Phase 34 亡霊の終着点
威嚇射撃を終えたのち、レーザーサイトはそれきり反応を閉ざした。沈黙はどうしようもなく刻限を刻み、焦燥感を駆り立てる。
廃墟は少なくとも追跡に適した条件とは言えない。しかし、件の「刺客」はスナッチャーの任務より先に潜伏している分、地の利に精通している。
通信機は故障中、まともに連絡が取れる状態ではない。第二撃が来ない時宜を見計らい、ホオズキはドンカラスを宙に呼び出す。
「至急、イトハを呼び戻せ。まだそう遠くには行っていないはずだ」
切れ味のある嘴が、肯定の意をもって傾く。斜めに部屋を横切り姿を眩ました。
残されたホオズキは、側面と壁の隙間を1cmほども開かず、右腕を慎重に動かし、ホルスターからニードルガンを外す。
敵の照準がいつ、どこを潜伏先に選ぶか、波導使いを欠いたチームでは予測が立てられない。それなら、一箇所に留まるより、廃墟という舞台を活用して、敵を炙り出す方がより効率的だ。
スタンドプレーから成るスナッチャーのチームワークに一定の信頼を置いた上で、ホオズキは単独行動を開始した。
我ながら強く当たりすぎたと、熱が冷めてくる頃。イトハはせかせかと脚を回転させながら、虚栄の館の偵察に励んでいた。
腰元に装備したモンスターボールがバイブレーションよろしく揺れる。サーナイトの止まれ、という合図だ(本来、レンジャーのアシストポケモンはディスクに入りサポートに徹する決まりだが、複雑な経緯により、イトハはレンジャーの掟を破ってサーナイトをモンスターボールに入れている)。
階段を降りる途中で立ち止まった。
視界の端に映り込む、窓枠に被さる影。
スタイラーを中指でつつき、ファインダー付き小型カメラを跳ね起こす。膨大なブラウザ情報と実物とを照合する作業が、レンジャー式の種族判別法だ。
赤い突起物を手掛かりに、検索を開始する。ローディングを待たずとも、オニドリルだとは分かるが、念のためだ。
はて、この島周辺に、オニドリルの飛行形跡などあっただろうか。
鋭い眼に射止められる瞬間、違和感は危機感へと変わる。
オニドリルはまっすぐ、中段目掛けて急降下する。対して、手すりを掴むや否や、右脚でまたぎ、残る左脚をも放り込む。宙返りの衝撃をボール越しの念力で和らげた。
タン、という一回転のリズムが響く。骨に負荷を加えない程度の着地が、オニドリルの強襲を未然に防ぐ。首を向ければ、屋敷の玄関を思わせるフロアに立っていた。
命じられた獲物を仕留めるのに失敗したオニドリルは、真正面からレンジャーと対峙する羽目に陥る。
『くちばしポケモン オニドリル』
今更照合を終えたブラウザ機能から、キャプチャモードに移行。肩を思い切り後方に引き、背筋を寄せてスタイラーのワインダーを引き抜けば、何重もの出力と回転が加えられ、キャプチャ・ディスクが火花を散らす。
しかし、イトハは寸前で射出を止めた。彼女の頭上付近から、もうひとつの影が飛び出したからだ。
「オニドリルが二匹?」
慌てず、もう一匹にも検索をかける。オニドリル同士が嘴を突き合い、一方の脚がすれ違いざまに肉体を脚で挟み込んだかと思えば、階段中を引きずり回した。暴力に一片、二片と、羽を舞い散らせ、片方は建物の外へと退散していく。
ブラウザデータベースが出した答えは、オニドリルではなく、軟体の体、すなわちメタモンが表示されていた。
イトハを助ける義理を持ったメタモンがいたかどうか思い浮かべ、ミッションの隙間に挟まれた紙片を抜き取るがごとく、はっと思い出す。
「あなた、あの時のメタモン――」
オニドリルは、オツキミ山で見たまなざしのメタモンと一緒の姿に戻った。
「薄情だな。たかが一匹のポケモンの命を救うため、味方のことを忘れ去るとは」
そこに降って来る声が、メタモンを件の存在と確信させるに至る。
元ロケット団ボス・サカキと、プラズマ団エクリュのメタモン――結び付かないようで実は結べる線が繋がった。振り返ることもう遠い記憶に追いやられつつあるオツキミ山での出来事。ヒイラギはイトハを罠にはめるべく、エクリュのメタモンを預かり、内通者容疑をかけた。
その際、カラマネロの思惑でメタモンは洗脳された。それを解除されたのち、ピッピたちの群れに混じり、ヒイラギ当人が知らぬ間に危機を救う手伝いを行った。カラマネロの生命維持に終始するあまり、即座に支部へとテレポートしたことから、その後メタモンと会う術は残されなかったのである。
経緯をふまえると、おやと離れ離れになった哀れなメタモンを拾ってやったサカキが「薄情」と揶揄したくなる理由も、頷けなくはない。例え、戦場が誰かと結ばれた縁を後生大事にとっておける場所ではないにしても、だ。
サカキは古豪のマフィアそのものの空気を纏い、階段を一段ずつ革靴で響かせる。ヒイラギもホオズキもいない中で、ロケット団のボスと対面するのは初めてだった。
「あのカラマネロは助かったか?」
「ええ、おかげさまで」
オツキミ山で、カラマネロを殺害しようとしたのはサカキ本人だ。返しの含意は言うまでもない。
サカキは鼻で笑ったそぶりをする。イトハとホオズキの二人に挟まれた男がいない。欠けた穴を気にかけている。
「あの波導使いは何処に行った」
伝えていいものかどうか、僅かに逡巡し、イトハは口を開く。
相手がロケット団とはいえ、今は利害を同じくする立場だという事実は、冷静に検討する価値があると思った。
「……消された」
「組織に飲まれたな」
ヒイラギの叛逆をそう総括すると、悪の権化は、次にイトハを観察する。サカキは肩章に記された数字の「10」に着目した。
「ユニオンの、それもトップレンジャーか。ならおまえも組織に利用される側の人間だ。内部にいればいるほど、その感覚が薄れる。そういう意味では、あの波導使いは愚かだが、純粋だ。わたしの正体にも見当をつけていただろう」
「あなたは組織を利用する側でしょ」
「果たしてそうかな」
イトハは無意識に、え、という声を漏らしていた。
「わたしとて、ロケット団という制御のつかない怨霊に操られているかもしれん」
「そんなこと言うなんて、意外だった」
サカキの意思は、スワンナの一声にも等しい。
「だが、怨霊には怨霊になる理由がある。執着・後悔・煩悶・無念――なら組織の声に動かされても、このわたしが代弁せねばならん。我々の組織を愚弄する、見掛け倒しの悪事に対する怒りを」
彼は、操られることを半ば心地良く思っている。行き場も無く誕生の島に戻ってきた亡霊たちからの信頼を、一身に受けていた。
その迫力に呑まれかけつつも、イトハは慎重に疑義を確かめる。ボス自身の口から聴き出すべき言葉を。
「一連の事件に、本当にロケット団が関わっていると、あなたは考えている」
「わたしの知らないところで知っているものが動くのは、気持ちの悪い話だろう」
「あなたは敵の正体を知っているの?」
「今、知らないとわたしは言った。だが、この戦いが終わる頃には、倒すべき敵が明らかになる」
断言に淀みは無かった。
組織が壊滅させられた今では、サカキも追われる側の人間となり、何の因果か、全ての発端となる孤独の島に帰り着いた。スナッチャーと共通の敵を追って。
だが、ホオズキの妻もろとも葬り去ろうとした執拗さ、ポケモンに対する数々の惨い仕打ちを思い起こせば、手を組むことすら唾棄すべき悪党だ。その線引きだけは慎重に行うべきだ。
イトハは熟慮の果てに口を開く。
「わたしたちは――」
研究棟を抜けたホオズキは、公衆浴場と思しき跡地に辿り着く。視野の広がる限り、上下左右方向にニードルガンで威嚇しながら、浴槽の間を通る。水溜りに反射する光跡が道を描くように、ホオズキを過ぎ去った。眼の錯覚かと思い、ひたと、足を止める。
雨のように心を急き立てる騒がしさではない。蛇口を閉めそびれ、其処に気配を残してきたような違和感があった。
「なんだ?」
それと、もうひとつ。海岸線の方角を注視する。
鳥ポケモンに吊るされた人らしき輪郭から、赤い閃光がキラリと覗いた。こちらの光跡にあてられれば、石像だけが残る。
咄嗟に身を翻した。コートの裾がはらり舞い上がる。増援をあてにせず、装備から閃光弾――光の珠である――を打ちつけ、視界を乱すも、一時凌ぎにすらならない。
狙撃手がホオズキを一番目の標的に選んだことは間違いない。
「ッ、ゴルーグ!」
ホオズキは紅白の玉を投げ、飛行機能を有するゴーレムポケモンで対抗を図る。
数秒の差で、レーザーが虚無を射抜き、上空で刺客を視認する。
体格はそれほど頑丈な仕上がりではない。痩身で青白く、上半身から下半身に至るまで海藻のようで、オニドリルに肩を持ち上げられていると、一体化したと見間違う。前髪に潜む片目の下に出来た隈が、顔色の悪さを一層強調する。
ホオズキは挨拶も無しに、当人とそのポケモンに向かって、トリガーを引いた。一閃を描く銀針が、こちらもまた、空の獲物を撃つ。
ゴルーグとオニドリルは、互いの主人を撃たせまいと牽制し合うために酷く不規則な軌道を描いた。
響くのは銃声のみ。ホオズキが放った内の一本が、丁度膝を射た。重心のバランスが荒れる。
オニドリルも顔負けの怪鳥じみた悲鳴が、位置を特定する手掛かりだ。かじかむ照準を、今度こそ固定する。
しかし、鍛えられた敵方のポケモンは即座に狙撃ポジションからの離脱を図る。それ以上銃撃戦を繰り広げていれば、先に主人が落とされることは鳥ポケモンの鋭い眼にもくっきりと見えたからだろう。
三十秒ともたない交戦であった。
ゴルーグがジェットを鎮火させながら着陸するにつれ、そのトレーナーは頭に逆流し、密集していた血が、ほのかに下っていくのを感じた。
危機感に乗じて、うっかりゴルーグに頼り切っていたことを我に返って自覚する。帽子があれば、目線を逸らしやすく、表情もごまかしやすかったものを。
「都合の良いときだけこき使って、すまないな」
いつもならば、感謝というより陳謝の言葉も大して寄せなかった。
しかし、ポケモンとの向き合い方をまっすぐに見られないホオズキなりの葛藤には、変化が及び始めていた。
当然ゴルーグは一言も返してくれないし、ハマユウなら「あなたったら、キャスケット帽を被り忘れたの」と指摘するような違和感をも抱かない。
例えば、島に流れ星が降り注いだとして、すべてのポケモンが言葉を発する奇跡が起こったとしても、それは泡沫の夢に過ぎず、また次の朝には寡黙なゴルーグに戻っていそう、というぐらいに不動を貫くのだ。
自分は喋れないポケモンを不幸な目に遭わせている。そんな自分を受け入れることから始まり、じっくりと独り考えに耽ると、突き刺すような辛さとも向き合えた。
ホオズキはいつも、ポケモンに支えられながらここまで来ている半人前トレーナーだ。
こいつらに、何かひとつでも、返せるものは無いか……。
そう思い、所在なさげに俯くと、空間が明滅する。フラッシュというには激しく白光せず、チカリ、眩むだけだ。
「まただ……。おれの眼がおかしくなったのか?」
度重なるストレスが、いよいよ体そのものを左右する変調をきたしたのでは、とその心配によって逆にまた潰れそうにもなる。
視野に混ざる光跡が自分をどこかに辿り着かせてくれるものだと信じつつ、懸命に革靴の爪先を動かす。
現状、後退しているのか前進しているのかの区別は悪路でつきにくいが、光という性質ではなく、光を纏った意思ある実体がホオズキを導いていると判別出来るほどには、「それ」が視えるようになってきていた。
彼はおのずと、屋上にある小屋へと連れられた。
ここは、まだ保育園・幼稚園に通うような年齢の子どもを独自に教育するための施設だ。風呂場のようなスペースとて、団員たちがくつろぐための設備ではなく、みずポケモンを訓練するための池だったようだ。
板は剥がれ、床の隙間が無遠慮に晒されている。椅子や梯子は並んで倒壊しており、開けた景色からはありったけの海を望めた。茂りっぱなしの草の上には、滑り台が立っている。
子どもの遊具に手を触れつつ、自分がまだ幼児であった頃を追想した。ロケット団であった頃の忌々しい自分だ。しかし、同時にロケット団でなければ、ハマユウと出会い、イチジクという宝を授かることはなかった。
光跡は、無邪気に飛び回る。
この一帯は、制約され、与えられた遊び場であっても、自由時間の間は、めいっぱい使い古されたであろう跡が残っている。
イチジクがここに来たら、滑り台を滑りたがっただろうな……。ハマユウはきっと、一緒になって遊ぶ。二人を親指と人差し指でつくったレンズに収め微笑むホオズキも、一緒にやろうよと誘われる。そうすると、年甲斐もなく腕をまくってはしゃぎ……。
そんな、叶いもしない想像図に囚われていた。
光跡が止む。
「会いたいなあ」
一度は掴んだはずの幸せを、どうして手放すことになってしまったのだろう。何を、どこで、間違えたのか、ホオズキはずっと自問自答を繰り返し、終ぞ答えは出なかった。
ホオズキを幸せにした宝は、ホオズキを不幸にする枷になっている。でも、今のままではお互いのためにも良くない。出会った事実を後悔に変えてはいけないのだ。
生きているかも正確には言い切れない妻子を、自分の中で必死に生かしながら、会える日を夢見て戦うしかない。どれだけ残酷な結末が、待ち受けていたとしても。
もう、悪党である自分を忌みはしない。チーム・スナッチャーNo.001を授かって戦う『ホオズキ』は、心まで悪意に攫われたわけではないから。
そう決意した瞬間、ホオズキの眼前には『ミュウ』が視えていた。
「おれにも、視えた……」
眼をじっと凝らさないと、本当に空気に紛れ、透明になって消えてしまいそうな、細やかな体毛。尻尾と足の指だけ、血が通うかのように、ほんのりとロータスピンクに染まっている。
妻子に会いたくても会えないホオズキへの容赦として、せめて自分には会わせてあげようという慈悲がはたらいたのか、真意はミュウのみぞ知る。しかし、神のいたずらっぽく、微笑んで――。
「オッ。命中、命中。分かりやすくて助かる」
目を合わせたばかりのミュウは、助けを求める、心許ない弱さへと、瞳の形を変えた。
ポケモンを痛め付けて遊ぶのを楽しむ、子どもが時折垣間見せる残虐な本性、それを保持したまま育ったような男が、わざとらしく手を叩く。
ミュウが囚われたのは、
「『クリスタル・システム』……」
六角形の檻がミラーコート効果を発揮し、幻種の抵抗は徒労に終わった。
ホオズキの前に、三度立ちふさがるロケット団の発明を忌々しく睨む。一度目はミュウツー、二度目はラティオス、そして今回だ。
「そうスか、これに見覚えがあんだな。ロケット団は、つくづく便利なモノを残してくれたよなァ」
苦しみ悶えるミュウが滑り台の頂上へと運ばれていく様も、向こうには視えていないだろう。でなければ、掻き壊すような悲鳴を無視してまで、下品な笑みを浮かべる真似は出来ない。
男は背筋を曲げ、首を突き出した前傾姿勢で自己紹介する。しているつもりだろうが、挨拶が目的だとすれば、他人には挑発にしか映らない。
「はじめまして、タイタン先輩。随分てこずらせてくれましたね。脚まだ痛むンですよ」
撃ち抜いた膝は無理矢理止血されたのか、圧迫の痕が凄まじい。
だが、ホオズキは微塵も可哀想とは思わない。自身の正体が在る程度勘付かれたことにもさしたる驚きは無い。恐らく、ホオズキの素性を探るのも目的の一環だったはず。
「おれのコードネームを知っているということは、元ロケット団か」
サカキが暴こうとしていた裏切り者と、内通者が差し向けた刺客とが、一本の線で繋がった。元は同じ組織出身といえども、思い出を汚す不遜な輩に対し、ホオズキはかける言葉も見当たらない。
逆に、男は吐き捨てた。
「『清らかな心と、強く会いたいという気持ちを持つ者の前に姿を現す』これがミュウの伝承。あんたは見事、選ばれたってワケだ」
本来、ホオズキはミュウを視るに値する側の人間だった。
任務による極限の負荷が、彼という人間を追い詰め、歪め切った。ホオズキは自身のルーツともいえる誕生の島でひとつひとつ、克服すべき事柄と向き合った。ミュウの出現は、その集大成に等しい。
敵は誰かが「ミュウを視る」ことを前提にし、自分たちには到底不可視の存在を捕らえるため、利用を目論んだ。スナッチャーを排除し、ミュウをも手に入れるという漁夫の利を得るためだ。
「……なるほど、そういうことか」
「もう用無しだァ、先輩」
敵とホオズキ、銃口を向ける速さに別段差異は無かった。
ただ勝敗を分けるとすれば、オニドリルを駆った気になっている敵が、夕闇に紛れる黒翼を見落としていた点だ。
誕生の島という業に塗れた、負の遺産を象徴する、強欲の壺めいた破顔は更に崩れ、すぐさま黒目の向かう視線は右斜め後ろに集中する。
「あ?」
主人を拾い上げたはずのオニドリルは、すれ違いざま、トレーナーもろとも袈裟斬りにされる。
灼熱の夕日に飲み込まれる点ほどにオニドリルが小さくなったことに衝撃を受け、次に誰も自分の着地を支える手駒がいない恐怖を滲ませてから、狙撃手は墜落する。
骨の何本かがいかれた音がした。
「ドンカラス……よくやった」
長年の付き合いは、主人の影に着地し、双翼を畳む。
「世話、かけるな」
ホオズキが流し目に添えた労いの一言に対し、ドンカラスはきゅっとハットの毛並みを整える。
実にドンカラスらしい反応だと思った。照れ臭く、感情を正直に表現するのが苦手なのはお互い様だ。
改まった言葉をかけるのは、時に、かえって長年かけて築き上げたものを、逐一これは合っているかと相手に尋ねることで、関係をこじらせてしまう。
少なからずドンカラスは、ホオズキが腐り落ちた果実になっても、着いて来てくれるだろう。
「アアアアアアアアッ!! 痛エエエエエエエエッ!!」
敵は膝を丸め、大泣きと共にその場でのたうちまわり、耳を塞ぎたくなるほどの絶叫で喚く。
それでもレーザーを闇雲に撃とうと腕をひねる。しかし、一向に発射されない。トリガーは無機質な音を立てるだけだ。みるみるうちに、刺客は青ざめた。
「なんでッ、なんで出ねえ?」
「銃をよく見ろ」
既に銀針が撃ち込まれた光線銃は、機能停止の罅割れを起こしていた。
翼を携えたスナイパーは、一度翼をもがれてしまえば、二度と羽ばたくことは出来ない。
後はミュウを助ければミッションクリアだが、問い質すべき事柄も枚挙に暇が無い。ホオズキは暗い瞳で、元同僚を見下ろしていた。
「へ、へっ……なんだよ、元は同じ組織じゃねえかッ。そんな蔑んだ眼で、見たってよォ、オマエと、オレの間にはッ、大した差なんかねえんだぞ」
「ロケット団を裏切ってまで、なぜJたちに手を貸す?」
「なぜ、って?」
男は笑い出した。全身が故障したのではと心配になるほど、爆発するように、いつまでも大口を開けている。大層おかしいことを聴かれたと思う一人と、何がおかしいのか全く理解出来ない一人とが、そこにはいた。
敵は「大した差が無い」と関係性をひっくるめたが、同じロケット団出身でも、埋められない溝というものが存在する。
「んなもん、決まってんでしょ」
痛みは退いたのか、それとも単なる痛覚を遮断してしまうほど、目の敵にする理由が燃え上がるのか。ともかく、ホオズキを離れた視線は次に、迫り来る元ロケット団首領の足音を捉えていた。
「アイツがロケット団を潰したからだよ」
ドンカラスが無事に連れて来てくれた二人の人影は、途中で分離した。
「イトハ、それにサカキまで……」
「『ミニトマ』。遊びが過ぎたな」
サカキはホオズキの存在など、最初から視界に入らないかのように振舞い、それよりも昔の部下を厳しく見据える。
「これはこれは、皆様揃い踏みで……」
ミニトマと呼ばれたJ軍団の一味は、大袈裟な身振りで、小馬鹿に鼻を鳴らす。
サカキのロケット団解散が、ミニトマの裏切りとどう関係付けられるのか分からないホオズキは、なおも詰問を続ける。
「ロケット団が潰されたことと、おまえがJたちに加担する理由はイコールにならない」
「なるんだよ、それが」
「言っている意味が分からんぞ」
ミニトマは、やはり卑屈に喉で笑うと、わずかに剥き出した歯で敵意を露にする。
ホオズキは、これまでいなかったタイプの敵に、ある種の戸惑いを覚えていた。他の人員は機械的に命令を遵守する兵隊でしかなかったが、明らかにこの刺客だけは自己の思想をもって任務を遂行している点で、スナッチャーと同じだった。
ミニトマの上目遣いは、力ある者の隙に取り入る人種の媚売りに該当するどころか、上からホオズキを憐れんでいた。人間としての器を量られているような気持ち悪さすらおぼえる。
「アンタ、幸せ者だな」
絶対、自分には似つかわしくないと思っていた言葉を吐かれた。
この世で最も縁の無い単語にカテゴライズされたホオズキは、文字通り絶句していた。
認めたくないことを、何の虚飾も無く、まっさらな状態で突きつけられた気がした。彼の人生は恵まれている、と。
「早くミュウを助けてやりなよ。オマエはもうロケット団じゃなくて、スナッチャーなんだろ?」
敵に諭されたホオズキは、傍にいるレンジャーと頷き合う。
クリスタル・システムを破壊する元ロケット団の姿と、ミュウをキャプチャするレンジャーの姿は、ミニトマにとって、つくづく自分の矮小さを強引に認めさせた。
彼は、ロケット団という組織内でこそ、自身の存在価値を確かめることが出来た。破壊と略奪、人間が当たり前に繰り返す営みを、組織はいくらでも正当化してくれた。弾かれた者の行き場、受け入れてくれる救済先、ミニトマ=ロケット団員、この肩書きは生きるために必要な、唯一無二ステータスであった。
ロケット団無き今となっては、捌け口を世の中に求められない。そこで、対価と居場所を提供したのがJたちなのだ。
「この煩わしい絆があるからこそ、世の中はとかく生きにくい」
その思考に同調し、石化の快感に目覚めた。最初はほんのゲーム感覚で始めたにもかかわらず、気付いたときには中毒となっていた。
他者を、自らの手を下すことなく罰する。そうすれば我こそは力の持ち主だと錯覚出来た。
現実ではさっぱり相手にされない自分が、人やポケモンの命を操っている。その事実が面白可笑しくてたまらなかったのだ。
「キャプチャ・オン――」
「ドンカラス、檻を断ち切れ――」
しかし、ミニトマに与えられたのは結局のところ、おもちゃだった。
本当に力を有する者はああやって正確に、比類無く、振るうことが出来る。
ホオズキはロケット団など存在価値も無く、所属する人間はおしなべて屑扱いしていたが、一概に言い切れるほど、画一的な人格の集合体を組織とは呼ばない。
何らかの事情で真っ当に歩めず、その場に座り込むことしか出来ない者は、ロケット団こそが明日を迎える場所だった。
だが、そんな受け皿は壊滅した。
ロケット団に人生を預け、食にありつく可能性を見出していた者たちは、それぞれ散っていった。
今では連絡も取っておらず、生きているのかさえ定かではない。何人かはショックのあまり、自ら命を落としたと風の噂も耳に入った。
ミニトマの楽園は徐々に崩落し、いつの間にか席すら残らなくなっていた。組織にすがり、寄生するつもりでいた者も含め、まとめてバッサリと切り捨てられた。
全ては首領のせいだ。
サカキがあのとき、戻ってきさえすれば。ロケット団は今でも名をあげていただろう。たった、それだけのことでよかったのに、何が団員の命を預かる、だ。サカキは団員全員の前で、そうスピーチした。
彼には組織を統べる者としての誠実さがなにひとつ無い。
ミニトマは前首領を呪い続けた結果、自分の苦しみを代わってくれる者に、いつしか救いを見出すようになっていた。
スナッチャーのキャプチャ作業を妨害せず、見物に勤しむサカキは、裏切り者のこめかみに銃口をピタリと密着させる。
どのみち、ミニトマ自身にもう抵抗するだけの余力は残されていない。少しでも不審な挙動を見せれば、即座に吹き飛ぶだろう。
だから、サカキの真意を最期に聴いておきたかった。
「何故、ラジオ塔の呼びかけに応えなかった」
ラジオ塔の呼びかけ、とは、ジョウト地方でのロケット団再蜂起事件を示している。セキエイ高原の制圧に失敗し、ロケット団解散宣言を受けたからといって、話はそこで終わりではない。
サカキの管轄を離れた残党たちが、ジョウト地方支配を実現するべく、各地で小規模の事件を頻発させた。そこには「まもなくロケット団は復活を遂げる」というポーズを取る狙いも含まれていた。
その最たる狙いが「ラジオ塔占領事件」だ。ロケット団幹部勢は、ラジオ塔の公共電波をジャックし、組織を代表してサカキに呼びかけた。
ジョウト全土に向けて復活を大々的に宣言したとき、ミニトマは異様な興奮に包まれていた。
劣勢に追いやられていたロケット団の栄光が戻ってくる。
しかし、サカキが表舞台に姿を見せることは一向に無かったのである。黄金の名を冠する少年によって、最高幹部は敗北を認め、今度こそ風前の灯は掻き消された。
それ以降、ロケット団は表社会からも、裏社会からも手を引いたという。
ミニトマは、アポロをはじめとする幹部・団員らの悲願に首領が応じなかったことを責めている。
「今になって現れ、ロケット団の首領を気取るのは片腹痛い。おまえは部下の無念に応えなかった」
サカキの横顔すら、夕日の影に隠れて見えない。
次に発する一言で、自分は殺されても構わないという覚悟を持ち、彼を呪い殺すために頭を絞って考えた最大の文句を発した。
「おまえこそが組織最大の裏切り者だ」
「我々の君主は違う。『あの御方』は、自ら前線に出ておられる。我々の痛みを理解し、根絶してくださる」
ミニトマは、頭蓋骨を劈く銃弾が撃ち込まれるどころか、小銃を離す慈悲ある首領の姿に打たれた。
丁度、ミュウのキャプチャが終わる頃だった。
「サカキ」
イトハは、彼の変化に気付く。
同情を寄せるつもりは毛頭無いが、古巣への愛情を聴かされた後では、ボスの表情変化にも敏感にならざるを得ない。
眉を寄せ、峰が形作られるほど険しく、何かから必死に逃げるかのように、瞼を閉じていた。
何よりも聴きたくなかった一言だったのだろう。部下のためを想って、重い腰をあげた者に対する仕打ちが、これか、と考えると。
社会からあぶれたロケット団員を救わなかったから、模倣者が生まれたのだと、声の主は訴えていた。
「ミニトマ、聴け。わたしはあの時、ラジオ塔に向かうつもりだった」
「嘘だ」
「嘘ではない。だが、またしてもレッドの奴がわたしの前に立ち塞がった」
「間に合わなかった……と」
サカキは重々しく、首を縦に落とした。
八年越しの首肯に、ミニトマは言葉を失くす。
「まさか、そんなことが」
無力を感じたサカキが、カントー・ジョウトを後にし、海外へと旅立ったのは、また別の話になる。
ミニトマの嘆きは、昔からの部下たちはとっくに解消していたのかもしれない。慕うボスを信じ切れず、あろうことか逆恨みし、己の弱みをごまかすために、サカキへと矛先を切り替えただけのことだ。
「話はこれで終わりだ」
この懺悔は、おまえのためにあるのではないと、縁を断ち切るように革靴のつま先で威嚇した。
「おまえをここに差し向けた者の名を言え」
ミニトマはまだ残る両手で草を掻き分け、情けなく後ろに下がる。それだけは見逃してくださいと、眼が潤んでいる。
「いっ、言えませんッ」
「では、その者が属している勢力名は?」
「それも……、い、言えません」
「言え」
「言ったら……」
「言ったら」
「絆を、断ち切られてしまう」
「知ったことか。言え」
ミニトマの喉仏はひくひく震え、既に拭っても止め処無い涙が、傷だらけの頬を慰めていた。
苦しみを和らげ、取り除いてやる組織が、仮にミニトマを庇護下に置いているとしたら、この怯えようは一体何を意味しているのか。
サカキは目を細める。ミニトマには、それすら地獄から舞い戻った悪鬼が下す制裁に映ったようだ。
「サカキ……様、どうか、お助けを」
「貴様はロケット団への忠誠心を捨てた。その敬称に今、わたしへの敬意はあるか?」
サカキの、十年を越えても衰えぬ立ち姿に、首領を見た。
「『ネオ』、ロケット団――」
いたって自然に、誰に操られるわけでもなく、口を割らされるでもなく、自分自身の言葉で喋った。
それが、追い求め続けた敵の正体。「Rocket」の六文字を偽り、騙し、虚像を形作った新生の巨悪。
イトハもホオズキも息を呑んでいるが、この場合誰よりも呆然と立ち尽くすのは、ロケット団を母親から継ぎ、ここまで肥大化させた当の本人以外にいない。
「ロケット……、団?」
その狼狽ぶりが、ミニトマの最期の活力となった。ささやかで醜い復讐は、これで果たされた。
ミニトマは乾いた笑いで、負債をサカキに押し付ける。
「ははっ。これでわたしは絆を断ち切られてしまう。あなたのせいですよ」
「何か来る!」
イトハは、彼方からの光源を察知する。しかし、スナッチャー、そしてサカキでもない第三者を見据えた方角だ。
ネオロケット団の「裏切り者」となったミニトマを始末するために「だけ」あてられた光線で、ホオズキたちを狙うものではない。
要は、口封じだ。
敵に救いを差し伸べるわけでは決してないが、それでも微動だにしないミニトマに、ホオズキは思わず叫んでいた。
「何してる、避けろ!」
「これで良い」
そう断言するミニトマは、死期を悟っているようだった。ホオズキは首を横に振る。
「またやり直せる」
「だからさ、そう言えるだけ幸せ者だろ」
死に瀕する諦めか、怒声はすっかり強さを潜めていた。ある程度、ホオズキの人となりを納得しても、なお甘ちゃんだと説くような嘲り方をする。
「どれだけ足掻いたとしても、悪党という過去は消せないぞ」
下は、覗けば覗くほど、底が無い。ミニトマのように、欲しいものすら分からなかった者は掃いて捨てるほど居る。
ロケット団を敗残者だと決め付け、存在価値を一蹴したホオズキは、ミニトマの苦しみに無自覚だ。
それがミニトマを無意識下で苛立たせていた。同属嫌悪という言葉で片付けられるほど、根の浅い感情ではない。
元ロケット団でありながら、国がバックのスナッチャーに籍を置き、善行で償える。妻子に恵まれ、家庭を築き、自分がロケット団をまるで脱したかのように振舞う。
ミニトマはそれを許せなかった。自分と同じ次元まで引きずり落としてやりたいとすら望んだ。しかし、堕落させられたのは彼の方だった。
「過去は変えられなくても、これからを変えることは出来る」
「いつまでそう言ってられるかな」
ミニトマの皮肉めいた恍惚が、ホオズキに眩しく刺さる。
彼が結局、最期に振り向く先は、愛を向けてはくれない首領だ。
「サカキ様――」
その「様」には、どんな意味が込められているのだろう。サカキは何も言わない。
石になった元団員に、零す。
ホオズキは本来告げてやるべきだった誰かの代わりに言ってやった。
「馬鹿野郎」
誕生の島の任務は、意外な形で終幕を迎えた。ミッションクリア後も、なお釈然としない空気が残る。特にサカキは手痛い打撃を食らわされた。
怒りこそ表面上の言動には出さないが、腹の内に据えかねるものが渦巻いていることは、かつて部下としてサカキを見てきたホオズキならば、痛々しいほど窺える。
「『ネオロケット団』だと? 我らの矜持に、いつ余計な接頭辞がついた!?」
「戦うのか」
一度は「二度と現れるな」と言われた手前、ホオズキは返事を期待しなかった。しかし、サカキは自責を語る。
「部下たちの名誉を汚されたのだ」
彼の行動原理はとことん、部下のためにある。ミニトマがあのような形で石化させられて、何も感じないはずがない。
サカキは、この戦いに参戦するという明確な意思表示をした。
「……おれに命令を出したのは司令官だ。司令官はおまえを敵と疑っていた。だが、ネオロケット団におまえが関与していないなら、司令官には『サカキは被害者だ』と伝える。そうすれば、司令官はおまえを狙わなくなる。悪い話じゃないと思うが」
ホオズキの歯に衣着せぬ物言いに、サカキは少し、常の調子を取り戻した。
「おまえはやはり、我が組織の裏切り者だな。かつてのように追手がいないことを喜ぶがいい」
懐から、預かり物のキャスケット帽を取り出すと、上下逆さまにして返却する。ダグトリオの砂嵐に攫われていったホオズキの私物だ。
「これで取引だ」
元ロケット団同士、一時休戦を言い渡す。
「『グリーンバッジ』だ。オリジナルのな」
キャスケット帽の中にある葉っぱのバッジは、恐らくヒイラギがサカキの正体を割り出すにあたって利用したもの。
かつて、ジムバッジは人の手に余る実験にも利用された。ポケモンを試験的に「レベル」という概念でおおまかに戦闘力を計測し、操作しようとする試みだった。
だが、ロケット団が悪事に転用したことを受けて、バッジの効能については、全面的に協会指示のもと見直された。
「オリジナルということは、ポケモンを操る力がまだ生きている頃のバッジ……」
「カントーのジムバッジを使って、我々はミュウツーを御するつもりでいた。そこからセキエイ高原の支配を企てていた」
「ジムリーダーというポジションを利用してか」
「今のジムバッジは効力を失い、ただのレプリカに堕ちた。お飾りより、オリジナルは力になる」
「もし人間の手に余るポケモンが現れたときは、そいつを使え」
「サカキ……」
裏切り者と停戦協定を結び、挙句これほどの代物を授けるとは、何か裏でもあるのではないかと勘繰ってしまう。
「そんなに警戒するな」
理由は単純だった。サカキは顎で、ミニトマの石像を看取る最中のイトハをしゃくる。
「あのレンジャーは、わたしにこう言った」
『わたしたちは、手を組めるかもしれません。もし、スナッチャーが本当のピンチに陥ったら、その時は、……力を貸してください』
「イトハがそんなことを……」
ヒイラギが組織から消えた今、サカキは重大な戦力の一人として加算される。ネオロケット団という脅威を前にして、イトハは非常に冷静沈着な判断を下したのだ。
サカキは、そんなイトハの姿勢を評価する。
「勇気ある娘だ。だが、今回はわたしもこの島に用があった。タイタン、ゆめゆめ忘れるな。本来ならば、こうして同一線上に立つことさえおこがましい。せいぜい、あの小賢しい娘に感謝するんだな」
彼はモンスターボールからネンドールを繰り出し、景色に同化した。
サカキならば、ネオロケット団を地の果てまで追い詰める。そのためならば、再び前線に出てくるだろう。そういう男だと、ホオズキは知っている。
キャプチャしたミュウを本部に転送し、ヘリでの迎えを待つがてら、イトハは申し訳なさそうに切り出す。
「ホオズキ、わたしさっき……」
大方、全部を語らずとも、何を言いたいか分かるぐらいには、いい加減付き合いも長くなってきた。
イトハが気にしているのは、ホオズキにゴルーグを逃がせ、と言ったことだろう。そのこと自体をとやかく突く気は無かった。
「自分の言ったことを簡単に撤回するな。おまえはそれでいい。目が覚めたよ」
イトハは何も言わなかったが、頬は安堵したように緩んでいる。
それよりも、ホオズキにとって気がかりなのは、保護したミュウをスナッチャーがどう扱うつもりなのか、ということだ。そして、暗部の象徴であるスナッチャーの前にミュウが現れた事実は、必ず何か大きな前触れを意味する。
「ミュウがおれたちの前に現れた。当然だがおれたちはシロだ。ポケモンの眼はごまかせないからな。これでジュノーからの疑いも晴れるってわけだ」
「……ミュウはそんな綺麗なポケモンじゃないと思う」
「そうか」
「だって、本物とコピーを戦わせて、どちらが強いか決めようとしたんでしょう? 弱い者を淘汰する。偽者に存在価値は無い。そういう考え方。嫌い。生き残った方が正しいんじゃなくて、誰もが正しくあろうとして、出来なくて……もがいているはずなのに」
ミニトマも、そしてヒイラギも、自分の中にある劣等感や、何者かになろうとして、なりきれない想いを持て余していた。ミュウがミュウツーに対して行った仕打ちは、それらを嘲り、見下す行為に思えて仕方なかったのだろう。
スナッチャーの足掻きも、ネオロケット団、いや、もっと巨大な運命じみたものに操られているとすれば、いくら頑張っても報われることはない。
「イトハ。神は居ると思うか」
「なに、突然」
「哲学の時間だ」
「……分からない。それがポケモンであるかどうかも」
「仮に神と呼べるものが実在するなら、きっとおれたちは嘲笑われてるんだろう。だが」
「おれも運命に叛逆するぜ」
ホオズキらしからぬ、まるで詩集をめくりにめくって、ようやく思いついた文言がそれなのか、と突っ込みたくもなる下手くそな物言いに、つい、ぽかんと間抜け面を晒してしまう。
「……は?」
ヘリのプロペラ音が、歳相応な反応を掻き消した。
彼は左手を、荷物の一部が無くなったように振る。
一対のマリッジリングが、光を放ったように、イトハには見えたのだ。