叛骨の強奪者






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Second Stage - EX-Team Rocket part -
Phase 39 悪の出現
 見渡すフリゲートの司令室は、まるでスナッチャー本部を彷彿とさせる構造だった。記憶喪失時には無かった新鮮味が出迎える。
 ひとまず、一同は素早く状況を整理する。
 内通者及び記憶改竄犯はジュノーで確定とする。彼はJのパトロンにして、ネオロケット団から送り込まれた刺客である。であれば、ヒイラギたちが今後ジュノーの指示に従うことはない。
 二点目、スレートの記憶からは内通者ジュノーの名が抜け落ちていた。
 スレートの記憶が解明されれば、プラズマ団とスナッチャーの関連性もある程度紐解ける。しかし、当のスレートはまるでジュノーを覚えていないようだった。
「ヒイラギ、おまえはジュノーのオーベムに記憶を改竄され、ネオロケット団のオーベムによって記憶を再改竄された。それで記憶は復活したわけだな」
「そうだ」
 内通者を倒すために生きてきたスレートに真の名を教えても、ショックひとつ起こさないのは妙だった。
 このとき、ヒイラギは最悪の状況を想像した。スレートが敵のスパイである可能性だ。ジュノーが記憶改竄で豹変したことを考えると、捨てきれない。戦場における情が油断禁物とはいえ、苦楽を共にしてきたこの男を信用から外したくない、というのがヒイラギの率直な想いだ。
 まとまりかけたスナッチャーに今あえてその波紋をもたらすのは、事態を深刻化させるだけに思われた。
 それに、イトハとホオズキは言わずしても心得ているだろうし、スレートももしかすると自分が疑われていると承知の上で手を貸しているのかもしれない。エクリュとアクロマがいかなる思惑で動いているのかは、未だ掴めない。
 残る「プラズマ団」というファクター。これをどう認識するかが課題だった。
 そんな中、スレートは空笑いする。
「ぼくは大丈夫ですよ。きっと、この戦いの中でまたチャンスが巡ってきます」
 スレートは司令席から立ち、ひとりひとりの方に体を傾けて、大仰に頭を下げていく。
「ヒイラギさん。改めて、内通者を暴いてくださって、ありがとうございます」
「よせ」
「イトハさん、ホオズキさん。ヒイラギさんの記憶を取り戻してくださって、本当にありがとうございます」
「おいおい、やめろよ」
 ヒイラギが欠けては、真実は底無し沼に飲み込まれただろう。イトハとホオズキが欠けては、ヒイラギの記憶は取り戻せなかっただろう。全員の力で黒幕を暴くことが出来たのは、チームにとって理想的だった。

『作戦、議は終――まし、たか?』

 プラズマフリゲート中のモニターがハッキングされた。ノイズで全貌を覆い隠した忌まわしき顔に不協和音が被さる。
「ジュノー……」
 自分が追い求めていた敵を目前にして、スレートの視線はより昂ぶった。
「なぜ、フリゲートを」
『簡単なことです。我々のポケモンを忍び込ませた』
「まさか、ポリゴン……」
 電脳世界を自由自在に移動出来るポケモンなら容易い。ポリゴン系統を忍ばせ、フリゲートのシステムに干渉してきたのだ。
 ヒイラギが脅すでもなく、あくまで確認の意を込めて尋ねる。
「オペレーター、おまえたちもか」
 敵と内通していたわけではなさそうだが。電子機器類に阻害されて、本当の波導を読み取れない。
『申し訳ありません……』
『わたしたちも、自分の命が惜しいのです』 
 オペレーター両名は、ジュノーに石化されたくない一心で、指示に従ったのだろう。 
 スナッチャーは売られた。フリゲートがオペレーターにハッキングされた今、本部からのサポートは打ち切られたことを意味する。
「ジュノー、投降しろ。おまえが内通者だという証拠が集まった」
「もう、気が済んだろう」
 ホオズキが単刀直入に切り込む。
 向こう側からも見えるだろう。戦場の彼方に葬ったはずの戦士が立っている姿を。
『投降するのは……あなたがたですよ』

 この期に及び何を言うのか。ジュノーに去勢を張る様子は見られない。
『電脳世界を通じて、もう一度オーベムを送り込みます。それがあなたがたのラストミッションとなるでしょう』
 遂に本性を現した。
 イトハは今回のミッションに偽りがあることを責める。
「やっぱり、このミッションはあなたがわたしたちを始末するために仕組んだのですね」
 ジュノーが与えた指示は、ことごとく裏目に出た。今考えれば、それはネオロケット団側に有利な条件ばかりだ。
 リニアでJを取り逃がした。
 ハナダではミュウツーを捕られた。
 サント・アンヌではラティオスが暴走した。
 キナギではマナフィを遠ざけようとした。
 その逆であればどうなっていたか。Jの捕縛に成功すれば、ミュウツーはスナッチャーの戦闘員として力を振るっていたかもしれない。ラティオスとラティアスが石化することもなかっただろう。マナフィが大人しく蒼海の王子に君臨していれば――。
 分岐点は何箇所にも位置する。ターニングポイントが集積すれば未来を変革する一要素に成り得る。そのエフェクトをも、ジュノーは操作した。
 内通者・ジュノーを使って、チームに不信の種を撒き、ヒイラギを排除する。波導使いという同じ立場の刺客を違和感なく溶け込ませるためには、彼を消す必要がある。
 そして、マルバが後続の波導使いとして侵入すれば、目的通りチームの制圧は完了する。スナッチャーを一度支配してしまえば、目下の脅威を失ったも同然。あとはチームの技術を盗むも、構成員を殺すも、チームごと解体するも、自由自在だ。
 実に合理的な手腕だった。
「今までの任務も全て、わたしたちを消し去るために用意したものだったんですね!?」
 イトハの追及はチーム全体の総意だった。
「あなたに戦士を名乗る資格は無い!!」
 しかし、モニター越しの勝ち誇った微笑は醜悪に曲がるのみだった。その時、スナッチャーに対する情など、本当は微塵もなかったのだと見せつけられた。
『あなたがたももうすぐ、戦士を名乗らずに済みますよ』
 その言葉の意味を示すように、丸ごと船内に浸透する歪な気配に勘付き、ヒイラギは件の所有者と呼応する。
「来た。『奴』だ」
『わたしの命令に揃いも揃って逆らった者たちが、新たなるスナッチャーによって裁かれるのは当然の理です』
 誰かは言うまでもない。
「新たなる、スナッチャー」
「まさか……」
 イトハとホオズキが顔を見合わせる。
 スレートがすぐさま舵を握り、フリゲートを発進させる。シロガネ山の雲海が、嵐の兆候を帯びていく。
「各自、戦闘に備えてください。フリゲート、発進します!」
 一同は司令室へのルートを逆走し、甲板へと繰り出す。

 風圧と小雨に揺られ、帆が踊った。
 上空のものだけではない寒気が流れ込んでくる。
 マントを嵐の機嫌に任せ、靡く勝者の証として盛大に翻す。その行進は勇者の歩調であり、自身を英雄と信じてやまない者の凱旋であった。
 アーマーは攻撃の痕を隠滅し、一滴の血すら弾きそうな光沢を放つ。

「よくぞ、そこまで辿り着いた」

 死んだはずの、波導使いマルバがフリゲートに乗り込んでくる。

 ヒイラギが代表して、対話に応じる。
「貴様がおれの代わりか」
 マルバが、ゆっくりと、近付いてくる。
 それだけ、たったそれだけのごく自然な人間的動作を行ったにもかかわらず、鎧の一音は緊張を生じさせ、雷鳴を呼んだ。
 全身を紅く駆け巡る、初めて目撃した波導。鎧の戦士は、独自に波導を開発した。
「『波導はそなたの隣人を護るため、そなたの敵を害するためにあらず』――暗黒面の使い手だな」
「左様」
 まさか、同族を始末するためスナッチャーに呼ばれたとは、ヒイラギ本人も思ってもみなかっただろう。
 世界中を震撼させる凶悪犯罪に、ロータ出身の波導使いが関わっていた。この事実は、酷くヒイラギを落胆させる。
「なんと、嘆かわしい……」
 マルバは意に介さない、それよりも。
 ヒイラギは思わず片目を抑え、うずくまった。シグナルビームの余波がまだ抜けきっていない。
「すぐには動けまい」
 マルバとヒイラギは対照的だった。一方が見下し、一方は見上げる構図になる。
「おまえは、なぜこれを受けて平気でいられる」
 マルバはシグナルビームの応酬を受けたにもかかわらず、ほぼ傷を完治している。
「我が『イクスパンションアーマー』の力なり」
――イクスパンションスーツ。
 フレア団の科学者によって開発された戦闘服の派生形だと、オーキドは言っていた。
 耐久テストを綿密に組まれた上で実践投入された鎧は、マルバの自然治癒力と伴い、無限の体力を与えている。ホオズキは歯軋りした。
「ホオズキ」
「やはり……おまえが……」
「そしてイトハよ」
 イトハは、ミュウをも欺いた記憶改竄の悪用に、敵の権謀術数の最たるものを垣間見た。

 マルバは審判を下す。

「終わりだ――」

 スナッチャーの「ラストミッション」、その結末は定められたものだった。
 この山に、ファイヤーはもういない。
 今回のミッションは、ファイヤーの捕獲など最初から目的外である。
 真の目的――ネオロケット団が、スナッチャーを壊滅させるための、

 罠。


 マルバは手を掲げ、大気に存在を轟かす。何者かを呼び寄せているようだった。

「Raid On The City.」
 街々を襲え、
「Knock Out.」
 打ちのめせ、
「Evle Tasks.」
 悪の牙たちよ。

 ホオズキだけが意味を汲み取れるイッシュ語の羅列は、サカキが団員を鼓舞する際に用いたスローガンである。
 そして、マルバの地位を端的に示す文言だった。この任務には、敵組織のボスが姿を見せると言っていた。

 転送されたオーベムたちが、司令室を無茶苦茶に荒らし、一斉に甲板を目指す。
 スナッチャーを通り抜け、マルバを崇めるようにして陣を形成していく。螺旋のように絡まったオーベムは、一匹ずつシグナルビームをチャージし始める。
 キャプチャを、銃撃を、急がねばならない。しかし、イトハとホオズキは落盤にその身がぴたりとくっつき、磁石のように離れないことを知った。マルバの威圧的な波導が、スナッチャーを縫い留める。
 マルバが喰らった分の痛みと同じ分だけ、スナッチャーにも喰らわせようとする。
 その先に待つ結末は、一斉記憶改竄、すなわち戦場からの永久離脱だ。

 モニターは、敵の首魁・マルバに追い詰められたスナッチャーを中継する。
『勝負はつきましたね』
「皆さん……」
 スレートは、歯を食いしばり、オーベムの無差別攻撃に眉を引き攣らせた。
 このまま這いつくばっている内、事は終わってしまう。そうすれば、スレートが戦ってきた意味も灰塵に帰すのだ。
『もはや逆らう気力は無いでしょう』
「確かにな……」
 仇敵に嘲笑われたまま終わるのだけは、嫌だった。生きてきた意味、倒すべき敵が目の前にいながら、手の届かない絶対的な距離を隔てている。敵はまだ遠かった。
 だが、スナッチャーは近い。モニターはひとりひとりの表情を殊更克明に語る。
 ホオズキの、見抜けなかった悔しさを。イトハの、許せないという対抗心を。ヒイラギの、打開策を練ろうとする諦めの悪い心を。
 ホオズキはスレートに言った、スナッチャーが勝つためには、イトハや自分の力だけではなく、ヒイラギやスレートの力が必要になると。
 ならば、その恩に報いるべきではないか。
「デンチュラ、行くぞ」
『その体で何が出来るというのです』
 ここからスナッチャーに届く支援で、オーベムを倒す唯一の方法を探る。
 司令席に戻るには時間が足りない。操舵輪は独りでに針路を定めている。システムはエラーが鳴り止まない。モニターは破損気味だ。前方の窓ガラスは飛散し、空が明るみになっている、これだ。
「プラズマレムナントの矜持を見せてやれ……」
 撃ち放つ先、指だけを目印に。
 デンチュラはスレートの意図を理解し、第1から4まで成る歩脚に力を込め、上顎を窓の外に向けた。
 
「雷!!」

 船体が一層激しく揺れ、帆を引き裂く。
 司令室から枝分かれする制御のつかない暴れ雷鳴は、雄叫びとなって再度降り注ぐ。
 記憶改竄者が次々と貫かれた。雲を伝い、雨を招来し、嵐を加速させる。暴風に攫われたオーベムたちは、一匹一匹が木の枝と化した。
 この光に続け。
 振り向きざま、ヒイラギは強いメッセージを託された。
 プラズマフリゲート最後の乗組員の意地に、スレートを少しでも敵と疑った己を恥じそうになる。彼とポケモンたちは、キナギでの誓いを、今でも胸に秘めたままだ。
 今ならマルバの威圧感が弱まり、オーベムは統率を乱されている。カメックスのボールを高く打ち上げ、右腕を拳に換えた。
「波導は我に在り!」
 遺伝子レベルの呼応は、ヒイラギとカメックスを繋ぐ鍵。浮上する門を通れば、姿形はより戦闘性を高め、攻撃的に生まれ変わる。空中の扉から発する波導のエネルギーが、イトハとホオズキを取り巻いた。蒼い荒波が、紅い戦慄を打ち消していく。
 イトハとホオズキは、手足の自由が利くことを瞬時に確認した。
「動ける……」
「今だ!!」
 ホオズキの号令が反撃の合図となる。
 一斉にポケモンを繰り出した。カメックス、サーナイト、ドンカラスが一列に並び立つ。
 ヒイラギが一気にボタンを外し、迷彩柄コートの中身ありったけを宙にぶちまけた。
「受け取れ、サーナイト!」
 ヒイラギの求めに応じ、サーナイトはアイコンタクトを送る。イトハは即座に機転を利かせた。
「そうか。サイコキネシスでプレシャスボールをアシスト!」
 雷槍を避け、ボールを一挙に操作する。ヒイラギとメガカメックスから溢れ出す波導にサイコパワーが混ざり合い、ボール機能とスナッチ・コアを接続させた。
 ホオズキは腕を薙ぎ払い、ドンカラスに勢いよく指示を与える。
「ドンカラス、辻斬り!」
 それを見たヒイラギは、すぐさまカメックスを支援に向かわせる。
「カメックス、高速スピンだ!」
 甲羅と翼が、拳をぶつけ合うように一時の接触を図る。ドンカラスが不敵に笑った。 
 海底神殿で激突した二匹は、互いの健闘を称えながら敵陣に攻め込む。麻痺を負ったオーベムに、連続攻撃をお見舞いした。
 レンジャーの盤面に入り込んだオーベムを、すかさずキャプチャ・ラインが捕獲する。何重ものトライアングルを描きながら、イトハは風と波に任せ荒れ狂う。辛うじて雷から逃れたオーベムがラインを断ち切ろうとすると、頭を銃弾ならぬ針が吹き飛ばした。
「ナイスアシスト」
 礼を言われたホオズキは一瞬だけイトハと目を合わせ、すぐに次の敵を見据える。
 間隙を縫って、波導使いはその足を使い、甲板を踏みしめた。雷の合間から、皆の指標となる闘志を照らし出す。この輝きが尽きるまでは絶対に負けないとばかり。
「おおおおおおおおおおおおおッ!!」
 スナッチ・プロセスが完了した。
 サーナイトはヒイラギに注視しながら、プレシャスボールを繰る。デンチュラの雷と同じく、自由自在に空を舞うボールは、オーベムにとって絶望の極致。
 三人の戦術により、逆境が掌握された。これが、三人に意味を見出した者の望みを叶える、真のフォーメーションだ。
「オーベム、残り個体数、十、九――」
 シロガネ山に残る全てのオーベムたちが捕獲されていく。
 雷撃の中、マルバが目にしたものは。
 ヒイラギ、イトハ、ホオズキ――Δの陣形に背中を預け合う、強奪者(スナッチャー)の姿。



 嵐は止まった。
 プレシャスボールがスナッチャーの勝利を祝すように、空から落ちてくる。
 だが、その一個一個に興味は無かった。目下の関心は、オーベムを従え指揮したトレーナーにある。
 「ラストミッション」を乗り越えた三人に対し、マルバは惜しみなく拍手を贈った。
「それでこそ、我々の前に立ちふさがる戦士」
 ミッションクリアの報酬として与えられるには、随分と感情を逆撫でする土産だった。マルバがオーベムを落とされても動じないのは、自分にこそ絶対の自信があるからだろう。
 現にポケモンの攻撃を無効化するイクスパンションアーマーの性能からして、スナッチャーは一時も気を緩められない。ポケモンたちも臨戦態勢を崩さない。いつでもスナッチャーの指示に応じられる。だが、攻撃を仕掛けるだけ無意味と分かる。
 マルバは一時休戦を望んでいるのか、既に紅い波導は鳴りを潜めている。これ以上の交戦は無利益と判断したのだろう。
「おまえが元締めか……ネオロケット団」
 ホオズキが忌々しげに唸る。
「いかにも。我はネオロケットを束ねし『波導の勇者』なり」
 マルバはネオロケット団No.1の座に君臨する。ミニトマの自ら前線に出る御方という評価に違わず、対スナッチャーを引き受けた。
「チームに潜り込む際に、わたしたちの息の根を止める機会はいくらでもあったはず」
 イトハの指摘通り、マルバは巧妙にスナッチャーを信用させ、組織に入り込んだ。
 マルバは、ミュウの波導を騙すために、まだ健全な戦士であった頃の己まで回帰した。悪意など少しも抱かず、この世に正義があり、悪の淘汰が正しく遂行されると思い込んでいた頃の自分を、イトハとホオズキに見せていたのだ。
 オーベムに記憶改竄されたのはヒイラギだけではない。途中で大量のシグナルを浴びて、記憶を取り戻すことが戦略だった。
 全ては、シロガネ山という場で、スナッチャーにチェックメイトを仕掛けるため。
「殺戮は我々の目的ではない」
「あなたが今まで命令してきたことは、多くの人やポケモンの命を奪う行いでしょ」
 マルバは首を横に振る。
「命を奪うのではない。命を救うのだ」
 ヒイラギが目を見開く。その波導に嘘偽りは無かった。
 命を救うために戦う悪の組織など聞いたことが無い。イトハはその言い分を単なる自己正当化と捉えたようだ。
「よくも、そんな……」

『イトハさん、ホオズキさん』
「その声、オペレーターか?」
『すみません、わたしたちはあなたがたを裏切ってしまった……もうスナッチャーに戻ることは出来ません』
『どうか、皆さん……ネオロケット団は、なんと、恐ろしい……計画を……』

 それがスナッチャー・オペレーター最期の言葉だった。遺言の後に、耳が粟立つほど聞き慣れた音がする。
「何をした。おい、おい」
 ホオズキが呼びかけても、一向に返事は無い。
「まさか、石にしたのか」
 一同はあまりの所業に凍り付く。
 通信は全員に割り込んだ。
『ヒイラギ、わたしは以前あなたにスナッチャーは弱者をも救う、と話したはずだ。オペレーターたちは死んだのではない。生と死の狭間に位置する世界に向かったまで。むしろわたしは、彼女らを労ったのです』
「同じことだろう」
『いいえ、確固たる違いがあります』
 ジュノーの理屈はともかく、自分の身内にまで被害が及んでいると考えるのが親心というものだ。ホオズキは真っ先に、妻子を案じる。
「ハマユウとイチジクも?」
 さっと、ホオズキの血の気が引く。
「答えろジュノー!」
 それには及ばぬ、とマルバが答える。
「案ずるな。今まで石になった人や、ポケモンは……例外なく、ギラティナの加護のもとに包まれるであろう」

「『ギラティナ』だと?」

 ヒイラギは、テンガン山麓に生を受けた波導使いであれば、誰でも聞き覚えのある名に反応する。
「左様。『叛骨』ポケモンのギラティナ。破れた世界・孤独の王にして神」
 暴君ゆえ追い出されたが、破れた世界と云われる場所から元の世界を見つめるという伝承のポケモンだ。ロータでは必ず、幼少期にシンオウ神話を教育される。
「神……か」
 ――きっと神は嘲笑ってるんだろう。
 ホオズキは自嘲気味に呆れ果てた。まさか、本当に神がこの戦いの傍観者であるなら、スケールが大きすぎる。
「奴はこの世界から追放されたポケモン。いわば貴様と同じ立場だ」
「思考せよ、ロータの駒よ。里が信奉するディアルガとパルキアなぞ、ただのシステムに過ぎぬ」
 ヒイラギとマルバは神話論で対決していた。ホオズキとイトハは、次元の高い会話についていけない。ヒイラギが二人を見やり、付け加える。
「シンオウの神話に現れるポケモンだ」
 時間ポケモン ディアルガ。
 空間ポケモン パルキア。
 叛骨ポケモン ギラティナ。
 ホオズキは、その名に心当たりがあることを思い出した。
「ギンガ団が呼び出したポケモンだな」
「そうだ。波導使いの里は、ギンガ団との一大戦争を起こした。その中で、多くの罪無き戦士が命を落とした」
 数年前、ディアルガとパルキアの顕現により、シンオウ地方は未曽有の危機に陥った。だが、里の長と、若きトレーナーが食い止めた。
「あれも実に醜い争いであったな。ポケモンの力を巡り、人間の私利私欲がぶつかり合う様は、何時の時代も変わらぬ」

 マルバはまるで世界の趨勢を案じたかのような態度を見せる。半信半疑で聞いていたイトハは、次の言葉に目覚めるような衝撃を覚えた。

「この十年……世界は何も変わらなかった」

 ――この十年で何が変わった?
 ――悪はまるで潰えていない。
 ――おれたちは歴史の中で欠片ほどの何かを残せているのか、戦えば戦うほど、分からなくなっていく。
 全て、ヒイラギが吐いた弱音だった。オツキミ山で、イトハはヒイラギの退廃的な直の思想に触れた。それまで戦いに迷いなど抱かないと思っていた彼の印象を覆すあまりの激情が、印象に焼き付いて離れない。

 マルバは止まらなくなったのか、自分が狙われていることを忘れたかのように、演説を暴走させる。
「悪は栄え、絶えることなく、増加の一路を辿るばかりだ」
「ロケット団、マグマ団、アクア団、ギンガ団、プラズマ団、フレア団……。たった十年もの間に、ポケモンの力を求めてこれだけもの数、悪意が世界を陥れた」
「ポケモンを操るための文明世界でより人々は疲弊し、絆の摩擦に傷ついていく。世界は進歩するどころか、文明の発展に反比例して退化した」
「戦士はその筆頭だ。先の見えぬ戦いへと駆り出され、多くの者たちが散っていく。今の世界は先細るばかりだ」
 イトハはその時点で、嫌な予感がしていく。どこかで聞いたようなことがある、というレベルの話ではなく、ヒイラギがイトハに時折見せる厭世観にかなり近いものを感じさせるからだ。ホオズキとヒイラギはいたって平静だが、イトハは次の台詞を傾聴することさえ既に恐れていた。 
 マルバは切れ目を設けずに続ける。
「そこで立ち上がった者がいた。かつて、カロス地方を滅ぼそうとして失敗した者だ」
 悪の組織の事情に長けたホオズキ以外でも、その破滅をもたらした者の名には見当がつくだろう。世界的なニュースとなり、瞬く間にトレンドを席捲した人物だ。今は生死さえ定かでない。
「……『フラダリ』のことか」
「左様」
「おまえはフラダリに協力していたそうだな」
 マルバは慈善団体「黄色い花」に協力していたと語っていた。黄色い花が後々フレア団として芽吹くなら、マルバもまた破壊的思想に感化されたことになる。
 しかし、マルバはあくまでフラダリを憐れむような口調だった。
「彼もはじめは純粋な国士として、カロス地方の未来を憂いでいたのだ。滅びという安易な方向に走ってしまったが……それだけ、カロスの現実は彼に絶望をもたらしたということだろう」
「口ぶりから察するに、おまえはフラダリとは違う、そう言いたいようだな」
「この幸福を平等に分け与える。決して傷付け合わず、清く気高く美しく在ることこそ、生命の至高。我はそのための先導者なり」

「真剣に聞いて損をした」
 ヒイラギが唾を吐くように捨てた。
 これ以上、話を聴く価値は無い。ヒイラギは顎でポケモンを動かす。
 カメックス、サーナイト、ドンカラスがマルバを取り囲んだ。トレーナーたちもマルバの退路を塞ぐように周囲を哨戒する。
「誰がそれを確かめることが出来る? ならテロリズムの恐怖を与えずとも、最初から目的を開示すれば賛同者も出てくるだろう。矛盾は腐るほど出てくる。破れた世界とやらがおまえの言葉通りである保障など、どこにもない」
 マルバは動きを止めないスナッチャーに見せつけるがごとく、肩の力を抜いた。
「スナッチャー、無知を恥じよ」
「無知?」
「そなたらは、何も知らされていない。世界の秘密、そしてこの世界を牛耳る者たちの悪辣さを」
 物事の大前提が引っ繰り返っていく。
 マルバの言葉には一字一句波導でも込められたかのように、聴かせる力があった。
「そなたらは意思を持たず、任務を遂行するためだけの道具として操られた」


 そもそも、全ては死んだはずのポケモンハンターJが生きていたことから始まった。
 Jは死ぬことはなかった。
 リッシ湖沈没の寸前、自らを石化させ、異なる世界で生き永らえていた。
 石化は死を意味しない。Jが有していた石化光線銃、それは、対象を「この時空」から切り取り、除外するための装置である。
 シンオウの一大企業を偽ったギンガ団が、ポケモンハンターに提供した試作品、それが石化光線銃のプロトタイプだ。彼らは神にも等しき存在を捕獲するために結託した。その力は、元々「意思の神」が有する権能のひとつを利用するというメカニズムだった。

「そのポケモンに傷を付けた者 七日にして動けなくなり 何も出来なくなる」

 石になった者は、そのまま石として凍り付くだけでなく、異なる世界に意識を接続される。生きているわけでもなく、かといって死んでいるわけでもない、空間に揺蕩う魂の状態と化す。その世界に送り込まれること自体が本来、人類に対する罰であった。
 湖のポケモンから採取し、額の結晶体から編み出された時空干渉技術は、湖のポケモンが別の世界を行き来する仮説を裏付けた。
 新宇宙の創世を目的とするギンガ団は、三匹居る湖のポケモンを捕獲し、湖とテンガン山の均衡を取り除くことで、抑制されていた神々を呼び出した。それが、ディアルガとパルキアである。
 シンオウ神話に語り継がれる神々の同時出現は、本来ならば在り得ないことであった。惑星のパワーバランスが崩壊したとき、神々が封じ込めていた並行世界の扉が開く。

 それは言うなれば……破れた世界。

 この世の法則から外れた世界。
 歴史の闇に葬られ、日の目を見ることのなかった世界。
 破れた世界の出現と拡張を通し、Jは破れた世界から脱出することで肉体を取り戻した。一方、神々の同時出現によって力を使い果たした湖のポケモンたちは、肉体を維持することが出来ず、弱り果て、蘇ったJの手に堕ちてしまったのである。
 かつて神に裁かれた者が、神を利用する。
 これほどの冒涜はあるまい。

 ギラティナは行き場をなくした魂に、罰ではなく慈悲を与えた。それは、歴史に忘却された者からの些細な反撃。破れた世界に訪れた者は、反物質の神に招かれ、個々の願望を具現化する鏡に出会う。
 それは理想を叶える永久機関「映し鏡」。
 破れた世界に飾られた鏡を通して、夢を見続ける。
 「夢」という、限りなく死に瀕した状況下でのみ、人とポケモンは初めてギラティナと接点を持つことが出来る。自分のすぐ隣にある世界の認識を狂わされ、今日まで破れた世界は人の想像力の外にあった。しかし、破れた世界は夢という深層心理を逆手にとり、着々と浸透しつつある。
 その後、夢と人間やポケモンの関わり方についても、多くの研究者によって実験が進められた。
 夢の技術を応用すれば、世界は良い方向に激変する。当時、フレア団の科学者らと関わっていたマルバの勢力はそう確信した。世界政府と平和のための技術交渉を行うべきだという意見が挙がった。
「我らは長い研究の間、この成果を発見した。そして、政府や国際警察に破れた世界が持つ可能性を示した。我々はギラティナを世界の端に追いやるのではなく、共存すべきであると。それこそ、世界平和実現の、第一歩となるであろうと」
 マルバたちが政府に向けて破れた世界の存在を公表した際、政府内では肯定派と否定派に分かれた。ギラティナの世界はあまりにも現実離れしており、人間が神の領域に立ち入りそれを住処とするのは、禁忌であると非難された。
 政府らは人とポケモンの営みを根本から脅かしかねない危険因子として、ネオロケット団への対抗策を練る。彼らは破れた世界に関する機密文書や証拠を抹消し、スナッチャーという組織を作り上げてまで、徹底抗戦の構えをとった。
 頑なに今の世界にしがみつき、権利にこだわる者たちが、進化をやめて、世界の命運を握っていると、マルバたちは悟る。
「当然だ、鏡の世界に何の価値がある?」
 と、被害者面をするマルバに対し、ヒイラギは一刀両断した。
 笑い話で、現実離れした、お子様の時に卒業しておけという理想だと。
「だが、思考せよ。そなたらはこれまでの戦いで、どれだけの苦しみを味わってきたか。そのすべてから、今すぐ解放されるとしたら」
 魅力にとり憑かれ、破れた世界に自らトリップした者も後を絶たなかった。
 現実逃避の手段としての石化。
 マルバの言葉の魔術は、ヒイラギたちの戦闘態勢をほどいていく。
「今生きる者たちは口々にする『死んでしまいたい』と。『世界が終わればいいのに』と。望むと望まざるとにかかわらず。だが、我々は生きることをあくまで強要される。そこに逃げ道などなく、時間だけを使い回し、何者でもない一生を終えるのだ。そうやって使い潰された光ある戦士を、我は何人も見てきた……」
 戦いが終われば、明るい未来を手にしたであろう者たちが、不条理な悪意によって一瞬で先を奪われる姿を、この波導使いは嫌というほど目にしてきた。
 彼らは死体になってなお、マルバに語り掛ける。
 戦いが生まれる世界を終わらせてくれ、と。
 しかし、人やポケモンが存在する限り、争いが潰えることなど無い。人やポケモンが人やポケモンらしく在る限り。
 波導使いとして意味の無い戦いや苦しみに苛まれて生きていくぐらいならば、反旗を翻して自分たちが苦しまずに済む世界に向かうことこそ、真の気付きである。破れた世界は、まさに彼の思想を満たす楽園だった。
 マルバ、そしてネオロケット団は、世界に存在する腫瘍を取り除こうというのだ。
「そなたらの苦痛も、今更語るまでもあるまい」
 スナッチャーに慈悲を寄せつつ、改めて問いかける。

「その上で、我々の行いは間違っていると断言できるか?」

「ヒイラギ、マルバは本気なんだな」
「十中八九本気だ」
 マルバの波導は、混じりけの無い紅に燃えている。全人類救済という大命を遂行するために生を受けたと自認している。彼が波導の勇者を自称するのは、自分が最後の一人になってでも世界を救うという覚悟の表れだ。
「じゃあ、ジュノーやマルバの中にある『世界を救う』という想いに、ミュウは応えたっていうの……?」
 マルバとジュノーはあくまでも彼らなりの正義を背負って戦っていたと主張する。 
 殲滅すべき悪逆の極みが救世主を目指していたなど、笑い話では済まされない。
「そなたらが破れた世界を体験すればいいだけのこと。だが、そうはすまい。『世界を救う』という使命感に満ちたそなたらだからこそ、我々は最大の同志にして、敵になるであろうと危惧した」
 ネオロケット団は最初からスナッチャーをマークしていた。スナッチャーに選ばれて「しまった」悲劇の三人を救うため。
 しかし、齢に見合わぬ大儀を背負ったスナッチャーはそう簡単に屈服しない。抵抗意思を残り一ミリまで削ぎ取るほど、心を折る必要があった。
 国家の威信を懸けたスナッチャーが敗北した時点で、この代理戦争の勝者はネオロケット団であると世界に認識させるほどに。
「我が内通者を送り込み、執拗なまでに追い詰めてもなお、そなたらは立ち上がる。我々の予想を遥かに凌駕する形でここまで叛逆を貫いた」
 ネオロケット団が張った罠の包囲網を掻い潜り、奇跡ではなく事実としてスナッチャーはここまで生き延びた。
 彼らは地獄の中で、いつ殺されるかも分からない毎日に怯えていた。戦わずして済むなら、その選択には少なからず垂涎するだろう。
 しかし、マルバが思うよりも、スナッチャーは遥かに卑屈だった。
「ひとつ、訂正してもらおう。おれは世界など救う気はない」
 ヒイラギはマルバに誤認があることを指摘する。マルバの救済は他者本位だが、ヒイラギの戦いはあくまでも世界秩序を元の形に正すことにある。
「おれもだ。おれは、おれの目的のために戦っている」
 ホオズキも、救いの手を差し伸べる対象は妻子であって、世界ではない。
 反論はそこで尽きた。
「一人、出てこないようだが」
 ヒイラギとホオズキは、イトハを見る。
 彼女だけは、瞳に陰のグラデーションを添えていた。
『イトハ、あなたは迷っているのです。真実を知らされずにいた不信。ポケモンレンジャーの理想との激突……無理もないでしょう。自分たちは殺戮兵器を操る組織に立ち向かう、正義の集団とばかり思い込んでいた』
 ジュノーの囁きは、イトハが戦っていた根底の意味を見失わせていく。彼女はレンジャーの行いが少しでも、目に見える範囲の部分から変えていけると思っていた。
『しかし御覧なさい、絶対的な正義などどこにもないのです。あなた方が我々を悪と断じたように、我々から見ればあなたがたもまた悪のひとつなのですよ』 
 救済を阻むスナッチャーは、ネオロケット団の新世界否定派にしか映らないだろう。

「怖い」
 イトハは自分の腕を抱え込み、身を護るように、マルバの波導から来るのではない正直な震えを抑えた。
「ヒイラギが前にわたしに話してくれたことと、マルバの考えが、あまりにも同じで……」
 ヒイラギの思想の果てに、マルバという存在がいるのではないかと、イトハは感じとった。
 波導使いの視線が、イトハを巡って交錯する。その視線に巻き込まれるだけで臆してしまうほど、焦熱立ち昇るまなざしだ。
「そなたは我と同じだ。そなたを見たときから、迷いを感じていた。この戦いに何の意味があるのかと。このまま波導使いとして、誰にも認められず余生を終えるのかと」
 マルバは同じ波導使いとして、ヒイラギの深層心理を分析してくる。
 彼は救世主よろしく手を差し伸べた。

「スナッチャーよ。ネオロケット団に来い」

 マルバがスナッチャーにやってきた本当の理由が分かった。
 停戦協定を結びに来たのだ。
 内部崩壊を狙った内通者作戦が失敗に終わったなら、次は直接懐柔する。あえて真実を報せる啓蒙が、彼らの闘志を削る最大のクリティカルだと確信した上で、マルバは交渉を持ち掛けている。
 決して最初からマルバを受け付けないのではなく、付け入る余地を与えないために否定していたというのが本当のところだ。
 ヒイラギはこの戦いに意味よりも虚無を感じている。終わらせられるなら、一刻も終わらせた方が犠牲も少なく済む。

「疲れたろう」

 ああ、疲れたとも。炎の部屋を逃げてきたときから、ずっと。

「あと何度、地獄を味わうつもりだ?」

 反発は更なる反発を招きかねない。
 波導が傾きかけている。
 弱い方へ、甘える方へ……。

「誰も、そなたらに期待などしていない」

 スナッチャーは、世界から切り離された場所で孤独に戦う歴史の陰。スナッチャーが実在した証拠は、国の謀略によって最終的に抹消される。彼らが戦った先には、何も残らない。そんな存在。

「そなたらは、単なる傀儡」

 使命感を逆手にとって、政府の思惑通りに動いてくれると期待された有望の人材。

「我のもとに来れば、しかるべき栄光を与えよう。このような不毛な戦いは、もう止めるべきではないか」

 鏡に身を委ね、もう一人の自分に生まれ変われば。このような苦しみからは、解放される。
 ポケモンたちまでもが勢いを落とし、弱気になった。

「そなたらは、最も救われるべき存在なのだから」

 その台詞がとどめを刺した。遂に、イトハとホオズキは黙り込んでしまう。
 マルバの提案は非常に魅力的で、検討する価値のある条件付きだった。
 そうだ、いい加減、救われたって良いではないか。好きでこんな思いをしているわけではない。
 そもそも、種として劣っているという意識が、今まで彼らを敗者たらしめてきた。
 思考のスパイラルがもたらす陥穽にはまるとき、過去の一時点に遡り、そこから人生をやり直したいと熱望する。
 その絶望の深さは、味わった瞬間にのみ思い出せる途方もない闇の感覚だ。
 何故、あの時正しい選択を取れなかったのかと酷く悔やみ、頭を地べたに擦り付けてはもがき苦しむ。時が流れ、残った自分を結果論だと笑い飛ばすことすら出来ず、失敗と決めつける選択の集積がやがて自分を追い詰める。他人の動向が全て幸福に映り、自分には無いものをひとつ見つけては嫉妬の炎に包まれる。そんな人生は、惨めだ。
 ヒイラギにも、イトハにも、ホオズキにも、勿論そういった分岐点がいくつもあって、ここに至るのは確かだ。
 ネオロケット団と死闘を続け、誰かが救われるのだろうか。悪党と罵られながら戦うのは茨の道を自ら行くものだ。苦しみ抜いて戦い、のたれ死ぬより、いっそ石化してしまった方が楽なのではないか。
 破れた世界には楽園が待っているらしい。そこでは、在り得なかったはずの人生が待っている。喉から手が出るほどの幸福量を享受し、独占し、欲の壺に顔ごと埋めてしまいたい……。
 三人がそう思うのも無理はない。彼らが経験してきた修羅場の数を、指折り数えていけば。
 このままマルバの軍門に下り、自分たちを騙した政府など蹂躙してしまおうか。
 ネオロケット団となら実現出来る。スナッチャーとネオロケット団は、世界の覇権を争っていたのだから、この二大組織が組めば、怖いものなどない。
 遍く世界に救済を。
 極楽を。
 生殺与奪は誰によっても決められない。
 マルバは、もしかすると正しいのかもしれない。



「……逆だ」


「おまえの狙いは外れた。いや、逆効果だ」
「これまでの操作された任務は」


「かえっておれたちの結びつきを強くした」

 このシロガネ山での戦いを通して、スナッチャーの結束は盤石なものとなった。
 ヒイラギは自問自答の果てに、結局大それた幸せを求めていないのだと気付く。
 イトハから誕生日を祝われたときのこそばゆい感触が愛おしかった。ホオズキがヒイラギに寄せる厳しさは不快ではなかった。たったそれだけの、ちっぽけな思い出、荒野に咲く一輪の花ですらない野草。
 それらは、個人で閉鎖された世界には決して味わえない喜びで敷き詰められている。
 イトハとホオズキは、本来のチームメイトのありがたみに反応する。
 一同の波導が予想外の方向に傾きかけた。雲行きが怪しくなったと判断したマルバは、再度軌道修正を図る。
「ヒイラギ……。そなたは心の芯までロータに漬かってしまったのだ」
 マルバは首を横に振る。彼は思想を説く前にそうする癖があった。
「目を覚ませ、波導には無限の可能性がある。『波』が世界を『導』く。我々は、選ばれたのだ。人とは違う力を授けられた、これは使命だ。それがなぜ、世界から隠れるようにして生きなければならない」
 栄光は各人に与えられる普遍的なものでなくてはならず、誰かの言いなりになる必要などないという強硬な姿勢を崩さない。
 波導使いは拳を握り、力説する。
「我々こそが世界の千本根を支えている。波導使いが存在しなければ、今の世界もまた存在しないのだ」
「違う……」
 ヒイラギはぽつりと零す。
「世界の流れを矯正する。それが波導使いの存在意義であり、全てだ。おれたちは表に出て良い存在じゃない」
 マルバは両腕を広げ、マントを開いた。
「ロータの駒よ、思考せよ。そなたはいつか使い捨てられる。それでもいいのか」
「悪の蔓延る世界に、疑問を感じないのか」
 ヒイラギもマルバも、真に世界を憂う気持ちは同じ。彼はヒイラギの中に残る使命感に訴えかける。
「感じないはずないだろう」
 
「だが、おれは永遠の幸せに包まれるよりも、小さな幸せを拾えればそれでいい……」

「今のそなたの発言が結果を表している」
 ヒイラギが勇気を振り絞って放った幸福論も、マルバには何一つ揺さぶられるものがなかった。
「何も求めず、求められる環境にいなかった。糸で操られる人形の数々を生み出してしまった。波導使いの、悲劇。そして罪」
 末尾を待たず、イトハが叫ぶ。
「取り消せ! ヒイラギは人形じゃない!!」

 誰もが彼を人形だ、血の通わない戦闘マシーンだ、と揶揄し、嘲笑っても。
 彼女は声を大にして否定してくれるのが。
 求めていなくても嬉しかった。

 ――ならおまえは操り人形か。その言葉をどう解釈すればいい。
 ――好きに受け取れ。わたしにも戦う理由はある。
 ホオズキは海底神殿でのやり取りを思い返す。確かに自分たちは何かに縛られ、操られることを避けられない。しかし、それでもヒイラギは自分の意思で戦ってきた。
 そして、ホオズキ自身もそう戦ってきたはずだ。在り方まで否定してしまっては、関係性を築いた者たちに顔向け出来ない。
「ああ、そうだな」

 マルバは慄いたように後退する。
 囲まれる中で、カメックスとドンカラス、サーナイトを見渡す。マスターの意思に沿うという、忠誠までもが憎らしい。
 彼には理解不能な感覚だった。
 見渡したヒイラギ、イトハ、ホオズキは全員、戦いを降りないという意思を見せた。

「そなたらは世界のためではなく、己の、エゴを貫くために戦うというのだな」
「幸福も、栄光も、何も関係無いと」
「傀儡ならば、それで構わないと」

 マルバは最終意思確認を行う。
 断れば、マルバは二度とスナッチャーに同情を寄せず、完全なる改心の余地のない対抗勢力として扱うだろう。
 しかし、三人が三人とも頷いた。
 マルバの波導が狂気を帯びていく。
「これは傑作だ……。戦士としての洗脳がここまで深いものだとは。そなたらは、やはり解放されなければならない」
 そして、スナッチャーとポケモンたちを波状攻撃で吹き飛ばす。全員が甲板の手すりに打ち付けられる瞬間、宣戦布告した。
「その闘志。このマルバ直々に打ち砕いてくれるわ」
 マルバは勇者のマントをはためかせる。
 対話は終了した。彼はアーマーからモンスターボールを手元に転がす。
「最大限の礼節を払い、一対一の神聖なる決闘にて雌雄を決しようじゃないか。かつてレッドとゴールドがポケモントレーナーの頂点を競い合ったように、今ここで。勇者の誕生を決しよう」
 マルバは天高くボールを打ち上げ、敵意しか残っていないルカリオを召喚する。
 カメックスとルカリオ――波導使い同士が、招かれるようにして威嚇し合った。
「聴け! これは世界の行方を左右する戦いである」


 ヒイラギがそれとなく尋ねる。
「おれが人形じゃないとしたら、何だと思う」
 イトハに真剣に悩むことか? という顔をされた。
「人間でしょ。それ以上でも以下でもない」
 あっけらかんとした答えだ。しかし、逆に雲を一発で吹き払うほどの明快さ。まるで夜明けが来たようだった。
「あんた自分で言ったんじゃん。小さな幸せを拾えれば、それでいいって」
 生きて、死ぬ。営みは不可逆で、中間は無い。この世にあるのは二者択一。永遠が無いからこそ、願いは輝く。
 ヒイラギは自分の手を、足を、見下ろす。
 脈が流れ、血が通い、体温がある。
 所詮、波導使いとして、この広大無辺の惑星の一地点に、産み落とされた名も無き一兵卒だ。
「それは、人の願いだよ」
 しかし、ヒイラギはマルバが揶揄するような戦闘マシーンではなく、自我を持った一人の人間だ。
 誰よりも、イトハが認めている。

 ホオズキが銃を構え、傍らにはドンカラスが付いた。
「ヒイラギ、おれたちは勇者にはなれなかった。だが、奴は『波導の勇者』を気取ってやがる」
 勇者という単語を、ネオロケット団ボスは免罪符にしている。今の世界が破れた世界に飲み込まれれば、無限の対価と共に、全ての自由は失われる。
 ネオロケット団を倒す、それが三人の集った理由。
「どうにも気に食わん」
「おれもだ」
 チーム・スナッチャー――奪う者。
 壊すことでしか戦えない。ネオロケット団の与える者とは正反対を行く。どこまでも、むごたらしく、足掻くように。
 ヒイラギは手袋を嵌めなおす。そして、いつもの通り、冷静に命じた。
「これは神聖な決闘でもなんでもない。醜く、殺し合うだけだ」
「容赦なく叩き潰せ!」
 この血も涙もない言い方が心地良い。倒すべき敵を明確にしてくれる、この声が。
 ヒイラギがスナッチャーに戻ってくると、やはり空気が引き締まる。
 二人は満足そうに唱えた。
「「了解」」

はやめ ( 2019/02/27(水) 21:14 )