ちいさな さくひんたち
ちいさな ひびたち
月曜日、雨と憂鬱
 月曜日。また憂鬱な五日間が始まる。気分が重い。
 おまけに今日は雨降り。足下は悪いし、濡れるし、じめじめしてるし、憂鬱さ倍増。雨の日と月曜日の組み合わせ。なんて最悪。本当嫌になる。
 私は、いつもよりもさらに憂鬱な気持ちで学校へ向かう。
 教室についても、誰ともおはようという言葉を交わさず、荷物を置いたらすぐに文庫本を取り出して読みふける。こうして、無意味なお喋りで満たされる息苦しい空間から少しでも逃れようと、せめてもの抵抗を試みる。それが私の日常。

 間もなく先生が来て、授業が始まる。辛い空間には違いないが、授業という皆が受動的にやらなければいけない物がある分、ずっと楽な時間。授業に集中することで、私は憂鬱さに気を取られないようにする。こうすることによって、学年トップの成績という地位も守っていく。これで頭が悪かったら、私には何にもなくなるから。
 授業が終わり、休み時間はやはり読書や早弁で時間を稼ぐ。今日も私に話しかけてくる者はいない。
 同級生が私に話しかけてくるのは、決まってテスト前。ノートを貸して欲しいという頼み。私はその頼みを受けることによって、いじめのターゲットから外されている。私が成績を気にしているのは、このためだ。
 話しかけられて嫌な思いさせられたり、いじめる側の集団に強引に加えられるより、無視されて初めからいないことにされる方がよっぽど楽。私がクラスで誰とも接しようとしないのは、そういう理由だ。


 ようやく午前の授業が終わった。私はすぐさま教室を出る。向かうのは図書館と講堂がある別棟だ。
 図書館で読み終わった本を返し新たな本を借りると、私はそのまますぐ隣の講堂へ向かう。講堂の前のロビー、その窓辺にあるテーブルとイス。ここが私のお気に入りの場所。講堂は集会がある時以外人気がない。誰にも干渉されず、他人の目さえも気にする必要がなく、自分の世界に入りこめる。私には絶好の場所だ。
 ガラスに雨が伝う横で、雨音をBGMに私は本を読み始める。今回借りたのはファンタジーの話。魔法使いの少年が修行のために旅に出て、いろんな騒ぎを起こしたり、解決したりする話。自分の生活してる世界とは全く違う世界。
 本は私を、新しい世界につれていってくれる。ドキドキ、ワクワク、ハラハラ、いろいろな感情を引き出してくれる。時には登場人物に共感し、まるで自分の事のように思うときだってある。普段の息苦しい場所とは違う、楽しい世界で満ちている。だから私は本が大好きだ。
 時には、この世界に行けたらいいなと思う。小説のように、軽口を叩きながらも心から信頼しあい、助け合える友達が欲しいと思うことも。
 でも、そんなこと、現実には無理だろう。私はこの世界で友達を作ることを、もうすっかり諦めていた。


 私がこの私立の女子校に入ったのは、小学校で男子たちにいじめを受けたからだった。あいつらにこれ以上いじめられるのはごめんだ。あいつらのいない女子校に行ってやるんだ。幸い頭は良かったので、難なく受験は成功した。しかし、私はまだこのとき気づいていなかった。女子という生き物は、男子のいない場所では、男子以上に陰湿になることに。
 やはりこの学校でも、いじめは存在していた。だから私はそれに関わるまいと、同級生と関わらないことにした。そして、テスト前に貸しを作ることでいじめのターゲットから外れ、さらに、それ以外は人と関わらないことで、いじめの加害者の側にも回らないことにした。だから私は今、クラスのいじめの現状がどうなっているのか、全くわからない。何もクラスのことについては知らぬ存ぜぬを通すことで、安全を保とうとしているのだ。


 小説の中では、主役の少年はドワーフの少女と出会い、仲良くなり、一緒に食事をとっていた。私もあんな風に仲間と食事ができたら……。でも、あの中じゃきっとそれは叶わぬ事だろう。
 憂鬱な空間。憂鬱な日々。さらに外を見れば憂鬱な雨。
 叶わぬ夢を思い浮かべてしまったせいで、とたんに現実に引き戻され、憂鬱な気持ちがどんどん強くなってくる。

 どうして、こんな醜い世界に生まれてしまったのだろう。小説の中の楽しい世界に生まれればよかったのに……。気がつくと現実を呪い、この世界に生まれてしまったことを恨んでいた。
 そんな時。
 誰かに見られている。そんな気がした。
 せっかくの私だけの場所なのに、誰かに見つかってしまった……!? そうではない、ただの気のせいだ、と心の中で祈りにも似た感情を持ちながら顔を上げると。

 見たことがない生き物がいた。頭に角が生えた、真っ黒なてるてるぼうずといったところか。

 ……何これ。わたしはあまりのことに、しばらくぽかんとしてしまった。
 こんな明らかにフィクションの世界にしかいないような生物が突如として現れたのだ。無理もない。

「夢、だよね……」

 私は、自分の頬をつねってみる。……痛い。
 次に、目の前の黒てるてるに手を伸ばしてみる。さらりとした感触。思ったよりなめらかな肌触りで、心地よい。
 どうなってるんだろう……。
 あまりに現実の世界が嫌だから、幻覚まで感じてしまっているのか。それとも、フィクションの世界に迷い込んでしまったのか。
 あわてて周囲を見てみるけど、その景色はいつもの見慣れたお気に入りの場所、そのままだ。

「あなたは誰……? どこから来たの……?」

 思わず問いかけてみるけど、黒てるてるは、空中をただふわふわ浮いているだけだ。
 いったい、何者なんだろう……?

 しかし、この黒てるてるを見ているうちに、憂鬱だった私の心は、徐々に晴れて穏やかになってきていた。ただ、この時は、まだそのことに気がつく余裕はなかったけど。

 とりあえず、私に危害を加えることはなさそうだ。その敵意のない瞳に、気がつくと私は安心感を覚えていた。
 そんなことを他人に感じるのは、本当に久しぶり。

 そんな中、ふと、黒てるてるの視線の先に、私が手に持っている本があることに気がついた。
「もしかして……、あなたも本好きなの?」
 黒てるてるはこくりとうなずいた。……ような気がした。

「……読んであげようか?」
 黒てるてるは嬉しそうに揺れていた。……ような気がした。

 こうして私は、黒てるてると一緒に、また本の世界に入っていった。
 感情を共有できる誰かと一緒にいるということ。私は、その喜びを、久しぶりに味わっていた。

 どれだけの時間を、私は黒てるてると一緒に過ごしていたのだろうか。とても長かったような気もするし、ほんの一瞬だったような気もする。
 黒てるてると一緒に体感していた魔法使いの少年の世界は、いつもよりも輝いていた気がした。
 それが、この本の作者の力量によるものなのか。それとも、黒てるてるが側にいたからなのか。そんなことはどうでもよくなってしまうくらい、私たちは世界を楽しみ、そして幸せだった。



 そんな私を一気に現実に引き戻したのは、予鈴の音だった。
 その音に驚き、あわてて時計を見ると、午後の授業まで後五分。
「いけない! もうこんな時間!」
 急いで教室に帰ろうとして、そのとき気がついた。
 黒てるてるが、いつの間にかいなくなっていることに。

「消えた……?」
 あの黒てるてるは、忽然と姿を消していた。

 謎だらけだったが、授業に遅れるわけにはいかない。
 私は、速く教室に向かわねばと、走っては行けないとされている廊下を全力で走っていった。
 あまりに急いでいたので、私は憂鬱だった雨がやんで、青空が広がっていたことにも気がつかなかった。



 後になって知ったことだけど、あの黒てるてるは、ポケットモンスターというゲームに登場するモンスターの一匹、カゲボウズらしい。人間の恨みに引き寄せられる特性を持つモンスターだとか。
 もちろん、ポケモンがフィクションだということは私も知っている。だけど、なぜあそこで私が、ポケモンにそんなモンスターがいると言うことすら知らなかった、カゲボウズと出会ったのか。それは未だにわからない。
 本当に存在していたのか、ただの幻だったのか。それすらわからない。

 ただ。
 もし、また憂鬱な気持ちに満ちて、この世に生まれたことを恨んでしまった時。もしかしたらまた会えるんじゃないかなって。
 そして、また一緒に、フィクションの世界へ旅立てるんじゃないかって。

 私は密かに、そんなことを願っている。

レイニー ( 2012/08/31(金) 01:22 )