Phase 17 恐れを胸に、突き進め
ピッピたちは生き血を求める屍のように徘徊していた。
楽しげな踊りとは似ても似つかない。体の底から込み上げてくる悪寒が、否応なくイトハのメンタルに傷をつける。
ポケモンが生気を失った虚ろな目で人間の方を向くのは初めて見た。
ヒイラギは群れの中に眠っていたポケットモンスター元来の野性が無理矢理引き出されたことを感じる。己の動きと自覚していればあんな挙措は出ない。
ピッピたちは標的を捉えたのか停止し、こちらに向かって来る。
「さあ来るぞ。構えろ」
スタイラーのストリングをすがるように握り締めるイトハに告げた。
ヒイラギはモンスターボールを下手投げし、カメックスを繰り出す。
「気絶させるだけでいい」
カメックスは機械音と共に肩部を開き、キャノンを伸長させ、体内にて圧縮を始めた。
恐らく、敵の本命はピッピの洗脳ではない。
オツキミ山に来てからヒイラギが浴びた念力は、エスパーポケモンならではの能力だ。今、ピッピたちは戦闘性に自我を乗っ取られた状態と考えられる。
カメックスが作業を完了した。アイコンタクトで先攻の許可を請う。
イトハの肩は、止まない震えで小刻みに揺れる。
「迷うな」
ヒイラギは陰惨な前方を見据えながら言う。
「恐怖を乗り越えるには、恐怖に身を置き続けるしかない」
その内感覚は「慣れ」という麻痺に侵蝕される。
正確な戦闘信号を送るだけの機械に専心しなければ、ポケモンを倒すことは出来ない。同じ世界の生き物を傷つけるには、それだけの覚悟が要る。
「先攻しろ、カメックス」
カメックスは甲羅に身を包み、回転を始めた。草花がむしり取られていく。まもなく広場は戦場と化すのだ。祭の余韻は途絶えた。
切り込み隊長が本当の回転を見せながら、風を纏い、的確にピッピたちを射抜いていく。
鍛え抜かれた射撃精度に狂いはなく、技巧面での最高評価に値する。今までなら実力部分のみを切り取って称賛しただろう。波導使いを戦闘マシーンと揶揄した心の叫びを聴いた今では、見えてくるものもおのずと変わってくる。
雑念を捨て、目の前にある障壁を取り除くために最善を尽くすことしか頭にない。その先に待つ結果が例え報われない虚無だったとしても、ヒイラギの中で戦いのリズムが呼吸に換わる。過酷な真実を突きつけられようと、いかなる悪意が襲いかかろうと、決して臆すことなく立ち上がり叫ぶ。着いて来いと道を切り拓くような、勇ましさで。
勇気があれば、わたしも前を向いて戦えるだろうか。
そんな勇気が、わたしも欲しい。
「キャプチャ――オン!」
群集を閃光が走り抜けて行く。陽動と見せかけ、麻酔が効いた頃一網打尽にする気だ。
例えポケモンが牙を剥いて、どんな敵意をぶつけてきたとしても。真っ向から迎え撃ち、そして破る。トップレンジャーの強さは想いの強さだ。何者にも負けない心の強さを。
イトハは声を枯らし、叫んだ。余裕を捨てて、全力で挑む。
嵐が通り抜け、再び嵐が訪れる。これまでに見たこともない気迫を纏って、光の軌跡と呼ばしめるだけの威力を証明しようと現れた。
今までの技だけじゃ勝てない。より機敏かつ滑らかに。無駄は省かず、ポケモンの想いを受け入れるだけの器は忘れず。
「穏やかな波導だ」
ヒイラギは目を瞑り、感じ入るように浸る。
咲き乱れた庭が荒れ果てる頃には、すべて終わっていた。
ピッピたちはへたり込んだ。停止したディスクを拾いに、群れの下まで歩いていく。散らされたきのみと花々が痛々しい。にもかかわらず、池は静謐をたたえたままだ。
今更、戦いを悟る。
戦いとは、場所を変えてしまう。形ある景色を自らの手で壊すことだ。
「広場、荒らしてごめん」
イトハはせめてもの謝罪を口にし、ディスクをグローブの内に収め、踵を返そうとした。何かが引っかかって、前に進めないことに気付く。
振り返ると、一匹のピッピが裾をつまんでいた。
何と言って良いか分からず、そもそも住処を壊した自分たちに口を利く権利があるとは思えない。ヒイラギとイトハはピッピを助けるために戻っただけで、用が済めばさっさと姿を眩ますつもりだった。それが光届かぬ場所で戦うスナッチャーの宿命なのだ。
「離して」
苦し紛れな笑みしか零せず、イトハはそっと別れを告げる。
ピッピは首を横に振る。
「これが本当のわたしたちなの。守るために壊すことしか出来ない。あなたたちだって、わたしたちが来なければこんなことにはならなかったかもしれない」
少し目線を下げ俯いて難しそうに考えると、首を傾げる。すべて承知の上なのか、本当に疑問なのか。どっちか分からず、どっちでも良くて、イトハは思わず笑ってしまう。
「じゃあ、行くね。元気で暮らしなよ」
軽く手を振り今度こそ発とうとするも、じっと掴んだまま離さない。
助けを求めて前を向くと、ヒイラギが近付いてきた。
「ピッピを見ろ」
むくりと起き上がる者たちも含めて、群れ全体を捉える。
中にはふたりを見て驚きこそしたものの、前のように拒絶の意思や不快感を露わにするピッピはいなかった。
大切なものを守るためには、何かを失わなければいけないときもある。住処が荒れても、ピッピたちは生きている。結果と確かな事実が、人間を信用しようという気にさせたのだ。
「おまえに感謝してるんだ」
「わたしに……?」
「そうだよ。胸を張れ、レンジャー」
ヒイラギの言葉としては努めて優しい響きだ。イトハはピッピたちに満面の笑みを振り撒いたかと思えば、ヒイラギに対しては不満そうに口を尖らせる。
「……その”レンジャー”ってのやめてくれない? 余所余所しい」
「なぜ」
「なぜって、普通そんなこと聞く?」
ピッピたちからくすくす笑いが零れる。ふたりの凸凹具合を面白がっているのだ。彼らが喜んでくれるなら、まあ一芸の甲斐もあっただろう。
ヒイラギは疑問を放ったまま、しばらく硬直していた。よほど変なことを聞いてしまったのかと思って覗き込む。暗がりで血行が判別しにくくても、青ざめていると感じられた。
全く同じ変調を、以前感じたことがある。
――来た。
自分が二つに引き裂かれ、心臓もろとも破裂しそうなほど肥大するかと錯覚したのち、強烈な金縛りがかかる。胸を服ごと鷲掴みにしながら、手を伸ばす。
「どう――た――!?」
イトハの声が掠れていく。立ち上がるピッピたちが靄に覆われていく。
またこの苦しみを味わうことになるのか。敵はつくづく用意周到で、かつ執念深い。いっそ、ひと思いに殺してくれれば楽なものを。
何かの間違いでここまで生き延びてしまった。死のうとすれば生き残る苦しみを味わい続けながら戦う矛盾はもうたくさんだ。意識を失くす寸前に浮かんだ表情は、次の目覚めを疎ましそうにしていた。
ピッピたちは、イトハとカメックスを秘密の場所に案内してくれた。得体の知れない脅威から逃げ延びるための怯えを含んでか、歩幅が一定ではない。
常に広場で食と住を済ませている訳ではなく、月光が弱い日には洞窟から出ないのだ。満月の夜には広場で儀式を執り行い、元気を貰い受けてまた帰っていく。ピッピたちの生活はこうしたルーティンをなぞる。
藁の布団にヒイラギを寝かせ、容態を看る。微熱が少し、呼吸も若干乱れてやや不規則だ。ピッピたちは葉っぱで団扇をつくり、扇いでやる。
これでヒイラギが倒れたのは三度目になる。一度目はイトハ対峙時の襲撃、二度目はハガネールからイトハを庇ったとき、そして今回だ。
何度倒れたところで、立ち上がる頃にはけろりと指示を下すのだろう。抱える感情を押し殺して、当然という風に。いくら戦士の端くれとはいえ、ヒイラギが任務に身を投じる執念は異常とも言える。敵を刺し違えてでも倒す、そのためには自分の身も一切省みない。傷つき血を垂れ流し這いつくばってこびりついてでも生きなければいけないと、自らを死の淵まで追い詰めるような無謀さがある。
ぐったりと寝込むヒイラギは、いつか壊れてしまうのではと恐ろしくなるほど弱々しく映る。常人に当てはめれば、念力を二度も食らって活動出来る方がおかしいのだ。
イトハは横座りしながら、言うことを聞かない子供をあやすような視線で見つめる。
「お互いに足引っ張りまくりだね」
だけれども、片方が欠けては生きて来られなかった。最初の任務から、この場に至るまで、ふたりは切っても切れない縁の下に出会ったのかもしれない。ヒイラギの「長い付き合いになる」という予感は的中したのだ。
ピッピ数匹が落ち着かない様子で、洞窟から広場を窺う。
予兆はヒイラギの顔に零れた砂から始まる。イトハはそっと指で拭い、見上げた。
「なんだろう」
いち早く動いたのはカメックスだ。ピッピたちを抱き込むように支え、顎を被せて自分を覆い代わりにする。藁の束が散らばり、病床のヒイラギが転がるほどの震度が一同を襲う。カメックスが庇い切れなかったピッピたちは必死でうずくまるしかなかった。イトハは膝で腕を抑えつけ、両手で肩を固定し、ヒイラギを抱える。
揺れが収まったかと思えば、入口付近のピッピたちは足が竦んで動けなくなった。
オツキミ山で何度か起きた揺れだ。余波を警戒しつつ、何が起こったのか、外を確認しに向かう。ピッピたちを安心させるために抱きしめながら覗き込むと、イトハは思わず非情なる現実から逃げ出したい思いに駆られた。
広場に現れたのは他でもないハガネールだ。尾を振るい、鞭で薙ぎ払われたように草地が剥げる。頂まで行き渡るような不協和音の山彦が轟く。
痛がるピッピの訴えで初めて、いつの間にか締め付ける腕力が強くなっていたことに気付く。すぐさま彼女は謝り手を離した。
ハガネール再出現に思い当たる節はひとつしかない。頭が白い火を噴き、突きつけられた現実の一点で時が止まる。確認のために紡がれた独り言は自分の声と思えなかった。
「わたしたちを探してるんだ」
ピッピたちを山内に避難させ、ヒイラギたちと一緒に逃げなくては。無事に助かる方法は下山しかない。ハガネールは獲物を噛み千切りそうな勢いで暴れている。
イトハは半ば泣きそうになりながら、ヒイラギの容態を確認する。意識も戻らない中、今度ばかりは助けを求められない。ヒイラギとカメックスのコンビでも敵わなかったほどのポケモンを相手にしたら、命がいくつあっても足りないのではないか。
こんなことなら、ピッピたちを振り解いてでも去るべきだった。ヒイラギ共々犯した過ちの大きさに取り返しのつかない後悔が押し寄せる。やはり、スナッチャーは光など浴びず、陰に潜みながら戦い続けるのがお似合いなのだ。必要悪らしく日陰者として。
ピッピたちを離し、すくりと立ち上がる。唇も髪も渇き切っている。
「でも、やるしかない」
自分が立ち向かわなければ、犠牲になるのはポケモンだ。もしポケモンを盾に逃げ出すような真似をすれば、二度とレンジャーの勲章をつける資格はない。
どうしようもなく一歩を躊躇う。迂闊に出て行けば肉塊にされそうだ。
それでも、それでも、だ。ヒイラギなら窮地でハガネールを御し、ピッピたちを助ける方法を同時に見つけ出すだろう。彼の辞書に躊躇という二文字などないのだから。矢のように吹き抜けて風を起こす、波導使いヒイラギはそんな男だ。
ピッピたちはイトハの決意をよそに、何やら頷き合う。出口とは反対に奥へと引っ張って行く。
「ちょ、ちょっと!」
揺れにもめげず、岩の隙間に生えている植物を抜き取り、持ち運んでくる。
一体何をする気なのか疑問に思うのも束の間、イトハはすぐさま脳内植物辞典のページをめくる。これは瀕死のポケモンにも効果覿面の復活草だ。よくよく見渡せば、土も水も豊富で生育の条件に適している。復活草があれば、戦闘不能になったサーナイトとボーマンダも戦線に復帰出来る。
後押しをしてくれているのだ。
一瞬、感極まりそうになる。ピッピたちにとって、自分たちは災いをもたらす迷惑者でしかないと思っていた。でも、イトハたちが体を張って守ったからこそ、ここまで心を開いてくれたのだろう。温情をありがたく受け取った。
モンスターボールからサーナイトを出し、葉を細かく刻み、水に混ぜて飲ませる。すると、即効性がサーナイトの疲労を癒していく。
三枚もの葉っぱが広がった薬をカメックスに渡し、告げる。
「ヒイラギが目を覚ましたら、これをボーマンダに」
カメックスは頷き、意味深に見つめた。言わんとすることは大体分かる。
「うん、ハガネールをキャプチャする。あなたはここでピッピと、ヒイラギを見ていて」
ポケモンのためならば身を投げ出そうとしているのは、イトハも変わらない。
結局、似たもの同士かもしれない。ポケモンを守る、たったひとつのシンプルな事柄に対して、こんなにもまっすぐなのだから。
イトハはヒイラギを見やり、自嘲気味に微笑む。
「わたしはあんたみたく強くない。だから、あんたの勇気だけ、わたしに貸して」
本人に声が届いたかどうかは知る由もない。だが、それで良かった。
片手をぎゅっと握り、甲の硬さを自分のもののように感じて、レンジャーは戦場へと赴いて行った。
「ハガネール! わたしたちならここにいる」
生暖かく湿った風は、かえって不気味に頬を撫で、髪をさらう。
真正面から大声で名乗りをあげた命知らずに、ハガネールは反応と興味を示した。同時に気合も顔つきも、以前とはまるで別人だと知る。喜色満面に白い歯を覗かせ、鉄尾を振り降ろして来た。
「まもる!」
指示よりも僅かな差で速く、対応速度の上昇を見せ付ける。アイアンテールは続けて放つ際、もう一度尻尾を持ち上げる予備動作が必要になる。以前はサーナイト単体で隙を見出せず嬲られるだけだったが、イトハが培ったノータイムの判断力が光る。
「今よ。ハガネールに接近!」
まもるに注いでいた念力を転換し、イトハの遍く血流に呼びかけ、風に包まるような身のこなしで瞬間移動する。手を繋いだまま、ハガネールの目と鼻の先を出現地点に選んだ。
「サイコキネシス!」
手を伸ばしてはっきりと命じ、ハガネールの硬直に入る。うねる体を抑えつけ、重力で縛りをかける。サーナイトが手首を捻ると、ハガネールは意のままに動いた。キャプチャしやすいように、地面にひれ伏させようと負荷をかける。
ここまでは前回通り、そろそろ反撃が来る。開かれた大口に備え、サーナイトはイトハを宙に浮遊させた。不協和音も、高度を上げれば上げるほど、届かずに遮断される。
洞窟という閉鎖空間ではなく、戦場を広場に移したことで、イトハとサーナイトの影響範囲は各段に広まる。距離さえ取れれば、恐るるに足らず。
イトハは逆さまに宙を舞い、普通ならばシュートなど有り得ない体勢からディスクを射出した。駆動部分を避け、ハガネールの結合部をなぞるように軌跡を描く。俊敏に己を嗅ぎ回るディスクに気を取られ、凶暴性は鳴りを潜めていた。
圧倒的な防御力を誇る手前、正面から仕掛けてくるヒイラギのような相手には滅法強い。逆手に取れば、搦め手への対処に乏しく、トリッキーなエスパータイプとは相性が悪い。イトハはヒイラギと異なり、スタイラーとサーナイトでポケモンを翻弄することから、戦闘スタイルが対重量級ポケモンに適している。
体を這わせ、地中に逃げ込み、体勢を立て直そうと顎の力で土を掘り始める。不可視の鉄糸が宙吊りに手繰り寄せ、潜伏を許さない。イトハの裏でサーナイトが糸を引いている。
ゆるやかにイトハが着地して、動かぬ的となったハガネールにとどめを刺そうとした。
ディスクは地を滑り、ハガネールを覆う殻は、光沢の反射も手伝って、惑星の核が煌々と燃えているように見える。
肥大化していく膜に想いを馳せながら、キャプチャ完了を急ぐ。
懐柔を超えて屈服させようとする意思が彼女を奮い立たせていた。ハガネールは以前と様変わりしたイトハに圧倒され、怪物的な恐怖が薄れている。
ここに来て彼女の芯を支えるのは、ヒイラギの存在だ。
彼はよく口にする。波導は我に在り、と。ならば、ヒイラギの波導も今イトハと共に在るはずだ。仲間とも戦友とも言い表し難い関係、幾度となく激突しても、いざという時には手を組み、背中合わせでやってきた。
波導使いは最後の最後まで諦めなかった。どれだけ恐れを抱き、挫けそうになっても。だから、この想いはヒイラギとイトハ、両者の闘志だ。ハガネールに勝てなかった彼の分まで、勇気を振り絞る。
「あと、もう少し……」
しかし、ヒイラギを手こずらせ撤退まで追い込んだポケモンが、そう簡単にレンジャーの手中に収まってくれるはずがない。
ハガネールの内から骨を砕くような音が響く。体の部位を切断し、分離していくではないか。一個の結合体というよりも、個を構成するためのパーツが勝手に動き出した。キャプチャ進行具合を示す”メンタルゲージ”が溜まり切るところで、イトハはディスクを引き返す。サーナイトは一層念力を強めるも、予感した。突破される。
バラバラになったハガネールが飛び交い、キャプチャの殻は破壊された。
ハガネール、だったものは、ディスクにも劣らぬ高速回転を始め、大地と平行に円環を描く。体を繋ぎとめるのは、微弱に発せられる磁力のみだ。神経の代わりを担っているのだろう。イトハとサーナイトを取り囲み、圧迫しようと間隔を縮めていく。プレスがバリアの外装を少しずつ剥がし、破片がガラスのように零れ落ちては地に吸い込まれる。
「テレポートで退避っ!」
体は弾丸さながら飛び交い、意思を持ち、的確に狙い撃つ。嵐の中にはイトハたちを噛み砕こうとする頭部もあった。
拘束を中心に組み立てたことから、奥の手を出させてしまったか。
逃げ惑うことしか出来ない。ハガネールは既に原形を留めておらず、追尾機能に特化した必中弾だ。風が殴りつけ、念力を不安定にさせる。サーナイトのサイコパワーを分け与えてもらいながら、磁力の網を必死に泳ぎ回る。
どうすれば、どうすれば打開出来る。
自分が知恵を編み出して頑張ったとしても、所詮はこの程度のものでしかないのか……無力感が支配しかけたとき、サーナイトから一点突破の攻略法を見出そうとする思考が流れ込んできて、イトハに冷静さを取り戻させた。
改めて、掠めた鉄片に狙いを定め、ディスクで螺旋を描く。すると一時的ではあるが、ハガネールの動きが鈍った。
まだ勝機はある。個々のパーツを磁力で中継するあまり、総体の時に比べて弱体化している。恐らくハガネールの最終手段こそが分離だ。パーツひとつひとつはパーツ以上の役目を果たさないから、不利にもはたらく。空中戦を制するのには良い手だが、その分技を操る集中力を神経系の維持に回さなければならない。その証拠として、先程から無鉄砲な突撃での攪乱に終始しており、玉砕を狙っている。
それほどキャプチャされまいと向こうも必死なのだ。
ならば、神経ごと断ち切り、完全な無力化を図るまで。
夜空にくっきりと輪郭を刻む満月は、生々しいほど黄金色の存在感を放つ。
元々フェアリータイプのサーナイトなら、ピッピたちのように月を糧と換えられるはず。習熟させたわけではないから、使うのはこの場一回きりだ。
「サーナイト……月光を、集めて」
サーナイトはやってみるとばかり頷く。
ふたりを割くように叩き込まれる攻撃をいなしながらの会話なため、無駄口の余裕はない。敵方のお望み通り、距離を取ってやろうとそのまま降り注いだハガネールの末尾にしがみつく。この方がまとめて狙われる危険も少ないが、ひこうポケモンより遥かに荒々しく不規則な軌道に三半規管も白旗を上げたがっている。
中央のサーナイトが視界から消えては飛び込む。光を一身に蓄え始める姿は、宗教画に描かれてもおかしくない厳かさだ。
指示を伝えなければ。鉄片を足場にディスクがサーナイトへと向かっていく。スタイラーもディスクも、最終的にはイトハの思考を伝えるための媒介装置に過ぎない。
くるりと輪に囲まれたサーナイトは、脳内に伝播する声を聴いた。
――月光を、力に。イメージするの……あなたの、念で。
苦し紛れに送り込んだ指示は、サーナイトに次の行動を連想させた。内に溢れるエネルギーを念力で練り合わせて、鋼鉄を叩き切る武器を生成する。サーナイトの想いに応え、胸の角が神聖な光を帯び、激しく、細やかに、研ぎ澄まされていく。
まるで一筋の剣閃のように。
――ムーンフォース!
胸に抱いた月光を抜剣し、思うがままに振るう。丸みを帯びた線が残った。
一太刀は、たちまちハガネールの神経に異常をきたす。三筋ほど斬り込んだところで、池から何度も氾濫に近い飛沫が上がった。神経系統の信号が無効化され、パーツを制御出来なくなったのだ。思わぬ機転で水を浴びせられ溺れるハガネールに、抵抗力はもはや残存しない。
即席だが、優秀なパートナーは月の光をものにしてくれた。サーナイトから月の力……ムーンフォースが消え、手を繋ぎながら落下する。
再び連結を試みるハガネールに、サーナイトは手をかざす。そのままの姿勢でハガネールを固定し、意を決する気迫で水の中に沈みこませようと念力をかけた。
イトハは戦闘性を露わにするサーナイトを止めず、情けをかけない。パートナーの葛藤を無下には扱えない。悩み抜いた末、ポケモンを倒すことを選んだのだろう。
――これからもっと恐ろしい敵、恐ろしいポケモンが現れるかもしれない。そのとき、キャプチャ出来るか。
今ならヒイラギの問いに答えられる気がする。
トップレンジャーとしての力を誇示し、ポケモンを従わせる。
本当にポケモンレンジャーとして在るべき正しい姿かは分からない。だが、スナッチャーとして生き抜くためには慈悲を捨てることもまた、定めなのかもしれない。
メンタルゲージが上限に達し、キャプチャ・プロセスは完了した。さすがに凶暴性はだいぶ薄れたようで、鼻息荒くもとぐろを巻いておとなしくしている。
普通キャプチャの際にはポケモンをラインで囲む。イトハレベルになれば少々特殊でラインの形を三角形にして無駄を省いているが、大本は変わらない。故にハガネールほど巨大なポケモンを相手どる際は、余程長くラインを引かなければ途中で切れてしまう。トップレンジャーが手こずるわけだと痛感した。
しかし、苦戦した分、不屈の心は伝わっただろう。
なのに何故、鋭く月夜を睨むのか。黒いカーテンの裏に隠された景色には、まだ秘密があると言いたげだ。視線を辿る先には、自分を敗北に追いやった満月が今も浮かぶ。
満月に黒点がふたつ現れた。太陽でもあるまいし、錯覚を疑う。
いや、黒点ではない――影だ。
二匹で円を描き、宇宙生命体の飛来を報せる。
忘れもしない、因縁の敵。イトハは一字一句噛み締めるようになぞった。
「カラマネロ……」
ハガネールは自身を閉じ込めるカプセルを破り、迎え撃とうと熱り立つ。何が何だか分からない。ハガネールは敵で、スナッチャーの始末が目的ではなかったのか。まさか――。
襲来するポケモンを見つめていたのは、イトハたちだけではなかった。
病み上がりのヒイラギが立ち尽くし、カメックスと共に我が目を疑っている。ピッピたちも広場に集まって来ていた。
「あんた、まだ寝てなきゃ――」
「はどうだん!」
カメックスはヒイラギと同調するように、迷わず波導で狙撃する。
カラマネロに命中するかと思われた焦燥の一撃は、一方のカラマネロによって阻まれる。ヒイラギはおのずと知った波導を傍に感じ、絶句を禁じ得ない。
「メタモンだ」
「メタモンって、あんたの……」
掴んだ情報を伝え切れないまま、敵はヒイラギの脳波をこじ開けるように侵蝕する。
今までに味わったこともない感覚だ。肉体も精神も曝け出し、根こそぎ暴かれ、文字通り裸を覗かれるような一体感が襲う。官能が刺激し、自らを受け入れろと催眠を放つ。
ヒイラギは頭を抱え、その場でうずくまる。こんな彼は見たことが無かった。
「おれの……中に、入って来るな……っ」
サーナイトがすぐさま念力をかけ、憑依体を追い出そうとする。
しかし、メタモンからの念に妨害され、弾き飛ばされた。
「サーナイト!」
サーナイトは膝を立て、ヒイラギを見据える。のたうち回り、悶え苦しむ彼を助けねばと誰もが動き出す中、閃光が炸裂した。