第十六話*諦めないで
ガレットはジッと、月を見ていた。
月に手を翳す。そのまま月を掴むかのように拳をぎゅっと固める。
が、手に上手く力が入らなく、拳を固めることすら難しい。
(ダメ、か…やっぱりまともに力が入らねぇ…)
「…チッ」
苛立ちと憎しみのこもった舌打ちが思わず口から零れる。
不意に頭の中に、弟子たちの言葉が浮かんだ。
―― もう一度 ――
「……」
―― もう一度、昔みたいに仕事ができないかな? ――
「……!なんだってんだ…」
角材を掴む手に力を籠め、忌々しげに呟く。
捨てた選択だったはずだったのに、とっくに諦めたはずだったのに。
ガレットの頭の中で何度も何度も繰り返される、弟子の言葉。
(もう無理だって…お前らだってわかってんだろ…なのに…なのに!!)
「ガレット」
不意に自分を呼ぶ少年の声。
ガレットは、そういえばこいつらのことを忘れてたな、と頭の片隅でふと思った。
振り返れば、そこには澄んだ瞳をしたピカチュウ、クローネと、闇を湛えた緋色と深緑の瞳をしたツタージャ、シェリルが佇んでいる。
「あのね――」
クローネの言葉を遮るように、ガレットは言葉を発した。
「まだ、怒りが収まらねぇのか。…まぁいい」
「え!?違う、ボク達は――」
クローネはきょとんとした後、慌てて弁明をしようとする。
が、ガレットは聞く耳持たずといった様子だ。
「オレはもう家を建てられねぇ。大工をやるにも…力が入らねぇんだ。
…だが!暴れる力は残っている!!ろくでなしの、この力がな!!
全ての怒りをお前たちにぶつけてやる!!」
「えぇぇ、なんで――ふぎゃっ!?」
「…チッ、単細胞ってこれだから面倒くさいんだよね」
クローネは誤解を解こうとして、振り回された赤い角材に吹っ飛ばされる。
シェリルは失礼なことをさらりと言いながら、軽々と後ろに飛び退くことで角材を避ける。
「ちょ、ちょっと!話を聞いてよ!」
「今さら話すことなんざねぇだろ!!かわらわり!」
繰り出されたかわらわりを間一髪避ける。
ガレットは続いてシェリルにけたぐりを繰り出すが、素早いシェリルの動きを掴むことができない。
「ボク達は怒っててここに来たわけじゃないんだよ!!話を聞いてってば!」
「僕、単細胞って嫌いなんだよね。面倒くさいから」
「シェリルーーー!?ケンカ売らないでーーーーー!!?」
こんな時でもしっかりと空気を読まないシェリルに思わずツッコむクローネ。
どうやら、シェリルの一言はよけいにガレットを怒らせてしまったようである。
やたらめったら攻撃を仕掛けてくる。
シェリルは少し離れたところに着地する。つまり戦闘から離脱している状態である。
「もう!!いいかげんにしてってば!電気ショック!!」
「ぐっ!オメェらが…いくらオレに対して怒ろうがな!この世の中は変わらねぇ!!騙し騙されて回ってるんだ!!かわらわり!」
「変わらないなんて!誰が、決めたのさ!!電光石火!」
「今の世の中じゃ、むしろ騙されたオメェらが悪いんだ!!呪うなら世の中を呪え!!けたぐり!!」
「確かに騙されたボクらにも非はあるかもしれないけど!!でも、一匹が変わろうとしなかったら、何も変わらないんだよ!?電気ショック!」
「じゃあ正直者になれってか!?それこそ利用されてお終いだ!!この世の中、正直者がバカを見るだけだ!!」
離れたところに着地し、クローネとガレットの戦闘をジッと見ていたシェリルは、その修羅場に向けて歩き出す。
一方の嶺緒は岩陰から傍観していたが、思わず顔を顰めた。
ルシアとアサザは不安そうに嶺緒の様子を伺う。
「ちょ、嶺緒…どうするんだ?」
戦闘になったら出ていくと言っていた嶺緒に不安そうに尋ねるルシア。
「クローネさんも兄貴も容赦なく戦ってるんですけど…!?」
「…ほんっと、なんで戦闘になるかな…」
重々しく溜め息をつく嶺緒。
予想の内には入れていたが、まさか本当に戦闘になるとは思っていなかったらしい。
戦っているガレットの言葉は、彼の思いを嫌という程表していて。
ルシアもアサザも悔しそうに表情を歪めた。自分達の言葉は伝わっていなかったのだと思うと、悔しくて涙が思わず流れた。
「…まぁ、とりあえずここはクローネ達に任せておけ」
いいな?と嶺緒はルシアとアサザに言った。悔しそうに涙を流しながら、ルシアもアサザも頷いた。
「大丈夫…か、どうかはわからないけどな。あいつも動き出したしな」
嶺緒はクローネとガレットが戦闘している場所まで歩いていくシェリルをジッと見ていた。
「諦めろ!!この世の中じゃむしろ騙されたオメェらが悪いんだ!呪うなら…この世を呪え!!」
けたぐりを繰り出そうとしたガレットを、突如蔓のムチが彼の頬を思いっきり叩いて止めた。バシッという鋭い音が辺りに響き渡る。
「…っ…」
「ガキか」
響いたシェリルの凛とした声は、鋭く尖っていて。冷静なようでいて怒りを含んだその声はとても冷ややかだった。
思わずクローネですら戦闘を止めてしまうほどだった。
「なんだと…!?」
「ガキかって言ったんだよ。聞こえないの?」
驚いて目を見開くクローネと、岩陰で焦りを見せる嶺緒とルシアとアサザ。こんなときに何故挑発なんかするんだと慌てる。
ガレットはもはや怒りを露わにしている。
それでも、シェリルの声は冷ややかなままだった。
「オメェ…!!」
「だってそうだろ。そうやって、何でもかんでも世の中や他人に合わせて…自分が何かやらかせば、世の中が悪い、他人が悪いって……
甘ったれてるんじゃないよ!!」
突然のシェリルの怒りの大声に、その場に居合わせた全員が驚く。
怒りと苦しみ、悲しみがその怒号には含まれている。
「他人がこうだから許される、なんて甘い考えを持つ奴が増えるから…結果、世の中がこうだから許される、なんてガキみたいな思考を持つバカが増えるんだ!
ふざけんな…そんな考え方で傷ついた奴が、いったいどれだけいると思ってるんだ!」
シェリルは顔を怒りに歪ませ、ガレットを見据えて、怒鳴る。
思いを全て吐き出すかのように。
「僕は…あんたみたいな奴が一番大っ嫌いなんだよっ!!!」
シェリルの鋭い瞳には殺気が宿り、怒りのせいか凛とした声はいつもより大きく響いた。
ガレットも、クローネも、岩陰に隠れている嶺緒もルシアもアサザも、誰も何も言わなかった。
「僕は…クローネのようになれとは言わない。真っ向な正直者になれとも言えない。それは、僕に言う資格はないから。
疑うことをやめろとも言わない。疑うことは別に悪いことじゃない。
でも…あんたがあんな考え方でこれからも生きていくっていうなら…今ここで叩き潰す」
一風変わった戦闘態勢を取るシェリル。誰もが戦闘が始まると予想していただろう。
しかし、戦闘態勢を取るシェリルの前に立ち、シェリルを制した者がいた。クローネだった。
何故止められるのかわからず首を傾げるシェリル。
「…何?」
「ごめんね」
「…は?」
わけが分からず顔を顰めるシェリルに、苦笑しながら謝るクローネ。
「ボクがついカッとなって…シェリルに言われたことも、ちゃんとできてなかった。
でも、今からでも遅くないと思うんだ。ボク、もう一回説得してみる」
だからここはボクに任せて?と笑顔で言うクローネ。
シェリルは微かに表情を歪めたものの、面倒事が減ったとでも言いたげにすぐに戦闘態勢を解いて腕を組む。
クローネは笑顔で「ありがとう」と礼を述べると、ガレットに向き直った。
「ガレット。ボク達の家を、建ててください」
「なっ…!?」
ガレットは驚愕に目を見開く。何を言っているんだ、と目が驚愕の心中をありありと語っている。
「お金や材料がいるならなんとかするよ。手伝えることがあるなら最大限手伝う。だから、お願いだよ。ボク達の家を…建ててくれないかな?」
ぺこりと頭を下げるクローネ。彼は、本気で頼み込む。断られても、粘るつもりだった。
しかし、次の瞬間ガレットは肩を震わせたかと思うと、高々と笑いだした。
「ドゥワッハッハッハッハーーーーー!!」
その笑い声に、クローネはスッと顔を上げた。クローネの顔は真剣そのものだった。
迷いなど一欠片もない瞳で、なおも笑っているガレットをジッと見据える。
そんな瞳を見たガレットは、鼻を鳴らし嘲るように笑った。
「本当に…本当にめでてぇ奴だ!まだ騙されていたことに気づかないのか!?
オレはこの世に!仕事に!希望を失くしたんだよ!!」
くるりと背を向ける。そのために痛々しい傷跡が嫌でも視界に入る。クローネは思わず唇を噛み締めた。
シェリルは、ただジッと傷跡を見据えるだけだ。
「この傷を見ろ!!この傷のせいでロクに体も動かせねぇ!!もう大工もできねぇんだ!!
家を建てようにも下手くそな家しか建てられなくなっちまったんだよ!!」
叫ぶガレットは、クローネに角材を振り下ろす。クローネは避ける素振りも見せず、ただ攻撃を喰らった。
それでも何とか立ち上がり、まっすぐガレットを見据える。
「わかったか!オメェらはこんな大工の仕事もできねぇポンコツに仕事を頼もうとしてるんだ!!」
再び角材を振り下ろすガレット。クローネは思わず目を瞑った。
しかし次の瞬間、ガレットの動きを止めるような言葉が隣から聞こえてきた。
シェリルだった。この上なく面倒そうな表情を崩さず、腕組みをしながらこちらを見据えている。
「知ってたんだ」
「…!何だと?」
「知ってたんだよ。あんたの傷のことも、過去に何があったかも。ルシアとアサザが、もうこいつに話してる」
それでも、と言葉を紡ぐ。
「こいつは、それでもあんたに家を建ててもらいたいって言ったんだ。僕ははっきり言って誰が家を建てようが関係ない。興味ないって割り切ってる。まぁ、他人事だしね。
でも、クローネは違ったよ。あんたに騙されて、傷のことを聞いて、そして過去を聞いて……それを承知で、あんたに家を建ててほしいって言ってるんだ」
「なっ……!?」
ガレットは驚愕に目を見開き、クローネを信じられないといったような表情で見つめる。
クローネは先程と同じようにまっすぐな瞳でガレットを見据え、必死に訴えかける。言葉の一つ一つを、ガレットに届けるために。
「ガレットはさ、本当に大工の仕事が好きだったんでしょ?ルシアやアサザも言ってたんだ。兄貴はこの仕事に誇りを持ってたんだ、って。
だから、それだけ大好きだった仕事ができなくなって…苦しくて無理矢理諦めようとして、でも諦めきれないから今こんなに苦しんでる。
大工の仕事が好きだから…どんなに諦めようと頑張っても、諦めきれなかったんだよね?
だったら諦めないで。諦めちゃ、だめなんだよ。今諦めたら…もっと苦しいままだよ」
誰もがクローネの言葉を静かに聞いている。そして、クローネの心からの声に、ガレットは唇を噛み締める。俯いているせいか、その表情は読めない。
クローネはそれに、言葉を紡ぎ続ける。
「それにさ。ルシアとアサザはどうするの?あの二匹は、キミを慕ってる。どんなにガレットがグレようとも、どんなに殴られようとも…いつかまた楽しく仕事ができると信じて…あの二匹はキミについて来てるんだよ。
あの二匹がキミのことをあんなに思っているのに…キミはこんなことをしてていいの?」
もはやガレットは言い返すことすらしなかった。俯き、黙り込んでいる。そのため、その表情も、心情も読めはしない。
不意にガレットは角材を振り上げる。
クローネは一瞬ビクリとしたが、その場を動くことはない。
シェリルも、クローネの隣から動くことはない。
「兄貴!もうやめてください!!」
「兄貴!」
突如飛び出したのはルシアとアサザ。その後ろからゆっくりと嶺緒も出てくる。
ガレットを慌てて止めようとするルシアとアサザの動きを止めたのは嶺緒だった。
「嶺緒!?」
ルシアの抗議の声に嶺緒はただ首を横に振った。
大丈夫だ、とでも言いたげに。
突如ガレットは角材を振り下ろした。
しかし、角材はクローネに当たることなく、すぐ横に振り下ろされていた。
そして地面にへたり込むガレット。その目には、涙が浮かんでいた。
慌てて駆け寄るルシアとアサザを、今度は嶺緒は止めなかった。
「わかってる…わかってるんだ…!こんなことをしてていいわけがねぇって…ただ、逃げてるだけだってわかってんだ…!!
だが…力が入らねぇんだよ!どれだけ頑張ったって力が入らなくて…!
どうしたらいいのかわかんなくなっちまったんだ…!!」
涙と共に、きっとこれが本心だったであろうガレットの言葉が流れ出る。
わからなくて、どんなに頑張りたくても力が入らなくて。本気で作り上げた家を目の前で壊されて。悔しくて仕方なかった。
クローネは小さく微笑み、静かにぽつりと語りだした。
「ガレット。さっき、下手くそな家しか建てられないって言ってたよね?
でもさ…下手くそでもいいんじゃないかな?また上手くなればいいんだよ。
ボクはガレットに家を建ててもらいたいんだ。心がこもってるんだったら、どんなに下手くそだっていい。たとえどんなに立派な家だって、気持ちがこもってないならボクは住みたくない。
ボクは、ガレットが気持ちを込めて作ってくれた家がいいんだ」
だからボク達の家を建ててください。そう締めくくってクローネはぺこりと頭を下げる。精神誠意、心を込めて頼み込む。
その様子をジッと見つめ、次にガレットに視線を移すシェリル。こちらは頭を下げる気はさらさらないようだが。
「…俺からも、頼む。こいつの家を建ててやってくれ」
嶺緒も近寄ってくると、一緒になって頭を下げた。
ルシアとアサザはガレットを見る。
静寂の中、ガレットはぽつりと、クローネの頼みに対して返答した。
「…わかった。家は…家は建ててやる」
「え!ほ、本当に!?」
バッと顔を上げ瞳を輝かせるクローネ。
その言葉に、嶺緒も頭を上げる。
待ち望んでいた返答だっただけに、クローネは思わず聞き返す。
「あぁ…ちゃんと魂を込めて作ってやる。ただ、今は……すまねぇ、泣かせてくれ………」
そして、嗚咽を漏らしながら今度は堪えずに涙を流した。
ルシアとアサザはガレットに駆け寄り、共に大泣きし始めた。
その様子を、クローネと嶺緒は温かく見守り、シェリルは腕を組んでただ黙ったままジッと見つめていた。