叛骨の強奪者






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Second Stage - EX-Team Rocket part -
Phase 22 プラズマレムナントU
 麻痺を治療する薬を貰うため、ヒイラギは真夜中、単身スレートの家に向かう。村人に尋ねれば、場所はすぐに分かった。
 伝統ある村を動かすための組織・キナギ評議会の一員といえども、さして優遇はされない。それは漁村の住民と変わらない規模の木造小屋を見れば一目瞭然であった。
 明日に備え、マナフィ親衛隊の面子は眠りに就いているはず。とはいえ、念のために二回、誰にも気付かれないよう細心の注意を払いつつ、ノックする。
「ヒイラギだ」
「お待ちしておりました」
 スレートの眼はまだ起きている。ヒイラギを招き入れると開口一番には、聖堂での接触について言及した。
「例の件、考えていただけましたか」
「おまえの策に乗ってやる」
「そう言うと思いました」
「黙れ」
 何を根拠に、知ったような口を叩くのか。ヒイラギはこれまでにない薄気味悪さをこの街に来た時からずっと感じ取っていた。スレートという人間を知ることで、蓋をしたような不快感が何を閉じ込めていたのかようやく判明した。
 スレートは、キナギ近海でヒイラギを意図的に襲撃した時、彼の戦い方を模倣し、自分の手腕と換えていた。
 それだけではなく、ヒイラギの指示や挙動を見透かした上で戦術を練り、終始手玉にとっていたのだ。その秘密に関しても、抜け目なく問いただすつもりでいたが、その辺りの看破に関しては、心当たりがないわけでもなかった。
 それはともかく、ヒイラギは人から自分を知った風に悟られるのが大嫌いである。イトハですら土足で立ち入ってくる部分を忌み嫌い、遠ざけたという前科がある。積み上げがあった人間ならともかく、何故スレートという男はヒイラギを熟知しているのか不思議でならない。必要な情報を入手し次第、ヒイラギも明日に向けて体力を蓄えるつもりでいた。この男と長話をしたいほど、魅力的な人物には見えない。
「必要な情報だけ交換する。ハートスワップに関して、教えてもらおう」
「黙れと言って喋らせるのですか。あなたは面白い方だ」
「貴様と会話していると、どうにも調子が狂う」
「ヒイラギさん、ここではなんです、ぼくの研究室でお話をしましょう」
 研究室などどこにあるのだ、と苛立ちを見せるヒイラギに対し、スレートは飄々とした様子で板をずらし、地下への入口を開けた。なんと古典的な隠し方だろうかと呆れている内に、スレートは階段を下って行く。もしかすると、この時点でスレートの思う壺かもしれない、とは考えたくもなかった。

 スレートの研究室は、雑多の一言に尽きる。寝場所が確保出来ればそれでいいのだと言わんばかりに積み上がった資料、散らばった付箋の数々が今やほとんど糊として機能しないだろう。洗っていない数個のコップと、ジッパーを開きっぱなしのエネココアが目につく。ヒイラギは思わず顔をしかめた。ヒイラギがマイホームを所有する機会に恵まれた際は、必要最低限の装飾で済ますだろう。
 そして、何より異質なものが蠢いている。
 バチュルたちがところ狭しと、本を食い破り、棚を這い上がり、コンセントに吸い付き、マウスの上でぬくぬくと眠っている。
 ポケモンとの暮らしは確かにそれ自体は自然なことだが、共生というよりはバチュル軍団による占領である。
 バチュルたちはヒイラギに恐れ慄いたのか、一斉に隠れてしまう。スナッチャー本部の監獄に収容されたポケモンの前ですら物怖じせず通りぬける彼ならば、バチュルが逃げてしまうのも無理もない。一体何匹のバチュルを飼育しているのかざっと概算してみたところ、ゆうに十匹は超える。まさか全匹ともスレートのポケモンとは言うまい。
「すみませんね、通りにくくて。人を入れたことがないもので」
 記念すべき第一号がヒイラギというわけだ。実に不名誉な称号を授かったものである。
 無理に道を抉じ開けつつ、スレートは奥のパソコン用椅子に腰掛け、ヒイラギには隣の椅子を引きずり出して薦めた。
「まずは麻痺治しをいただこう」
 ヒイラギが手を出すと、スレートはせっかち加減に苦笑しつつ、これまた戸棚に推奨服用量を遥かに超えていると思われる麻痺治しの大群から、ひとつのスプレーを持ち出し、ヒイラギに手渡した。
「即効性はありますから、任務までには腕も使えるようになるでしょう。どうぞ使ってください」
「ひとつ確認しておこう」
 ヒイラギは要求した割に、なかなか手をつけないものだから、スレートが眉を吊り上げ、首を傾げる。複雑に配列されたコードの隙間をバチュルが潜り抜けて行った。
「おれに手傷を負わせることで、わざと接触の際、交渉を有利に進めたな?」
 どうなんだ、と眉の形で詰問するヒイラギに対し、ごまかしは最初から通用しないと相手の力量を踏んで尊重したか、スレートが白状する。
「あなたの勘は本当に鋭い。やはり、我々が探していた波導使い・ヒイラギその方自身に間違いありませんね」
「はぐらかすな」
「正解ですよ」
 スレートはさらりと言ってのける。この答えでヒイラギとの関係が悪化し、彼が余計に警戒心を巡らせることになるとは思ってもいないような明るさで。
「なるほど、プラズマ団は人を誘き寄せるのが趣味のようだな。アクロマもエクリュも、そして貴様もか」
 謎の一つ目が解けたと言って良い。つまり、スレートは初めからヒイラギとの接触、そして腕試しを行うことに相当の比重をかけていたのだ。
 麻痺治しになかなか手を伸ばさないヒイラギを見かね、スレートはもうひとつ麻痺治しを取り出し、自ら口内にスプレーを発射する。率先することで毒や罠はないと証明するためだ。
「あ、いや、ぼくは毎日七回、これを服用しないといけないのです」
 不自然な回数だ。まず麻痺治しを毎日服用するのは、どう考えても何か持病を有している可能性がある。
「病か」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
 言い淀む姿が気になったが、とりあえずヒイラギを陥れようとする魂胆は感じられないので、スプレーを口内に発射し、粉末を唾と共に飲み下す。仮眠をとった後には、腕の痺れもなくなっているだろう。
 麻痺治しは、クラボのみを粉末状になるまで潰したものと、万能薬の類を調合することで、スプレーによる発射式の薬として、今日フレンドリィショップ各所で販売されている薬品である。
 それにしても、麻痺治しを棚一杯に揃えている人間など、数多の物好きと知り合ってもなかなかお目にかかれないだろう。バチュルと関係があるのか、ヒイラギは人の家に来ながら詮索を続ける。

 スプレーを置く音が合図となり、彼等の密談は開始された。本の塔からバチュルが落下する音が聞こえたが、当のトレーナーが無関心なので、日常茶飯事なのだろうと勘繰った。
「ぼくとしても、お伝えしておかなければいけません」
「ハートスワップに関して」
「承知致しました」
 今の時代にしては旧式のデスクトップ型PCを用いている。いくつかのモニターを併用して、資料が一通り並べられた。その数と文献の豊富さには、さすがにヒイラギも目を見張らざるをえない。
「順番に説明します。画面をご覧ください」
 スレートの説明は「記憶」という概念から始まった。人間のアイデンティティを構成するものは、大方、全てとまで言わないが、記憶である。自分が何者か、という認識はその人を個人として維持する向きがあるからだ。
 では、ハートスワップとは何か。
 マナフィが覚える技で、その効果は参考文献に記されていた。

 「脳の記憶を一時解体し、マナフィの触覚が感知し得る至近距離で、対象となった二者間の記憶交換の仲立ちとなる技」

 スワップ後、身体的特質はスワップ以前の人間の体に依拠する。もう一度ハートスワップすれば、記憶は元の所有者に返還される。

 旧記憶の保存部位となる「大脳皮質」が既に損傷していた場合。スワップされた際の記憶復元作業に支障が生じ、他者との入れ替わりに危害が及ぶ可能性が高い。

 入れ替わりを行い続けると、少しずつ脳機能が他者に適応し始め、他者の記憶の残滓が、自分の記憶と混同される恐れが生じる。そのため、スワップは往復一度限りで済ませねばならない。スワップ終了後は、脳検査を受けることが推奨される。

 シダケ大学病院による脳神経外科医の論文結果がまとめられていた。スレートは文字列を追いながら続ける。
「ハートスワップは、ホウエンの王族がマナフィを利用して使わせていた技です。古代の海底都市アクーシャでは、王族同士が互いを牽制するため、ハートスワップを悪用したという話もあるほど危険な技です。同様にして、王族の一部はスワップ体験に狂気的な没頭を見せた結果、戻った自分が自分であると認識出来なかったという記録も残されています」
 ポケモンの技にリスクが無いものを探す方が難しいことを、ヒイラギは長い傭兵生活の中でおのずと感得してきた。
「おまえは、スワップの利用法が内通者の糾明に繋がると考えている」
「はい。今お話したことを踏まえれば、内通者に対してかなりの牽制となるでしょう」
 ヒイラギを利用し、内通者を解明したいという獰猛な野心を隠さない。清々しいほど腹黒い男だ。
 しかし、ヒイラギがこれまで行使してきた手段と、本質はそれほど変わりなかった。メタモンの声帯を利用してジュノーの声を真似、イトハを招き寄せたことが一例だ。目的のためならば手段を選ばないという意味では、ヒイラギもスレートも同類だ。
 スレートは椅子を回し、ヒイラギの方を向く。据わった目には尋常ではない執念が宿っていた。
「ヒイラギさん! ぼくは、今回の作戦が内通者への反撃に繋がると考え、キナギに潜伏を続けてきました。この資料も、古代文明に関する研究も、すべては内通者を倒すために」
 熱意にそう簡単に感化されるほど、ヒイラギは情と親しくない。まだ正体を図りかねる以上、質問から情報を聞き出す必要はある。スレートは何者なのか。信頼に値するか、協定を組むに足る思想か。真にプラズマ団と呼ぶべき証拠を引きずり出す。
 そこで、ヒイラギは期待値も低く見積もり、少し聴き出せればいいだろう、ぐらいの展望で尋ねる。その質問から驚くべき答えが返ってくるとは、まさか予想出来るはずもなく。
「では、件の内通者について、思い当たる節は」
「……覚えていないのですよ。それが。お恥ずかしながら、内通者といかなる戦闘を行ったか、近辺の出来事もすべて」
「待て……。おまえも、記憶を改竄されているのか」
 困惑の波導がすべてを物語った。
 頭を抱えたくなった。これは長期戦になりそうだ。任務に差し支えが生じない程度、最低限の情報を割らせねば、と考える。

 スレートは己の無力さを自嘲するように、上唇と下唇の隙間から息を吐いた。内通者に関する記憶が抜け落ちている、やはりアクロマが施された記憶改竄と同質のものと見て良さそうだ。
 そして、今の証言から判明した。記憶改竄には一定の法則がある。それは短期的な出来事を消去しているということだ。スレートもアクロマも、自身が何者であったかという長期的な記憶までは失くしていない。内通者のポケモンと記憶改竄が繋がるとすれば、ポケモンの技には恐らく限界と範囲が定められている。
 サント・アンヌ号で、ヒイラギに内通者の存在を密告し、その正体にまで近付こうとした元プラズマ団・エクリュ。彼女は内通者の正体を記憶していたがために、ポケモンの技「封印」によって、文字通り口封じをされた。
 内通者の名前を覚えておらず、存在だけを刻み付け、その者の打倒を胸に生きて来た元プラズマ団・スレート。
 そして、ジュノーが合流を求め、スナッチャーに入り込み、ヒイラギに興味を示す、元プラズマ団ボス・アクロマ。
 内通者と記憶改竄犯は同一人物なのか? ヒイラギの中で、今まで断片的でしかなかった情報が動線を結び始める。
 プラズマ団は一、二年前ほど解散した。これは歴史的認識から来る事実だ。
 にもかかわらず、プラズマ団を名乗り続けるからには矜持がある。例え、世界の革命を成し遂げられず、ポケモン解放が口実に過ぎないエゴで終わったとしても、ハンターという新たなる脅威に対して、贖罪を行おうという意思がある。
「ヒイラギさん、ぼくは確かに内通者の名前を忘れてしまいました。しかし、エクリュは覚えていたのです」
「見ていたとも。あいつはおれに名前を伝えようとしたところでやられたんだ」
 スレートは頷く。
「あの船でヒイラギさんとエクリュの接触を確認して、ぼくはキナギに戻りました」
 スレートはラティアスをイトハに託して船内を去ったことから、辻褄が合う。
「おまえたちの目的は、最初からおれとの接触を図ることか」
「そうです」
「おれが波導使いだからか? 確かに、内通者の容疑を波導である程度までは絞れる。だが、おれ自身が内通者だとは疑わなかったのか」
「それもありますが、ヒイラギさんのことはアクロマ様から伺っておりましたので、有事の際にはヒイラギさんを頼るようにと」
「待て。アクロマ、様? どういうことだ」
 すかさず、ヒイラギが訊問の目付きで切り込む。思わず姿勢が前のめりになった。
「アクロマ様は、ぼくたちの上司です」
「いつ、どのように、どの場所で、おれのことを話した」
「思い出したくとも、出て来ないのです」
 ヒイラギは改竄されていない記憶の糸を慎重に辿り、ゲノセクトの生態情報を入手するためのミッション時かと勘繰る。あの時は敵として、プラズマ団の妨害に入った。そこで、ゲーチスの三柱であるダークトリニティの一角と交戦した。その際、プロジェクトを主導していたのはアクロマだと聞く。であれば、ダークトリニティからアクロマに報告が行ってもおかしくはない。その際、ヒイラギの戦闘データを手に入れたのだとすれば、スレートやエクリュがヒイラギに即席で対応したことも頷ける。ヒイラギは情報収集されていたのだ。
 やはりアクロマを引き入れたのは意図あってのことか。内通者候補からは遠退くが、スナッチャーしいてはヒイラギに関連する重大情報を握っていると見て良さそうだ。それよりもジュノーが一枚噛んでいる点が、ヒイラギの思考を再び掻き乱す。
「ではアクロマを船内に忍ばせ、おれと接触させるために仕向けたのはおまえか」
「手紙を書いてお渡ししたのは、他でもない。ぼくです」
 エクリュとスレートにより、サント・アンヌの接触計画は立てられた。そこに第三者と思しきアクロマが加わったのは、偶然ではなく必然なのだ。
 アクロマはそんな事実を微塵も匂わせなかった。エクリュは変装済みで、スレートは間接的にしか関与していないから、紙面上でのやり取りにしか気を配れなかったのだろう。逆に考えれば、アクロマが記憶改竄され、かつての部下を忘れてしまっていることの裏付けになるとも言える。
「おまえたちはサント・アンヌにアクロマを招き、救出しようとしたのか? 内通者のいるスナッチャーに取られてはまずいと」
「いえ、アクロマ様を奪還することは恐らく不可能と考え、接触のみに留めました」
「隙があれば奪還していたのか」
「その可能性も考慮はしていました」
 どうにも曖昧な返事である。しかし、波導はこれまでの証言を肯定している。ヒイラギは口元に指をあて、考え込む。半信半疑で来たところ、思わぬ成果があった。
 しかし、不可解なことがまだある。
 二人が本当に、プラズマ団時代からアクロマの部下だとすれば、その忠誠心は、単なる上司と部下の関係には留まらない気がする。駒を使い捨てにする波導使いの里に、疑心すら抱くヒイラギとしては、ここまで忠義を払える理由が知りたかった。

「おまえは、知らない間に自分自身が尋問にかけられていたと気付いたか」
 ヒイラギがそれとなく打ち明けると、スレートは目を丸くしてから、どこか子どものように可愛げのある苦笑をしてみせた。
「やはり敵いませんね。ある程度はぼくも覚悟しましたよ。まさか、ハートスワップの情報だけ持ち帰るはずがないとね。キナギの戦闘でも、ぼくはあなたに負けた。完敗でした。やはりヒイラギさんを利用するのではなく、利用される側のようだ」
「とうとう立場を弁えたようだな」
 ヒイラギは足を組み、尊大に言ってのける。正直言えば、任務前に聖堂で握られた上下関係を逆転しておきたかった。
 ヒイラギが交渉面のアドバンテージを握ることで、スレートの上に立つことが出来る。彼の思惑通りに動くとしても、操り人形になるつもりはさらさら無い。心理的な牽制とプレッシャーをかけておけば、駆け引きにおいて役に立つものだ。
 ここに来て、ヒイラギはようやく戦うべき敵のベールを剥がす、一歩手前にやって来られたのかもしれない。それはとても孤独で、長い道のりだった。
「……内通者を追い続け、ようやくおれの知らない場所で何が起きていたのか見えてきた。だが、おまえを信用するにあたって、最後の条件を課さねばならない」
「なんでしょうか」
「おまえは、短期的な記憶が改竄されるにしては、ひとつひとつの出来事を正確に記憶している。それが先程の証言から分かった。そして、大量の麻痺治し、どう考えても普通ではない。おれの予想だが、これらは記憶と関連がある」
 スレートは瞬間、真顔になる。彼があくまでも隠し通そうとした最後の的を、正確に射られた、そんな表情をしていた。
 そして、これまでのように流暢な語り口ではなく、朴訥として語り出す。
「記憶を、消されてから……。ぼくに残されたのは、「内通者」という三文字を呪いながら、生きていく人生だけだった。ですが、内通者の記憶改竄は思ったより強力でね。直近の出来事を覚えていられるのは、バチュルたちのおかげですよ」
 そこで、スレートはバチュルたちに向かって「おいで」と誘いかけた。スレートはその内、肩に伝って来る一匹のバチュルを乗せ、そのまま首筋に噛み付かせた。いくら0.1mの極小ポケモンとはいえ、流し込まれる高圧電流を受けて無傷でいられるはずがない。
 スレートは咳込みながら、苦しそうに麻痺治しを手に取り、鳥ポケモンの脚で眼球を鷲掴みにされたかのごとく固定して瞑ったかと思えば、一挙に麻痺治しを発射する。
 さすがのヒイラギも突拍子なさすぎる行動に、呆気に取られるが、スレートから出血する様子はない。そのまま勢い良く机に手を突き、ぜえぜえと息を吐いた。
「……今でこそ、このぐらいで、済むようになりました。最初は、もっと酷か、った。デンチュラに、背中じゅう、電撃を流してもらう毎日でした。そうやって、無理矢理、記憶を忘れないよう、脳を刺激していた。そうして、何もかも、忘れないように。忘れないように、って」
 ヒイラギも自らの体に散々鞭を打ち、負荷をかけてきたことから、戦士ならではの必死さは、分からないわけでもなかった。
 一見すると無茶苦茶ではあるが、理屈として適っていないわけではない。
 脳に刺激を加え、神経細胞の新生を促し、前頭前野の機能を高め、情報伝達ネットワークを活性化する。記憶力を保ち、脳の老化をある程度防止することが可能だ。
 スレートは民間療法を利用せず、デンチュラやバチュルの電撃による刺激といった代替法で荒療治を行っている、という話である。
 その理由は、記憶改竄の力が強すぎることが一点。また、キナギの漁村では、例えばシダケ大学病院等のような高度医療技術が発展しないことや、水道の中に位置する村であることから、都会との行き来が困難かつ時間も多大なロスを食うことが一つであろうと、ヒイラギは予想した。
 しかし、与える刺激はスレートの場合、大きすぎる。麻痺治しの投薬が一日七回で済むこと自体、奇跡だろう。記憶という品物の需要と供給バランスが崩れ去り、今のような生活を繰り返していれば、やがて彼の体は襤褸切れと化すだろう。そうまでして、保持しなければ記憶だと考えているのだ。自分の体に対する不利益と、記憶の重要性を、天秤にかけるまでもなく、スレートは後者を選択したのである。
 尚更、興味が湧いた。叫びは率直に胸を打ち、ヒイラギは自然と聴き入っていた。
 ようやくスレートの本性が頭を出し始めた。だからこそ無闇に感情移入せず、シンプルな問いを返す。ここからは、尋問ではなく、対話だ。
「何故」
「何故って。記憶を、忘れないためですよ」
「忘れないと連呼するが、それ自体は結果であって原因じゃない。何故、忘れてはならないんだ? 或いは、それすら忘れてしまったか?」
「内通者に出し抜かれたことが、死よりも、恐ろしい屈辱なのです……!」
 スレートは柔らかな掌に爪を食い込ませる。血が滲み出て来た。
 思わず立ち上がる。そうしなければ相手に対して示しがつかない気がしたのだ。
「屈辱とは何だ? 何がおまえを動かす」
「あなたの言う通り、それすら忘れてしまった。僕は、文字に縛られた亡霊ですよ。でも、こうしなければいけないんだ。ぼくはそのために、生きている」
「生きているだと……」
 不敵に口端を歪めながら、スレートは酔いが回ったようにへらへらと笑う。ヒイラギは痺れを切らし、恐らく壮絶だっただろう格闘の痕跡を見たくなった。
「そこまで言うなら、傷痕を見せてみろ」
 同情で信頼を勝ち得るつもりは無い、とばかり、スレートは民族衣装の襟を固く掴む。首を横に振り、歯を食いしばった。
 少し黙考したのち、ヒイラギは自分の左目近辺に出来た、今や切り傷とも焼け跡ともつかぬそれを、指し示し、なぞる。
「おれも、おまえと同じだ」
「それは」
「……おれはカメックスの左眼を奪った。これはメガシンカで出来た傷だ。おれは傷だけで済んだが、あいつは眼を持って行かれた」
 スレートは言葉を失う。ヒイラギはスレートがある種平然と語ったように、己の過去を、淡々と私見すら交えずに聴かせる。
 イトハにすら話したことのない過去を、今、それもスレート相手に話そうと思ったのは、彼が身を焼き焦がすような苦しみを味わってでも、彼の大切なものを取り戻そうと足掻いている様子が、実にいじらしく、他人事とは思えないからだ。
「おれはカメックスに苦しみを味わわせた、愚かなトレーナーだ。メガシンカを解除するタイミングが、あともう一秒でも早ければ、カメックスは今も両眼で世界を視ることが出来ただろう」
 今度はスレートが沈黙し、傾聴する。堰を切ったようにヒイラギは饒舌となった。
「おれはずっと、カメックスから何かを奪い取って欲しいと望み続けた。その欠損を味わうことで、おれは真の意味でカメックスに償いが出来ると本気で考えていたからだ。そのためならば、おれはあいつに撃ち殺されても良いと思ったし、カメックスがおれを殺すならば本望だと本気で考えていた時期があった。だが、それはエゴだと、はっきり教えてくれた奴がいたんだ。苦しみは独りで背負うものではなく、共に分かち合うべきだと」
 スレートにもなんとなく、その人物の姿はおぼろげと予想がつくものだったろう。その人間を語る時、ヒイラギは今までで一番感情豊かだったが、本人に直接指摘すると怒られそうなので、遠慮しておいた。
「……そういえば、ヒイラギさんがポケットから覗かせている、その、ネックレスは。なんだか、あなたらしくありませんね」
 ヒイラギが迷彩柄の戦闘服から、僅かに覗かせているチェーンが気にかかっていたのだ。ヒイラギは摘み上げて、指に絡めたものを見せる。
「当然だろう。その人からの、贈り物だ」
 それ以上、彼等の世界には踏み込むまいと分別を弁え、スレートは観念したように笑ってみせた。
 衣装をそっと脱ぎ、逞しい背中に刻まれた夥しい色調の痣や、剥き出しになった血の痕など、いくつもの傷を静かに語る。ヒイラギはその一つ一つから決して目を背けず、彼の記憶に刻み込んだ。


 ヒイラギは、プラズマ団のスレートが戦士だと思えた。彼の覚悟は充分に伝わった。
 ヒイラギは「あの日」以来、少しずつ他人もまた自分と同じように苦しみ悶えながら、懸命に生き抜こうとしていることを知るようになった。
「この傷痕はおまえの闘いだ。取っておけ」
 服を羽織りながら、スレートはヒイラギの賛辞を、嫌味なく一笑に付す。
「所詮、足掻きです」
「協力してやろう」
 間髪入れず、ヒイラギは述べた。スレートを疑い続けたヒイラギの発言は、心からのものだと直感させる重みに満ちている。ならば、相応の誠意を見せるべきだろうと、スレートも襟を正し、面構えを変える。
「ヒイラギさん。今まで内通者と闘ってくれていたこと、感謝しています」
「よせ」
 スレートなりの気持ちだったが、ヒイラギはやはりこういう形式的な儀礼を嫌がるもので、目を瞑り、首を横に振る。それでもスレートの感謝は変わらない。
 その代わり、ヒイラギは戦士として、これから共に戦うスレートに役割を告げる。
「マナフィはおれが捕獲する」
「お手伝い致します」
 握手をするほど、二人は情に浮かれていない。彼等は、彼等の価値観で繋がった。

 スレートの家を後にするヒイラギが扉に手をかけたところで、スレートが改まって言う。
「ヒイラギさん、それとですね……。ぼくはひとつ、大事なものを海底に置いて来ています」
「おまえの言い方は回りくどい」
 ヒイラギは眉を潜め、催促する。しかし、次には潜めた眉ごと見開かれることになった。
「プラズマフリゲートです」
 ヒイラギは目を見開く。
 プラズマフリゲート、プラズマ団が城を失ってからというものの、居住区代わりに所有していた、飛行式帆船である。キュレムのエネルギーを動力源にし、イッシュ各地を氷結させた恐るべき兵器だ。
「やはり御存知でしたか」
「プラズマフリゲート……プラズマ団科学の粋を集めた戦艦だな」
「はい。フリゲートを動かせば、ハンターの目につく。そこで停泊させていたのですが」
「今はおまえたちの所有物なのか」
「正確に言うと、アクロマ様が引き取っていました。ですが、数いたプラズマ団も今では、解散と共にいなくなってしまい、ぼくらや飛行エネルギーだけが詰まれた、寂しい船になりましたよ」
 不器用に、それでいてあどけなく肩の力を抜くように言ってみせてから、スレートは真剣かつ慎重に、一字一句を選ぶ。
「恐らく、今回の任務が、ヒイラギさんにとって、一つの転機となるのではないかと。その時、ぼくが今後ヒイラギさんをお助けしていくためには、フリゲートの用意が必要になります」
「ならば、おれは捕獲を。おまえはフリゲート回収を任務の目的とする」
 スレートは頷く。
 双方共に、これで任務の命令を違反することへの躊躇いは無くなった。
 キナギを裏切ることになるのは心苦しく、裏切りを嫌ったヒイラギへのなんと皮肉なことであろうか。
 それでも、彼等は真実を突き止めるために、もう立ち止まることは出来ない。ましてや、引き返すことは許されないのだ。
「勝負は明朝からだな」
「はい」
 ヒイラギはそれだけ言うと、真夜中の密会を終え、踵を返した。

■筆者メッセージ
今回の話が難解だった場合、Phase9.10を読み直していただけるとより分かるかと思います。
はやめ ( 2017/12/06(水) 22:54 )