第六十四話*自分なりに
【ドウコクの谷】の切り立った崖の道を一匹のポケモンが走り抜けていく。
無我夢中で走り続け、曲がり角を上手く曲がって再びスピードを上げる。息が切れていようが体力が限界をとっくに超えていようがそんなことを気にしてはいられない。とにかく走り続けるしかないのだ。
「はぁっ…はぁっ……!」
走り抜け、少し広い場所に出たところでそのポケモン――エーフィは一度立ち止まり息を整えつつも周りを見回した。
「はぁっ…撒いた、かしら……」
と、ポケモンが安堵の息をつく間もなく高らかな笑い声がその場に響いた。
「ブニャニャニャニャッ!!逃げても無駄にゃっと!」
その声にエーフィはビクリと肩を揺らす。慌てて周りを見回すが、誰の姿も確認することはできない。神経を尖らせ辺りを警戒しつつ、エーフィは口を開く。
「ど、何処…何処にいるの!?」
「ドクドクドクドクッ!!さあな、知りたかったら探してみロッグ!」
最初の声とは別の低い声。少なくとも敵は二匹いる。
エーフィは少しでも冷静になろうと深呼吸を一つすると、キッと顔をあげて見えない敵へと言葉を返す。
「あのね…逃げてるのは私なのよ。その私がなんでわざわざあんた達を探さなくちゃならないのよ?
それに私はあんた達になんか絶対に捕まらないわ!あんた達が狙っている物だってわかってる。でも…絶対に渡したりなんかしないっ!!」
はっきりと宣言し、再び駆け出すエーフィ。そう、捕まるわけにはいかないのだ。決意を新たに悲鳴を上げ続ける足を必死に動かし、走っていく。
そんなエーフィを眺めながら、相手はなおも余裕そうに会話を続けている。
「ブニャニャニャニャッ!気が強くて困るにゃっと!」
「ドクドクドクドクッ!だがだいぶ疲れているロッグ、捕らえるのは時間の問題ロッグ!」
「早く終わらせないと……今度はアタイ達にとばっちりがくるにゃっと」
「ドクドクドクドクッ、わかってるロッグ!それじゃ、仕上げにかかるロッグ! アイツを捕らえるロッグ!」
そして不気味な笑い声をあげなから二匹はエーフィへと再び魔の手を向けるのだった――
「はぁ……」
切り立った崖、下を覗きこんでも見えるのは雲ばかりの高い高い場所にある【ドウコクの谷】。その分、照りつける日はいつもより強く、しかし標高が高いために暖かいとは言えない場所である。
そんな場所で、嶺緒は溜め息をついた。
周りにクローネとルトはいない。レヴィの状況がどうなっているのかわからない今、先を急いだ方がいいと判断したためである。
そして、何故嶺緒がゆっくりと二匹の後を追いかけているのか。それは背中に担いでいる一匹のポケモンのせいだ。
「ぅ……しんどい…」
「文句言うな、シェリル」
そう、嶺緒の背中でぐったりとしているのはシェリルであった。
どうやら日光の眩しさと強さにあてられたようで、途中で弱りだしたのだ。極北出身で滅多に日に当たることのなかったシェリルは普段ならまだしも強い日差しを浴びるとどうも気分が悪くなるようであった。
草タイプは本来なら日差しに強いはずなのになぁ…と考えつつ、自分より大きいシェリルを引きずっていく嶺緒。
「お前、草タイプっぽくないよなぁ…」
「だーかーらー…元は人間だっつの……」
「光合成とか…は、普段ならできそうだけど、日本晴れとか耐えれんのか?」
「あー無理無理死んじゃう……絶対溶ける…」
「……お前、草タイプっぽくないよなぁ……」
「二回目だよそれ……うぅ…」
ぐでっとして毒舌にもキレを完全に失ったシェリルを引きずりながら、嶺緒は一生懸命歩いていく。
元々ルトは空を飛べるからこそ、この崖だらけの場所にも有利な偵察として連れてきた。そしてクローネは方向音痴である。つまり、体格差こそあるものの嶺緒がシェリルを連れてくるのに適任だと判断されたためにこうしてシェリルを担いでいるのだ。
しかし、ここまで辛そうなら戻らせた方がいいのではないか。そう思ってその考えを伝えたのだが、何故かシェリルからは「嫌だ」の返答しか返ってこず、理由を聞いても沈黙を貫き通される。
「お前、そんな状態で戦えるのか?」
「……さぁ」
「やっぱり帰った方が、」
「やだ」
「…だからなんでだ?」
「…………」
「……はぁ」
結果、また溜め息をつく嶺緒。こんな時クローネなら察してやることができたかもなと思いつつ、歩を進めていく。
と、目の前にフシデが立ちふさがっており、嶺緒はシェリルをいったんその場に置くと、速攻で電光石火を決める。素早い嶺緒の攻撃に怯みつつも反撃しようとしたフシデに、嶺緒はシャドーボールを数発撃ち込み、戦闘不能にする。
そして後ろを振り向いた瞬間――目を見開いた。
ぐったりしているシェリルに今まさにエルフーンが襲いかかろうとしていたからだ。しかもシェリルは気付いているのかいないのか定かではないが、どう見ても避けられる状態ではない。エルフーンはそんなシェリルにかぜおこしで攻撃をする。
次の瞬間――突発的に嶺緒はシェリルの前に立ち、シェリルを庇っていた。
その行動に、シェリルが少し驚いたように嶺緒を見上げる。
「っ――!!シャドーボールッ!!」
嶺緒は痛みに顔を顰めつつもエルフーンにシャドーボールを叩き込み、吹っ飛ばす。そして噛みつくでとどめをさす。
なんとかフラつきながらも上体を起こしたシェリルに「大丈夫か」と尋ねる。「別に」とそっけなく返すシェリルに肩をすくめると、嶺緒は再びシェリルを乗せようとして――ふと思いつく。
「そうだ。コレ――」
「?」
ごそごそとバッグをあさる嶺緒を怪訝そうに見ているシェリル。やがて嶺緒がカバンから取り出したものは、この場所に来る前にペリッパーから届けられた真珠の手紙だった。
「…ソレが何」
「姉さんの土産を入れっぱなしにしてて…ほら」
そう言って嶺緒が取り出したものは――サングラスだった。
もちろん、意外すぎたせいかシェリルは唖然とし、呆れたような同情するような目を嶺緒に向ける。もちろん嶺緒はそっと視線を外す、この同情を向けられていることを認識してしまったら虚しさがこみ上げてきそうだったから。
「……なんでコレ」
「知らねぇよ」
「…絶対使わないでしょ」
「姉さんに言ってくれ」
「………で?」
「使えよ、ちょっとはマシになるだろ」
「……………」
訝しげにじぃ……っと差し出されたサングラスとにらめっこをするシェリル。しかし結局は折れて受け取るとサングラスをかける。
嶺緒が「どうだ?」と尋ねると「……目はマシになった」とそっけなく返ってきた。
「んじゃ行くか――ってぇ!?」
後ろを向いた嶺緒の後頭部に何かがぶつかる。痛む部分を押さえながら若干涙目の嶺緒が振り返ると、落ちていたのはオレンの実。投げた張本人はそっぽを向き、フラつきながらも立ち上がろうとしている。
嶺緒はなんとも言えない表情で肩をすくめると、ぶつけられたオレンの実を齧り、「ありがとな」と礼を述べる。シェリルはわざと聞こえないフリをして千鳥足のまま歩を進めようとする。
「あ、おい平気か?」
「……自分で、歩く。先行ってて」
「何言ってんだ、敵ポケモンが来たら危ないだろーが」
慌ててシェリルを支えようとする嶺緒に、シェリルはその鋭い目を向け、疑問を投げつける。
「…あんたは、なんで僕の事を気にかけるの?」
「……!」
「どうして?あんたは僕のこと仲間とか言ってるけど、仲間って言ったって結局は他人なんだよ。誰だって結局は自分の身が可愛いから自分のことは何よりも守ろうとする、なのにさっきからあんたは僕のこと身を挺して庇ったり手助けしようとしたり…なんでだよ」
シェリルの言葉に、嶺緒は口を閉ざして俯く。
その様子に、顔を背けて歩き出そうとしたシェリルの耳に、嶺緒の言葉が響いた。
「クローネだったら……クローネなら、きっとこうしていると思ったからだ」
「………!」
――ボク達にできるのは、シェリルのことを信じて、シェリルが辛くなった時に支える。それが飛燕…?が言ってた、仲間を大切にするってことなんじゃないかな?――
シェリルにそう言う嶺緒の頭に、クローネの言葉が甦る。そうなのだ、クローネと違って人の気持ちを察してやることは得意ではない、だからこそ自分にできることはシェリルを信じて支えることしかできない。嶺緒は自分なりにシェリルを支えてやりたいのだ。きっとクローネならこうするだろうと思うから。
「それに、」
「……何」
「お前の方が、それは理解してんじゃねぇのか」
「……!」
――シェリル、本当…は、優しい。人のこと、大切、に…する――
飛燕の言葉を思い出し、嶺緒は思わずそう口にしていた。
何がそうさせているのかはわからないが、シェリルは友情や絆を理解できないから冷たくあしらうのではなく、他者を避けようとするためにわざと突き放すような態度を取っているのだとクローネは言っていた。飛燕の言葉からも、それは読み取れた。
そして静寂がその場に訪れた。
シェリルは驚いたような表情のあと、何も言わずに俯いている。嶺緒は肩をすくめ、「…やっぱりクローネみたいにはいかねぇな」と呟き、それに怪訝そうな表情を浮かべながら顔をあげたシェリルに「何でもない、とりあえず辛いなら肩貸すから言え」と声をかけるとゆっくりと歩き出す。
シェリルは無表情のままじっとその背中を見ていたが、やがてフラつきながらもその後を追うのだった。