叛骨の強奪者






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First Stage - The Ranger part -
Phase 15 双極


 ヒイラギもイトハも、カメックスもサーナイトも、断続的な地鳴りに何かしら不穏なものを感じていただろう。予感は正しい。
 洞窟の中を歩く黒装束の男は、艶やかな毛並みのポケモン・ペルシアンが御付に控える。彼らはオツキミ山の眠りを妨げる当事者として、大地を統べるように進む。
「奴を見つけ次第、すぐに排除しろ」
 サカキの足元が鳴動する。地中で蠢くイワークの応答だった。
「例の侵入者は……おまえの裁量に任せる」
 生かすも殺すも自由。許可を与えられたイワークは、静かに男の元を離れていく。
 スナッチャーの与り知らぬところで、第三者たちの陰謀が張り巡らされている。彼らには着々と危機が迫っていた。
 
 ヒイラギとサーナイトは梯子を伝い、どうにかして上を目指そうと手探りを続けていた。
 未知のダンジョンではマップの把握が必要になる。今回はトップシークレットという嘘の名目で急ぎオツキミ山にやってきたため、余裕がなかったのだ。ヒイラギとて長居するつもりはなく、時間が多少かかれども、内通者を処理したら帰還するつもりだった。
 幸い、野生ポケモンは初心者トレーナーでも太刀打ち出来る。それでも気を抜ける状況ではない。いつヒイラギを襲った刺客が現れるか、分からないからだ。
 無作為に並べられた剥き出しの岩壁に差し掛かったとき、辺りは空洞と化した。崖には梯子がかけられており、上の通路と行き来が可能だ。
「波導を感じる」
 ヒイラギがふと口に出すと、サーナイトの表情がやわらぐ。遂にパートナーとの対面を期待したのだろう。しかし、ここだけはポケモンの気配が少なく、生き物の立ち寄る場所という雰囲気には不釣り合いだ。だからこそ、嫌な予感を拭えない。
 丁度、ヒイラギとサーナイトの位置する部屋の中心から、砂埃が立ち込める。
 サーナイトは咄嗟にヒイラギを念力で浮遊させ、自らも上昇を図った。
 中央から咆哮と共に飛び出して来たのは、無駄と粗を極限まで削ぎ落としたような輝きを誇るイワークだ。構成物質は岩石というよりもむしろ将来の鋼に近い。
 ヒイラギ目掛けて尾をぴんと伸ばしながら突進してきた。サーナイトはヒイラギにサイコキネシスをかけ、手繰り寄せるように回避させる。
 彼らは顔を見合わせた。あの姿には見覚えがある。
「恐らく山の主だろう。住処を乱されて怒っている」
 体がやけに照り映えるのは、時々亜種がいると考えれば納得である。クリスタルのイワークが発見される生息地なども中にはあるそうだ。
 荒々しくこちらを睨み、波導にも昂ぶりの色が混じっている。ヒイラギはモンスターボールを投擲し、ボーマンダを繰り出した。
「イワークを鎮めろ」
 向こうは尾をしならせ、早速ボーマンダに騎乗するヒイラギごと振り落とそうとする。ボーマンダはイワークの周囲を回転するように飛び、サーナイトの支援を待った。
 狙い通り、イワークが突如硬直して微動だにしなくなる。トップレンジャーが育てた一流ポケモンの呪縛から解き放たれるはずなどない……イワークを単なる野生ポケモンだと決めつけ、侮っていた。動かずとも、罠は仕掛けられる。
 ボーマンダの飛行ルートに、波導がいくつも湧き上がり、連なった。
「なんだ!?」
 爆発に直撃、ボーマンダはそのまま墜落した。
 上空のサーナイトは驚いて目を見開く。一瞬の気の緩みによって解かれた念力を見逃さない。鉄壁の尾が振り下ろされ、下敷きとなった。
 ボーマンダは再び飛ぼうと羽ばたくも、痛覚によって阻まれる。飛行阻止目的でステルスロックを配置し、隙を見てのアイアンテール。無策とは思えない判断力だ。
「まさか、トレーナーがいるのか」
 ヒイラギの中で一気に最悪の事態が想定される。内通者がヒイラギを消し去るために放った刺客だと考えれば、辻褄が合う。
 サーナイトは守りのベールを展開し、辛うじて持ちこたえていた。イワークは勢いを緩めず、怒涛の連撃で尾を叩きつける。こうなればバリアが破壊されるのは時間の問題だ。
 カメックスさえいれば――。
 カメックスさえいれば、敵わない相手ではないのに。自分にとって馴染みのない面子で戦うことがこれほど不利にはたらくとは。ヒイラギはつくづく己の不運を呪いたくなった。
「だがトレーナーのポケモンなら、好都合だ」
 ヒイラギは凶悪な形相を浮かべ、モンスターボールを手に取った。
 サーナイトが戦闘慣れしていないのは一目瞭然だ。イワークの猛攻に手も足も出ない。痺れを切らし、ヒイラギは現状打破の命令を出す。
「サーナイト、防御はいい。瞬間移動でアイアンテールから距離を取れ。そしてサイコキネシスをかけ、奴を締め付けろ」
「ボーマンダ、イワークの全身にかえんほうしゃを浴びせろ」
 サーナイトはレンジャーの教義に反する行いを躊躇っているようだが、迷う暇は許されない。テレポートでアイアンテールから脱出し、相手を苦しめるためのサイコキネシスをフルパワーで浴びせる。イワークは目を剥き、思わず唸り声をあげた。続けざまに体温が急上昇し、焼石と化す。
「そうだ! 勝ちたければ攻めろ、生き残りたければ頭を使え」
 ヒイラギの戦闘スタイルを象徴する、二者への指示。
 彼はスナッチ・プロセスを完了し、腰をひねりながら、投げつける。モンスターボールは美しいカーブを描き、命中する、かと思われた。
 投擲コースに、それまであるはずのなかった波導が生まれる。ステルスロック――ヒイラギは瞬間、失敗を悟る。捕獲を懸けた一投は無残に爆散した。
「また、失敗か……!」
 スナッチを力技で攻略するとは。一同は驚愕を禁じ得ない。
 イワークは逆襲とばかり、大口を開き、不協和音で耳を劈く。対象のサーナイトのみならず、狭い部屋ではボーマンダとヒイラギにも反響した。
「ぐっ!」
 特に、波導使いへの被害は甚大だ。
 ヒイラギは誤算を改めた。自分の意志でここまでトレーナーつきのポケモンへと正確な対処が出来る。ヒイラギよりも上位のトレーナーが、イワークを自立稼働出来るよう訓練を施したに違いない。
 イワークの自我が機能している内は、悲しいかな、いかなる戦術も通用しないだろう。それだけ相手とのレベル差がある。幾多の戦場を渡り歩いてきたからこそ突きつけられる壁だった。
「御することさえ出来れば、あるいは」
 ポケモンを鎮静化させるひとつの可能性が浮かぶも、すぐに頭から捨て去った。
 サーナイトとボーマンダは次の指示を仰いでいる。
 万事休す。どうすれば、活路を開ける。ヒイラギの思考は途切れようとしていた。

 そのとき、救世主にも等しい声が響く。
「キャプチャ・オン!」
 岩壁の向こうを見上げると、そこにはイトハとカメックスが並んでいた。両者の目が合うも、すぐに動き出した対象へと視線を移す。イワークは新たなる標的の来訪に惹かれたようだ。
「カメックス、攻撃はいい。動きを止めて」
 ディスクを射出し、光の軌跡を走らせる。カメックスは顔面から突っ込んでくるイワークを両手で受け止めた。足場が崩れるまでの根競べだ。
 イトハに協力するカメックスを見て、ヒイラギは捨てられたような錯覚に陥る。同じことをサーナイトにしていたにもかかわらず、孤独と閉塞感は計り知れない。
 ディスクはイワークの体躯を利用してとぐろを巻くように閃光を描く。その場で頭を抑え付けるカメックスの協力もあって、イワークの凶暴性が徐々に薄れていくではないか。自分には不可能だったことが簡単に実現されている光景に、歯痒さを感じる。
「やはりおれは、あいつより格下の存在なのか」
 ヒイラギは拳を握り、屈辱そうに歯軋りする。イトハを前にすると異様な雰囲気を見せる彼を、サーナイトは思うところありげにじっと見つめていた。
 イトハは帰って来たディスクを手に収める。イワークを覆う巨大な膜の完成だ。
「これほど巨大なポケモンだと、キャプチャをスタイラーが読み込むまでは時間がかかる」
 カメックスに乗り、噴射の出力を弱めながら落下してくるイトハは、蛹のように固まったイワークを見ながら言う。
「そいつはおれのポケモンだ」
「再会の第一声がそれ」
 敵対状況がなくなるどころか継続する一方だ。
「わたしのサーナイトやホオズキのポケモンには指示を出すけど、わたしがカメックスに指示を出しちゃいけないの? もしそう考えてるなら、都合良すぎない」
 言葉の端々に辛辣な棘が含まれている。もはやヒイラギへの不信を隠す気はないようだ。
「おまえに心を許した覚えはない」
「カメックスが望んだ、と言ったら」
 ヒイラギはぴくりと眉をあげ、カメックスごと責めるように睨む。
「まさか、おれのカメックスを懐柔したな……!」
「キャプチャを求めて来たのはカメックスの方からよ」
「そいつのレベルまで堕ちたのか」
 いつまでくだらないプライドに拘っているのか。向けられたのはカメックスの哀れそうな目だ。ヒイラギは唯一信頼していた相棒に見放され、苦渋を絞り出す。
「そんな目でおれを見るなっ」
「レベルが低いのはどっちでしょうね。見てたよ、スナッチの失敗。わたしのキャプチャがなかったら、何も出来ないくせに」
 イトハもヒイラギをこき下ろす意図全開だが、その台詞に眉を潜めたのはヒイラギではなくサーナイトだった。ヒイラギは俯いたまま怨念を紡ぐ。
「意気がるな。おまえに戦場の何が分かる」
「殺意に臆し、何も出来なかったのはおまえの方だ」
 ふつふつと湧き起こる嫌悪はこれ以上ないほどの位に達した。
 顔を合わせば止め処なく口論の続く現状に、ヒイラギから別れを告げる。
「二度とおれに口答えするな」
「おまえなど必要ない。現実を見ていろ」
 ヒイラギがイワークの方を振り向くと、膜の内から目を開けていられない発光が起こる。
 予想だにしない事態だ。
 あるいは既に仕組まれていたことだったかもしれない。
 イワークを手配した男ほどの手練れが、そろそろ進化のタイミングだと気付かないはずはない。彼がその場にいれば、こう言うだろう。
「イワークが100年以上生きると、体の成分がダイヤのように変化する」

 顔はより横長に、岩からは突起が生え、尻尾の尖端は槍のように鋭さを帯びる。膜が簡単に剥がれて行き、進化エネルギーが闘争心を再生させ、細胞を変化させる。細長の双眸が侵入者を見据えた。
 鉱石の光を反射し、より照り映える輝きの主は――てつへびポケモン・ハガネールだ。
 イトハはスタイラーのステータス表示を見る。キャプチャの達成度を示すメンタルゲージがリセットされた。ハガネールといえば、名だたるトップレンジャーでも手こずる、キャプチャ難易度最高クラスの種族だ。進化を遂げた今、イワークとは訳が違う。
「進化、した」
「尚更格好の獲物だ。カメックス、行くぞ」
 ヒイラギはグローブをかざす。しかし、共鳴は起こらない。メガストーンのバングルを装備したカメックスは、首を横に振るばかりだ。
「そんなにその女がお気に入りか。なら好きにしろ」
「行くぞ」
 ヒイラギが応戦を要請した相手は、ボーマンダとサーナイトだ。二匹ともヒイラギの指示に従って戦うという意気に溢れている。
「サーナイト!」
 イトハからすれば、当然こちらに戻ってくるだろうと思って声をかけたに違いない。
 冷たく横目であしらい、ヒイラギに着いて行ってしまった。
「えっ……」
 何が何だか分からず放心するイトハに、カメックスが注意を促す。攻撃はすぐそこに迫っていた。ヒイラギたちが助けてくれることはない。カメックスはイトハを守るために射撃した。
 
 これまでにない敵を前にしながら、ヒイラギとイトハの決定的な断絶は、とうとうポケモンたちにも波及した。
「おれに着いてくるなら力を示せ。戦えない奴は必要ない」
 ボーマンダは低空飛行で、サーナイトは瞬間移動で、それぞれハガネールを翻弄する。
「ハガネールの急所は上から二番目の鋼鉄部位だ。ボーマンダ、かえんほうしゃ!」
「サーナイト、おまえは動きを制止しろ。結合部分を狙い、サイコキネシスを撃て」
 例によって、ハガネールは嫌な音を発してきた。二番煎じ、その手は読めていた――ヒイラギは耳を塞ぎながら叫ぶ。
「今だ、まもれ! ボーマンダ、口内に向かってすてみタックル!」
 サーナイトは不協和音の到来に合わせ、確実に防衛を成功させる。
 ノイズを掻き分け、ボーマンダが突撃する。ハガネールは反応がワンテンポ遅れ、上顎を突かれる。だが、上下の歯が肉体を真っ二つに噛み砕こうと逃がさない。ボーマンダは本能的な恐怖を感じたことだろう。しかし、ヒイラギは顔色ひとつ変えずに命じる。
「そのままかえんほうしゃ!」
 口内で火球を発されては一巻の終わりだ。出力を振り絞った熱量は鋼鉄を溶かしていく。進化したことが仇となった。
 一切の反撃を許さない猛追。イトハは黙って見ているしかなかった。確かに圧倒されるほど強い。戦術の組み立て方も、臨機応変な命令も、彼の中で息づくかのようだ。もしかすると、自分は本当に必要のない存在かもしれない。そう思いかけた。
 だが、あんな戦い方、レンジャーのポケモンならば、きっと途中で出来なくなる。ポケモンを痛めつける行為に慣れていないサーナイトは、己の攻撃が生み出す苦しみに耐えられない。
 ヒイラギはこれで終わらせるという気迫をもって命じる。
「サーナイト、サイコキネシスで火を全身に行き渡らせろ。ボーマンダは火力を上げろ!」
 サーナイトは耳を疑った。
 ハガネールはこれ以上ないほど苦しみ悶えている。その上、追い打ちをかけようというのか。ヒイラギの戦闘は、敵と見なした者を完膚無きまで叩きのめし、二度と立ち上がれなくするスタイルを徹底して貫く。彼にとって、勝利は命懸け、敗北は死に等しい。
「最初に言ったはずだ。戦う以上は情を捨てろ。でなければ、おれたちがやられるぞ」
 ボーマンダは苛立たしげに早くしろと訴える。
 しかし、サーナイトは僅かでも躊躇った。密かに這わせていた尾を振るい、壁ごとサーナイトにめり込ませる。
「サーナイトッ!」
 イトハは飛び出し、戦闘不能になったサーナイトに付着した泥や砂利をはらう。
 サーナイトは虚ろな目でヒイラギを追いかけ、戦う彼らを指さす。
 ボーマンダの火炎放射も最初より勢いが薄れ、掻き切れるような火の粉になりつつある。今行かなければ、ヒイラギは恐らくハガネールにやられてしまうだろう。
「あいつを助けろっていうの? あなたを傷つけたあいつを!」
 イトハはサーナイトを抱えながら叫ぶ。カメックスは横目で様子をうかがっていた。
 傷つけたのはヒイラギではなく、ハガネールだ。レンジャーのアシストポケモンが中途半端な力で戦いに足を踏み入れたばかりに、手厚い洗礼を浴びたまでの滑稽な話。
 サーナイトはこの期に及んで意地を張るイトハの頬を、思いっ切り、引っ叩いた。
 イトハは眼を潤わせながら、サーナイトがもう一度指差す先を見つめる。
 ハガネールの石頭と、ボーマンダの捨て身がぶつかり合う。皮膚の強度が違う、勝てるはずがない。ボーマンダはヒイラギごと吹き飛ばされた。それでも彼らは立とうと足掻く。手負いの彼らはアイアンテールで仕留められようとしていた。
「なんで……そこまでして、戦うの」
「ポケモンを痛めつけて、自分を痛めつけて、それなのに」
 カメックスは答えず、まっすぐヒイラギとボーマンダを見据える。
 サーナイトは意識がもう閉じていくのを感じていた。ただでさえ華奢な体に、重い一撃をもらいすぎた。しばらくは目が覚めないだろう。だから託す。想いと、気付きを。
 肩を強く掴み、今度はスタイラーを指さす。
 カメックスにもスタイラーを示されたことを思い出した。言葉が通じないから、身ぶり手ぶりで、必死に伝えようとするのだ。
 彼女はスタイラーに目を落とす。
 見ているだけの自分、レンジャーの自分。どちらが本当の姿か、考えるまでもなかった。思い出せ、レンジャーの本分を。やるべきことはただひとつ。
 イトハは目を拭い、頷く。
「ありがとう、サーナイト。わたし、もう少しで大事なことを忘れるところだった」
 サーナイトは変化が分からないぐらいの笑みを見せ、ボールに吸い込まれる粒子となった。

「カメックス、お願い」
 カメックスは待っていたとばかり、すぐさまハガネールにハイドロポンプを浴びせる。水流に押され、たまらず穴に潜り込んだ。
 ヒイラギは血相を変えて叫ぶ。
「助けなどいらんと言ったはずだ!」
「馬鹿じゃないの!?」
 いつになく強気の態度に、ヒイラギは思わず硬直する。
「わたしたちばかり言い争ってポケモンに気を遣わせて体も省みずに戦って! 独りでかっこつけたってあんただけじゃ何も出来ないんだよ!!」
 地盤が揺れる。ハガネール出現の予兆だ。
 ボーマンダは痛みにうずくまっており、これ以上戦わせるのは危険だ。
 ヒイラギは戦力を自らボールに戻し、カメックスとイトハを睨む。言い争っている場合ではないのに、ハガネールの波導を必死で追いながらも、想いのたけをぶつけていた。
「貴様もだろうが!」
「そうよ、わたしもよ!」
 独りだけでは、何も出来ない――ヒイラギもイトハも、認めるしかなかった。
「スナッチがないと戦えない」
「悔しいけど……それは事実だ」
「それだけじゃない」
 イトハはサーナイトのモンスターボールを突きつける。ヒイラギから貰ったボールを。
 ハガネールが現れても応戦出来るよう、カメックスは照準を合わせている。
「わたしたちは弱い。戦闘で役にも立てなかった」
「でも、ポケモンたちのことは分かる」
 ヒイラギは目元の皺を寄せられる限り寄せて、つまり何が言いたいかを理解する。
 足元からヒイラギを貫こうとしたハガネールをかわし、手招きした。
「即席ペアは解消だ。来い、カメックス」
 カメックスはヒイラギの下へと近付いていく。波導弾を何発も撃ち込みながら、それでいてヒイラギには一切当たらないまま、ハガネールを打ち崩す。ヒイラギも自分に向かって飛んで来る波導弾が当たらないことを確信している。
 イトハは、ああ、キャプチャの時、手加減されていたのだ、と悟る。
 そっけない態度こそ取るが、心の底からカメックスを必要としている。カメックスもヒイラギといるから最大の力を発揮出来る。イトハとサーナイトがそうであるように。
「おまえもだよ!」
 全身をびくっと震わせる。ヒイラギが同じ調子で相変わらず偉そうに手を招く。呼ばれているのは他の誰でもない自分だ。
 イトハはどこか恍けたように歩み寄る。
「ここまで土足で踏み込んでくる奴はおまえが初めてだ」
「独りじゃ何も出来ない、か」
 ヒイラギはひとりごちた後、起き上がる不屈のハガネールに対抗しようと試みる。
「こいつをスナッチする。その間、キャプチャを頼む」
「分かった」
 彼の瞳からは、疑いのまなざしが消えていた。
 相変わらず読めない心だ。それでも、今は手を貸してやろうと思った。

 トップレンジャーといってもまだ未熟なこの手で、キャプチャ出来るのだろうか。
 でも、やるしかない。
 どれだけ技を撃ち込んだかも分からないのに、ハガネールは戦闘意欲を保っている。恐るべき耐久力だ。ステータス的に言えば、元々防御にこそ秀でるポケモンだが、特防にはそれほど自信がない。ここまで倒れなかっただけでも奇跡だ。
 否、主人を考えれば、そういう風に狙って育てたのかもしれない。ある程度不利な相手に応戦出来るように、意図的に、鍛え上げたのだとすれば?
 なんとなくヒイラギとイトハは気付いていたが、末恐ろしさのあまり言葉にしなかった。
 元Jのボーマンダと波導使いのカメックスが二匹がかりでかかっても倒せない相手が、まさか一旅路の洞窟にいるとは。
「キャプチャ・オン!」
 ディスクをシュートし、まだ鋭気の残る回転力で推進していく。
「ステルスロックが仕掛けられている。右だ。カメックス、スピンで払い除けろ」
 ヒイラギに言われなければ、今頃ディスクは粉々に砕け散っていただろう。
 ハガネールは体をくねらせながら、愚直な突進を防ぐ布石を張っていた。カメックスがスピンと共に敵陣へと突っ込み、ステルスロックの空間座標を無効化していく。
 ヒイラギの指示で方向を逐一確認しつつ、キャプチャ圏内へと切り込んでいく。
 正面から見るハガネールの顔は、今にもイトハを喰らってしまいそうだ。
 負けじと鎮圧の命を下すが、強い思考の波に飲まれそうになる。決して主人以外の人間には屈しないという、絶対的な忠義を守り通す。
 キャプチャの難易度が飛躍的に上昇している。向こうも先程は油断した、あるいは種族として強化された、ということか。もうイワークの時のようにはいかない。
 スタイラーを上手く振るっても、アイアンテールによってラインは途切れる。その度に蓄積されたメンタルゲージを心の拠り所として、ディスクを再起動させる。
「カメックス、はどうだん!」
 これ以上、ヒイラギの手を煩わせるわけにはいかない。決着をつけなければ。
 レンジャーのキャプチャもまた命懸けだ。対話という名の精神戦に打ち勝つことが出来るかは、想いの強さ次第で如何様にも変化し得る。
 まずいな、とイトハは弱気になる。
 カメックスはどこまで行ったとしても味方だ。本気でイトハを陥れるつもりなどなかった。だからイトハも心のどこかで分かってくれるだろうと、甘えていたのだ。
 ハガネールには迷い、言い訳、一切が通用しない。完全に拒まれている。
 黒の戦慄が蘇ろうとしていた。
「どうした? おい!」
 頭を抱えるイトハを訝しげに、ヒイラギが切迫した調子で尋ねる。
 イトハにはハガネールを打ち破り屈服させるだけのものがなかった。ハガネールを駆り立てるもうひとつの要素は、滲み出る殺意だ。
 もう少しで忘れることが出来そうだった衝撃が、フラッシュバックする。
 自らを崩壊の寸前まで追いやったラティオスと、今のハガネールは似ている。あくまで似ているだけだ。だがイトハにはどちらも同じように映り、区別がつかなかった。ポケモンから受ける強烈な拒絶と不信、何者をも寄せ付けない敵意が、彼女を掻き乱す。
 いつの間にか歯が震え、がちがちと音を立てていた。全身を悪寒が包む。ディスクは今にも止まりそうな回転だ。
「できない」
 弱音を吐いたイトハに、今度こそヒイラギは顔全体を歪めて激昂する。
「この、馬鹿が」
「必要なときに使えず、何が力だ!」
 引き際だ。
「退路を確保しろ!」
 これ以上は持たない。キャプチャが完遂されない限り、スナッチも成功しない。来た道を戻り、なんとかハガネールを撒いて戦闘離脱を図る。
 彼女の靴に、ディスクがこつんと当たり、事切れるように止まる。そのままディスクを拾おうとした。アイアンテールの矛先は、イトハを狙う。汗をかき、呼吸も絶え絶えの彼女に、回避の判断能力などある方が不思議だ。
 ヒイラギは舌打ちし、思わずイトハを庇いに出た。力の限り、カメックスに向けて突き飛ばす。背骨が根こそぎ折れるような衝撃がかすり、意識が飛ぶ。
 カメックスは二人を抱えて、全力のハイドロポンプを放ち、敗走した。

はやめ ( 2016/07/31(日) 16:16 )