第三十七話*気を付けろと言われた時に限ってよくミスが起こる
「ふぁ〜……」
未開拓であるポケモンパラダイス≠フ一角で、退屈そうにのんびりと欠伸をして青い空を眺めているのは、緋色と深緑の瞳のツタージャ、シェリルだ。
このまだまだ開拓すら進んでいないポケモンパラダイス≠ノ近寄る者はほとんどいない。そのため、ここら一帯はシェリルのお気に入りの場所なのだ。散歩コースもここら辺であるし、朝に歌っているのもここらなのだ。
普段なら冒険に出かけているこんな時間帯に何故シェリルがのんびりと過ごしているかというと、今日はシェリルが留守番の日だからである。
出撃メンバーはクローネ、嶺緒、ルト、セシリアだ。
他にもエルムが同じく留守番組だが、他人となれ合わないシェリルはエルムのことなど気にしてもいない。
朝方はテアに言いくるめられ、渋々食堂の手伝いをしていたが、さっさと終わらせてパラダイスに戻ってきたのだ。結局暇なので、こうやって散歩がてらのんびりとしているわけだが。
「……退屈だな。まぁ、他人と慣れ合うよりは独りの方がよっぽど楽しいけど」
伸びをして小さく呟くシェリル。何ともシェリルらしい一言である。
澄み渡った空をジッと見据える。
シェリルが今まで見てきた空とは違う、青く何処までも澄み切った美しい空。それらを彩るかのように漂う純白の浮雲。
今まで雪景色や曇天の空しか見てきたことのないシェリルにとっては、見たことのない真新しい景色。この世界にあるすべてのものが、今までのシェリルには縁遠いものだった。
明け方の朝日も、昼の澄み切った青い空も、黄昏時の夕日も、真夜中の紺碧の空に輝く月や星々も。
力強く根付く広葉樹も、美しく色鮮やかな花達も、太陽の光に映える草も、光を反射して輝く川も、流れる温かくて心地のいい風も、どれも体験したことのないものばかりだった。
あまりにも眩しくて鮮やか過ぎるその光景に、不思議と世界に馴染もうとしている自分がなんとなくバカらしくなり目を閉じる。心は馴染むことを拒絶しているのに、体は不思議とこの世界に馴染みを覚え始めている。それがシェリルにとっては苛立ちでしかなかった。
ふと気配がしてシェリルは閉じた目を開いた。視線を宙に彷徨わせ、何気なくぽつりと呟いた。
「……どうかしたわけ?なんか、用なの?」
「うぅ〜………」
とある森のダンジョンの中。クローネは一匹で唸っていた。
周りには味方も敵ポケモンも、誰もいない。
見覚えのない静かなこの場所にクローネのみが佇んでいる。
いったい何処へ行けばいいのか、嶺緒達がどこにいるのか、クローネには見当もつかなかった。
つまりは迷子なのである。
いったい何故こんなことになったのだろうか。
それは数分前のことだ。
数分前、森の中をクローネ達はずんずんと進んでいた。今日はお尋ね者が相手であるがゆえに、戦闘慣れしている嶺緒とセシリアを出撃メンバーに組み込んだ。そのため、野生のポケモンに簡単に倒されることはなく、比較的簡単にダンジョンを進んでいっているのだ。
「この調子なら、簡単にお尋ね者のいる場所まで進めそうだね!!」
「油断すんなよ、クローネ。お前油断するとすぐドジ踏むだろーが」
「大丈夫だよ!多分ねっ!!」
「こいつ「多分」のとこまでしっかり言い切りやがった…」
楽しそうなクローネに対して呆れる嶺緒。とりあえず無駄に虚勢を張られるよりはましなのだが。
「にしてもお尋ね者の野郎、なかなか出てこねぇな……」
「まぁ、そう慌てなくてもいいじゃない。ね?」
「フンッ!お前に言われなくても分かってンだよ!!」
「ルト、うるせーぞ。少し黙れ」
呟いた言葉に反応を見せたセシリアに威嚇するような声音で突っ撥ねるルト。それを冷静に窘める嶺緒に、ルトはウッと返事に詰まる。
自分の態度が悪いのは自覚していたようだ。
「ん〜……もうふほひひはは、へへふふんひゃはいふぁはぁ(もう少ししたら、出てくるんじゃないかなぁ)」
「食ってから喋れ。行儀悪ぃから」
「相変わらずお母さんっぽいな……」
「お母さん言うな。………ん?」
嶺緒は顔を顰めてツッコミを入れた。と、同時にある疑問が嶺緒の頭を過ぎった。
「おいクローネ、お前今何食った――」
嶺緒が後ろにいたクローネに声をかけようと慌てて後ろを向いたが、其処には既にクローネの姿はなかった。
セシリアは目を見開き、ルトは驚愕の表情を見せる。嶺緒は顔を顰め、溜め息を一つついた。
「あのバカ……ワープの種食いやがった………」
そうして今に至るわけである。
「ふぇ〜………」
数分前の自身の過失を思い出し、頭を抱えるクローネ。
何故ワープの種など食べてしまったのだろう。まさかこんな奥深いところまでワープしてきてしまうとは思いもしなかったクローネは、深々と溜め息をつく。
「どうしようかなぁ………」
嶺緒達が探してくれてはいるだろうが、何せ深い森の中だ。見つけてもらえるとも限らない。
そもそも此処はダンジョンの中である。複雑に入り組んでいるのは間違いないのだ。下手に動けば嶺緒達に再開するのは難しくなるだろうし、かといってここから動かなければ見逃される可能性とてある。
「うぅ……困ったなぁ」
クローネが頭を抱えていると、ふと後ろに忍び寄る者がいた。クローネは気付いておらず、未だにブツブツと何か呟いている。
その者はどんどんクローネの後ろに近寄ってくる。
クローネが近づいてきたその者に気づいたのは、すでに背後をとられた後だった。
「え――――」
「……なんだ、コレ」
現在、最優先事項をお尋ね者探しからクローネ探しへと変更した嶺緒達は、目の前に広がる光景に唖然としていた。
おそらく、モンスターハウスであったであろうその場所。
通常より広いその場所。其処にいたであろうポケモン達。
しかし、そのポケモン達は全て戦闘不能へと追い込まれていたのだ。
「なんだこりゃ……!?」
「これは……」
ルトとセシリアも絶句している。
「まさかとは思うけどよ、クローネの仕業か……?」
「いや、おそらくそれはないだろ」
ルトの考えを即答でバッサリと切り捨てる嶺緒。ポケモン達が全員戦闘不能であることを確かめながら、慎重にモンスターハウスを見て回っている。
「確かにクローネの特攻や攻撃力は平均的なピカチュウのものより上だ。だが、今までのクローネを見る限り、モンスターハウスを一匹で抜けられるほどの実力はない。なにより、電気タイプの技の後が一切見受けられない」
「じゃあ……これをやったのはいったい誰なのかしらね」
「さあな……。ただ、実力者だってことだけは確かだろうな」
表情一つ変えずに呟く嶺緒。
ルトは冷や汗を流した。嶺緒は本当に認めない限り、実力者だなどと口に出したりはしない。本当に認められない者は、たとえ嶺緒自身より実力があっても認められることはない。
その嶺緒があっさり認めたことから、中々の手練れであることは予測がついた。しかも、そのポケモンが敵である可能性も考えられる。その場合、厄介なことになるのは必須である。
セシリアもその可能性に気づいているのだろう、表情が険しくなっている。
嶺緒は二匹の表情を見て、そしてまたモンスターハウスに目をやり、深く溜め息をついた。
「面倒なことになってきたな………」
(クローネ……頼むから無事でいてくれよ………)
「ふぅ〜……助かったよ、ありがとう!」
「いやいや、無事でよかったな!」
クローネはにっこりと笑顔で、目の前にいるツタージャに礼を述べた。一方のツタージャも、温かい太陽のような笑顔で返答する。
その横で戦闘不能になって倒れているのは、野生のホイーガだ。
先ほどクローネの背後に現れたのは野生のホイーガだったのだ。
背後をとったホイーガは、クローネに襲いかかろうとして、偶然通りかかったこのツタージャによって倒されたのだ。
助けてもらった。
クローネがその事実を頭で理解できたのはツタージャがホイーガを倒した数秒後だった。
そして先程のように礼を述べる過程に至ったのだ。
「ボクはクローネ・メレクディア!キミは?」
「ウチはメルス。よろしくな、クローネ」
男にしては独特の一人称を使うメルスの声は、少し高めの青年の声音であり、綺麗な響きを持ち合わせている。
同じツタージャでも、冷たく静かな雰囲気のシェリルとは違い、メルスは明るく優しい雰囲気の、明るい笑顔の持ち主だった。
「メルスはこの森で何してるの?」
「ウチ?まぁ……ウチは俗にいう放浪者ってやつでな。この森にも特に目的を持って入ったわけじゃねぇんだ。強いて言うなら、気が向いたからってとこだな。
クローネは?」
「ボクは冒険チームを組んでるの!チーム名は『アストラル』!今はお尋ね者を探してるの!」
「!……へぇ、冒険チームかぁ……よく仲間を集めたなぁ。こんな世の中だし、四匹以上って規定があるからなかなか組めないだろ?」
「そうなんだよね。でもボクは信頼できる仲間に会えたから、すっごく楽しいよ!」
「そうか〜!そりゃ羨ましーなぁ!」
まるで自分のことであるかのように嬉しそうな笑顔を浮かべるメルスに、自然とクローネの頬も緩む。
「…で?今日は仲間と一緒じゃねーのか?」
「…………」
途端に押し黙ったクローネを、メルスはきょとんとして見ている。
「どーした?」
「…………なんだ」
「ん?もう一回言ってくれるか?」
「……だから、迷子なんだ」
「……へ?迷子?」
唖然とするメルス。
しかし、まさか冒険チームが迷子になるということは想像がつかないだろう。しかも、それを見栄を張るために隠そうとすることもなく、簡単に暴露してしまったこともメルスにとっては驚きだった。
「……どうしてそうなったんだ?」
「なんとなく食べた種がワープの種だった……」
「……お、おぉ………」
さすがにこれには何とも言えない表情になるメルス。
まさかここまでドジな者だったとは。呆れる以外に何をしたらよいのやら。
しかし、クローネがここまで包み隠さず話してくれたことにメルスは本当に驚いていた。虚勢を張りたいがゆえに嘘をついたりする者や誤魔化したりする者などはざらにいるが、ここまで簡単に自分の失敗談を話す者は滅多にいない。
逆に驚いたメルスは、なんとなくおかしくなって笑ってしまった。
「えぇ!?何で笑うの!?うぅ、なんか恥ずかしいじゃんか〜……!」
「ククッ……わりぃわりぃ……クククッ」
頬を膨らませて抗議するクローネを見て、さらに笑ってしまうメルス。それでも、メルスの屈託ない笑顔につられてか、結局はクローネも苦笑を見せていたが。
しばらく笑っていたメルスは、ふと何かを思い立ったらしく、クローネに向かって提案してきた。
「そうだ!なんならウチがあんたの仲間を探すのを手伝おうか?」
「本当に!?いいの!?」
「おう。どうせ待たせる仲間もいねーし、特にこれといった用事もねーしな!それにウチはまあまあ腕に自信はある方だし、迷惑はかけないと思うぜ?」
ニカッと精悍な笑顔を見せるメルス。ツタージャという種族はシェリルしか見たことのなかったクローネは妙なギャップを覚えつつも、にっこりと笑顔になった。
「じゃあ、一緒に来てもらってもいいかな?」
「了解、お願いされました!」
頷くメルス。二匹は嶺緒達を探すため、一緒に歩き出したのだった。