Phase 49 Team Snatcher
タマムシシティには、疑心による人だかりが形成されていた。
「スナッチャー反対」
「犯罪組織が国家を護れるのか」
「国家の傀儡は引っ込め」
「プラズマ団残党は抵抗をやめ、速やかに獄へ入れ」
罵詈雑言も人数あれば豊かになる。スナッチャーが国際問題化に取り沙汰される中、それだけの語彙が無駄使いされた。プラカードを掲げ、マイクやスピーカーで演説を行う。デモ活動はタマムシのポケモン協会本部を中心に取り囲む形で実施された。都市圏の規模から数千人もの参加者が集まり、瞬く間に集団は膨れ上がる。暴動に発展する可能性を危惧し、地元警察から国際警察までもが出動する事態となった。
「スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対!スナッチャー反対! スナッチャー反対!」
甲板に出て、まずホオズキとアクロマが驚かされたのは、圧倒的な反対派の数だった。
「全員がアンチスナッチャーとは限らないでしょう。世論に扇動されただけの者、祭りに乗じる者、思惑は違う」
「だからといって、これがおれたちのやってきた結果なのか、司令官」
見返りなど、はなから求めてはいなかった。しかし。
「おれは妻子を助けようとしただけだ。それは悪いことだったのか」
「弱気になってはいけません」
「なら、この群衆をどうする」
「スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対! スナッチャー反対!」
報道ヘリが上空を席捲した。格好の獲物を見つけた恍惚をたいらげながら、スナッチャーの最期を嘲弄しに。
ヘリにはテレビ局の人間が大挙する。
「中継して」
パキラの合図を拍子に、カントーは勿論、シンオウ〜ホウエン圏内に至るまでデモ中継が生放送される。声音は表情筋が下がると同時に下がりやすいため、テレビ用の声帯へと瞬時に加工した。
『まさに、チーム・スナッチャー最大の危機でしょう。彼らは組織再結成を目前にして、組織を逆に壊滅させるのです』
アクロマは報道ヘリ陣を見上げる。その背中から表情は窺い知れない。ただ、自分が生涯で唯一根っからの信心を抱いた可能性が人の悪性によって蹂躙される様は、哀愁を抱かせるのだった。
「スレート、エクリュ」
「はっ」
「我々は、恥じる行いをしましたか」
「いいえ」
「プラズマ団に所属したことは無論、罪でしょう。しかし、今の我々は何も恥じる必要などありません。スナッチャーの理想と真実を訴え、その上で民意に問いましょう」
司令官だけを矢面に立たせるわけにいかない。腹心として。死ぬ時は諸共に。二人のしもべは集中砲火を浴びに出た。
パキラが早速、目ざとく報じる。
『おや? スナッチャーの構成員でしょうか。何かを証言しようとしているようです』
「チーム・スナッチャー、オペレーターのスレートとエクリュです。皆さんにお話ししたいことがあります」
少し逡巡し、エクリュと目配せする。
「我々は、スナッチャーを奪われました。結成寸前のところで、内通者によってチームの指揮権限を放棄するよう迫られ、それ以降チームに関わることは一切出来ませんでした。しかし、他でもない三人の構成員が真相を突き止めてくれたおかげで、我々はスナッチャーの一員として今ここに立つことが出来ています」
限りなくリアリティを含ませ伝えようとする彼らの姿勢と、どれだけ訴えを響かせられるかはまた別だ。騒音にかき消されてしまうほどの頼りないものだった。
「波導使いとポケモンレンジャーは石に換えられた!」
デモの一群からは合いの手ならぬ反発があちこちから湧き出す。
「スナッチャーはもう終わりだああ!」
錯乱した者の悲観は周囲を諦観に落とし込む。スナッチャーを公平な視点で天秤にかけていた者たちをも同調勢力に取り込もうとする。
「あいつら……」
実際にそんなこと出来る勇気は無い。だが、モンスターボールに手をかけ、民衆を武力で制圧したいという狂暴性が影を覗かせる。そっと。自分と体温の異なる、柔らかながら芯を持った手が抑え込んだ。
「気持ちは分かる。でも、やめて」
筆舌しがたい悪路を通い詰め今の埠頭に漕ぎ着けたかを知らない者に、好き勝手を言われて、何が分かると叫びたくなる気持ちはこの場にいる誰もが所有する連帯感だ。
「ここで選択を間違えれば、わたしたちはきっとまたバラバラになる」
それこそ背信行為であり、ネオロケット団の思う壺。スレートは歯を食い縛る。
カメラは二人を捉えて離さない。呼びかける行為をやめたら負ける気がした。
「皆さん、聴いてください。わたしたちは石化現象からの生還者です」
「だったら二人を出せ!」
「そんな」
「出せないのか!?」
聴く耳を持ってくれない。
「彼らは言うなれば撒き餌です。スナッチャーが不利になるよう証言しろと雇われているのでしょう。ここで我々が手出しすれば、一巻の終わりです」
では泣き寝入りしろというのか。どうしようもない八方塞がりが、みるみる彼らの士気を低下させていく。
「ヒイラギさんとイトハさんは戻ってくるでしょうか……」
こればかりはもはや彼らの意思次第だった。
「おれは、来る方に賭けるぜ」
スナッチャーの中で、付き合いの長い壮年だけが、若人の胆力を信じている。
変わり映えしないデモに変化が生じたのは、報道が開始されてから数時間後が経過してからのことだった。
扇動者らに向け、暴徒と化したポケモンたちが放り込まれる。デモのバリケードが一気に崩壊し統制を失った。警察の放つウインディやパルスワンたちも、薬を打ったように気性を荒げるポケモンたちの鎮圧には困難を極めた。
チーム・スナッチャーは二人の人員を欠いた状態で、任務開始を試みた。アンチテーゼのグループが襲撃の対象でも関係ない。どれだけ弾劾され、この暴動自体が仕組まれた罠であっても動くべき時は今だ。彼らは救世主ではない。手を差し伸べるに足らないと個人的感情で跳ね付けたくなる矮小な人間までも、護らなければならない。それが「世界のために戦う」という大義の正体なのだから。
『ミッション発令。タマムシシティの騒動を鎮圧し、市民を保護せよ。スタートします、ホオズキ。準備はよろしいですね』
「ああ、いつでも」
ホオズキは、分身のごとく馴染んだ黒鉄の銃と、黒翼の相棒を撫で、散り行く人気の波を掻き分けるため足慣らしする。
上空をさっと横切る翼竜が、口腔から迸る火炎放射に民間人を巻き込むことなく、正確無比に暴走ポケモンだけを狙う。
尾に噛み付くクチートを振り下ろすだけでコンクリートに埋め込むと人波がまばらに散った。「もう一方の」尻尾に飲み込まれかけた扇動者は、飛び降りた戦士を見て、腕を噛み砕かれるのと鼻の骨を折られるのとどちらがお望みか極限の選択を迫られている気がした。伽藍洞となったサークルに視線が注がれる。
「ゆ、許してくれ!」
しかし、かけられた言葉は全く予想だにしないもので。
「怪我は無いか」
ネオロケット団の支援者を名乗る人物に弱みを握られ、出来るだけ騒ぎを大きくしろ、と札束を握らされた。その結果が使い捨てだ。懲役何年の収監の方がましな仕打ちに、性質の悪さをおぼえる。この回りくどくも心を疲弊させる周到なやり口に、扇動者を助けた青年は既視感があった。
青年とバディを組む女性は、眉をひそめた。これまでの彼は、路上で涙する子どもにさえ飴と鞭を使い分けず厳しい現実を突き付けてしかるべきと考えそうな、甘い態度の通用しない人間だった。お世辞にも優しいとは言えないその男を、だがその女性は心に留まり離れない存在として認めるようになった。なお彼の中で記憶として生き続けるアーロンという人物に遭ったことが、真に敬われる人格を備えた波導使いに近付けたのだろうか。
「あんた、おれを助けてくれるのか。ありがとうな。ありがとうな……」
ヒイラギは頷く。
スレートは舞い戻った波導使いに、勇者の貫禄を垣間見た。彼は自分が認めずとも、もうその域に達するための資格を得たのかもしれない。彼は勇者だ、と呟いた。
『石化したと報じられていたはずの波導使いヒイラギと、トップレンジャーのイトハが生還を果たした模様です。狂暴化したポケモンたちから群衆を護ろうとしています』
惑星のごく一部、しかし、惑星の歴史を大きく揺り動かしてきた国家の数々が、この中継に注目する。
マルバはモニターから、スナッチャーが息の根を止める瞬間を。
サカキは、きっとどこかで黒衣に身を潜ませながら、ペルシアンと共に中継を目にしているに違いない。
ホオズキ一家を案じるセッカ市民もまた、ハチクのジムへと集う。
ホドモエシティでは、七賢人ロットが帽子を置き、祈りをささげた。
シルフカンパニーの面々は、どうかスナッチャーが救われますようにと、固唾をのんで見守る。
キナギタウンのテレビでは、スナッチャーに向けられる視線は厳しい。
オーキド博士は資料を持ち運びながら、同時に友を案じ、テレビから目を離さない。
レンジャーユニオンの上層部は、彼らが何を語るのか、高みの見物を決め込む。
政府の重役も着々と集まりつつある。
そして――。
「ダイゴ、急げ。もう始まっているぞ」
上着を肩に担ぎ、会議室にやって来る御曹司がいた。扉を開けた瞬間だけは全体に会釈し、次には画面へと視線を戻す。デボンコーポレーションの次期社長候補たる跡取りにして、元ホウエン地方チャンピオン『ツワブキ・ダイゴ』は、その場で父に問うた。
「彼らが……」
「そう、チーム・スナッチャーだ」
ダイゴは、スナッチャーの面々を食い入るように見つめる。その瞳にどんな想いを映すのかは、まだ語るには早い。
「「ホオズキ!」」
ヒイラギとイトハが、三人目の降り立つポジションを予め空席にして待っている。
此処に来るまで、色々なことがあった。
特筆すべきは、スナッチャーのチームワークの悪さだろう。個々の実力は申し分ない。戦士として必要な素養を備えたからこそ、招聘に与った。しかし、自分に欠けた半身を埋め合わせようとするかのように激しく渇望する彼らは、互いを羨み。時に蔑み。激突を介して、並行する等価値の人生を送ってきたことを認め合った。
ドンカラスの爪が自然と肩から離れ、送り出されるような落下速度でタイルを踏む。
「波導は我らに在り!!」
ヒイラギの号令がポケモンたちの咆哮に負けじと戦闘開始を告げた。
「話はあとだ。スレート、エクリュ。オペレートを頼む」
否応なしにホオズキから渡されるインカムを装着すると、たちまち聞き覚えのある声がごく当たり前に呼びかけてきた。
『ヒイラギさん、波導は見えますね』
色素の残骸が溶け残り扁平になったことで透明に映る、美醜醸し出すオーラの立ち昇る様子を告げた。
男女の声が代わる代わる、取りこぼしなく説明を始めるものだから、ヒイラギとイトハは呆気に取られていた。
『恐らく不可視のオーラですが、波導使いには判別可能なものです』
「なんだ、この波導は」
『ヒイラギ、説明出来ますか』
「アクロマ。……そういうことか」
常人の数倍は頭の回転が速い彼は、アクロマが本来いるべき司令塔を跳ね除けて前線に立っていることから、おおよその事情を推し測った。
「いや、おれはこんな波導を知らない。波導が『あるのにない』」
「あるのに、ない?」
「波導自体は存在するが、色が視えない。だから、敵の正体も、今何を考えているかも、掴みようがない」
「『ダークポケモン』……本格的に動員を開始したというわけですか。我々を公衆の面前で敗北させることで、スナッチャーの社会的信用を失墜させるつもりですね」
イトハと背中合わせに、クリアなオーラを放ち迫る毒牙の切っ先を格闘術でいなす。
「気を付けろ、これまでとは違う」
火炎放射とポイズンテールと銃撃とを縫って走らせたラインが、虚しく霧散した。
「嘘、でしょ……ッ!?」
「またか……」
焦るヒイラギ、イトハのパニックを案じる。彼女は敵のスケールが一段階上に切り替わったことにまだ追い付けていない。今までと同じ戦い方では通用しないのだ。
テレビ越し、ダイゴの眼が厳しく研ぎ澄まされた。
「ヒイラギ、イトハ、平常心を保つんだ。ミュウツーと同じだ。奴等はおれたちをいつも対策してきている。戦略が未知のものでも、焦ることはない」
マルバ戦の衝撃と余波を受け、まだ若干硬さの残っていた動きが、ホオズキの言葉にほぐされ徐々に柔軟性を取り戻していく。
「助かる」
「おれたちは同じ戦場に立ってきたんだ。離れていた時も、一緒だった」
「ああ」
直接顔を見ずに言うホオズキの方をあえて見つつ、ヒイラギは口端を緩める。
『こちらで分析します。キャプチャ出来ない……いや、出来ないというよりも、出来るように心が開かれていない。ポケモンとしての生命反応及び頭脳、思考、本能それら全てを捨て去り、戦闘のみに特化していると考えられます。敵を戦闘不能にするという一点において徹底されたパラメータです』
「まるで兵士だな……」
ヒイラギはナゲキの柔道着を掴み、大外刈りを決める。人々はその軌道を見切れず、そしてこれほどの戦士が身を隠しながら戦っていた事実を初めて知る。
波導使いの運命を皮肉るかのようだ。使い捨てのポケモンたちを目の当たりにし、自分が何のために戦ってきたのか、ようやくその真価が掴み始めてきた。
『なるほど、完全なる拒絶ですか。以前、マルバとヒイラギは波導を介して戦った。その時、正負のエネルギーの如く、衝撃が起こったようですね。とすれば、波導とキャプチャの効果を組み合わせて、ポケモンの心を開くことは出来ませんか』
船内記録を参照するアクロマの思ってもみない提案に、ヒイラギとイトハは顔を見合わせる。しかし、今は四の五の言うよりも活路を開くことだけ考えるべきだ。
「キャプチャラインに波導を送り込む」
即断するのはやはりこの男だった。
彼は形見のグローブをいとも容易く外し宙に放った。後方宙返りを決めながらキャッチするパートナーとすれ違い様、最小限の動きだけで伝達を行う。スタミナを下手に浪費しないための工夫だ。
「イトハ、おれのグローブを使え。それは波導を滞留させるための装置でもある。おれが送り込んだ波導を少しでもスタイラーに認識させるんだ」
「了解」
スナッチャーが立ち止まりながら作戦会議を交わすことはまず無い。だからインカムで逐一戦況と思考を共有する。彼らは躍動する肉体と変遷する状況の中で常に最適解を導き出す。いつもと変わらない、ミッション遂行の日常風景。いつもと違うのは、スナッチャーを見守るギャラリーが、ポケモン協会の重鎮含め数多いるということ。
イトハは腰部の収納ポーチから予備のディスクを取り出し装着する過程を、洗練された腕の動きで無駄なく行った。
対象――タマムシシティ協会周辺全域。
「キャプチャ・オン」
発砲が同時に響き、民衆の注視がそちらへと向かう。獰猛な獣たちは黒装束の男が音の主と分かるや、一斉に突撃した。
はらはらと、舞い散る羽毛。「戦闘」を第一定義付けられた思考停止のモンスターに効果覿面の陽動だった。ホオズキはキャプチャを成功させるべく、自らを囮にポケモンたちを引き寄せ、フェザーダンスでの目くらましを行ってみせた。同じ標的を目指したポケモンたちは食い合い、衝突する。
その中から軍勢を抜け出し、デルビルが突き立てる炎の牙は、イトハの装着するスタイラーへと向かう。
「イトハさん!」
「イトハ、避けろ!」
民衆からも息を呑む様子と悲鳴がこだまする。身を逸らす。せいぜい皮膚の許容度を超えた炎熱が迸り、制服を焦がされるだけで済んだのは僥倖だった。咄嗟に反応したボーマンダが上空に連れ去り、急降下からタイルに埋め込み、事なきを得る。
有象無象のポケモン軍団の中で明確な敵意を持った動きは、何者かがダークポケモンへと真の注意を逸らせ、その隙にレンジャーの無力化を図ろうとした事実を物語る。しかしその見えない敵を明らかにする暇はない。イトハは後方支援に回る波導使いにバトンを託した。
「スタイラーの付け方は分かる?」
それ自体は見よう見まねでなんとかなった。グローブがレンジャーに渡り、スタイラーが波導使いの腕に装着される。ちぐはぐな気がしたが、イトハはこの場で武器の交換が最善だとふんだ。発想を転換すれば、何も「独りでキャプチャする」固定観念に捕らわれる必要性は薄い。注意を分散させることは被害を分散させることに繋がる。
「おれにキャプチャの遂行は無理だ」
「サーナイトのテレパシーで思考を繋ぎ、ヒイラギに動きを伝播させます。彼の肉体強度ならわたしの思い描く光の軌跡に着いてこられる」
『後がありません。その作戦で行きましょう』
民衆はスナッチャーよりも遥かに諦めが早く、現に敗北感を隠さない。彼らの僅か一ミリの光明から勝算を編み出してきた執念深さを、まだ知らないでいる。
ヒイラギはキャプチャ・スタイラーに波導を込め、縦に構える。十字を描くように振り切り駒を撃ち放った。瞬時、膨大な反動に弾き飛ばされる。肩が外れるようなその痛みを代償に、今までイトハがどれだけ優れたキャプチャをしていたか把握出来た。
「頼むホオズキッ!」
『任せろ』
針が突き刺さり、ディスクの通り道を敷く。ポケモンたちが逃げ惑い、ボーマンダとドンカラスの旋回が一層恐怖を煽る。
サーナイトの襞が劇場型演出のように広がり、同サークル上に立つイトハとヒイラギの思考が共有されていく。
『準備は良い?』
「……いつでも」
強がりが透けて見えた。でもこの戦士は必ず立ち上がり、何より妥協を嫌うから。
『先に行くよ』
二人が一心同体になり、おのずとスローモーションでお互いが操られる。イトハが腕を振るうと、ヒイラギが誤差無くその通りに動かす。
『チェインを無理に繋げようとしなくてもいい』
彼女の指示が反響する。彼女のイメージが流れ込んでくる……。波導の眼は曇りなく、点と点を線に繋げた。
――「足引っ張り合って、貸し借りなしで……。多分あんたとわたしは、苦しみながら生きてる。だから、半分にしよう」
――「イトハ、おれのパートナーになってくれ。慰め、支えてくれ。この戦いをふたりで潜り抜けるために」
ヒイラギはグローブを外し、右手を差し出す。
「やっと、聴きたかった言葉が聴けた。一緒に戦おう。どんなときでも、わたしが付いてる」
『ダークポケモン、オーラ濃度減少。100%からの低下を確認しています……』
スタイラーと遠隔で連動するセンサーはイトハの耳につけられたピアス型だ。キャプチャの精神負荷は変わらずイトハに向かう。肝心の作業に専念しながら、ヒイラギは彼女のグローブに波導を送り込む。その蒼き誇り高きエネルギーがイトハをダークオーラの集中砲火から救い上げる。
一人では戦えなかった。
一人では成し得なかった。
だからこのキャプチャには、「二人分」の想いを込める。
タマムシシティの蒼穹を覆う、巨大なキャプチャ・ラインが結ばれた。
『リライブキャプチャ……フェイズ完遂。ダークポケモンが以前のポケモン反応に戻っていきます。リライブ成功、成功です!』
司令部は作戦成功を祝し、湧き上がった。
ヒイラギの波導がマルバの波導と類似した性質のオーラを除去し、キャプチャの効力と伴い戦闘意欲を削ぎ、従来のポケモンらしさへと回帰させることを手伝った。キャプチャによりポケモンたちが沈静化したのちは、スナッチプロセスを完了するのみ。
スナッチャーは見事、戦闘マシーンと化したポケモンたちをその宿命から「解」き「放」ち、組織の存在意義を完全証明してみせたのだ。
彼らの周りには大量のプレシャスボールと、歴史の分岐点を目撃した者たちが立ち尽くす。無機質なアナウンスが無感動に報せ、その事実は瞬く間に世界へと知れ渡った。
『チーム・スナッチャー、騒動を鎮圧しました。負傷者を未然に防ぎ、放たれたポケモンたちを捕獲しました』
「……やりましたね」
オペレートを終了しハイタッチで喜びを分かち合うスレートやエクリュの剥き出しな感情に比べると、アクロマは静かなる感傷にひとり浸っていた。
「わたくしがこのチームを結成して成し遂げたかったことのひとつが、今叶いました。これこそがチーム・スナッチャーです」
ダイゴは生中継を見終えるや否や、荷物をまとめだす。
「親父、すぐにスナッチャーとのコンタクトを取り付けてくれ」
「交渉材料は用意済みだな」
「ああ」
フリゲートから降り立ち、直々に迎えに来る。アクロマが司令官としてヒイラギとの対話に臨むのはこれが初めてだ。
「率直に言って、今のおれは戦力外だ。代わりの波導使いを手配した方が、これからの任務に差し障りが無い程度にはな。……何故、おれを引き入れた?」
その答えを待っているのは、ヒイラギだけではない。ミッションをクリアしておきながら、未だ自分の必要性を問う疑り深さも事前にサーチしていた通りの人柄だ。
アクロマはため息をつき、滔々と語り出した。
「プラズマ団を束ねていた頃……。ポケモンの能力を最大限引き出す方法は、力こそが最適だと思い込んでいた。しかし、そんな中、この艦内でわたくしに立ちはだかったトレーナーがいました。トウヤ、という少年です」
「トウヤ……。Nと雌雄を決した、あのトウヤか」
「その通り。トウヤはNを捜していた。そして、ポケモンと人間が分け隔てなく暮らせる理想郷をも求めていた。わたくしはトウヤとバトルする内に、彼が背負わされた宿命や、彼自身の人となりを理解していった。それ以前にも、イッシュを旅する彼とは何度も出会い、話をした。彼とポケモンの関係は強固でした。一度引き離されそうになったことが、より繋がりを強くしたのでしょうね。そんな心の持ち主でなければ、Nも変われなかったでしょう。それから、わたくしはポケモンと人間の関係に興味を持ってきた。アプローチの方法が変われば、研究内容も変わるのは必然。そして、それは人間同士でも同じことです。ヒイラギ、あなたはプラズマ団の任務でダークトリニティと交戦しましたね」
「ああ」
イッシュ派遣時、P2ラボの人工ポケモン調査任務では、国際警察と共にプラズマ団の重鎮と交戦する機会を得た。
「わたくしの所業を許すまいとする、その悪を断じて許さない姿勢、そしてポケモンと結び合わせる心の力に、わたくしはいたく関心を惹かれましてね。あなた自身に、お願いしたい」
命令ではなく言葉による依頼をもって、対等な目線で並ぶ。
「このチームに一人も代わりはいませんよ。エクリュにスレート。わたくし。ホオズキ、イトハ、ヒイラギ……最初から、この六人でネオロケット団を倒すと決めていました」
「そんなことを言われたのは、初めてだ」
アクロマはヒイラギが波導使いだから選んだのではなく、彼に単なる一兵卒以上の価値を見出している。波導は疑いようもなく純真無垢な期待で手招いていた。
うっすらと浮かべそうになる笑みさえ許さず、厳しさを己に課し、表情を切り替える。
「だが、おれたちは善行を為すわけではない」
「そうです。我々は」
「「『必要悪』の組織」」
二人が思い描く組織像は見事に一致する。
「分かっているようだな。なら、異論は無い」
ぱらぱらと、拍手が巻き起こる。それはひとつひとつはとてもか細い音に過ぎないが、集まればより大きい波に、うねりになる。
アクロマは群集心理を利用し、盛大にアピールした。
「以上で揃いましたね。随分と紆余曲折ありましたが、それも意味のある回り道だったと皆さんの顔つきを見れば分かります。これまでの戦いにおいて、我々は運命共同体でした。汚泥を啜っても這い上がる覚悟が、あなたがたにはある。ならば、勝った者が正義です。そう、最後に勝てばよろしい。我々は、最後に、必ず勝つ。これをチーム・スナッチャーの矜持と致しましょう」
一同、敬礼。
反対派を封殺するほどの拍手が鳴り響く。
「……これまでね」
「パキラ様、中継は」
「流しておけばいいわ、この完全勝利を。アナウンサーは交代させなさい」
「しかし」
「見なさい」
群衆は、パキラがアナウンサーを続けるかどうかなど気にも留めていない。
今、正式に世論の肯定を経て活動を認可された暗部組織が、光と、拍手喝采を、同時に浴びる世紀の瞬間に酔いしれている。
「世論はスナッチャーに味方している。彼らの行いが世間の目を通し、再度審判にかけられ、その結果見直されようとしている。同時に、存在を暴かれたのは我々も同じこと。ネオロケット団への追及はこれから厳しいものとなるでしょう。内通者によるごまかしももう効かない。そして、石化からも彼らは生還した。今回で言えばレンジャーの妨害も無駄に終わったわね」
もはやスナッチャーは天下無敵の組織、ネオロケット団の手に負えない怪物に育った。しかし、新生悪意を束ねるマルバは、彼らを最後に必ず絶望させるというのだ。パキラにはその方途が甚だ疑問だった。
「マルバはどうするつもりなのかしら?」
言葉を失うパキラの配下もまた、ネオロケット団側の工作員である。
「……でも、ここまでくると、憎すぎてむしろ好きよ」
恍惚に浸るような、空気に似つかわしくない嬌声が漏れた。その時、怪物はこちら側にもいたことをその配下は思い知る。
協会周辺を見渡すヒイラギ、イトハ、ホオズキは、感じたこともなく、自分には不釣り合いだと思い続けてきた光景に、ただただ呆然とする。
民衆の称賛は言ってしまえば、掌返しでもある。スナッチャーがダークポケモンのキャプチャに成功し、騒動を鎮圧したからこそ彼らは信頼に足る組織だと認識を改めた。人間とはつくづく、都合の良いように出来ている。だが、人の生の声は、ヒイラギたちを肯定し、今日までの全てが間違った道ではなかったのだと強く声援を送る。
「ヒイラギ、おまえって奴は本当に……」
ホオズキが一言申したそうだ。説教か、はたまた。
「よくやった!」
思いっきり褒めた。まるでイチジクがテストで100点を取ったようなノリだ。
「どっちだ」
ヒイラギは反応に困り、苦笑する。
「あ、笑った」
「おれだって笑うことはある」
ホオズキとイトハは、しみじみとヒイラギをからかい、面白がるように遊ぶ。なんとも不思議で独特な感覚であった。
「あんたさ、これまでの任務がわたしたちの結びつきを強くした、ってマルバに啖呵切ったけど……。それって、本当にそうかもね」
スナッチャーは一癖も二癖もあって、内通者関係無しにヒイラギ・イトハ・ホオズキが分かり合うまでには、必ず避けて通れない亀裂があっただろう。しかし、アクロマの言うように、今はこの二人以外のチームメイトは考えられない。司令官の審美眼は、最終的に正しかったというわけだ。
「戦いを美化するつもりは無い。失ったものもたくさんある」
割れたメガストーン、奪われた相棒――。戦いの果てに失われた命の数は、両の指で数えるには到底足りない。
「だが……」
ホオズキとふと、目が合う。
「いつか取り戻す……きっと」
ホオズキは甲板から中心街を見下ろす。この声援が止む気配は一向に無い。
「負けられないな」
「ああ」
チーム・スナッチャーは少しの世界を味方につけた。この場で味わう高揚感は何処に行っても通用するものではないし、もしかすると、彼らの味方は今後現れないかもしれない。
それでも、充分な声援だった。
波導の勇者になるかどうかよりも、大切なことがここにはあった。
強奪者のヒイラギとして名を与えられたからには、戦い抜く。例え、この身がいつか朽ち果て、波導と共に斃れても。
ヒイラギは、いつまでもこの光景を目に焼き付けていた。船が飛び立つまで、いつまでも、ずっと。
▽ The chapter of Team Snatcher is complete. Thank you for reading!