Phase 43 悪党の流儀
船が縦に傾くという経験に立ち会う者は類稀なるレベルの話だろう。斜面を削り、ずり落ちていく船から、身を投げ出されないように努める、無理難題極まる落下が敗者を襲った。
銃身から先端の見え隠れする針を支柱に固定することで吊り手のせめてもの代わり、にはならず、耐久強度を越えて呆気なく折れてしまう。
船は九十度の許容ラインを越え、逆上がりするようにゆっくりゆっくり反り返る。
雑木林が土ごと抉り取られ、支柱と重量比べをした次にはもう景色が移ろっている。大量に波打つ土砂が覆いかぶさり、船体をコーティングする。
フリゲートは、もはやリフトを登り切った先から、ストックなしに滑り降りるという無謀を犯したばかりに、スキー板に引っ張られ、山脈の恐ろしさを好きなだけ肌身に植え付けられゆくだけの熟練者と成り果てていた。
「ドンカラス、頼む……ッ」
ホオズキは幹にしがみつき、葉と枝が密集する隙間から、手持ちを送り出す。
操縦席に取り残されたスレートは、けたたましい上擦り声、それがシロガネから行方を眩ませた野生ポケモンではなく、聴き慣れたものであることに気付いた。
嘴の上を首筋裏に引っ掛け、襟元を啄み、苦しそうに持ち上げて帰って来る。
ホオズキは予測不能の滑走法をとる甲板で足を踏み、ドンカラスに向かって腕を伸ばす。ギチ、とはまる爪の痕。目元をしかめ、人間二人分の重量に引きずり降ろされていく。フリゲート内部にあのまま居座るよりは余程マシな惨状といえた。
背部には水没したプラズマフリゲート、傍らには意識不明の支援者。
ドンカラスをよくやったと心底から労う。ピントレンズに付いた泥を払ってやる。
「おい、大丈夫か」
静謐な水音が、此処は先刻までの死闘に何ら関係ないとゾーニングしていた。
チロチロと流れるのは清水か。荒れ果てた鼓動を少しでも落ち着けてくれる作用があるのなら、心の隙間に流れ落ちるよう歓迎したかった。
スレートはポケモンの攻撃を生身で受けるような人間だ。しぶとく生きているだろうと、親指と中指を、瞼の表皮にあてる。
「ホオズキ、……さん」
「よかった」
一連の出来事を共に協議する暇はない。
マルバはスナッチャー侵攻に向けて、ネオロケット団が動き出すことを示唆した。
通信は当然、本部側からは遮断されている。いずれ今にも似た状況が訪れることを予期していたように宣言する。
「おれを本部に送れ。アクロマと妻子を……救出する」
「先程より過酷な戦いになるかもしれないんですよ?」
本当に行くのかと念を押す。体制を立て直してからでも、と舌を震わせる寸前まで出かかったところで、現実離れした提案しか出来ない浅慮を恥じた。
スレートは、一部始終を見ていたわけではない。フリゲートで駆け付けた頃には、既に事は終わっていた。大切な者を失うのは二度目だった。
ホオズキの前で事象を改めて現実と確定することに躊躇うも、スレートの葛藤自体は彼のためにならない。始めなければ。
「ヒイラギさんとイトハさんは……もう」
ホオズキは頷いた。
なんて、強い人だろう。
「戦えるのはあなただけです」
スナッチャーは本来、三人で役割分担を行うことでミッションを遂行する。その負担が全てホオズキに回る。誰もカバーには入らない。彼は単身ミッションに挑み、ヒイラギやイトハでも倒せなかった敵を独りで相手にする。
「あいつらはさ、やり方が賢かったかどうかはともかく、正しいと思うことをした。あの二人が動かなければ、組織を今の形にすることは出来なかった」
スナッチャーを支えてきた両雄は、戦いの果てに石となった。ヒイラギは常に言っていた、「戦える者が戦うべきだ」と。
若者は本当によく頑張った。ここからは、大人が意地を見せる番だ。
「だから、今度は残った奴が戦うのさ」
ホオズキはさらりと口端を緩めた。特別励まそうと意識したわけでもなく、自然な綻びのままに。
たった一人で、三人分を戦うつもりなのか、この人は。
彼の覚悟をつくづく下に見ていたと、思い知る。
「エクリュもお願いします。サントアンヌの、同胞です」
スレートと共に豪華客船に潜伏し、内通者ジュノーを告発しようとした結果、深い眠りに陥った勇気ある戦士の名を呼んだ。
ホオズキはサント・アンヌ号で、一瞬だが彼女を見かけている。ヒイラギが助けたプラズマ団を、今度はホオズキが助け出す。
「任せろ」
「座標値を指定して転送します」
「出来るのか」
ホオズキとスレートは、水没したフリゲートの機能がまだ全部は死んでいないことを指さし確認しながら、司令室まで戻る。さすが、海底神殿の底に沈められても生きていた戦艦は打たれ強い。
しかし、司令室に向かうにつれ、灯りは落ちていくのだった。転送システムが出した答えは。
【 承認不可 】
「故障か! こんなときに……」
スレートは両手をバンと叩きつけ、思わずシステムに八つ当たりしそうになる。
どれだけ歯軋りし、現実逃避に眼を瞑っても、解決策は降ってこない。ホオズキはとにかくこの場でバディとなる青年を宥めた。
「追撃を受けたんじゃ無理もない、焦るな」
こんな局面でも平静を保てるホオズキのおかげで、少しずつ、平常心で言葉を交わせるようになっていく。
「システム修理まで少し時間をください」
「分かった、何時間だ」
「二時間で終わらせます」
「オーケー。ここがどこだか分かるか?」
スレートは下半分が映らないタウンマップから、等高線をなぞり、一地点を示す。
「シロガネ山から落下して……『トージョウの滝』、ですね」
聞き覚えのある地名で助かった。確か、カントー地方とジョウト地方を結ぶ関門だ。
トレーナーが心機一転旅立つ登竜門が、スナッチャーにとっても再出発の地となることを祈り、外の偵察へと赴く。
トージョウの滝はさして広くない。といっても、細かい飛沫が常に降りかかり、歩いているだけでいつの間にかコートも濡れてしまう。滝の落差や幅、滝壺もそれなりのものだ。観光地でない分、客足に左右されない見晴らしも一見の価値がある。透き通った水の色にコイキングたちが何度も滝登りを試みるが、その度に垂れ流されていく。
野生ポケモンもやはり生息の気配が薄い。
しかし、ネオロケット団の魔の手がどこから及んでくるか。刺客を差し向けていないとも限らない。安全性だけは担保しておきたかった。スナッチャー本部に勢力の大半を割くであろうことを考えれば、杞憂に過ぎてくれと思いながら、指はトリガーをいつでも引けるように掛けておく。
暗がりに一際、珍しいルビーの光沢が眼に入った瞬間。
石化光線か。
ニードルガンを突き付ける。すっかり警戒心が身に付いてしまった。けれども、手にかけなくてよかった。
ゆらりと、品定めの目つきで闇から出てきたのは、ペルシアンだったからだ。生息している野生ポケモンにしては、景観や生態系と上手くマッチしない。
どこか見知った、他人事ではない視線に、行き着く可能性を探る。
「まさか」
泡沫が水辺の表面まで込み上げ、弾けた気がした。
このペルシアンは、あの男が飼育しているポケモンの中でも妙に重用されていた。
遭遇したポケモンではなく、人間の方から身動きを止めていると、捕獲タイムは終わりだと、四つ足で方向転換する。
ホオズキがついてくるのを嫌う様子もない。背後を撃ち抜かれる恐れもないと、計算高い狡猾さで値踏みしたのか。
野生のポケモンなら、テリトリーを荒らされる危惧が先行するはずだ。
群れに報せるか、奇襲を仕掛けるか、逃げ出すか、通常、ポケモンがとる手段を大別すれば主に三つに分かれるが、どれにも該当しない。
つまり、自分の力をもってすれば人間に依存せずとも、返り討ちに出来ると、このコンタクトだけで実力の上限が届いていないことを見通した。そして、ペルシアンの目算は恐らく正確だ。人間を恐れぬ仕草、ますますあの男の手持ちに似ている。
『―カ――さ、』
『―い、ににいににに、――ま。した――』
『――えて、ます――』
捨ててもいいはずのラジオを、男は後生大事に、繰り返し再生していた。
サカキ様、遂にやりました。聴こえていますか?
聞き取れる語句の断片を繋げても単語すら成立させない惨状のノイズがひとしきり止んだ後に、またボタンを押す。
今日であればポケフォンや、類する利便性の高いメディアなどいくらでもある。
古臭く、苔の生え、赤茶けたラジオは、骨董品としての価値も著しく低くつけられる。つまり、行き場をなくした音声出力装置は、この男しか大事に扱う者がいない。
「あの方は自ら前線に出ておられる」
ミニトマはそう語った。サカキを恨みがましく裏切り者と断じ、女々しくしがみつき、それでいて、実は振り向いてほしそうに。ああいう扱いの面倒な団員にも、隔てなく愛をくれてやるのが首領というものだ。
実の息子をかわいがってやれなかった分、団員たちは満足させてやりたいと思っていたから。
直に、「あの方」を見た。
形容しがたい魔物だった。組織が人間の手で生命を造り上げようと神を演じた結果出来上がった人工ポケモンを従え、自分の弟子に置いていた。嗅ぎ回るようにうろつく強奪者の戦士どもには、うざったさすら感じていたが、胸糞悪い顛末を見せつけられると、邪魔者が視界から消えて清々したと気持ちよく心根が燃焼さえもしない。
焼き払うなら、容赦なく一面に火を放て。そうしない彼らの流儀を「Rocket」と便乗する図々しさには腸が煮えくり返り、ほとほと嫌悪を催すのだった。
ペルシアンは来客を連れてきた。
やはり、とお互いが思っただろう。もっと前までは、広く設けたパーソナルスペースの侵害さえ、命のやり取りに繋がっていた。
ホオズキはラジオに目をやる。どこか老いた背中だ。サカキに、言葉の一投を投げかける。
「あいつら、どうなってた」
サカキなら、石になったヒイラギとイトハのその後を知っていると思った。
「……石は石のままだ」
「そう、だよな」
ペルシアンは二人の距離感をある程度把握すると、それ以上違う生き物に対して興味も関心もなさげに、そのままごろりと尻尾と体を丸めて休みに入った。徘徊のお時間が終わり、優雅な睡眠を満喫する。
ペルシアンの寝相が、ヒイラギとイトハのものであれば、どれほど良かったか。
石は石のまま。有体な返しだった。
ヒイラギとイトハが何かの奇跡で蘇る、そんなおとぎ話も仰天の結末、あるわけがない。
「二人が良い夢を見られるなら……それでいいさ」
「夢……か」
ラジオから聴こえる音声こそ、サカキの悲願にして夢と言えるだろう。
ペルシアンは耳をそばだて、眠りを乱す者に向けてシャッと警戒心を剥き出しにした。明らかにテリトリーに入る資格を満たさない異物が現れたためだろう。
ラジオの途切れた音声を埋めるようなペルシアンの鳴き声に、サカキは眉を顰める。
「なんだ、騒がしい」
滝壺の小部屋に意図せず迷い込んだのは、フリゲートの修理にあたっているはずの即戦力だった。
「スレート!」
岩肌に手をかけ、ペルシアンとホオズキ、そして似た背格好の男を順番に見る。
「出てくるなと言ったろう」
なんだ知り合いか、とペルシアンは退散し、元のポジションに落ち着く。どうしてもそこを譲る気はないようだ。排除する必要のない人物だとホオズキの発言から推察したのか、やや血気盛んな性格を持て余しているようだった。
出てくるな、その一言がスレートの胸を締め付ける。行動範囲を制限されるのは彼しかフリゲートを操縦出来ないから。そりゃ、敵がいるかもしれないから、偵察に出て行ったのは分かるし、ありがたい。でも、随分長いこと帰ってこないから血相変えて飛び出してきたのは、余計なお世話だったか。
自分たちは認め合い、埋め合いながらやっていくしかないんだ。スレートは橙色の前髪を振り、ぽたぽた落ちる雫を彼の不満の一句としながら思いのたけを叫ぶ。
「ホオズキさんこそなかなか戻ってこないから! 心配、……したんですよ」
「もし、何かあったら……」
ヒイラギとイトハのように、ホオズキも消えてしまうのではと。
ホオズキは、事を綿密に運ぶことで頭がいっぱいになっており、人として当たり前の気持ちの流れが行動に出ることを失念しかけていた。
スレートは都合の良いメカニックでも操縦士でもない。スナッチャーに残った、たったひとりの――。
「そうだったな。すまん。おまえの気持ちを考えるべきだった」
彼の謝罪に心底からの誠意を見届けて、スレートは戦友らに囲まれていたら決して出来ないような安堵の、二人だからこそ通じる寂しげな笑みを張り付けた。
サカキはまだ振り返らず、流し目でスレートを確認する。ラジオは流れたままだ。
「ロケット団のボス、サカキ殿ですね。ぼくはプラズマ団のスレートと申します。アクロマ様に仕える身です」
「スレート……スレートブラック、黒の名か」
彼のコードネームに秘められた由来を看破してみせる。
「ホオズキさん、この方の力を借りましょう」
「貸してくれと言って、貸すような奴じゃないぞ、この男は」
その通り、ペルシアンは大きく欠伸する。
サカキはこちらに一瞥たりともくれない。助力を請うにはまだ魅力がないと言われているのと同じだった。
「お願いします」
スレートは恥という恥をかなぐり捨て、頭を地に擦り付ける。
「今は、どんな人の力でもお借りしたい」
小部屋に響かせるには迷惑なほど、腹から声を捲り上げる。ペルシアンとサカキ、どちらも見くびらず、敬意を持って頼み込む。
「ぼくはジュノーを倒すためだけにここまでやってきました。お願いします……!!」
スレートだけに頭を下げさせるためにここまで赴いたのではない。ホオズキはサカキの方へ振り返ると。膝を突き、跪いた。
「……おれからも、頼む。昔のことは水に流す。今だけは、ロケット団に戻ってやる」
こめかみに銃をつけられたとしても、絶対にプライドが邪魔をして、言えなかった。
タイタンとして、サカキに改めて忠誠を誓い直す。
「イトハが言ったからじゃないぞ。だから……この通りだ」
なおもサカキは微動だにしない。大地に根付いた幹のごとく、視線はラジオに注がれたままだ。なんとしても、こちら側に振り向いてもらわねばならない。
「あなたにも、大切な部下がいたのでしょう!? あれだけの団員に慕われる。悪党であってもそこには美学があったはずだ!
ネオロケット団は凍結と分断のみを目的としている。それはロケット団の流儀ではないはずです!」
サカキが、スレートを見下ろしていた。
顎をもたげ、土下座を地にうずめるような視線が突き刺す。
ペルシアンは折り曲げていた四肢をすっくと立て、面白そうな展開に忍び寄る。
「プラズマ団がロケット団を語るか。この、サカキの前で」
世界に轟くマフィアのドンを前にして、逃げ出さず、対等に意見する。言葉尻ひとつ間違えるだけで極刑ものだ。いや、既に間違ってこそいるが、そのまま勢い任せに突き進んだ。
息を止めるような沈黙があと何秒続けば終わるのかと、ホオズキは大地の震動を待った。そして、それは気付けば訪れた。
「……良いだろう。元より、いつかは向かうつもりだった」
サカキは遂に根負けした。
顔を上げたスレートとホオズキは、不格好に口を開いたまま、唖然としている。
この男を味方に引き入れたという功績があまりにも大きすぎて、これからの盤面を、もしかしたら逆転すら出来るのではないかという、やや気の急いた展望さえ抱かせた。
「アクロマという男は、良い部下を持ったな。そして、おまえも少しは変わったと見える。わたしの右腕に着くことを許してやる」
頷き合うふたりをよそに、サカキはラジオの電源を静かに切り、仕舞わずにマフラーを翻し、黒革の鞄を持参した。
もうお休みは終わりかと気付いたペルシアンが、そっと差し出されたボールの中に居心地よく戻っていく。
『これからお二人には、過去最高難易度のミッションに挑んでいただきます』
ホオズキとサカキは各自、小型インカムを装着する。これによって、距離を隔ててもスレートや戦闘員間での通信が可能となる。
モニターからは発信機を取り付けた二人の様子を随時追尾、映像化する。
予めスナッチャーのデータベースにもある程度のハッキングを仕掛けておいた。これから殴り込みに行く場所に、遠慮はいらない。
修繕は無論、充分な段階まで回復するには資材も何もかも足りない。辛うじてモニターはノイズを走らせたまま再生し、画質を解像度低く保っている。
『本部は現在、ネオロケット団による総攻撃を受けています。ワープ地点で石化するかもしれません。転移には、細心の注意を払ってください』
プラズマフリゲートに点在するワープパネルを経由し、二人をスナッチャー本部内の座標に転送する。
『ミッションの内容は、スナッチャー本部に人質として囚われている要人4名の救出』
『アクロマ、エクリュ』
スレートは盟友の名を。
「ハマユウ、イチジク」
ホオズキは一家の名を。
『内通者が動き出した以上、最終的な交戦は避けられないと予測します。今回のミッション、「スナッチャー要人救出任務」と銘打ちますが、このミッションをクリアするために内通者ジュノーの撃破は必須条件となるでしょう。しかし、ネオロケット団の重鎮であれば、マルバと同じ、いや、それ以上の警戒をもってあたるべきです。ジュノーはネオロケット団であること以外、手の内が分からない相手です』
スナッチャー本部侵攻の手引きは当然、内部事情に精通していたジュノーが行うはず。彼を倒すことは、すなわちチーム・スナッチャーの奪還を意味する。
『ぼくは最大限オペレートを務めますが、もしもの可能性も留意していただきたい。あなたがたがスナッチャー本部から生きて帰ってこられる確率は、低いということです』
『その覚悟は、おありですね?』
ホオズキとサカキ、双方共に異存はない。
「スナッチャーに足を踏み入れたのはおれだ」
「わたしはジュノーを倒さねばならん。紛い物の組織など、ロケット団に対する挑戦状だ」
マイク越しの決意表明は、スレートに言葉の背景を深層まで汲み取らなければならないと思わせた。
ここまで、夥しい程の犠牲者が生じた。
積み重なる屍を背負い立ち、彼らはなおも進もうとしている。
『おふたりの意思がそこまで固いなら、ぼくもあなたがたの命をお預かりします。ぼくの声は、あなたがたの耳となり、目となり、思考となりましょう』
通信越しであろうとなかろうと、表情の忖度は不要だった。何千人と越える部下を見てきたサカキには分かる。
「おまえにも、覚悟があるんだな?」
『ぼくは以前、ヒイラギさんと組んだミッションで、恩人を助けられなかった……』
それがキナギのマナフィ守護任務だとホオズキが察する時には、サカキは新しい部下に俄然興味を持っていた。
「ひとつ聞かせろ。野暮な質問だが」
『どうぞ』
「何故そこまでスナッチャーに肩入れする。おまえはプラズマ団のはず。アクロマとエクリュを助けたい、それは分かる」
ヒイラギのみならず、ホオズキにも尋ねられた。誰もがまず感じる、どうして、そこまで、と。しかし、スレートはまだ自分の言葉で語ることが出来ない。それがどうしようもなく、もどかしいのだ。
『お恥ずかしながら、ぼくはそれを忘れてしまいました。残ったのは、それを知らなくても燃え上がるほどの情動のみ』
サカキは、密かに笑む。
「面白い。スレート、これはわたしの推量だが」
「おまえは『以前』、スナッチャーの構成員だったんじゃないのか?」
とある「原因」、何かしらの致命的な出来事が基となって奪われたスナッチャーを取り戻すべく、水面下で反撃のチャンスを立てていたとしたら。スレートは、血の伝うまでの一本筋を通している。
何故、今までその可能性に行き当たらなかったのかと、ホオズキは、元首領の慧眼に言葉を失った。
「……そうなのか。いやしかし、そう考えれば……」
スナッチャーの面子と共に戦うスレートの姿が過った。突飛な想像図に、ふ、と笑みがこぼれる。
『ぼくはあくまでもプラズマ団です』
彼自身はやんわりと否定する。軽い気持ちで少しでも仮定を語るのは、スナッチャーの戦いを見届けてきたスレート自身が許しがたいのだろう。
「スレート、おまえの封じられた記憶がもしかすると、スナッチャーの謎をすべて解明するかもしれない」
「ぼくの、記憶が?」
「ああ。スナッチャーにいた『本来の』司令官……それが何者なのか、今も生きているのか。おれたちはその謎を解く必要がある」
この戦いで、スナッチャーという組織がいかなるビジョンによって発足を迎えたのか分かるかもしれない。
かもしれないという、確信めいた予感や憶測をもって、得意げに、ホオズキはいかにも気障ったらしく言い回す。
「最後の謎解き、だな」
ただし懸念はもうひとつある。
「スレート、おまえが以前戦ったというポケモン、記憶改竄の力を持つ……それは、本当にオーベムだったか?」
スナッチャーがネオロケット団の思い描く構想を支援するために、組織ごと利用されているなら、彼らは構成員にも教えていない第一級線の機密事項を保持している。
伝説クラスのポケモンを研究しているという情報を、必死の潜入の果てに掴み取ったことを思い出した。
『……もし、オーベムの記憶改竄でもぼくの記憶が戻らないとしたら』
『より上位の存在の仕業でしょう』
期待が落胆へと変わるのは、掌を返すよりも早かった。ミュウツーよりも凶悪なポケモンが登場するとは、思考の片隅にも置きたくない。未だ使いどころを失ったままのグリーンバッジが、まだ胸ポケットに収納されていることを確かめる。
『気を付けてください。嫌な予感がします』
「肝に銘じておく」
ブリーフィングを終えたホオズキとサカキは、いよいよ光源そのものと化すワープパネルに照らされた。
二人は既に位置についている。任務開始の号令が下った一寸先は、もはや予測不能の戦いが待っているだろう。マイクから聴こえる確認のアナウンスに、身を委ねる。
『スナッチャー本部、タマムシシティ地下座標、入力。敵性勢力、石化光線による妨害、転移候補地点での安全性を確認。システム稼働、テレポーテーション開始』
消失は一瞬だった。
スチームパンク風の船内から一転。故郷よりも見飽きた、生活臭のしない生活拠点へと、久方ぶりに移行する。
チーム・スナッチャー本部に、このような形で戻って来るとは。
今は感慨に耽るよりも安否を報せることが、オペレーターへの配慮というものだ。
「こちらホオズキ、転移成功」
「こちらサカキ、転移成功だ」
スレートは定位置にて、何時いかなる時でも、二人に指示を出せるようスタンバイする。この結び合わせた糸だけは、絶対に解けさせない。
『これより、「スナッチャー要人救出任務」を実行する。ミッション、スタート』