Phase 31 メモリーホルダー
「司令官、いかがいたしましょう」
あくまでも、是非の判断は、最高権力者に仰ぐ。それでいて、イトハは司令官の味方のふりをする。潔白は半分証明されたようなもので、多少は強気に出ても構わないだろうと目算した。
もし、ホオズキを即座に任務から外す――とよぎり、在り得ないと即断する。
ホオズキとジュノーには、何らかの繋がりがある。ここで手放すのは早計だ。
『わたしとしても、これ以上構成員を疑い、無闇に排除するのは、任務遂行面の効率を著しく落とすことに繋がると考えます』
「であれば、どのように」
イトハは処分を迫る。
予想通り、ジュノーはホオズキに対して脇が甘い。つまり、ホオズキは捨て札に置けないプレミアムカードということだ。
『ホオズキ、もう一度だけ、チャンスを与えましょう。次、ミュウが視えなければ、あなたを「次の」任務からは外します。新たに招き入れる波導使いと、トップレンジャーだけで、攻略チームを編成します』
「それは――」
何かを取り上げられるような苦渋を張り付け、ホオズキの語尾は低音の遥か先に、ニュアンスを含意する。ミュウが視えない事実を指摘された瞬間よりも、一層の焦りが募ってみえた。
ミュウが視えないことより、ミッションから外されないことが先決、優先順位を履き違えているのではと思ってしまう。
『わたしの判断に異を唱えることは許可しません。あなたとて、チームの現状を心得ているはずです』
疑いの芽は何であろうと、切り落とす。
ホオズキの立場は当然ながら笑い事で済まされない。振り返れば明日は我が身だ。
『イトハ、ホオズキ。任務を続行しなさい』
構成員に権力は無く、ただ従うのみであった。理不尽な指示の嵐から、まかり間違っても叛逆に目覚めることのないよう、居心地の悪い空気から、さっさと離れてしまいたい。
ミュウの衝撃でつい忘却の彼方にあったが、稼動プログラム・発信源は、目前に迫っていた。
足元に立ち込める、ビビッドな珊瑚色の煙に、イトハは思わず口を塞ぐ。色がうごめき、形を変えて内部で渦巻き、収束していくようで、得体が知れない。匂いこそ無臭だが、その手の毒かもしれないと勘繰り、進むのをためらう。
「警戒しなくても良い」
ホオズキは、この煙が予め無害と知ってか、口元の隙をごく自然に晒している。
『イトハさん、「夢の煙」です。ここは、ムシャーナたちの生息地にもなっているようですね』
人間の気配が無い場所を好んで住処とするポケモンもいるのだ。天井を穿ち、木漏れ日すら差す実験場の跡は、陰鬱な流れを一変させ、居住には適さない空間をこそ欲する生命体も多数いるのだと教えた。ムシャーナたちは目を瞑り、額から無防備に煙を曇らせながら、ふよふよと浮き、夢心地に浸る。
くるぶしを取り巻いていた煙は、やがて少しずつ浸透の高度を上げ、知らぬ間に、腰元から胸まで届いていた。ホオズキは前を、イトハは左右を視認しながら歩く。
ホオズキが歩を止めるのは、いつも唐突なタイミングである。
「見ろ、プログラムの正体がお出ましだ」
イトハの視力が正確ならば、割れた培養液の破片が散った台座で胡坐をかくのは、想像していた無機質なコード類よりも、確固たる生命を獲得したポケモンだ。トップレンジャーの動体視力は、高くなければ務まらない。
瓦礫がコードの隙間を縫うように散らかり、まともに機能しているのかさえ怪しさに満ちたフルフェイス・タイプのヘッドギアを取り付け、二本のスプーンを大事そうに握り締めている。
「プログラムって。あのポケモン、フーディンですよね?」
イトハは率直な感想を述べた。しかし、ジュノーは逆に感得したようである。
『なるほど……「プログラム」とは、よく言ったものですね』
ジュノーの納得を、オペレーターが継いだ。
『フーディンは「世界の出来事を全て記憶している」と言われています』
「世界の出来事を、全て……」
『はい。エスパータイプのポケモンでも群を抜いた知能指数は、5000に至ります。まさに生きるスーパーコンピューターです。ロケット団は恐らく、このポケモンを利用して、各地方の情報を集めていたのでしょう』
そう言われてみると、研究所という情報量が命の施設で、このポケモンを配置しておく判断の正当性はおのずと感じられる。
さて、任務内容のひとつは、誕生の島で未だ稼動するプログラムの調査……であったわけだが、件のプログラムは侵入者を退けるどころか、丹念に、意識を注入しているように見える。電子空間の内部に転送されてしまい、イトハとホオズキに気付く余地も無い。
「それで、どうするつもりだ。フーディンを捕獲するのか」
『世界の情報を握るフーディンは、我々の作戦を進め、内通者の正体を暴く、大きな一手となるでしょう』
「なら、決まりだな」
ホオズキが一仕事始めようと、ホルスターに手をかける。
イトハは後方から密かに、眼を光らせた。
世界の情報網を行き来するほどの存在は、ジュノーに渡した時点で負けが確定する。
ジュノーにフーディンを預ければ、証拠隠滅を図るおそれがある。エクリュを一人で看護したヒイラギのように、本来はイトハ自身が独占すべきだ。しかし、モンスターボールも余剰分が無い今、イトハ一人の手に収めるのはやや厳しい。また、キャプチャは目を瞑ってでも出来るが、ゲットはプロの見よう見まねで自信が無い。ここで調べものを済ませるのが英断だろう。
更に、誕生の島にいるフーディンはホオズキに関する情報を記憶しているはず。生まれてきて今日、この刻限に至るまでの走馬灯を、本当に記憶しているなら、フーディンは生粋の「メモリーホルダー」なのだ。
イトハはシュート・スタイラーの紐を力の限り、引き抜いた。
当然、周囲はキャプチャの態勢に移行するものだと勘違いする。誤解を誘い、イトハが従順な手駒だと信じ込ませるには、小細工の段取りを踏まねばならない。邪魔者の追跡を断ち切ることが先決だ。
――サーナイト、狙いはフーディンではなく、わたしたちの通信機に。
ディスクと同調するスタイラー、そして神経系統の命令を管理するピアスのアクセサリを通して、ディスクに小型化収納(モンスターボールと同様の理屈である)された、サーナイトとの意思疎通を図る。これでポケアシスト・サイコキネシスは、イトハが望んだ方向に作用する。
心理掌握、それこそ波導の心得でもない限りは、フーディンを真っ先に捕捉した、と周囲は認識する。
耳に念力を、ほんの触れる程度、与えるだけで良い。通信機はノイズを生じ、ホオズキは反射的に首を勢いよく傾けた。途端に、通信機器への影響が生じる。
『何が起こりましたか!?』
「干渉です! フーディンから!」
間髪入れずに叫ぶ。キャプチャを始めたイトハが、早速、逆思念を喰らった、という嘘を信じ込ませる。
『通信、妨、で――うか……!?』
それきり、オペレーターとジュノーの通信は強制終了された。他でもなく、味方の手によって、裏切られたとも知らないまま。彼らの技術力なら、もって数時間で復旧を遂げるだろうが、ホオズキの正体を探るための時間稼ぎ代わりにはなる。
ホオズキは訳も分からず、イトハの方を向く。
「やはり妨害か? 油断するな」
上手くやってみせるとも。誰に言うでもなく、イトハは自分自身を諭した。ここからがトップレンジャーの本領発揮となる。
「キャプチャ・オン――」
ディスクは、ムシャーナ目掛けて走る。
「何してる、フーディンを狙え!」
ホオズキがトリガーに手をかけるよりも早く、イトハはキャプチャを恐るべき勢いと剣幕で遂行した。次から次へと、螺旋のように宙を舞い、着地と同時に軌跡を描く。ホオズキはキャプチャに精神を傾ける時の彼女を見る度に思う。怪物めいた何かが彼女の中でゆっくり、目を覚ますのだと。
イトハは自重せず、キャプチャ完了したムシャーナの数体に鋭い命令を飛ばす。
「『サイコフィールド』を増幅しなさい!」
カッ、とムシャーナ一同が立ち上がり、開眼する。
ホオズキは手元を隠す濃霧を嫌った。サイコフィールドはエスパータイプの技の威力を引き上げる特殊空間だ。あからさまに捕獲の邪魔をするイトハに向かって、苛立ちをあらわにする。
「おまえ、フーディンを強化してどうする」
「こうするの」
右腕を振り切ったイトハは、ムシャーナの大群の指揮を執り、実験場をまるごとサイコフィールドに塗り替える。
フーディンのスプーンが微弱に揺れたかと思えば、ムシャーナたちのいる方を指し示し、激しく折れ曲がった。サイコパワーが呼応し、自他の概念が消滅する。
ポケモンが電子生命体に変換されるという、依然、解明中の身体的特徴を通じて、フーディン自身はデータベース化した。
イトハとホオズキ――文字通り標的の精神とシンクロ、すなわち同調を果たした二人だけが、記憶の箱の閲覧権を得た。
「ここは」
ホオズキが辺りを見回す。
先程の頽廃的な世界観は不浄なものとして洗い落とされ、メカニカルで前衛的な、スナッチャー本部とさして変わらない温度が占めていた。
そこでは、フーディンの「記憶」が、一秒おきに、瞬きも許さないほどの速度で移り変わっていく。それらが壁面を形成するように張り付き、尖塔を成す。
キャプチャとシンクロの合わせ技で、肉体から精神のみを離脱させた。足音も無しに、無謀ともいえる転移を画策した張本人が歩み寄る。
「フーディンの精神内部です。少々荒業だったけど……成功しましたね」
ホオズキは、イトハの狙いを瞬間的に悟った。
ムシャーナでサイコフィールドを起こし、フーディンの超エネルギーを増幅させた。そして、ホオズキとイトハの精神「だけ」をシンクロの内部に閉じ込めたのだ。
イトハの咄嗟な思いつきだった。オツキミ山で体験した、ヒイラギの精神世界をヒントに、一か八かの賭けに出た。
フーディンの特性がもう一方の精神力であれば、目論みは今頃失敗に終わっていた。イトハは「情報」を総合し、シンクロという説を即座に組み立て、実行に起こした。
ホオズキは、やり口に決して感心しなかった。一言、もの申したそうにしている。
「随分と肝が据わったじゃねえか」
「ここなら、司令官やオペレーターに邪魔されることもありません」
さしもの通信技術も、精神の領域にまでは干渉出来ない。干渉出来ずとも、リスクを孕む行為ではあった。
「……通信遮断が意図的なものだと奴らにバレたら、わたしたちの状況は悪化する」
ホオズキは、常に状況を俯瞰し、先走る判断へのストッパーという立場に甘えている。虎視眈々と機をうかがう姿勢は、裏を返せば、慎重すぎるあまりに機を逃す。
本当に、現状を打破したいのか。彼は何を恐れ、踏み出せないでいるのか。閉ざされた唇を強引にこじ開けることが出来ないなら、自分の手で、秘密を探るしかない。
孤独の中で掲げた正義は、容易く揺らぎやすい。自分だけが何やら悪者のように思われて、イトハはもう一度、真意を訊ねたくなる。この任務中はずっとそうだった。
「でも、内通者を暴くという目的。それはあなたもわたしも同じはず、ですよね」
「方法と手段を考えろ、と言っている」
「どこかで司令官を出し抜く機会を見つけなければ、彼らの言いなりとして動かされるだけ。それでは、状況の変化に繋がりません」
強気な反論を受けて、ホオズキはたじろいだ。憎憎しげに目を逸らす。
「確かに、そうだが」
どうにも煮え切らない含みがある。イトハは少なからずスナッチャー内の人間観察を怠らなかった。彼女の知るホオズキは、影を踏ませない隙の無さを備えた男であった。このミッションに臨んで以来、ホオズキの気迫はどこか薄れている。
「そんなに、司令官が怖いの?」
ホオズキはキャスケット帽の鍔越しに、イトハを睨み付けた。
イトハは大人の目線にあてられたような気がして、背筋が粟立つ。その僅かな眼球の動きだけで、退け、と境界線を敷かれているような気がした。
一体何を言わんとしているのか、喉につかえた、決して小さくない小骨は、彼女の本音となって露呈する。
「……教えてよ、味方なんでしょう」
打っても響かないほど、悲しいものはない。ヒイラギは少なからず、イトハに対して正直な反応を繰り返した。衝突の数だけ、相手が分かる、という考えは、理解を神格化しすぎた傲慢であるにせよ、そこから始まるものや得られるものの価値は大きい。
任務は忠実にこなす。しかし、任務をこなすだけで済む段階は過ぎ去ったのだ。
フーディンのメモリは、丁度ポケモンレンジャーとロケット団の交戦映像を映したところで、そのシチュエーションは実に偶然めいたものでありながら、奇妙な取り合わせだった。本当は手を組みたいのに、正直になりたくても、気持ちが空回りするばかり。
そう、空回りなのだ。イトハばかりが先行して、目の前の黒装束の壮年は悟ったような顔つきで説教をする割に、沈黙をほどくべき場面では一切を語らない。
溜息をついた。わざと大きく聴こえたかもしれない。でも、それでいい。
今になって、ヒイラギは戦士としては正論を唱えていたのだと思い知る。戦う力のある者が善処すべきという彼の自己犠牲すら厭わない考えは、この局面に見事生きた。
闇の組織で自分を生かすのは自分だけだ。なら、開き直って戦うしかない。
イトハは首を僅か後ろに向け、髪を冷たく靡かせた。
「ここからはわたしの闘い。あなたを信用するかどうかは、わたしが決める。あなたが何者なのか。何故、スナッチャーに所属しているのか。話は、それを突き止めてから」
少しばかりは、動揺を買ってくれるか。
「やれるものならばやってみろ。記憶の海で情報に溺れないことだな」
また、忠告か。
所詮、ミュウのような幻想種でもない限り、この男を篭絡するのは不可能なのだ。
ホオズキの後方、映像の一部に乱れが生じた時、丁度イトハは背中を向けていた。
宣言通り、イトハの収集作業をホオズキが手伝うことは無かった。やはり、正体を知られることに対して過敏なまでに臆病だ。
シンクロへの侵入は、精神をかき乱す異分子の乱入に等しい。彼らが見たい、覗きたい、と願う記憶は情報となって検索され、手掛かりのように映し出されていく。情報を映像化して保存する、記憶の図書館とでも形容すべきだろう。
はじめに、ホオズキはスナッチャーにおける内通者の情報を突き止めようと試みた。
途中までは、うっすらと知っているものが流れてきた。それは自分の体験だった。
サント・アンヌ船上での出来事、違う。海底神殿アクーシャのやり取り、もう終わったことだ。ホオズキは頑として首を振る。差し出される情報は、すべてが既出のものばかりで、新たな価値が見出せない。
「わたしが知りたいのは、あの日、あの時、あいつに何があったか、それだけだ」
声を荒げ、フーディンに半ば脅すように要求する。
彼の目前には――一体どこから入手したというのか――「すべてを知る者」の異名を損ねず、ジュノーとヒイラギの対面が映し出される。
これだ、彼は映像にかじりついた。
イトハは今頃、ホオズキの記憶に到達しているだろう。だが構ってはいられない。
『入るぞ』
ノックなどさして必要も無いだろうという間柄なのか、男はドアを雑に開け、丁寧に閉めた。椅子を回転させ、女が振り向く。
『ちょうどよかった。名前を考えていたの』
『名前?』
今更なんだ、と男は怪訝そうにする。
『そう。あなたがスナッチャーに潜り込むための、名前が要るでしょ』
イトハの脈拍が、聞き覚えのある一単語を聴いた瞬間、急速にとくとくと打つ。落ち着け。ここは精神世界だ。
『それで、どんな名前なんだ』
『ホオズキ』
『植物か?』
『ええ。花言葉は「偽り」「ごまかし」「欺瞞」』
次々と述べられる単語は、人の名前にふさわしいどころか、縛りつける呪いに近い。
『……酷いな』
男はニヒルな笑みを浮かべる。
『だが、悪くない』
『でしょ。だって、わたしが考えたんだもの』
女も、笑った。
似たような笑みだと思ったが、同じ笑みでも纏う雰囲気は別物だ。いたずらで、でも温かくて。
仄かに感じられる、映像越しの手触り。
イトハは自然と眼を擦った。抑えなければ込み上げる感情がありそうだったからだ。
『もし、一連の事件に、ロケット団が関わっていたとしたら……』
『もう、捨てた組織のことは考えるな』
男は、女の肩に手を置く。
労わるように、心底、優しく。
『時々考えちゃって。もちろん、あなたと一緒になったことは正しかったと思う。でも、わたしたちはロケット団から逃げただけなんじゃないかって、時折』
イトハの歯が、がちがちと、噛み合わなくなった。
見てはいけないものを見ている気がした。この映像の信憑性を問い質すよりも早く、直感は鋭くホオズキの人生だと告げていた。
本来ならば腐れた研究所に棲む物好きなエスパーポケモンだけが、「悪用はしない」という正当な手続きを踏んだ上で、拡散されるような事態が起こる前に、地の底に深く深く沈めるという覚悟で、知ることを許可されたものだ。
『そんなことは無い』
『ねえ。もし、わたしやイチジクと離れ離れになっても――』
「やめて、これ以上見せないで!」
イトハはあろうことか、映像を中断するように懇願した。これ以上、世界の何処を渡り歩いても見つけられない究極の手掛かりを、一時の衝動だけで手放した。恐らく、放っておけば映像は自動的に進み、核心に辿り着いただろう。
率直に言って、その核心が怖くなった。
本当に記憶を覗き見ることが、このポケモンには出来る。それでいて、まったく各人の人生を侵すこと無く、ただ、ただ、傍観に徹している。
キャプチャによる等価交換とは違う、一方的な入手なのだ。情報を握るということの圧倒的なアドバンテージ、そして惨さを、イトハは今ほど身に染みて感じたことは無かった。
ホオズキは思わず、夢中で独り言を述べていることが気にならなくなるぐらい、映像の与えたショックに没頭していた。
「なんてこった。ヒイラギは、ただ追放されただけじゃない。あいつは……」
殺されかけた。
ヒイラギは、正体不明のポケモンから、明確に奇襲を受けている。
一瞬、本当に見逃してしまいそうな、攻撃時の一瞬だけ、抜け殻が浮かび上がったように思える。浮かんだと思ったら、次には消えていた。一時停止は効かなかった。
放たれる三色の閃光『シグナルビーム』は、正答への近道を阻むがごとく、映像を覆い尽くす。しかし、彼がその後どうなったかまでは、知ることは叶わない。
ホオズキは形も見えないシンクロ先に向かって問い詰める。
「ヒイラギを追い詰めたポケモン。一体『アレ』は何だ? 教えろ」
ホオズキの前に提示された検索結果は、そこでネタが尽きた。
「おい。どうした、おい反応しろ!」
同時刻、イトハも予想外の驚きに包まれる。遅れてきたタイムラグのように。
モニターは一斉に途切れ、鳴り響く警報のような赤い空間へと塗り換えられる。
「うそ、暴走……!?」
真っ青な表情が一層の陰りを帯びる。
失敗したか。
この作業がジュノーに知られたら、二人ともおしまいだ。
「いや、外部からの干渉は不可能だと」
ここはシンクロ、精神領域の遥か奥深くである。通信技術如きに、接触は図れない。
「でも、ポケモンに干渉したとすれば」
嫌な予感がした。
第三者の、介入という可能性を、疑いたくなかった。このまま、事を迅速に終わらせたいという願いも空しく、フーディンの変調は彼らを精神世界から追い出す。
『――ハ、ホオズキ。イト、ハ、ホオズキ……』
意識を現実に戻されたイトハは、耳障りなノイズと頭痛に顔をしかめつつ、司令官の安堵を聴く。
『ようやく、繋がりましたか。ですが、通信――が、安定しない。ま、た……切れるかもしれ、ません』
ジュノーの声はえらく間延びして聞こえる。そこにオペレーターの声が被された。
『フーディン、の様子に、変……調が見られます。ラティオス、の、反応と酷似していま……すが、まだ取り返し、取り返しのつく範囲内でででです。イトハさん、キャ、プチャーーーをお願いします』
「もしもし、オペレーター!? 今なんて? ラティオスって、どういうこと!?」
通信を強制遮断したのは失策だったか。だが、そうでもしなければ、あのアクセスまで事を運べなかった。自分の判断の是非を確認するよりも先にやるべきことがある。
フーディンがヘッドギアを振り乱し、スプーンをそこら辺に投げ捨てて、苦しそうに呻いている。ムシャーナたちは、フーディンから発せられる瘴気にあてられ、気分悪そうに衰弱していた。
「あのままではフーディンたちが危ない。キャプチャを急げ!」
切羽詰まり、一刻も猶予は無いと断定する口調で、ホオズキが叫ぶ。
先程までのやり取りによる気まずさなど、ポケモンには関係の無い事情だ。
イトハはうなずき、膝を立て、ディスクを放つ。レンジャーのリズムに合わせるがごとく、ホオズキもニードルガンを構えた。
「ラティオス」という断片の単語と、状況とを照らし合わせ、心の準備が整わないまま、マボロシ島の挫折と屈辱を思い出す羽目になった。
スタイラーを繰り、フーディンを囲む。確かに付け入る隙がまだあった。ラティオスのような、招き入れた者を、内部から破損させていく、ありったけのどす黒い意識にはまだ成長していない。それでも、相手は前回と同じエスパータイプだけあり、フーディンが狂えば狂うほど、イトハの自我は遥か彼方へと、もって行かれそうになる。途方も無い、渦へと放り込まれそうに……。
「イトハ、自分を保て。あの時のおまえじゃないだろ」
ホオズキが肩を支え、必死に呼びかけてくれたおかげで、何とか精神を現実とキャプチャの狭間につなぎとめることが出来る。
「ホオ、ズキ」
普段はそっけないくせに、感情の表し方が至極下手くそなのは、ヒイラギと同じ男ゆえの不器用さか。霞む視界で、それでも心配だけはしてくれることが、実は在り難いのだと気付く。そして、彼が本心では、同じチームに在籍する中で、ずっとイトハが立ち上がる様子を評価していたことも。
今までの弱い自分ならば、負けていたかもしれない。瞬時に挫け、勝算は無いと最初から自分の実力を、低く見積もったかもしれない。だが、恐怖の中に身を置き続けることでしか、克服出来ないと知った今。イトハは再度、フーディンとシンクロする。
キャプチャは諸々の記憶を曝け出す。ポケモンの想いと、レンジャーの想いを直に交換する共同作業もまた、罪深い。
フーディンは理知的である一方、情熱的でもあった。これだけのビッグデータを揃えるには、機械的ではない訳があったのだ。
主人の所在を知るため。
ロケット団の頃、自分を飼い慣らしていたトレーナーは、ミュウツー騒動の最中に消えてしまった。いつの間にか、フーディンだけが島の中に取り残された。呼びかけても応えてくれる者は誰一人としていない。
孤独を癒し、埋め合わせるように、フーディンは血眼で情報をかき集めた。
集めても集めても集めても集めても、居場所が分からない。つまり、導き出される結論は、フーディンを逃がしたトレーナーは、既に亡くなった、という可能性上の憶測である。
知能指数5000の頭脳を有しながら、自身によって裏付けされるその結論を、受け入れることが出来ないでいた。
「そっか」
イトハは仮定のもとに想像を及ばせる。
もしも、フーディンが自分だったら……。
トレーナーを待つだろう。
トレーナーを、いや、ヒイラギが行方不明になって、いつまでも戻ってこなかったとして、受け入れられるだろうか。死んでしまったものだと、簡単に割り切ることが出来るだろうか。
自嘲する。
彼は勝手で、我侭だ。
あれほど消えない人を求めていたのに、自分が真っ先に消えるのだから、嘘つきだ。やっと孤独を分かち合い、醜いものを見せ合って、冷笑に付してくれるような人を見つけたのに。
ヒイラギの想いなど受け継いでしまった自分も、まとめて責めたい。
「なんで、なんで行っちゃったの」
ホオズキは、隣で彼女の嘆きを耳にした。
注視し続け、やがて疲れたように目を離す。
シンクロ内からフーディンの視線を感じた。あまり、素のわたしを見ないでくれ、という苦笑に基づいた涙も空しく、被害者同士の傷の舐め合いは、未来を向くことは出来なくても、今に立ち向かうだけの心の力をそっと与えるのだった。
フーディンに対するエンパシーが、キャプチャを完了させた。
『フーディン、の精神レベ、ル。平常値まで低下――キャプチャ成功です』
フーディンの呼吸は落ち着きを取り戻した。ムシャーナたちの具合も、少しずつ良くなるだろう。
今回は発症からキャプチャまでの流れがスムーズで、迅速に処理出来たため、手遅れにはならなかった。
額を拭い、張り付いた前髪を跳ね除ける。
『イトハ、御苦労様、です』
少しずつだが、音質が改善されている。ジュノーの声も聞き取りやすくなった。
フーディンは、これからどうするのだろう。イトハにキャプチャされなければ、フーディンは情報を探し求めたに違いない。
長年抱えてきた想いの拠り所を、奪ってしまったかもしれない。キャプチャとは、思考に強く訴える分、そういう残酷な作業でもあるのだ。
フーディンは黙したまま、鎮座している。イトハはふと、口にした。
「投棄された研究所で、帰って来ない主人を待ち続ける。それだけの頭脳を持っていれば、分かるはずなのに」
ホオズキは直接キャプチャに参加したわけではない。にもかかわらず、彼は実に知った風に答える。
「どれだけ情報を集めて蓄えたとしても、認めたくない正しさがある。フーディンだって、生き物なんだぜ」
ミッション始まって以来、ホオズキの生の声を聴いた気がした。嘘偽り、奇をてらうことの無い、本物の響きをそこに見た。
ホオズキは、どうなのだろう。イトハは記憶の欠片を覗いてしまった。ホオズキと話していた、物腰の落ち着いた、それでいて抱擁感のある女性――。
「あなたも、誰かを捜しているの?」
「さあな」
先程よりも穏やかに、彼は誤魔化した。
「それより、フーディンが暴走したのは」
『……人為的な妨害、ですね。恐らく、フーディンの特性・シンクロを逆に利用し、干渉したと思われます。脳内に丁度、腫瘍のようなウイルスを仕込んだのでしょう』
オペレーターの分析に対し、素直に非を認めざるを得ない。フーディンのシンクロに潜入していたからこそ、対処が危うく遅れるところだった。イトハは頭を下げる。
「わたしの行動が遅かった結果、フーディンに危害を加えることになりました。申し訳ありません」
『イトハ、あなたに落ち度はありませんよ』
司令官の言葉も、いまひとつ慰めにはならなかった。フーディンの事例は、ひとつの可能性を肯定してしまったからだ。
「では、一体何者が。司令官は、何者の仕業と予想されますか?」
『わたしの見立てでは……』
イトハもホオズキも、ジュノーの憶測に耳を傾ける。
そして、次の展開を告げる、かすかな物音がした。
『敵が、この島に潜伏していると考えます。あなたがたが潜入するよりも以前から』
「その敵とは、今どこに」
「ここだ」
ホオズキが、正面のイトハ……ではなく、真横に、威嚇射撃する。
針は宙に突き刺さり、静止した。
男の傍らにはカバルドンがいる。故に、身を護った技が何であるかを言い当てた。
「ステルスロック、いつの間に」
「敵か。確かに事実はそうだ」
張りと品格のある、割合高めの声だけでも、忌まわしき過去を掘り起こすものだ。
ポケットから手も出さず、透明の障壁に砕かれた針を見下ろし、石段を降りてくる。
同じ黒衣。
しかし、自ら黒に染まることを選び続けた者と、罪を贖うために着せられた黒とでは、意味合いが異なる。
後者の男が呟いた。
「サカキ……。とうとう現れたか」
誕生の島で任務を行う限り、いずれ出会うことになるだろう、という運命めいた予感は、ホオズキの内にもあった。
サカキは、ニードルガンの追尾する照準にわざと合わせてやるような足取りで、ホオズキの眼前に姿を誇張する。
やはり、命を奪う者は、奪われる恐れに対する覚悟が出来ている。寸分違わず、オツキミ山で自分たちを試した時のサカキそのものだと、イトハは改めて固唾を呑む。
「現れたか、とは御挨拶だな。何年ぶりだろうか、タイタン。この島に来てから『裏切り者』を目にするのは、これで二回目だ」
オツキミ山でまみえた時よりも、よりロケット団首領としての実像や現実味を帯びて、そこに在る人間と感じられる。
恐らくロケット団の拠点という過去の空気が、閉塞した島に充満し、栄華の向こうに失われたカリスマを呼び戻そうと、称えているからだ。
僅かな会話の端緒から、常識のように語られる最新の情報を、イトハは聞き逃さない。二回目とは、どういうことか。
加えて、タイタンという名前には、およそ聞き覚えが無い。どこかで断片的な情報を漏らした、とは考えにくい。
ホオズキがロケット団であった頃のコードネームと考えるのが妥当だろう。
お互いを射殺すための視線には、積年の怨み、という言葉だけでは片付け切れぬ、根深さとでも呼ぶべき愛憎が見え隠れした。