Phase 29 追放
「何を言うのです」
「波導使いを出し抜けるのは、波導使いだけだ」
内通者の正体で、最終的に突き当たるのはこの疑念をおいて他に無い。
そもそも、ヒイラギは最初の戦いでサンダーの気配を感じ取ることが出来ず、敵は波導の対策を講じていたことが明らかになった。波導一族は、歴史の陰に生きる忍びの者、おいそれと知れ渡る能力ではない。
では、波導に熟知した何者かが、ヒイラギ対策を完璧にしていると考えるのは、それほど突飛な発想ではない。
これまでの戦いで、イトハもホオズキも波導には適応しなかった。だが、ジュノーは己のプロフィール全般を隠している。彼の素性は九割が闇の中に保存されている。この男は果たして何者なのか、という立ち返るべき原初の疑問を遂に掘り下げる時が来たのだ。
ジュノーは自分が不利に陥ったことを了承し、抵抗をやめる。壁際から、訴えるような語気を強めて警告する。
「ヒイラギ、これは叛逆と冤罪に値しますよ。あなたはチームを乗っ取る気か」
質問をはぐらかしたか、とヒイラギは記憶する。ジュノーの正体が本当に波導使いであれば、ヒイラギの心眼も相殺されかねない。問答には付き合ってやるが、その裏ではどうやって司令官を出し抜くかを懸命に思案するのがやっとだ。
「正しき指導者の下に置かれるべきだ」
「わたしが正しくないとでも」
「正しくない」
「何を根拠に」
「では、ホオズキに何をした」
「ホオズキ?」
ジュノーは僅かに眉を吊り上げる。
「奴がおれの任務を妨害した。普段の様子からは考えられない行動だ。入れ知恵をしたな。おれがキナギ領海で襲撃された時、ホオズキが助けに現れたのは何故だ。テストプレイは一人で行う予定だった」
「あなたからの報告が遅いものですから」
その時、ジュノーの波導に起こった変調を、ヒイラギは見逃さなかった。
「ならば、任務妨害の理由は」
「マナフィの保護ではなく、捕獲を試みた。立派な命令違反です」
「今ので分かったぞ、おまえはおれを内通者だと疑っている」
ホオズキのことに触れた途端、聴かれたくないといった不快感を表した。同時に、ヒイラギへの訝しげな心中をも推し量ることが出来たのである。波導は、他者の感情を赤裸々に暴露する。ヒイラギは分析した。
「『おれが』自分自身の容疑を晴らすために周囲を牽制し、秘密裏にチームを乗っ取ろうとしている。そう考えるなら、実に論理的だ。やはり、おれは罠に嵌められた」
仮にヒイラギが司令官であったとしても、構成員の命令違反を見て見ぬ振りするだけの理由は無いし、同じことを考えるだろう。
ジュノーは以下のように考えた。
「ヒイラギ=内通者という図式から目を逸らさせるため、派手な行動を起こし、周囲を扇動する。自分自身が率先して内通者を突き止めようする正義感を主張して動けば、自分は白だ、と印象付けられる。
しかし、それはカモフラージュであり、本来の正体を隠蔽するための陽動である」
よく出来た推理ではある。
ヒイラギを味方に引き入れるふりをして、ベールを剥がすつもりでいたのだろう。
ジュノーは無表情の仮面を被り、少しの感情も露出させない声と口元を取り繕って、考えを改めさせようと強制力を働かせる。
「ヒイラギ、例えあなたがどのような立場にあったとしても、わたしに逆らうことは賢明ではない。戦士生命を滅ぼすことになりますよ」
「そうやって、ホオズキも脅したのか?」
「この期に及んで何を言う」
「あいつは既に、内通者のことを知っていたぜ。奴は『内通者はおまえか』と問うた。そのことは報告されていたか」
「あなたの波導が告げる通りです」
その事実は今初めて知った、と告白した。
ジュノーはここに来て悟ったようだ。自分の部下たちに信用されていないことを。
ヒイラギはおろか、腹心であったホオズキにさえ、裏をかかれており、内心のショックは推して量るべきだろう。
彼はとうとう溜息をついた。
ジュノーは容姿だけならば、良家の後継ぎを約束された子息さながら、端麗である。
そんな彼が放つ溜息は、儚く、諦めに依拠した、ひとつの節目を思わせる。
「残念だ、わたしは司令官として信用されていない。ここまで共に歩んできたことは、わたしの一方的な思い込みなのですか?」
反面、ヒイラギにはひずみが入り、どす黒い応酬が心を満たした。
今更、こんな役に回りたくなかった、とは抗弁すまい。進んで引き受けた憎まれ役だ。
しかし、ここまで共に歩んできた、という表現だけは、一向に受け付けなかった。
それほどの獰猛な拒否感に襲われた。普通ならば、何をもって普通と定義するかにもよるが、スナッチャーという組織で過ごした時間を少なからず肯定し、育まれたものを尊重して、邁進のための糧とする。
ヒイラギもその情に浸り、同じ杯を飲み交わすことすら出来ただろう。
だが、本質は醜い社会の縮図だ。
内部崩壊を狙った隠蔽工作。疑心暗鬼で風通しの悪い集団生活、生きた心地のしない日々。いつ裏切られても不思議ではないと警戒を全開に張り巡らし、遂に残ったものは、首元のネックレスだけだ。
要するに、ジュノーは同情でヒイラギを買おうとしているのだ。
誰がこんなチームにした。
綺麗事では、もはや解決がつかないことを、さも美談のように騙る。
その上で共に歩んできた、だと。
スナッチャー創立から共に歩んだと言える人物は、ヒイラギの中ではたった一人だけで、それは絶対に司令官などではない。
このチームは創立当初から内通者に支配された、都合の良い媒体以上の意味を持たない。以前も悩んだ、自分がしていることは正しいのかと。スナッチャーというチームを護ることにどれだけの価値があり、内通者を倒し、果たしてその先に何が待っているのかと。
ヒイラギは自問自答を続け、結局、駒としての本能を優先せざるをえなかった。
貴様の、正義という旗の下に立てられた策略に、おれたちは命を差し出して、従ってきた。しかし、その作戦は悉く失敗した。司令官ジュノー、貴様は信用されるだけのことをしたか、と叫びたくなった。
「わたしは……カロスの南部で産まれました」
すると、ジュノーは唐突に関係の無い話を切り出した。ヒイラギは最初、耳を傾けるつもりなど無かった。しかし、この二人以外、音を立てない部屋で、孤独の意識に埋没するには静かすぎた。
「南部を知っていますか。街の名前も、道の補整も、ポケモンセンターすら確保されていない闇の土地。カロス地方から除かれた、地図に無い街」
ヒイラギには思い当たるところがあった。
カロス地方の南以降は、地図で雲に覆われ、まるで存在しないように隠されている。其処にも人やポケモンが住んでおり、家があり、植物も生えているのに。
三千戦争の被害を受けた土地なのだ。三千年前の戦争だから、三千戦争と名付けられた。「イベルタル」というポケモンが羽ばたくと、疫病をもたらしたという迷信が当初まことしやかに信じられ、多くの人間とポケモンは貧困や病魔に喘いだ。
戦争はポケモンを駆り出し、最終的に人工的なファイナルウェポンによって終結した。その戦争はカロス南部で行われ、今もその影響があってか、紛争が継続している部分もある。ポケモン協会は、半分法治の及ばぬ領域を野放しにして、見向きしない。
北のカロス地方は「kallos」――すなわち、美を称揚した大国として知られるが、南の土地は美の理念にそぐわないものとして排斥された。
「わたしはそこで生まれ、紛争と共に育った。ヒイラギ、あなたと同じです」
「墓穴を掘ったな。地図に無い街というなら、貴様がキナギを蔑ろにするのは矛盾だ」
――たかが漁村ひとつと、国家ぐるみの権力、どちらの声が上か。考えるまでもないでしょう。
ヒイラギはこの言い草を忘れていない。
「いいえ、矛盾ではありません」
ジュノーは首を横に振り、絶対的な自信をもって否定する。
「大を救うためには、小を犠牲にせねばならないのです」
ヒイラギが一瞬、狼狽えた。ジュノーは続けて、己の半生を紡ぎ上げる。
「わたしはカロス地方の名前を与えられなかった南部で、紛争に参加し、ここまで奇跡的に生き残りました。わたしの周りは、人間もポケモンも問わず、惨殺され、拷問にかけられ、口にするのも憚られる死に方をしていきました」
戦争の死は、倫理を飛躍し、蹂躙し、超越する。書物としてしたためられ、記録へと残されるほどに。
「何人も何人も、ポケモンも、死骸が転がる街と呼べない荒地を、わたしはさまよい続け、カロスではないどこかを脱した。他の地方で鳴りを潜め、暮らす内に……カロス南部と各地方の状況は、おぞましいほどに違いがあるということに気付いた」
ジュノーが知ったのは、不気味なまでの真実だ。出生地が変わるだけで、生活様式は見違える。同じ地方内でも顕著ならば、地方が違えば尚更だろう。カントーとカロス南部を、果たして同じ惑星の範疇で括っていいのかどうかさえ、見当がつかない。
ジュノーの価値観から言わせれば。
病院で主治医たちから出生を祝福されること自体が、奇跡だ。
野生ポケモンが独自の縄張りを築き、テリトリーをもって人間と確固たる棲み分けが出来ることも、奇跡だ。
勉学の機会を与えられ、識字能力を身に付け、その力を生かす土壌や環境が整っていることさえ、奇跡だ。
整備されない世界には、秩序は生まれ得ない。暴力が正当化される場では、暴力が更なる暴力を呼ぶ。秩序を配置する余白など、残されてはいない。
「わたしは知ったのです。小さな世界の悲鳴は黙殺される。忘れられた者の声は、誰にも届かないとね」
ジュノーがそのカロス南部で、いかなる半生を送って来たか、彼の証言から、想像を及ばせるしかない。現代人からはおよそ理解しがたい感覚だろう。
しかし、同じように戦火を掻い潜り、不条理な死を目にしてきたことは紛れも無く真だと、波導が告げていた。ジュノーは文字通り地獄から這い上がり、今の地位を得たのだろう。
「あなたにそんな経験はありませんでしたか」
いつの間にか、自分はどうだったか、と照らし合わせて考え込む。彼の語り口はまるで偉人の高尚な演説を彷彿とさせる。気に留めずとも、引き込まれ、心理の隙に入られているような感覚を味わう。
一人だけ、確かに報われなかった者のことは記憶に焼き付いている。死後一日たりとも、「彼女」を想わなかった日は無い。ヒイラギの中で魂の概念に成り果て、共に息づいている女性は、非業の死を遂げた。声無き声を上げた末に抹殺された、と考えても良いかもしれない。彼女の仇は、未だこの世界の裏側に属し、糸を引いている。自分にはその人間を倒すだけの力が無く、泣き寝入りするしかなかった。無力を分かち合うように、ジュノーは諭す。
「ヒイラギ。世界は不平等に出来ている。これは抗っても敵わぬ事実だ。もし、不平等というものをこの世から無くすなら……人間とポケモンを消し去った方が早いでしょう」
ジュノーはその時、「ヒイラギの仇」が口にしたことと同様の傲慢を認めた。即座に、首を上げ、飛躍した論理を撤回させる。
「それこそ、エゴだ」
「果たしてそうでしょうか」
「いえ、今のは極論が過ぎましたね……。ですが、波導使いとして世界を渡り歩いてきたあなたなら、わたしの声も届くはず。それこそ、世界を見て来たあなただから分かるのではないですか?」
ヒイラギはここまでジュノーを必死に否定しようと励んでいたのに、思わず同情の余地を与えそうになった。
波導が是とする、ジュノーという人間を構成する思考が、一喝で処理し切れない強力なメッセージとして雪崩れ込んでくる。
彼とおまえは、同族だと。
ずっと世界という大規模な総体に飲まれ、それを回す仕組みや常識に疑問を味わいながら生き続け、報われることもなく、再び世界の駒として動くことを受け入れて来た。それ自体は、自分のようなちっぽけな存在では、何一つ変えることが出来ないという虚無に基づいた結論だ。ヒイラギとて、悪意を撲滅してみせると息巻いた時があった。
ジュノーがキナギをあのように表現したのは完全に皮肉だった。彼はキナギを切り捨てるのではなく、最後に救おうとしている。同じ苦しみを知って来たから、キナギという一漁村が、国家から相手にされないことを痛いほど認識している。そんなメカニズムで出来た世界の法則を覆したい。普通に生きているだけでは目に見えない、通り過ぎてしまうような矛盾を正面から指摘して、是正したい。その闘いの果てには、生命讃歌をもたらす幸福があると愚直に信じて。暗部がひしめく、この穢れた世界を、改革しなければ、十年、百年、同じ過ちを繰り返す。悲劇の潮流に終止符を打つのだ。
「我々は……世界のシステムを、根本から変えるべきなのです」
弱者の代弁。
それこそが、ジュノーの考える、チーム・スナッチャーの存在意義である。
「より小さな者の声を拾える世界に。そのためには、その経験を持った誰かが、上にのし上がる必要がある。わたしはそうなろうと決意した。のし上がるためには、犠牲は必要だ。しかし、長期的に見れば、その決断はすべてを救うことに繋がるかもしれない」
ヒイラギは心底吐き気がした。
「また、救う、か……。おれたちはそんな大それたものじゃない。所詮、政府が用意した暗部の組織だ」
今度はヒイラギが主張する番だった。彼は一歩踏み出し、手振りで訴える。
「おれたちがやるべきは、現在世界を震撼させる勢力を暴き、壊滅させること。その一点に尽きる」
ヒイラギの無力感は、人間が出来ることなどたかが知れており、限界に達しているという絶望に基づく。この十年、世界は何も変わらなかった。
であれば、今後、百年、千年でさえ。技術の進歩は人々の心をより疲弊させ、乖離を生み、世界を滅びに導く。悪意を潰すために正義を行使するのは、世界の寿命を辛うじて存続させるための、一時的な措置に過ぎない。いつしかヒイラギはそう思うようになっていた。
「世界を、救うだと? 夢を見るのも大概にしろ」
ジュノーを睨み付ける。
「この世界で、おれたちは、自分のことですら理解出来ていない。ましてや、他人は尚更。そんな人間という、愚かしい生き物が。他の生命を淘汰する権利があるとでも? 貴様は立場をはき違えているぞ」
一通り言い返したのち、ジュノーは感情的に荒ぶることもなく、いたって冷静沈着に応じた。
「では、あなたがキナギの民からマナフィを奪い取ったのは何故ですか。あなたは内通者を倒すためにマナフィを利用しようとしている……わたしと同じです。あなたは内通者を倒すという、長期的な目線をもって、自分を信じて力を託した者たちを裏切ったのだ。だがそれは未来、キナギの民をも救うことになると決断した上での実行ではないか」
ヒイラギとジュノーのスタンスは、傍から見れば同類だ。
「スナッチャー」という組織の権力を利用して、世界を救おうとするジュノー。
「マナフィ」という王子の権力を利用して、内通者を糾明しようとするヒイラギ。
二人はおぞましいほど似通っていた。そんな彼をあくまで労り、無礼を許してやるという愉悦の表情を浮かべ、ジュノーは告げる。
「ヒイラギ、きっとあなたには救世主としての素質が眠っている」
「救世主?」
「救世主――『勇者』、と言い換えましょうか」
その単語は、埋もれていた渇望を一気に呼び起こす。世界の救世主・勇者。
波導使いにして、史上最高の栄誉を与えられ、今日まで語り継がれる伝説の英傑・『波導の勇者』。アーロンに対する憧憬を引き合いに持ち出されては、拒めない。
「波導使いとして今日まで生きる中で、あなたは何度か自分の存在意義に思い悩んだのではありませんか? ロータに使い倒されるなら死んでしまった方がマシだとね」
事実を矛として突き刺されたヒイラギは、身動きが取れなくなった。困惑し、眉尻を下げた顔から、図星を読み取る。
「分かるのか、という顔をしていますね。分かりますよ。かつては、わたしも兵士として人の下で動かされたのだから」
人に操られ、縛られるのは、死んだように生きるのと同じことだ。
だから、ヒイラギは実績が評価されず、後の歴史を語る書物の1ページの、数行にも満たないほどしか、波導使いの功績が記述されないならば、自分が生きている意味は何なのか、と何遍も問いかけた。嫌というほど問いかけて、結局考えることをやめた方が楽だ、という結論に至ったのだ。
そんな苦しみを、ジュノーは理解してやれる、とシンパシーを寄せる。
「あなたとわたしは同胞だ、だからチームに誘ったのです」
「ヒイラギ。大と小は、まもなく均質化される。苦しみは無くされるべきだ」
あらゆる苦しみや痛み、悲しい感情をもたらす出来事が無くなれば、どれだけ生きていて楽になれることか。
誘惑が、ヒイラギとジュノーの距離を縮めていく。全人類は平等に生まれた分身として迎えられるべきだと、両手を差し出し、抱擁するような聖職者の笑みを浮かべる。
「犠牲も悲しみも、我々の代で終わらせましょう。そのためにチーム・スナッチャーが存在するのです。あなたのような戦士自身をも救うものとしてね」
「ですから、必要悪をはき違えているのはヒイラギ……あなたの方ですよ」
事はそんなに単純な問題ではない。ジュノーは机上の理想論を語っているに過ぎない。確かに、ジュノーの言う世界とやらが実現するなら、それはそれで魅力的だろう。しかし、彼の提唱する楽園には、決定的に欠けているものがひとつある。
騙されてはならない。感情を委ねるな。尾を引きずり出せ――ヒイラギは、尋問という対決の場に舞い戻った。
「御高説、御苦労」
ヒイラギは人差し指を突きつける。ジュノーの想いを、あえて三文字で片付けた。
気炎を放つことで、おまえの論理には屈しないという意思表示を為す。
ヒイラギはこの世で何よりも詭弁を嫌う。ジュノーの卑しさが垣間見えたことで、かえって徹底的に弾劾しやすくなった。
ヒイラギは最初からそういう人間だった。押しつけがましい善意を何より忌み嫌い、唾を吐きかけて跳ね除け、嘲笑うような人種だ。ひとたび手を差し伸べられれば、笑顔の裏の意図を勘繰り、歪曲したまま心を開くことなく、後ろを着いていく。
何を勘違いしているのか、仮初の平和も、恒久の安らぎも、もはや朽ち果てた戦士には必要無い。無償の愛ほど信用ならないものは無い。
死が、身と世界を分かつまで、戦うのみだ。この場で自分がやるべきことは内通者を突き止め、追放すること。厭世観を語り、親睦を深める交流の時間は終わりだ。神の気分に浸る司令官の鼻を明かすため、念入りな手掛かり探しに時間を費やしたのだから。
「では、根拠を聴かせてやろう」
手持無沙汰を持て余し、後ろに指を組んで歩き出す。
「おれはひとつの仮説を立てていた。ホオズキとおまえがグルである可能性」
「わたしは誰に対しても平等ですよ」
もはや言い返す気力も湧かなかった。呆れたように頭を横に振る。
「ホオズキはおまえに利用されている。正確に言えば、利用出来るように弱みを握っているはずだ。任務にしても、おれやイトハと動き方が違う。奴に関しての情報を頑なに秘匿するのは、何かおれたちに知られてはまずいことがあるからだ」
チーム・スナッチャーにおける、ホオズキという男の立ち位置は未だ謎に包まれている。本来、真っ先に違和感を抱くべき事柄を先送りにしてきた。
「そもそもおかしいとは思わないか。おれとイトハの素性については、詳細に渡り説明をさせた。だが、ホオズキについておれたちが知っていることといえば――『元・ロケット団』。この一点だけだ。必要最低限の情報で、おれたちの間に潜り込ませる。それは素性を悟らせないがためのカモフラージュに過ぎない。だが、そこまでして過去や素性を隠し通すメリットはどこにあるか。チームメイトならば、個々の事情とまではいかずとも、せめてプロフィールを共有しておかねば、効率が悪い。おまえが頑なにホオズキの素性を隠すのは、司令官の判断としてナンセンスだ」
ちらりとジュノーの方を向くが、飄々とした態度は未だ健在である。ヒイラギはつまらなさそうに続けた。
「では、知られてはならない理由とは何か。おれたちが知ってはいけないならば、それは敵が不利になるからだ。おれたちが知らないことによって、敵の都合が良くなる。そこで先程の内通者説が真実味を帯びる。だが、ホオズキはおれが内通者だと疑っていた。奴の波導はおれを疑うという点において、絶対的だった。おれは弾劾されている気分だったよ」
アクーシャでの対決を改めて思い出す。
ホオズキもまた、内通者を追っていた。
「本来奴が内通者であれば、波導の中に僅かな矛盾にして濁りが見える。罪の意識は、本人が罪を罪と思わずとも、罪という行為や言葉の持つ意味によって、内通者の想いとは裏腹に、悪の波導を現出させる。だがそうではない。奴の波導はまさしく、内通者を暴く正義に燃える色だった」
ここまで言えば、分かるだろう。ヒイラギは正面切って宣言する。
「だから、内通者は他にいる!」
「半分正解、半分誤答です」
「ホオズキに裏から指示を出していた、それは認めましょう。あなたの前で嘘は通じない。ですがヒイラギ、わたしをそれだけで内通者だと断じるには、証拠が足りないようですが」
ヒイラギは僅かに顔を俯けてから、次なる刺客の潜んだボールを手に取った。
ボールの中には、捕らえたばかりのマナフィが入っている。ハートスワップでジュノーの肉体を支配し、身辺を洗い出す。以前は声帯を真似しただけだったが、今度は徹底的に洗浄する。また、スワップ時点でヒイラギの体に宿ったジュノーが取る応手によって、波導使いか否かを判別する。
これこそ、正真正銘の切札だ。
スレートの研究は遠方からヒイラギに力を与えている。彼は内通者を追い詰めるために記憶の無い人生を傾けて来た。
そして、王子の立場を返上して、自身に着いて来てくれたマナフィにも報いる。グローブの内で、プレシャスボールを握り締めた。
「……確かに、貴様だと絞り切る確証は無い。だが8割というところまで来ている。よってこれから、証拠を引きずり出す」
ジュノーは語頭を上げ、嘲る。
「弾切れですか」
「おれが貴様を疑う、最後の理由」
ヒイラギの心臓が、とくん、と波打つ。
「貴様は自分のポケモンをまだ誰にも見せていない。構成員であるおれたちにすら、な。そこに波導を操れるポケモンがいれば、即、黒確定だ」
「わたしから何も出なかったら、あなたは司令官、いやチームに反抗した存在と見なされますよ。さすがにこれ以上は庇い切れない。処分は確実、和を乱したとしてチーム追放も止むを得ません」
最後通牒が来た。
ジュノーは最後の最後まで、ヒイラギを同志に引き入れようと粘り強く反論していた。その司令官が「追放」を口にした。
「それでも、このわたしに、反旗を翻すというのですか」
ジュノーの纏う圧が変わった。波導使いですら飲まれそうな変貌に、一旦は退きそうになるが、己をなんとか鼓舞する。
「何度も言わせるな。おれは貴様を内通者だと疑っている。貴様が黒幕である、たったひとつの証拠を引きずり出すというんだ」
「冤罪であっても貫くと。あなたは無実の罪を着せて、人を陥れようとしているのですよ」
「だからどうした」
ヒイラギは、彼の言う、本当の救いのために、国家権力に刃向かう。
「貴様は最初、スナッチャーを『闇の組織』だと称した。貴様が呼称した通り、おれは動いてきた。闇に隠れ、日の目を見ず、暗がりで敵を始末する。だから、それを貫くまでだ。なかなか上出来な躾だったよ」
闇の組織、という呼称は、正直ヒイラギにはずっと、しっくり来なかった。
自分たちは闇というほど底が深くない。
むしろ、闇というものの実態を追い求めるなら、ジュノーの崇高すぎる理想にあるものこそ、闇ではないかとすら思わせる。
正義は行き過ぎると、歪んだ正義を生む。
己の正しさに耽溺する者は、奮い立った自分を神聖視しすぎて、掲げたものの大きさに破滅する。
ヒイラギは頑なに「必要悪」と己を語り、自身の行いを正当化してきた。それは、本当に正当化するのではなく、「悪」だという矮小化された位置付けを守るため。正義に酔わず、行いのレーンを外れないため。
しかし、悪は、正義の前に、華々しく散らされる。
それがヒイラギの顛末だというのなら、そうだとしても、ジュノーとは訣別せねばならない。だが、負けて終わるつもりは無かった。
ジュノーは、異分子の反抗的な態度よりも、己の審美眼を冒されたことに屈辱を抱いているように見えた。
「……わたしともあろうことが、戦士を見誤ったようだ」
次に言い渡されるのは、交渉の決裂。
「チーム・スナッチャーNo.003、波導使いヒイラギ。只今をもって、司令官に対する過度な反逆・挑発行為、及びチーム構成員への不必要、追及行為への処分として、チーム除名を言い渡す」
スナッチャー除名は、ヒイラギがこの本部で、恩恵に与っていた権限を根こそぎ剥奪されるということだ。
彼は地下塔での居住を許されず、早々に辞去しなければならない。スナッチグローブも返却を求められ、ヒイラギはただの波導使いに戻る。だが、その程度で済まされれば僥倖だろう。
ジュノーに楯突いた彼の報告は、上にも届く。傭兵としての信頼度を著しく下げた彼に仕事が舞い込んでくるほど、お人好しはいない。波導使いとしてのヒイラギはたった今、ここで生命を閉じた。
これが、ジュノーに逆らうということだ。悪は善の前に敗れる。この世界における自然の摂理にして、知らない者などいない鉄則である。ホオズキの警告は正しかったが、ヒイラギは己の悪を優先し、司令官への叛逆を断行した。恐れ知らずの蛮勇には必ずいつか、鉄槌が下る。
ヒイラギは自分に何が起こり、結審を下されたのか分からないほど、愚かではない。
しかし、今はスナッチャーから追放された事実など、どうでもよかった。
ジュノーのマリスを暴く。欠片ほどしか残されていない思考・視野・知覚を使い、彼が内通者であることを突き止め、白日の下に晒す。
「あなたを退けてから、代わりの波導使いを探すことに致しましょう」
これだけ煽ってもボロは出さない。イトハやホオズキのレベルとは段違いだ。やはり、波導使いが有力説か。肉弾戦になっても、戦えるぐらいは、まだ。歯軋りする。
退ける、だと。ジュノーの謎めいた自信は不可解かつ、不吉な響きを孕む。拘束された四肢をもって、何が出来るというのか、見せてもらおうじゃないか――ヒイラギはマナフィを繰り出す。
その時、ヒイラギはあまりにも疲れ果て、そろそろ解放してほしかったという本音もあるが、いい加減、この一撃で決着するものと思い込んでいた。
「ハートスワップ!」
成長したマナフィは、かつてのように負荷を与えずとも、冠を被る貫録そのままに、触覚を瞬かせる。ヒイラギとジュノー、両者を、にじり寄るような光線が繋ぎ止める。
そして、マナフィは悲鳴をあげ、倒れた。
ヒイラギは、安直な感受性だが、何が起こったのか分からなかった。理解を超える現象が起こった。後ろを振り向いた。マナフィが瀕死に近い状態になって、眼を剥いている。
無効化された。
ハートスワップが、記憶を交換し、肉体を掌握する術が。
効かない――。
ヒイラギとスレート、二人がかりで考案した作戦は、失敗した。
ジュノーは何をしたのか、と首をかしげる。まさか、それが奥の手だったとは言わせまい、という微笑み。
ヒイラギは潮が引くように、顔面蒼白になる。味わうことすら予期しなかった戦慄の度合いに、鳥肌を立てる。
波導使いとしての人生で、「二度目」の圧倒的な敗北が。現実味を帯びて、彼の前に立ちはだかった。ヒイラギはこれまでにない危機感を覚え、叫ぶ。
「逃げろッ!!」
マナフィは聴いたこともないような声にあてられ、命を奪われる相手を錯覚するほどの焦りを見せながら、部屋を脱しようと液体状に水分を融解させた。
イトハとホオズキの下まで、捕まらずに逃げ切ることさえ出来れば、後は彼らがなんとかしてくれるに違いない。そう、なんとか、という曖昧な頼り方しか出来ない。
計画が霧散した今、マナフィの身を案じるよりもヒイラギはどうやってジュノーを倒すか、即座に思案せねばならなくなった。
ジュノーは、叛逆者を高みから見物するのみ。あまりにも温度差があった。
次は、どうすればいい。
奴は一体、何者なんだ。
記憶を交換する技が効かない。理屈で考えても分からない。何故、何故? 奴は人間ではないのか。ロボットかサイボーグか。組み立てて来たプランが音をあげて崩れ始める。非合理的な発想も今ならそうか、と二つ返事で受け入れてしまいそうなほど、ヒイラギの思考は機能停止した。
息を吐くだけ吐き、辛うじて自我のスイッチを再度オンにする。敵は何も仕掛けていない。まだ、チャンスは残されている。
こうなれば、すべてのモンスターボールを削ぎ落とし、中身を確かめるか。
或いは、奴が何らかのポケモンを所持しているとすれば、別の場所に安置している可能性も高い。一方で自身を護らせるために連れ歩いている可能性もまた等しい。
確率は1/2、どちらに傾くか。
恐らく、勝負は一瞬で決まる。
ジュノーが自分のポケモンを見せることを嫌がるなら、時間をかけはしない。速攻で始末を下す。
ヒイラギの予想は、「ルカリオ」だ。
ルカリオならば、波導を制御し、遠隔操作出来る。ジュノーを波導使いだと仮定しても、強力な波導を操れるルカリオの所持は可能性が高い。
しかし、事態は、想像の遥か上を行くのだった。
「カラマネロ、エレキネットを解きなさい」
ジュノーが声をかけると、カラマネロは意識を操られたようにジュノーの方を向き、サイコパワーで糸をほどき、ネットごと掻き消してしまう。デンチュラが臨戦態勢に入った一方で、ヒイラギは立ち尽くす。
「馬鹿な、ポケモンの気配など無かったぞ」
瞳は揺れている。薬の効能も切れた。もう考えが追いつかない。何が起きた、と心内で連呼する。
エスパーポケモンなら、ヒイラギの波導は見逃さないはずだ。認識ごと狂わされている可能性を疑う。
「ヒイラギ、あなたは本当に素晴らしい戦士でした」
拘束から自由になったジュノーが告げる。
「真実だけを求め、悪を許さず、己の正義すら捻じ曲げ、より大きいものを救おうとする。あなたのような戦士を、わたしは待ち望んでいた」
しかし、残念だ。まもなく、ヒイラギは叛逆者の烙印と共に、無き者にされるのだから。
惜しい戦士を失くす……ジュノーのニュアンスは本格的な抹消を意味した。
考えなければやられてしまう。考えろ、ただ、一点の解のみを求めて。誰も答えをくれはしない。カラマネロをどうやって操った。サイコキネシスか?
内通者のポケモンは「封印」を覚えた個体で一匹。それに加え、誰かだ。考えろ、ここで負ければすべて水の泡となる。
カメックスを繰り出そうとした瞬間、ボールは弾かれた。やはり、ヒイラギの監視網を出し抜ける能力を持ったポケモンが、この部屋には潜んでいる。
「その努力と視座に免じて、わたしのポケモンをご紹介致します。疑いを晴らしていただけるかと」
ジュノーは指を鳴らす。出番が来ましたよ、と告げるように。
「とくと、目に焼き付けなさい」
「動けない!?」
ヒイラギはジュノーにしたように、四肢を拘束され「返され」る。
サイコキネシス、ジュノーは目に焼き付けろ、と言った。その意味は――。
ヒイラギは無我夢中で叫ぶ。
「デンチュラ!」
――デンチュラを宜しくお願いします。きっと、あなたを護ってくれる。
スレートの言葉を思い出す。
お互い、命じる技の名前は決まっていた。
「「シグナルビーム!!」」
チーム・スナッチャーNo.003・波導使いヒイラギがその後どうなったかを知る者は、現司令官をおいては他にいない。
彼がいなくても世界は回る、一人を差し置いて。時計の針は、残酷に、規則的に、次の数字を指す。