叛骨の強奪者






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First Stage - The Ranger part -
Phase 18 月夜に緋糸を結ぶ


 ヒイラギの背中にカラマネロが生えて、寄生されている。体は宙へと運ばれていき、まるでトランセルからバタフリーに進化を遂げる光景のようだ。しかし、むしポケモンの健気な成長と比べて遥かに歪である。ヒイラギという名前を持つ存在が、何か別物へと変わり果ててしまったような印象を植え付けた。
「こんなことってあるの」
 サーナイトも、カメックスも、迂闊に手出し出来ない。
 イトハはトップレンジャーという立場に慢心し、ポケモンを理解したつもりでいた。
 人間の玩具に収まり、爪を隠したに過ぎないことをつい忘却の彼方に追いやってしまう。本質は制約さえなければ同族や人間を襲い、喰らうほど危険な生き物であることを、折に触れて思い出させるのだ。
「サーナイト、カメックス、手伝って。ヒイラギに乗り移ったカラマネロをキャプチャする。わたしの思念を送り込んで、カラマネロとヒイラギを切り離す!」
 無論、二匹とも頷く。首を小刻みにもたげるヒイラギには生気がなく、本当に養分として同化してしまった。このまま手を打たなければ、精力を吸い尽くされた挙句、朽ち果ててしまうだろう。
 ピッピの群れは、現実離れした出来事から一線を置いている。本当の窮地に出くわすと体も動かなくなるもので、今がその状態だ。脳裏を去来する痛みの再来に、洗脳時のショックが蘇る。自分たちの居場所を荒らした刺客の正体が、今人間を陥れようとしている。
「ヒイラギ、そんな奴に負けるな」
 死にかけの蛹から返事はない。
 カラマネロと一体化したヒイラギは、そのまま月まで連れて行かれてしまいそうなほどに弱々しく無抵抗で、上昇を続ける。テレポートでも射程距離に届くか怪しい高度まで行けば、重力の負荷がかからない世界に突入する。
 このまま見過ごしてしまえば、イトハは二度とヒイラギに会えない気がした。せっかくお互いのことが分かりかけてきたにも関わらず、引き裂くような別れは御免だ。むしろ、まだ始まってすらいないのだから。
 どうか彼に手を伸ばせる、天にも届き得る階段が欲しい――そう願ったところ、イトハの視線は先程までの強敵を捉える。
 レンジャーの強力な自我に抑え付けられた結果、現在ハガネールの手綱はイトハが握る。
 通常レンジャーは自然災害などを解決するためにポケモンの手を借りるが、今回も例外ではない。ハガネールをどう使役するかはイトハが決めることだ。
「ハガネール、わたしはわたしのチームメイトを助けたい」
 かなりの熟練者に育てられたハガネールだが、キャプチャによって想いは通じた。そろりと地を這い、イトハを乗せるように尻尾を垂らし、促す。
 イトハはハガネールの体から突き出る鉄片を掴み、地上の相棒に告げた。
「サーナイト、サイコキネシスでハガネールに念を送り続けて」
 サイコキネシスが生み出す浮動力によって、ハガネールの空中姿勢を保ち続ける。念が切れなければ、雲を越えてもイトハを支え続けるだろう。
 サーナイトは役目上残留を選ぶも、もう一匹は黙っているわけにはいかない。ヒイラギの相棒として、自分を連れて行けと隻眼で語る。
「行きましょう、一緒に」
 カメックスは傷口がおびただしい左目の波導でサーナイトを視認する。傍に感じられる波導の持ち主はそっと頷いた。二匹にサイコキネシスをかけ、少しずつ浮上する。
 “ヒイラギカラマネロ”が顎をくいと上げると、カラマネロに変身中のメタモンがゆらり、行き場を失ったように漂う。メタモンとはオツキミ山が初対面で、詳しい加入の経緯を知らない。しかし、サーナイトに化けていたときのメタモンは、ヒイラギを唯一の拠り所とする忠実さで、煮え滾る義憤に満ちていた。今は糸でぶら提げられた人形のようだ。
 揺るぎない決意をたたえた瞳にメタモンを映す。
「ごめんね、巻き込んで。だけど、今はそこをどいてもらう」
 恐れを強さで抑え込んだイトハにとって、行く手を阻む敵には値しなかった。
 カメックスが数発ハイドロポンプを放つ。踊るような触手で翻弄したかに見えたが、甲羅の突撃を受け止めるので精一杯だ。すると、触手に筋が浮かび、脳から流れる刺激と命令によって肥大化していく。嘴を邪悪に尖らせた。
 カメックスはこれしきで負けはしない。安心感がスタイラーを自由に捌かせる。ハガネールが大口を開き、メタモンの神経を直接破壊するノイズを送り込む。脳をフルに稼働させる分、念力の使い手は神経が弱いことを見越した上での攻撃だ。たまらずメタモンが触手を離し、カメックスとの間を切り裂くようにキャプチャ・ラインが割り込む。
 ラインに囲まれたメタモンは、カラマネロの姿を保てなくなり、進化が失敗したような不完全の異形となって暴れ出す。
 カメックスは月を見上げた。本物のカラマネロがキャプチャを打ち破る念を送り込む。
 このままキャプチャの影響下にメタモンを置くのは危険だ。イトハはやむなくスタイラーのリリース機能を発動した。release(リリース)とは、キャプチャしたポケモンを最終的に逃がすレンジャー界・鉄の掟だ。メタモンを案じ、カラマネロから追撃を避けるための手として使った。
 酷使され衰弱したメタモンはもぬけの殻となって、もはや遠くなり始めた広場へと落ちて行く。あとはサーナイトがキャッチしてくれるだろう。
 人間もポケモンも道具のように扱うカラマネロを、許すわけにはいかない。レンジャーの使命感が悪意に染まったポケモンに然るべき罰を与えようと駆り立てた。
 螺旋を渦巻き浮上するハガネールが稜線を越えた先、磔のように手足をぶら提げたヒイラギに近付く。月明かりがふたりの輪郭を影として捉え、交わった。
 
 ヒイラギは意識の深層を悟られながらも、辛うじて最後の砦は守り通していた。とはいえ、所有者が取って代わられるのは時間の問題だ。後はどれだけ抗えるかという精神の勝負だった。扉を鍵なしでこじ開けようとするカラマネロをヒイラギは必死で拒む。
「ヒイラギ、今助ける」
 ハガネールの額によじ登り、ディスクをシュートする。ヒイラギカラマネロの名を二つに分かつための軌跡が走る。狙いを定めた標的の体は、既に深くまでカラマネロが入り込んでいた。腕の付け根から皮膚に張り付くように触手が波打ち、顔がふたつある様子は、ヒトとポケモンの合体実験に失敗したかの惨状だ。
 敵はヒイラギの体を弄び、触手を剣先に見立てて研ぎ澄ます。念を通すことで完璧に仕上げたサイコカッターで切り刻もうと、直々に襲い掛かった。
「カメックス!」
 イトハの前に立ちはだかり、強烈な噴射をお見舞いする。
 カラマネロだけを狙撃したつもりのはずが、ヒイラギも跳ね起きるように身をよじらせる。体を共有している分、ダメージがシンクロしている。イトハは反射的に叫んだ。
「攻撃しちゃだめ!」
 カラマネロはカメックスが一瞬怯んだ隙を見逃さず、右腕を右の触手で縛り付け、対角線上に身動きの取れない接近戦を強いる。頭部を傾け、触手から沸々と湧き出る毒素を放出しようと構えた。まともに浴びれば、甲羅の隙間から全身に行き届いて、汚染される。攻撃をやめさせるには、攻撃しかない。
 たまらずキャノンが唸りをあげた。カラマネロの頭部はそのまま吹き飛びかねないほど仰け反り、ヒイラギも脳ごと揺さぶられたように髪を振り乱す。
 おかしい。触手で拘束し毒素を吹きかけるなんて挑発をすれば、カメックスは拒否するに決まっている。攻撃を誘っているかのようだ。
 カラマネロは片方の触手を腹に突き刺し、カメックスを吹き飛ばす。かと思えば、触手で引っ張り上げ、再び刺突や斬撃を繰り返す。カメックスはやがて抵抗しなくなった。戦いどころか一方的な拷問を思わせる異様な光景だ。
 もしや、カメックスの手でヒイラギを始末させようとしているのではないか。
 今やヒイラギは吹けば消えてしまうほどに弱っている。偽りのない、最も死に瀕した状態だ。カメックスが攻撃を加減したとしても、分離前まで持ち堪えられる可能性は低い。
 カラマネロの触手が甲羅の首に回り、カメックスを締め上げる。
 カメックスを助けるために攻撃すれば、触手にもダメージが入り、ヒイラギをますます昏倒に追いやることとなる。しかし、選択を迷う暇はない。
 どうすればいい。
 こうして迷っている間にも、カメックスの顔に血管が浮き出て、生気を失いかけている。
 イトハが敵の策略に打ちのめされそうになるとき、確かな声がカメックスを打つ。
「撃て」
 カメックスは目線だけを動かし、ヒイラギから発せられたものだと気付く。青ざめ、だらりと身を投げた状態でも、言葉だけははっきりしていた。あるいは、最後の足掻きが確かな声として響いたのかもしれない。
 カラマネロは一層腕力を強め、カメックスを見せしめに締め付ける。ちょっとやそっとの射撃では離してくれないだろう。このままではどちらにせよ共倒れだ。それでもカメックスは砲口を向けようとしない。
「おれごと撃て」
 撃てば、波導使いの本気を見せ付ければ、カラマネロを撃退出来る。
「けりをつけろ」
 なお、主人の声は止まない。夜と同じ空しさを孕んで。
 イトハには、生きることを諦めたような含みが感じられてならなかった。次の言葉で疑念は確信に変わる。
「おまえの手で、おれを撃て」
 ヒイラギは死ぬつもりだ。命と引き換えに、カラマネロを倒す。彼の答えだ。
 カラマネロを戦闘不能にすれば、ヒイラギは間違いなく命を落とす。空まで飛んで助けに来てくれる者などいない。だから、自己犠牲を選んだのか。
 殺さなければ、殺される。究極の二択がカメックスに突きつけられる。
 イトハには分からなかった。どれだけ無様に頭を下げてでも、生きるために這いつくばるだろう。いくら敵を倒すためとはいえ、命を投げ出せる感性が信じられなかった。
「おまえから眼を奪ったんだぞ……おれからも何か奪え」
 どうしてそんな諦めた声を出せる。
「恨まないよ」
「早く」
 カメックスが大気ごと震わせるような唸りをあげ、キャノンをカラマネロに定めた。ヒイラギだけに見える顔で、泣きそうなほど牙を噛み締めていた。普段の硬派な仮面は無残に崩壊し、痛みをひとつ与える度、心が壊れていく。
 今まで聴いてきたポケモンの叫びで一番心を劈き、引き裂かれそうだ。
 彼らの因縁までは知る由もないが、イトハは見た。炎の中に佇むヒイラギとカメックスの一枚を。剥がしても剥がれないような記憶の欠片を覗いた。
 絶対に撃たせてはいけない気がした。撃った瞬間、彼らの培ったすべてにひびが入って、二度と修復出来ないほど灰塵に帰してしまう。
 止めなければ。たったそれだけの衝動に突き動かされ、後先考えず口に出していた。
「ハガネール、ステルスロック!」
 イトハの意図は伝わった。ハガネールは最小限の石柱をカラマネロの触手に出現させ、小爆発を起こす。緩んだ矛先から解放され、カメックスはヒイラギを捉えた。
「撃ち抜かせるもんか。絶対に撃たせない!」
 カメックスはイトハを振り返る。もう苦しむことはない。ポケモンを救うことこそがレンジャーの役目だから、躊躇わない。
 しかし、今はポケモンだけでなく、救わなければいけない人がいる。
「キャプチャ――オン!」
 イトハは力の限り振りかぶって、ヒイラギに対する想いのすべてをぶつけに行く。
 夜空になかった赤の明滅が起こる。双眸を光らせたカラマネロが反撃に出るサインだ。
 キャプチャ・ラインはポケモンと人間の両者を縛り付ける。抵抗する思念が綯い交ぜに逆流し、肉体に宿る精神を抜き取られるような虚脱感が襲う。キャプチャと洗脳の相乗効果に、カラマネロの介入が混ざり合った結果、思わぬ世界が彼女を支配した。


 地に足をつけ降り立てば、そこは今までと変わらない光景。
 ただ、イトハとヒイラギ以外に気配はない。ポケモンたちはまとめて消失し、地平線もなく、風も温度も感じない。
 月夜にぽつりとふたりは取り残された。淡く白ずんだ輪郭と対照に、黒影がうっすらと伸びる。どこにもない居場所を求めるように。
 疑いから始まった関係も、思わぬ一幕で過去を悟り、見方が変わる。いつの間にかふたりは稀有な一蓮托生を強いられた。あくまでも無力な者同士、お互いを気に掛ける。
 最後の壁を取り払いたいと望む。
 ヒイラギが乗り越えて来たであろう人生に想いを馳せれば、一朝一夕で変わるものではないことぐらい見当がつく。アーロンに夢を見るも、悪意の潰えない世界という現実に打ちのめされ、任務をこなすだけの機械と化した。イトハよりも多くのものを喪って、犠牲すら厭わないほどの傷心を負う。ヒイラギは世界に絶望し、背を向けようとしていた。
 それは分かる。分かっても、納得いかない。
 気に食わないのは、チームメイトを頼らず、すべてを独りで片付けようとする傲慢さだ。
「なぜ邪魔をした。これはカメックスとの問題だ」
「死ぬところだった」
「それでも構わんさ」
 目を逸らし、吐き捨てるような言い方で壁を作る。
「もう生きるのには疲れた。おれを解放してくれ」
「カメックスに背負わせる気? 自分のおやを撃ち殺したら、カメックスは一生それを背負うことになる!」
 自分のポケモンに殺して欲しいなど、正気の沙汰とは思えない。否、あるいは既に狂気の領域に入っていたのかもしれない。イトハと出会うずっと前から。
「おれたちの何を知っている」
 カメックスならば、ヒイラギの自殺願望を理解出来ると言わんばかりの高圧的な態度だ。仕方なく、イトハはキャプチャで共有した記憶を淡々と語り出す。
「わたし……見たのよ。炎の中で、あんたとカメックスの姿を。カメックスはわたしが落ち込んでるときにキャプチャをけしかけて、奮い立たせてくれた」
「面倒見の良い奴だ」
 お節介焼きに疲れ、溜息にも呆れが混じる。月を眺めながらの適当な反応ではあるが、カメックスをキャプチャしたことに憤るヒイラギはもういない。
「それで、おまえは復活出来たのか」
「悔しいけど、あんたのおかげでもある」
「おれの?」
 イトハは頷く。ヒイラギの叱咤がなければ、勇姿を焼きつけていなければ、面と向かって対峙する段階まで漕ぎ付けなかっただろう。イトハがスナッチャーとして覚醒を遂げたのは、ヒイラギの影響によるところが大きい。
「目の前にどんな敵が現れても向かっていく勇気を、尊敬してた」
「勇者にもなれないのに勇気か。笑わせる」
 彼女なりに心を込めた称賛も、皮肉にあしらわれる。気持ちに嘘はないのだが、どうしても向こうは劣等感を拭えないようだ。理想と乖離した現実への嘆きは根が深い。
「おまえの中のおれと、本当のおれは違う。幻想を押し付けるな……!」
 こもりがちな語尾から、やはり差異を物語る嫉妬の火が見え隠れする。
 だが、ヒイラギとて分かっている。
 イトハの置かれた境遇は勇者とは似ても似つかない。彼女の過去を知っても、認めるにはどうしてもまだ鍵が足りない。ふたりの鍵と鍵穴は決定的に食い違っていた。
 自分より優れた人間に褒められても、余計に劣っていると自覚し、器の小ささを思い知るだけだ。イトハの譲り受けた勇気は、虚勢を張っただけの作り物に過ぎないのに、そんな自分を尊敬するなど、馬鹿も休み休み言え。
「不本意だけど……わたしには、もうあんたしか頼る人がいない」
「だから、自分だけ逃げるなんて許さない」
 ヒイラギ風に翻訳すれば、わたしがあんたを利用するのだから、死なれては困る。
 確かにヒイラギの逃げ道は屁理屈だ。責任あるチームに配属された以上、任務の途中棄権は有り得ない。それでも使命を果たさずして犠牲を買って出る。死を美化するために。
 正論を振りかざされてもなお、苛立った。よくも、いけしゃあしゃあと。
「おまえも勝手だな」
「確かに」
 凄んだつもりだが、返って来たのは乾いた笑みだ。
 背後に谷底を控えたような影を見て、切羽詰まったものを悟る。突き放せば奈落に堕ちてしまいそうだ。そうか、こいつも後には退けないんだな。
「ポケモンの気持ちが分かっても、人間の気持ちはよく分かんない。不条理だもの」
「人間はつくづく矛盾した生き物だ」
 ふたりのやり取りには、人間存在と付き合う内に悟った疲れが見て取れる。
「あんたもね」
「本当は死ぬ度胸もないんでしょ? だからここまで生きて来た」
 彼女の言う通りだ。
 ヒイラギの人生は喪失で成り立つ。幼少期に師匠を亡くし、ロータの里を襲撃され、数え切れないほど夥しい血が流れた。そして、カロスでは――。
 炎に立ち尽くす、自分とカメックスが脳裏に蘇る。
 どうして、自分の傍にいる人々はみな散華してしまうのか。戦場とは、こうも好きに生きられないものなのか。
 戦いを忘れさせてくれるものは、戦いだけだった。戦えば何も考えずに済む。敵という烙印を捺された者たちを倒す行為は罪に問われない。自分は世界の為に正義で在り続ける。何も整理出来ず飲み込めないままに波導を繰り、気付けば屍を踏み越えていた。
「違う! おれは戦場に死に場所を求めてきた」
「誰かがおれを殺してくれると望んで戦い続けてきた」
 下手に勇気を持てば、臆病で生に疲れ果てた自分という像が水泡に帰す。
 嘘じゃない。この世界で生きることは苦しみ以外を意味しない。
 盛大でなくてもいい、些細で矮小な最期を求めていた。自分から死に向かって踏み出せないのなら、戦場で記憶の片隅にも留まらない未知の敵に殺されてしまえばいい。
 しかし、ヒイラギより強い戦士に邂逅することはなかった。高められた力を振るえば、敵は雪崩のように倒れて行く。彼を殺せるのは、もはや彼のポケモン以外に存在しない。
 本当に死にたいのなら、人目のつかないところで独り寂しく命を断ち切れば良かった。
 中途半端で無様に生き恥を晒してもなお立ち上がるのは、まだ守ろうとする矜持が僅かでもヒイラギの中に残っているからだ。
 認めてしまえば世界を肯定することになる。考えることをやめて楽になりたい。
 イトハにはヒイラギの激しい矛盾を見透かされている。誤魔化しだらけの人間が纏った偽りのベールを剥ぎ取って、丸裸にしてやると言わんばかりに。
「誰かをあてにするぐらいなら、最初から死のうなんて考えるなっ!」
「残された方はどうすればいいの!?」
「おれは残された側だ。全員消えて行った。おれだけが残った」
 自分が手を伸ばせば守り切れるほど、世界は優しく待ってくれるわけではない。時に残酷さを見せ付ける女神に期待するだけ時間の無駄だ。この世界は醜く、報われない。もう生まれてから死ぬまで、独りで構わない。
 そのはずなのに。
 ヒイラギは悔やんだ。
 オツキミ山でイトハを容疑にかけたとき、一瞬でも彼女を信じかけた己を嘲った。裏返せば、後悔に足るだけの存在ということだ。何も感じないなら後悔などありはしない。
 目の前にいる女が、眩しくて仕方ない。
「独りで苦しいなら、ふたりになればいい」
「ふたりでならきっと戦える」
 本来なら、あらゆる心の障壁を取り除いてしまうほど、ずっと欲しかった言葉だ。
 惑わされない。誘いをかけてきた者の末路は、体にまで痛みとして刻み込んできた。
「おれは消えない人が欲しいんだ」
「ふたりでなら戦えると言ったが、おまえはおれの前から消えずにいられるのか?」
 試すように不敵な態度を崩さず、わざとヒイラギは意地の悪い要求を押し付けた。案の定、イトハからは沈黙しか返って来ない。
「ほらな。答えられない……いや、答えられなくて当然だ」
 求めてはならない。欲しがってはならないんだ。
 決して、もう二度と。
 そう思ったところに、予想外な言葉が降り注いでくる。
「……あんたが」
「あんたが守ってくれれば、消えないよ」
 信じられないほど不遜で、思い上がった発言だった。不思議なことに、ヒイラギの心へと染み渡る。いつでもそうだ、知ったような口を叩き、愛想を振りまいて、自分を誘惑する。あるいは、と期待させるのだ。
「今までだって、守ってくれたじゃない」
「リニアでも、ハナダでも、オツキミ山でも」
 ヒイラギはいざという時、必ずイトハを助けてきた。
 恐らく、人やポケモンを喪うことの辛さを誰よりも知っているからだ。
 イトハの中では、帰る場所を失い、信じていた組織からの仕打ちを受け、なりふり構わない覚悟が大半を占めている。個人の事情を棚に上げても、ヒイラギのことは放っておけなかった。見せかけだけの浅ましい同情ではなく、ヒイラギを必要とする感情に嘘はつけない。せっかく歩み寄り出したのに、このまま終わるなら、そんなのは悲しすぎる。
 失ったものがどれだけ深くても、ふたりでなら少しずつ埋められる。
 レンジャーユニオンに捨てられ、家族にも繋ぎ止められず、本当に自分を必要としてくれる人はいないのではないかという憎しみを、理性で封じ込んでいた。
 自分を必要としてほしい。
 もっと頼って欲しい。
 単なる依存かもしれない、そうだとしても分かり合える方が良いに決まっている。何もかも失くしてしまったのは、自分も同じだから。
「……おれもおまえに何度か救われたな」
 本当はもう分かっているのだろう。自分を支える存在には、イトハこそふさわしいと。
 過去の枷が邪魔をする。要らない嫉妬が視野を狭める。
 分かっているはずなのに。出会った時からこの人だと感じるものがあったから、難癖をつけて誤魔化して、拒絶までして遠ざけようと、ひたすら足掻いていたのだ。自分が愛着を持ってしまったときに悲しみを被らないための防衛手段として。
 突き放しても、いつの間にか距離が縮まっていく。こんな関係は初めてだった。
「それでいいじゃん」
 イトハの言葉、口調、声色が、ヒイラギの鎖をそっと外していく。
「足引っ張り合って、貸し借りなしで……」
「多分あんたとわたしは、苦しみながら生きてる」
「だから、半分にしよう」
 見たこともない一輪の笑顔が咲き誇る。

 拒み切れなかった。
 間に育まれる絆を否定し切れなかった。無理もない、カメックスと繋がる証を後生大事に持ち歩いている時点で、おかしな話だったのだ。
 絡まった糸を少しずつほぐしていくように、誰にも語れなかった想いを打ち明ける。
「なぜだ……」
「なんでそんなに優しいんだ?」
 本人からすれば、思ってもみなかった反応が返って来たのだろう。イトハは驚き、石のように固まる。ヒイラギの目元は潤んでいた。
「人の心に土足で踏み込んできやがって」
 独りでかっこつけたって何も出来ない――あの出来事がきっかけで、言葉の裏にある正体を探るためにも、彼女を見極めようとしたのだ。
「人に期待するのはやめたはずだったのに」
 どうせ消えてしまうなら、入れ込む必要もないと思った。
「そんな風に笑えるんだ」
 もはや支離滅裂な文脈そのものが、飾らない情緒となって滲み出る。
 イトハだって追い詰められているはずなのに、ヒイラギと浮かべる表情は正反対だ。
「辛いんだよ」
「出会った時からずっと」
「もう信じないと決めていたのに」
 まっすぐ向けて来る好意に、手を取っても許されると勘違いしてしまうじゃないか。
「戦って戦って戦い抜いて、そうすれば全部忘れられると思ってた」
「全部だぞ、全部!? 何もかもだ!」
「おれはそのひとつでさえ忘れられなかった!」
 イトハを想えば想うほど、感情が溢れ出て、抑えようもない。
 そう、自分は。
「感情を殺せなかった!」
 戦うだけの機械には徹し切れなかった。温もりを求める甘い人間を脱し切れなかった。
 どれだけ求めても見つからなかったのに、もう諦めかけた時に現れた。
 凍り付いた心の中で燻っていたはずの残り火が、再び燃え上がる。
「おまえの優しさがおれを狂わせるんだ!!」
 火を点けた張本人に向かって、絶叫した。
「……本当に感情を殺せる人間は、そんな顔しない」
 激しく呼吸するヒイラギを神妙に見つめた。
「逃げるのやめなよ。死ぬことも出来ない、感情も殺せない、過去を忘れられない……あんたはいたって、普通の人間でしかない」
「ならおまえはなんだ。おまえは勇者か?」
 泥沼でもがき彷徨う自分を陸へと引っ張り上げるイトハの優しさには、秘めた才能があるに違いない。イトハは後ろで指を組み、自嘲的に笑ったかと思えば俯く。
「わたしも、普通の人間だよ」
「ただ、たまたま便利な機械を与えられて、力に甘んじてるだけ」
「上に逆らうことも出来ず、不満を抱えて生きるだけの、ごくふつうのちっぽけな人間」
 勇者とは、いついかなる時も勇気を持ち、恐れを抱かず、何にも屈しない強さを持った者でなければならない。ふたりは勇者像に合致せず、正反対を行く人種だ。
「……分かっていたよ。分かっていて、認めたくなかったんだ」
「おまえを特別視して遠ざけることは簡単だった」
「カメックスはおれより早く、おまえという人間を見抜いていたんだな」
 今思えば、カメックスはイトハにヒイラギを託したのだろう。
 キャプチャとは思考を通わせる作業だ。ヒイラギを救ってほしいという一心でイトハを鼓舞した。元より、命令に従う気はなかったのだ。カメックスは最期までヒイラギを看取る、あるいは看取られる、その覚悟をもって過酷な戦火に身を投じてきたのだから。
 まったく、ポケモンは良く見ている。侮れない観察眼だ。
「おれを生かすためにそこまでするとは……」
「ポケモンって、頭が良いからね」
 自分を見定めたカメックスの着眼点を褒めているのか、つくづく自信家な女だと呆れるも、不快感は全くなかった。透き通るような解放感が満ち満ちて、数年ぶりの穏やかな心を取り戻す。すると、自然と声が震え始めた。
「なんでかな……」
「もう誰も近付ける気はなかったのに」
「本当は慰めてほしかった」
「苦しみを分かってくれる人がほしかった」
「でもおれの前からいなくなってしまったらと思うと、それがどうしようもなく怖かった」
 すべて無になってしまうなら、自分も消えてしまいたい。
 でも、引き止めてくれる人がいるならば、まだ頑張れる。生き抜こうと思える。
「わたしも怖いよ。誰かが自分の前からいなくなるのは、すごく怖い」
「だから」
「ふたりでいれば、怖くないと思う」
 独りで肩肘を張る必要はない。結局、ふたりとも寂しがり屋だから。
 この世界はふたりで立ち向かえないほど、残酷には創られていないはずだ。
「もし……」
「もし」
「ヒイラギが望むなら」
「それが、わたしで良いなら……」
「パートナーになろうよ」
 イトハからの申し出は、心を開いたヒイラギにとって最高の響きで胸を打つ。
 同時に今までの無礼や対立が、悪夢の如く蘇り、最後の最後で踏みとどまらせる。
「パートナー……」
「おれは……散々おまえを疑い続けたんだぞ。それなのに、手を差し伸べるのか」
 ヒイラギが最も気に病むのは、イトハを内通者として疑い続けたことだ。自分は危うく彼女を冤罪にするところだった。
「事情はなんとなく察した。今は、どうしたいかを聴きたい」
 どれだけお膳立てされても、人を信じようとすることはまだ怖い。今度はありもしない妄想を語り始める。
「おれが、おまえを騙していたとしたら?」
「今までの話も、全部嘘で――」
「そうなの?」
 見え透いた嘘をつくことが恥ずかしくなるぐらい、心配そうにゆっくり問いかけられた。
「本当に、演技なの?」
 人を簡単に陥れる芸当が出来る程、ヒイラギは器用ではない。
「……違う」
「あれはおれの本当の気持ちだ」
「おまえに聴いてほしかったんだ」
 頬が緩み、少し顔が綻んだ。イトハの反応を見て、正直に告げて良かったと思う。
「聴くよ、いくらでも」
「少しぐらい、誰かを信じてみたら?」
「それだけでおれを受け入れられるのか」
「根拠はない」
「でも、あんたには敵であってほしくないと思ってるのかも」
 あっけらかんと、明るく言い放つものだ。
「わたしたちまだまだ色々ありそうだし……」
「これからどうなるか、ぜんっぜん想像出来ない」
 遥か未来を案じつつも、彼女は乗り越えて行けると信じている。
 後先考えない厄介な言動だが、おかげでヒイラギは遠慮なく素直に気持ちを伝えられる。
「奇遇だな」
「おれもおまえのことはまだ理解出来ない」
 完璧にお互いを知ったわけではない。そんな日はいつまで経っても来ないかもしれない。
 しかし、通じ合う心さえあれば、理解という次元を壊し、超えることは出来る。
「だが……」
「おれが見て来た人間の中で、おまえの波導は一番綺麗だった」
 今なら確信を込めて告白出来る。波導使いからすれば最高の褒め言葉だった。
 イトハは今まで通り太陽のような笑顔で受け取るのではなく、何を言われたのか一瞬意味が分からなかったようだ。気付き、動揺して、思わず目を見開き、無言で頬を染める。
「イトハ」
 初めて名前で呼んでくれた。もう”レンジャー”じゃないんだ。
「おれのパートナーになってくれ」
「慰め、支えてくれ」
「この戦いをふたりで潜り抜けるために」
 ヒイラギはグローブを外し、右手を差し出す。
「やっと、聴きたかった言葉が聴けた」
「一緒に戦おう」
「どんなときでも、わたしが付いてる」
 イトハもグローブを外し、手を握り締める。
 この一瞬が、彼らの十年を変えた。

はやめ ( 2016/08/23(火) 17:38 )