第六十話*ダンジョン研究家
「はぁっ…はぁっ…!!」
霞む視界。疲れ切っていてフラフラとおぼつかない足。
もうこれ以上は無理だというように悲鳴を上げ続ける体に必死に鞭打ち、無理やりにでも足を進めていく。
こうなったらもはや自分を突き動かすのは精神面のみである。急げ、進め。心で自分に叫び続け、限界などとうに超えている自分の体を引っ張っていく。
遂に来た。もう少し――!!
「っ――!!うぐっ…!!」
そう思い一歩進んだ途端、足に激痛が走り力が入らずそのまま土煙を上げながら倒れ込んでしまった。もはや再び起き上がる気力など残されてはいなかった。
徐々に遠のいていく意識。
「く…そっ………」
それを留めることは、できなかった――
「ご馳走様でしたーーー!!」
「うっさい、騒がしいんだよアホンダラ」
「もう朝っぱらから騒ぐの止めてくれ……」
満足そうに大声で言うと、片付けに入るクローネ。それを鬱陶しそうに見るシェリルと溜め息をつく嶺緒。
昨日の夜から一転、家ではいつも通りの光景が見られた。三匹とも特に気まずくなるというわけでも、より絆を深めたという様子でもなく、ただいつも通りの日常の雰囲気である。
クローネと嶺緒が片付けを終わらせ、準備をしている時のことだった。
「シェリル!クローネ!嶺緒!出てきてくれーーー!!」
不意に大きな声が外から三匹を呼んだ。
三匹ともすっかり聞きなれた声――ルトである。
普段呼び出しなどされないため、全員が首を傾げる。
「なんだろ…なんかあったのかなぁ?」
「さあな。とりあえずさっさと準備して出よう」
「チッ…面倒くさい」
シェリルは準備をすでに終えているため、クローネと嶺緒は少し急ぎ気味に支度を終える。
外に出ると、そこには息を切らしたルトの姿。シェリル達が出てきたのを見た途端、慌てて口を開くも急ぎ過ぎたためかむせてしまった。
「おい、落ち着け」
「げほっげほっ…わ、わりぃ……」
嶺緒の言葉にルトは深呼吸をすると、ようやく落ち着いたらしくふぅ…と一つ溜め息をつく。そしてそこで用件を思い出しく慌てたように声を上げる。
「そ、そうだ!現れたんだよ!」
「何が」
ルトの言葉に意味が分からないといったようにジト目でツッコむシェリル。
ルトは一刻も早く状況を伝えたいらしく、早口でまくしたてる。
「宿場町に!!例の怪しいポケモンが!!現れたんだよ!!」
ルトのその言葉にシェリルは「ふーん」と驚くほど薄い反応を返し、クローネは「えぇ〜!?」と驚くほど大きな反応を示し、嶺緒は訝しげな表情を見せる。シェリルとクローネが両極端で嶺緒が中間の反応なんだよな…とルトがこっそり考えていたのは別の話。
「それはわくわく冒険協会≠ゥらのお知らせにあったあの怪しいポケモンのことなのか?」
嶺緒が疑問を口にする。シェリルもクローネも同じように思っていたようで、クローネも首を傾げルトの答えを待ち、シェリルも興味なさげな様子ではあるが聞き耳を立てている。
ルトはその質問に、何とも言えない表情で首を傾げながら答える。
「さぁ…そこまではわかんねぇ。そいつ、宿場町の途中で行き倒れになってたみたいだし……」
「行き倒れ!?だ、大丈夫なのそのポケモン?」
心配そうに焦るクローネ。そんなクローネに嶺緒は「落ち着け」と声をかけ制すると、ルトに疑問を投げかける。
「そのポケモン、今はどうしてるんだ?」
「もう宿に運ばれてテアさんの世話になってるぜ。オレもチラッと姿を見たけど、あれはあまり怖そうな奴じゃなかったな…」
「で、皆が外見で騙されたところを一気にやられるんだろ」
「え…!?そ、そうなの!?」
「想像で変なこと言うなっての。クローネも本気で信じこむんじゃねぇ。今の段階じゃ良い奴とも悪い奴とも限らないだろうが」
シェリルの言葉に嶺緒は呆れたようにツッコミを入れる。シェリルの場合、人を信じないという前提があるせいか冗談ではなく割と本気で言っていることが多い。それで騙されやすいクローネもつられて信じ込んでしまう。そしてツッコミ気質の嶺緒が苦労するのである。
「嶺緒の言う通りだ。見た感じじゃ怖そうではなかったけどよ、此処ら辺に住んでるポケモンは誰も見たことが無いっていうから、怪しいことには変わりねぇ。
しかも、ガレットなんかはもう悪者だと決めつけて、そのポケモンを責めるようにガミガミやり始めてるから、タチ悪ぃんだ」
「あのせっかちが…」
嶺緒は頭を押さえる。気疲れか眩暈がしてきたようである。どうしてこうもまともな奴が少ないのだろうと、その表情からありありと窺える。
クローネはルトが此処に来た意味がようやく分かり、「わかった」と頷いて了承の返事をする。
「ボク達も宿に行ってみるよ」
「あぁ、そうしてくれ。オレは他の連中も声を呼んでくるからよ」
頼んだぞ!と言うと、また駆け出していくルト。おそらくは『アストラル』の他のメンバーを呼びに行ったのだろう。
「じゃあボク達も行こう!!」
「僕やだ面倒くさい」
「はいはい、さっさと行くぞ」
「……聞く気ないよね」
もはや誰も意見を聞く気が無いと悟ったシェリルは、溜め息を一つつくと不機嫌そうな表情のまま面倒そうに二匹の後を追う。
そして三匹は少し急ぎ足で宿場町の宿へと向かうのだった。
三匹が宿場町に着くと、既に宿の入り口にはたくさんのポケモンが野次馬の如く群がっていた。皆運び込まれたポケモンのことが気になるのだろう。しかし、通るのは至難の業だなと嶺緒は顔を引きつらせる。
クローネも通れそうにないのを見てワタワタと慌てている。
と。
「邪魔。退いて」
意外にも声をあげたのはシェリルだった。元々綺麗で響きやすい声をしているせいか、よく通る。
そのおかげか、ざわざわと騒いでいたポケモン達にもしっかりと聞こえたようだ。皆素直に道を開けてくれる。
その間を通る三匹。嶺緒は少し驚いたようにシェリルに声をかける。
「意外だな、こういう時にお前が声をあげるなんて」
「さっさと終わらせてほしいし。何より早く帰りたい」
「……はいはい」
嘘偽りないといったような表情でしっかりと言い切るシェリルの言葉に思わず呆れる嶺緒。実に残念な理由ではあるが、助かったことに変わりはない。「ありがとう」「ありがとな」とクローネと嶺緒が素直に礼を述べると、シェリルはフイッと顔を背けた。
宿の中に入ると、途端に二階から怒鳴り声が聞こえてきた。
三匹は顔を見合わせると二階へと上がっていく。
「しらばっくれやがってこの野郎!正直に言えっつーの!!オメェ何を企んでこの街に来たんだよ!!」
「違う…俺は……うぅっ……」
二階では一匹のポケモンがベッドに横たわっており、その周りを囲むようにガレット、ルシア、アサザ、そしてトルハとテアがいた。
本気で掴みかかりそうな勢いのガレットを、テアが制するように声をかける。
「ガレット。まだ苦しんでるのに無茶言わないの」
「うぐぅっ…し、しかしよ……傷ついたフリをしてるのかもしれないぜ?皆が油断した隙をついて何かするかも、」
「そんなわけないでしょ」
ガレットの言葉をあっさりと切り捨てるテア。そして呆れたような目でとどめの一言。
「昔のあんたじゃあるまいし」
「……すみません」
図星なので何も言い返せないガレットはそのまま大人しく口を閉じる。それを見たシェリルはしっかり「ざまあみろ」と言うのを忘れない。
「……ブラッキー、か」
嶺緒が横たわっているポケモン――ブラッキーを見ながら嶺緒が複雑そうに呟く。シェリルはそれに気づき、チラリと視線を向ける。
クローネはベッドに横たわるブラッキーをジッと見ていたが、やがて顔をあげると疑問を投げかける。
「…このポケモンが倒れてたの?」
「そうなんじゃよ」
クローネの問いに答えたのは、トルハだった。クローネはトルハに視線を向ける。
トルハはブラッキーをジッと見つめたまま返答をする。
「ワシが朝、散歩をしておったら宿場町の入り口近くに倒れていて、そりゃもうビックリじゃよ!」
「悪そうには見えねぇんだが……何せ此処ら辺じゃ見たことねぇポケモンだからなぁ」
ルシアが何とも言えない表情でそう呟く。強引に疑うのは良くないが、しかしこのポケモンを急に信頼するのも無理だ。そう言いたげな表情である。
と、その時一階の方からバタバタと慌ただしい音が聞こえ、ルトが二階に上がってくる。そして、その後ろにはエルムとセシリアもいる。
「待たせたな!エルムとセシリアを連れてきたぜ!」
息を荒げながらもルトは良い笑顔で言う。そんなルトに嶺緒は「お疲れさん」と労いの言葉をかける。
すると、横たわっているポケモンを見たセシリアは驚愕の表情を見せた。
「アル……!!」
「えっ!?」
セシリアの言葉に皆が驚いた様子を見せ、クローネに至っては驚きの声を上げる。
セシリアは周りの様子を気にせず、ベッドに近寄る。信じられないといったような、ショックを受けたような表情を浮かべて。
「アル…いったいどうして……」
小さく呟く。
が、それを言っているだけでは埒があかないと思ったのか、言葉を飲み込むと顔をあげてテアに問う。
「どんな様子なの?」
「大丈夫よ。傷もあるけど…それよりもだいぶ疲れが溜まっているようね。少しかかると思うけど、時間が経てば回復すると思うわ」
「そう。よかった……」
セシリアは安堵したように息をつく。
どうやら一安心したらしいセシリアに、クローネはその場にいる全員を代表して尋ねる。
「セシリアはこのポケモンのことを知ってるの?」
「えぇ。名前はアルテミス・メランダー。愛称はアル。ダンジョン研究家よ」
「ダンジョン…けんきゅーか……?」
いまいちしっくりこなかったようで、クローネはきょとんとした表情で若干片言になりながら復唱する。
セシリアは「えぇ」と頷くと、話を続ける。
「この地方が持つ、ダンジョンも含めた不思議な土地のパワー……アルはその研究をしているの。特に大氷河を調査していたのよ」
「だ、大氷河を!?」
エルムの驚いたような声にセシリアはこくりと頷いた。
「前に皆で蜃気楼を見た時、私が言ったことを覚えてる?海沿いの山の上から大氷河を眺めたことがあるって。アルとはその時会ったの」
いつの間にか眠ってしまっていたらしいアルテミスを見ながら、セシリアはそう説明する。
トルハはそれを聞いて「ふぉっふぉっふぉ」と声をあげる。
「そうじゃったか。安心したぞい。どうやら悪いポケモンじゃなさそうじゃのう」
笑顔で言うトルハ。そして面々はじとーっとした視線をガレットに送る。さすがに気まずくなったらしく、ガレットは縮こまると、
「……すみません」
と謝る。それを見てしっかりと「ざまあみろ」と言うのを忘れないシェリル。通常運転である。
と、「でも」と首を傾げるセシリア。
「私がその時会ったのはアルだけじゃなかったわ。もう一匹いたの。
名前はレヴィシア・スヴェトラーン。愛称はレヴィで、種族はエーフィ。アルとレヴィは二匹で大氷河を調査していたのよ」
「もう一匹?じゃあ、そのレヴィ…?は今どうしてるのかなぁ」
クローネは首を傾げながら呟く。しかし、その疑問に答えられる者はいなかった。
「なんにせよ」と今まで黙って聞いていた嶺緒が口を開く。
「このアルテミスから聞いてみないとわからないってことだな」
「今日は難しいだろうけど、アルテミスが回復したらすぐに知らせるよ」
「うん、ありがとう」
テアの言葉にクローネは礼を述べると、『アストラル』のメンバーに「いったんパラダイスに戻ろうか」と声をかける。その言葉を了承し、メンバーは一階へと降りていく。
が、シェリルのみはジッとその場を動かない。じっと、アルテミスを見つめるその表情からは何を考えているのか読み取ることはできない。
「……」
「…シェリル?どうかしたの、早く行こう?」
「……わかってる」
クローネが声をかけ、シェリルは短く応答するとその場を離れ、メンバーの後を追うのだった――