第四十九話*人間
沁刃と鏡刃、そしてシェリルがギャーギャーと言い争いを続け、由羅と飛燕がそれを傍観し、嶺緒が完全に無視して依頼を選んでいると、そこにやってきたのはエルムだった。
それにいち早く気付いたのは嶺緒だ。
「…エルム?お前、確か今日は用事があるって言ってなかったか?」
「おはよう、嶺緒!
うん、本当は用事があるんだけど、でも凄いものが見られるから皆呼んでこなくちゃって思って!!」
その言葉に、話をしていた嶺緒はもちろんのこと、言い争いをしていた沁刃や鏡刃やシェリル、傍観を決め込んでいた由羅や飛燕までもが反応を示す。
「そのすごいもの…ってなんだ?」
嶺緒の問いに、エルムは興奮冷めきらぬ様子で「蜃気楼!」と答えた。
その言葉に反応したのは嶺緒と鏡刃のみである。
沁刃はぽかんとし、由羅はただのほほんと微笑んでいるだけである。飛燕は理解していないようで首を傾げている。
と、シェリルがいつもの渋面で口を開く。
「…蜃気楼って何」
飛燕も沁刃も同意見だったようでコクコクと頷く。その問いに答えたのは嶺緒だった。
「なんだ、知らないのか?蜃気楼ってのは遠くのものが空に浮かび上がって見える現象のことだ。宿場町の丘の上からでもたまに見えることがあるんだが、俺もまだ見たことはねぇな」
「へー…もう興味ないや」
「いや説明した途端に興味なくすなよ…」
シェリルの興味をなくす速さに嶺緒はもはや呆れを隠せない。
エルムはきょろきょろと周りを見回すと、「クローネは?」と尋ねた。
「クローネなら、ガレットのところだ。わりぃけど、クローネにも声かけてきてくれねぇか?多分あいつがこういうのに一番興味あるはずだからな」
「うん、任せて!」
エルムは張り切った様子で駆けていく。
嶺緒はそれを見送ると、「さて」と呟いた。
「俺も見たことねぇし、見に行くとするかな…」
「あ、それならボクも連れて行ってくれませんか?蜃気楼はまだ見たことが無いですし、ボク達は昨日来たばかりなので道が分からないんですよ」
「あ、オレもオレも!!」
「私も見たいし、連れて行ってもらえると助かるわ」
嶺緒の独り言に、鏡刃、沁刃、由羅が声をあげる。嶺緒は「まぁ、別に構わねぇけど」と言うと、三匹の前に立ち道案内を始める。
と、途中で立ち止まり振り返ると、歩く気の全くないシェリルに声をかける。
「おいシェリル、お前も後で来いよ。フラフラ歩き回られても困るからな」
「うっさい銀色チビ、僕に指図すんな」
「へーへー、さっさと来いよな」
「人の話聞けよ、僕に指図すんなっつの銀色ロイヤルグレートハイパー大バカチビ」
嶺緒は案内もあるので大雑把に対応すると、さっさと歩いていく。シェリルはその後ろ姿を見送りながら、悪態をつく。
そしてその場にはシェリルと飛燕のみが取り残されポツンと佇んでいた。
しばらく静寂がその場を覆っていたが、シェリルは面倒くさそうに宿場町の方へと歩みを進め始める。
――その時だった。
「…ソルテラージャ」
ただその名を呼ぶだけにしてはあまりにも鋭く放たれたその声に、シェリルは思わす歩みを止めた。
その声の主――飛燕はその虚ろな瞳に恐ろしいほどの威光を宿し、視線のみをこちらに向けてシェリルを見つめている。シェリルは何を感じ取ったのかその瞳を直視しようとはしなかった。
「…俺、聞き覚えが、ある…この名」
「…気のせいじゃないの」
シェリルの口から出てきたのは素直な一言だった。「ソルテラージャ」などよくある姓ではない。ましてやシェリルは【ルルーシュア】からやってきた。聞き覚えがあるはずがないのだ。
しかし飛燕は首を横に振った。そして何でもないことのようにさらりと述べる。
「…俺、基本的に、忘れない…
標的の名前は」
「っ!?」
その言葉と威圧に、ほぼ反射的に後方へと跳び、距離を取るシェリル。その目には強い警戒と憎悪の色が浮かんでいる。シェリルは臨戦態勢を取りながら、飛燕に問いかける。
「…あんた、何なの」
その問いに、飛燕はシェリルの方へと向き直り口を開く。足音を立てない影のような虚ろな少年を、シェリルは初めて不気味だと思った。
「ソルテラージャ…呪われし一族」
「っ…!」
その言葉にシェリルは苛立ちを露わにし、飛燕にマジカルリーフを放つ。飛燕はそれをはっけいで撃ち落とす。
その間に地面を蹴って一気に差を詰めたシェリルは二本の蔓のムチで左右から攻撃を仕掛ける。
しかし飛燕は表情を崩すことなく上空へと飛び上がることによって蔓のムチを逃れる。シェリルは追撃のマジカルリーフを放つが、冷凍パンチであえなく防がれた。
地面へと降り立った飛燕と再び距離を取るシェリルは首を傾げる。飛燕から戦う意思を感じ取れなかったからだ。
飛燕は攻撃を仕掛けられたにも関わらず、無表情のまま再びシェリルに向き直る。
そして次の瞬間、衝撃的な言葉を口にした。
「…俺は、元は【ルルーシュア】の、人間。桐生一族の、生まれ」
「なっ……!?」
これにはシェリルも開いた口が塞がらなかった。自分と同じ境遇の者がいたことに、驚愕の表情を隠せなかった。
シェリルはこの時初めて飛燕の目を直視した。虚ろな中にある鋭い光が此方を見据えている。その光は、嘘を言っているわけではないことを嫌でも理解できるほどまっすぐなものだった。
シェリルは臨戦態勢を解き、改めて飛燕と向き合った。
「あんたも人間…なら、何故人間がポケモンになったのかわかる?」
若干期待を込めて尋ねたのだが、飛燕は首を横に振った。
「夢の中で…ポケモンの世界、救ってくれ、って…言われた。そしたら…リオルになって、気づいたら、この世界に、いた。だから、最初に会った、沁刃達と…一緒に、行動してる」
「なんだ、僕とほとんど一緒か…ま、そんなもんだろうとは思ったけど」
シェリルは溜め息をついた。何かわかれば帰る手立ても思いつくかと思ったのだ。しかし、そこでふと、シェリルンの中で小さな疑問が渦巻いた。その疑問はあまりにも小さなわだかまりで、シェリルがそれが何なのかを理解する前に頭の中でうやむやになってしまった。
若干のもやもやを抱えつつ、シェリルは飛燕に尋ねてみる。
「桐生一族…って、東方に住まう忍の一族だっけ」
「…そう。やっぱり、知ってたか」
「暗殺のプロだろ。その界隈じゃ有名だし嫌でも知ってる。今の当主は
桐生 夜鷹。一族って堂々と名乗ってるとこみると、桐生の本家の者だろ」
「…うん。桐生 夜鷹は…俺の、父親。父親って…思ったことも、ない、けど。やっぱり、よく、知ってる…ね?」
「僕のとこに来そうな奴は一通り調べてあるに決まってるだろ」
シェリルは苦々しげな表情で、吐き捨てるように呟く。一方の飛燕はただ淡々と述べていく。
「俺、依頼受けた。シェリル・ソルテラージャの。弟や、妹じゃ…早いって、理由」
「へぇ、暗殺のプロに狙われたのに僕が生きてる、またはそのことを忘れてるなんておかしな話だと思うけど。それとも…ここで僕の命を取ろうってわけ?」
シェリルの言葉に飛燕は首を横に振る。
「俺…殺すの、やだ…シェリルのこと。そう、思った。だから、やめた」
「……僕を殺すのが嫌?何故?あんたらにとって依頼は大切な仕事の筈だ。なのに、何故嫌になった?」
シェリルは理解できないといったような怪訝そうな表情をし、首を傾げながら飛燕を問いただす。
飛燕は最初と会った時と全く同じ表情のまま、淡々と語る。
「シェリルも、表情あまりない。でも、心は…強さと優しさ、持ってる。すごい、と思った。だから」
「…買いかぶり過ぎだよ、僕はそんなたいそうな奴じゃない」
シェリルは照れ隠しをしているというわけではなく、心の底から湧き出る思いをその言葉に乗せてそう吐き捨てた。
しかし、飛燕は首を傾げきょとんとした様子を見せながらも話すのを止めようとはしなかった。
「…そう?なら、それは…シェリル、気づいてない、だけ」
「……」
「シェリル、優しい…本当は。だから、人惹きつける。それは、人の誰とも違う…本当の、隠れた優しさ、の魅力。
だから、俺も…ためらった。こんなことは…初めて、なんだ。だから、間違いないよ」
シェリルはその時飛燕がふっと表情を和らげたように見えた。無表情であることに変わりはなかったが、一瞬その虚ろな表情に何かが宿ったように感じた。
飛燕は足音をたてず、不意にふっと歩きだした。
恐らくは沁刃達を追うのだろう、とシェリルはその後ろ姿を見送っていた。
……が、少し進んだ後に不意に振り返り、テクテクと早足でシェリルに迫ってくる。その鬼気迫る迫力(というか威圧)を放つ無表情が早足で近づいてくるその姿に、さすがのシェリルも一瞬たじろぐ。
「……」
「ちょ…なんだ根暗その威圧の能面顔で近づくな怖い来んな潰すぞ」
さすがにその姿に動揺を隠せないシェリルは早口でまくしたてる。
と、飛燕は目の前(無駄に距離が近い)に立つと、ようやく口を開いた。
「宿場町…丘の上って、どこ?」
「……は?」
シェリルは警戒しているような表情を解き、やがてゆっくりと呆れたような表情を見せるのだった――