第五十二話*夢と謎
静まり返った木々の中を、ガサガサと草を掻き分けるような音が立つ。草音を掻き分け全力で走り続けるその者は、息も絶え絶えにただひたすら前へ前へと進んでいく。前は草で覆われ行き先すら見えない中、それでも走るスピードを緩めようとはしない。
「はぁっ…はぁっ……!!」
ふと前方に月明かりが見え、前方の草を荒々しく押しのけると、ついに視界が晴れた。
「……!!」
その地にはポケモン型の建物やら木造の建物などが立ち、ポケモン達が住んでいる町であることが窺える。月明かりに照らされた水の輝きから、とても澄んだ綺麗な水であるということが遠目でもわかる。
その者はその町から川を挟んだ向かい側の崖にいた。しかし、そこまで遠くないことは容易に想像がつく。
下っていければ、その町に着くことができるだろう。
「……くっ…急げっ……!!」
その者は少し下がると、その町へと向かうために再び草木を掻き分け進み始めた。
明るみを帯びた、何処かふわふわとした浮遊感を覚える不思議な空間。
これは…僕が見る、いつもの夢だ……
何故僕がこの夢を見るのだろう……この夢を僕が見るのは、何か意味があるからなのだろうか……
何処からか声が聞こえてきた…いつも助けを求める、あの声が……
《……さん…………シェ……ル……さ…………シェリ……さん……》
僕の名前を、呼んでいるの?
こんなことは今までなかった。微かにしか聞き取れないけれど、それでも今までにない変化だ。
《おねが……たす………たすけ…………》
何が言いたいんだ…あんたは誰なの?なんで僕に語りかける?
何故夢の中で話しかけるんだ?
っ……どんどん聞き取りづらくなってく……
待て…まだ話があるのに――!!!
ガバッと勢いよく起き上ったシェリルは、その見慣れた部屋を見ているうちに思考がはっきりしてきた。
「……はぁ」
シェリルは小さく溜め息をつくと、朝食を作るためにベッドを抜け出す。時間に割と正確な嶺緒がまだ寝ているあたり、まだいつも起きる時間より早いのだろう。シェリルはまだ眠気が覚めていない頭でそんなことを思いつつキッチンに入り支度を始める。
(どうしてまた夢を見た?何故夢にしか出てこないうえにいつも途中で切れてしまうのか?最初の夢で…ポケモンの世界とか言ってたけど、あのムンナはそれと何か関係があるのか?どちらも人を助けるタイプとは言い難いのに、何故僕と飛燕なのか?他に此方に来た人間はいるのか?その人間の共通点は…?そしてなにより、僕らに何をさせたいのか…?)
「……あーもうっ、わからないことだらけじゃんか!くそっ…!!」
料理をしながら物思いに耽っていたシェリルは、思わず頭を抱えたくなった。此方の世界に来てからもう数ヶ月が経つというのに、未だに夢についても元の世界に戻るための方法についても何も思いつかないのだ。
いや、そもそも戻れるのだろうか?
実はもう二度と人間に戻ることはなく、向こうの世界にも戻れないのでは……
そんな考えすらシェリルの頭を過ぎる始末だ。
そんな悶々とした考えが脳裏を占めていた時、隣からひょっこりと「…はよ」という挨拶と共に嶺緒が顔を出す。当然思考を巡らせることに夢中になっていたシェリルはいつもとは違い気付かなかったわけで。
「うわあぁぁぁぁっ!?」
「な――ぐぇっ!?」
驚きのあまり反射的に嶺緒をしっかりと吹っ飛ばしていた。不意打ちであるうえに完全なるクリーンヒットであったため、嶺緒は奇声を発しながら成す術もなく吹っ飛んでいく。
「…なんだ銀色大バカチビの助か。びっくりさせんな」
「…とりあえず色で呼ぶなチビとも言うな。
つか、なんでぶっとばしてから冷静になるんだ…っていうか反射的に攻撃してくんのやめろよ……ってて」
「あんたが悪い」
「いや理不尽すぎるだろ!?」
いつも通りの諍いが繰り広げられた後、面倒になったらしいシェリルと嶺緒は互いと極力話さないようにしながら朝食を作りあげていく。
シェリルが黙々とテーブルに皿を運び、自分のカップにお茶を注いでいる間、嶺緒はクローネを起こしにかかる。
クローネが起きると三匹はテーブルにつき、黙々と食事を食べ始める。
しかしシェリルはあまり食事に手を付けようとはせず、ジッとお茶のカップを見つめている。
その様子を見ていたクローネは、首を傾げシェリルに向かって声をかける。
「シェリル?どうかしたの?」
「……」
「おーい、シェリルー?シェリルってばー?」
「………」
「シェーリールー!!シェリルってば!!」
「…!何さ」
「いや、なんか食欲ないのかなぁって。声かけても反応ないし…大丈夫?」
「…別に」
ふいっとそっぽを向くシェリルに、クローネはにっこりと笑顔を向ける。嶺緒も二匹のやり取りをジッと見ている。
「もしも何か気になることがあるなら言ってよ、ボク達いつでも相談に乗るから!三人乗れば文句の家っていうし!!」
「それを言うなら「三人寄れば文殊の知恵」な」
「あれ?」
清々しいほどしっかりと諺を間違えたクローネに嶺緒がツッコみ、クローネは間違えていたとは思わなかったらしく笑顔のまま首を傾げている。
それを見ていたシェリルは、ふとクローネと嶺緒が昔の仲間であるルトアとヒューシャに重なって見えたように感じた。いつもやんちゃで天然なヒューシャとそれを冷静に諫めるルトア。
明るく底抜けに天然なクローネと、世話焼きで常にまわりの者に振り回されがちな諫め役の嶺緒は、そんな二匹にどこか似ているような気がした。
ふと懐かしさに襲われたシェリルは頭を振ってそれを追い出すと、未だにボケとツッコミを続けているクローネと嶺緒に「あのさ」と声をかける。
「最近なんだけどさ、変な夢を見るんだ」
「変な夢?」
クローネは復唱し首を傾げ、嶺緒は話の先を促すように黙ったままだ。
シェリルは木の実を一口齧ると、話を続ける。
「この世界に来る前に声を聞いた…って話はもうしたよね。チビには確か変な夢って説明した気がするけど」
「うん」
「あぁ、そうだったな。…つかチビっていうな」
「いつも「助けて」って声が聞こえるんだけど。その声が聞こえてくる時はいつも同じ不思議な空間にいるんだ」
「へぇ!どんな感じの?」
「それは面倒くさいから説明は省くけど」
「えー…」
キラキラと目を輝かせ、質問をするクローネをバッサリと切り捨てると
シェリルは説明を続けるために再度口を開く。
「昨日と、銀色大バカチビの助に僕の正体を教えた日に、この世界に来る前に聞いた「助けて」って声が夢の中で聞こえてきたんだよね」
「夢の中で…?」
クローネは興味深そうな声を上げ首を傾げる。嶺緒も酷いあだ名で呼ばれたことに若干苛立ったような表情を見せたものの、ツッコむことより考えることに専念しているらしく、目を閉じ思考を巡らしている。
そして嶺緒はシェリルに向かって質問をする。
「その声、何か言ってたのか?」
「…話しかけようとはしてたみたいだね、上手く聞き取れなかったけどさ。途中途中でノイズが混ざったみたいになったり急に聞こえづらくなったり…はっきりとは聞こえなくて、何が言いたいのかはさっぱりだった。
でも、この前聞こえたのが「助けて」って声だけだったのに、昨日はもう少し聞こえたよ。…まぁ聞き取れなかったけどさ」
いつもは自分のことについてほとんど語ろうとはしないシェリルだが、ここまで聞いたことに素直に答えているあたり、表情には出さずとも困り果てていたのだろう。嶺緒は心の片隅でそんなことを思いつつ、今ふと閃いたことを口にする。
「……もしかしてその声の奴、シェリルにテレパシーで何かを交信しようとしてるんじゃねぇか?」
「……!」
嶺緒の言葉にシェリルは少し驚いたような表情を見せる。しかしすぐに元の表情に戻ると「でも」と口を開く。
「こっちに来たばかりの頃は、夢の中にすら出てこなかった。助けを求めてるにしろ何かを伝えようとしてるにしろ、こんなに期間があいてるのはおかしいんじゃない?」
「いや、でももしかしたら」
シェリルの反論に、今度は黙りこくっていたクローネが口を開いた。
「夢の中に出てこなかったんじゃなくて、届かなかったんじゃないかな。多分、そのポケモンはずっとシェリルに助けを求めて発信してたんだよ」
「え…ずっと?」
その考えは思いつかなかったシェリルは、今度こそ目を丸くする。
あまりにも解明されていない謎が多くそこまで思いつかなかったが、ずっと発信していたなどとは考えていなかった。
嶺緒はクローネの言葉に納得がいったように頷き、「なるほどな」と声を発する。
「発信はしていたが、何かしらの理由でシェリルが聞き取ることが出来なかったってことか」
「うん。でもね、どんどん進歩はしていってるんじゃないかな」
「…どういうこと?」
クローネの言葉に、シェリルは首を傾げる。クローネは食べかけの木の実を口に放り込み、飲み込むと「つまりね」と説明を始める。
「昨日はこの前よりもはっきりと聞こえたんだよね?つまり、そのポケモンとシェリルの波長がどんどん合ってきてる…そういうことなんじゃないかなって思って」
「…なるほどね」
「まぁ情報が少ないし、はっきりとは言い切れねぇけどな」
クローネの説明にシェリルは納得したように呟き、嶺緒は肩をすくめるとお茶を啜った。
クローネは「まぁそうなんだけどね〜」と苦笑しながらもしゃもしゃと木の実を頬張る。
シェリルはカップを持ち上げ、カップの中の波紋を描くお茶を眺める。
(僕が何故この世界に来たのか、何をすればいいのか……謎を解く手がかりは全て夢の中…ってことね。
とりあえず次に夢を見れるのを待たなくちゃいけないわけか)
シェリルがじっとお茶を眺めている間に朝食は全てなくなっており、「ご馳走様ー!」と大きな声で言うとクローネは片付けにはいる。嶺緒も「ご馳走様」と言うと、食器を運ぶのを手伝いだす。
シェリルはお茶を眺めるのをやめ、残ったお茶を一気に飲み干すと、残った食器と共に片付ける。
そしてそのまま支度をはじめたシェリルに、不意にクローネが「シェリル!」と声をかける。
シェリルが振り向くと、クローネはにっこりと笑いかけた。
「ボク等もその夢の謎を解くの、協力する。だから、そのポケモンの居場所が分かったらすぐ助けに行こうね」
「……別に僕はあのポケモンを助けたいわけじゃ、」
「よーし、ボクも頑張るぞー!!」
「……人の話聞いてないよね」
クローネは一匹で意気込むと、一生懸命に食器を洗い出す。シェリルは話を聞かないクローネに呆れたような視線を向けつつ、なんとも言えないような表情で頭を掻く。言っても無駄だと察したようだ。
楽しそうなクローネと、なんとも言えない表情のシェリル。
板挟みは疲れるな、とは思いつつも、嶺緒は自分の仲間達を見て自然と微笑みを浮かべるのだった。