叛骨の強奪者






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First Stage - The Ranger part -
Phase 19 超克せよ、戦士の定めを


 魔術が抜けて、現実が虚ろに目を覚ます。
 憑依体と被洗脳者に紙のような切り込みが入り、真っ二つに裂けていく。絡み合う指にひんやりとした異質な触感を得て、ふたりの世界での誓いを繋いだままであることに気付き、どこか気恥ずかしく照れながら手を離す。前額部で惚気を展開されるハガネールの身にもなってほしいだろう。
「大丈夫?」
「ああ」
 一様ではない意味が含まれた大丈夫を肯定し、回復した気力を支えに重心を持ち直す。
 キャプチャ様様か、頭痛を伴う発熱も根治していた。思考の伝達から直接対話による説得とは、つくづくトップレンジャーの桁違いな精神力に 邪念のない賞賛を送るばかりだ。対等な地平で結び合ったこの仲、慕情を濁らせる必要はない。
 イトハの笑顔に隠れた影と、一音が鱗を帯びて痛ましいほど輝き出しそうな言葉は、何度反芻しても苦にならないほど鮮明に描き出せる。あれだけ疎ましかった存在が何者にも代えがたいと感じるのは、ヒイラギ自身も殻を破る契機を得たからに他ならない。
「まさか、おれをキャプチャするとは……」
 今まで散々気を張り詰めた分の反動か、ぷつんと糸が切れ、場違いにも和みの休息を与えるような冗談が口から出てしまう。
「ちょっと……笑わせないでよ……」
 肩を小刻みに震わせ、キャプチャした当人は懸命に笑いを押し殺すのがやっとだ。
 ハガネールのだだっ広い頭上で膝を立て、すかさず現状把握の視線を巡らせるのは、抗えない戦士の性か。一度は逃避を試みた波導使いを世界に留めた功労ポケモンと、目が合った。お互い語るべきことはあるが、ひとまずは頷くに落ち着いた。それで通じ合う。
 ハガネールの突起に触れても、激しない。堅物をよくも従えたものだと感心する。
「おまえがキャプチャしたのか」
「なんとか、ね」
 ヒイラギが知らぬ内、彼女もまた試練を乗り越えていた。殺意を上回る意思とは、一体何で抑え込めばそうなるのかと訝しむ不安こそあれど、今のイトハは誰よりも心強い。
 ふたりを運ぶ鉄片の連結体がぐらりと揺れた。
 まだ一件落着には程遠い。モードを変更、スナッチャーの双璧として、月に重なる宿敵カラマネロを打倒する。仕組まれた因縁に終止符を打つのだ。
 これまでチーム内の亀裂は顕著だった。両者を精神世界で対決させ、破滅を目論んだのがだろうが、戦士は孤独からの癒しを揃って求めるという共通項を見落としていたのが誤算だ。カラマネロは、ふたりの誓約にも等しい共同戦線をより強固に変えた。
 それでも焦りを募らせるのはヒイラギだ。体内時計こそ元々昼夜の常識を無視するように戦場で加工してきたが、波導の身躯は長期戦闘に耐えうるように造形されていない。
 波導を意識した直後、カラマネロの全勢力が倍化した。各所に散りばめていた細胞が帰るべき源へと集結していく。山の端から、流星の分身が降り注ぐ。太い動脈を剥き出しにしなる触手は、強化の証だ。キャプチャの妨害思念による衝撃が尾を引く内に、攻略の活路を見出したい。
「かげぶんしん……?」
 目撃現象を言葉に置換することで打開策を得られまいかと、道を切り拓く。戦場で必要なのは即時的な分析力。数回の手掛かりと貯蔵した知識量を照らし合わせる作業だ。
 カラマネロはポケモンの中でも最も強力な催眠術を使う。以前ヒイラギはリニア戦闘においてメガヤンマの催眠術すら跳ね除けた実績を誇るが、今回は格が違う。メンタルのスペシャリストであるイトハを巻き添えにしたほどだ。
 精神面に干渉し、かつ類を見ない念力の使い手――。口元を思慮ありげに覆う。
 何より、二度の痛みが教えてくれる。襲撃犯の正体はイトハのサーナイトなどではなく、十中八九カラマネロだ。他に波導使いを昏倒させるほどの使い手はいなかった。
 カラマネロのサイコパワーはハナダの洞窟で証明済み。
 更に、ヒイラギだけはサント・アンヌ船上でカラマネロを目撃している。ものを見る時、見られる側もまた見ている。内通者を嗅ぎ回る厄介者を消そうと動くだけの理由がある。
 イトハの容疑が晴れた瞬間、彼女に冤罪を擦り付けるよう誘導したのも、今思えば内部崩壊を狙った罠である。
 しかし、カントーとホウエンの距離間が分からない。スナッチャーに合わせて短時間を移動する術は何だ。敵のカラマネロは複数個体で、地方ごとに配置されているのか。
「”みがわり”じゃない?」
「なるほど、みがわりか」
 みがわりは、使用者の体力を媒体に、持続する分身を編み出す技だ。
 各地方にみがわりを配置し、念力で接続し、操作する。情報は常にマザーコンピュータの頭脳――今のカラマネロに入ってくる。これなら、距離感と時間の問題にも説明がつく。
 司令塔が一匹になるリスクを孕んでも、ふたりを殲滅する必要があった。
「ということは」
 スナッチャーに内通者が潜伏しているのはやはり事実だ。
 ヒイラギ、イトハ以外の重鎮――オペレーターか、ホオズキ、あるいはジュノーか。
「ということは?」
「ああ、なんでもない」
 内通者の調査を明かせば、イトハが自分と同じ或いはもっと酷い拷問に遭うかもしれない。だからヒイラギは一旦口を噤もうとした、しかし。
「そうじゃなくて! ちゃんと話してよ」
「わたしたち、会話が足りなさすぎた。もうお互いのこと、勘違いしたくない……」
「だから、ちゃんとわたしにも教えて」
 伏せる瞼を持ち上げ、閉ざした光も隙間から入り込む切実な訴えが、またもや想いを天秤にかける。パートナーを謳っておいて、今更隠し事もないだろう。それに、内通者の詳細を語れなくしていた主犯は、今や射撃範囲にいるほど近い。洗いざらい打ち明けて、楽になってしまおう。彼女は苦しみを分かち持つと言ってくれたのだから。
 
 カラマネロに見せ付けるように、宣戦布告そして大胆不敵な声の調子で、沸き立つ心を抑えながら、いつも通りに告げる。
「おれはスナッチャーに潜む内通者を調べていた」
 言葉を一度でも口にしてしまえば、あとは真情を吐露するだけで良かった。
「サント・アンヌ号のプラズマ団から密かにメッセージを受け取ったのは、おまえがラティアスを受け取る一日前のことだ」
 イトハは記憶を辿る。ラティアスの監視役兼世話役を決定する会議の、丁度一日前日没の時刻である。
 ――おれに任せる方が良いかもしれないぜ。いざというとき、伝説のポケモンの力は使える。こちらには心の雫がある。おれがラティアスのメガシンカを使いこなせれば……。
 ヒイラギとの関係は任務後半から急変し、険悪さにも拍車がかかった。内通者を疑い出してから態度が変わったと考えれば、納得もいく。
「プラズマ団は、ポケモンの技・ふういんで口封じされ、メタモンで敵に擬態した上でおれだけとの接触を図った。その点はアクロマと同じだ」
「封印って……」
「そう、おまえのサーナイトが使う技だよ」
 開いた口が塞がらない。
「言葉が喋れないプラズマ団は、スターミーの星標を抜け道に使った。スターミーと団員は襲撃され、メッセージを伝え切れず、真相は闇の中だ。そのときスターミーを倒したのがカラマネロ。だが、空中にいたカラマネロは地上のプラズマ団を襲撃することは念力の射程範囲的に難しい。別に犯人がいる……そこで、おれは独自の方法で調査を行うことにした。襲撃犯は攻撃方法と症状からしてエスパータイプのポケモン、あるいは指示した人間と見当をつけた。この条件に合致するのは、イトハ。おまえだけだった」
 ヒイラギは冤罪を宣告された被告人の心中と同調するように目を細め、相棒を見やる。
「おれはメタモンでジュノーの命令を偽装し、おまえを誘き寄せた」
「だが、痛いほど分かったよ。おまえは内通者じゃない。おれが保証する」
 そっと前に向き直り、月を射抜いてしまいそうなほど強い眼差しをもって告げる様子が、彼にとってどれだけ人と向き合うことの意味を思い出させたか。
 誇張でも虚飾でもなく、この人は潔白を証明するならいかなる手段を行使してでもイトハを守り抜くのだろう、と本人に思わせた。
 語られた全容を理解出来ても、ヒイラギほど早く飲み込めるほど、まだ非情に育ち切っていない。
「もう恐れる必要はない。今、目の前にいるカラマネロこそが……内通者の手先なんだからな!」
 逞しい指先の神経を引き攣りそうなほど伸ばし、倒すべき標的を共有する。
「さあ、秘密話はこれで終わりだ。まずは目の前の敵を倒す」
 
 
 メタモンはサイコキネシスの波に拾われ、為すがまま地上へと運ばれる。
 内通者の刺客に操られていた変貌は見る影もなく消え去り、種族の異形を取り戻したことで、伸縮自在の体と同じぐらい伸びそうな口元を上下させる。形態を維持する力が失われ、雑草が粘液と一緒くたにへばりつくのが気持ち悪い。
 救世主サーナイトは首をもたげ、天を仰ぐ。雲間に遮られ、夜光も差し込まない。地と空を隔てる境界線の上では、今頃制空権を巡って戦士たちが激しい武闘を繰り広げている。
 主人と味方の身を案じずにはいられないが、念を送り込むことに専念しろと命じられたからには役目を貫き通す。
 聖水で清めたかの如く両腕を厳かに持ち上げ、下半の白衣を風圧にはたかめせる。華奢な美脚が覗き、波動の奔出に辺りが歪む。サーナイトの持てる力は今、遺憾なく元来求められたアシストという形で最大限に発揮されていた。
 主人の遺言を真実と受け止め、身を削る想いで組織を探ろうとしたヒイラギには恩義を感じている。カラマネロの呪いから解き放ってくれたイトハにも。勇気あるプラズマ団員のポケモンとして、仇で返すわけにはいくまい。
 誰もが出来ることを探す中で、集中に隙間を挟み込む無礼は働けない。メタモンは一帯を見やり、大口を開けたような洞窟付近で身を寄せ合い、怯えごと体温で熱してしまおうとするピッピたちの群れを発見した。
 スナッチャーにもしものことがあれば、ピッピたちの助けは必要になる。移動にはない骨も折れそうだが、残る体力を運動エネルギーに換えて奮起するとピッピたちの洞窟まで這い出した。
 
 偏平な双翼が、月に八つ裂きの痕をつけんと直上する。
 角ばった軌道が歯切れ良く復活の号令をかける。イトハから復活草を貰い受けたヒイラギは、すぐさまボーマンダを回復、負担を極めたカメックスと交代した。 
 三白眼が捉えた全身触手の姿は、未決着の因縁を想起させる。
 血流が爆発した。ヒイラギの鼓膜ごと引きちぎりそうな雄叫びは重々しく、実体ある光線ならば薄く線を引くように掻き消えていった。
 決死の想いを乗せ、翼の下に分かち合う。彼らは強い関係性で結ばれているというよりも利害で互いを満足させる仲にあるが、この時ばかりは倒すべき標的の一致が見られた。
 自由飛行を許さないカラマネロに対し、来る刺突を角度調整による僅かな誤差修正にて凌ぎ、怒涛の火炎を解き放つ。念を帯びた刃が横薙ぎ一閃振るわれると、赤雪が月夜見を飾る。ドラゴンの皮膚には微々たる熱が降り注いだ。焼け付く皮膚が点々と痛みを積もらせる。決着の戦はそう長くならないし、長引かせない。
 何故なら、包囲網は既に出来上がったからだ。
 まさかヒイラギが無策で肉弾戦に挑むはずがない。彼は常に思索を巡らし、決定的な一撃を着実に張られた布石の下に発揮する人間だ。
 ボーマンダへの接近を図ろうと一定の枠から出れば、小爆発が敵の脳天を揺さぶる。理解よりも早く刃と爪が擦れ合う。まともにかかれば即死も免れない鋭利な刃物に尋常ではない速度のまま突っ込んでいく。だが、集中力はかえって研ぎ澄まされる。
 生きるか死ぬかの瀬戸際で、いつでも勝利を収めて来た。今回も任務を完遂するまでだ。
 そろそろ罠の正体に察しがつく頃だろう。カラマネロには見えなくて、ヒイラギには見えるものだ。ヒイラギはその都度ボーマンダへと指示を送り、カラマネロの浮遊ルートを形成していた。
「自分の与り知らないところで策が張り巡らされていく気分はどうだ?」
 カラマネロは言語の含蓄まで推し測る高度な知能の持ち主だ。だからこそ、この挑発はヒイラギを束縛という恐怖で脅して来た分、深々と突き刺さる。
 延々と恨み言を耳元で述べ、毒が回るように執心しながら追い詰めれば、自我を崩壊させることも可能だろう。しかし、波導使いの本意はあくまでも刑罰と更生を迫る点にある。
「これまでよくもおれを弄んでくれたな。おまえにも同じ気分を味わわせてやる。この、スナッチでな」
 人差し指と親指で垂直の窪みにボールを挟んで見せ付ける。今やカラマネロは不可視の監獄に囚われ、刑の執行中止を乞うだけの哀れな囚ポケモンでしかない。だが、悪党として植え付けられたDNAは屈することなく、腹を斬る最期の瞬間まで足掻けよと命ずる。
 触手という触手が逆立ち、奇声に応じる瘴気が暗雲と化して行く。
 ヒイラギとイトハの視線が流動する大気に揺さぶられながら交錯した。双方、アイコンタクトだけを交わし、頷きも挟まない。鉄尾をくねらせるハガネールが魔術にかけられ、優雅に空中を舞う。そう、イトハは予めステルスロックを辺りに撒き、カラマネロの移動を阻止したのだ。ボーマンダは置き残された軌跡を辿り、最終奥義を挟み撃ちにする。
 手に負えない巨大範囲の波導が、灰色の峰にまで覆い被さる。
 世界の法則を”逆転”させた。
 重力も、天地の景色も、何もかもねじ曲がって、逆になる。剣山は蓋のように、ポケモンたちは一斉に放られ、月は真下に翻った。
 頭を締め付け、ねじ上げるような不快感だ。空間は正常ではなく、融和しない法則と法則によって繋がれた不完全世界。
 果て無き空は今やブラックホールのように大穴をつくり、ヒイラギたちを吸い込む。最後に笑うのは自分だと、息も切れ切れに嘲り倒す。ボーマンダはカラマネロに向かってあらん限り咆え立てた。
 ヒイラギは上を見据える。カラマネロが縮まっていく。直下し続ければ、空気の刃に引き裂かれ、傷口から染み込んだ寒波がその身を凍て付かせるだろう。

 障害物の排除を確認。現実世界からログアウトの手続きを取ろうとしたそのときである。
 反転する世界の中で、銀のパノラマにカラマネロは畏怖すべき対象を見つけた。例えば、振り払ったはずの亡霊を見たという形相で、サカキの笑みに震撼する。
「わたしのドリュウズは〈かたやぶり〉だ」
 カラマネロに突きつけられる死の宣告。
 重力に抗し、まっすぐに心臓を穿つドリルライナーが急上昇してくる。

 月が池のように揺れる奇妙な世界で、イトハは辛うじて何者かによって行われる戦闘を視認した。キャプチャの効能が薄れ始めたのか、ハガネールは元の主がいた場所へと帰り出す。元々レベルの高いポケモンを従えておくには急な拵えが過ぎた以上、ここまで持っただけで僥倖と割り切るべきだろう。ヒイラギとカラマネロを切り離すために思念のすべてを送り届けたため、再度キャプチャなど出来る精神力はおろか、体勢にも無理が生じる。もはやハガネールは手放すほかない。迷わずリリースの信号を送った。
 ヒイラギは今にも振り切られようとしているイトハの手を取ろうと、幾度か冷え切った指先だけの触れ合いを繰り返して、ようやく掴んだ。上下左右の均衡も失われ、認識不能な世界の中で、一度や二度ではない死地を共にする雄大な背中に乗せるのもやっとだ。奇しくもハナダの洞窟でのカラマネロ戦を再現する形になったが、本人たちは過去の戦歴に思い馳せるほど思考の猶予がない。
 怒涛の奔流に押し流されそうになるかと思いきや、今度は想像と裏腹にプレスのような圧力が弱まりを見せた。
「何が起こってるの」
 イトハはヒイラギの肩へとすがるように手を回し、現状持てる疑問の総括を口に出す。少しでも戸惑いを見せれば心の死角に付け込まれる気がしてならなかった。目まぐるしく弱気な人間が入れ替わる。強さと弱さは表裏一体だ。
「恐らく、奴が取っておいた最強の攻撃だ」
 〈ぎゃくてんポケモン〉と呼ばれる種族、真価の発揮。
 眼下を見据える。是が非でもこの大穴から脱出しなければ。そう語る双眸でイトハを見ると、彼女の鼓動は少し落ち着いた波を取り戻す。
 上を指した。ボーマンダは月を黒く染めるような勢いで炎を吐き、飛翔する。

 権謀術数を用いて殺しに来るのは敵も同じだ。傷口へ砂礫を捻じ込むように、砂嵐が吹き荒れる。ロケット団ボスのサカキ――スナッチャーを利用して、カラマネロに最後の尻尾を出させるまで高みの見物を決め込んでいた。スナッチャーがやられたところで、自分が手を下せば必ず始末出来るという傲慢さが、狡猾な戦略から溢れ出ている。
「奴らに利用されているとでも思ったか? 逆だ」
 サカキは尻尾ひとつで竜巻を主導するグライオンの鋏にぶら下がりつつ、優越感に奢ることもない。己の中で完結された支配者の論理を至極当然に振りかざしているだけだ。
 痛みに開けていることも難しい瞳で、サカキを呪う。
 ドリュウズのメタルクローを掃うことに全精力を傾けた結果、随所から反撃の狼煙が上がっていることに最後まで気付けなかった。

 警戒を解くためピッピに扮して、自分がもうカラマネロの手先ではないことを証明する。文字で記せば簡単なプロセスだが、広場と一緒に心も荒らされたピッピたちには届かなかった。突如として破壊された日常は、跡を掻き集めることは出来ても、旧来の形をそのまま復元することは出来ない。住処が戦場と化し、罪もなき自然が蹴散らされる様を見るのはどれだけ辛いことだろうか、プラズマ団と過ごす内に日常という概念を欠落してしまったメタモンには想像も及ばない。
 負け惜しみに思われたかもしれないが、ピッピとして残したメッセージがある。
 せめて貴方たちを守るために戦おうとしている人間のことは忘れないでくれ、と。世界から葬られたように孤独の中で戦うスナッチャーだから、主人は頼ろうと決意した。ヒイラギとイトハは何の見返りも求めず、ピッピたちを助けた。戦い続けることが、やがてすべてを終わらせることに繋がると、本気で考えているのだ。
 メタモンの言葉が何をもたらすか、一匹ずつ尋ねる余裕はなかった。その瞬間、世界は形を変える。置き換えられた現実が、ピッピたちを揺り動かす強制力となる。
 引っ繰り返った天地は判断の隙間も挟まず、法則に従順な落下だけを強いる。ピッピたちは事の重大性を把握し、目配せを始めた。メタモンが呼びかけると、彼らは直接視線を合わせることはなくとも、一族全体で頷き、意思疎通を交わす。
 天と地の境界に跨るカラマネロ。誰のものでもない月がまるごと触手に絡め取られてしまうような錯覚を受け、ピッピたちは背中に生えたちっちゃな翼をはばたかせる。
 ピッピたちは仲間を拾い集めるように手を繋ぎ、ひとつの輪を形成した。呆然と眺めていたメタモンごと、群れに引き入れられる。
 心ともないフェアリーの証が月光の流れを招き寄せる。惑星と惑星を中継するかのような橋が架かり、金色の光源となって輝きの導を照らし出す。環に応えるが如く、オツキミ山の岩場が仄かに明滅し、対照的な銀色の光を発した。
 まさにオツキミ山自身が、巨大な月の石とでも称するにふさわしい、真の饗宴を魅せる。
 メタモンは驚くべき瞬間に立ち会う証言者となる。
 それぞれに生えた一対の翼が力強さを帯びて、肌色はより清められた。可愛らしい様子に少しばかりのたくましさが加えられ、妖精たちは一斉の進化を遂げる。
 どんなに遠くの物音も聴き分けるという聴力でボーマンダの飛行をキャッチすると、彼らは手を離し、メトロノームのように指を振る。

 偽りの世界を打ち破るための準備が始まった。カラマネロの重力コントロールを破るべく、ピクシーたちは”じゅうりょく”を発動する。サカキのポケモンたちは力を誇示し、あくまで翻弄する。その中で、決着目掛けて少しずつ上昇する影。
 正確には分からないが、カラマネロの力が次第に弱まっている。
「重力が弱まった!? 何故だ」
「ヒイラギ、あれ見て!」
 肩の先から突き出た人差し指を辿ると、何者かのポケモンと格闘するカラマネロが見えた。獲物を横取りするような勢いで飛んで行くのはハガネールだ。しなる尾を叩きつけ、カラマネロは目と嘴を中央に寄せるほど力んだ表情で抑え付けている。
 自分たち以外にもカラマネロの暴虐を許すまいと立ち上がった者たちがいるようだが、お互いに姿も声も認識しないまま戦っている。
 視界に見えていたイトハの右手を左手で握り締めた。すると彼女から握り締めただけのレスポンスが返ってくる。
 繋いだ手から光を預かるように、モンスターボールを重ねる。
 ボーマンダは燃える流星と化し、ふたりを包んだまま、捨身の一撃を射た。

 所詮、紛い物の世界は儚い命だ。世界の有様は、カラマネロの強力な催眠など意にも解さないほど美しく、残酷に、超然と屹立したままに保たれていた。
 ヒイラギは世界が修正されるや否や、モンスターボールを投擲する。この一投はただのスナッチではない。必ず成功させる、そんな気迫を孕んでいた。
 しかし、カラマネロを別の意味で狙っていたのは、ヒイラギだけではない。
 肉体が中央から少しずれて右下を裂かれた。胸に風穴が開き、ドリルが骨髄まで食い込む。貪るような回転は辺りに肉片を撒き散らした。予め違和感なく金属製の角上に染みをつくっていた血痕が上塗りされる。
 文字通り一撃必殺の技に貫かれ、咳をするように肺を一瞬膨らます。半開きになった嘴からは虚ろに流した眼と同じぐらい黒く濁った一筋が流れ、滴り落ちる。
 突き出たドリルを思いやりの欠片もなく引き抜く。身から絞り出された血だまりに横たわり、絵の具の上乗せに失敗した惨状を引き起こしてから嘘のように動かなくなった。
 モンスターボールは屍を捕えた。分かたれた二色は見分けのつかない一色に染まる。
 今にも途絶えそうなポケモンがカプセルに背を預ける。カラマネロから一秒たりとも目を逸らさず、瞬きもしない。月影を引き伸ばしながら忍び寄る悪魔に睨みを利かす。やはり事件には第三者が介入していたのだ。
「殺す必要があったか!?」
「甘い。甘すぎる」
 ボーマンダから降りたイトハが、転がるモンスターボールに駆け寄って脈を確かめた。脆弱な波導が告げる通り、まだ息がある。帽子に落ちる影よりも暗い目つきで、足元のイトハを見下ろした。革靴が血の池を踏むと、制服や頬に跳ね返る。
「きみはポケモンレンジャーだね。わたしのハガネールをキャプチャするとは見事だ」
「まだ死んでない。急がないと手遅れになる!」
 そんなことは些末なことだと言いたげに、鋭い叱責にも似た語調でヒイラギに伝える。モンスターボールはあくまで体力の低下を防ぐ手段に過ぎない。カラマネロにつけられた傷は病魔のように忍び寄り、嬲り殺すだろう。パニックを起こさず対処するイトハのおかげで、辛うじて最優先事項を思い起こす。
「……。支部にっ、……帰還する……!」
 ニビ支部に戻り、ジュノーやアクロマの技術力を借りよう。大きな力に頼るしか、小さな人間が出来ることはない。疑いをかけた組織に泣きつかなければ、命を救うことさえ叶わない。無力と理不尽に対する想いが込み上げ、胸を焼く情動に駆られる。
 なんて汚い。
 素早く状況判断を行ったサーナイトは、ヒイラギとイトハ、カラマネロをワープさせるために陣を描く。その間、ヒイラギはサカキと束の間対峙した。
「わたしときみたちは、裏社会の人間同士。利害は一致していると思ったがね。敵に情けをかけるようではこの先、命を無駄に落とすぞ」
「貴様の裁量で語るな」
 少しでも殺戮という極論を否定する自信を己に付加したいが故の激昂を露わにする。理想論を嫌うサカキは残酷な問いを投げかけた。
「再び暴れ出したら、どう始末をつけるつもりだ」
「そのときは、そのときだ」
 スナッチャー総勢はオツキミ山を後にした。ヒイラギたちに至っては、ピッピの群れが立派なピクシーに進化したことを知る余裕すらなかった。


「このポケモンを治療してくれ。すぐにだ。説明でも処罰でも、後で受ける」
 ニビ科学博物館で破壊の遺伝子解析を進めていたジュノーらの下に、気付いた時には現れていた。流血が止まらないカラマネロをボールに収め、懇願の限りを尽くす。
 ジュノーはアクロマに促し、すぐさまポケモンセンターの女医と合同治療にあたった。
「まっすぐ心臓を狙い定めた攻撃を受けており、助かる見込みはかなり薄いでしょう。ですが、善処します。あとはわたしたちに任せ、あなたがたは休みなさい」
 休め、というマボロシ島以降の命令を今度こそ厳守させるべく、ジュノーは極めて事務的に告げる。彼らはカラマネロの安否を待つよりも先にまず、コンディションチェックに回され、傷の治療と洗浄、着替えを経て、未だ執刀中の手術結果を待つに至る。
 ガラス一枚、けれど決定的な厚みで隔てた先の手術室を見下ろし、ようやく地に足がついた感覚を取り戻す。白一面の壁と目障りなほど強い照明が、無味乾燥な世界を生み出していた。
 言わねばならないと思いつつも、なかなか切り出せず、されど無言の続く状況に耐え切れなくて、お互いの声が欲しくて、最終的に月並みで気の利かない言葉を口にする。
「大丈夫か」
「こういうことに触れて来なかったわけじゃないから。でもこうして見せ付けられると、辛い」
 血染めのモンスターボールが何より物語る。起こってしまったことから目を背けるなと。
 ポケモンの血は鮮やかというにはどす黒く混濁し、色々なものが混ぜ合わされ、人間とそう変わらなかった。トップレンジャーともなれば、過酷な任務を背負わされる。ポケモンの死と直面しないわけにもいかなかっただろう。
「あいつはおれたちを殺そうとしたが、おれたちはあいつを殺す気はなかった。これからもっとこういうことが起きる」
「耐え――」
「起こさせないよ」
 あえて強く遮った彼女の肩は、傍目では分からないほど繊細な震え方をしていた。
「起こさせない」
 悲しき決意は人通りのない廊下に響き渡る。

 それから数時間が経過した。
 「手術中」のランプが消失した瞬間を遅れて認識し、現実を虚構のように一度疑ってかかる。担架で運ばれるカラマネロは布に覆われ、顔の方しか覗き見られなかった。
 息をするのも惜しくその場で立ち尽くしていると、ジュノーが手術室から姿を現す。何よりの希望は彼の一言一句に委ねられていた。
「手術は成功です。ドクター・アクロマのおかげで奇跡的に生還しました。カラマネロには人工心臓を移植し、命を繋いでいる状態です」
 陳腐な語彙だが、アクロマは天才だ、と思わずにはいられなかった。ポケモン改造の前科者は、ようやく学究の徒として科学を正しい1マスに進めた。
「ですが、回復までは相当な時間がかかります。このポケモンは今後、わたし側で管理し、手出し一切を容認しません。この後、役所に出頭していただきますので、そのつもりで」
 このときばかりは司令官ジュノーを崇める気持ちが沸き起こるのも無理はない。
 怖いほど淡々と事実だけを述べるジュノーに対し、ヒイラギとイトハの誠意は少しでも感謝と猛省を態度に示すことだった。

 事後報告は、ひとりずつ分けて行われる。証言を同時に補えないという点では、咄嗟の機転を利かせにくい。もっとも、ジュノーが内通者でないならば、ヒイラギとイトハが結託しているなどとはよもや考えないだろうが。
 ヒイラギは思考力の低下した頭脳で早くも次の展開を練っていた。イトハが内通者でないと判明した今、残る有力候補はホオズキかジュノーの二択に絞られる。大穴を突けばオペレーターもだ。するとカラマネロがスナッチャーの手に堕ちたことを内通者は知り、新たなる手段を行使して ヒイラギに次の刺客を送り込んでくるのではないか。報告といえど、油断は禁物。既に情報交換の駆け引きは始まっているのだ。
 ふたりはニビの重役が鎮座する役所に出頭した。ジュノーも監督不行き届きを問われる身分である以上、第三者の目線から報告を吟味するようだ。
 今回の事件で報告すべき要素は、大きく分けて三つある。
 一つ目は、カラマネロについてだが、これは誤魔化しようがない。傷も言い訳をすればすぐに看破されるだろう。故に、ありのままを語るべきだ。
 二つ目は、黒服の男との接触。ヒイラギの中ではある程度正体を絞り込めている。どうやって見抜いたかは、別の機会で触れることになるだろう。
 三つ目は、イトハとの和解だが、私情を交える必要性は薄く、非効率的である。ただ、あれほど険悪でチームに不穏な空気をもたらしていた危険因子が双方和解を果たしたとなれば、ジュノーの懸念もひとつ剥がれ落ちるというわけだ。
 つまり、虚偽報告をせず、起きたことをそのまま伝えればいいとヒイラギは告げた。その中で絶対に隠しておきたい切札は「内通者」というワードだ。故にカラマネロは単なる敵であったと証言する。以上が事後報告における戦略構築だ。
 ニビを象徴する石造りのタイルに立ち、軽く足を曲げ、壁に寄りかかる。首を右から左に曲げ、腕組みしつつ視線を下ろすと、共犯者は大袈裟に頭を抱えていた。
「ああ……わたしたち、どう処罰されるんだろう」
「なに、戦力が枯渇している現状、軽罪で済むはずだ。敵の一味であるカラマネロをスナッチ出来たことは、間違いなく作戦上プラスにはたらく」
 いきいきと希望的観測を根拠ありげに偽るヒイラギは、先程よりも遥かに生気を取り戻したようだ。イトハは顔をあげて頬杖を突く。
「……スナッチ出来て、良かったね」
 今までの彼女なら考えもしなかったであろう感想だ。
「『スナッチはポケモンを救う』……あの言葉がどうしても印象に残ってるの。ヒイラギはこうなることを分かってた?」
「戦いの中で、いずれ起こるだろうとは」
 ポケモンを救うため、強奪者になったのだという原点に立ち返れば、結果論でも少し勇気づけられるかもしれない。カラマネロのスナッチが遅れていれば、ひとつボタンをかけ違えれば……想像するだけで身の毛がよだつ。今回は本分を果たすことが出来たと自分を褒めてやるのも、悪くない。
「ヒイラギの言うことも、正しいのかもね」
「おれもキャプチャに対して、少し思い違いをしていた」
 かつてエレベーター前で繰り広げた舌戦が、ごく自然に完結したことに無自覚なまま、こそばゆい空気がふたりを撫でる。
 そのとき、役員が大扉を開き、中に入るよう指し示した。
「ヒイラギ様、お入りください」
 あらゆる武装を解除するように、ヒイラギは腕組みを解き、進み出る。
「だが、おれとおまえは機械を通した歪んだ形でしか、ポケモンに触れ合えない。そのことを肝に銘じておけ」
 扉の閉まる音が重く鳴ってからも、しばらくその意味を考え続けた。
 おれと、おまえ。ヒイラギと、イトハ。彼はそう限定した。スナッチとキャプチャ――深奥は異なれども、ポケモンに対するアプローチとしては似通う部分がある。
 本当にそうなのか。
 ヒイラギの主張は一理ある。だが、まだまだ根本的な部分は相成れないようだ。耳を傾けてくれる本人がその場にいないにもかかわらず、知って欲しかった想いをたくさん乗せる。
「わたしは……例え機械を通してでも、残せるものがあると思うよ」
 今は、まだ。
 イトハはレンジャーでありながらも、自分が戻れない領域まで踏み込んだことを察する。スナッチに加担し、モンスターボールを手にし、キャプチャしたポケモンを戦いの道具として扱った。
 そして、激しい矛盾を抱えながらも戦うヒイラギに、何かを感じる。
 理解出来ない、でも、もっと知りたい。


 Complete the first stage.
 To be continued...     ▽


はやめ ( 2016/11/04(金) 22:05 )