Phase 10 水平線上攻防二十四時
スナッチャーはヒイラギの活躍により、見事ミッション1をクリアした。
一同はスイートルームに集い、元プラズマ団科学者と対面していた。
アクロマに協力を要請するにあたって、ジュノーは念のため、敵の刺客でないかどうかの確認を提案する。まだ敵が船内に潜んでいるかもしれない以上、賢明な判断と言えよう。
「尋問はおれがしよう」
ヒイラギは波導の微妙なバランスをも見分ける眼を持つ。異論を唱える者はいない。
波導使いとは、常に振れ幅の大きい精神を一定に保つ者たちである。ロータの里では、まず徹底的に不動の心を教え込まれる。些細な事柄に気を取られず、物事を自然のままに受け入れる特訓に年月を費やす。未熟者が迂闊に波導を使用すれば、力の負荷に左右された心が乱れ、身を滅ぼしかねない。
過去にも、波導の濫用例はいくつかあった。一族から永久追放を叩きつけられた人間とポケモンもいる。歴史ある一族には、どうしても負の側面が付き纏う。これもまた真理だ。
「仮面を引っぺがしておきながら、まだ剥がし足りないのですか」
「念のためだ。新たな事実が判明するかもしれない」
「失礼をお許しください。これもまたあなたを清廉潔白だと証明するためなのです」
「構いませんよ」
ヒイラギがアクロマの正面に腰掛け、双眸をうかがう。善悪よりも好奇心を優先する色だ。目は、最も心を表しやすい。例えば、口元を取り繕えども、目はむしろ緊縮しているとき、相手は顔面に矛盾を有している。気を許さない怒りの表れだ。
今のアクロマは情緒に安定がもたらされている。自分を支配出来るものならばしてみるがいい、という挑戦的な目つきだ。
ヒイラギは膝を組んで肘掛に手を突き、尋問のルールを説明する。
「……いくつか質問をする。はい、いいえ、このどちらかで答えろ。警告しておくが、嘘をついた場合、おれの五感は波導のぶれを察知する」
「はい」
早速、機械のように了解の意を返してくる。ヒイラギはアクロマの持つ空気感に、なんとなくやりにくそうな気配を感じた。深層心理の分からない人間は、かえって他者を深淵に引き込みやすいのだ。
「司令官、質問を」
「あなたはプラズマ団のボスだった」
「はい」
「あなたは波導使いである」
「いいえ」
当たり前ではないか、とイトハは思った。しかし、アクロマが自らを波導使いではないと否定することで、ヒイラギへの心理的対抗術がないと断定出来る。この尋問はヒイラギとジュノーによって偽りなく行われる、という手始めの確認だ。
「あなたは政府によって送り込まれたか」
「いいえ」
上層部はスナッチャー司令官・ジュノーに作戦指揮権限を一任している。逆に上官が裏から手を回すときは、アクロマを罠にかけようとする敵スパイが潜入している恐れがある。
コンタクト自体が第三者に仕組まれた可能性は低く、協力要請にあたっての弊害はない。
「ロケット団とのコネクトはあるか」
「いいえ」
支援者の追及だが、嘘はない。アクロマはロケット団と繋がる手段を持っておらず、バックが疑われるシルフ事件にも関係はない。イコール、ハンター側の味方でもない。
「乗船はひとりで行ったか」
「はい」
「乗船までの過程を手伝った者はいたか」
「はい」
「それはプラズマ団か」
淡々とジュノーの声だけが室内に冴え渡る中、返事が止まった。
ヒイラギはまっすぐにアクロマを睨み付ける。
「答えろ。おれに嘘は通じない」
ヒイラギは後ろを振り向き、困った顔で首を横に振る。波導に精神的なぶれはない。
「はい、いいえ。どちらかで答えろ、そう言ったはずだ」
「アクロマ、大事なことです」
「そのどちらにも当てはまらない場合は――」
「説明を伺いましょう」
「わたくし、手紙とチケットを受け取りました」
アクロマは胸ポケットから、判を押されたチケットと、正体不明の手紙を差し出す。
チケットに添えられた手紙の文面は簡素だった。
【あなたとお会いしたい。サント・アンヌ号にて合流を】
ヒイラギは一通り文面に目を走らせ、ポケモンの力による加工などが行われていないことを確認する。端には、プラズマ団のエンブレムであるPZが炙り出されていた。
「それはプラズマ団が秘密のやり取りを行う際に用いるサインです」
ヒイラギは感心したように炙り出しを様々な角度から眺める。
「これは大事な手掛かりです。こちらで預からせていただいてもよろしいですか」
ジュノーの質問はイトハがパーティーで接触した男性について問いただそうとする意図があったのだろうが、思わぬ拾い物をした。ますます偶然の一致とは思えない。
「今回の敵の黒幕を知っていますか」
「はい」
一同が傾聴の姿勢に入る。
「それは誰ですか。名前で答えてください」
「ポケモンハンター、J」
一同が溜息をつく。アクロマは目を丸くした。ジュノーは動じずに質問を続ける。
「スナッチャーとの接触を試みたか」
「はい。それはあなた方の組織名でしょうか?」
「そうだ」
「初耳です」
「初めて? 知らずに接触したのか」
「はい」
尋問のはいか、自然に出た返事が、区別がつきにくい。ジュノー以外はだんだん胡散臭くなってきているようだ。しかし、波導は嘘をつかない。アクロマの曖昧な返事も含めて、すべてが正当化される。余計に混乱するばかりだ。
しかし、ジュノーは自信ありげに言い切ってみせた。
「ここまでは読み通りです。それでは、わたしたちスナッチャー構成員の内、ひとりでも知っていた人物はいましたか」
「いいえ」
「つまり、誰のことも知らないと」
「司令官のことも知らないのか」
「はい」
「では、これで最後の質問にします。波導使いを探していたか」
「はい」
「……やはり」
「どういうことだ」
ヒイラギは片手で顔を突きながら考え込む。
「鍵は〈メタモン〉ですよ」
「メタモン?」
ヒイラギは、メタモンで変装していたアクロマのことを思い出す。あれはプラズマ団としての正体を万が一でも知られることを恐れた、防衛策の一種だ。
「メタモンでの変装など、見破れるのはポケモンの存在を感じ取ることが出来る者だけ。波導使いぐらいのものでしょう」
「おれを探していながら、メンバーの誰も関知していない。矛盾だ」
「そう、ヒイラギの言う通り矛盾です。わたしの予想が正しければ、この尋問はひとつの問題を掘り起こしてしまったかもしれません」
ジュノーは全員を見回してから、衝撃の事実を告げた。
「アクロマは恐らく……ですが、記憶を改竄されている可能性が高い」
「改竄!?」
スナッチャー全員が聞き返す。ジュノーは深刻そうにアクロマを見つめた。
「そうですね、アクロマ」
「改竄、かどうか分かりかねますが……思い出そうとしても、思い出せないことや、あ、そうだ、記憶に鍵がかかっているような感じがしますね。まるで、
心理錠とでも言うべきような」
人差し指を立てながら、ひどく楽しげに分析するものである。
「わたしたちのことを知らないのに、ヒイラギを探していた、というのは理に適わない。一方で、ポケモンハンターJという敵の情報は掴んでいる。しかし、スナッチャーのことは暗部とはいえ、かつて裏社会に精通していたあなたが知らないのも不可思議だ。それにスナッチャーのことだけが、都合よく記憶から締め出されている。一体何故、そんな矛盾が起こり得るのか? 答えはひとつ。記憶を改竄されたからです」
「わたくしが実験体にされたと。普段実験する側であるわたくしを。実に面白い」
「面白くないわよ、こっちは」
「やめてやれ」
イトハが毒づき、ホオズキが宥める。
ジュノーはアクロマに文字通り手を差し伸べた。
「ご安心を。わたしたちはあなたの記憶を改竄した人物を暴き、倒してみせます」
「それは心強いですね」
「わたしたちは、あなたに協力を漕ぎ付けたく、ここまでやって来ました。それはあなたも同じだったはずです。元プラズマ団科学者としての技術を、今度は世のために役立ててほしい。どうでしょう」
「ふうむ……」
アクロマが思案し、ヒイラギを見つめ、見つめられた本人は迷惑そうに眉を吊り上げる。
彼は席を立ち、尋問から解放されて晴れ晴れとした気持ちを全身で表現する。両手を広げ、窓の外に向かって語りかけるように。
「わたくしの生涯に渡る研究テーマは【ポケモンの力は、何によって引き出されるか?】。ここにいることで、わたくしの仮説が更に強い根拠を持つならば……手を貸すことも、やぶさかではない」
「それは、このヒイラギが保証しましょう」
「司令官、どういうことだ」
「あなたはチーム中で唯一〈メガシンカ〉を使いこなす戦士です。メガシンカはポケモンとの関係性が最高点に達したときのみ実現される。ヒイラギとカメックスは、アクロマの研究対象として申し分ないでしょう」
アクロマは振り返り、ヒイラギという男を上から下から、舐めるように眺める。
「面白い。あなたのカメックス、よく鍛えられていました。あれだけのポケモンに出会うのは」
いつかの感傷に浸る時間が欲しいとばかり、間を置いてから強調する。
「四年ぶりです」
「勝手にしろ。ただし、その研究とやらで任務の邪魔はするな」
こうして、アクロマとスナッチャーの間に、協定が結ばれたのだった。
引き続き、プラズマ団関連の謎は残されたままだが。
展望デッキで夜風と塩の匂いを感じようと思ったら、ヒイラギとイトハはたまたま同じ場所に居合わせた。プライベートと任務の接触は意味が違う。お互い表情筋を失い、気まずそうに距離を取る。
スナッチャーにはしばしの休息が与えられた。仮眠を取り次第、翌日、残る懸念事項の調査を始める。プラズマ団と取引、果たして二つの要素は結びつくのだろうか。
富裕層のほとんどが眠りに就いた頃、まだ起きていた。深夜の豪華客船は、何にも縛られず、景色を堪能出来る。仄かな光がぽつぽつと灯り、みずポケモンたちの標識となる。南下するにつれ、キャモメの数が多くなってきたようだ。
イトハは大海を望みながら、ヒイラギは柵に寄りかかりながら、今日を回想する。
「波導ってなんでも分かっちゃうんですね」
ヒイラギの方を向いて、それとなく問いかける。愛想も答えも返ってはこない。ただでさえ距離感があるから、放った言葉は空しく海に散った。
「そのままわたしの心も見透かしてしまう?」
「そうだな」
おいしいみずのボトルを握り締めながら、ヒイラギは蓋をしめる。
「おまえの心も、いずれ掌握してやる」
夜の闇よりも深い一言を聞いた気がして、イトハは沈黙する。
「冗談だ」
「冗談なんて言葉を知ってたことに驚いてる」
「悪いことをした」
「微塵も悪いと思ってないくせに」
イトハのことも見ず、一定のトーンで言うので、反省の色は無に等しい。
「おれに人の心を操る力はない。あくまで波導の違和感を感じるだけだ。それに、波導はそんなことをするためにあるものじゃない」
語気が強まっていく。波導使いとしての矜持を垣間見るような気分だ。
「嘘を見抜く、と言えば……聞こえは良いがな」
「今夜は饒舌ね。酒でも回ってるのかしら」
つとめて冷酷に聞こえるよう、イトハはゆっくりと嫌味を言う。
「アルコールは忌避すべきものだ」
「波導使いはね」
「レンジャーは酒を飲むのか」
「人によりけり」
イトハは頬杖を突きながら、こうしてヒイラギと話すことを心の底から嫌がっているわけではない自分に少し戸惑う。船に乗る前は憎まれ口ばかり叩いていた奴と、どうして。
浮ついた豪華客船の空気が、彼らを気まぐれにさせるのだろうか。
それとも、シルフやリニア、ハナダの洞窟とコンビでそれなりに切り抜けてきたことが、自然と彼らを近付けているのだろうか。
「これが任務じゃなければ……誘ったかもね」
「何に」
「飲みに」
「嘘だな」
即答である。
「ばれた?」
ヒイラギの横顔を思いっ切り見つめながら、得意気に茶化す。
「わたしのこと、信じてますか?」
「味方だとは認識している」
相変わらず頑なな言い方である。
「まさか、おまえがおれの背後を取れる度胸があるとも思えないしな」
鼻で笑い飛ばされたので、むっとする。
「一言余計ですよね、いつも!」
「明日は早いぞ。眠気を見せたら潰す」
つくづく、話し相手が女性だとは思えない言葉遣いだ。ヒイラギはペットボトルをゴミ箱に投げ捨てて、そのまま去っていった。
ツアー二日目。
スナッチャーの起床は早く、医務室で簡素な健康診断を受ける。著しい環境の変化に身体がついていけているかの確認である。船内の医務室は簡単な手術ぐらいならば出来る設備が整っている。撮影したレントゲン結果は、すぐさま本部の方に回線を使って画像データで送られ、専門医が診療をアシストする。三人ともこれといった変調は見られない。
議論の焦点は、昨日接触してきた男とプラズマ団の同一性について。
まだ根拠と言うには脆く、あてが外れた場合は振り出しに戻る。とはいえ、放っておくわけにもいくまい。ホウエンは近い。時間は惜しく、一秒でも無駄には使えない。
「司令官は、取引人と記憶改竄者を同一人物だと考えているのか?」
「いえ、敵が複数いる可能性を考慮しています。最悪の事態を想定すれば、取引の役目も、わたしたちに対する反撃も、ある程度のサイクルで回せるように仕組んでいるかもしれない。敵を単数と捉えるのは愚かです。わたしたちとて複数なのですから」
「ならば、昨日わたしが言ったように、アクロマを囮に出すべきだ」
ホオズキはあくまで攻めの一手を重視する。これにはイトハが反論する。
「誰が守るんですか。かつてのボスから記憶を捻じ曲げられるような奴が、敵にいるってことですよね。リスクが高すぎます」
「確かに、そうだな」
「ヒイラギ。アクロマを警護することは出来ますか」
ジュノーが問う。アクロマはヒイラギを興味ありげに見つめた。
「……善処しよう。その代わり、プラズマ団の捕獲は任せたいが」
「そうですね。この中ではわたしが彼を知っている。引き受けましょう」
「では、イトハ・ホオズキはプラズマ団および疑いのある人物を拘束。ヒイラギ・アクロマは囮として敵を誘き寄せる。異論はありますか」
一同は沈黙にて肯定する。
虚虚実実の駆け引きは始まったばかりである。ひとつのプランが瓦解したからといって引き下がる司令官ではない。ジュノーはこの作戦に只ならぬ熱意を抱いている。
「しかし、男を探すためには姿に関する共通認識がなければならん」
尋ねたのはホオズキだ。
「わたしのパートナーをお忘れかしら?」
イトハはサーナイトの入ったモンスターボールを見せる。念写だ。サーナイトが捉えた人物像をテレパシーで共有すれば良い。
「それでは、ミッション・スタート」
吉と出るか、凶と出るか。かくして、ミッションは開始された。
スナッチャーは昨日よりも厳しく監視網を光らせていたが、数時間変わりはなかった。
事態は午後、動き始める。アクロマは大女優カルネ主演の『ミアレの休日』を是非とも紹介したいという口実で、6デッキのポケウッド・シアターへとヒイラギを連れて行くのだった。監視のついで、と断りを入れながら。
映画鑑賞の際、ポケモンをボールに入れておくことは一般的なマナーである。だから、ヒイラギは劇場内にポケモンの気配が紛れているのが疑問でならなかった。モンスターボールは波導を遮断するからだ。アクロマは任務そっちのけで中身に没頭している。何人かの観客は席を外しては、また戻ってくる。
今度こそ、移動する波導の中に、件の違和感を見出した人物を見つけた。退室を確認してから、ヒイラギも席を立つ。アクロマを追いかけたときの自分を思い出すようだ。
後をつけると、女性用化粧室に入っていく。髪の長さからして、女性だ。色は橙ではない。顔までは確認出来なかったので年齢の推測には早すぎる。向こうは余程五感に優れていない限り、距離的にこちらを感知出来ていないはず。カメックスをすぐ出せるようにボールを手の内へと滑らせる。
後は待ち合わせを装ってソファに座り込み、一点を見張るだけだ。アクロマが名残惜しそうに劇場から出て来たので、視線を合わせて人差し指を口元に立て、沈黙を合図する。
化粧室から出て来た女性を焼き付けるように睨む。皺などは刻まれておらず、まだ三十代もいかないように見える。サングラスを着用しており、目元の様子が分からない。血のような口紅と白い肌が対照的だ。傍目に見れば美人という印象を与えるが、忍ばせた綻びはどうしても拭えない。その細かな矛盾から真実を引きずり出そうと、目を細める。
息を殺し、開閉スイッチを押す。モンスターボールが手のひらサイズに収まった。後は女性の背後を狙い撃ち、身柄を拘束するだけだ。段取りは淀みなく進んでいるかと思われたが、アクロマを見るや否や女性は反射的に手を伸ばし、連れ去ろうとする。待て、と無駄口は叩かない。ヒイラギは腰をあげ、カメックスを繰り出した。ようやくの護衛任務だ。
女性は去り際にポケモンを繰り出す。赤と青のコントラストが目を惹くあのドラゴンポケモンだと一目で分かり、目立たずに行動しなければならない制約が裏目に出た。こうなれば腹を括り、短期決戦で済ませるしかない。当然ギャラリーも湧いてくる。
「ハイドロポンプ。羽を封じろ」
カメックスは壁の如く立ちふさがるクリムガンだけに狙いを定める。
女性はアクロマを盾にするどころか、下がるように顎で指示する。傷つけたくはないということか。アクロマの瞳はヒイラギの救出を待っているようだ。
攻撃の前に、サインを出した。顔を爪でひっかくような動作を了解する。
クリムガンは竜の頭部かと見間違えるほど爪を巨大化させ、水流を打ち消してしまう。手練れだ。一筋縄ではいかない。
前傾姿勢で咆え、羽を広げて迫り来るクリムガンを、カメックスが両腕で受け持つ。その隙にヒイラギは主砲を掴んで甲羅を上り、クリムガンの頭を踏みつけ、そのまま滑り降り、女性に手刀を食らわせようとする。彼女は潜り込んで腹に一撃を加えるが、鍛え上げられた鋼鉄の肉体はものともしなかった。カウンターにしばらくよろめき、アクロマを手放す。ヒイラギは下がるように腕で庇い、これ以上近付けさせまいとした。
「さすが、わたくしの護衛です」
「奴は? Jの一味か。容姿が似ている」
「可能性は高いでしょう」
カメックスを流し見る。クリムガンに絞め落とされそうになるも、熾烈な双眸はしっかりとおやを見据えていた。アクロマは揺らぐことなき繋がりの発現を今かと待ち望む。
「さあ、見せてください。あなたたちの絆を」
「絆などという陳腐な言葉で量れるほど、おれたちの関係は簡単なものじゃない」
ヒイラギは胸ポケットからキーストーンを取り出し、上に放ってから横薙ぎにキャッチし、力強く腕を広げる。瞬く間にもうひとつのストーンと呼応を始めた。
カメックスの体躯に明らかな変化が訪れ、クリムガンの束縛を無理矢理解く。女性はクリムガンの背に飛び乗って、距離を置いた。
続いて、目から二本指を突き出すサイン。クリムガンは再び咆哮し、カメックスを萎縮させる。技の初期動作から見破ったアクロマが叫ぶ。
「いけない。へびにらみです!」
「殻に籠り、回転」
カメックスはメガランチャーと腕、脚、頭部を引っ込め、その場で激しくスピンする。ヒイラギは向かってきた甲羅に飛び乗り、アクロマを引っ張り上げる。細い手すりを伝って、そのまま後退する様は一種の曲芸だ。クリムガンは女性を乗せたまま階段を一気に飛ばし、後を追う。決して離すまいと握ったアクロマは腕ごと宙に浮いた状態だ。
「いつもこんな戦い方を?」
「おまえは敵の動作に目を光らせろ」
戦士の剣幕に一蹴され、この際アクロマは文句を言わずナビゲーターに徹する。
後方にエレベーターが見えた。そのまま客を押し退け、甲羅ごと殴り込みを入れる。ガイドはたちまち悲鳴をあげて役目を放棄した。アクロマがスイッチを押してからドアを締めようとするも、クリムガンは隙間に爪を挟んでこじ開けようとする。まだ重量オーバーじゃないだろう、と言いたげだ。ヒイラギとアクロマは不格好な体勢のまま、眼前に迫る脅威との交戦方法を講じる。
「ど、どこに行けば!?」
「11デッキだ。11を押せ!」
「何か策が!?」
「カメックス撃て!」
クリムガンの両手に照準を定め、ランチャーの砲口が唸りをあげる。痛みのあまり耳が張り裂けそうな叫びをもって、エレベーターを遂に見送ってくれるかと期待した。しかし、水流の衝撃が逆にドアの幅を広げてしまい、そのまま身を捻じ込む。カメックスとクリムガンが対角線上に対峙して組み合ったまま、巨大エレベーターは上階へと発進した。女性の正体を突き止めようとしても、クリムガンが壁となって攻撃を阻む。
アクロマは隅にいる隙をうかがって、ジュノーとの連絡を試みた。
「こちらBチーム。ヒイラギが不審人物と交戦中。応答願います」
『今、Aチームから連絡があったところです。無事ですか』
「ハイドロポンプで叩き伏せろ!」
「ええ……エレベーターでクリムガンと戦ってますよ」
『一度にふたつもの場所で、事態が進展するとは。これが敵の目論みだとしたら』
『こちらイトハ、件の男性の行方を見失いました。捜索を、あ、ホオズキ!』
『イトハ? 聞こえますか、イトハ』
ジュノーは極めて慎重に語りかけ、メンバーの不安を増長しないよう気を遣っているが、事態は悪化の一路を辿る。連絡から察するに、イトハとホオズキは昨日の男性と再接触したようだが、突如発生したノイズにより会話を聴き取れなくなってしまった。同じように襲撃・妨害を受けた可能性は考えられる。しかし、ヒイラギたちはそれどころではない。
11デッキ到着が無機質にアナウンスされた。
途端、カメックスは波導の連射をクリムガンの腹に撃ち込み、外へと押し出していく。少しでも体勢を立て直そうとすればボディーブローを与えるように。へびにらみさせる隙を一切与えず、畳み掛けて行く。
「おまえたちの相手をしている余裕はない。早急に終わらせてやる」
スナッチコアを取り出し、モンスターボールの開閉スイッチに突き合わせる。波導をエネルギー源とするスナッチコアが起動し、ボールとの接触回線でスナッチプログラムを組み込んでいく。モンスターボールにバグのような線が透けて浮かび、準備は完了した。
クリムガンは体内のエネルギーを振り絞るように筋肉を増強させ、簡単にカメックスを放り投げた。波導漲るモンスターボールがアンダースローで投擲された。しかし、背筋に強烈な痛みが走り抜け、見当違いの角度へとずれたボールはクリムガンを避けて通る。
辺りはすっかり阿鼻叫喚で、人々の雑音が集中力を切らす。自分が虚脱していく錯覚に捉われた。いや、錯覚ではない――タキシードの背部が破け、そこから布を赤く染める血が脇腹や肩に至っている。アクロマはクリムガンの裂けるように眩しい鱗を見て、気付く。
「〈さめはだ〉……背中を滑り降りたときに」
胸を支え、膝をつくヒイラギを見て、カメックスは片方しかない瞳を大きく見開く。クリムガンが狙っているのも忘れるほど、食い入るように凝視していた。眼球の震えは、単なる攻撃を受けたときの反応とは違う。
「あのときとは違う。構うな!」
ヒイラギは厳しく跳ね除け、あくまでも目前の標的撃破を自覚させる。
カメックスはそれ以降、戦いの鬼と化した。頭部のランチャーでクリムガンの顎を突き上げ、右腕のランチャーと甲を使って裏拳を叩き込む。クリムガンと女性もろとも壁に食い込んだ。メガランチャーから色の異なるドラゴンを模した波導が奔出し、噛み付き、貪るようにしてクリムガンを飲み込む。昇竜の勢いにまるで太刀打ち出来ぬまま硝子を突き破った数秒後には、水が溢れるような轟音が支配した。
あまりにも一方的な決着だった。一時的に波導を昂ぶらせすぎたカメックスはやるべきことを終えて地に伏す。
アクロマはまじまじと、ヒイラギ・カメックスの両者を見つめる。必要な意思疎通が完成しているから、必要以上に馴れ合わないのだろうか。徹底した厳しさの中で育まれた闘争本能が彼らを結び付けている。アクロマはこれ以上ない興味を覚えるのだった。
先程まで泳いでいた人々やポケモンは慌てて避難し、早くも規制が敷かれている。ヒイラギたちはそれよりも女性の安否が気がかりだった。
「これ以上は立ち入り禁止です。船内で戦闘行為が行われたようで」
「おれがやった。政府の人間だ、通せ」
ヒイラギとアクロマはポケモン協会員証明書を見せると、恐れ慄いたように男性は退く。
プールに落ちたクリムガンは既に回収されていた。逃げ足の速い刺客である。
「クリムガンは体温が下がると動けなくなる。だが、カメックスの水量では足りなかった」
「そこでプール。最初からポケモンの生態を理解した上で戦っていたわけですか」
水面が赤みを帯びていることに気付く。日が沈もうとしているのだ。
「あの女を探すぞ」
「ヒイラギ!」
改めてジュノーと通信を取り直そうと試みる。そのときだった。
不覚を取られた。結果的に勝利したとはいえ、並の人間ではとっくに意識不明の重体だ。
アクロマが反応するよりも早く、電撃が閃いた。二筋に分かれた青い電線は、ヒイラギとアクロマの耳孔を正しく撃ち抜く。すぐさまマイクを投げ捨てた。反応が遅れたアクロマはそのまま気を失ってしまう。
幾何学的なボディのポケモンを察知して、何が起こったかを理解する。中心部分のコアが七色に輝く様は、この場合美しさに見惚れるというよりも、不気味でしかなかった。
スターミーから顔を覗かせる女性は、ヒイラギをどこまでも追い詰める。
「こちらは手負いの身だぞ」
ニヒルに強がってみせる。最悪、戦闘続行だ。手持ちは一匹残されているが。
ヒイラギの予想に反し、女性はスターミーからそっと降りてきた。謎のポケモンはというと、夕空へ回転しつつ飛翔する。次には、波導の中に潜む違和感――アクロマと同質のそれ――が目の前で全身から剥がれ落ちた。
「メタモン!」
足元で粘着性の高い生き物ともつかぬそれは息も絶え絶えだ。女性は労うような目つきでボールにメタモンを戻す。最小限の波導で正体をごまかす手伝いは負担だっただろう。
「おまえはプラズマ団か」
女性はこくりと頷いた。澄んだ瞳と、濡れた橙色の髪が首元で湾曲している。まとわりついた水滴が若人を一人前の女に変えていた。Jを彷彿とさせる変装よりも、この方が元々の素朴さを想像させ、豪華客船という社交の場でありのままに魅せている。
「おれたちは敵ではない。プラズマ団との接触はこちらも試みた。遠回しに戦闘を仕掛けず、口で伝えれば良かっただろう。何故そうしなかった」
質問しているにもかかわらず、女性は硬く口を閉ざしたまま開く様子もない。
そういえばクリムガンにも言葉で指示する様子は一度も見られず、サインを用いていた。
「まさか、言葉を話せないのか?」
女性はその通りとばかりに頷く。遥か上に指を伸ばし、見上げるよう促す。
ヒイラギが目線を上げた先では、スターミーがアンノーン文字を記していた。
スターミーには〈星標〉と言って、空に古代文字を描くことで、意思伝達を助けたという話がある。戦時中にも信号や合図として用いられたそうだ。ヒイラギも数多くの死線を潜り抜けてこそきたが、実際に目にするのは初めてである。
プラズマ団の女性はスターミーに自分の意思を汲み取らせ、何かを伝えようとしている。一文字書くのにも時間がかかる。端的に核心だけを記すつもりだろう。
【 F U U I N S A R E T A 】
ふういんされた
【 P O K E M O N N O W A Z A D E 】
ポケモンのわざで
「種族は!」
【 W A K A R A N A I 】
わからない
「分からない? 見そびれたか」
もしこの女性が真実を語っているならば、ポケモンの技〈ふういん〉をかけられたということだ。スナッチャーに参加して以来、一番の胸騒ぎがした。
【 S N A T C H E R N O N A I T S U U 】
スナッチャーのないつう
そこまでで何を言いたいか分かる。スナッチャーの内通。
【 S Y A H A 】
しゃは
そこまでスターミーが書いたところ、夕闇に溶けるが如くおぼろげな輪郭が現れた。
コアを触手でまっすぐに貫き、引き抜く。そのまま、姿を消す。スターミーの破片は波に流される小さな宝石と化した。
「奴は、カラマネロ……!」
コアを忙しなく明滅させるスターミーは、がくりとプールサイドへ落下してくる。プラズマ団の女性がモンスターボールに戻そうとするも、頭を鷲掴みにされたようにもがき苦しみ始める。
「ボーマンダ!」
ヒイラギはすぐさまボーマンダを向かわせ、女性に憑依する何かを振り払おうとする。
しかし、手遅れだった。魂が根こそぎ持って行かれたかのように、ヒイラギの腕の中でぐったりと項垂れた。揺さぶっても一向に目を覚ます様子はない。
まだ脈はある。殺されてはいない。
ボーマンダは野生の勘を巡らせ、激しく咆え立てる。
「おい、しっかりしろ。おい!」
スターミーの絶え間ない点滅が余計に不安を煽る。ひび割れたコアから、スナッチャーに内通者が紛れていることを知らせようとしたのだ。奇襲のリスクを恐らく、覚悟の上で。
そのとき、ヒイラギははっと察知した。この場のどこかに潜む波導を、僅かに。
いたと思った瞬間、気配は消えた。ボーマンダが炎を吐こうとするが、ヒイラギは手で止める。もう去ってしまっただろう。
考えたくはなかった。しかし、最初から疑うべきだったのだ。味方の内に敵がいるかもしれないという可能性を。
嘘かもしれない。むしろ、プラズマ団の罠かもしれない。
本当にそうだろうか。
事実、女性とスターミーはこうして物を言えなくなった。理由なき襲撃など有り得ない。
会話を聴かせるわけにはいかなかった。内通者に知られてはいけないから。知られたら最期、プラズマ団は危険因子として排除されてしまう。だから敵を装って接触しなければならなかった。ミッションに取り組んでいたメンバーの内、誰かが内通者だったと考えれば、辻褄が合う。
では、誰が。
ふういんを使えるポケモンと、使い手ではないだろうか。
ヒイラギはミュウツーとの戦闘時、その技を頼り、直に確認した。
イトハのサーナイトだと。