叛骨の強奪者






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First Stage - The Ranger part -
Phase 16 勇者に焦がれる
 目的地は設定しなかった。逃げさえ出来ればどこでも構わない、是が非でも無事に解放されることを第一優先に置く。方向の判断も後回しにしながら必死に水を噴射する内、ハガネールの波導はいつの間にか消失した。追いかけて破滅させようとするほどの執念を燃やしているわけではないようだ。もし戦闘継続を望むようであれば危なかった。少しばかり、処刑までの猶予が生まれる。
 イトハが腕の中で目覚めたので、降ろしてヒイラギだけを背負う。
 サーナイト戦闘不能、ボーマンダ重傷、メタモンは未だ合流出来ず。ふたりも数時間で色々なことがありすぎて、精神的に参っている。どうやら今晩はオツキミ山に腰を落ち着けることになりそうだ。
 五里霧中に歩いていると、イトハが休める場所を見つけた。
「カメックス、あそこで休みましょう」
 指さす先は、広場になっている。
 白と赤の花弁が草地に点々と咲き誇り、段差を下れば月の映える池が波打つ。喧騒から隔絶された桃源郷に思えた。彼らの満身創痍がより印象を形作る。
 まずはヒイラギを寝かせると、生命力が一体どこから湧いてくるのか、もう目を覚ます。
 草の青々とした匂いが鼻孔をくすぐる。稜線を越えれば星座が瞬く。都会のビル群のように視界を切り裂くものは何もない。クッションのような草に身を預けると、自然が体を包み込んでくれるようで、先程までの激しく濃密な時間を嘘のように思わせる。
 仄かに立ち昇る薄暗い緑のグラデーションが溶け合って、時間を夜に染めながらも、明るさは朝のようだった。イトハが上から顔をひょっこりと被せ、穏やかに告げる。
「起きたばかりで悪いけど、今日はここで寝泊まりだよ」
「そうか」
 返事は素っ気なく、愛想の欠片もない。
 カメックスはヒイラギを仰向けに転がして、背中のツボを刺激する。押し殺したように歯を食いしばった。
「痛むの?」
 おまえのせいだ、と責めたくなる気持ちをぐっと堪え、喉に押し込む。ハガネールから守ったことを覚えていないとは、意識が支配されていたのは本当のようだ。キャプチャとはそれだけポケモンに精神を預ける作業なのだろう。
「じっとしてて。簡単な手当なら出来る」
 治療キットを取り出す様子を、他人事のようにぼうっと眺める。
 内通者ではないイトハが味方だと考えるのは当然だ。しかし、どうしても彼の中でまだパズルのピースが揃い切らないような違和感を拭えずにいた。厚意を素直に受け取れない。
「今なら殺せるぞ」
「……なんでそこまで捻くれてるの?」
 あまりにも声のトーンを落とすのでばつが悪くなり、そっぽを向く。そんな馬鹿主人は軽く殴られた。カメックスはすっかりイトハの「味方」だ。
「わたしのことが嫌いなら、永遠に嫌いなままでいいよ。信じてくれなくていい。好きになって欲しいとも思わない。だからさ、もうやめよう? わたしたちがいがみあっても、良いことないよ」
 絞り出された哀切な想いは、ヒイラギに沁み渡る。
 カメックスは無理矢理ヒイラギの上着を脱がし、手当を促す。頑丈な蔓が絡み合ったよう腕は、筋骨隆々としている。背筋はアイアンテールの余波を受けた痕が刻まれている。振り降ろされた際の叩きつけるような風圧が、巨岩の背中を深々と抉る。直撃していたら骨折どころでは済まなかっただろう。他にも随所に傷が散りばめられている。それだけで、彼の人生を物語っていた。
 ヒイラギはしぶしぶ治療に従う。しばらく無言でいたが、意外にも彼から口を開く。
「おれは、感情のない人間に見えるか」
 傷口を拭き、綿で消毒する手が一旦止まる。
「どうかな……よく分からない」
「分からない、か」
 イトハが手を動かし始めると、ヒイラギは誰に向けるでもなく呟く。
「波導使いって感情を失った機械みたい」
「そう言われたよ」
「誰に」
「昔の女だ」
「付き合ってたの?」
「少し」
「へえ……そう」
 自慢という響きは皆無で、ただ懺悔する口調だ。
 壊滅的な人格に惚れ込む物好きな女性がいるものだ。確かに男としては見栄えも悪くないし、強さを感じさせる人間は気に入られやすいだろう、とイトハは呑気に考える。
 一方で、カメックスは口を一文字に引き結び、聞きたくないとばかり顔を背けていた。
「不思議と何も感じなかった。おれはそれでも良いと思った。戦士になるためには不要なものだ。だからおれは、感情を殺した」
 淡々と己を分析するが、イトハ的にはしっくりこない。
「違うね」
「なに?」
「あんたは全然感情を殺せていない」
「わたしに対する態度が、その表れ」
 知った風に言ってみせたが、事実だ。ところが言い返してくる。
「違うな」
「は?」
「おまえが思い出させるんだ」
「……どっちでもいいよ、もう」
 イトハが手厚く包帯を巻き、キットに用具をしまう。
「はい、応急処置終わり。傷痕は思ったより深い。治るまで無茶をしないこと。ただでさえ、体を酷使するんだから」
 ヒイラギは上着を羽織って、むくりと起き上がる。
「治療してくれたことには礼を言う」
 どういたしまして、とイトハも適当に返す。
「だが、おまえは戦士としての選択を間違った。キャプチャを躊躇ったな」
 この男の鋭い眼光だけは、いつまで経っても苦手だ。心ごと射竦められる気分になる。自分の失敗をもう誤魔化すわけにはいかなかった。思わず頭が下がる。
「ごめんなさい」
 ヒイラギは袖に腕を通し、表面上の謝罪は求めていないと態度で示す。
「自分の力と向き合わなかった結果だ」
「わたし、どうすれば」
「知るか。自分で解決しろ」
 イトハは唯一の拠り所を失い、項垂れる。
 ヒイラギを悩ませるのは、オツキミ山を我が物顔で暴れ回るハガネールの存在だ。裏で何者かが操っていることは明白。ならば、ポケモンごと炙り出さねばならない。
 万が一、内通者と関係があれば、口封じにまた現れるだろう。イトハを巻き込んででも、まだオツキミ山を降りるわけにはいかなかった。
 ヒイラギは足を組み、憎々しげに言い放つ。
「あのハガネール、恐らく使い手がいる」
「それって、わたしたちを誰かが陥れようとしているってこと」
 それとなく勘付いたのではないか。ヒイラギが何を追及しようとしているか。イトハにかけられた容疑の正体も。
「ねえ、それこそ」
「言っておくが、おれは疑いを解いたわけじゃない」
「治療までしてもらっておいて、良い御身分ね!」
 もう耐え切れない、悲痛な声を張り上げる。
「それとこれは話が別だ。とにかく、脱出経路を探る」
 カメックスは気付いた――ヒイラギは嘘をついている。「疑いを解いたわけじゃない」と言ったときの波長には、微妙な揺れが含まれていた。
 心では、彼女を認めているのだ。
 イトハには波導が見えないのをいいことに、まだ完全に信用していないというふりに励んでいる。彼女を受け入れる最後の線を守ろうと、固執するせいか。
 
 
 ふたりは体を休める間、交代制で監視を続けることに決めた。現在はヒイラギの番である。カメックスはモンスターボールに戻した。
 夜もだいぶ更けてきた。
 登山客がオツキミ山に登る理由は、名物・ピッピたちの儀式……踊りを見るためだと言われている。昔は訪れたトレーナーたちが野宿して、深夜帯に差し掛かるまでピッピの出現を待ち侘びたものだ。
 腹が減り、逆に感覚が研ぎ澄まされていくのを感じる。あまりにも空腹が続くと、痛みを通り越して、何も感じなくなるものだ。
 イトハを起こして、手頃な食糧を探しに行くか、と重い腰を上げたそのときだ。
 洞窟の中から湧き出てくる、いくつもの波導。ヒイラギは片膝を立てて座り直し、もう少し留まることにした。ピッピたちに見つかって、騒ぎ立てられるのも面白くない。
 隣でも葉の気配がしたかと思えば、イトハが寝惚け眼を擦っている。ヒイラギに顔を寄せながら、小声で尋ねる。
「ピッピ?」
「野生だ」
 ふたりはじっと身を固め、ピッピたちの様子を観察する。
 一同はきのみを持ち寄り、祭壇のように盛り上がった岩へと供え付ける。食べ物を奉じるあたり、儀式という呼称もあながち間違いではないようだ。
 水面が月明かりに照らされ、神々しさを演出する。
 自然の恩恵によって実をつける食物を捧げ、皆で食べるという行為には、神との一体化を図ろうとする狙いがあると、ヒイラギは昔、神話で読んだ。シンオウは民俗学的伝承の多い土地だから、地方出身なら大体の者は神話を諳んじることが出来る。
 空腹にあえぐふたりとしては、ピッピたちに食べ物を恵んでもらいたかった。だが、あまり姿を見られたくない。とはいえ、心身共に疲れ果てた状況下では空腹も危険な弱点だ。
 背に腹はかえられない。イトハはゆっくりと立ち上がり、音を立てず池に忍び寄る。
「見つかったらどうする」
「敵意はないとアピールする」
 ヒイラギは不安げだ。ポケモンの扱いに長けたレンジャーだから、面倒は起こさないだろうと信じたいが。
「あんたはここで待ってて。怖がらせると嫌だから」
「言われなくてもそうするつもりだ」
 ピッピたちから丁度見えるか見えないかギリギリの地点で、ヒイラギは待機する。聴力には優れているため、多少遠くても問題ない。
 一匹が気付くや否や、次々と珍しいものを見るように指さし始める。イトハは高低差のない位置まで段差を飛び降り、スタイラーを腕から外し、足元に置く。
「何を考えている。まさかキャプチャを使わないつもりか?」
 ピッピたちは顔を見合わせ、口元に指をあてながら思案顔だ。人間が生息地を訪問する経験はあまりないのだろう。
 しゃがみこみ、ピッピたちの身長まで目線を下げる。怖がらせないよう、口角は柔らかく、自然な微笑みを心掛けた。群れの内の一匹としっかり目を合わせる。
「こんばんは。楽しそうだね。よかったら、混ぜてくれない? 一緒に遊びたくて」
 勝手に話を進めるな、ヒイラギは心中で毒づいた。ポケモンと遊びに興じる暇はない。
 だが、ピッピたちは逆に興味が湧いたようだ。普通ならば遠巻きに眺めて済ます。
「あ、でもその前にお腹ぺこぺこで……」
 お腹を擦って、何か食べ物を恵んで欲しいと暗に伝える。それを見たピッピたちはイトハの足を掴み、手を引き、岩場へと案内してくれた。
「ありがとう。もうひとりいるんだけど、呼んでも大丈夫?」
 あくまでも許可を得てから招くことで、身勝手な人間だと思わせない。イトハの振る舞いの端々に、ポケモンと接する無意識の技術を感じる。
 自分ならばここまでスムーズに交渉出来ないだろうし、事をこじらせるかもしれない。群れの性質を理解し、文化に溶け込もうとすることで、ポケモンとの距離をすぐに縮めてみせた。レンジャーの手腕には素直に感服するばかりだ。
「良いってさ! ヒイラギ、おいで」
 ヒイラギは段差を下り、イトハを仏頂面で睨む。
「話が違うぞ」
「どうせ身動き取れないんだし、隠れてないで過ごすのも悪くないでしょ」
「……好きにしろ」
 ヒイラギは溜息をつきながら折れて、そのままピッピたちに案内されていった。
 残るピッピたちはきのみを運んでくる。供物だけに実も価値が高く、なかなかお目にかかれない代物だ。イトハが密かに目を輝かせるあたり、きのみマニアの血を騒がせる希少種に違いない。
 座り込んだピッピたちがそれぞれきのみを手に取り「いただきます」に近い鳴き声を唱和した。

「レンブのみはね、こうやって遊ぶんだよ」
 近代的なキャプチャ・ディスクを自然の姿に戻したような独楽らしき実をほぐし、指でつまんで、きのみを回転させる。
 すると、ピッピたちが面白そうに真似をし出す。中には独楽をぶつけて戦わせる者まで現れる始末だ。食物で遊んではいけないが、この儀式に限っては、食事も神遊びのひとつと考えれば許容範囲内だ。
 ヒイラギは盛られたきのみの山から、小さな粒の集合体を引っ張り出す。無理矢理取ろうとしたので、実がそのまま弾け飛んでしまった。火花のようにぱちぱちと音を立て、無残に散らばってしまう。
「あ、それはジャポのみ。乱暴に扱うと弾けるから、注意して」
 反省して今度は硬そうな実を取る。赤い皮がなかなか剥がれない。ひびを入れて中を割り出そうとすると、甘ったるいクリームがとろりと溢れ出すため、また慌てる。
「それはイバンのみ。甘い匂いがするでしょ」
「詳しいな」
 手に付着したクリームを舐めとりつつ、真顔で褒める。イトハはまんざらでもなさそうだった。
「小さい頃よく外で遊んでたから、それで覚えたんだ」
 幼少期のきのみ博士足らしめる知識量が、レンジャー活動にも生かされている。
 不思議なものだ、ここは喧騒と程遠い世界にある。
 内通者を暴くためオツキミ山に彼女を誘き寄せたというのに、今では雑談に耽っている。
 ピッピたちは宴の前哨戦で静かに盛り上がっている。イトハはピッピたちに話しかけ、一緒に独楽を回し、輪の中心になっている。ポケモンに慕われる天性の才能がある。
 ポケモンに接してきたレンジャーだから、ピッピたちがあれほど懐くのだ。
 ヒイラギは同じ場所にいながら目立たず、眩しさを焦がれるように見つめるばかりだ。ひとりでそっと独楽を回してみた。

 翼に月光を集め、ピッピたちは浮かび上がる。池に軌跡を描くような軽やかさで、光の粉を撒いていく。いくつもの螺旋が重なり、宙を自在に舞う。月を模るようにぐるっと一周したあと、彼らは地に降りて、池を囲み出す。輪になって踊るつもりだ。
 ヒイラギはそっけなく乗り気ではなさそうに、その場から離れていく。ピッピたちが呼び止め、わざわざ間を空けてくれた。気遣いが逆に煩わしい。
「ピッピたちがどうぞって」
 踊るなど柄でもない。ヒイラギは心底気を重くしつつも、郷に入っては郷に従うことにした。内通者探しで躍起になる今までの彼ならば、有り得なかったことだ。
 ピッピたちの手を摘む程度に留め、気を紛らわそうとイトハに話しかける。
「ポケモンの言葉が分かるのか?」
「分かるっていうか……表情とか仕草とか、なんとなく考えてることに気付く感じ」
 ピッピたちは手を広げ、振りをつくって、踊り出す。イトハは全くピッピたちの動きが読めないが、読めないなりに調子を合わせていた。一方で、ヒイラギは移動するがままに着いていくだけだ。
 ピッピたちが儀式に集中し始めた今、人間は若干取り残されている。
「波導だって、いろんなものを身近に感じるんでしょう?」
「感じるどころじゃない。立っていても、目を閉じても、意識しなくても、四六時中、流れ込んでくる」
 想像出来なかった。決して波導使いという生き方を好んで絶賛するわけではない、壮絶な含みがある。それでいて、当たり前のものとして受け入れている。
 無条件に刻みつけられた宿命は「レンジャーになる」という選択の余地が与えられていたイトハとは大違いだ。
 それ以来、なんとなく気まずく、お互い黙り切りだったが、池を一周したところで、ヒイラギが尋ねる。丁度シュート・スタイラーが目に入って、洞窟内の出来事を思い出した。
「おまえはさっき、波導を身近に感じるだろうと言ったが……波導はポケモンからのプレッシャーも敏感に察知する」
「これからもっと恐ろしい敵、恐ろしいポケモンが現れるかもしれない」
 イトハは動きを止めずに、心の動きが止まったような素振りをする。
「そのとき、キャプチャ出来るか」
「出来ます」
 相手の顔を見ずに下を向き、呟くように宣言する。図星を指されたから勢いで否定しただけの言葉は、中身を伴わない空っぽの器同然だった。
「どうかな、一度芽生えた恐れは簡単には消えやしない」
 一方的に言われるあまり、イトハからも知らない内に不満が漏れていた。
「あんたは、スナッチに対する迷いがない」
「人のポケモンを奪う。この世界で最も忌み嫌われることなのに」
 だんだん声が低くなっていくところを聞くに、非合法のスナッチャーに所属すること自体の嫌悪がうかがえる。
「迷いがない、というのは少し違う」
「何に対しても迷わないイメージを抱いていたけれど?」
 拗ねたように髪の先を指に巻き付け、口を閉じる。
「正確には、それが適切な選択肢だからだ」
「おまえが装着しているスタイラーも、射出するディスクも。人間がポケモンを掌握するために必要と判断したから作られたものだ」
「考えてもみろ。この世からモンスターボールが消えたら、科学が消えたら、一体どうなる? おれたちは科学の力でポケモンを思い通りに操ろうとしているだけだ」
 徐々に早口になり熱を帯びるヒイラギの語りに、ピッピたちがそわそわし始める。イトハが踊りの流れを止め、ヒイラギの方を向いて言い返すところで不安は確信に変わった。
「それでも! わたしはポケモンを救いたくてレンジャーになった」
「救うだと?」
 救う、という言葉を大袈裟に反芻し、拒絶反応を起こす。
 イトハは指を突きつけ、リニア騒動解決後間もない暗部会議での出来事を掘り返した。
「忘れたとは言わせない。『スナッチはポケモンを救う』……これがあんたの言葉よ」
「確固たる意思で絶対の自信でそう言った。わたしは脳裏に焼き付けた」
「おまえの救うと、おれの救うは、意味が違う」
「どう違うの!?」
「まだ分からないのか」
「目指すものは同じでしょ。レンジャーの行いは世界を変える!」
 イトハは胸元を叩き、微塵も疑問を挟む隙なく答える。
「なら世界はこんなことになっていない!」
「人が救えるのは目に見えるものだけだ。思い上がるなよ、レンジャー」
「誰もがあんたみたく諦めてると思わないで!」
「行き過ぎた正義はただの暴力だ!」
 ピッピたちはヒイラギの叫びにしゅんと縮こまる。
 恐れの波導を感じ、そこで初めてふたりはヒートアップしすぎたことに気付いた。ピッピたちは踊りをやめ、すっかり怯えてしまっている。
 群れの総意は、ここから出て行って欲しい、と告げていた。
 返す言葉もない。
「……行こう」
 イトハはスタイラーを腕に付け直し、ヒイラギを片手で招く。ピッピたちは「スタイラー」が何だか分からずとも、不幸をもたらす呪具のように戸惑いと不信を突き刺す。
 良かれと思って招いた人間も、都合が悪くなれば、機械を使って洗脳するのだろうか。ピッピたちのまなざしには失望が込められていた。
 ヒイラギは振り返るが、引き止めてくれるものはいない。祭の時間を台無しにしたのだから、当然の罰だ。

 行き場を失ったヒイラギとイトハは、ただ歩を進めていた。どこを目指すでもなく、お互い本音の衝撃に打ちのめされて。隣の存在を無視して自問自答を続ける。
「この十年で何が変わった?」
「悪はまるで潰えていない」
「おれたちは歴史の中で欠片ほどの何かを残せているのか」
「戦えば戦うほど、分からなくなっていく」
 過去最高に饒舌なヒイラギを止めず、黙って聴き入れる。ピッピたちのことを置き去りにしてまでやろうとした議論だ。徹底的にけりをつけるつもりだった。こんな機会はきっと二度と訪れない。認識の相違は正しておく必要がある。
 元々ヒイラギとイトハが何の因果かオツキミ山を彷徨い、本音で語り合う羽目になった。対立以前よりも昂ぶりが、気持ちの発露が、遠慮なく、止め処なく、溢れ出て来る。お互いがお互いのことをこんなにも考えていたのかと、ある意味笑ってしまうほどに。
 常闇の迷路に、波導使いの声だけが滔々と流れていく。
「おれはあくまで戦士だ」
「世界を良くしたいという想いはある」
「だがな、空しくなるんだよ」
 彼は鼻で自嘲した。
「何度戦っても……何を成し遂げても。おれはアーロンのような勇者にはなれない。自分でそう分かっていたんだ」
「アーロン?」
 イトハがか細い声で尋ねる。
 波導の勇者・アーロン――波導使いの中で最も誉れ高く、かつてロータの里を束ねた偉人。「世界のはじまりの樹」に、パートナーのルカリオと共に赴き、惑星を救ったことで神話的人物として今世紀まで語り継がれる。里には杖を持ったアーロンとメガルカリオの像が祀られている。
 アーロンを語るヒイラギは、どこか憎々しげですらある。最初からなりたくてもなれないと悟り、諦めてしまったように。
「だからこそ、スナッチコアを受け入れたのかもな」
「勇、者」
「おれから見れば、おまえがそうだ。レンジャーの頂点、選ばれし存在」
 前を行くイトハは、ヒイラギが立ち止まったのに気付き、振り返る。
 顔ひとつ分もない身長差だが、見下ろす視線には明らかな羨望が見て取れた。
「かたやおれは、替えの利く戦闘マシーンだ……!」
 ヒイラギは鉤爪のように曲げた指を震わせる。
 歯を見せて肩を上下させながら笑う異様な姿を見ると、これまでに見たこともない醜さがありありと表れていた。
「世界を革命する。地位のある奴は発言力も大きくて羨ましいよ」
「波導使いは歴史の裏で流れを矯正してきただけの存在だ。黒子のように姿を消し、日の目を見ない場所で生き続ける。何を成し遂げても、誰から認められるわけでもない」
 自分もまたアーロンになりたかった。しかし、彼の戦場は陰の世界。誰からも認められず、湧き出る敵を薙ぎ払うだけの人生。ロータの操り人形たる己を戦闘マシーンと揶揄するほどの自暴自棄だ。
 本当の生きている証が欲しい。自分の存在を文字通り証明したい――戦士に隠された激しい英雄への想い。彼の心はとっくに虚無へと包まれ、奈落の底で叫びをあげていた。
「なるほど……。だいたい何が言いたいのか、なんであんたが出会い頭から喧嘩をふっかけてきたのか、ようく分かった」
「ただの嫉妬じゃない」
 普段のイトハから紡ぎ出される声とは思えない。凍り付くというよりもむしろ、冷たいという感情すら含まれていなかった。機械が文言をそのまま読み上げたような無機質ぶりだ。
「わたしはね、あんたが思っているほど特別な人間じゃない。なんでユニオンはわたしをスナッチャーに送り込んだと思う?」
「おまえの根性を叩きなおそうとしたんじゃないのか?」
 ヒイラギは馬鹿にしたような仕草で考えなしに返す。
「ポケモンを恐れるあまり、キャプチャもままなら」
「左遷よ」
 鎌を振り降ろすように両断する単語の意味は、容赦なかった。
「上層部はわたしを降ろしたがっている。レンジャーユニオンのくだらない体裁とやらを守るためにね」
 腕組みしながら悪意たっぷりに述べるイトハが、これまでと違う人間に映った。
「そこまで言うなら話してもらうぞ。おれの過去だけ覗かれているのはフェアじゃない」
 ヒイラギは指をつきつける。語り手は目線を落とし、息をふうっと吐いた。
 
 イトハの故郷・アルミア地方プエルタウンに本社を構える「アンヘル・コーポレーション」は、エネルギー開発研究に日夜励む一流企業だった。父の勤務先でもあり、トップレンジャーの娘と揃って、一家は順風満帆だった。
 しかし、アンヘルには秘密が隠されていた。実は、幻のポケモン・ダークライの力を利用し、アルミア全土のポケモンを思い通りに操作する塔を、創立70周年記念シンボルとして建築したのである。
 社長はアルミアに蔓延る組織の長であり、イトハの元クラスメイト・ハジメが欺瞞を暴いたことで事件には終止符が打たれた。遺跡から発掘された闇の結晶は今や光の結晶と化し、塔は研究施設ではなく、平和の象徴として負の遺産に登録されることとなった。
 アルミア転覆を図った罪で社長は逮捕、会社は倒産。全社員は犯罪行為の片棒を担がされていたことで、一気に職を失った。父の代わりに、母は新たな働き口を探す中で、だんだん一家もろとも疎遠になっていく。
 話はこれで終わらない。
 レンジャーユニオンにとって、イトハが邪魔な存在になったのだ。
 ユニオンがアンヘルの痕跡を根こそぎ消し去り、ポケモンと共存関係にある理想のアルミア、というイメージを再構築するには、アンヘル勤務歴を持つ父はおろか、そんな父を持つトップレンジャーはもっと性質が悪い。
 その頃、ユニオンにトップレンジャー宛の要請が来た。依頼先は、スナッチャー。
 世界の中枢・カントー地方を震撼させる犯罪組織が出現し、国際警察の特殊部隊でも太刀打ちが出来ない。選りすぐりのメンバーを集め、対策を施したいという連絡が来た。ユニオンは頭を悩ませたが、丁度良いタイミングでもあった。
 上層部は熟慮の末、トップレンジャー・イトハ派遣の方針を固める。スナッチャーは組織名が語る通り、SNATCH(強奪)を切札とするチームだ。ユニオンが犯罪行為に加担したという事実がリークされれば、失権は免れない。しかし、今回の壮大な思惑には、各地方協会も絡んでいる。ならば、ユニオンのような巨大組織がひとりの構成員を派遣したところで、漏洩の心配はない。
 更に「スナッチャー構成員がミッション遂行後、生存しているかどうか保障はしかねる。しかし、我々は最強の戦士が欲しい。その上で決断してもらいたい」と司令官が宣言している。忠告は、もちろんイトハにも了解を求められた。
 厳戒態勢での情報統制上、イトハが真実を知るのは大分先になるが。スナッチ・コアを渡され、真実を知っていたのは作戦開始時でヒイラギだけだ。
 ユニオン側にとって、千載一遇のチャンスが到来した。悪徳企業の父を持つ娘ごと一気に押し付けられる。仮に任務で命を落としたとしても、責任所在はスナッチャー側にある。
 とはいえ、推薦上は建前が必要になる。事実、トップレンジャー・イトハの実力は組織内でも抜きん出ていた。レンジャースクール時代の同期であるハジメや、先輩のセブン・ハーブなどから順に行けば、5〜6番目には位置付けられる才能の持ち主だから、条件としては充分だ。
 ユニオンの要請により、イトハはスナッチャー参画の意思表示をした。限られた情報で、ほぼ何も分からないまま。上層部には無言の圧力もあった。
 それでもイトハが参画を選んだのは、既に帰る家をなくしていたからだ。

「わたしにはもう、失うものはなかった。それなら、ポケモンのために戦う方が良い」
 ヒイラギには、イトハの目元で光る雫の正体が分かった。震える声の理由も分かった。
 特別視されて良いことなど何もない。ヒイラギの嫉妬に描かれるような、恵まれた環境などだと口が裂けても言えない。
 イトハは等身大の人間で、不運な巡り合わせにより、華奢な体に見合わないほどの期待と悪意を背負わされた、普通の女の子だった。
「親族は健在なんだろう?」
「まあ、ね」
「生きているだけ良かったな」
 字面ではぶっきらぼうに見えるが、実の響きはどこか優しげですらあった。
「失ってしまったものは二度と取り戻せない」
 イトハは顔を上げる。
「あんた、まさか」
 炎に佇むヒイラギとカメックスの映像が途端に蘇る。
 この男は、大切にしていた誰かを喪い、ここまで生きて来たのか? 
 だとしたら、お互いになんてつまらない諍いに時間を費やしてきたのだろう。
「おれにはおれの人生があった。おまえにはおまえの人生があった」
 嘘だ。
「それだけのことだ」
 嘘だ。
 そんな簡単に割り切れるはずがない。ふとした拍子に思い出して人に語るほど、息づいているはずなのに。イトハは思わず肩を掴み、揺らしていた。
「それだけのこと? 本当にそれだけのことなの?」
 あらゆる感情を受け止めながら、ヒイラギは無言を貫く。
「いつまで誤魔化し続けるつもり!?」
 揺さぶられたせいではなく、遠くで不吉な波導が雷鳴のように轟くのを感じた。イトハをそっと放し、振り返る。
 場所は尾根の周辺だ。今まで辿って来た道の反対側を戻った先には。
「ピッピたちの広場がある」
 ヒイラギとイトハは顔を見合わせた。
 こんなチームメイトだから。どうしようもない星の下に生まれたふたりだから、せめて、ポケモンたちの味方ぐらいではいよう。
「行くぞ!」
 イトハも頷く。
 初めて意思が通い合って、ふたりは一歩を踏み出した。

はやめ ( 2016/08/06(土) 19:42 )