叛骨の強奪者






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Second Stage - EX-Team Rocket part -
Phase 30 十年前の残影
 イトハは、ヒイラギが除名に処された当夜、割り当てられた自室のベッドで、なかなか眠りに就けなかった。素材は悪くないどころか、むしろ国家予算に充てられたもので、安眠は保障されている。しかし、そういう気分になれなかった。
 毛布で全身を包んできつく締め付けるように覆う。そうすることで、自らに戒めを課しているような気持ちになれるのだ。
 唯一、相棒と呼べる存在を、誰に促されたでもなく、自らの意思で摘発してしまった罪悪感は計り知れない。毛布を何重にかさねても温もりが感じられず、体の奥は火照るどころか芯から冷め切っていた。
 何かが少しずつ、変化を遂げていく予感がした。奨励されるべきものか、はたまた忌避されるものかは分からないが。
 第一の変化は、早朝に訪れた。彼女の嫌な予感はものの見事に的中する。
「おはようございます」
 イトハの挨拶に、ホオズキとジュノーが頷く。肩にかかる毛先は、中途半端なウェーブしか、かかっておらず、あまり人前に出る気遣いが感じられなかった。
 既に着席していたホオズキに続いて、自分の席に着く。待てども待てども、円卓にはもう一人の構成員が現れない。
 いつもむすっとして、無言が多くて、何を考えているか分からず、愛想よくすれば見てくれは悪くないのに、どうにも捻くれた性格上から絶対そうしようとしない男は、どうやら現れないようだ。
 嗚呼。
 口に出すと、馬鹿らしく思える単純な悟りが、イトハの中に開けた。その疑問を継ぐように、ホオズキが尋ねる。
「……ヒイラギはどうした? 定刻だ」
「そのことですが、大事な話があります」
 ジュノーは二回に分けて宣告する。
「彼は」
「除名しました」
 ホオズキは正気か、と司令官を凝視する。
「度々の命令違反・独断専行はあなたがたも知ってのことでしょう。彼は、組織の和を乱す存在でした。あまつさえ、このわたしを脅し、チームを乗っ取ろうとした。ミッションが立ち行かなくなれば、敵に後れを取ることは明白です」
「ですが、問題は無い。実力的には彼と同等、それ以上の人物が候補にいます」
 ホオズキは机をガン、と叩いた。
「問題大有りだろう。ヒイラギは今、何処にいる。今すぐ呼び戻せ」
 ジュノーはホオズキの激情に付き合う暇は無いと、クールに澄ます。
 キャスケット帽に、黒のトレンチコートという、素性を覆い隠すような装い一式で塗り固めたこの壮年さえ、あの波導使いのことになると、似合わない激情の一片を覗かせるのだ。損失は大きい。
「司令官、理由を説明してください」
 イトハが先を促す。
「残念ながら、このチームには内通者がいると認めねばなりません」
「内通者だと?」
 ホオズキはつとめて「内通者」という単語を既知のワードでないように振る舞った。ジュノーはその偽装を記憶に留めている。
「本部で預かっていたカラマネロが、記憶を改竄されました。これはアクロマの例と同じです」
「お呼びでしょうか」
 生え際から湾曲した水色の癖毛や、背部から伸びるベルトの印象が伴って、惑星の軌道を描いたような宇宙的スケールを漂わせる科学者が、口を開きかけたジュノーの例証とバッティングした。
 脇にタブレットを抱え、間違い探しの正解を発見するような調子で言う。
「おや、ヒイラギがいませんね。彼はどうしたのでしょうか」
 知っているくせに、とイトハは内心毒づいた。
 額面通り受け取ってしまえば、空気の読めない発言だ。しかし、ジュノーの采配にはほとほと疑問を呈するような皮肉を、ホオズキは台詞の端々から感じ取る。
 懸念はそこだ。ヒイラギを欠いて、このチームが機能するのか。一介の構成員とは存在感が違う。ヒイラギの、断罪に対する異常なまでの執念に、代打が務まる人物がいるとは、到底想像が及ばない。
「事情はこれから説明します。イトハの告発により、わたしはヒイラギの独断専行を咎めるため、彼を呼び出したのです」
「待て。イトハが?」
「何か」
「いや」
 どういうつもりだ、味方を売るとは。
 ホオズキの知るイトハの人物像からすれば、真逆の判断だ。イトハは白と、ヒイラギが証明した。では、ジュノーに取り入る作戦なのか。いかんせん彼女との距離感は、これまでヒイラギを中継していた部分もあり、掴みあぐねる。
 年頃の、機微の厄介な女の子を理解することのむずかしさが、どうしても自分の境遇と、重ねられてしまう。女の「子」と言っては失礼だが、ホオズキほど年輪を刻んだ視点にはそう映りがちである。
「ヒイラギはチームの異分子でした。彼は証拠が無いにもかかわらず、わたしに内通者の容疑をかけ、あまつさえ司令官の権限を奪い取ろうとした。それだけではなく、わたしに対してあらゆる恫喝を行いました。組織の調和を乱す人間であれば、いくら実力があろうとも敵に隙を突かれる」
 ジュノーは脚色で飾らず、事実だけを淡々と述べた。確かに、ヒイラギとジュノーの間にはそのようなやり取りが繰り広げられたわけだが、イトハとホオズキは細かい事情を知る由も無い。
「ヒイラギ曰く、イトハとホオズキは内通者ではないとのことですが、追放された者の言葉は信じがたい。もう一度それを、今度はわたしに証明していただきましょう」
 ホオズキの生まれつき細い眼は、砥いだ新鮮な刃のようにぎらつく。事態は進展するどころか、同じ地点を何度も反復しているのではないか。
 彼等は再び、内通者容疑を突きつけられた。
 イトハとホオズキも、心の溝は深くとも、その時同じ結論に行き着いただろう。内通者の件は、いずれ闇へと葬られるかもしれない、と。この、看過出来ぬ問題を前にして、未だ敵に安住を与えた上で、チームは次へ次へと急かされているのだ。
 十中八九、内通者は、司令官側の席にいる者たちだ。カラマネロを良いように扱えるのは、ミッションに参加していない者に違いない。
 理由も因果も不明だが、科学班としてスナッチャーに潜り込み、当然のような顔をして打ち解けているアクロマ。だが、アクロマは被害者の説が有力だった。
 両脇にいるオペレーターも怪しい。目立たずに情報を送信出来るほか、任務に参加しないことから、ミッションに挑む際の監視網を、巧妙に掻い潜ることが出来る。
 そして誰よりも、司令官ジュノー。
 ヒイラギはジュノーに内通者の容疑を叩きつけ、そして敗れ去ったことから、スナッチャーを追われた。ジュノーが内通者という正体を隠し、証拠を握り潰すためか。
 否、事態はそれほど分かりやすい道筋で出来ているわけではないように思えた。
 だが内通者は、必ずこの中にいる。
 イトハとホオズキは、なんとなく目が合った。ヒイラギという人物を通して今、二人はキナギの気まずい空気を引きずったまま、共闘案件を持ちかけられている。
 しかし、二人の心は全くと言って良いほど、繋がっていない。繋がりかけた時よりも遠くに離れてしまった。
 果たして信用に値するのか、という不信感が脳裏をよぎる。内通者云々ではなく、もっと根本的な、人間として何者なのか、という観点をもって。

「今回の任務では、幻のポケモン・ミュウの保護にあたっていただきます。波導使いは不在ですが……これまでよりも難易度は低い。アクロマ、説明をお願いします」
 オペレーターが画像を送信し、一同は目を通す。クレベースの背中を思わず想起させる、まっさらに切り払われた平地は、風雨などの自然現象によって侵食された、メサという地形だ。
 頂上から水蒸気が流れ落ち、高地に寄生する大樹の根を伝って、下降する気流が瀑布と交わる。なだらかな曲線を描いているように見えた。それぞれ特徴の異なる地形が法則を跳躍して一つになる様は、どこか異様で、一歩引いてしまう。アクロマは、この土地を「ギアナ高地」と称する。
「ミュウの生息地は『世界のはじまりの樹』です。それは、ギアナ高地と呼ばれる場所にあります。かの『波導の勇者アーロン』も、ギアナを訪れました。彼は歴史上、最高の波導使いとして称えられた人物です」
「波導の勇者だと?」
 ホオズキがけったいな話に噛み付く。
 イトハは既に一部始終、ヒイラギからオツキミ山で聞かされていた。
 彼はアーロンのような勇者になりたいと願いながらも、強奪者に身をやつし続けた。しかし、ヒイラギがいなくなってから波導の勇者の話題が持ち上がるのは、何やら皮肉めいた偶然を感じずにはいられない。
「アーロンがそこまで英雄視されるのは、ひとつの偉業を成し遂げたからです。はじまりの樹に棲む、ミュウの命を救った。自らの命――波導と引き換えに。アーロンはこうして、世界を救いました。かつては樹の中に何匹ものミュウが生息していましたが……人間の強欲が数を減らし、残るミュウ2匹で樹を維持しなくてはならなかった」
「つまり、アーロンはミュウの片割れに命を捧げたと」
「そういうことです。しかし、例の輩が、はじまりの樹に手を伸ばそうとしています。ミュウツーに続き、ミュウまで奪われたとあれば、今度こそ我々に後は無い」
 そこまでアクロマが詳細に述べた後、ジュノーが説明を継ぎ、念押しする。
「既にミュウの1匹は島を追われています。その片割れを保護する。任務の意味が分かりましたね?」
「しかし、幻のポケモンがそう簡単に見つかるのか。姿や形などが分からなければ、捕まえることもむずかしい」
 ホオズキの疑問には、オペレーターが弁解を述べる。
「ミュウの詳細や容姿に関しては、あらゆるデータベースにアクセスしましたが、見つけられませんでした。申し訳ありません」
 名実共に、秘匿された幻のポケモンというわけだ。伝説のポケモンすらデータ上に浮かべた敏腕オペレーターがお手上げだというのだから、仔細は自分の眼で確かめるほか無い。しかし、アーロンが命を授けるからには、相当な力を誇る生命体のはずだ。
「『清らかな心と、強く会いたいという気持ちを持つ者の前に姿を現す』。これがミュウの伝承です。アーロンの伝説が本当ならば、ミュウは確実に存在します。あなたがたなら、問題無く見つけられるでしょう」
 ミュウ保護という名目に隠された、もう一つの狙いが読み取れた。
 「内通者のような悪でなければ、ミュウを視ることは当然出来るはずだ」と、ジュノーは言いたいのだ。ミュウの性質を利用して、内通者を解き明かそうという魂胆は確かに合理的である。
「わたしたちに証明しろ、というのはそういうことか」
「話が早い。ミュウを視ることが出来れば、わたしはあなたがたを信じましょう」
「ジュノー。当然、おまえも視えるだろうな?」
「勿論ですとも。わたし、いえ……スナッチャー構成員の全員が、ミュウを視られる。わたしはそう信じています」
 ジュノーは両腕を広げ、宣言した。
 ホオズキは、紫煙を吹きかけてやりたくなった。この司令官の綺麗事は、特に生理的に受け付けない。
 ジュノーの言う「構成員全員」中に、叛逆者ヒイラギは含まれていない。ジュノーは、彼こそ内通者だとして、この件を処理したがっているように見えた。スナッチャーには平和が訪れ、真に一丸となる時が来たのだと、表情を恍惚とさせながら。
「保護といえば、レンジャーの十八番です。イトハ、あなたの働きに期待していますよ」
「分かりました。ミュウはわたしがキャプチャします」
「よろしい」
 ホオズキは無駄口一切を叩かない彼女の観察を怠らなかった。
「今回、あなたがたに行ってもらう場所は『誕生の島』です」
「デオキシスが飛来したという、あの?」
 デオキシスと呼ばれるポケモンは、各地に隕石となってコアを隠し、飛来した。ホウエンやフィオレ等、多くの地方で観測が為されている。よって、レンジャーには近しい存在でもあるのだ。
 イトハの質問には、オペレーターが答える。次々と送信される画像と、彼女らの説明を照合させていく。
「イトハさんの仰る通りです。……が、ここは十年以上前に、ロケット団がミュウツーの研究・製造に用いた拠点でもあります」
「今は廃墟同然となって、打ち捨てられています。しかし、その廃墟で未だロケット団の遺したプログラムが稼働しているという観測結果が出ました。また、ミュウもこの島で発見されたとのことです」
 最後はジュノーが締めくくる。
「ですから、イトハとホオズキにはこのプログラムの調査、そしてミュウのキャプチャ。この二点をお願いします」
 両者の頷きをもって、ブリーフィングは以上で終了する。

 イトハやオペレーターは先に退室し、或る一人の男だけが、司令室に残された。
 司令官と、チーム設立の根幹に関わる「最初」の構成員、二人の声だけが響く。
 ジュノーは後ろ手を突きながら、ホオズキに側部を向け、流し目で見る。
「誕生の島、あなたは思うところがあるのではありませんか。懐かしの故郷、その成れの果てを、堪能してくると良いでしょう」
 「故郷」などと美化する思い出は無いが、ロケット団であったホオズキにとって、誕生の島は人生の岐路となる変化をもたらす場所だった。全てはあの時から始まった。
 しかし、廃墟観光の趣味は無い。あくまでも一ミッションを遂行する舞台に過ぎず、それ以上の置き土産を残したつもりは無い。そんなホオズキを、わざわざ誕生の島に派遣するのは、あてつけなのだろう。
「随分と棘のある物言いだな」
 ジュノーはようやく正視する。
「ヒイラギから聴きました。あなたも内通者を追っていると」
 余計な事を、と心内で舌打ちする。
 ヒイラギならば、明け透けに漏らしかねない。大方、ジュノーを脅す材料に使ったのだろう。迷惑を被る身にもなってほしいものだ。
「そうだ。追放した奴の言葉を信じるのか」
「わたしを疑っているのですね?」
 常は発しないトーンに、敵意を感じる。
「ジュノー、貴様こそわたしに何をしたか、忘れたとは言わさんぞ」
「あなたも、御自分の立場を忘れた……とは言わせませんよ」
 ジュノーは段差を降り、釘を刺す。
「ホオズキ。ヒイラギの末路を見たでしょう。あなたはこれまで通り、『チーム・スナッチャーNo.001』として、わたしの腹心であれば良い」
 停止するホオズキのすぐ傍を、ジュノーが通り過ぎる。
「あなたにはシークレット・ミッションを課します。『元ロケット団ボス・サカキを排除せよ』と」
 予感を抱かない、というわけではなかった。逆に、この時が来たか、という感慨に別段耽るまでも無い。
 ロケット団の行動を模倣するハンターと交戦を繰り返す内、次第に事件はロケット団の影を帯びるようになっていった。
 シルフカンパニー襲撃、ミュウツー奪取、システムの利用。恐らく、ホオズキは呼ばれるべくして水面下の組織に招かれた。十年の時を経てもなお蠢くロケット団の残影を掻き消すための、カウンターとして。
「彼はハンターとの関与が見られる。こちらの動きを察知しているなら、誕生の島に戻ってくる可能性は高い」
「先の任務から何を学んだ。若造に出し抜かれた壮年をこれ以上酷使するな。わたしがサカキと直接対決で勝てると思うのか」
 サカキは、何千人という規模を把握し、組織を統括したカリスマである。それを相手取れ、とは高望みが過ぎる。
 強気に出られないのを良いことに、無理難題を押し付けるジュノーに、ホオズキはいい加減辟易していた。
「何も、ポケモンバトルで正面から勝利せよ、などとは言わない。あらゆる手段を使って、彼を抹殺するのです」
 ホオズキは、ヒイラギ追放という判断でジュノーの采配が、狂気の沙汰ではないかと案じた。そして今、またも彼の指示に正気を疑う。
 組織の方向性が、少しずつ遵守すべきレールから外れて行っているような気がした。
「抹殺とは穏やかじゃないな。スナッチャーは強奪が教義、いつから人殺しの集団になったんだ」
「ホオズキ、良いことを教えてあげましょう。何かを護るためには、何かを犠牲にしなくてはならない時もあるのです」
 図らずもスナッチャーに帰属を置くことが決定した時、ホオズキは覚悟を固めた。自分の手を汚すことが、きっと、護る強さに繋がると。
 彼は揺れている。
 このままジュノーの手足に殉じるか、もう追従はしないと訣別を言い渡すか。
 蛮勇と共に散った波導使い・ヒイラギの姿が焼き付く。彼が排除されたのは、組織に適応出来なかった、しようともしなかった、間違いを堂々と間違いだと噛み付いていく潔さに原因がある。
 まったくもって、波導の蒼の通り、青臭さを体現したような男だった。
 ホオズキは内通者を暴くために、ヒイラギとはあえて袂を分かつ道を選んだのだ。 
 しかし、ヒイラギがいなくなったスナッチャーは、歯止めが効かなくなった暴走列車のようなものだ。ジュノーは権限を暴走させるだろう。
 命令の残虐性が増していくであろうことも検討がついた。イトハには任せられない汚れ仕事はホオズキに回ってくる。殺せ、撃て、犠牲を胸に。反吐が出そうだった。
「もうそんなのは御免だ、嫌な気分になる」
「でしたら、『ハマユウ』と『イチジク』の身は保障しかねますが」
 その名を持ち出されては、ホオズキに選択肢などありはしない。元より、誰が絶対王政を敷く立場であるか、今一度知らしめようとばかりにジュノーは、ホオズキ最大の弱点を突いた。
「分かった。やろう」
 ホオズキは先程までの不信を、迷い無く切り捨て、道具に徹する。自我も忠誠もすべて、救済のためにある。
 これが、大人の狡賢さと弱さだ。

 イトハはチームメイトとしては薄情な印象を与える程、一人、無風の空間に佇む。彼女に託された想いの重量を計れば、この平静こそが一時の凪であり、嵐の前の静けさであると心労を慮ることが出来ただろう。
 交わされた協定の内実は露知らず、ワープポイントの隣に立つ相方を見やり、ホオズキは軽く挑発する。
「えらく落ち着いているじゃないか。味方を売るとはな」
 きっと感情剥き出しに、半ば涙目で睨まれるかと思いきや、投げつけた直球は嘘のようにかわされた。イトハは目線すら動かさない。
「生き残るためなら、どんなこともする」
「……おまえ、変わったな」
 何が、彼女をここまで変えたのか。石化した人間に向かって、目尻に滴を浮かべた頃の甘ちゃんとは、到底別人だ。
 ヒイラギとはまた違う類の危うさを覚えた。ヒイラギが自傷と自嘲を繰り返し、それでも前だけを見据える意味で「危うい」と評するならば。 イトハは崖の淵まで己を追い込み、切り立った端の地点で、何秒後に落下するか割り切ろうと考える陰を、常に貼り付けている。任務に思い詰めた横顔が、真の彼女の姿なのだろう。
「それでは、ミッション・スタート。健闘を祈る」

 自分の体が粒子の要素にまで遡り、分解されていく感触は、いつ体験しても、決して愉快なものではない。サーナイトと一緒にテレポートする時は、そうでもないのだけれど。
 そういえば、とイトハは思い出す。ヒイラギも最初、ワープを嫌っていたっけ。

 ――壁に手をついて歩くほどの衰弱ぶりにおずおずと小声をかける。しかし、苦しそうに首をもたげるのみで、返事の気配もない。それよりも彼の神経は蠢く波導を察知して、来る戦闘に備えていた。

 アクーシャの窮地でもなお、ヒイラギは任務成功と敵の撃破だけを見据え、一度とて諦め、弱音を吐くことは無かった。
 スナッチャーを追放されても、きっと彼なら、もう一度、ポジションに返り咲くための方策を練っているはず。
 今はいない相棒に向けて、心から伝える。
 ヒイラギ、あんたの犠牲は、わたしが必ず意味のあるものにしてみせるから。
 それまでわたしは、悪でも構わない。


 誕生の島は、ポケモン最大種族数議論がまだ盛んであった当時、隕石の飛来が宇宙より来るポケモン「デオキシス」とみなされたことにより、議論に終止符を打つ契機となった場所である。
 デオキシス誕生の経緯は、発見から長年が経過した今でも定かではない。ひとつ確証されたのは、宇宙ウイルスのDNAが突然変異を起こし、ポケモンとして生を受けたことである。耳にしただけでは、あまりに突飛とも言える学説は、センセーショナルな見地として携帯獣学会に波乱を巻き起こした。
 かくして、誕生の島はクレーターの散らばる孤島から、徐々に研究者の知的好奇心を惹く観測地帯と化したのである。
 デオキシスの謎に目をつけた学徒は、他にもいた。それが、表社会にも名を轟かせた稀代のポケモンマフィア「ロケット団」だ。彼らは、デオキシス出生の秘密を探り、組織の技術に応用出来ないか画策した。
 DNAの中に眠る遺伝情報を自在に操作し、世界で唯一無二のポケモンを産み出そうと試行錯誤した。かくして、ロケット団が世界征服を行うための、足掛かりとなる戦闘兵器・製造プロジェクトが稼動した。誕生の島は、いつからか、純粋な知識欲を満たすミステリースポットではなく、悪意と人間の業に塗れた拠点となったのだ。
 忙しく、複雑な変遷を経て、誕生の島は最終的に――廃墟と成り果てた。

 という説明を、オペレーターから講義される。もっとも、ホオズキは元ロケット団という立場上、さほど耳を傾けてはいない。
『説明を続けます』
 誕生の島が廃墟として投棄された遠因もやはりロケット団にある。彼らは、プロジェクト遂行の末、コードネーム「ミュウ・ツー」を創り上げた。ミュウとミュウツーの関連性については、オペレーターも指摘し、推量を重ねている。
 命の創造は、生命倫理に大きく反する。最強のポケモンと呼ぶにふさわしいミュウツーを手に入れたロケット団はその時、自力で神の座に届いたかのような歓喜に沸いた。ミュウツーの力をもってすれば、世界征服など秒読みである。首領サカキは、ミュウツーを連れて、セキエイ高原に乗り込み、カントー機構を支配する計画を立てていた。国家転覆を目論んでいたのだ。
 その傲慢を咎めるかのように、ミュウツーは暴走し、研究施設及び複合した居住区は吹き飛んだ。ミュウツーの膨大な念動力は、島の様相を一変させるには充分すぎた。
 それからというものの、誕生の島は意義を翻したように人やポケモンの居住には適さない土地と化したのである。
 即刻プロジェクトは中止され、勢力を引き払った。ミュウツーの行方を、組織は血眼になって突き止めた。
 しかし、人工ポケモンの力をやはり持て余した組織は、ポケモンごと洞窟の奥深くに閉じ込めたのである。ミュウツーは強すぎるが故手に負えず、殺処分の命令は達成出来なかった。ミュウツーを世界の裏に隠すことで、存在を無き者にしたのだ。
『そこからは、あなたがたも知る通りです』
「何度聴いても、胸糞悪い話」
 ミュウツーの生涯は、人間によって望まぬ始まりを告げ、人間によって予期せぬ終わりを言い渡されたようなものだ。ポケモンと心を通わせることを題目としたイトハにとって、人間の浅ましさと強欲に自己嫌悪を募らせるだけの話だ。
 ミュウツー――護ることが出来なかったポケモン。スナッチャーにいれば、ハンターに捕まるよりも救われたのだろうか。いや、何処に属そうとも結果は同じだろう。
 廃墟に蔓延る無言の圧が、ミュウツーの無念を孕んで、訴えかけるような気がした。
 慣れない雰囲気を払拭するものが欲しくなり、また先頭を行く壮年が先程から言葉を発さないこともまた面白味に欠ける。
「ねえ、あなたもそう思いますよね?」
 元ロケット団の当事者として、彼はミュウツーの事案をどう受け取っているのか。出来ることなら同意を求めたい。
 それに、ミッションを共にするメンバーとして、少しでも会話の嚆矢を掴んでおきたかった。イトハも、自分より遥かに年上の先輩とも言うべき男と、どう意思疎通を交わせばいいか、未だに計りかねている。
 ヒイラギが敵対し、ヒイラギ自身がよりを戻したホオズキとの一部始終に、イトハは関わっていない。「イトハ」と「ホオズキ」の関係は、次の台詞で、明確な対立構図を作ったまま停止している。

「ごめん――」
 そっと置きかけた言葉は気遣いなどではなく、自分もあなたの側にはつかないという意思表示と同義だ。身を引き裂くような、残酷な優しさが傷口に染み渡る。無垢と無知をそれぞれ呪うように、ホオズキは二人の背中を睨みつけた。

 奴は味方だ、さあ信用しろ、手を組め。そう言われても、一度不信感を抱いた相手と唇の震えを押し殺して仲良く出来るほど、イトハもホオズキも利口な人種でないことは、これまでの亀裂が散々物語っている。
 イトハの淡い希望は、期待の低さを裏切らず、呆気なく打ち砕かれる。
「ポケモン一匹にいちいち感情移入してられるか。現を抜かしていると、足元を取られるぞ」
 態度こそ取り付く島も無いように思えるが、老朽化した建物は、足の置き場ひとつにも細心の注意を払わねばならず、いつ何時、床が抜け落ち、硝子の破片を踏み、天井が落下してくるか分からない。廃墟探索とは、リスクを甘受するのが前提だ。
 だから、一歩一歩が命取りとなるし、同時に命綱でもある。
 義憤を募らせるより、探索の優先と、周囲の警戒に重きを置けという忠告は、この場合彼女がもっとも望まない正論だった。
 こちらの言い分とて正しいはずなのに、むきになる方が何だか幼く思われて、原因を自覚させたホオズキに対し、半ば八つ当たりに近い怒気が膨れ上がっていく。
 イトハは、丹念に、心内で積み上げた和解のプランを大破させる。
「さすが、元ロケット団。ポケモンなんて道具以外の何者でもないですよね」
 わざと自分でも口にするのを躊躇う強気を背中に投げつけたが、応答は無い。
 ロケット団の面影が眠るこの島なら、ホオズキの情報も何処かで手に入るはずだ、ひとまずは好機をうかがうことにした。

 かくしてスナッチャーは、ロケット団・負の遺産における内実へと突入していく。
 これまでの能動的なアクションが要求される任務とは百八十度旋回した、静かな立ち上がりだ。
 目指すべき調査ポイントは、朽ち果てた居住区内を通り抜け、急勾配の階段を下った先にある、研究施設である。
 オペレーターの追跡を通信機越しに受けながら、建物全体のエレベーターを欠いた補填としての渡り廊下を踏みしめていく。もし観光地になるならば、一般人の侵入を拒むべきであろう地形をもルートとして用いた。原型を留めない道の中に道を見つけ出すというより、無理矢理通れば、後から道として舗装される、と言わんばかりに。
 ロケット団とはいえ、命を持った人々がかつて生活していたという事実が、随所の跡を通してうかがえる。目の前にいる壮年もいわば同類であって、不思議な感覚に囚われる。ホオズキは、イトハよりもノスタルジーに浸るはずの立場なのだ。
 前だけを見据え、時折振り向いてはイトハがちゃんと着いてきているかどうか確認を怠らない。二人の歩幅の違い、遅れて響く足音、噛み合わない距離感がぎこちなさとして表れていた。

 件の研究施設も、目立って他と変わらない惨状だった。培養液の硝子が散乱し、コードは途切れ、照明は薄明かりだけを灯し、明滅を繰り返す。下手をすれば火花が散って、引火するのではないか、懸念を抱く。変色した培養液の染みは、ひん曲がった笑みのようにぶちまけられている。
 イトハはどことなく、背筋が寒くなった。
 廃墟に足を踏み入れて以来、連続して襲い掛かる、鼻を突くような刺激臭には感覚を慣らしたつもりだ。しかし、打ち捨てられた場所ならではの、漂う寂寥感は未だ拭えない。
 事件の渦中に居合わせなかったからこそ、真相の深みに囚われやすく、靄がかった想像をはたらかせる。かえって当事者ではない方が、下手に恐怖心を煽られるものだ。
 その証拠として、ホオズキは先程から表情筋を動かすことなく、無に徹している。
 感覚が麻痺しているのか、それとも何かの境地を極めればこうなるのか、イトハには、ホオズキのその異様な反応が分からなかった。
 オペレーターによって挿入される無機質な通信だけが、イトハを現実へと呼び戻す。
『研究所は、島の中心に設けられ、さまざまな施設と複合していたと記録があります。ここを道なりに進めば、件のプログラムが稼動している反応ポイントに到達します』
 実験体を扱っていたと思しき場所で、ホオズキは何度か足を止め、辺りの様子をうかがう。イトハが気を取られている隙に、再び歩き出すのだ。

 しかし、イトハは歩みに従わなかった。それよりも、注目すべきものが現れたからだ。視線を釘付けにする、燐粉の如き輪郭がきらめき、形を成している。
「もしかして」
 脳内に思い当たる点を列挙し、すぐさまスタイラーのブラウザ機能(レンジャー版ポケモン図鑑のようなもの)を開き、スナップモードへと移行。ファインダー越しに掴みどころなくゆらりと浮遊する物体を、何とか収めようと、足を前後に動かす。
 ホオズキは訝しげにその焦りっぷりをただ、眺めていた。
『美しい。……失礼しました、わたしの見解など』
 通信機越しに、各々の感嘆が漏れる。
 ジュノーとオペレーターは構成員の動きを逐一モニターしているから、イトハが停止して見つめたポケモンの正体を見破ったのだろう。私的な反応で介入したことは無い。
 ホオズキはすぐさまイトハの方に駆け寄り、老眼のようにしばたたく。
「いえ、重要な情報です……」
 イトハはオペレーターをフォローした。彼女の私見こそ「それ」が視えているという証拠を示す。
『イトハさん、消えてしまいます!』
 もう一人のオペレーターが叫んだ。
 一筋縄でキャプチャ、とはいかなさそうだ。挙動の機敏さと、読めない軌道からして、超能力を操る類のポケモンが濃厚だ。憶測の後押しとして、瞬間移動の準備に入っている。
 島を根城にしているならば、また遭遇する確立は高い。イトハはひとまず、決定的な一枚の激写に専念した。
 輪郭と気配は、完全に消失した。ただの陰気な研究所に戻る。逃がしこそしたものの、それと引き換えに、任務開始早々、幸先の良い手掛かりを得ることが出来た。
 ブラウザのデータ欄、ポケモンが表示される枠に、抑えた容姿が鮮明化される。
「スタイラーのブラウザに『ミュウ』を登録しました。これから、データをそちらに送信します」
 イトハがデータを本部に送信しようとするのに間髪入れず、ジュノーが述べる。
『御苦労様です、イトハ。わたしにも視えました。桃色の、尻尾の長いポケモンですね。このような姿形を目にするのは、生まれて初めてです』
 ジュノーは、ミュウの特徴を正確に言い当てた。イトハが見ていたものと寸分の違いも無い。
 司令室側の様子はこちらから透視出来ないため、イトハはオペレーターやジュノーの声色や態度から判断を下すほか無い。
 しかし、彼らの反応はまさに率直な驚嘆と呼ぶにふさわしく、反応速度からしても彼らが裏で結託しているとは考えにくい。
 ヒイラギは恐らく、波導でジュノーの悪意を見出せなかった。だから、司令官を冤罪に陥れた叛逆者として追放されたのだ。
 内通者――まさに正体の読めない敵。ミュウのように、不可視で、弱点を見せない。強者の中の強者だ。チームのエースをも退け、未だスナッチャーに潜伏している。
 果たして、内通者など、本当に存在するのか? そんな疑問が弱気となって込み上げることも何度かある。
 ヒイラギを疑っているのではない。この現実から一刻も早く逃れたいという疲労と、いつまでも闇を手探りするような不透明感との戦いに対する、底の深い絶望である。
 しかし、やり遂げると決めたからには、イトハも同じ轍を踏むわけにはいかない。あくまでも慎重に、確実に、事を運びたい。
 イトハが内通者のことを考慮に入れる反面、ホオズキは別の懸念事項に突き当たっていた。立ち尽くし、呆然とする彼に、イトハはその時あまりにも自然に声をかけていた。
「ホオズキ」
『どうしました、ホオズキ』
 眉間を摘み、現実から逃避しようとしているのは一人だけではなかった。
「まさか――」
「やめろ」
 ホオズキは短く発し、あくまでも声自体は常の調子を崩さない。だが、ジュノーが制止を許さなかった。
『イトハ、続けなさい』
 言葉を選ばなければ、ジュノーにあらぬ疑惑の種を植え付けてしまうことに繋がる。
 イトハは一拍置いて、責めるようなニュアンスは一切含まず、確認を取る。

「あなた……。ミュウが視えないのね?」

 島に到着して以来、ホオズキがはじめて動揺を露わにした。当然、内に加えられると思っていた自分が、対象から爪弾きにされたことへの、驚き。
 骨身が強張った甲と指がわなわなと、小刻みに、一定のリズムで震えている様だけは。皮肉にも、鮮やかに映ったのだ。
 ホオズキは敵ではない。ヒイラギの波導にかけて、そう信じている。しかし、黒装束で覆い隠したベールは剥がれていない。ヒイラギは僅かな手掛かりから、確実に信じられる要素を見出しただけのことだ。
 このミッションをクリアするには、0.1ミリの疑念をも潔白に変える必要がある。
 イトハは事態を飲み下し、自らにシークレット・ミッションを課した。

 【Mission:元ロケット団の謎を暴け】

はやめ ( 2018/02/07(水) 18:16 )