Phase 6 必要悪
大胆だが、あながち間違いとも言い切れない推察に、議論が沸く。
シルフ占領事件に見える、ロケット団との共通点を述べ始めた。
「そもそも。今回の事件自体、強烈にロケット団を意識している」
彼は指を立てた。シルフ占領の日時がぴったり十年前と同じであること。
さすがに偶然と切って捨てるにはわざとらしい一致だ。
「ロケット団は現代に蘇ったのだ、という意志を示すため……」
イトハの予想に、ホオズキが頷く。
「だとすれば、直接明言すればいいものを」
「それが出来ないから、行動で示しているんだ」
ホオズキは一拍置いて、腕を組み、背筋に深くもたれる。
「お前はロケット団に関する動きを何か感知していたのか」
Jの背後にいる存在がロケット団だとして、元幹部職近辺の人間ならば、動きを事前に感知出来る可能性は高い。ホオズキがスナッチャーに参入したことにも理由がつく――ヒイラギはそう考えた。
「いや、そういう動きは聞かなかった」
「あなたがそう言うなら」
「まだ確定事項として取り扱うわけにはいきませんね」
イトハの言葉に続くようにして、ジュノーが冷静な判断を下す。
「予想の範疇を出ていないことは承知の上だ」
有力なソースはないし、本当にロケット団ほどの大物がアクションを見せるなら、政府が察知出来ないはずはない。ホオズキの予想は今のところ、信憑性半分といったところだろう。だが、軽く受け止めて良い話ではないこともまた確かだ。
「仮に、お前の予想通り、Jを裏で操っていたのがロケット団だとしよう」
ヒイラギは仮定してみただけだが、それでもホオズキが強張るのが分かる。その先にある問いが彼には見えているからだ。
「かつての崇拝対象と戦うだけの覚悟があるのか」
互いに沈黙が降りる。
サカキ――ロケット団をカリスマでまとめ上げ、絶大な、それこそ信仰に近い畏敬を浴びた存在だ。かつてはカントー地方最強のジムリーダーと謳われるほどの実力者だった。しかし、セキエイ高原の支配に失敗し、英雄レッド戦での敗北がきっかけとなり、組織解散を宣言した。
それから十年経った今、内部に通じていた者でさえ、サカキの足取りを掴む者はいない。誰ひとりの部下すら寄せ付けないサカキが、今更になって新生ロケット団を結成するものだろうか。
ホオズキは鼻で笑い、得体の知れない眼光で、年下の青年を少し威嚇してみせた。
「わたしがサカキに会ったら寝返るとでも言いたいのか」
「アポロに仕えていたお前が通じていないとは、誰も言い切れない」
萎縮するどころか、手痛い弱みを握って苛烈に攻め立てる波導使いである。チームをまるで信用しない発言に、さしもの大人も侮辱に耐え切れなかったか、机を叩く。
「小僧、口を慎め!」
すぐさま過ちに気付き、頭を掻きながら着席する。イトハは溜息をついた。ロケット団のこととなると、ホオズキも平静ではいられないようだ。
「すまない、取り乱した」
「ともかく……わたしがこの場で伝えておきたいのは、ロケット団が何らかの形で関与している可能性があるかもしれない、ということだ」
最後に、議題はハイパーボールのポケモンへと移る。ヒイラギが波導を感知出来なかった、これは大問題である。
特徴報告に基づき、オペレーターに該当ポケモンを絞らせる間、議論が為される。各地方の優秀な博士号取得者によってバージョンアップを繰り返されるポケモン図鑑の膨大なデータをもってすれば、伝説と呼ばれるポケモンまで発見済み個体なら検索可能だ。
「Jが波導を遮断する装置を持っていたのも気になります」
事前にスナッチャーの情報は渡っていないから、仮想敵を立てて対策したわけではない。高度な情報競争時代であることを考慮に入れれば、先を行かれた可能性もあるが、釈然としない。やはり、Jの一味についてはもう少し探りを入れる必要がありそうだ。
「検索結果、二件」
オペレーターが彼らのテーブルに同じ映像を転写する。
でんき・ひこうタイプのポケモンの種族名が二匹書かれている。
〈サンダー〉と〈ボルトロス〉――どちらも各地方で伝説級の希少性を誇るポケモンである。スナッチャーの知識量をもってしても、手を打つように気軽な発想では到底出て来ないポケモンだ。
「ボルトロスの特性はいたずらごころ、フォルムチェンジしてもちくでんなのね」
「それに対して、サンダーはプレッシャーか……」
イトハとホオズキがそれぞれ感想を述べる。後の判断はヒイラギに仰いだ。
「敵は十中八九サンダーだ」
「やはり、プレッシャーか?」
「ボルトロスが蓄電した電気でリニアを動かしたとも考えられるが、波導に関する説明がつかない。プレッシャーは波導で言えば〈威圧感〉だ。波導使いにはプレッシャーはより響く。Jがカントーに来て、サンダーを捕獲したと考えるのが妥当だろう」
「サンダーの生息地は?」
ホオズキの問いに、オペレーターが素早く場所を割り出し、表示する。普通の民間事業と変わらない発電所だ。
「イワヤマトンネル入口から下流に遡った先にある、発電所です」
「かつてはサンダーの根城だったそうですが……十年前に姿が発見されて以来、サンダーは無人発電所を去りました。その後発電所は有人化しています」
「移動先は?」
「サンダーは二回地方を渡っています。一度はシンオウに向かったようですが、その次はカロスで目撃例が」
「カロスか……随分遠いな」
ヒイラギは目を細めて考え込む。
Jがカロスでサンダーを捕獲したと考えるのが、現時点での有力説か。有人化した発電所にサンダーが興味を示すとは思えない。かつての住処を改造されてしまったのだから。
ハイパーボールのポケモンはサンダー、という結論でひとまず決着した。
それでも、ホオズキは腑に落ちない様子だ。マスターボールを狙った真意は明かされないままでいる。
「どうした」
「いや、マスターボールはもしかすると、更に上位のポケモンを捕獲するため、かと思ってな」
「マスターボールでなければ、手に入れることが出来ないポケモンということですか?」
伝説のポケモンを操る勢力に対して、半ば丸腰で挑む彼らの面持ちは重い。
もしもサンダーより上の存在が登場すれば、スナッチャーへの風向きは一層悪くなる。まずは敵を知り、作戦を立てることが何よりも重要だろう。ヒイラギは彼らの意思を総括し、指示を飛ばす。
「オペレーター。カントーの伝説ポケモンに関して、出来る限りの情報を集めてくれ」
「了解しました」
議論はこれで終了かと思いきや、新たなる情報が飛び込んでくる。
ホオズキが持ち帰った石化光線銃の解析結果は敵を知るための情報源である。未知の脅威に対して、大事な一歩となり得る資料だ。
「石化現象そのものについては、まだ不明瞭な点が多く見受けられます」
データを受信したジュノーは、3Dモデルの武器をモニターに映し出す。透過処理が施され、内部構造は筒抜けだ。緑のワイヤーだけが形状を物語る。
メタリックな塗装が装着者を銀腕に見せかける。シャープで洗練された外観。腕に取り付けて使用する点はキャプチャ・スタイラーと同じだ。指が下のスイッチに触れると、内部で加工されたレーザーを発射する仕組みである。トリガーを引く必要はなく、スイッチひとつで作動する優れものだ。角度調整は腕の動作で行うので、自由が利きやすい。銃の発射口はレーザーの衝撃を抑え込むつくりになっているため、使用者への反動は薄く、負担もカバーしてある。弱点は連射が不可な点。レーザーの生成には時間を要するから、隙が大きい。その間にポケモンの攻撃などで破壊されては元も子もない。改良の余地があるとしたら、作り手が強化するのはここだろう。
正直、敵の武器でも思わず長所を並べ立ててしまうぐらいの代物だ。
「元々、その武器はJ独自の使用物だったはず。量産された経緯も謎だ」
経験者のヒイラギは語る。彼のJを知る口ぶりは、波導使いとして悪の組織の陰謀に立ち向かったとき、一時的な交戦があったものと推測させるほど博識だ。
「何者かに技術を譲渡したと考えるのが自然だろうな」
プライドの高いJが、他人に設計図を渡すなど、考え難いことではある。余程のきっかけがなければ。
「背後にかなりの切れ者がいることは間違いない」
「科学者、あるいは優秀なブレインが中心となれば、量産も可能です」
「石化光線銃専門の科学班を有する可能性も高いな」
淀みなく議論は進む。石化というキーワードにはっと声をあげ、イトハが尋ねる。
「リニアの乗務員の方は、今どちらに」
「ミナモ病院の特別棟に安置されています。石化患者はポケモン含め、ホウエン協会からの厳重な保護を受けていますから」
ほっと胸をなでおろすイトハ。そんな彼女を見やるホオズキ。
この期に及んで、まだ気にしていたのか、と言わんばかりに。一応紳士的なこの男性は侮蔑に取れる言葉の使用を極力避けた。
石化解除装置がもし破壊でもされてしまえば、被害者が元に戻る望みは到底薄くなる。言うまでもないことには、あえて触れない。向こうとて、カントーから威嚇するぐらい遠回しかつ慎重なので、すぐに手出しは来ないとスナッチャーからすれば信じたいものだが。
「デボンは∞エナジーを専門分野とした研究開発を行っています。現在は石化光線銃対策を協会との連携で進めています」
オペレーターから送られた情報を細かく分析しつつ、ゆっくりと画面をスライドさせる。結局、光線銃が何故ポケモンを石像に変えるのか自体は謎に包まれたままだ。一刻も早い解明が急がれるべきだろう。
情報の共有という目的を兼ねた議論は、大方煮詰まった。
スナッチャーの一員であることを受け入れた以上、ハンターとの熾烈な競争に身を投じるのは確定事項である。
改めて、ジュノーはくれぐれも正体不明のポケモンとJの動向には目を見張るよう念を押す。影へと通じる鍵の持ち手は、現時点でJしかいない。
「次のミッション発令まで、あなたがたは充分な休息を取ってください。これにて会議は終了とします」
その場は解散となった。それぞれの様子で立ち上がり、散り散りになる。
英雄がセキエイ高原でロケット団を滅ぼしてからの十年を象徴するものがあるとすれば、まさしくここ〈チーム・スナッチャー本部〉が挙げられるだろう。由緒正しき政府・カントーポケモン協会の牙城に近い位置――地下のメインベース――にて、スナッチャーは秘密裏の活動を行う。はがねポケモンたちがこぞって喜びそうな機械の基地が、しばらく彼らにとって羽を休める家となる。
壁と壁の間にオレンジの光が走り、セキュリティシステムは二十四時作動中だ。窓は見当たらず、閉鎖空間を歩き続ける。自動ドアの開錠にはカードキーが必要で、たまに巡回のコイルたちが通り過ぎていく。
無機質でありながら、必要なものはすべて蓄えられた世界だ。それをつまらないと感じるか、便利だと感じるか。少なくとも、ヒイラギには関係ないことだった。
地下に建造され、塔のように角張った構造は、部屋をシンプルに分ける。説明によれば、レンジャー用のトレーニングルームもあるという。何人収容出来るか分からない半円状のエレベーターにひとりで乗ると、不釣り合いなスペースが空く。下に向かうだけで惑星の核にも届く虚無を感じた。どれだけの技術とポケモンを動員して、塔を築き上げたのだろうか。
エレベーターから降りると、後ろのエレベーターからも人が降りた。透明なので姿が分かる。構成員の数を考えればそれ自体は不自然ではない。波導はこちらに駆け寄り、ヒイラギを思わず立ち止まらせる。これから生死を共にする女性の姿を見てしまったから。
お互いに制止すること数秒、イトハは切り出す。
「あの」
「おれに、何か用か」
トップレンジャーがひよっこに過ぎない、という認識自体はリニア戦で改められた。
その代わり、ヒイラギは異なる感情を抱くことになる。彼の眼はあくまでも平静を湛えているが、奥底は揺れていた。
「早くしろ」
イトハは求めより遥かに逡巡した後、意を決したように問う。
「スナッチのこと、どう思ってるんですか」
非合法の手段をもって、悪を断罪する。まだイトハにははっきりとした輪郭を持てない。力を行使するヒイラギ自身に負い目はないのか、尋ねたいのだろう。
「まだ納得出来ないんです。いくらポケモンのためでも」
ヒイラギは微動だにしない。イトハは逆に困惑する。命令ひとつが動作のスイッチになりそうだ。感情と共に固く閉ざされた口が動くときは、同じく譲らない信念を語る。
「スナッチは、ポケモンを救うための手段だ」
「人から奪ったポケモンが、幸せになれると思いますか」
迫真の問いに怯まず、ヒイラギはさも当然のように言い放つ。
「お前とおれがやっていることは、同じだ」
「どういう意味ですか」
「お前のキャプチャを見て思ったよ。あれは、ポケモンを屈服させるための手段だ」
「屈服……?」
イトハは歯軋りする。ここでキャプチャを引き合いに出されるとは考えもしなかったからこその屈辱だ。ポケモンレンジャーにとって、ポケモンと心を通わす証・キャプチャは誇りそのもの。一度は国家から否決された力を我が物顔で振るう波導使いは、レンジャーユニオンを敵に回す覚悟でも備えたつもりか。イトハは思わず叫んでいた。
「スナッチこそ不合理じゃない!」
「そう思うならチームを出て行け。トップレンジャーはお前以外に11人もいる」
戦力外通告を突きつけられるのは、ほんの一瞬だった。小さくなる背中に、罵詈雑言を浴びせる気力すらなくなった。
イトハは少しでも、リニアでの戦いを通じて、分かり合えたと勘違いしていたのだ。
そんなものは幻想でしかない。彼女に向けられる視線の軌跡は、光どころか闇に紛れそうなほど研ぎ澄まされているではないか。あまりにも明確な敵意だ。
唇を尖らせ、イトハはいつもより強く缶コーヒーの蓋を開けると、そのまま一気に飲み干す。ブラックではなくミルク入りだ。酒を入れた親父も驚きそうな爽快感ある表情を浮かべる。共有する者のいない盛り上がりは、一瞬で冷めた。ベンチの青い照明が辺りを暗くするから、なんとなく気分も落ち込む。
窪みの自販機スペースでこっそりひとりになると、ユニオンの仲間が思い出される。愉快で、時に刺激し合う友人たちの声を聞きたいと思った。そこに予期しない声が拾われる。
「さっそく喧嘩したのか」
器官に液体が混じり込み、イトハは咳き込む。
ちょっと話しかけただけでこれだ。ホオズキは呆れつつ、背中を叩いてやる。
「なんだなんだ。悪かった、悪かったよ。おい、大丈夫か」
「びっくりした……」
ホオズキの手にはブラックが握られていた。対するこの健気な女性は甘味にすがったままだ。本人の劣等感でしかないのだが。
無性に悔しくて、少し涙目で飲み干す。ホオズキはすっかり目を丸くしていた。
「忙しい奴だなあ」
「ありがと」
立ち上がると、礼儀正しくゴミ箱に近寄って缶を中に落とす。
何を話してもいいか分からないふたりは微妙な距離を感じ取ったか、ホオズキは壁に、イトハはベンチに座り直す。残業中の上司と部下が、暗がりで愚痴をこぼすような光景だ。
「嬢ちゃんとあいつ、反りが合わない気はしたよ。なんとなくいや〜な感じがしたからな」
「強いのは分かる。でも見下されてる感じがして、あの人……苦手です」
「ビジネスライクに付き合えばいい話だ」
「でも、一緒に戦っていくんですよ」
「子供だなあ」
「もう二十歳越えてます」
顔を伏せたまま拳を握る。彼女なりのせめてもの反論だったが、人生の修羅場を数多く潜り抜けた男には通用しない言い訳だ。リアリストはどうにも手厳しいのだ。
「こちとら二十年多く生きてるんだよ。成人なりたてなんざ餓鬼と同じだ」
イトハはむっとして、それ以上何を言うこともなく、黙り込んでしまった。
また余計なことを言ったと後悔したのか、場に漂う沈んだ空気を払おうと話題転換する。
「レンジャーか。元ロケット団からすれば、雲の上の世界だな」
事あるごとに元ロケット団を持ち出す。その度、誇っているのか、自虐しているのか、憎んでいるのか、よく分からない表情をする。全部かもしれない。
「あの」
イトハが身を乗り出すと、ホオズキは遮った。
「ともかく。チームの間は、よろしく頼むぜ」
彼はイトハほど礼儀正しくない。適当な投げ方で缶を放ると、そのまま気持ち良いヒットの音と共に吸い込まれていく。軽い調子で手を振り、踵を返した。欠伸をしているから眠いのだろう。
波導使い・ヒイラギ、元ロケット団・ホオズキ。イトハにとっては、今まで関わったことのないような人種だ。
次のミッションに備えなければ、という義務感はあくまでも胸の内にある。余計なことを考えず、司令官の指示を待てばいい。でも、それは自我を殺すことと同じだ。
だからイトハは不安を吐露する。塔を歩く誰に対してでもなく。物心ついた頃からのパートナーポケモンだけは、もしかするとディスクの中から聞いていたかもしれない。
「ハーブさん。わたし、あの人たちと上手くやっていけるのか、わかりません」
先輩がいてくれれば、と甘えそうになった。
ヒイラギは現時点の自分にとって、最も必要なものを既に自覚していた。
仮眠も取らず、一直線にエレベーターで向かう先は伸びた通路だ。入口はゲートで閉じられている。ボタンで呼び出すと、設置されたモニターに受付人が映る。
「牢獄のポケモンに面会を申し込みたい」
『では、リストを参照してください』
過去に罪を犯し、収監されたポケモンは数多くいる。そう、勘違いしてはならない。人間とポケモンの絆が誰しも当てはまるわけではないのだ。
求める文字列だけを探し〈ボーマンダ〉の欄にチェックを入れる。
『そのポケモンは気性が特に荒く、非常に危険ですから、深層部で管理しております』
「構わん。会わせてくれ」
モニターがぷつりと消え、同時にゲートが上下に開く。カントー地方のならず者たちが、この奥で復活の時を待ち侘びているのだ。
のこのことやって来た人間をブーイングの嵐で非難する。そんなポケモンたちを見回しながら歩を進める。恫喝すら止まないにも関わらず、無関心を決め込むのは恐怖を押し殺しているのではなく、本当に欠落しているからだ。
受付の言う通り、ボーマンダは収容されたポケモンたちの中でも格別の冷遇に与っているようだ。拘束具で一挙一動も制約されたとあれば、衰弱したポケモンを閉じ込めるために随分な武装を施したものである。
波導が檻に流れる電流を感知する。脱獄を是が非でも許さないという姿勢の表れだ。弱り果てたポケモンは、生きる意志をぎりぎりの線まで奪われるというのに。
しばらく萎びたように尻尾を垂れていたが、ヒイラギが目に入ったかと思うと、首を噛み千切る勢いで檻に突進してくる。震えるような音と、鎖の絡み合う音が反響した。低級の囚ポケモンならばそれだけで生きた心地がしないだろう。
ヒイラギはびくともしない。不必要に波導を濫用して、どちらが上を思い知らせるという飼い主的な発想もしない。ボーマンダは四肢を拘束され、頭部装着式のギアに視界を閉ざされてもなお、突進を続ける。狂ったように電流を受けては、喉の奥から心底煮え滾る唸りをあげ、引き下がるものかと耐えている。
「単刀直入に言う。お前の力が欲しい」
ボーマンダは見逃してしまいそうなほど僅かな間、とぼけたように口を開ける。それで警戒を解ければ苦労はしない。あくまでも冷静に諭す。優しさではなく、事実で。
「お前が憎むべき相手は、お前を捨てたトレーナーだ」
にじり寄ったボーマンダは落ち着きなく後退したかと思えば、檻に向かって火を放つ。
面会者への無礼を裁くように、拘束具を電流が伝っていった。攻撃すればするほど、痛みを被るのはボーマンダの方だ。
「安心しろ、恨みはない」
ボーマンダはとうとう諦めたのか、翼をたたむ。
それにしても檻の電流が邪魔にしか思えなかった。対話とは対等な条件で行うから意味があるのだ。どちらかが優位に立つ交渉は、真の譲歩とは言えない。
「電流を切れ!」
恐らく監視しているであろう者に向かって、高らかに告げる。すぐさま電気の波導は消え去った。反応が早いことだ。
ヒイラギは手招きする。ボーマンダは利口の良さそうに近付いてきた。
そっと頭を撫でる好意を狙って、腕を噛み切ろうとする。檻から手を引っ込めたヒイラギのせいで、ボーマンダは思いっ切り空を噛む。
腕が残っているか確かめるヒイラギに、意地悪そうな笑みを浮かべる。次には鉄槌が飛んで来るだろうと。人間の本性において、自分の命より大事なものはない。ポケモンに奪われそうになったとあれば、いよいよ剥き出しの形相になる。ボーマンダはそう悪巧みしたのだろう。
予想は大きく外れた。ヒイラギは手首を抱えながらも、これっぽっちとて心の歪みを見せない。
「恨みはない、と言ったはずだ」
不撓不屈のドラゴンポケモンは混乱する。
何故、あからさまな復讐心を向けても、この男は反撃の様子を見せないのか。
破壊と略奪が日常だったボーマンダにとって、負の感情は当たり前すぎるカウンターで、むしろ愉しみがいのあるものだとすら思っていたのに。
「お前には、悪事に加担した罪を償う義務がある」
ヒイラギは超然と立ち、ボーマンダを静かに見据える。
「その破壊衝動は、悪を潰すために取っておけ……」
敵だった自分に対して――。
今のボーマンダにはそんな疑問符しか浮かばない。
「おれたちは必要悪だ。それを忘れるな」
ヒイラギはコートの中から、ひとつのアイテムを取り出す。赤と白に輝く球体は、掌サイズに膨張した。
「もし、その気があるなら……ここにお前のボールを置いておく」
捕獲用のスナッチボールから出され、おやのコードも解除されたボーマンダに、トレーナーと言うべき存在はいない。ヒイラギはそっと、ボーマンダの足元に新たな宿を置いた。
ヒイラギが何の感慨も見せずに帰るまで、ボーマンダは目を離さなかった。
戦いは、常に予測不可能のタイミングで訪れる。
激闘の余韻冷めやらぬ内に、セカンドミッションの招集が来た。
地下で眠りに就いたヒイラギたちは、時間の感覚などとうに失せてしまっている。それでも彼らをここまで育んできた守るべき者としての自覚が、一瞬の覚醒と共に戦場へと向かわせるのである。
中央司令室に一番遅く来たのはヒイラギだった。とはいえ、招集から数秒の誤差だ。
隣に並んだヒイラギは、イトハと目を合わせようともしない。憎まれ口だけは止まらないが。
「まだいたのか」
「わたしの使命は、ポケモンを守ることです。それまでは逃げたりしない」
「死からも、ハンターからも、スナッチャーからも……そして、あなたからも」
ヒイラギは不敵に一瞥すると、それまでにないほど激しい目つきが睨みつけた。
なるほど、この女性はそんな想いを秘めながら戦っているのかと思わせるほどに、鮮烈だ。
「スナッチャーとしての役目を果たしさえすれば、おれから言うことは何もない」
とても解決とは言えないが、ひとまず各々の決意は固まった。
「今回のミッションの説明に入る前に、ヒイラギ。あなたに新しいポケモンを与えます」
イトハとホオズキが驚くが、ヒイラギには分かりきったことだ。誰が自分のところにやってくるか。中央にせり上がった台座にボールがひとつ。
「待っていたぞ」
蒼き鱗と、紅き翼を携えて。怒りのドラゴンがうずくまる。
「ヒイラギには、スナッチしたボーマンダを手持ちに加えてもらいます」
「そんな!」
「確かに、戦力としてはこれ以上ないが……大丈夫なのか」
それ以上の反論は認めないとばかりに手を挙げ、司令官としての最終判断を下す。
イトハはまたしても口元を震わせ、チームとの不一致に苦しむ。
「それではミッションの説明に入ります」
オペレーターが映したのは、閑散とした洞窟だ。周囲には水辺が広がり、ポケモンの生息する気配を彷彿とさせる。ホオズキだけは動揺も露わに反応した。
「あなたがたには、スナッチャーの盤石を整える戦力たるポケモンを、ハンターよりも先に捕獲していただきたいのです」
ハンター、という単語に一同の緊張感が高まる。
「そのポケモンというのは」
イトハが尋ねる。今でもチームの礎石は組み上がっているはずなのに、これ以上のポケモンなど想像がつかなかった。
対照的に、ホオズキはこれから指し示されるものが何かをはっきりと感じているようだ。
ジュノーは流暢に、その名を読み上げる。
「〈いでんしポケモン・ミュウツー〉」