがんばっている俺にだってあんな生活は出来ないんだ、レミリアがあんな生活をするのは一生無理なんじゃないかね?」
アトリはそう言って、窓の中のエネコロロに振り返る。
「だけれど、あのエネコロロのお兄さん。シャルルって名前なんだけれど、よくああやって外を見ているのは……家の中が退屈だからだそうだ。少し、俺の事が羨ましいとも言っていたし、ぜいたくな暮らしってのも行き過ぎると考えものだ。ほどほどがいいんじゃね、ほどほどが? あの家での暮らしが、俺達の暮らしと比べて、何もかもいい物、優れているってことはないと思うぜ」
「そりゃ、確かに退屈かもしれないけれど……うーん、やっぱり、いい場所で暮らすって言うのはいいもんだよ」
「はは、でもあそこにいたらあんまり体を使う必要もないからなぁ。あいつ、俺の筋肉が羨ましいとも言っていたなぁ。」
「へぇ、筋肉?」
「あのお坊ちゃんとじゃれあっても、圧倒的に俺が勝っちゃうからな。あいつ、ずっと家の中にいるから貧弱でさぁ、だから俺みたいに鍛えている奴の体が羨ましんだとよ。お嬢ちゃん、ひ弱な女の子になりたいのかい? あんなところで暮らしたら、ひ弱になっちゃうよ」
「いや、それは……確かに嫌ね」
レミリアの言葉に、アトリは『そうだろ?』と、得意げだ。
「鍛えていれば俺みたいに逞しい体になるからなぁ。どうだ、お嬢ちゃんも触ってみろよ。ってか、触ってくれよ」
アトリは、おどけた様子で前足を上げて、触ってくれと言わんばかりに手招きをする。
「えー、確かに前脚もすごく逞しいわね。素敵素敵」
正直、こんな男なんてどうだっていいので、私は適当に当たり障りなく返事をした。
「レミリアってば、本当にそう思ってる? なんかわざとらしいよね」
彼は私の演技に気付いてしまったのか、嫌らしい笑みを浮かべて尋ねる。
「いやいやいや、私は嘘はつきませんとも」
アトリの体は確かにすごいし、素敵ではあるけれど、そんなの些末な問題だ。温かい寝床、美味しい食事、そして美しい坊ちゃま。それらはきっと、この中に行かなければ手に入らないものだ。
「ねー、アトリ」
「なんだい、レミリア」
「中にいるお館様のエネコロロとお話をしてみたいんだけれど」
それまで笑顔だったアトリだけれど、私がこの話を持ち掛けた途端、まじめな顔になって首を振る。
「ダメだ。前も言ったろ?」
「え、ダメなの?」
「ダメなものはダメだ。きちんと理由を言わなきゃ納得できないか……?」
ため息をつきながらアトリは続ける。
「怪しい奴をむやみに近づけないのが、俺達の仕事だからな。ごめんなレミリア。お前の事、嫌いじゃないけれど……まだまだ信用しきったわけじゃない」
アトリは苦笑してそう言った。
「ダメ? 貴方が私を通してくれるなら、貴方にいい事をしてあげたっていいのよ」
ならば色仕掛けをしてやろうと、私は上目づかいをしながらメロメロを放つ。
「いい事だなんて、俺は興味ないね。アンタ、雌の匂いを振りまいているけれど、そんなんじゃ俺は落ちないよ。俺はメロメロ対策は万全なんだ、女にも男にも、惑わされはしないから」
だけれど、アトリが取った表情は、とろけたハートの目ではなくて、得意げな雄の顔。
「それに、仕事の放棄なんてしちまった日には、ご主人にもお館様にも申し訳が立たない。悪いが、俺が餌にありつけるのも仕事が上手くいっているからなもんでな。不用意な行動は出来ないのさ。ね、ご主人?」
アトリが主人のガードマンに向かってワンと吠える。主人は一瞬だけこちらを向いて笑みを漏らしたが、しかしすぐにまじめな表情に戻り、仏頂面で周囲の警戒を続けている。
「まー、俺の話し相手になってくれるのなら歓迎だからさ。適当にご主人から貰える上手い飯でも食って、それで満足してくれよ。俺達のギブアンドテイクだって、破格の条件だろ? お話するだけで美味しい餌を貰えるんだもの。それで満足してくれや」
「そう、ね。貴方と話しているだけで美味しい餌がもらえるなら、確かにそれは割がいい……ことよね」
「なぁ、お嬢ちゃんよぉ。高嶺の花に憧れるってのは辛いよなぁ。俺も憧れてるよ、シャルル坊ちゃんの暮しにはさ。生まれつきその生活にありつけない俺達には運がなかったんだ。だけれど、運命を嘆いてばかりで何もしないのは良くないだろ? だから、自分が出来るだけの幸せだけでも手に入れようぜ、レミリア。そのためにゃ、諦めが肝心な時だってある。色仕掛けは諦めとけ、俺も、シャルル坊ちゃんにも、色仕掛けは通用しないから」
そう言ってアトリは笑う。
「これは、落とすのは難しそうね」
今日は諦めたほうがいいと、私は苦笑する。あーあ、色仕掛けじゃダメなのかぁ。
「そりゃそうさ。落とされちゃいけないもんでな。まぁ、なんだ……俺も仕事だ。お館様への危険も、シャルル坊ちゃまへの危険も出来る限り対処しなくちゃなんねえ。アンタが坊ちゃまにちょっかい出したくなる気持ちも分かるけれど、自重してくれや。俺も心苦しいんだ」
「……うん、分かったわ」
言葉の上では納得して見せた私だけれど、内心はどうやって出し抜こうか、そんな事を考えていた。
良い考えは、中々浮かばなかった。シャルル坊ちゃまは室内飼いのポケモンで、基本的に家の外に出ることはない。それでも、その行動範囲を補って余りあるほど家は広く、太り過ぎない程度に運動するならばスペースに困らないというのだから、嫉妬と羨望は深まるばかりである。
ガードマンは夜と昼で交代しながら、一瞬たりとも休むことなく屋敷の警護をしている。屋敷の周囲には頑丈な金属の格子。鉄格子と便宜上呼ばれてはいるが、厳密には鉄では耐久力が足りないため鉄ではないらしい。鉄格子以外にも、空からの侵入に備えて、刃物のように研ぎ澄まされた繊維が中空に張り巡らされており、必要に応じて高圧電流が流れるから。上からの侵入も不可能である。
安全に通ることが可能な門の前には、少なくとも二人が常駐して銃を構えており、その過程でネイティオやらヘルガーやら、ウソッキーやら、たくさんのガードポケモンと出会ったのだが、その中で私を良くしてくれるのはアトリと、そのご主人であるガードマンだけ。なので、どうにかこうにか、その関係を利用しなければなるまい。
ともかく、私は考える。数か月ほど考えている間に、体も鍛えて進化した。そうやって体が成長すると、体の大きさに合わせて賢くなったとでもいうかのように、私の頭は冴えわたった。
そうだ、家へ入れてもらえないなら、それを許される理由を作ってしまえばいい。
この富裕街では、時折武装した盗賊が屋敷の中に押し入ろうとやってくる。そういった不逞の輩を排除するために、ガードマンやアトリがいるのだ。アトリと話している最中に遠くから銃声が聞こえることが時折あって、それは大体がそういった武装勢力との戦闘が行われている合図である。噂によれば盗賊たちも不意を突こうと必死で、例えば不穏な動きをするポケモンを追って行ったら、その間に手薄になったところから攻め込まれたりなど、そういうこともあったらしい。
であれば、屋敷に侵入しようとするポケモンが現れた時に、アトリやそのご主人もあまり持ち場を離れたくはないはず。ならば私が追うと申し出れば、アトリたちも違和感なく私を屋敷に入れてくれるのではないか? そう考えた私は町の路地裏で見かけたコラッタを、徹底的に苛め抜いた。何度逃げても執拗に苛め抜き、すっかりおびえて縮こまったところで、アトリの主人から貰った舌のとろけそうな餌を与える。
だが、コラッタ与えるのは欠片だけ。全部は与えず、八割ほどは私が頂いた。急に餌を取り上げられ、コラッタは心残りな表情をしている。
「ねえ、貴方に頼みがあるの。断ったら、私は『貴方にとって嫌なことをしてしまう』から、なるべく断らないで欲しいんだけれど」
ねっとりと、暗に断ったら殺すという意味を含ませ、私はに凄む。コラッタは一瞬びくりと体を震わせているので、恐怖していることは間違いないのだろう。
「代わりに、私の頼みを受けてくれたなら、このビーフジャーキー、もっとたくさんあげてもいいんだけれどなぁ」
選択肢など与えない。逃げることも抗う事も許されない徹底的な苦痛を与えられたコラッタは、私の頼みに苦い顔をしながらも頷いてくれた。そうして、狙うは夜間、人通りの少ない時間帯だ。その時間帯にアトリとその主人が警護をしている日を狙い、私はアトリに話しかける。
その日も、アトリと今日あったことを話しながら、いつも通りの世間話をして、アトリに気付かれないよう、コラッタに合図を送った。
コラッタへ頼んだこととは、彼に屋敷の庭へと侵入してもらう事。そいつを始末すれば、私の株は上がるはずだ。
「おい、とまれ、そこのネズミ!」
アトリが大声で吠えながらを威嚇するも、私に脅されたコラッタは歩みを止められない。人間では通り抜けるのが難しい、間隔の細い鉄格子を容易にすり抜けたコラッタは、ひたすら庭から屋敷の中へと走っていく。
『くっそ……おい、アトリ。一旦ボールに入れ! 腕だけ突っ込んで向こう側に出してやる』
コラッタが止まらないとわかって、アトリの主人がそういうが、そこへ私が大声を上げる。隣で一緒に警護をしていたグラエナの主人も一緒に私の方を見たので、私は再度声を張り上げて、私が行くとアピールする。どうやらそれは伝わったようで、主人二人は『分かった、行け!』と言わんばかりに手を振った。
さあ、後は始末するだけ。柔軟な身体で鉄格子の隙間をするりと抜けた私は、しなやかな体躯から生み出される俊足で、目にもとまらぬ猫だまし。怯んだコラッタの喉笛を噛みちぎり、声を出せなくさせてやる。私に脅されてやっただとか、私が不利になることは言わせる前に処分するためだ。
始末を終えた頃にアトリが後ろからやってきて、広い庭に鮮血をまき散らしながらこと切れたコラッタの顔を覗き込んだ。この時のために、コラッタにはハーデリアの匂いがこびりついた布をこすりつけて、私の匂いばかりが悪目立ちしないようにしておいたんだ。アトリもコラッタの匂いを嗅いだり様子を見たりしているが、痙攣しながら静かに死んでいるを見て、もう脅威はないと判断したらしい。鉄格子の外から銃を構えていたガードマンも、その銃を下ろして肩の力を抜いていた。
「ようよう、レミリア、見事な腕前だな」
アトリが鉄格子の外から私を褒めた。よくわかっているじゃない、私結構強いのよ。
「ふふん、ネズミ狩りは得意なのよ」
鼻息交じりに、私は血塗れの顎をしゃくりあげて胸を張る。
「レミリア、死体は片付けよう。食べるんなら食べても構わないが、あまり目につくような場所には置かないでくれ。景観に関わる」
「はあい、アトリ」
そう言いながら私は窓へ見上げる。噂のシャルル坊ちゃまは、今までで一番近い距離にいる。そこへウインクし、手を振れば、坊ちゃまは肩をすくめて苦い表情をした。こっちに来てみたい、降りてみたいとでも思っているのだろうか、笑顔を見せると目をそらしてしまった。
「おいおいレミリア、坊ちゃまを誘惑しているのかい? あんまり感心しないぞ。ほら、さっさと死体を運び出せ」
少々不機嫌な様子で、アトリは私を急かした。これ以上は不味そうなので、私も自重せねば。
「あら、ごめんなさいアトリ。いやね、せっかく庭に来たんだから、少しくらいはアピールしたいなって思ったのよ」
言いながら私はを咥えて庭の隅っこ、植え込みの下に隠しておく。口にコラッタを咥えたまま喋っていたため少々発音が不明瞭だったが伝わってくれたようで。
「まぁ、お前さんは別に危険じゃないみたいだしなぁ……シャルル坊ちゃまと会話するくらいならいいかぁ? なぁ、ご主人」
ため息をつきつつ、アトリが控えめに主人へ吠える。主人は頬に何かガザガサと音のする機械を当てて、ガサガサ音のする機械で誰かと会話している最中のようで、今は待っていてくれと手で意思表示した。死体を片付けてくれと言う言葉が聞こえているあたり、仲間に何かをさせるつもりなのかもしれない。
『すまないな、アトリ。はいこれ』
会話を終えた主人はそう言ってビーフジャーキーを投げて渡す。もちろん、私にもだ。それを大喜びで食べた後に、アトリはもう一度ワンと吠える。
『ダメダメ、ご褒美は一回だけだ』
アトリの吠え声をおねだりだと思ったのか主人が苦笑するも、アトリはそうじゃないと言って首を振り、私の方へ顎をしゃくりあげる。
『なんだ、このお嬢ちゃんにもっとご褒美をやれってか?』
主人は私達の言葉をあまり分かっていない様子。アトリは苦笑しつつ、
「違うよ」
と、言った。そうしてアトリは首を振り、シャルルの方を見てワンと鳴く。
『シャルルに何か……? あぁ、このレパルダスのお嬢ちゃんを坊ちゃまに会わせてやるとか、遊ばせてやるとかかな?』
「おうよ。この子なら問題ないだろう。お館様も猫は好きだし」
ようやく主人が正解を言い当てたところで、アトリは嬉しそうにそう言った。
『なるほど、なら……さすがにそのままのお前さんを坊ちゃまに合わせるわけにはいかないからなぁ……今のままじゃ汚いし』
汚くないと否定したかったが、しかしアトリと比べればその差は歴然であるため、反論したい気持ちを堪えて、私は黙る。
『うん、ちょっとお前さんを綺麗にしてやらんとな……よし、それなら決めた。このボール高いんだから、じっとしてろよ』
そう言って、アトリの主人は黒を基調としたカラーに金色と赤色のラインが走ったボールを構える。なるほど、いわゆるゲットという奴を私にするつもりらしい。一旦はこの主人の手持ちになってしまうが、まぁいいだろう。私の額にボールをぶつけられると、私は瞬く間にボールに吸い込まれ、そして中の空間に収納された。
ボールの中は非常に居心地がいい。ふかふかのベッドや美味しい水が完備され、寒くもなければ暑くもない。何度名乗っても人間には名前が分かってもらえず、結局わたしはレミリアという名前を捨ててダリアという名前を与えられた。最初こそその名前で呼ばれる自分に戸惑いもしたが、二日もすれば名前にも慣れてきた。
どうやらゴージャスボールというものに入れられた私は、ポケモンセンターで予防接種なるものを受けさせられる。注射の痛みは大したことがなかったが、あのポケモンセンターの匂いというものはどうにもならない。そして、予防接種はまだいい、その後にノミ避けシャンプーなるものをかけさせられた時は発狂するかと思ったものだ。
アトリは平然とトリミングを受けているのが、何だかむかついた。
けれど、こうした通過儀礼を終えたことで、私はようやく主人の手持ちとなることが出来たようで、シャルルやお館様の家族にお目通りできるようになったようだ。と、言ってもいつだってお目通りできるわけではないのが辛いところだが。私達も、仕事の前には屋敷の離れで待機をするため屋敷の敷地までは入れるのだが、まだまだシャルル坊ちゃまと私達を隔てる壁がある。近くて遠い距離とはまさにこのことだ。
毎日、自宅と屋敷の往復。仕事が休みの日は、厳しいトレーニングを課せられて、私はアトリのサポート役として、技マシンとかいうヘッドセットをつけられてバークアウトを覚えさせられ、その練習をさせられた。トリミアンは防御力が非常に高いため、敵の特攻を減らして耐久面をサポートしてやるのが私の役目のようだ。
喉が枯れても、木の実や甘い蜜で喉の痛みを和らげたら、また叫ばされるなどして喉を酷使させられっぱなしの毎日だった。
そうして、シャルルにようやく会って話を出来る機会がやってくる。お館様が半年に一度開いてくれるというホームパーティーだ。そのチャンスは意外と早く回ってきて、私が手持ちとなってからはまだ月が満ち欠けを一巡していない。それでも、日々行われるご主人のトレーニングなどで血反吐を吐くような思いをした後だから、この数日間は非常に長く感じてしまったものだ。さぁ、シャルル坊ちゃまにアタックしかけて、狙うは玉の輿。いつかは贅沢な暮らしをしてやると願って、ここまで長かった。
「こんばんは、シャルル坊ちゃま」
「こんばんは、お嬢さん。あの、僕の名前はもう知っているみたいだけれど、君は……アトリが話してたけれど、ダリアでいいんだっけ?」
「そう、ダリアよ」
私が微笑みかけると、シャルルも微笑みかけてくれる。その笑顔の素敵な事、私なんかよりもずっと毛並みもいいし、やっぱり彼は上流階級なのだと実感する。しかし、なんというか男らしい匂いがあんまりしない子だ。それについてはアトリも同じだけれど、水浴びをしているせいなのだろうか? エネコロロなんて、メロメロボディの影響で雄の匂いも濃くなるはずなのに。
「君は野良だって聞いていたけれど……この前、コラッタを倒した時にアトリ君のご主人、ハコベラさんの手持ちになったんだね。何というか、その……アトリからの又聞きになったけれど、いろいろ聞いたよ。野良の暮らしって、大変なんだね?」
「うん、そりゃもう大変よ」
シャルルの話題に私は食いつく。
「食事をするのにも奪い合いになるし、冬は寒くない場所で寝るにも喧嘩になることだってある。その戦いのせいで命を落とす子も、少なくないしね。毎日が戦いってわけじゃないし、たまには休める日もあるけれど……でも、そんな日は滅多にない。強くなければ、いっつも負けて惨めな思いをするしかないの」
「……大変なんだね」
「でも、飽きないわ。外を歩けばいろんな噂話が聞ける。人間のうわさ話も含めて、本当に面白いのよ」
尊敬交じりのまなざしで見つめるシャルルに、もっと押してやれば靡くだろうと、私は饒舌に語る。
「例えば、誰かが進化したことを祝福するような話が広まれば、その子の周りに自然と輪が出来てね。ささやかながら、贈り物し合うの。私もしたわ……ミミズを一匹だけしか挙げられなかったのが残念だけれど」
「ミミズ? 庭師のおじいさんがたまに土を弄っている時に掘り返しているうねうねした奴だよね?」
「うん、食べてみると結構おいしいのよ、これが」
笑顔で喋りとおしてみれば、シャルルは面白いように食いついてくるではないか。彼がこの館の飼い猫であることを差し置いても嬉しいので、私は調子に乗って色んなことを話した。そして、話も二転三転しながら、近所の幼馴染に子供が出来たことで、それに関わるエピソードを話し終わったところだ。ここらで本題に入らせてもらわねば。
「そう言えば、シャルルは子供とか欲しいと思う? 私は、出来る事ならたくさん欲しいなんて思っているのよね」
「あぁ、僕は子作りには興味ないっていうか、無理かな」
「へぇ、無理?」
とは、どういうことなのかしら?
「僕、去勢されちゃってるからね。ほら、ついてないでしょ? タマが」
「え……きょせい?」
シャルルはごろりと寝転がって腹を見せる。見れば、そこには男の子についているはずの、例のアレが付いていないではないか。
「なんでも、こうすることでイライラしないとか言われてるから、変なことで怒ったりしない生活が出来るのなら、僕はこういう体になって良かったなぁって思うよ」
間延びした声でシャルルが言うが、そんなの頭に入ってこない。ともかく、子作りできないという事は、生きている価値がないという事ではないか。
「あの、ダリア?」
あんまりの事に呆然として固まってしまう私の顔を、シャルルが立ち上がって覗き込んだ。
「あはは、何でもないわ……あはは」
きっと、今まで生きてきた中で最悪の作り笑いを浮かべたまま、私は出された食事を食べるからと言って会話を打ち切った。美味しい食事の味が分からなくなるくらいの動揺の中、さすがにそれはねーだろと心の中で叫び、シャルルとは結婚してはいけないのだと、私は悟るのであった。
そんなこんなで、私は結局アトリと一緒に、主人であるハコベラの家で暮らしている。訓練は厳しいし、仕事中はじっとしていなければいけないのは辛いが、やっぱりボールの中は心地よいし、美味しい餌を十分に食べられる生活は悪くない。
シャルル坊ちゃまのようにぜいたくな暮らしではないけれど、これはこれで幸せなのかもしれない。
『おい、ダリア。今日はポケモンセンターに行くぞ、ボールに入れ』
今日は何やら、ポケモンセンターに連れて行かれるようだ。なんだか、ひにんだとかどうとか、そういう手術をするらしい。シャンプーは非常に苦痛だったけれど、あれのおかげでノミやシラミに悩まされることもなくなったので、きっと今回も私の体にいい事が起こるのだろう。
手術というのは少し怖いけれど、いい事があるならそれでいいかな。