第六十五話*集合
「はぁっ……はぁっ…!」
息切れも体の疲労も気にしている暇もなく、ただひたすら「逃げなければ」という意志に突き動かされ、エーフィは悲鳴をあげ続ける足を動かして走り続ける。
曲がり角を進み前へと前進する。
「っ……!?そ、んな……!?」
そんなエーフィの目の前に広がる、広い場所。しかし、其処に道らしきものはなく、行き止まりであることを暗示していた。思わず絶望的な声が口からこぼれ出る。
早く戻って逃げ道を確保しなくては。
急いで後ろを振り向いたエーフィは、次の瞬間顔を強張らせた。
「ブニャニャニャニャッ!まったくもう、すばしっこいから疲れるにゃっと!」
ケラケラと笑いながら、余裕ぶった表情で近寄ってくるポケモン――ブニャット。疲労困憊で今にも倒れそうなエーフィとは違い、此方は疲れた様子など微塵もない。
「でも……とうとう追いついたにゃっと」
「くっ……!」
まずい。
そんな言葉が頭を占める。今の自分は満足どころかまともに戦える状態でないことをエーフィは理解している。
なんとかしなければと、逸る気持ちが余計に心をかき乱す。
せせら笑いを向けてくるブニャットを鋭く睨みつけながらも、エーフィはじりじりと後退していく。少しでも間合いを開けて、隙を見て逃げ出そうと考えたのだ。
――だが。
「ドクドクドクドクッ!おい、カーツィ!お前はまだいいじゃないか!」
「っ!?」
突如聞こえた声にエーフィは驚きにビクリと肩を揺らし、周りを見回す。しかしカーツィと呼ばれたブニャットの周りには誰もいない。
まさか、と思いつつエーフィが後ろを振り向いた時だった。
「オレなんか先回りする役なんだからなロッグ!!」
行き止まりになっている崖の下から飛び跳ね、エーフィの後ろを取るドグロッグ。まさかそんなところから現れるとは思ってもみなかったエーフィは絶句した。
そんなエーフィの様子は気にもとめず、二匹は悠々と会話を続ける。
「ちょー疲れたロッグ!」
肩をトントンと叩きながらカーツィの方へと近寄るドグロッグ。エーフィは即座に間合いを取るが、前を向いても斜め右にはドグロッグ、斜め左にはカーツィ。後ろも少しの合間があるのみでその先には崖しかない。
絶体絶命。
そんな言葉が頭を過ぎる。
しかし弱気になっている場合ではないのだ。なんとしても、逃げなければならない。恐怖と焦りが交錯する中、必死に頭を働かせる。
「あら、ヴェレーノ。ダイエットにはちょうど良かったんじゃにゃっと?」
「ドクドクドクッ!ダイエットが必要なのはお前だロッグ!!」
そんなやり取りを交わしつつも、二匹はエーフィを追い詰めるべくさらにじりじりと近寄ってくる。
「ドクドクドクッ!さぁ、持ち物を全て出すんだロッグ!!」
エーフィは後退していくが、ついに崖のすれすれへと来てしまう。これ以上後退すれば、崖から落ちてしまう。
万事休す。エーフィは顔をさらに強張らせる。
そんなエーフィの様子を見ていて、カーツィはニヤリと笑い口を開く。
「ブニャニャニャニャッ!言ってもどうせ聞かないにゃっと!さっさと強引に調べた方が早いにゃっと!」
「きゃっ!」
カーツィはエーフィを崖から落ちないギリギリの力加減で突き飛ばす。しかしそれだけの攻撃でも威力はあり、疲れ切っていたエーフィはいとも簡単に倒れてしまう。カーツィはバッグを強引に奪い取り、エーフィはしまったという表情を見せる。それを見てさらに笑みを濃くするカーツィとヴェレーノ。
カーツィはがさごそとエーフィのバッグをあさり始める。
しかし、その余裕たっぷりだった表情は徐々に訝しげなものへと変わり、どんどん焦りを見せていく。
その表情の変わりぶりに違和感を覚えたヴェレーノは、「どうした?」と声をかける。
そして焦った表情であさっていたカーツィは、ついにバッグを落とした。
「ブニャーーーーーーーーーッ!?」
「だからなんだロッグ!?」
「こ、コイツってば、何も……何も持ってないにゃーーーーっ!!」
「な、なんだとーーーーーー!?」
その言葉に、ヴェレーノは驚愕の表情を見せる。二匹とも、まさに顎が外れんばかりの驚きっぷりである。
二匹はすぐにエーフィに視線を向け、睨みつける。
「おい!!エンターカードを何処に…何処に隠したロッグ!?」
その怒号の勢いで向けられた問いに、エーフィは不敵な笑みこそ返したものの口を固く閉ざしている。
その態度にカーツィとヴェレーノは怒りが頂点に達してしまう。
「言わにゃーなら力ずくで吐かせるだけにゃっと!!覚悟するにゃっと、レヴィシア!!」
キレたカーツィがエーフィに襲いかかろうとした、その時だった。
「待てーーーーーーーーっ!!」
「ブニャーーーーーっ!?」
少年の声と共に凄まじい勢いで十万ボルトがカーツィへと直撃する。思わず動きを止めた二匹を見て、エーフィは咄嗟に近くの岩場の後ろへと隠れる。
カーツィとヴェレーノが十万ボルトの飛んできた方向を睨みつけると、其処には急いで走ってきたらしく肩を上下に揺らしているクローネの姿があった。
エーフィが岩場に隠れるのを見ていたクローネは、カーツィが名を叫んだことからおそらくあのエーフィがレヴィだろうと解釈し、間に合ったことに安堵の息をつく。
そして彼にしては真剣な表情で声を上げる。
「おい、お前達!レヴィから離れろ!!」
「にゃ…なんにゃ、お前は!」
「ボク達はレヴィを助けに来たんだ!」
クローネの言葉に、ヴェレーノは首を傾げた。
「……何言ってんだこいつ」
「…とりあえず邪魔者だってことだけはわかったにゃっと。あぁもう、さっさと済ませたいのに面倒くさいにゃっと……!」
「…あれ?伝わらなかった?なんで?」
何言ってんだ、と言われたことから伝わっていないのかと思ったクローネが今度は首を傾げた。
ヴェレーノはこれ以上相手にしていても面倒くさいだけであると早くも悟ったらしく、「…まぁいいロッグ」と口を開く。
「さっさと倒して早いとこ仕事を片付けるロッグ」
「そうねぇ…それしかなさそうにゃっと」
戦闘態勢をとる二匹に睨まれ、戦うしかないと判断したクローネも同じように構える。
一瞬の静寂。双方の間に火花が散っていたのはそれだけの間だった。
次の瞬間、鋭い爪をぎらつかせながらカーツィが、手を紫に輝かせながらヴェレーノがクローネに向かって飛び掛かってくる。
クローネはギリギリまで引き寄せると、電光石火でサッと避ける。空振りに終わった二匹の懐めがけて十万ボルトが放たれる。ヴェレーノはひょいと横に飛ぶことでギリギリ避けるが、避け損ねたカーツィはまたしても直撃を喰らう。
しかし、十万ボルトを避けたヴェレーノはクローネにだましうちを仕掛ける。クローネは避ける暇もなく、攻撃をくらって吹っ飛ばされる。
そのクローネめがけてカーツィはひっかくを繰り出し、まだ体勢を立て直せていなかったクローネにヒットする。地に倒れ込んだクローネに、カーツィがのしかかる。
「っ――!!」
「ドクドクドクッ!これなら簡単に片付きそうロッグ!」
「ブニャニャニャニャッ!あんた一匹で刃向かったのがそもそもの間違いにゃっと!自分の過信を後悔すればいいにゃ!」
けたけたと笑うカーツィ。しかしクローネは悔しそうな顔どころか、少し笑顔のようにも見える。その笑みにカーツィは疑問を覚え、訝しげな表情を見せる。
クローネはカーツィにのしかかられながらも、芯の通った声を発する。
「ボクは…一匹じゃないよ」
「「!」」
「ボクの役目は君達を……引きつけておくことだ!」
「なっ――!?」
「なんだって!?」
驚きを隠せないカーツィとヴェレーノ。
次の瞬間だった。
バチバチィィィィッ――!!という激しい放電音が二匹の耳に届く。二匹がキョロキョロと周りを見回すも、周りには誰もいない。
とにもかくにも姿が見えないのでは対処のしようがない。いったん囮だというクローネから距離を置こうとする二匹。
しかし――
「にゃっ!?体が――!?」
「ボクだってただやられてたわけじゃない。ボクの特性は“静電気”!」
「なんだって……!?」
「カーツィ!?」
カーツィは体が動かず、その場から動くことができない。既に間合いを取ったヴェレーノは慌てて駆け寄ろうとするが、途端ヴェレーノにマジカルリーフとシャドーボールが炸裂し、足止めをする。
クローネはその攻撃の主達――シェリルと嶺緒を視認し、二匹が間に合ってくれたことに感謝しながら声を上げる。
「ルト!今だよ!」
「わかってるさ!!」
クローネの掛け声に応答し、空を切り裂くかの如く鳴り響くスパーク音の原因である電撃をまとったルトが落下してくる。
クローネが囮役となり、シェリルと嶺緒が来るまでの時間稼ぎをしつつ、攻撃を受けることで二匹に油断させつつも静電気でカーツィとヴェレーノのどちらか一方の動きを止める。その瞬間を狙って隠れて帯電していたルトが攻撃をしかけるという作戦だったのだ。
「いっけぇぇぇぇぇぇ!!!スパークッ!!」
「ブニャーーーーッ!?」
ルトのスパークはカーツィに直撃し、吹っ飛ばした。
大ダメージには違いないものの、カーツィはまだ余力があるらしく若干フラつきながらも立ち上がる。そして戦えるのはヴェレーノとて同じだ。しかも、この二匹は相当苛立っている。先程までの遊んでいるような戦いとは違い、本気でかかってくるだろう。立ち上がったカーツィの怒りを爆発させた表情からもそれが窺えた。
「あ、あんた達……!絶対、絶対……許さないにゃーーーーーーっ!!」
叫んだカーツィと再び戦闘態勢を取るヴェレーノ。どうやら本当に戦闘は避けられないようだ。ルトはクローネの横に降り立ち、嶺緒もシェリルと共に近くまで寄ってくる。
「シェリル!大丈夫なの?」
「大丈夫に…見えたら…逆に、すごいと思うけどね……」
「…大丈夫じゃなさそうだね」
シェリルに声をかけるも、肩で息をしながら途切れ途切れに返された言葉に、苦笑しながら自分の言葉を訂正する。
「じゃあシェリルには戦闘以外のことお願いしたいんだけど…いい?」
「……面倒事は…ごめん、だよ……うぅ」
「うん。こっそりあそこに隠れてるレヴィにオレンの実を渡してきてくれる?」
「…チッ、また面倒事を…」
「ありがとう!」
「……何度見ても会話が成立してるように見えないんだよな」
「安心しろルト。俺にもそう見えないから」
「安心でき…ることじゃねぇけどな、別に」
シェリルとクローネを見ながら、妙な会話をしている嶺緒とルト。
こんな状況で和やかないつもの雰囲気になっているのだが、それを挑発として受け取る者がこの場にはいるのだ。
「にゃ…!?あ、あたい達を無視……!?」
「調子に乗るのも…いい加減にするロッグーーーーー!!」
「「「「あ」」」」
「あ、じゃねぇーーーーーー!!」
すっかり敵のことを忘れていた四匹に、もはや完全に頭に血が上っている二匹。完全に怒っている二匹を見て、わたわたと慌てるクローネと冷や汗を流すルト。しかし、そんな二匹とは対称的にむしろ嶺緒は飄々としている。
「慌てんな。戦闘では冷静さを失う者ほど不利なんだからな」
「う、うん!」
既にシェリルは後ろに下がり、気配を消すかのように静かにしている。あとは隙を見てレヴィのところに行くだけだ。万が一のことがあった場合、レヴィも逃げ出せるようにある程度回復していてもらわなければならない。そういう意味ではシェリルは一番重要な役目なのだ。
その間自分達はカーツィ達を引きつけなければならない。
やることをしっかりこなそう。
クローネは決意し直すと戦闘態勢に入る。そんなクローネを見て、嶺緒もルトもフッと笑うと同じように戦闘態勢を取る。
「嶺緒、ルト!行くよ!!」
「あぁ」
「おう!」
今、戦闘の火蓋は切られた――