北風と少年と
「ヒスイ、オーロラビーム!」
疲れが溜まったのか、桃色の花を持つ獣の動きが止まる。琥珀色の瞳が焦ったように、光を放つ。
それを目にした瞬間、相棒は指示を飛ばす。私は瞬時に指示に従い、氷を打ち出す。
「避けるのよ!早く!」
慌てて彼女が指示を飛ばすも、メガニウムは反応できない。怯えたように主を凝視するだけで、避けることすらしない。
少女は舌打ちして、獣を睨みつけそれに応える。
迫りくる氷に気づいてはいても、恐怖で動けないのだろう。それは仕方ないことなのだが…。彼女は分かっているのだろうか。
結局、獣はそのまま崩れ落ち、悔しそうに挑戦者の少女は去っていった。
ーしっかりと捨て台詞を残して。
その端麗な容姿に似合わない態度に、私は思わず不平を漏らす。
怯んだのか彼女は、ボールにメガニウムを戻すと走り去った。
それを億劫そうに見送り、ヒビキは壁にもたれかかる。息が荒く、かなり咳を繰り返している。
私は相手に声をかけた。
<相変わらずヒビキも大変だな>
彼は小さく溜息を吐く。
そして、ボールをもて遊んでいた手を止め、彼女の出て行った方を向いた。
「それは仕方ないさ。まだ俺がチャンピョンになって一年経ってないし。実力があるかなんて俺も自信を持てない」
一種の諦めにも取れる彼らしくない弱音。物憂げな少年に北風の使者は、体を摺り寄せた。
*
それから数日後。
私はいつも通り挑戦者を退け、ヒビキと控室でくつろいでいた。ヒビキの乾いた咳が静寂を乱す。
空調が入りちょうどいい温度で、ついウトウトし始めてしまった。清流の水が欲しいなどととりとめのないことを考えながら。
意識が闇に落ちる寸前、ヒビキの気配が遠ざかる感じがした。
「いい加減にするんだ!ヒビキ君。キミはこの位置から逃げられると思っているのか?それほど簡単じゃないことぐらい知っているだろう」
私は聞きなれない青年の怒鳴り声で、目を覚ました。何があったのだろうと、声のする方へ駆け寄ってみる事にした。
私が部屋に飛び込むと、ヒビキとカイリューを連れたマントの男の姿があった。
言い争っているというよりは、ヒビキが一方的に詰め寄られている。二人の間に強引に割って入る。威嚇の唸り声をあげるも、青年はヒビキから目を離さない。
私と目が合うと青年は少し困ったように苦笑し、ヒビキに声をかける。
「ヒビキ君、感情的になってすまなかった。だけどこの称号を持ち続ける限り、キミは良い意味でも、悪い意味でも注目され続ける。それだけは覚えておくんだ、いいね?」
青年の優しくも厳しい口調に、相棒は不承不承に返事を返した。青年はカイリューを連れて去って行った。
すぐに彼の言ったことの察しはついた。きっと先日の事だろう。まだ引きずっていたのかと、少し呆れた。周りの事など放っておけば良いのに。
また、いつもの咳が混じった妙な呼吸音がした。
心配して声をかけても、相棒の態度は釣れないものだった。
あれだけ望み、渇望していた地位を手に入れたというのに、これ以上何を望むというのか。いったい何を悩んでいるのか、どうして強さに悩む必要があるのだろう。伝説として語られる存在を手元に置けるのは、彼が十分な強さを持っている証明の他にはならないのに。私には、どうしても相棒の気持ちを理解することができなかった。
今までの主の中に、人の上に立つことを望む者がいなかったからかもしれない。何もかも手に入れて満足していると思っていたから、私はヒビキを不思議に思った。
半ば逃げかえるように、ワカバタウンに戻った日。私は主に疑問をぶつけてみた。不自然なほど咳を繰り返す少年を、心配しながらゆっくりと切り出す。
<これ以上望むのは、罰が当たるのではないか?ヒビキ>
思いを言葉にすると、彼は一瞬顔をゆがめた。しかし、彼はすぐに冷静さを取り戻し、私に答える。
「そうかもな。ヒスイ、お前との契約って破棄出来るか?」
悲しそうに笑って彼は言った。いつも通りの笑顔で、心を抉る言葉を紡ぐ。それが昔の主と重なって見えた。
その時は確か戦乱の最中で、契約を交わしたときは火の海と化した村で悲しげに微笑んでいた。そして一年も経たないうちに、戦乱に巻き込まれ、最期は笑顔で同じことをしたのだった。
衝撃と同時に妙な確信を持った。きっとこの少年はもう長くないのだろうと。
よく考えれば、思い当たる節はたくさんあった。
彼が自分であまり走らないのも、この地位を誰かに譲ろうとしていることさえ。
<そんなこと出来ない。一度契約を結んでしまえば、破棄することはできない>
少しの真実を含む嘘をついた。結んだばかりの契約は破棄できないが、人やポケモンが望むならいつでも契約は無効にできる。相手と共に過ごし、ポケモンは相手を守り、人は相手に親愛を誓う。一生続く場合もあるが、大抵はそうはならない。どうせなら彼らの一生を見守りたい。いつまで続くかは分からないが・・・。
そんな時、ヒビキと私宛に一通の手紙が届いた。相手はライコウからだった。それは、初めて主を持ち、契約を交わした喜びにあふれていた。私は妬ましく思った。きっとライコウは私よりも長く少女といられるだろう。
ヒビキは後、どれだけこうしていられるか分からない。いつ動けなくなるかも分からないし、過ごせる時間も何倍も短い。少年を見つめながら、ヒスイは手紙をゴミ箱に投げ入れた。ヒビキは私に手紙を見せると、笑顔で言った。
「ヒスイ、ランセのハジメの国へいくぞ」
そうして私はランセへといくことになった。ランセ地方は自然が美しく、空気もきれいなため療養には適していた。
紫音と名乗る少女は意外にもヒビキと同じ歳で、とても感じのよい印象を受けた。古風で気まじめすぎるところがあり、ヒビキとは正反対な性格をしていた。しかし、警戒心の強いライコウをどうやって、こんなか弱そうな少女が従えたのか、良く分からなかった。
ライコウ曰く拾ったらしいが、どうやって少女を看病したのか気になった。
それから私たちはハジメやイズミ、アオバなどランセ全体を観光した。
なかなか興味深い伝説や、バトルスタイルなどたくさんのことを知れて、ヒビキは嬉しがっていた。顔色もよく、このままずっと一緒に過ごせると思っていたのに…。
その夜、ヒビキは息を引き取った。僅か16年の人生を見知らぬ土地で終えてしまうのに、とても満足げで最期は穏やかだった。
それから、私は紫音やライコウと共に彼をジョウトへ連れ帰った。身寄りのないヒビキには、出迎えてくれる両親はいない。親せきすらどこにいるかも知らずに育ったという。それでも通夜には、彼を偲ぶ友人やジムリーダー、ミナキ、彼の後を引き継いでチャンピョンに戻ったワタル、頂点とよばれし、レッドなど私もよくわからないメンバーがたくさん訪れたという。
それは全てコトネから教わったことだ。コトネはいつも、マリルリを連れては、私のもとへやって来ていた少女だ。
鬱陶しいミナキを追い払ってくれたり、旅の途中で倒れたヒビキを介抱してくれたりした少女。
それから、2年がたって―。
ヒビキの孤独を埋めてくれた少女、私は今いる。彼女は、ヒビキの夢を受け継いで守ってくれているから。