叛骨の強奪者






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Second Stage - EX-Team Rocket part -
Phase 37 プラズマレムナントV
 五重層もの巨大な笠雲が、シロガネ山を覆う。ワカバタウンの民家からシャッターを切る人、或いは、マサラタウンのベランダから覗こうと背伸びする人もいるだろう。その渦中では、シグナルが飛び交っている。
 マルバの行方を追うため二手に分かれ、それぞれ六合目と七合目に着地を果たす。
 ボーマンダをボールに収納すると、まだ比較的滑らかな傾斜と岩場が迎え入れた。気温が高いため、草木も豊かに育っている。そんな自然はすっかり様変わりし、宇宙と融合していた。一体目のお出迎えだ。
 失われた文明跡を頭部に刻み、その紋章は手に触れれば、たちまち光り輝きだしそう。組織立った衣服を着込んだかのような下半身を辿ると、赤・緑・黄色の指が明滅する。
 シロガネ山の生態系を占領するオーベムが、早速外敵排除に取り掛かる。イトハはすかさずシュート・スタイラーを引き抜いた。
『オーベムとの戦闘では、あのシグナルビームにこれまで以上の警戒を』
「了解」
 シロガネ山に着陸する前、オペレーターはオーベムが最低でも「四十匹」はいると観測した。イトハとホオズキは、それだけの数を相手にしなければならない。オーベムの領土を少しでも減らす……これが第二のミッション。
 サーナイトが両腕を交差させ、前に押し出す。サイコキネシスが決まった。
 敵の硬直隙にキャプチャ・ラインを目にも止まらぬ速さで仕掛けていく。スタイラーに表示されるMG(メンタルゲージ)のバーが着々と溜まり行く中、イトハは唐突に片目を抑えた。正確には、眼の奥に走った痛みだ。横に控えるサーナイトも怯んでいた。
「今の、何?」
『オーベムの使用技を特定します』 
 脳に障る不快感を放置するのは危険だ。
 このままキャプチャを何事もなく続行して良いか、退くべきかの判断を下す前に、イトハとサーナイトは宙に浮かされた。
 そして得体の知れない音を指先で繰りながら、三原色のアラートが瞬く。
『シグナルビームです!』
「守るッ!」
 サーナイトが二人分の障壁を展開し、間一髪防ぎ切る。代わりに浮力が弱まった。落下しながらディスクでオーベムを囲む。
 向こうも対応が早い。地を撃ち、獲物を捕らえるトラップのごとき俊敏さの電撃を這わせた。イトハは木陰に隠れ込み、移動しながら通信を取る。
「今度は何」
『特定完了。キャプチャを妨害したのは「シンクロノイズ」です。エスパータイプのみダメージを与えます』
「精神干渉技ね」
『はい、その次が「テレキネシス」です。イトハさんとサーナイトの動きを制御し、確実に「シグナルビーム」を命中させようとしました。浮力が切れたところを狙って「電撃波」です。しかし、これで4つの技が割れましたね』
「さすがエスパータイプ、頭の回転は他のタイプよりも遥かに早い」
 イトハはスタイラーをちらりと見た。MGはバーの端近くまで溜まっている。
 イトハの到達位置を予測したオーベムは、アイマスクを緑色に点滅させる。先回りした攻撃に、サーナイトが妨害を加えた。
「あと一回転半か……」
 キャプチャ寸前、急にポケモンからの反撃が激しくなる変化は、レンジャーならば誰でも割り切らねばならない。
 そんな時、ベテランのレンジャーほど冷静に攻勢を立て直すものだが、クラス半ばの経験値が浅いレンジャーはパニックに陥りがちだ。特に、精神干渉系の技はレンジャーの心を折りやすい。だから闇雲に攻め込んでも無駄だと理解している。
 イトハが好機をうかがっていたところ、急激にオーベムが痙攣しだす。なぜ、という疑問は後に捨て、キャプチャを断行した。
「オーベム、キャプチャ完了。しばらくアシストに置いた方がいいな……」
『イトハさん』
「え?」
 
 カメックスを連れた男が歩いてくる。それだけなら、不自然なことは何も無い。世の中にカメックスのトレーナーなど山ほどいるだろう。
 困難を打ち砕いてでも進みそうな力強き瞳に、蒼い炎をたぎらせて。地毛は浅黒い茶髪、迷彩柄のコートは地を舐める。包帯を巻きつけた腕に、指の開いた手袋を嵌め、両の甲に魂を閉じ込めた石を取り付けてある。
 正面から目と目が合い、ディスクを拾い上げたのち、その場に縫い留められた。
 顔の輪郭、筋肉の発達具合からして、まだ若さを感じさせるが、種類の分からない傷だらけの表情には、既に大方の死線を知り尽くし、この世の穢れを浴びたような独特の諦めが寄り添っていた。
 彼の名は、波導使い――
「ヒイラギ」
「キャプチャ・スタイラー……。では、おまえが件のレンジャーか」
『ヒイラギ……』
 司令室からも驚愕の声が上がる。オペレーターだけではなく、これまで沈黙していたジュノーまでもが反応するが、どうでもよかった。この男が生きていたという、第一に喜ぶべき事実は、決してゾロアークが魅せる意地悪な幻影などではない。イトハは何度も、この腐れ縁と任務を乗り越えてきたからだ。

 このタイミングでの再会をどう受け取ればいいか、練るべき言葉も浮かばないイトハと、別段何の感傷に浸ることもなく道の途中にいた邪魔なオーベムを倒しただけのヒイラギには、妙な隔絶が生じた。
 波導は次なる敵を捉える。
「敵だ」
『イトハさん、キャプチャをお願いします』
「え、あ? あっ、はい」
 あっ、はい、など戦士のする言葉遣いではない。それだけ集中を散漫にさせるヒイラギとカメックスに対し、サーナイトはどこか納得のいかない半開きの目で睨む。
 あまりに疑心暗鬼の状況が続いた中で唯一イトハが信じた男だったが、目の前に現れた波導使いは、何かを喪失したように燃え尽きていた。
「カメックス、支援しろ」
 スピードは健在だ。オーベムの反撃をものともせず、黙ってキャプチャの隙を作り出してやる。
 しかし、オーベムは両腕に電撃を巻き付ける。カメックスを狙う予備動作だと、イトハは勘付いた。隣に立つ相棒に告げる。
「電撃波に気を付けて」
 当たり前のように話しかけられたヒイラギは、未だ慣れない素振りで忠告を聞き入れる。
「飛べ」
 カメックスはハイドロキャノンを地につけ、噴射力で上空に浮く。
「波導弾!」
 ヒイラギが腕で空気を切ると、指示に従って波導の奔流を打ち付けた。
 ディスクが一巡し、ラインが効力を発揮する。しかし、二匹目のオーベムは撤退を図った。イトハは不満そうにディスクをキャッチする。
「っ、逃げられた」
 オーベムが溶け込んでいった曇天を見上げれば、山道が蛇行した道をつくっていることが分かる。
「奴等はまた現れる」
「どういうこと?」
「先程から、一定のルートを周期的に動いている。その数は数えればきりがない。五合目以降から山頂に至るまで、オーベムの根城というわけだ」
 言われてみれば、シロガネに住むはずの野生ポケモンも、姿を消している。気配どころか、吐息すら感じられない。この異様なオーベムの数のせいだろう。
「……仕組まれた……」
 イトハは口元に指を運ぶ。
 シロガネ・スバルラインでの石化爆弾、一般人乗客強襲、マルバ離脱、オーベム大量発生、事は不自然すぎるほどスムーズに運んでいる。
 悩むイトハをよそに、ヒイラギもまた状況がつかめず、困惑を隠さない。いつもならやるべきことを見据えて、瞬時に状況を把握してしまう、頼れる大将としての像が崩れたことは、次の一言からうかがえた。
「スレートから合流を命じられた。おれは何をすればいい」
「えっ? あ、ごめん、もう一回」
「……おれはスレートから任務に向かうよう言われたが、任務の優先順位は?」
「待って。『スレート』に?」
「そう言えば分かると言っていた」
 イトハは、忘れかけるところだった名前を思わぬ局面で名刺に出され、思考が一旦停止する。
「えっと」
 ヒイラギが海底神殿でマナフィを捕獲したのち、スナッチャーの本部に連行された。その後の行方を、イトハは知らない。
「ヒイラギ、今まで何処に?」
「プラズマフリゲートだ」
「じゃあ、まさか」
 スレートが窮地に瀕していたヒイラギを助け、フリゲートで保護していた。
 彼はキナギの任務中、かつて沈められた戦艦を取り戻した。イトハは一時的な共闘関係を結んだが、スレートもまた独自に動いていたということか。
「スレートは、今何処に?」
「プラズマフリゲートだ」
 一向に噛み合わない会話に、苛立ちを募らせている。元々要点を掴めない会話を嫌う男ではあった。
 しかし、思考に埋没するイトハは、とにかく成り行きに任せるしかなかった。
 ただ、どうにも、明瞭さに欠ける。
 イトハとホオズキの知る波導使いヒイラギは、常に任務の結果がもたらす先の先まで見透かした言動をとる戦士だった。
 彼の洞察力の右に出る者はおらず、戦闘力においても群を抜いている。成功と現実だけを見据えた姿勢は、常に二人を鼓舞してきた。
 今のヒイラギからは、それを感じない。
 強いて言うなら、消極的な仕事請負人といったところだ。
 もしや、ヒイラギ自身も、この状況を理解していないのではないか。であれば、ヒイラギをこの場に差し向けたスレートから、事の真相を聞き出す必要がある。
「……ホオズキに繋いでください」
『了解』
 オペレーターはホオズキを呼び出す。
『どうした』
「ヒイラギと再会した」
『なんだと!? それで!』
「ホオズキに、スレートとの接触をお願いしたいの。キナギの――」
『ああ、覚えている』
「おそらく、この辺りにプラズマフリゲートを停泊させているはず」
『了解した。通信は切るな』
 イトハは通信を切らずにそのまま個人回線で繋いでおく。スレートとホオズキの会話は、聞き逃すわけにはいかない。
「そろそろ良いだろう。おれの質問に答えろ」
 ヒイラギは明らかに痺れを切らしていた。
 それにしても、ホオズキの名を聴いても何一つ反応しない。カメックスもまるで、イトハを見知らぬもののように様子見している。
『ヒイラギはスナッチャーではありません。よって、このミッションの参画は認められない』
「司令官、強力な助っ人です。今のわたしたちには分からないことが多すぎる。少しでも接触人数を増やすことで、手掛かりに繋がるかもしれません」
『叛逆者を置くわけにはいきません』
「……分かりました」
 ヒイラギに向かって、まさか用無しを告げるには、心苦しすぎる。
「ごめんなさい、司令官が参画を認めないと」
「そうか。期待はしていなかったが」
 ヒイラギとカメックスは冷めた様子で、踵を返す。あくまでも独断で行動するようだ。
「だが、手遅れにならない内に決断することだな」
「手遅れって?」
「この山にいる波導使い――おそらく、奴はおれの気配に気付いている。この辺り一帯を取り巻く雲のような、とにかく嫌な感じがする」
 一息に恐怖を語り、ヒイラギは核心を突くように問う。
「奴は一体何者なんだ?」
 イトハは前のめりになった。ヒイラギはマルバのことを知っているかもしれない。
 マルバの素性は、まだ謎に包まれている。ネオロケット団が、単なる一傭兵相手に執心するだろうか。
「知っているのか」
 ヒイラギは横顔だけを向ける。
「スナッチャー003のマルバ」
「マルバだと……」
「知っているのね?」

「そいつは里を追われた者の名だ」


 七合目、この辺りから、シロガネ登山道は登山者を篩にかける。山は表情を変え、草木よりは砂と岩が目立ち始める。その景観に鎮座するのは、巨大な戦艦だ。ホオズキも実物は初めて見る。
 スレートがこのシロガネ山に来ていると知り、ホオズキが捜査を引き受けたのだ。
『あれが「プラズマフリゲート」です』
 もう一方のオペレーターが、ホオズキを数年前へと引き戻す。
 ソウリュウシティが氷漬けの半ゴーストタウンにされた大ニュース自体は記憶に新しいが、大分数年前に遡る。ホオズキとプラズマフリゲートを結びつけるキーワードといえば、「マナフィ護衛任務」。
 あのミッションは、ひたすら苦味だけを残していった。波導使いに自分が敵わなかった事実、そして波導使いもまた非難の集中砲火を浴びた。
 ヒイラギの背後には、キナギ評議会のひとり・スレートがいた。彼がマナフィのハートスワップを吹聴し、ヒイラギを操った黒幕であることには違いない。
 ヒイラギが戻ってきた、スレートを連れて。ホオズキはこの事実にぬか喜び出来ない。彼は意を決し、キナギの闇に迫る。
 プラズマフリゲートは伽藍洞だった。
「……スナッチャーのホオズキさんですね」
 崩れ去った帝国PZという名を標榜した戦艦の操縦士は、司令室の椅子をくるりと訪問者に向けた。
「おれとは初めてだな」
 挑発的な一言が挨拶となった。スナッチャー門番である自分を、よくも除け者にしてくれたなという不満が含意されている。
 なにせ、二人はヒイラギを通した間接的な情報でしか、お互いを知り得ていない。
「うちの面子が世話になった。大方、キナギの顛末はおまえの意図したことだろう?」
 ありったけの嫌味を込めた。
 同僚の過ちに与えるような情と等しい目線で歓迎してやることは、ホオズキの人としての意地が決して認めさせない。
「おまえのせいで組織は滅茶苦茶だ」
「彼は、記憶を改竄されました。あなたがたのことも、もう覚えていません」
 今の残酷な事実を、直接告げられたのが自分でよかったとホオズキは思う。
 ホオズキはまだ、イトハほどの愛着をヒイラギに覚えていない。覚える前に、気付いたら消えていた、という表現が適切だ。
 だから、この場で下手に動揺せず済んだ。開示されていく情報にいちいち機微を打っていては、処理が追い付かない。彼らは、ひとつひとつを冷徹に受け止め、淡々と語る。
「ヒイラギさんを突き動かすものは今や、波導使いとしての使命感だけです」
 それは、随分と酷な話ではないか。
 スナッチャーの行く末を誰よりも案じ、追放された構成員が、その組織自体を忘れてしまった。ヒイラギはスナッチャーと無関係になったにもかかわらず、おまえにはまだ用があると引っ張りだされてきた。
「酷だと思わんのか」
 この男は、甘い蜜を吸っている。そうホオズキには思われた。
 スレートは艦長席から降り、頭を床になすりつける。
「無礼は承知の上です。ヒイラギさんをスナッチャーに戻してあげてください……。ぼくでは無理だった」
 形だけの謝罪ならば、ホオズキにも出来る。彼は突き放した物言いで吐き捨てた。
「原因が分からなければ不可能だ」
「『シグナルビーム』です」
「シグナルビーム?」
 スレートは忙しない動きで、司令官席からは高低差のある席に座る。ひとりでにキーボードを叩き、今日までに収集したありったけのデータを一箇所に集めた。
「三本指から放たれるオーベムの『シグナルビーム』は、対象者の海馬を直接攻撃し、記憶を自在に書き換えます」
 手慣れたリズムで、説明速度に従って、柱に設置されたモニターが図を映す。
 スレートは、脳と記憶のメカニズムについて軽く講義した。
「以前、マナフィのハートスワップをヒイラギさんにも説明しました」
 ハートスワップによって交換される「大脳皮質」という部位は、人の五感、運動、言葉、記憶、思考などを司る。これを交換する行為は、人格の交換そのものである。
「しかし、オーベムのシグナルビームはそれと性質が似ているようで異なる」
 オーベムが攻撃する「海馬」という部位は、大脳皮質のフィルターに近い。一旦インプットされた情報は、海馬で取捨選択され、必要、或いは印象的な情報のみ大脳皮質に定着する。
 このように、海馬自体は長期記憶を保存する機能を持ち合わせてはいないが、生成にあたって果たす役割は決して無視出来ないものだ。
 鮮烈な記憶や、蓄えられた記憶の出し入れを繰り返す内、人の中でその記憶はやがてすぐに忘れてしまう短期的なものから、長期的な記憶と化していく。
「しかし、シグナルビームはまさに、その機能を阻害する働きを持っています。加えて、その『短期記憶を改竄出来る』」
 海馬が損傷すると、新しく入ってくる情報の処理が困難になる。波導使いヒイラギの中で眠りを待つ情報が、正確な手筈を踏んで、しかるべき睡眠に就く前に、記憶改竄という形で妨害されてしまったのである。
 無理もない、とホオズキは思った。彼はひとりで脳が破裂しそうな情報の海に溺れながら、推測を繰り返しつつ真意に迫ろうとしていた。彼には記憶を整理する時間など与えられてはいなかっただろう。
「ヒイラギさんが記憶を改竄されたのは恐らく、キナギの任務後です。おふたりを忘れている点からして、ヒイラギさんは、スナッチャーにいた頃の記憶をまとめて改竄されています。彼は『最後に就いた任務を終えた後』という記憶を上書きされ、『スナッチャーの存在を忘れるよう』改竄されたのです。ですから、ヒイラギさんが『スナッチャー』という組織を通して、これまでの出来事を全て思い出すよう、記憶を再び改竄する必要があります」
「そんなことをして、本人の脳はボロボロにならないのか?」
「彼の体内には波導が巡っている。波導は自然治癒力を高めます、回復は早いはずです」
「なるほど、理には適っている」
 スレートは脳の仕組みについて、きちんと勉強している。その彼自身がハートスワップという手段に辿り着き、信頼したのも、こうして話を聴いてみると頷けた。
 ホオズキは顎に手をあて、考える。
「スレート、おまえはヒイラギの短期記憶が改竄されていると言った。だが条件を聞く限りでは、少なくとも……スナッチャーの任務は簡単に忘れられるほど、印象の薄いものじゃないと思うんだが」
 ホオズキはその時、少しばかり寂しげに目を伏せた。
「ホオズキさんの仰る通り、そこに付け入る余地があると思います」
 スレートはかねてから準備していたように、作戦内容を説明する。
「ぼくの策は以下の通りです。オーベムを何らかの手段で利用する必要がある。では、その手段とは『キャプチャ』にあると考えます。キャプチャされたポケモンは、レンジャーの意図するタイミングでアシストに入れる。イトハさんにオーベムをキャプチャしていただき、ヒイラギさんにシグナルビームを命中させる。その際、オーベムにイトハさんの記憶を読み込ませるのです。レンジャーのキャプチャは、ポケモンと精神を繋げる作業です。イトハさんはスナッチャーの記憶を一から十まで有していることから、オーベムに接続させたイトハさんの記憶をある種のショック作用として、ヒイラギさんが改竄中に忘れかけていた短期記憶を呼び戻し、長期記憶として一気に定着させることが出来るのではないかと、ぼくは考えています」
「待て、ヒイラギがオーベムに改竄されたと断定出来る証拠は?」
「ヒイラギさんの記憶が失われている以上、まだ確定はしかねます。しかし、ポケモンならどの種族でもいいというわけではない。記憶改竄の力をシグナルビームに上乗せ出来るのはオーベムだけです」
 ホオズキはインカム越しに、恐らく盗聴していたであろうレンジャーに尋ねる。
「聞いたか、イトハ」
『ええ』
「オーベムをキャプチャし、逆にシグナルビームでヒイラギの記憶を再改竄する」
『了解』
 通信を終えると、ホオズキはまずスレートをひと睨みした。スレートは怯える様子もなく、肝が据わっている。その食えなさが心底侮れない。ヒイラギが見事マナフィ捕獲任務を引き受けた理由が、今分かった。
「おまえ、おれたちを頼りに、わざとこの山に来たな」
 何処かでスナッチャーの情報網をキャッチし、ヒイラギの記憶を取り戻させるためにシロガネ山へ舵を切った。ホオズキが来るまでは計算通りだったようだ。
「あなたもヒイラギさんに負けず劣らず、勘が鋭いですね」
「ヒイラギが記憶を取り戻すことで得られるメリットは、おれたちにとって大きい。おまえの案に騙されたと思って乗ってやる」
「ありがとうございます」
「ただし。おまえに力を貸すかどうかは、また別の話だ」
「……心得ております」
 そのとき、スレートは重要な事実を、あえてホオズキに隠していた。

 靴紐を結び直し、イトハが心を決めたときだった。
『イトハ、何をしようとしているのです』
 声の主は、ジュノーだった。
『彼らはキナギのミッションで命令を無視し、独断専行に出ました。協力を仰げば、我々の組織を破滅に追い込みかねない』
 イトハはここぞとばかりに、「組織を破滅に追い込みかねない」独断専行者から得た切り札を叩きつける。
「『マルバはロータの里を追われた』、つまり波導使いから追放された人物と聞きました」
『それはどこからの情報ですか?』
「ヒイラギ自身の口からです」
『あなたはヒイラギの言葉を信じるのですか。ヒイラギが記憶改竄されているのなら、「マルバは悪」という、誤った刷り込みを受けた恐れがあると考えられませんか』
「ヒイラギがネオロケット団に操られていると、そういうことですか?」
 再会したヒイラギに違和感を覚えたのは、恐らく記憶改竄の影響だ。ヒイラギの情熱が零地点に戻されるほど、敵は念入りな無力化を図ったとみえる。
「であれば、スレートをプラズマフリゲート時点で倒しているはずです。ヒイラギはあくまでスレートの指示に従ってこのシロガネ山に来た、ならネオロケット団の意のままに動く可能性は低いと思いますが」
 それよりも問い質したいことがある。イトハはつとめて感情を爆発させないように試みて、声のトーンをひそめる。
「マルバをスナッチャーへと招聘したのは司令官です。このような事態を想像できなかったとは思えません」
 内通者の侵入に気を張っているのならば、人選には殊、慎重になる。
『マルバは巧妙に正体を隠していたのです……』
「では、認めるんですね? なぜヒイラギを参画させた司令官が、他の波導使い……それも追放者の情報を獲得していなかったのでしょうか」
 イトハは慎重に疑義を確かめる。
 しかし、期待した返答は得られなかった。

『司令官!?』

『イトハさん、すみません。司令官が突然……』
「どうしたんですか?」
 物音からして、倒れかけたのか、どのみち、常の司令官ではない。ないにもかかわらず、ジュノーは平静を気取ろうとするが、声の調子が悪いのをごまかせていない。
『いえ、なんでもありません』
『司令官、顔色が優れませんが』
「司令官、どうされましたか」
 ここにきて、ジュノーが崩れては、指揮に関わる。
『大丈夫です、任務継続を』
「声がおかしいですよ」
『司令官、お休みください』
 オペレーターの配慮も、ジュノーは跳ね除けているようだった。
『今、わたしが抜けるわけにはいきません』
『ですが、お体も相当……』
「司令官。わたしは行動出来る状態です。このまま任務を続行します」
『イトハ……、いけ、ません……』
 本当に苦しそうな声だった。腹を抑え、絞り出すようなか細い途切れ声だ。
 ジュノーはあくまでも、イトハを止めようとするニュアンスで、手を伸ばし、向こう側の世界に渡ってはいけないという迫力で、彼女を呼ぶ。
 このまま、愛想を尽かされ、自分のもとから離れていく人間を引き留めるような、今までにない必死さと情けなさが、そこにはあった。
 あまりにもジュノーの声が痛々しく、この人物を今まで内通者として疑い続けたことを申し訳ないと思ってしまうぐらいだ。
 このミッションは、今に始まったことではないが、状況の変化が激しすぎる。
 マルバがスナッチャーの三人目に迎えられて、そのマルバは里を追放された非公式の波導使いで、ヒイラギがプラズマフリゲートに乗って現れて、記憶を改竄されていて、ネオロケット団はなぜか一般人にまで矛先を向けてきて、ジュノーは体調を急変させて……。
 思考が未だ回転することを奇跡に思う。否、ここで思考を止めれば、考えることから逃げれば、歯車を回す気力は途端に失われてしまうだろう。
 あのキナギまでのヒイラギは、こんな孤独を抱えながら戦ってきたのか。
 内通者を突き止める、というヒイラギ、そしてホオズキの戦いを無駄にしないなら、今イトハが闇に飛び込むべきだ。
 分かってくれ、という想いを込めて、イトハは根気強く訴える。
「わたしたちは真実を知らなければなりません。何か知っているのなら、話してください」
 努力の甲斐も空しく、通信は途切れた。見捨てられたというよりも、これ以上醜態を晒せないという空気感だった。
 なんでもかんでも自分に押し付けないでほしい。すがるような思いで、第三のスナッチャーに泣きつく。
「ホオズキ、司令官の体調が芳しくない」
『こんなときにか』
「ヒイラギは記憶を改竄されてるし、マルバはもしかすると敵かもしれない。オーベムをキャプチャして、それで」

 大黒柱のようにどっしりとした構え、それでいて、最も暖かみのある厳しさで、彼は求める解答を返す。

『イトハ』 

『誰が味方で誰が敵か、しっかりと見極めるんだ。それが出来るのは、おれたちしかいない』

 ホオズキの言う通りだ。
「……うん」
『整理しよう。マルバが本当に追放者なら、ロータを憎んでネオロケット団サイドにつく可能性は高い。それにおまえも感じているだろうが、オーベムの規律正しい動き。指揮官がいる』
 キャパシティを超え、一時的に破裂しそうになる思考の駒を、ホオズキのゆっくりとした語り口調が、立つべき地点に導いていく。
「うん、わたしもそう思う」
『しかし、スレート……。結局、奴は味方なのか?』
 イトハは熱を冷ました頭で一考する。もう信じられるのはホオズキを除けば、自分の経験だけだ。全ての物事に是非をつきつけるのが、二人だけという局面、下手を打てば片方の戦線離脱に繋がる。
「スレートは……」
 100%の論証は不可能だ。しかし、ヒイラギはスレートを信じた。ヒイラギが信じたから、というわけではなく、あのヒイラギがスレートを味方につけることは、内通者糾明に繋がると考えた。
 ヒイラギの行うことは、無茶苦茶に見えて、必ず意味が隠されていた。感情ではなく損得で考えたとき、スレートはキナギのミッションにおいて、戦力となる人物だった。今もヒイラギの記憶を何とか取り戻そうとしている。
 自分の言葉が、ホオズキを動かす指針になることを理解して、イトハは宣言する。
「味方」
『よし。おまえの言葉なら信じるぞ』
 ホオズキはそれほど深いことを考えず、思っただけのことを言った。彼はお世辞を言わない性格だから。でも、イトハにとってはその言葉が現状を打破しようと、改めて奮起させるきっかけを与えるぐらいには、力となった。


 ふと目を離した隙に、プラズマフリゲートは、まるで新たな邸宅を検討しにきたショールーム扱いだ。
「さて、こっちも仕事だ」
 キャスケット帽の鍔を調整し、ドンカラスを繰り出す。銃のトリガーをくるりと一回転させた。チャキ、と音が鳴る。

 司令室にもオーベムの魔の手が伸びる。システム動作異常があちこちで発生し、警報が鳴り止まない。
 監視カメラに堂々と写り込むオーベム軍団は、通りがかりに次々と機器を故障させていく。最後の砦が侵攻されるのも時間の問題だ。
 スレートは孤立無援の状況で、レーザーキーボードを走らせながら怨嗟を漏らす。
「この船を乗っ取るつもりか」
 誇りと言えるほど大層で褒められたものは無いが、寝食を共にしたこの船が、個人の所有物として好き勝手されるのは我慢ならない。今は不在だが、艦長たる科学者の帰りを待っているのに、護り切れませんでした、では部下の示しがつかない。
 カメラを睨む必要はなくなった。身内間にしか通じない信号で意思疎通を交わし、スレートに一斉攻撃を仕掛けてくる。
 突如、手が止まり、背中が椅子に縛り付けられる。顎を無理矢理持ち上げられているような力に逆らえず、スレートはオーベムのなすがままに操られた。小さな玉座から引きずり降ろされ、階段をずり落ちる。爪を立て、四肢を床にこすりつけるように抗うも、顔面の筋肉さえうまく作用しない。
 なんとか腰のボールを探り当てるも、ベルトから外すのが精いっぱいで、場違いな無力の音を立てて転がっていくばかりだ。
「この、船だけ、は……渡さんっ」
 モンスターボールに入った4匹が主人の身を案じながら、オーベムに吸い寄せられていく。
「ドンカラス、辻斬り!」
 ボールが弾かれ、オーベムの内の一体が壁際に吹き飛ばされた。開閉スイッチが凹んだ衝撃で、中からデンチュラが飛び出す。
 オーベムのアイマスクが電源を落としたような暗がりに包まれる。
 スライディングで円の内側に滑り込み、手をつき股と足で鋭角を描き、全方位連射。
 心地よい金属音が響き、オーベムは壁へ縫い付けられた。頭を強く打った衝撃で、順に機能停止していく。持続の長い毒を塗り込んであるため、当分は目を覚ますまい。
 背後から好機を窺う者に対しては、首筋をラリアットのごとき翼で天井に、床に、打ち付ける。
 銃口の硝煙に向かってふう、と息を吹き付けた。針が装填されていることを確かめる。
「まるで籠城戦だな」
 拘束がほどけ、自由になったスレートは顔を上げた。
「ホオズキさん……」
 ホオズキは振り返らない。
「スレート、おまえは確かプラズマ団だったな」
「はい」
「なら、おれの解放にも付き合え」
「あなたは、誰を解放したいのですか」
 部屋に向かって我先と並ぶオーベムの行列は、終わらぬ戦闘を予感させた。デンチュラも入口にエレキネットを張る。
「おれの妻と、娘だ」
 先頭のオーベムはエレキネットにつかえ、後続を巻き込んだ。ホオズキとドンカラスの牽制でなかなか司令室に入ってこられない。一本道なのは運が良かった。
 デンチュラのエレキネットを学習してか、後続のオーベムは電撃波を繰り出す。ドンカラスは翼ごと絡めとられ、敵の再侵入を許してしまう。
「持ち堪えろ!」
 これでは埒が明かない。
 オーベムがむくりと起き上がり、眼に入るものを吹き飛ばす。
 デンチュラがクッション代わりに勇み出るも、それを先読みしてのサイケ光線。
 ホオズキがぎりぎりのところでトリガーを引き、オーベムは倒れる。そうしている間にも、第二、第三のオーベムが突入してくる。スレートも指示を出して応戦してはいるが、多勢に無勢だ。
 攻撃を喰らったデンチュラは、あらぬ方向へとエレキネットを飛ばす。横跳びにこれを回避し、状態異常を疑った。
「まさか『混乱』したのか」
 サイケ光線の追加効果による混乱付加が、敵味方の区別を失わせている。ホオズキは支柱を回り隠れながら、スレートに向かって叫んだ。
「残りのポケモンを全員戻せ!」
 モンスターボールの吸収音が返事代わりになる。しかし、それはすぐさま悲鳴に変わった。
「う、ぐあああああああっ!」
「スレート!?」
 デンチュラが主人に攻撃している。
 何重もの線の連なった十万ボルトが、スレートの肉体を蝕んでいく。
 がくりと膝をつき、スレートはこの残酷な仕打ちにひれ伏した。
「ドンカラスッ、オーベムを頼む!」
 エスパー技を受け止め、翼で殴り掛かるドンカラスに声をかけ、ホオズキは物陰からデンチュラに照準を定める。
 しかし、人のポケモンだ。この強力なニードルガンで撃てば、デンチュラは……。
 迷っている暇はない。スレートは呻き、苦しんでいる。早くしないと、命に関わる。ポケモンと人間の耐久力は違う。
「すまな――」
 そう口にしかけたとき、なんと、スレートは這いつくばってでも、デンチュラを抱きとめた。
 最初はかすった、二回目には電撃の餌食となった。それでも、まるで今度は離さないとばかりに、デンチュラを締め付けている。そうすることで愛が伝わると、本気で信じている者の行動だった。
 ホオズキは辛うじて銃口を逸らす。反応が遅れていれば、スレートの五臓六腑のうちどれかが弾け飛ぶか、デンチュラの脚を使いものにならなくするか、二つに一つだった。
 集中攻撃を受けているにもかかわらず、自分のポケモンに敵意ひとつ向けず、あんな接し方が出来るものなのか。
 ホオズキは、戦闘中にもかかわらず、ポケモンとトレーナーの静かな格闘に魅せられた。
 そこに通信が割り込む。
『ホオズキ、聴こえますね』
 一瞬、見知らぬ誰かかと思うほどに、ジュノーの声は枯れ、憔悴していた。何らかの変調を起こしたという情報は本当のようだ。
「ジュノーか? 休んでろ」
『スレートは……危険です。彼に、力を貸しては……』
 任務妨害を受けたことから、ジュノーがスレートを危険視するのは分かる。
 しかし、海底神殿で見た、目的を達成するために手段を択ばない姿と、目の前で闘っているスレートの姿には、いささか乖離があるように思えた。
 ホオズキは、おしなべてプラズマ団を同一視する理由で、スレートを皮肉った。そんな世間一般のイメージと、デンチュラへと必死に呼びかける彼の像は、ポケモンとトレーナーの純粋な関係を想起させる。
 少なくとも、操られたからといって安易に攻撃を即断したホオズキよりも、ポケモンに対する愛情を持ち合わせていることは確かである。
 悪の組織に身を置いていた人間なら、ポケモンをもっと邪険に扱うことに躊躇いが無い。Jやサカキは好例だろう。
 プラズマ団は解放を是としていた分、ポケモンと人間の在り方について正面から向き合っている。
「……あいつはまがいなりにも、自分たちがしてきたことを考えているみたいだ」
 プラズマ団の罪。
 個人の意思を尊重せず、大局の都合で、ポケモンと人間を引き離そうとしたこと。
 ホオズキがセッカシティに居を構えていた頃、プラズマ団は活発な勢力だった。イチジクに一度、尋ねられたことがある。

『おとうさん。わたしも、ゴビットやエオフとさよならしないといけないのかな?』

 娘に、そんな疑問の介在する余地を与えてしまったことを激しく後悔した。
 ホオズキはロケット団と同じぐらい、プラズマ団を憎んでいた。人らしい半生を捨ててまでようやく手に入れた、破片のように過ぎないちっぽけな幸せを、また悪の組織の手によって握り潰されるのかと。
 ホオズキがスレートを信じ切れないのは、そういうわだかまりが心の片隅に残っているからかもしれない。
 少なくとも、イッシュで暴徒と化していた頃のプラズマ団と、彼は様子が違う。
『いえ、彼はヒイラギと同類です』
「ジュノー、なぜヒイラギを追放した」
『今更ですね。彼は、わたしが内通者と疑っていた』
「内通者はおまえじゃないのか?」
『なに?』
 ホオズキは顎でオーベムを指す。
「あいつらを使って……、ヒイラギも陥れた」
『何を言う……』
 通信越しの鈍い音が、自分に向けられた衝撃だと、次の叫びが証明する。
『わたしが、どんな想いでここまで戦ってきたと思っている!!』
「そこまで言うなら、おまえも本当の自分を見せてみろ」
 引き下がらないホオズキに、ジュノーは狼狽えた。何を言っても今まで従うことしかできなかった部下に初めて反論され、喉元を噛み付かれた気分になっている。
『本当の、自分だと?』
「見せられないか」
 オーベムをほぼ反射神経で撃ちながら、ホオズキは通信を交わす。
「ヒイラギは、見せたぜ」
 いけ好かない波導使いだが、全てを曝け出した。
 彼の波導は、実に青く、蒼かった。
「ジュノー、おまえは自分の波導の色を知っているか?」
『波導の色ですって?』
 また鈍い音がする。息をぜえぜえと吐き、何かにもがき苦しんでいる。その痛みは酷く、空虚だった。苦痛を味わうこのわたしは、あなたがたと一緒に苦しんでいるのだと認めてほしい、そんな弱さを偽物の言葉から感じてしまう。
『そんなものがなんだ。あなたはわたしに意見出来る立場ではない』
「……そうだな」
『あなたが戦うのは世界のためなどではない。自分のためでしょう。わたしは世界のために戦っているのです』
 あくまで、ホオズキとは違う場所に、崇高な目的を求めているのだと、人種の優位を説く。

 デンチュラからの電撃が鳴り止んだことに気付くと、スレートは腕を離す。
「混乱が解けたんだな。よかった……」
 破けかかった衣服から、焼け焦げた肌が覗く。デンチュラは糸を吐き、攻撃していった部分をひとつひとつ、丁寧に繕った。
「ありがとう」
 そんな一人と一匹の余韻を台無しにする光線が、撃ち放たれる。
 ホオズキはニードルガンに手をかけたが、弾切れならぬ針切れだった。ジュノーとの通信中に、オーベムを何匹か狩ったせいだ。
「ドンカラス!」
 ホオズキは声を飛ばす。しかし、辻斬りの間合いに入らない。ドンカラスも間に合わず、デンチュラも混乱状態から立ち直った後では、まだ意識が朧気だ。
 スレートは腕を広げ、シグナルビームを、真正面から受け止めた。
 ポケモンの技を二度も浴びるなど、正気の沙汰ではない。
 ドンカラスが即座にオーベムを切り裂き、事なきを得る。改竄は瞬時に行えるものではなく、ある程度の持続時間が必要になる。よって、スレートは記憶を改竄されずに済んだ。
 ホオズキは急いで駆け寄り、スレートを抱きかかえる。
「おまえ、なんてことを」
「これで、良いんです」
「何が良いのか分からん」

「ぼくは……既に記憶を改竄されていますから……」

 シグナルビームによって一度海馬を損傷した場合、二度目の損傷は軽くなる。そういう問題じゃないだろ、とホオズキは叱る。
 スレートはヒイラギの記憶を取り戻すことに綿密な計画を立てる一方、自分のことについては何も喋らなかった。
「おまえッ、そんな大事なこと、何故言わなかった」
「ヒイラギさんの記憶を戻すことだけに、集中してほしかったのです……」
 ホオズキはたまらなく苛立った。自分というものを焼却するスレートの生き様が、あまりにも自分と正反対だからだ。まだ若く、老い先が短いわけでもないのに、自らその身を投げ打とうとする。
「おまえに取り戻したいものは無いっていうのか!」
 スレートは、ぽかんと口を半開きにする。なんで、自分のために胸倉を掴んで怒っているのか、不思議そうに停止している。
「ヒイラギを追放に追い込み、組織を追われたヒイラギを拾って、また戦わせる。そしてヒイラギの記憶を取り戻すため?」
 若造が。自己犠牲精神で一丁前な面をするな、百万年早い。
 誰かを巻き込み、他者によりどころを求めるようにして生きてきたホオズキは、尚更そう思ってしまう。この若者は齢半ばにして向こう見ずであり、自分よりも遥かに肝が据わってたくましい。
 以前、ヒイラギにも似たような危うさの片鱗を感じたし、イトハも頬に陰の差し込むときがある。
 若者というものは、どうして、こうなのか。
「おまえの闘いには自分ってものが無い」
「……確かに、勝手ですよね」
 スレートは自己中心的であることを認める。

「ですが、全ては内通者を……突き止めるため。それがこの戦いを、少しでも早く終わらせるための、近道になる」

 途切れ途切れに紡ぎ出される旗印は、スナッチャーを勝利に導く、というただ一点のみを見据えていた。
 だが、そこまで懸ける執念は異常だ。
 彼はまるで、ミッションを通して、スナッチャーをあるべき方向へと導いているようだった。それはオペレーターの仕事だ。
「なぜ、そこまでおれたちに入れ込む」
「さあ、何故でしょう……。ぼくも、それを知りたいんですがね」
「おまえ――」
 ドンカラスの悲鳴が聞こえた。
 オーベムがシグナルビームを練り上げている。再びスレート、そしてホオズキを狙っている。本当は話などしている場合ではないのだ。
 ここで逃げれば、ホオズキは助かる。
『ホオズキ、スレートを見捨てなさい……』
 ジュノーが耳元で囁く。
「ホオズキさん、行ってください。ぼくに構わず」
 ドンカラスが一番、ホオズキの迷いを理解していた。オーベムにシグナルビームを撃たせまいと、嘴で腹をくり抜きに向かう。囮の役目を引き受け、時間を稼いでくれていた。
 ホオズキはドンカラスから送られる視線に、力を感じる。まだまだ戦えるという闘志が翼の光沢に漲るかのようだ。
 今、プラズマフリゲートを去れば、それこそスレートたちは袋叩きだろう。この船には戦闘員がいない。
『何を迷っているのですか』
「ホオズキさんっ」
『その人間の記憶を取り戻して、あなたに何の得がある』
 世界のため、と豪語するが、ジュノーの発言は実のところ空っぽだ。
 自分で雇った味方の波導を「そんなもの」と言い放つ、結局そこが本性なのだろう。
 我欲を根こそぎ捨て去るこの男こそが、悔しいが、真に世界という大局を見ている。
『イトハ、おれはプラズマフリゲートに残り、スレートをサポートする』
『……必ずヒイラギの記憶を取り戻せ。それが出来るのは、おまえだけだ』
 
 スレートは瞬間、覚悟を固めた。

『ホオズキ、あなたはつくづく愚かだ』
 ジュノーは、彼の言うところの「愚か者」に感化されたホオズキの決断に、多大なる失望を隠せない。
『先程も申し上げたはずです……。あなたが戦うのは、自分のためでしょう』
「ああ、勿論そうだ。だが、自分を抑えなきゃいけないときもある」
 ホオズキは終始妻子のために銃を取り、ポケモンを使役する。その姿勢はこれまで歪みの無いものだった。
 ジュノーはホオズキの一貫性がここにきて揺らいだと言いたげだが、本人からすれば何一つ当初の目的を変えてはいない。
『それが今だと?』
 もちろん、彼自身がスレートを見捨てないと決めたことは、船内に残留する一因だ。
「おれが戦うのは、妻子のため。そして、スナッチャーのためでもある」
『……では、ハマユウとイチジクがどうなってもよろしいと?』
 その脅迫は必ず来ると覚悟していた。
 ――おれも運命に叛逆するぜ。
 イトハからは笑われてしまったが、誕生の島でのホオズキなりの決意表明だった。
 ホオズキは添い遂げた妻を、もっと信じることにした。自分が駆け付けるまでの間、イチジクをきっと護ってくれると。少しだけ、わがままを突き通させてくれ、と心の中で祈る。
 なに、ロケット団から逃げおおせたおれたちなら、どうってことないだろう――。
「幸せは自分の力で取り戻す」
『あなたは間違っていますよ……。幸せが、自分の力で手に入れられるものだと思っている内はね』
 最後の一言だけが意味深に響く。
 幸福の概念に対する見解相違は、ジュノーからすれば到底認められないようだった。
「おれを脅すのは結構だが、自分の首も皮一枚で繋がっていることを自覚しろよ」
『何を言う』
「ヒイラギの記憶が戻れば、全てが分かる。本当のおまえの姿を暴いてやる」
 通信が切れた。
「これで、よかったのですか」
「スナッチャーが勝つためには、おれやイトハだけじゃなく、ヒイラギやおまえが必要なんだ」
「あなたに裏切りをさせてまで、ぼくは」
 責任を感じるのは当然だろう。むしろ、感じてもらわなければ困る。
「ああ」
「裏切るのは慣れてる」
 シグナルビームに向かっていくドンカラスに、デンチュラの電撃が一層強く応えた。

■筆者メッセージ
今回とPhase 22を執筆するにあたり、次のページを参考資料としました。
実際の症例でもありますが、作中の描写はあくまでもフィクションです。理解の手助けになれば幸いです。
http://www.ninchisho.jp/bacic/01.html
はやめ ( 2019/02/13(水) 23:01 )