Phase 14 シャッフル・ペア
先まで立派な足場だと錯覚していたものが、れっきとしたポケモンだと知る。
岩石の連なりが身をよじらせ、波導使いのように前兆なき敵を捉えようと咆える。
イワークが目覚める衝撃に伴う砂嵐の発動によって、一斉に薙ぎ払われてしまった。サーナイトの姿も見えない今、ここからイワークを伝い、ヒイラギたちの回収を試みるのは至難の業である。標的を追いかけ、地中に潜ったからだ。
宙に放られたイトハは、首を回し、眼下に泉を発見する。着水時の衝撃で命を落とすかもしれないが、岩盤に全身を叩きつけられるよりかは生存確率が高そうである。
近くに捕獲可能なポケモンはいるか。波導があれば、即座に識別出来ただろうに。無情にも、トップレンジャーを守れるほど鍛えられた野生は、生息の気配が見られない。
こんな危機は、いくらでも潜り抜けて来た。
レンジャーの制服は飾りではない。衝撃を吸収し、防護服として機能する。
人事を尽くしたら、ポケモンを頼る。
イトハは落下の体勢からストリングを引き抜き、ディスクを撃ち出す。狙いは洞穴から姿を現したズバットの群れだ。姿勢に無理があるため、キャプチャ出来たとしても数匹ぐらいのものだろう。もちろんイトハの着地を助け、安全に運ぶだけの飛行能力には乏しい。一匹でも当たれば僥倖だ。
イトハは目を細める。
外した。
このままでは洞穴に向かってしまう。風や重力が邪魔をしてくるから、スタイラーを振れるかといえば、かなり厳しい。
そのときだった。
電気信号が流されたが如くディスクの動きが目に見えて良くなる。これならば、いける。
一群を掻き分けるように縫い目を描いて、光のカプセルに収納されたズバットたちはこちらへと羽ばたく。レンジャーという職業は、サバイバルの如くポケモンを現地調達して任務を遂行する。生態系が与えたポケモンで何が出来るか、自分はポケモンに何を与えられるか、それらを考えるのが仕事だ。
間に合えば、全身打撲は免れる。おぞましい大群が押し寄せ、イトハという獲物を貪るように分け合い、服を牙で引っ張り上げた。少しでも高度を保つため身を預けるも、地面が近い。ズバットたちもバランスを取るのがやっとで、ひしめき合う中で牙を肩に突き立てる個体もいた。イトハは思わず精気が吸い取られる感覚に顔を歪める。ズバットの顎の力を利用して、僅かでも高度を保ち、引きずられることでの不時着を試みたが、所詮は無謀な作戦だったか。
これから訪れるであろう衝撃に備えようと身も心も固めたとき、彼女を掻っ攫うように甲羅の感触が背中を撃つ。イトハはズバットに噛まれる腕をなんとか動かし、カメックスが取っ手代わりに突き出したハイドロキャノンに掴まる。
ズバットたちを引きずったまま、カメックスは腹を滑らせ、イトハごと泉に落下した。
制服を脱ぎ、イトハは泉で傷口の血を洗い流す。艶やかにしてなだらかな肌に突き立てられた二本牙が、赤黒い傷口を残していた。
なんとなく、隣にいるのが黙々と補水作業を行うカメックスで良かった、と安堵する。ヒイラギを男として意識しているわけでは、決して、ないのだが。
「助けてくれて、ありがとう」
恩人ならぬ恩ポケモンは、言葉だけ受け取る。
ガーゼを咥えたまま、まだ水滴のついた黒髪を後ろにどけ、剥き出しの肩にテープで固定しようとする。応急処置の用具類は常備するのがレンジャーの教えだ。
「ディスクの角度を変えたのもあなただよね」
見立てが正しければ、カメックスが麻酔に等しい水矢を撃ち、ディスクの軌道を変えた。黙々と水を補給するだけで、物言わぬ様子だ。
イトハは口端を緩めた。服を乾かす最中は沈黙が続く。
上着を脱ぎ、インナーだけを着て、ひとまずカメックスと同行する。
サーナイトの安否が気がかりだ、あのイワークは野生だろうか、諸々だ。
一番忘却の彼方に追いやってしまいたいことは、脳内で渦を描き、無意識に思考の中心を占め続けている。誰かは、言うまでもない。
分かり合えない以上に、何か根の深く、寄せ付けまいとする何かを感じさせた。決定的な断絶。眼力、断末魔、思い出す度におぞましくなる。
きっと今の精神状態のままでヒイラギと再会したら、培ってきた強靭な精神も暴発して、自分が自分でなくなってしまう。隣にいなくて良かったという理由だ。
観光用に整備されたと思われる洞窟内に入った。文字に興すのも憚られる悪態にもめげず、カメックスはついてくる。ヒイラギと関われば関わるほど、嫌な女になっていく気がする。スナッチャーになればなるほど、レンジャーからも遠ざかっている気がする。
本分ではない。ここは、自分の世界ではない。
イトハは望んでスナッチャーに配属されたわけではないのだ。今頃もっと別の任務についていたはずだった。アルミア地方での予期せぬ、或いは予期されていた、不運な巡り合わせによって、イトハの境遇は一変した。
思い出したくない記憶を払い除けるように、目にかかる前髪をはらう。
後ろの堅物は人間の言語を理解しているはずだ。主人であるヒイラギがどれだけ貶されようとも、カメックスの表情は揺るがない。メガシンカ出来る人間とポケモン――イトハから見るヒイラギ像とは正反対だ。ふと歩みを止め、心にもないことを尋ねてしまう。
「正直に答えて。あいつみたく、わたしのことが嫌い?」
ポケモンに何を八つ当たりしているのかと、すぐさま自己嫌悪の念に駆られる。
垣根を越えた関係を求めるあまり、カメックスにまで疑いのまなざしを向けてしまうとは。あろうことか助けてくれたポケモン相手に。
自信なさげにおずおずと振り返る。カメックスは堂々と待ち構えている。見切りをつける素振りすら見せず、太い指でスタイラーを指す。
ごく当たり前のことに気付かされた。
「キャプチャで汲み取れってこと」
レンジャーらしさを焚きつけようという挑発の裏返しか、ヒイラギのパートナーとして擁護しているのか。「ポケモンの声を聴きたいなら、レンジャーの流儀に従え」と、その道の先輩から何度も教えられてきた。
スタイラーのストリングを掴みかけ、ふと、失敗の光景が脳裏をよぎる。
ラティオス――自我を崩壊させたポケモンとのキャプチャが、瞬間的に蘇った。
「あれ、おかしいな」
手が小刻みに震えている。
苦笑いを浮かべて誤魔化そう、魂胆は丸見えだったか。カメックスは砲口をまっすぐに向け、一切の手加減はしない、と戦闘態勢に入る。
壊れかけの今だからこそ、カメックスはイトハと向き合おうとしている。お互いパートナーと離ればなれになり、全く違う生き方をしてきた者同士、一対一で。
「カメックス……」
イトハは口元を結び直す。全力でかからねば失礼だ。
サーナイトにもう少し待っていてくれ、と告げる。そして、引き抜いた。
結果から言うと、ヒイラギはサーナイトに助けられた。
イワークに隔てられた状況では誰を助けるべきか、判断の余裕すら与えられなかった。無論、彼だけをテレポートさせるのは躊躇もあっただろう。だがサーナイトはヒイラギがイトハにとって必要な存在である、と確信したからこそ手を差し伸べた。
事態が事態だったので、座標を特定出来ない洞窟内にて目覚めることになったが。
岩場に身を預けていたヒイラギが目を覚ますと、サーナイトは冷たく横目で迎える。目線以外を全く動かさず、簡潔に問う。
「おまえがここまで連れて来たのか」
サーナイトは人間とそう変わらない所作で頷く。
「驚いたな」
不敵に、かつ皮肉を含めて言い放つヒイラギの様子に、良好な変化は見られない。
「おれは、おまえがサイコキネシスをかけたものだと思っていた」
「おれを助けることで襲撃者ではないと信じ込ませる。それが狙いだな」
喋りで観察を臭わせないようにして、波導を視る。
ひどく落ち着いたもので、ヒイラギの悪意ある詰問にも動じない。それで気が済むなら有罪にするがいい、と視線で毒づく。やはり、疑いの余地はなく、襲撃者とは別物。
空のモンスターボールを確かめながら、無礼を極める。
カメックスとメタモンがいないと分かった瞬間、魂の抜けたように動きが止まった。しばらくしてから事態を飲み込んだようだ。サーナイトにとっては知ったことではないが。
内通者と念力の相乗効果で精神をごっそり削り取られた後、手持ち行方不明という仕打ちに、頭の回転も追いつかないのだろう。ヒイラギに感情を露わにさせる存在がいるだけでも、驚きに値する。彼は唐突に立ち上がった。
「今のおれは丸裸も同然だ。呆気ないものだな?」
乱暴に捨て台詞を吐きながら、皮肉げに口端を緩めた。
「波導は真実を克明に語る。それに、察しぐらいついていたさ」
「あいつが、念力を浴びせた犯人ではないことぐらいな」
彼は生気を感じさせないまま、サーナイトの傍らをふらり、力なく通り抜けた。
しばし逡巡したのち、背後からヒイラギを追いかけようとする。サイコパワーの浮力で、滑るように歩きながら。ヒイラギがぴたと止まり、一定のトーンで警告する。
「おれはいざとなれば、おまえをスナッチすることも出来る」
着いて来るな、と言いたいのだ。
カメックスとはぐれ、メタモンもどこかに消えた。オツキミ山に生息するはずのないイワークがいた。ボーマンダこそいるが、ヒイラギの心の隙間を埋める存在とは言い難い。
現状、最も頼りになるのは、目の前にいるサーナイトだ。ヒイラギはカメックスたちを回収し、イトハと決着をつける必要がある。サーナイトがイトハを探す以上、利害は一致している。
「おまえの主人に会わせてやる。その代わり、カメックスとメタモンを探すのに協力してもらおう。出来ないというならおまえをスナッチする。これが同行条件だ」
ほぼ脅迫に近いが、ヒイラギの敵意は未だ解けていない。お互いを疑いつつも、お互いを必要とし合う、奇妙な関係性が萌芽の兆しを見せた。
サーナイトは頷く。条件は承諾された。
思えば、イトハの隣にはいつもサーナイトがいた。単なるアシストに留まらない存在が奮い立たせてくれたものだ。ラルトスからサーナイトに至るまで、彼女を見守り、時として盾にもなったポケモンが、今はいない。
孤独に耐えながら、カメックスの猛攻に身を翻す。味方相手でも本当に容赦する気はないことが、くり抜かれた岩盤からうかがえる。水砲をかわしつつも、中心にいるカメックスを囲いの外からは出さない。片足を伸ばし、腰を落とした体勢で、じっと目を凝らす。
同じ階層で戦っていても埒が明かない。カメックスの動きを無視して、薄暗い石段を登って行く。ディスクが彼女の足元を並走する。
カメックスは回転をやめ、照準を合わせに入る。司令塔不在でここまでレンジャー相手に立ち回れるポケモンは初めてだった。余程戦い慣れしていなければ、ポケモンは人間ほど合理的な思考で行動出来ない生き物と考えられているからだ。
地上から狙撃態勢を取るカメックスと、外周を利用しターゲットを俯瞰するイトハ。カメックスがいくら射撃に優れていようとも、標的が移動するとなれば、命中させるのは容易でない。しかし、目前のポケモンを、ただのカメックスだと思うことなかれ。
カメックスがキャノンから撃ち出したものは、自身をここまで導いてきた気の集合体だ。忘れてはならない、他でもない波導使いだと。
万物を感知するエネルギーは、必ず間近の波導をキャッチし、捉えて離さない。
試しているのだ。トップレンジャーたる所以を。どう対抗するかを。
イトハの経験値にカメックスより手強いポケモンたちは沢山いた。それでも手こずらされているのは、なかなかカメックスの陣内に攻め込もうとしないからだろう。言葉で決意をしても、身体の動きは露骨に接触を嫌がっている。まだキャプチャ行為に躊躇いがある。
カメックスの眼光は、こちらへ来い、と語っている。
逃げているなんて思われたくない――イトハは受けて立った。命を抱くように火花を散らし、電流に打たれた独楽が、軸から波導弾と激突する。
爆発に紛れ、イトハが段差から飛び降りる。もうひとつのディスクをセットし、前進しながらシュート。正面から波導弾には対処出来ない、だからイトハはディスクをひとつ犠牲にしてでも、カメックスを捕らえる好機がやってくることに集中した。
退避を繰り返していた相手が急に接近してくれば、一瞬でも動きに気を取られる。
カメックスの隻眼と、潜り抜けようとするイトハの視線が、交錯した。
イトハが腕を振るうと、ディスクはカメックスを囲み始める。後はトップレンジャーの独壇場だ。
「あなたが何を見て、何を感じて来たか……。見せてもらいます」
イトハの脳波・脈拍・思考を伝達する媒介として、アクセサリのピアスからスタイラーに、スタイラーからディスクのキャプチャ・ラインへと、高速で命令が送られる。
カメックスは前傾姿勢で、地盤ごとくり抜こうとキャノンを伸長させる。イトハは咄嗟に宙返りを決め、甲羅の上に着地する。周りだけが陥没し、地響きが甲羅という足場を揺らす。カメックスは根本にキャノンを付け、噴水し、疑似飛行形態でふるい落とそうとした。ディスクの軌道が追いつかず、キャプチャ・ラインが途切れる。
「是が非でもキャプチャさせない気ね」
イトハは背中ごと倒れ込み、引き剥がされないよう後ろ手にキャノンを掴む。希望をへし折るように、カメックスはキャノンと全身を甲羅の中へと収納する。そのまま重力に抗わず、落下を始めた。
このままでは着地の衝撃に生身で耐え切れない。身の危険を感じ、甲羅の上から先手を打ってダイブする。案の定、イトハが地に足をつけ、後ろ足を引こうとする頃には、激しい回転が生じ、水流となって撒き散らされる。
逆に言えば、イトハの波導を感じられない今こそが最大の好機だ。
甲羅での回転、そこから連続して放たれるハイドロポンプは、カメックスにとっても負担が大きい。対して、攻撃を凌いだイトハにはまだ機動力が残っている。陥没した岩場を利用し、ディスクの回転力を保つ。甲羅から顔を出し、巨大な両脚で振動を響かせる頃には、イトハの存在がカメックスの波導へと流れ込んできた。
拒まれることなく、キャプチャを通して彼女だけが知る深層心理に辿り着く。ヒイラギでも覗けない秘密を、レンジャーはいとも容易く暴いてしまう。
カメックスの思考に敵意は宿っておらず、実力を認め、迎え入れるように穏やかだった。否、実力だけならばスナッチャーの誰もが頼りにしている。肝心なのはその先、イトハというニンゲンをカメックス自身が受け入れてくれた、ということだ。余計にヒイラギの狭量さが浮き彫りとなって、カメックスに怒りをぶつけてしまいそうになる。
すると、カメックスが痛みを堪えるように目を瞑る。スタイラーやキャプチャ・ラインを利用したポケモンへの思考伝達は、レンジャーの意志が強すぎると、ポケモンにもダメージを与えかねない。
イトハは心の中で、想いを綴る。
――ごめん、カメックス。でも、わたしは知りたい。だってきっと、このままじゃいけないと思うから……。
カメックスの痛みが和らいだか、はっきりとイトハを見据える。言葉を交わせなくても、対話しようとしているのだ。トライアングルに囲われていくカメックスと残像が重なる。たった一瞬だけの映像、しかし、まるで当事者として目撃したような臨場感をもって、脳裏に焼き付いた。
炎の中に佇む、ヒイラギとカメックス。
見てはいけないものを見てしまったような気がして、思考を中断しかける。
ふと我に返るときには、ディスクの回転が止まり、カメックスのキャプチャは完了していた。レンジャーへ何かを託さんとする力強い瞳に、まだ諦めの色はない。