第五十三話*不安と心と思いやりと
「はぁ…」
溜め息と共に家から出てきたのは、仏頂面を崩さないシェリルだった。
食事を作る係の為、片付けをしているクローネよりも早く家を出るシェリルは、ふと此方に向かって飛んでくるポケモンに目がとまった。
「あれって…ペリッパー?」
ペリッパーは家の前で空中から何枚かの紙を落とし、そして今度は別の方向へと飛び去っていく。
シェリルは目の前をヒラヒラと落ちてくる紙の中の一枚を空中で掴むと、紙の内容に目を通しだす。
と、そこに支度を終えたクローネと嶺緒が出てきた。
紙に目を通すシェリルと落ちた紙を見て、クローネは首を傾げる。
「あれ、シェリルそれ何?」
「自分で確認すれば」
紙から目を離さず、シェリルは淡々と答える。嶺緒は落ちている紙を一枚拾うと、シェリルと同じく目を通し始める。
「これは…わくわく冒険協会≠ゥらのこの周辺地域にいるポケモンへの知らせらしいな」
「お知らせ?」
嶺緒の言葉に首を傾げるクローネのために、嶺緒は紙の内容を読み上げる。
「わくわく冒険協会≠ゥらのお知らせです。近頃、宿場町の周辺で怪しいポケモンがうろついているとの情報がありました。念のため外出や戸締りには十分に注意しましょう。……だとさ」
読み上げた嶺緒は、顔を上げて「珍しいな」とコメントを漏らす。シェリルは紙とじっとにらめっこをしながら「でもさ」と怪訝そうに声を上げる。
「怪しいポケモンなんて、少なくとも僕達が来た頃から宿場町にいたじゃないか。それで何度面倒くさ――危ない目にあってきたことか」
「今完全に面倒くさいって言おうとしたよな」
シェリルの言葉に呆れたように嶺緒はツッコみつつ、シェリルの質問に答えるべく「でもまぁ」と口を開いた。
「こういう紙が配られるってことは、ダンジョン内の敵とか…例えば、エトルやコマタナ兄弟とかの低レベルの子悪党よりも、もっと危険なポケモンかもしれねぇからだ」
「あんたはあんたで時折毒舌だよね」
エトルとコマタナ兄弟をさらりと低レベルと言い放った嶺緒に、今度はシェリルが呆れたようにツッコミを入れる。
クローネは考え込んだ様子で「つまり」と言う。
「何かあっても起こった後じゃ遅いから、念には念を入れといたほうがいいってことだよね」
「まぁ、そういうことだろうな」
クローネの言葉に、嶺緒は頷き返答する。
少し険しい表情のまま、クローネはぼそりと呟く。
「宿場町は今どんな様子なんだろう。ちょっと心配だなぁ」
「ま、こんな紙が配られてるくらいだし、ちょっとした騒ぎにはなってるかもな」
嶺緒の言葉に、クローネはさらに表情を険しくする。元々表情が緩いのでそこまで厳しい表情ではないが、心配そうな表情であることに変わりはない。
「ね、依頼に行く前に宿場町に寄っていかない?」
「……ま、いいんじゃねぇか?」
「面倒くさい」
「ありがとう!じゃあ行こっ!!」
「…無視かよ」
元気よく宿場町の方へと歩いていくクローネに、嶺緒は肩をすくめてその後をついていき、シェリルは悪態をつき溜め息を漏らすと、面倒くさそうにゆっくりと後を追う。
途中パラダイスセンターを通ると、シュロがぼーっと立っていた。
そしてクローネ達に視線を向けると、ぼけっとした表情のまま声をかける。
「おぉっ、ヌシ達。 ちょうどいいところに来ただぬ」
「どうしたの?」
クローネが真っ先にシュロの元へと駆け寄る。嶺緒はその後を追いかけ、シェリルに至っては「チッ、厄介事の予感…」などと呟いている。
「これを宿のママさんに届けてほしいんだぬ」
「宿のママさんって……テアさんのこと、だよね? 」
「そうだぬ」
シュロは大きく頷くと、一つの袋をクローネに手渡す。中にはお金が入っており、クローネは「お金…?」と首を傾げる。
しかし、テアの元で働いた経験のあるシェリルと嶺緒はすぐに合点がいったようだ。
「まさかとは思うけど、これ食事代?」
「そうだぬ、昨日の食事代だぬ」
「あぁ、ツケにしてもらったんスね」
「そうなんだぬ。昨日ご飯を食べに食堂へぬぼーっと行っただぬが…あまりにぬぼーっとしてたせいかポケを持っていくのを忘れてただぬよ。思い出したのも食べ終わった後だぬ。後の祭りだぬ…
んで、ママさんにツケにしてもらっただぬよ」
「そうだったんだ」
「自分で行けばいいじゃん」
納得したようにクローネが頷く中、シェリルが遠慮なく鋭い言葉を浴びせる。
するとシュロは明らかに凹んだ様子になり、「そうなんだぬ、本来ならワシが自分で行って返すべきなんだぬが…」と言いよどみ、悲痛な面持ちで口を開く。
「今日はちょっと腰の調子が悪くてだぬぅ……」
「………」
(あぁ……)
シュロの言葉に、シェリルは何とも言えないような、嶺緒は悟ったような目をする。
確かにシュロはお世辞にも若いとは言えない年齢である。体のあちこちにガタがきているだろうし、腰は特に痛めやすいだろう。
クローネは慌てふためいた様子で心配そうにシュロを見る。
「だ、大丈夫なの!?」
「大丈夫…と言えたらいいんだぬが」
「わわわ――ど、どうしようどうしよう…!?お医者さんに――ぎゃっ」
「うるさいんだよ落ち着け天然お気楽超絶ド阿呆電気ネズミが」
「お前はお前でいい加減その酷いあだ名を付ける癖直せ。
まぁ今から宿場町に行くつもりだったし、ついでに届けておきますよ」
「助かるだぬ。スマンが頼んだぬ」
シェリルにのされ撃沈したクローネを担ぐと、嶺緒は宿場町へと歩いていく。シェリルも仏頂面を崩すことなく不機嫌そうにその後をついていく。
宿場町に着いた途端、クローネは絶句した。
「うわぁ……誰もいない……」
そう、そこには出歩いているポケモンなど一匹もおらず、いつもの賑やかさが嘘のように静まり返っていたのだ。
普段なら店番をしているポケモンや立ち話をしているポケモンがいるはずなのだが、普段とはまるで違いそこには誰一人としていなかった。
普段が賑やかな分、閑散としたその様子はまるで寂れた街のようで、静寂の中響く水の流れる音がより寂しさを感じさせる。
クローネは驚愕の表情を隠さず、シェリルは興味深そうに周りを見回し、嶺緒は肩をすくめる。
「やっぱりいねぇか。お知らせ初日は大抵こんなもんだし、気にすんな」
「皆あの知らせを聞いて、怖がって出てこないんだね……」
「アホみたいだね。そんなのいちいち気にしてたら生きていけないっての」
「俺達みたいにダンジョンを相手にするようなポケモンならともかく、普通のポケモンは自分の身を守るのも精一杯なんだからそういうこと言ってやるな」
クローネは寂しそうに周りを見回し、仏頂面のシェリルの毒舌な発言を嶺緒が窘める。
三匹は静かな宿場町を通り、食堂へと入っていく。外にはいなかったが、食堂にはちらほらとポケモン達が見受けられ、話をしたり食事をしたりしていた。それを見て、クローネは少しほっとしたような様子を見せる。
三匹は集まっているポケモン達を避けながら、テアの元へと進んでいく。
「テアさん、おはよー!!」
「おや、クローネ。今日も元気だねぇ。シェリルも嶺緒もおはよう」
「…ふん」
「おはようございます」
「あんた達から来るなんて珍しいねぇ…何かようかい?」
「うん!これ、シュロから頼まれたんだ!」
クローネが笑顔でお金の入った袋を手渡す。テアはそれを受け取り中身を確認すると、納得したような表情を見せた。
「あぁ、昨日の食事代ね。わざわざありがとね。こんなものいつでも良かったのに」
「いやツケてもらった側からしたらそうわけにいかないでしょうが」
テアの言葉に嶺緒は呆れたようにツッコむ。
クローネは食堂を見回すと、ほっと安堵の息をつく。
「食堂にはそこそこ客はいるんだね、よかった〜」
「あぁ、宿場町の周辺に怪しいポケモンがうろついてるっていう注意があったから心配してくれてるのね、ありがと。ま、ああいうお知らせはよくあることだから、そんなに心配はしてないんだけどね」
「そっか、なら安心したよ」
クローネは安心したようにニコリと笑う。
しかしテアは対称的に困ったような顔をする。その表情に、シェリルは怪訝そうに眉を顰める。
「でも……これは今回のお知らせに限ったことじゃないんだけどね。
皆……不安は持っているわ」
その真剣な表情に、シェリルは腕組みをしてチラリと視線を向け、クローネはジッとテアを見つめ、嶺緒は何とも言えないような表情で、それぞれテアの話に耳を傾ける。
「ポケモン同士のいざこざも相変わらず多いし……ぎくしゃくした関係が続いてる」
「希望の虹≠焉A今はかからんからのぅ……」
突然会話に参加してきた声の方を三匹が見ると、そこにはテーブルで談笑をしていたハーデリアのトルハだった。その隣にはワシボンのゲルトもおり、此方を見ている。どうやら二匹とも此方の話を聞いていたようである。
トルハもゲルトも揃って不安そうな表情をしており、トルハは話の続きを始める。
「ワシも含めて宿場町のポケモンは皆、虹が見られなくなってからは…明日への希望も、いつの間にか持てなくなってしまってるんじゃ」
「宿場町だけじゃねぇぜ」
トルハの言葉に、今度はゲルトが口を開いた。
「この世界に住むポケモン達…皆が希望を失くしかけているんだ。それで、何となくだがよ、ここままいくと…………嫌な予感がしてならないんだ……」
「嫌な予感……」
クローネはゲルトの話を聞いて気になったその言葉を復唱し、テアも嶺緒もトルハも複雑そうな、何とも言えないような表情を見せている。
そしてトルハがぼそりと呟く。
「わかるのぅ……その感じは。恐らく、皆が心の奥底で思っていることじゃろう。
このままだと…そのうち良くないことが起きるんじゃないか。明るい未来など来ないのではないか。……そんな、漠然とした不安があるんじゃよ」
「かといって、不安があるからといってどうすりゃいいかも分からねぇ……何かモヤモヤした感じなんだよな」
そう言ったトルハとゲルトは不安そうな表情を見せる。いや、その二匹だけではない。嶺緒もテアも、あのクローネですら不安そうな顔をしていた。
シェリルはそのことに少々驚きを見せつつも、ふと周りを見回す。
「……!」
そして、目を見開いた。周りのポケモン達の表情、そして目から察したのだ。皆心の中で漠然とした不安を抱えている。しかしそれは口にしたところでどうしようもないもので、だから誰も口にはしない。ただその不安を抱え、一抹の恐怖を抱きながら毎日を過ごしている。
目にはその者の隠れた心が見えるという。人の表情に敏感なシェリルは、その表情と目を見てそれを察したのだ。
そしてそれはクローネも嶺緒も同じで。普段はそんな表情とは無縁のクローネも、そこまで感情の起伏が激しい方ではない嶺緒ですら、他のポケモンと同様瞳の底に怯えを隠している。その怯えはきっと、トルハの言う漠然とした不安からきているのだろう。
シェリルはそんな漠然とした不安など感じなかったが、それは他の世界の者だからなのだろうか。しかしそのよくわからない不安に押しつぶされそうな気持ちは痛いほどわかるのだ。だからこそ、何か言葉をかけよう。そんな気持ちに突き動かされた。
「…そんなのにいちいち怯えてたら、キリがないってことに気づけよ。ガキみたいに震えてる暇があるなら、もっと打開策を考えることぐらいしたら?例えそれが…どうしようもない事だったとしても、下を向いてるだけじゃ何にもならない。なんでそれがわからないんだよ」
シェリルの毒舌に、クローネ達はジッとシェリルに視線を向ける。
一気に気まずくなったシェリルは、さっさとその場を出て行ってしまう。
クローネもその後を追いかけようとして…振り返る。
「怖いよ…ボクも。この不安がいつか本当に怒っちゃったら…って思うと、怖い。
でも…シェリルの言う通り、下を向いてちゃいけないと思うんだ」
クローネはそれだけ言うと、走ってシェリルの後を追う。嶺緒は複雑そうな表情を見せ肩をすくめると、その後を追う。
シェリルは意外にも入り口のところで待っていた。クローネは嶺緒が出てくるのを待って「行こうか」と歩き出す。
なんとも言えない重い空気が三匹の間に漂う。暗い空気を打破しようとクローネが何回か声をかけようとしているのをシェリルは見たが、結局クローネが口を開くことはなかった。
パラダイスセンターに着くと、そこにはエルムとルト、そしてセシリアが集まっていた。
「あ、おはようございます!」
「おはよ、三匹とも何処行ってたんだよ」
「おはよう」
「…ふん」
「おはよ、エルム、ルト、セシリア!」
「…はよ」
エルム達が挨拶し、三匹もそれぞれ挨拶を返す。シェリルの場合、返事とは言い難いが。
「今さ、ちょうど話してたんだよ」
「何をー?」
「クローネのドジっぷりがいかなるものかってこと」
ルトの言葉にクローネは一瞬キョトンとしたが、すぐに拗ねたような困ったような複雑な表情を見せる。
「ボク、そんなにドジじゃないよ!?」
「いやドジだろ」
「ドジね」
「…否定はしにくいです」
「ドジだな。優しく言ってもおっちょこちょいだ」
「えー!?皆酷いよぉ〜!」
頬を膨らませるクローネを見て、ケタケタと笑うルト、苦笑するエルム、微笑む嶺緒とセシリア。
先ほどの気まずい空気はいつの間にか吹き飛び、いつの間にか和気藹々とした空気になっている。
シェリルはメンバーを遠巻きに見ながら、小さく溜め息をついた。
明るく天然なクローネ、世話焼きで冷静な嶺緒、臆病だが芯はしっかりしていて優しいエルム、ムードメーカーのルト、落ち着きのあるセシリア。
ルトアともヒューシャとも違うメンバー達。皆突き放した様な態度をとるシェリルでも一様に受け入れ、仲間として認めてくれている。シェリルにとってそれは、信じ難いことで。しかし、心の何処かでそのことを喜んでいる自分もいるのをシェリルは自覚していた。
(……でも)
結局それは自分を知らないから。
そのことに甘えてしまうことはしたくない。甘え、簡単に信用してしまえばまた傷つくのは自分なのだ。
シェリルはそう自分に言い聞かせ、常に一歩引くことを忘れない。
それでも、
「シェリルー?早く依頼に行こー!!」
「うっさい天然大バカドジ野郎が」
「新しい酷いあだ名つけてんじゃねぇ」
「…ま、否定はできねぇけどなー」
「ルト、それはせめて否定してあげて…」
「ボク天然なの?自然キャラ?なんか自然の力を身につけたみたいでカッコいい!!」
「ふふっ、本人はたいして気にしてなかったみたいね」
『アストラル』がこのメンバーでよかった。
シェリルは心の何処かで確かにそう思えたのであった――