叛骨の強奪者






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Second Stage - EX-Team Rocket part -
Phase 21 生誕祭
「敵に襲われたって?」
 面会謝絶の札を貼った病室に、たった一人、入ることを許された親族のような慎重さで、イトハは後ろ手に扉を閉めた。
 面会相手の頭髪はシャワーに打たれた後で、タオルにくるまっており、常の刺々しさも損なわれている。
 刺客による暗夜の礫――それ自体は傭兵である以上、些末なこと。真に考慮すべき点は。
「かなりの使い手だ」
 海上戦でカメックスに勝る速度を見せたアバゴーラの話をするのが手っ取り早い。今頃健闘してくれたポケモンたちは、ヒイラギのように治療ベッドの上だ。
 飾り気のない個室の片隅、ぽつんと置かれた小棚上にあるプレシャスボールを、ヒイラギは手に取った。かと思えば、呻きを漏らしてボールは地べたに転がる。立ち上がろうとしたヒイラギを制止して、イトハが代わりに拾い上げた。懐疑の目線がすぐさま飛んでくる。
「状態は」
「首から手首にかけてが、少し痛む」
 面倒な置き土産を残してくれた、デンチュラの麻痺は未だヒイラギを蝕む。イトハはボール自身に異常が無いか軽く放ってみたが、空を切るだけで何ら変化はない。変調は彼の間で起きた。
「神経をやられたかもね。人間は、ポケモンほどの耐久力を持っていないから」
「いつまでだ」
 ベッドから乗り出すと、タオルが落ちそうになる。
「一週間以上は」
 レンジャーの経験則から来る宣告に、思わず固く歯を噛み合わせる。
「スナッチが出来なければおれの存在価値はない」
「……そうかもね」
 予測不可能とはいえ、内通者を追及しようと水面下で動く以上、いつでも身を狙われる可能性は考慮の内に入れておくべきだった。浅慮を思い詰めた先に、平生通りのストイックさが出る。
 ところで、ヒイラギは自分が一瞬、彼女の言葉を取り違えたのではないかと思った。刺激的なスパイスを含んだ反応に、食事を取り上げられたような子どもの如き瞳でこちらを見上げるものだから、少し苛めてやりたくなる。おあいこ様だと鼻高々、意地悪な口調で問いかける。
「ふふん、ショック?」
「ようやく戦士の思考が板についてきたな。それでいい」
「嘘つけ」

『――ヒイラギに襲撃者ですか』
 ホオズキは、キナギ民家で丁度目に着かない、村の外れで通信を行っている。
 極秘の通信はともかく、ヒイラギに「助けなど要らなかったか」と尋ねた自分は彼より遥かに卑俗だ。年下相手に大人げない。
『わたしが懸念するのは、ヒイラギには接触を図った人物がいたという以前の例です。彼の証言は釈然としませんでしたね』
 ジュノーの言葉が、現在の自問自答と上手く噛み合わず、話題の共有に時間がかかった。集中力が欠如している、と釘を押される。
『ともかく、引き続きヒイラギには警戒を怠らないよう。明日のミッションでもしも怪しい素振りを見せたら、ホオズキ……あなたが手を下しなさい』
「気が進まないな。奴とやり合って勝てる気などせんよ」
『勝ち負けなど問題ではない。彼の行動を制限すれば、それで良いのです。今更裏工作に躊躇いを覚えるあなたではないでしょう』
 通信はまたしても一方的に遮断される。
 受信マイクを握り潰したい衝動に駆られたが、そっと堪えた。


 生誕祭、当日。
 キナギ式建築、技術の粋を集めた聖堂に人が群がる。浅瀬の入口はさながら、図鑑で全長を計られるハブネークのように長蛇の列を形成する。ペリッパーの口内に荷物を収納させ、ホエルコに騎乗する人々が向かう先は、キナギタウンの奥地に設けられた聖域であった。数十年に一度あるかないかの祭祀に、厳重な護りが解かれる。
 主な史跡は海底に現存し、丁重に保存されるものが多い。ホウエン地方は、自然に手を加えず無為のまま共生する教えが特有の文化として根付いているからだ。ナナシマで採れるサファイアを加工し、建築の素材として用いているため、内部は青の洞窟に迷い込んだかのような摩訶不思議を得る。聖堂は自然の作り出した比にぴたりと収まりを見せ、完璧な一致具合でもって芸術足らしめているのだ。
 円形に取り囲まれた祭壇には、マナフィのタマゴが丁重に置かれた。通常、ポケモンのタマゴというものは、生まれてくるポケモンの模様が殻となっているが、マナフィのタマゴはそれよりも一流のパティシエが趣向を凝らしたジュレ(ゼリー)とでも称した方が、より印象を正確化したことになる。
 とてもポケモンの命を内で育んでいるとは思えない、か弱い弾力の瑞々しさに心を捉えられる者達がいた。
「蒼海の王子を任せたぞ、スレート」
「はい」
 スレートと呼ばれる男は、先日ヒイラギたちと顔合わせを行ったキナギ護衛隊の一人である。孤島のラティアスを捕獲し、スナッチャーに引き渡すなど、行動派としての顔も持つ。
「蒼海の王子を神殿に送り届けるというお考え、変わりありませんか」
 申し立てに対して、胡乱げに目を細めるのは、キナギ民を束ねる長である。
「何度でも言おう、万物はすべて流れ行くままにあるべきだ。流れに逆らうようなことがあってはならぬ。法則に人為が加われば、いずれ天災を招きかねない」
「長!」
 このやり取り自体は、再三繰り返してきたであろうことが、彼の飽き飽きとした態度から滲み出ていた。長は一層マナフィのタマゴを凝視しつつ、諭すように語り出す。
「スレート。キナギは海と共に生まれ、海と共に沈む。例えホウエンが時代の潮流に流され、文明に重きを置いたとしても」
「長のお考え、よく分かります。しかし、これまでのように海底への帰巣が果たせなければ、蒼海の王子は敵の手に堕ちてしまう。我々の手で、蒼海の王子を育て上げるべきでは」
「して、育てた後はどうする。まさか王子を戦線にとは言うまいな」
「それは」
「蒼海の王子は、我々が崇めるべき存在だ。はき違えてはならんぞ」
 これ以上議論の余地は無いとばかり、長は杖を突き、退出する。スレートは何か言いたそうに口を開き、そして噤んだ。彼は首筋の裏を軽く叩き、眉をしかめる。そしてマナフィのタマゴを目視する彼の瞳は、昏き深海の水圧まで熟知したような厳しさを孕んでいた。
「潮時か」
 スレートは誰にも気取られぬよう、滴にも満たない低音で零した。

 ヒイラギとイトハ、そしてホオズキは、祭祀が滞りなく進行するよう、見張りを任されている。ハンターの奇襲も考慮に入れての配置だ。彼らは直接儀式に参列せず、海の王子の生誕を上から見守るのみ。逆に言えば、キナギ民以外に干渉は許されないということだ。固唾を飲むだけ厳かな誕生の儀が終わった後は、反面祝祭の雰囲気で漁村を照らす時間が待っている。
 スナッチャーにはおよそ意味を解せない、少なくともホウエン共通言語以外の音節で、聖歌を厳かに歌い上げた後、タマゴのコアが更なる赤みを帯びて、放射線状に岩壁の色素と混じり合った。
 民の重鎮たちは、一斉に片膝を折り曲げ、手で地をつき、王子を歓待する態勢に入る。一般の者までもが教えに倣って手を組む。作法が分からない子どもは、大人を見よう見まねで模倣する。
 沈静に浸された聖域は、何者にも侵されぬ神秘の時を奏でた。
 タマゴから露見した心臓のような赤い臓器が脈打ち、数度、微妙な揺れを反復する。タマゴの窮屈な殻に沿って籠っておられたのだ、と思わせるほど、弾力をもって、触手がぷるんと生えた。肥大化した水分が徐々に輪郭を模って、部位ごとに分離していく。頭を一気に振り上げ、ぱちりと流麗な目蓋を開き、気分よく伸びをした。
「蒼海の王子、御誕生おめでとうございます」
「おめでとうございます」
 マナフィは手元に口をあてがいながら、きょろきょろと辺りを見回している。タマゴから生まれたポケモンは外界を認識出来ない。あまりに情報量が多く、どれを取捨選択すれば良いかという能力が磨かれていないのだから、無理もない。マナフィが人間を人間と識別するまでは、しばらくの時間を要するだろう。世界の中に産まれ付いたのだと認識出来る頃には、帰巣本能がはたらき出す。

 キナギの民は当然のように祝福をあげ、拍手を贈る。しかし、ヒイラギからするとその光景は違和感の塊で、どこか歪で、美しげにさも取り繕ったようにしか見えなかった。
「人もポケモンも生まれた瞬間から死に近付いている。それを何故喜ばしいことのように受け取れるんだ」
 この場で唯一、想いを受け止めてくれそうな人物に向けて放った。
「普通は生まれた瞬間に死ぬことなんて考えないからね。だから人は「お誕生日おめでとう」と祝う」
「幸福なことだ」
 一体彼が何に憎しみを抱きながら述べたかまでは、イトハの知るところではない。しかし、ひとつの疑問に突き当たる。今日まで戦闘に明け暮れていたヒイラギは、少なからず親の寵愛を浴びたことが無いのではと懸念された。そもそも彼を育んだものが里であるならば、家庭と呼べる空間があったのかさえ、問うことをためらってしまう。二人は漁村の灯りから隔絶されていた。
「ヒイラギ、誕生日のお祝いされたこと無いの?」
「正確な記憶は無い」
 語尾に些末なことだ、と付け加える。ヒイラギの横顔に引っかかりを覚えた。そんな頬に赤みが差しており、マナフィの光輝が彼にも慈悲を与えているのか、と錯覚する。しかし、ヒイラギが咄嗟にモンスターボールを構えたため、不測の事態だとすぐに悟った。
「感傷に浸る暇は無いぞ。おれたちの仕事は、こっちだ」
 
 マナフィ以外のポケモンはボールに収めるよう指示が出ていた。聖堂から抜け出た波導の持ち主は、マナフィではないポケモンだ。薄ら寒くおぼろげな波導だが、幽かに霊力を感じさせる。其処に見えずとも、存在するのではないかと嫌な予感を抱かせる気配は、ゴーストタイプ特有のものだ。
 キナギの民がマナフィとの交信に専念している間を縫って、ヒイラギとイトハは所定のポイント――聖堂の大広間まで追い詰める。敵であれば、民のために一肌脱がねばならない。
 予め繰り出していたカメックスの足取りが、大広間に足を踏み入れた瞬間、いつもより数cm広い歩幅を見せた。カメックスは訓練を受けているため、歩幅や歩き方にも細心の注意を払っている。そのカメックスが不用意に大股を踏むことは考えにくかった。
 ヒイラギはここで止まれ、とイトハやカメックスに目で合図する。スタイラーを構えたイトハは、ヒイラギの指示があれば、的確な座標にディスクを撃ち込み、即座にキャプチャへと移行することが出来る。だが、求められた迎撃は杞憂であった。
「さすがですね。ですがそのスタイラーを降ろしていただきたい。トリックルームを張らせました、我々の姿・声は外に漏れません」
 彼の読みは的中し、ブルンゲルが姿を現す。両の眼は瞬きせず赤みに染まっているのがなんとも不気味な所感を抱かせるのだった。
 ブルンゲルの隣に立ったのは、民の衣装を纏った、キナギ評議会の重鎮たる男であった。昨夕挨拶を交わした顔同士にもかかわらず、本来の顔合わせはサント・アンヌ以来だと言わんばかり、仰々しく振る舞う。
「改めまして、プラズマ団のスレートと申します。このような形での対面となってしまい、ご無礼申し上げます」
 「プラズマ団」という称号が、余計な質疑応答を挟まず、本質のみを物語る。彼がそう名乗る以上、正体はそれ以上の何者でもない。現状、内通者を炙り出す手掛かりはプラズマ団にある。
「おまえがはたらいた無礼は、何もそれだけではあるまい」
「どうしても、あなたが波導使いであることを突き止めねばなりませんでした。試すような真似をして申し訳ありません」
 ひとつの謎が解けるも、ヒイラギは別段驚かない。
 キナギ近海からの距離という問題を考慮しても、奇襲が可能な人物はそう多くないだろうと見当をつけていた。大方スレートはヒイラギの実力を試すため、テストプレイを妨害したのだろう。あわよくば大惨事を免れたが、ここで沈む程度の波導使いなら、頼る価値もなしと判断するに違いない。戦士たちにとって、力は取引を有利に進めるための通貨なのだ。
「許してやる。だが麻痺の代償は払え」
「任務前、わたしの家に来てください。そこで薬をお渡しします」
 ヒイラギは頷く。スレートは神妙に、かつ決然と切り出した。
「わたしは明朝、マナフィの護衛に加わります。しかし、ヒイラギさん、イトハさん、あなたがたにはマナフィを捕獲していただきたいのです」
 ヒイラギとイトハは、さすがに驚きを隠せなかった。
「捕獲!?」
「帰巣の護衛が任務だ」
「わたしたちに残されたチャンスはあと一回です。それ以上は」
 スレートは眉を下げ、首を横に振る。
「内通者を突き止めるためには、それしかありません」
「具体策はあるのか」
「マナフィの技、ハートスワップです。人やポケモンの心を入れ替える技、それを利用して、容疑者の身辺を洗い出すのです」
 ヒイラギとイトハは、マナフィに専用技があるという情報を知らされていない。帰巣の護衛である以上、知る必要もないからだ。それでもマナフィの性質を解説しないジュノーに他意があると思ってしまうのは、猜疑心の極みというものだろう。
「ハートスワップを御存知無いようですね」
「非人道的すぎます。キナギの信頼を裏切ってまで、ポケモンは道具じゃない。あなたのこと、少しでも良い人かと思ったのに」
「良い人、ですか」
 スレートは、即興の荒んだ笑みを貼り付けた。
「どうか、エクリュのために……お願いします」
 エクリュという響きからは、女性的なニュアンスが感じられた。すかさずヒイラギの記憶から、思い当たる人物がサルベージされる。
 サント・アンヌ号でヒイラギと戦闘し、内通者の存在を密告した、他でもないあの女性だ。
「乗船していた、あの女か」
「同僚です」
 率直に言って申し入れには気が進まなかった。ハートスワップのリスクは不透明かつ、マナフィを経由する策は良案と言い難い。
 それに何より気に食わないのは、エクリュと違ってこの男のやり方が遠回しかつ臆病であることだ。スレートの案を考え無しに受け入れれば、良いように利用されるであろうことは想像がつく。
 また、自らを犠牲にしてでも真実を直接伝えようとしたエクリュの勇気を、スレートが懇願することで、冒涜しているようにも思われてならなかった。彼は平然とキナギの民を裏切ろうとしている。ヒイラギは叫んだ。
「思い上がるな。あいつは物乞いするほど弱くなかったぞ。おれが動くのは真実を突き止めるためだ」
「その真実のためならば、あなたはどんなことでもする。きっと協力してくれると信じていますよ」
「誘い文句が下手だな」
 ヒイラギの心の内を読むように、スレートはそれとなく告げる。最初からこちらの方法に従う、と分かったような物言いは若干嫌気が差した。このような狡猾な男が、ラティアスを送り届けた主であったとは、描いた人物像と異なる。それはイトハが最も感じていた。
「ヒールボールはあなたが? ずっと気になっていたんです」
 イトハは、ラティアスの傷を癒す特効から、僅かでも彼の良心を見出そうとしたいのだろう。
「……ポケモンを大切にしろと、エクリュから怒られましてね。わたしは黒いプラズ――」
 スレートは一瞬だけふと、サント・アンヌ号の彼に戻りかけた。だが、衝撃に歪められた表情は、緊迫を彼らに警告として促す。スレートとブルンゲルはトリックルームの効果で飛躍的な推進をもって、大広間に設けられた水路へと消え行くのだった。

 トリックルームを抉じ開け、侵入してきたのはゴルーグだ。
 迂闊だった。ゴーストタイプのブルンゲルが造り上げた即席トリックルームは、人目に触れず、霊室ごと秘匿する力を持っていた。そうであっても、同じゴーストタイプのゴルーグにトリックルームを察知するのは容易だっただろう。内部での情報が盗まれていないとはいえ、悠長に話し込み過ぎた。
 ゴルーグの後ろから、ホオズキが舌打ちと共にやって来る。
「消えたか」
「助かった」
 ヒイラギが機転を利かせ、礼を述べる。しかし、ホオズキは怪訝そうにヒイラギを見つめた後、腕時計に視線を流した。
「およそ十分ほど静観させてもらったが、身動きなし。本当に敵だったのか」
 ホオズキは今「祭祀の途中に現れた何者」に対し、探りを入れているが、ホオズキが「スレートの敵である」内通者当人である、という可能性を忘れてはならない。だからヒイラギは論点を逸らすことに専念した。苦し紛れの策故、すぐに見破られてしまうとしても。
「逆に十分も静観する必要性を問う。何故すぐ助けに来なかった」
「海上戦闘の実績を買ったものでね、おまえならすぐに片付けられるだろうと踏んでいたのさ」
 昨日の戦闘は、ホオズキがいなければヒイラギとて危うい局面だった。ヒイラギは素直に自分の無力を認める。
「過大評価だ」
「そうかい」
 対して、ホオズキは少々興を削がれたように返す。
「ちょっと待ってください。ヒイラギはまだ万全じゃない、あなただってそれは承知のはず」
「だがポケモンは、主人ほど弱ってはいまい」
 ホオズキは顎でカメックスを指した。
「それにイトハ、おまえも判断が遅いぞ。ゴルーグに討たせたポケモンは逃げたが、キャプチャで拘束しておけば撃破出来た」
「自分の判断ミスを棚に上げないで」
「やめろ。おれの判断が遅かっただけだ」
 さっと手で制す。ヒイラギがイトハをすぐさま庇うという事実は不自然だ。オツキミ帰還以降、やはりこの二人の関係性は劇的に変化した。むしろ豹変と称するべきか。自然な人間関係の経過ではないような気がしてならず、ホオズキはどことなく嫌らしい目付きで二人を見比べる。
「仲良しだな」
「はっ?」
「わたしが知っているおまえたちは、顔を突き合わせてはチームの士気を乱していた。それが一朝一夕で変わるものかね」
「すべて報告済みだ。こいつには借りが出来た。それに、チームの不和が解消されたなら懸念も拭える。そう思わないか」
 ホオズキは発言の意味を汲み取れていないな、と言いたげに溜息をつく。
「この際だから、はっきりさせておこう。ジュノーはおまえたちを疑ってるぜ。この任務はな、おまえたちが今後も忠実に動けるかどうかのテストも含んでいる」
 まるで自分はジュノーに全幅の信頼を置かれていると言わんばかりの余裕に、ヒイラギは思わず卑屈な笑いを起こす。ホオズキはそこで酷く気分を害したようだった。
「何がおかしい」
「いや、ロケット団にそれを言われるとは」
 ホオズキは叫ぶよりも先に口元を酷く尖らせ、緊縮した歯を解くように怒声を発する。
「元、だ!!」
 壮年が発する咆哮には一種の説得力があった。しかし、ヒイラギは少しも動じず、傍らに囁く。
「更生した人間と、元々更生すら必要無かった人間、本当に信用されるのはどちらか。手綱を握られているのはおまえの方だ」
 この瞬間、ヒイラギとホオズキの亀裂は決定的なものとなった。
 イトハは逡巡したのち、ホオズキを通り過ぎていく。
「ごめん――」
 そっと置きかけた言葉は気遣いなどではなく、自分もあなたの側にはつかないという意思表示と同義だ。身を引き裂くような、残酷な優しさが傷口に染み渡る。無垢と無知をそれぞれ呪うように、ホオズキは二人の背中を睨みつけた。

 祭の賑わいを遠目に眺めながら、ヒイラギとイトハは組織内における自分たちの孤立を痛いほど思い知る。夜店に寄っていかないかと語りかけて来る勧誘の声も、実に空しく響くものだ。
「あんた、挑発しすぎでしょ。あれじゃ怒るに決まってる」
「お互い様だ」
 ヒイラギは、やはりホオズキとの距離感を掴みあぐね、信用出来ないでいる。彼はどこかヒイラギに対して皮肉や卑下ともとれる態度をあからさまに出してくるようになったことも一因だ。
「どこに行っても、レンジャーユニオンと変わらないのね」
 人が人を出し抜き、権力争いや利害のために政治的な闘争を繰り返す。牽制は人類の歴史だ。ヒイラギの絶望も大袈裟ではなく、多少なりとも理解出来てしまう。人間の理不尽さに辟易するイトハもまた、自分が日陰者だと思わざるをえなかった。
「この後は自由行動だが……明日に備えるか?」
 ヒイラギの提案に、イトハは明後日の方向を見据えて、振り返る。
「ねえ、ちょっと付き合って」
 
 屋台に目移りしながら、すっかりお祭り気分ではしゃいでいるイトハと、あちこち連れ回され、振り回されながらにしてまんざらでもなさそうなヒイラギ、これまでの二人を知る者が見ればそれはそれは微笑ましい図であった。ここにはヒイラギの味わったことのない幸せが随所に転がっている。それは、不快ではなかった。
 ふと足を止めると、協力してネンドール型の的を撃ち倒そうとする兄弟の姿が見えた。もっと右だ、いや、僅か数十度ずらせ、とアドバイスはせずとも心で祈りながら、じっと一部始終を見つめる。今までにないヒイラギの一面を垣間見たイトハは、何かを思いついたように未練がましく屋台を振り返り、声をかける。
「ヒイラギ、ちょっと待ってて」
「ああ」
 イトハは声をかけてくる。ヒイラギは軽く頷きながら、兄弟が果たして一等のホエルオーぬいぐるみを当てられるかどうか見守っていた。兄弟は結局狙いを外してしまい、射的の洗礼を浴びた。
「あちゃ〜」
「惜しかったね」
 励まし合う二人を見ると、唐突にヒイラギは歩き出す。
 生誕祭の意味に疑問を抱きながらも、祭という空間をどこか心地良く思う自分を否定し切れず、ヒイラギはぶっきらぼうに歩を進める。その後イトハと合流し、二人はぎこちない足取りで、祭を日陰者なりに堪能した。

 ヒイラギは戦士として、極めて鋭敏な勘を持ち合わせている。だから、射的以来イトハが何かを隠しているような気がしていた。試しにわざと振り向くと、そっぽを向かれるのだから、いい加減理解の限界が訪れていたのだ。
 事は、歩き疲れた二人が、屋台の喧騒から抜けた橋の途中でふと背中を預けた時に起こった。イトハは縦長の箱を渡してくる。
「はい」
 ヒイラギが怪訝な顔を浮かべると、イトハは「ん」と言いながら、手に取るよう催促する。途中まで自分をからかって遊んでいるのかと首をかしげていたが、箱を開けた一瞬で認識は改められた。
 アクセサリーだ。それも、ネックレス。
 ちらりとイトハを見ると、上目でヒイラギの様子を覗いている。この無骨で女心の情趣を介さない男に、どれだけの効能を発揮するのか緊張しているのだ。
「ヒイラギ、誕生日お祝いされたことないんでしょ。マナフィの誕生祭と、一緒にと思って。だから……」
 Δの顎から伸びるしなやかな髭が、チェーンと化しており、シンプルな造形である。紛れもなく、ごくまれにキナギ海域に翡翠の軌跡を残しては天に飛び立つ、と云われる龍神メガレックウザをモチーフにしたネックレスだ。
 二人はキナギの奥から聳える塔を見つめた。空の柱――超古代ポケモンが地上に舞い降りる時、目印にすると云われる遺跡。ヒイラギは時が止まったような感覚に陥り、予期せぬ贈り物の価値を噛み締めた。
「金は」
「プレゼントって言葉の意味わかる?」
 一瞬不機嫌になってから、改めて真面目な顔つきに戻る。
「気に入らなかったら、ごめん」
 もっと自信を持って贈り届ければ良いものを、二人の関係とてまだ日が浅い。イトハの念頭にあった危惧は、そもそもヒイラギがこのようなお節介を焼かれることを嫌がるのではないかということだった。
 実際、ヒイラギは硬直して口も動かなくなったため、余程の衝撃を与えてしまったとおそるおそる見上げる。次第に彼の口元は柔らかな笑みをたたえる。
 じんわりと泉のように湧き出てくる謎めいた感情を、なんとか順序立てて整理すべく必死に格闘し、本来ならば一杯に放出しても良い喜びを、つとめて冷静かつ無理に抑え込んでいるようでもあった。
「この気持ちを上手く言語化出来る人生を送ってこなかったことが悔やまれる。こそばゆいというか、慣れない気持ちだ」
「ありがとう、大事にする」
 気持ちはしっかり伝わっていたのだ。イトハの顔が晴れる。
「喜んでくれたなら」
 小波が立ち、海に横目をやる。水平線を横薙ぎに描き、生を飲み込むように大口を開けて沈黙する。一見すると、恐怖の象徴かもしれないそれは、翻せば生命の帰り着き、また生まれいづる場所だ。カロス地方では、海を女性名詞Merと称する。慈愛に満ちた、尊厳と抱擁のイメージから、そのような分類がなされたのだろう。
 イトハはヒイラギの方を向かずに言う。
「だからさ、生まれて来たことを後悔しないで」
「それが言いたかったのか」
 おまえも不器用な奴だな、と言いたげにヒイラギはそっと微笑する。オツキミ山以降、ヒイラギは綺麗に笑うようになった。グローブをきつくはめ直し、指の関節を動かして、触感を確かめる。やはり、この女性と共に戦うと決意したことは間違いではなかった。ヒイラギが唯一の味方であり相棒と認めたトップレンジャーは、いつもいつも、彼の思考を独占する。
「安心しな。スナッチャーである限り、おれはおまえのために戦う。そう決めた」
「……なにそれ、告白?」
 精神世界でもそうだったが、イトハが差し伸べたものに対して、ヒイラギは時折倍以上のストレートな言葉を返してくるのだ。そうすると、彼女は目のやり場に困り果て、余裕を偽造するしかなくなるのだ。彼からすれば、酷くシンプルな言葉に絞っても、その言葉の裏に様々な意味が隠されているのではないかと、疑いたくなってしまうほどに。ある種、急速な距離感の近付け方だった。
「好きに受け取れ」
「ふーん……」
 この話はこれ以上続けるべきではない、と二人は判断した。あくまでも彼等は任務を共にする関係に過ぎない。現か夢かも分からない、現実離れした、甘美な時間のもたらす酔いにいつまでも浸っていては、お互い何の目的のために手を組んだのか、分からなくなってしまう。だから、イトハはつとめて厳しい語調で、ヒイラギに今後の展望を訊ねる。
「局面は不利よ。ホオズキも司令官も目を光らせている。どうする気」
「どのみち尻尾を掴むのは早い方が良い。望み通りヒールに徹してやるさ」
「じゃあ、スレートの策に乗るの?」
「命令に背けば次は無い」
「だったら」
 声を張り上げるイトハに対し、ヒイラギは橋の向こうを見ながら、冷静に返す。
「だからおまえは、あくまで任務に専念しろ。火の粉の及ばないところで、静かに好機を待つんだ。犠牲はおれだけでいい」
 イトハは欄干に肘を置き、ヒイラギと反対の方向を向いて毒づく。
「本当に御立派な自己犠牲精神ですこと」
「そう思うか」
「おれが何らかの理由でチームを離脱することになれば、真相は闇の中だ」
「苦しみは分かち合う……だったな?」
「ええ」
 そこで、ヒイラギはイトハの方を向いた。それまでの会話と異なり、二人だけにしか聞き取れないほどまで声量を下げる。
「おれの代わりに内通者を突き止めてくれ」
 イトハが波導使いならば、本気の想いが溢れる色彩となって幻視出来ただろう。
 しかし、そんなものは必要なかった。どんな想いで、いかなる覚悟で、彼がその一言を口に出したか、勇気を推し量るべきだと感じた。彼の頼みに応えなければ、彼女が届けた贈り物も意味を失う。戦士同士の敬意から、イトハは口にする。
「前言撤回する、確かに聴き届けた。ヒイラギに何かあった時は、このわたしが代わって内通者を暴く」

 ホオズキは漂う波間に感傷を寄せる。
 揺らめく波に散り散りと舞う光。この海域では、チョンチーたちの生息が観測されている。今日の祭はキナギタウンを明るく照らすだろう。ただスナッチャーは、光を光のまま享受するだけでは終わらない。光の届かない深海へと、潜っていかなければならない。
 彼はそっと、左手の薬指を、右手で閉ざすように覆った。そんな彼を支えるように、ドンカラスは隣で翼を畳み、カアと鳴いた。

はやめ ( 2017/12/03(日) 23:58 )