第六十七話*約束
倒れていたカーツィとヴェレーノは、痛む体を起こした。どうやら目を回していたようだ。
一瞬きょとんとしていた二匹は、しかし此方に向けられる鋭い視線にびくりと震える。其処には三匹のポケモン――クローネ、嶺緒、ルト。
少し遅れて、このポケモン達に負けたのだという記憶が蘇った二匹の行動は早かった。
「に…」
「逃げるにゃっとーーーー!!!」
転がるように逃げ去る二匹を、三匹は追いかけることはしなかった。それが目的ではなかったからだ。
「終わったぁ〜」
「結局ゴリ押し作戦が功を奏した訳か…いっつ……!」
「うん。嶺緒もルトも無理させてごめんね」
「ま、勝てたからいいんじゃね?」
「あぁ」
戦闘を終えた三匹が和気藹々と喋っていると、岩陰からゆっくりとエーフィ――レヴィシアが姿を現し、三匹に近寄る。その後ろからシェリルも、もはや完全に死にかけた表情をしながらふらふらと歩いてくる。
レヴィが近づいてきたことに気がついたクローネは慌てて声をかける。
「あ、レヴィシア…だよね!大丈夫?怪我はない?」
「えぇ」
「そっか〜よかった!」
ほっとしたように安堵の表情を浮かべるクローネ。レヴィはそれに微笑み返す。
「あ、紹介が遅れたね!ボクはクローネ・メレクディア!」
「俺は月影 嶺緒。嶺緒でいい」
「オレはルト・アグレスター」
三匹はそれぞれ名を名乗る。レヴィもそれに「よろしくね」と応答する。
「私は…たぶん知ってると思うけど、レヴィシア・スヴェトラーンよ」
「うん!改めてよろしくね!」
にっこりと無邪気な笑みを返すクローネ。レヴィもつられて笑顔に見せると、「ところで」と問いを口にする。
「このツタージャさんは…?」
「………」
「あ、この子はシェリル・ソルテラージャっていうんだ!口は悪いけどとっても良い子だよ!」
「………」
「へ、返事がない…だと…!?お、おいシェリル、お前そんなに体調悪いのかよ…!?」
「いやお前の基準おかしいだろ」
クローネがいつも通り、シェリル曰く「余計な説明」付きの紹介をしたのにも関わらずシェリルから返事が返ってこないのを見て、ルトが驚愕の表情でシェリルを心配する。そしてそれに嶺緒がツッコんでいる。これが通常に近い雰囲気であるということを知らないレヴィは苦笑するほかなかった。
話を変えるために、レヴィは「それにしても」と口を開いた。
「すごかったわね、あの作戦」
「あぁ、あれ?まぁよくある作戦だと思うんだけど…嶺緒とルトが上手くやってくれなかったら成功してなかったよ」
「それに、若干偶然もあったしな」
にこっと笑うクローネ。謙遜ではなく、心からそう思っているのが窺える。
それに、嶺緒が言葉を付け加える。クローネも「うん」と首を縦に振る。
シェリルの言葉で思いついたその作戦は、嶺緒とルトが敵二匹をうまく誘導して中心に集め、穴をほるで近づいたクローネが十万ボルトを二匹に放つ、といった作戦としてはありがちなものだ。ただひとつ、二匹が互いを攻撃し合ったのは嬉しい誤算だったが。
さらに、二匹は気づいていないようだったが、他にもちゃんと布陣は敷いてあったのだ。それが、シェリルの殺気を垂れ流すという名のにらみつけるである。それに二匹は引っかかり、あたかも嶺緒とルトの鬼気迫ったオーラに感じ、所定の位置まで下がらざるを得なかったのだ。
だからこそこの作戦は、危険もあったが嶺緒とルトの捨て身の攻撃と防御があってこそ成り立つ作戦だった。
「もう半分くらいはやけだったが。作戦聞いた時もあっさり上手くいく保証はなかったしな」
「そーそー、よくもまぁあんなにあっさりいったよな」
「それも貴方達が上手く連携を取れていたからよ、きっと。まさかシェリルが一番後ろにいたのが実は作戦だったなんて、傍から見てたら気付かないもの」
「うん、シェリルには感謝してるよ」
「ずっとグロッキーな状態で戦闘離脱してたし、こいつが戦えるわけないってたかをくくって油断してたんだろうな」
「グロッキー…なのは…今も同じだバカヤロー……」
もはや力のこもっていないヒョロヒョロとしたシェリルの声がツッコミを入れる。それに対し「あ、生きてた」と言うルトもなかなか失礼である。
「ところで…貴方達はどうして此処に?」
「あぁ、それはね!アル…じゃなくてアルテミスが、レヴィ…じゃなくてレヴィシアを助けてくれって!!」
「そう。……アルにも迷惑かけちゃったわね。あとあだ名に慣れてるならそれでいいわよ」
「あぅ…ごめんね、一回呼び慣れると変えるの苦手で……」
申し訳なさそうに苦笑するクローネ。
それを見て微笑んだレヴィは、少し動かそうとして体に走った痛みに顔を一瞬歪ませる。崩れ落ちそうになったレヴィを慌ててクローネが支える。
「だ、大丈夫!?」
「え、えぇ。ちょっと痛いかな…」
レヴィは痛みに顔を歪ませたものの、すぐにしゃんと立ち直し、「でも大丈夫」と強気に微笑んでみせた。
「あんな奴らに負けてたまるもんですか」
「あはは、ガッツあるね!ルトみたい!」
「こいつの場合…ただの単純バカ…」
「んだと!?」
「死にかけの状態で人を罵るんじゃない」
「うるさい…チビ銀」
「そういう呼び方やめろっつってんだろ!?てかチビじゃねぇ!!」
「あはは、やっといつも通りの感じになったね〜」
「こ、これ…いつも通りなのね……」
地面に突っ伏しているシェリルがルトと嶺緒を小馬鹿にし、それにツッコミを入れる嶺緒。そんないつもの光景を見てニコニコと笑っているクローネを見て、コメントに困るレヴィ。
しかし、レヴィには気がかりなことがあった。和気藹々としているのはいいのだが、そのことが頭を離れない。
レヴィははやる気持ちを抑えて、できるだけ丁寧に「ねぇ」と切り出す。全員(シェリルを除く)の視線が此方を向くのを待ってから、口を開く。
「それより、早く宿場町に行きたいの。気になることがあって……」
「そっか、それもそうだね。アルも待ってるし、早く行こっか」
幸い、この場で深く追求されることはなかった。クローネはレヴィのせかす気持ちを察したわけではなくただ単に素直なだけなのだろうが、嶺緒は何かを察してくれたらしくきょとんとしているルトに「シェリルももうそろそろ本気でやばそうだし、さっさと行くぞ」とてきとうに言い訳をつけて納得させてくれていた。
こうして『アストラル』は【ドウコクの谷】から、無事レヴィを連れて帰還したのだった――
「帰ってきたぁ〜」
宿場町に着くとクローネが伸びをしながら間の抜けた声で呟く。
それに対し、嶺緒は「そうだな」と相槌を打ち、シェリルを引きずっているルトは「疲れた…」と疲弊の声を上げ、レヴィは宿場町をきょろきょろと眺めていた。
クローネ達がレヴィを連れて宿場町に返ってきたとすでに噂になっているらしく、広場ではたくさんのポケモン達が既に野次馬の如く群がっている。どうやらレヴィに声をかけたり一目見ようと思っているらしかった。呆れた嶺緒とルトが人払いをしようとした時だった。
建物の屋根に跳び移り、そのまま屋根を蹴って宙へと飛び出し、野次馬たちを飛び越えて『アストラル』の面々の前に何かが飛び出してきた。
純白のマフラーをなびかせ、短く「おかえり」とだけ告げる。クローネはパッと笑顔を見せる。
「あ、飛燕!ただいま!何もなかった?他のメンバーは?」
「…うん。他…は…二階で、アルと…一緒、いる。俺、だけ…でてきた。外…騒がしかった、から」
「そっか!じゃあ、呼んできてもらってもいい?なんでかわかんないけど、進めなくって!」
「いや進めねぇのは野次馬のせいだけどな」
「……わかった」
広場にいたポケモン達は退いた方がいいと判断して道を開けようと動いていたが、飛燕には道を作ってもらうより彼らを跳び越える方が容易かつ早かった。
ずば抜けた跳躍力で軽々と飛び上がると、くるくると回転しながら宿の前に着地する。相変わらずの驚異の身体能力である。さすがは忍の一族といったところだろうか。
飛燕が奥に引っ込むと再び広場のポケモン達がざわざわと騒ぎ出した。
が、その時凛とした声が鋭くその場に響く。
「うるさい。騒がしいんだよ、ちょっとは黙れないわけ?」
それは不思議と通るシェリルの声だった。
帰ってきてからも少し不調そうな様子であったが、だいぶマシになったのだろう、ルトに寄りかかりながらも不機嫌そうに表情を歪めながら声を張っていた。
それを聞いたポケモン達は一気に静かになる。
「――レヴィ!!」
静かになった広場に聞こえてきたのは、アルの声だった。
五匹が視線を向けると、其処にはアルと、エルム、セシリアに『昴』の面々がいた。さらにその後ろからはテアとガレット、ルシアとアサザが出てくる。
広場に向かって歩いてきた『アストラル』とレヴィに駆け寄るアル。しかし体を引きずるように走ってくる様子を見ると、先刻よりはだいぶ回復しているものの完全に回復とまではいかないようだった。
レヴィをしげしげと見つめ、たいした怪我を負ってはいないようだと理解すると、今度こそアルは目に涙を浮かべた。
「アル…!」
駆け寄ってきたアルを見て、再開できたことに此方も涙を見せるレヴィ。
「よかった、無事で…本当に…!」
「アルこそ無事で、本当によかったわ……!」
互いに無事だったことに涙を浮かべながら安堵の言葉を口にする。その周りで、『アストラル』や『昴』の面々、そして宿場町の者たちがよかった、というような表情を浮かべて見守っている。
と、ふとレヴィの表情が曇る。
「本当はこうして喜び合っていたいんだけど…私実は気がかりなことがあるの」
不安げなレヴィの表情を見て何か察したのだろう、アルはコクリと頷くと「でも」と声をかける。
「まずは『アストラル』にちゃんとお礼を言ってからにしよう。それに、『昴』にも宿場町のポケモンにも。な?」
「うん……」
レヴィがアルの隣に行き、横に並ぶ。そしてその場にいた者達に対し、口を開いた。
「『アストラル』と『昴』の皆、宿場町の皆さん…ご心配をおかけしました。そして、ありがとうございました。皆さんのおかげで俺達は助かりました」
礼を述べ、深々と頭を下げる。それを見て、クローネがにっこりと笑顔を向けた。
「うん、無事で本当に良かったよ!」
「あぁ、そうだな」
「どうでもいい」
「お前は空気を読め」
「やだ」
「だから即答止めろ」
クローネの言葉に嶺緒も頷くが、例によってシェリルが空気を読まないので嶺緒がツッコミを入れている。が、ばっさり切り捨てられている。
その相変わらずの光景でしんとしていた空気も苦笑と微笑みが戻ってくる。
と、ふとクローネが「でも」と疑問を口にした。
「アル達を襲ったポケモン…いったい何者だったんだろ」
「さあな…奴らがなんなのかは俺にも……」
「そっかぁ…」
「でも対峙してはっきりわかったことがあるだろ」
全員が首を傾げていたところに、シェリルが口を挟む。その言葉で、全員の視線がシェリルへと向かう。
視線を向けられたことがあまり気分が良いものではないらしく眉を顰めるが、だからといってシェリルは口を閉じたりはしなかった。
「あいつらはレヴィの荷物をあさってたんでしょ。じゃあ、レヴィの荷物を狙ってたってことじゃん。あんたら、狙われるようなもの、持ってたんでしょ」
「…!」
「えぇ、はっきり言われたわ。「エンターカードを何処に」ってね。やっぱりあいつらの狙いはエンターカードだったのよ」
レヴィは真剣な表情でそう述べる。
アルも打って変わって真剣な表情で「そうか」と納得したように呟く。
「俺達を襲ったポケモン達がなんであれ、エンターカードを狙っていたのなら目的ははっきりしてくる。
俺達の研究の邪魔をしたかったか、もしくはエンターカードを奪って大氷河に行きたかったのかもしれないな」
「………え?」
アルがさらりと言ってのけた言葉にぽかんとした声をあげたのは誰だったろう。ほぼ全員が驚愕に固まっていたから、誰であってもおかしくはなかったが。
自分が何気なく呟いた言葉の重大さにおそらくは気づいていないのだろう、アルもレヴィもきょとんとしている。どうかしたのか、と言わんばかりの表情で。
いち早く硬直から解けたルトが慌てて口を開く。
「ちょ、ちょっと待て!今何気に…何気にすごいことさらっと言わなかったか?」
「ん?エンターカードを狙ってるならそれくらいの心当たりはあるだろ?」
「じゃねぇよ!?その後だ、その後!」
「研究の邪魔がしたかったってところか?…ってそこではないか、さすがに。残るはエンターカードを奪って大氷河に行くって言葉だけだが…これのどこかに驚くようなところ、あったか?」
「「いや驚くところだらけだろ!?」」
嶺緒とルトのツッコミが重なる。
アルとレヴィはどうして皆が驚いているのかぴんとこないらしく、首を傾げている。
「大氷河に…!?」
「マジかよ…」
「……大氷河といえば未だかつて誰も足を踏み入れたことのない地。
其処に……其処に行くというのか………!?」
皆がざわざわと驚きの反応を見せるので、アルもレヴィもようやく察しがついたようだった。
アルが少し申し訳なさそうに「あ、あぁ…そうだった」と口を開く。
「このことはまだ皆にはちゃんと話してなかったな…忘れてた、ごめん。
俺達二匹は、ずっと大氷河の研究をしてきたんだ」
「大氷河の奥……其処にはきっと、周りの物体を浮遊させる大結晶がある。アルはそう考えているのよ」
「物体をふゆーさせるだいけっしょー…?」
クローネがまたこんがらがり始めているのか、片言になりつつレヴィの言葉を復唱する。
アルは「あぁ」と頷くと、説明を続ける。
「それを証明するためには大氷河へ渡るしかない。
だけど、大氷河の前には巨大なクレバスが行く手を阻んでどうしても渡れないんだ。だから誰も行ったことがないんだ。
だから地脈の流れを利用して、クレバスを越えて大氷河の前にダンジョンの入り口ができるようなエンターカードが作れれば、大氷河に行けると思ったんだ」
「すごいね!何言ってるかよくわかんなかったけど!!」
「わかんなかったなら褒めるなよお気楽天然電気ネズミ」
「だからお前も水を差すな」
クローネのなんとも言えない賛辞にシェリルがツッコみ、さらにそれに嶺緒がツッコむ。
クローネはツッコまれたことに「えへへ」と何故か照れ笑いを返すと、「じゃあ」とキラキラと目を輝かせながら再び口を開く。
「アルとレヴィのエンターカードが揃えば大氷河に行けるってこと!?」
「あぁ、まあな。ま、もう少し調整は必要だがな」
へーすごい!と一匹テンションをあげているクローネを見て微笑むと、しかしすぐに「でも」とサッと表情を曇らせた。
その視線はレヴィのバッグだ。その潰れ具合から、何かが入っているようにはとても見えない。
「レヴィ、見たところエンターカードは持っていないようだね?もしかして…あいつらに?あぁ、でも俺は構わないんだ。例えエンターカードがなくっても…お前が無事なら、俺はそれだけで十分なんだ」
「ちょ、ちょっと待って!早とちりし過ぎよ!私、エンターカードを奪われてなんかいないわ!
…でも、それもあってちょっと……かえって心配というか……」
アルの言葉を慌てて遮るレヴィ。しかし、段々と語尾の声が小さくなっていく、その表情は何処か暗く、不安げに目を揺らしている。
その様子にアルは首を傾げ、其処にいるポケモンも不思議そうにしている。
「正直私…後悔してるというか…」
「後悔…?」
アルが怪訝そうに復唱した時だった。
「あ、お姉ちゃん!!」
幼い子供の声がして、全員の視線がそちらへと移る。
其処には、声の主であるアルカがおり、後ろには母親であるイベリスが寄り添うように立っている。
アルカの姿を見た瞬間、レヴィの瞳は驚きのために見開かれた。
「あっ…君は……!」
慌てた様子でアルカに駆け寄るレヴィ。その目は不安そうに揺れ、表情も心配そうに歪められている。
「怪我はない!?大丈夫だった!?何も起こらなかった!?」
「お姉ちゃん。コレ……」
アルカがゴソゴソと自分の荷物をあさり、取り出したもの。それを見た面々は驚愕のために思わず唖然とせざるをえなかった。
アルカの手にあるのは、なんとエンターカードだったのだ。
アルカはそれをニコニコ顔でレヴィに手渡す。レヴィは複雑そうな表情でそれを受け取る。心ここにあらず、と言ったような表情だ。
「も、もしかしてそれはエンターカード…!?」
「で、でもなんで!?なんでアルカが持ってんだ!?」
エルムとルトが動揺しながらも絞り出すように出した言葉は皆の気持ちを代弁していた。此処にいる全員が、その疑問を抱えていた。
アルカは笑顔のまま、口を開く。
「ボク、約束を守ったよ!誰にも言わなかったからね!」
「あぁ…ありがとう……!でも、怖かったでしょう?」
アルカの純真な笑顔に、言葉に、レヴィの目にはいつの間にか涙がじわりと浮かんでいた。
「大丈夫だよ!ボク強いもん」
にっこりと笑って胸を張るアルカの姿に、レヴィの中で張りつめていた何かが堰を切ったように溢れ出てきた。
「本当…本当によかった。でもごめんね…!本当にっ、ごめんなさ、いっ……!!」
謝りながら、レヴィは涙が止まらなくなっていた。前も歪んで見えなくなるくらい、涙が零れ落ちていた。遂には地に伏して号泣し出した。
その場にいたほぼ全員が驚き、慌てふためく。
「お、お姉ちゃん!?ボク大丈夫だってば。泣かないでよ〜」
アルカが慌ててレヴィに声をかけるが、涙が止まる様子はない。
「…なんで泣いてんのこいつ」
「いや俺に聞くなよ」
「レヴィ?だ、大丈夫?」
「沁刃…慰める。よく、わかんないけど」
「いや状況よくわかんねぇのに無茶言うな。ってお前もよくわかってねぇだろうが」
「でも…泣いてる」
「飛燕…沁刃には無理や。……沁刃には無理や」
「二回言うな!」
「大人しくしててください、ややこしくなる」
「チッ、こんな時だけ正論言いやがって…」
ざわざわと他の者達が動揺を見せる。シェリルは嶺緒に疑問を投げかけ、クローネはあたふたとし、飛燕は沁刃に無茶ぶりを要求して沁刃と由羅にツッコまれ、鏡刃が三匹を窘める。
と、先ほどから静かに様子を見守っていたイベリスがスッと一歩前へ出た。
「レヴィさん、はじめまして。私はこの子――アルカの母でイベリスと申します」
「あぁっ……ごめんなさい!本当にっ…申し訳ありませんでした!!私のせいで…この子も危険に巻き込んでしまってっ……!」
「危険なこと?」
泣きじゃくりながら懸命に謝るレヴィの言葉に、イベリスは不思議そうな表情を見せる。
クローネも嶺緒も、アルカも、そして他の者も、皆首を傾げている。
と、不意にシェリルが「あ、そういうこと」と納得した。
その言葉に、全員がシェリルの方に視線を向ける。クローネが疑問を口にする。
「シェリル、わかったの?」
「…まぁ。でも僕から言うより、こいつに直接聞いたら」
シェリルの言葉に、また視線はレヴィの方へと戻る。イベリスが静かな、しかし優しい声音で尋ねる。
「レヴィさん。いったい何があったのか、お聞かせ願えませんか?」
「……はい……」
イベリスの言葉に、消え入りそうな小さな声音で答えるとレヴィは前を向いて口を開いた。
「私は、アルとはぐれた後もずっと追われて逃げ回っていました。町になんとか逃げ込もうとしても、先回りされていて…ずっとこの宿場町の周辺を彷徨っていました。
そうしながらも、前もって隠しておいた荷物が気になって……それで向かったのが【シキサイの森】だったんです」
【シキサイの森】。『アストラル』には覚えのある場所だった。いなくなったアルカを探すために向かったダンジョンである。そして、確かにアルカはそこにいた。
「私は敵に追いつかれるのを気にしながら、持ち物を隠した場所へと向かいました。
でも来てみると、ちょうと其処にこの子がいたんです。
焦った私は問いただしました。其処で何をやっているのって。慌てて近寄ってみると、其処には私が隠していた荷物が散らばっていて…エンターカードも掘り出されていました」
「ボク、なんか地面が盛り上がってるのが気になって、何かあるかもって掘り出しちゃったんだ」
レヴィの説明に、アルカが補足を入れる。他のポケモン達は、じっとそれを聞いている。
「私は焦ってしまって…追手とエンターカードのことで頭がいっぱいになってしまいました。「今ここで追手が現れたら」「もし今ここで襲われでもしたら」…と。エンターカードはなんとしてでも守り抜きたくて…でも今追手が来たらこの子まで巻き込んでしまう。必死に打開策を考えました。そして思いついたのが、この子に…エンターカードを、預けておくことだったんです。
この子は私の荷物の中にあった赤い石が気に入ったと言っていました。
だから、それをあげる代わりにこのカードを預かってほしい。私が受け取りに来るまで、カードのことは誰にも言わないでね、…そう、約束したんです。
この子は快く引き受けてくれて、宿場町に住んでいることも聞きました。それからエンターカードを託して、私は再び追ってから逃げるために森を離れました」
その説明を聞いているうちに、嶺緒とセシリア、鏡刃とアルの表情が変わった。シェリルは相変わらず仏頂面のままである。
他の者達は相変わらず黙り込んだまま、話を聞いている。
そこまで話し終えると、レヴィはさらに表情を苦渋に歪ませた。その表情は段々とまた泣きそうな表情に戻っていく。言いづらそうだが、それでも口を開いて話を続ける。
「でも、途中で気づいたんです。約束したとはいえ、秘密が秘密のままであるとは限らない。この子の手にエンターカードが渡っていることを、もしも追手達が何かのきっかけで知ってしまったら……」
「確実にアルカが狙われるだろうね」
レヴィの喉で閊えてしまった言葉を、シェリルが遠慮なく代わりに口にする。
その言葉で、全員納得がいったようだった。皆動揺を隠せない。
レヴィは俯いてしまった。それでも、なんとか声を振り絞って話を続ける。
「私、それに気がついて…すぐに【シキサイの森】に戻ったんですが……もう、この子の姿はなくて……」
「多分、すれ違ったんだね。きっとレヴィが戻ってきた時って、ボク達がアルカを迎えに行った後だったんだ」
クローネがそう呟く。
そういえば、と嶺緒は記憶を思い起こす。
アルカがやけに挙動不審だったのを訝しげに思ったシェリルがアルカに問いかけていたのを思い出す。
あれはおそらく、レヴィのことを心配して何度も振り返っていたのだろう。誤魔化したのも、秘密にするという約束があったからだと考えれば納得がいく。
「あの時は必死だったとはいえ……私はなんて危険なことに巻き込んでしまったんだろうと……。でも、その後も私はずっと追われ続けていたのでこの子を探すこともできなくて……その間、ずっと心配で…心配でっ……!!
でも、無事で…本当にっ…よかった……!!」
またしても涙があふれてくるレヴィ。アルカはレヴィに駆け寄り、そっと背中をさする。
と、イベリスが「レヴィさん」と声をかけた。その声は、とても穏やかなものだった。
「泣かないでください。貴方も怖い目にあったのだから、仕方ありませんよ。それなのに、たくさんこの子の心配をしてくださって……ありがとうございます。
何よりこの子は――アルカは、貴方との約束を守った。貴方との約束で、この子はまた一つたくましくなれたんです。母として…感謝していますよ」
「っ……!!ごめん、なさいっ……!!うわぁぁぁぁぁん!!」
レヴィはその優しい言葉で、今度こそ声を上げて泣き出した。アルカとアルがその隣へと行き、背中をさすってやる。
皆が温かい表情でレヴィを見守っている。
テアは「うん、よかったよかった、一件落着して」と笑顔を見せ、そしてアルに視線を移した。
「ところでアル。あんた達、これからどうするの?」
「それなんだけど、もし迷惑でなければ…しばらく此処にいさせてもらえないかな?宿場町を出ればまた襲われるかもしれないし、俺もレヴィもまだ体が万全じゃないから」
「ま、それが一番だろうな」
ガレットが肯定し、皆もその意見に賛同を示す。
テアはニコリと笑うと、アルに向かって口を開いた。
「ウチは当分空いてるから遠慮なく使ってくれていいからね」
「あ、ありがとう…!じゃあお言葉に甘えさせてもらうよ」
「ま、言っとくけど、ただじゃないからね」
「わかってる。さすがに散々お世話になってるのにただなんて申し訳ないし」
話がまとまると、テアやガレットやルシアやアサザは宿に戻り、アルもいまだ泣きじゃくっているレヴィを連れて宿の中へと入っていく。アルカとイベリスもレヴィの様子が気になるのだろう、後についていった。
他の宿場町のポケモン達もそれぞれ散っていく。
『昴』の面々もクローネ達に会釈すると何処かへ歩いていった。
クローネは残った『アストラル』のメンバーを見回してにっこりと笑顔を向ける。
「皆、お疲れ様。微妙に時間が残っちゃったから、今日はもう解散しよっか!
ボクはちょっとシュロのとこまで行ってくるね!じゃーね皆!!」
「あぁ。じゃあエルム、行こうぜ。お前ら、また明日な」
「うん。じゃあ皆、また明日!」
「私はレヴィの様子を見てくるわ。じゃあね」
クローネは言うが早いが走り出し、エルムとルトは帰り、セシリアは宿へと入っていく。
残ったのはシェリル、嶺緒の二匹だけだ。
「…俺らも帰るか」
嶺緒は声をかけると、パラダイスに向かって歩き出す。
しかし、ふとシェリルがついてきていないことに気づくと、怪訝そうに後ろを振り向く。
シェリルは、じっと宿の方を見つめている。
「…シェリル?どうかした、」
「――追われるのってさ、怖いんだよね」
唐突なシェリルの言葉。嶺緒は言いかけた言葉を飲み込んだ。
「誰かを心配することができる。つまり、心配できる誰かがいるってことは…本当に良いことなのかな」
「……」
シェリルの言葉を、嶺緒は黙って聞いている。シェリルは唐突に振り返ると、嶺緒を追い抜いてさっさとパラダイスの方へと歩いていく。
その表情は――前に見た触れれば溶けてしまうような雪のように儚いものだった。
いつものシェリルとは思えない、その泣きそうな表情が一瞬見えて。
嶺緒は、何も言えなくなった。ただ、早足で去っていくシェリルの背中を見送ることしかできなかった。