Phase 53 鳥籠に囚われた伝説
その女には用心せよ、と仰せつかった。
財界にまでコネクションを広げるVIP相手となれば尚更、緊張は免れない。少しの粗相も許されないだろう。要人は門衛の前でピタリと歩幅を合わせ、静止する。
「『パキラ』様、お待ちしておりました。カロスよりはるばる」
協力関係にある要人は少し日を浴びたいわ、と言わんばかりの所作でサングラスを外し、執事に拭かせた。
「マルバはいらっしゃる?」
「現在、ミュウツーの調整中でございますが、まもなく御目見えになります」
彼女は経歴が多い。
カロスリーグで五本の指に入るポケモントレーナー・四天王の座に君臨。カロス全土で誰もが知る大物アナウンサーとしてその名を轟かせ……裏社会にも並々ならぬ影響力を及ばせている、とは風が運んできた噂だ。トリプルフェイス、とある人は称する。貌をいくつにも使い分けられる。パキラという炎の女を今日まで生き永らえさせてきた社交スキルだ。
ネオロケット団前線基地の案内を受ける。目に付くのは、「鳥籠」――もとい、クリスタルジェネレーションシステム。旧態の威を借るネオロケット団が見つけ出した、ロケット団式の捕獲兵器に、一羽の鳥が閉じ込められていた。
冠状の突起物は、触ると凍傷の危険すらある。長く美しい尾羽に劣らぬほど大きな翼は、氷で作られたと言い伝えられる彫刻のようで。もしこれが生命でなくひとつの作品であるならば、特級に値しただろう。
「『フリーザー』でございます」
「流石は伝説のポケモン。見事な美しさだ。見たまえ、鳥籠の周りだけがダイヤモンドダストのように瞬いている」
鑑賞席越しに、隣の執事アカマロが感傷を述べるも、パキラは意にも介さない。
というのも、暴れるフリーザーが彼女の振り子よりも揺れやすい機嫌を損ねたからだ。
「なに? アレ」
鳥籠の中の芸術は芸術らしくその場に展示されるのではない。一個の命として羽ばたこうと必死に抵抗している。だが鳥籠が障壁となって出られない。檻にぶつかるたび、気力を削ぐ電流が流れ、悲鳴がこだまする。その様にパキラは顔をしかめた。
「醜いわね。ポケモンの躾ぐらいちゃんとなさい」
アカマロは団員を睨み付けた。
「これは、大変失礼致しました」
あれほど彼女の前では失態を演ずるな、と言われていたのに。急ぎ、鎮圧に取り掛かろうとする。
しかし、フリーザーは大人しくなるどころかより狂暴さを増すばかりだ。処理に手間取る団員らを見かねたパキラは、差し出されたワイングラスをそこらに投げ捨てる。
テレビではまず見せられない姿だ。場には緊張が走った。
「もういい! おまえたちは下がれ。わたしがやる」
自分らの不始末を客人に肩代わりしてもらうことほど、惨めなことはない。団員たちは唖然とした。どうにか許しを請うとしても、炎の女は一度決めたことを覆しはしないだろう。
「何か使えるポケモンを用意しなさい。炎タイプがいいわ、強めの」
団員たちは困惑し、顔を見合わせる。執事がやれやれと首を振った。フリーザーの狂乱と合わさり、事態は混沌とする。
その時、救世主が現れた。
「パキラ殿にお任せしろ」
ネオロケット団教導者・波導使いマルバに向けて、団員たちは一斉に敬礼する。
「炎のダークポケモンを出すが良い」
「しかし、あのポケモンは……」
「この御方は、炎タイプの四天王であらせられる。問題はない」
この場で一番の決定力を持つのはマルバだ。団員たちは彼の言葉に付き、従う。
ひとつのモンスターボールが、高級料理のように運ばれてきた。ボールを後ろ手で取ったパキラは、細部までしげしげと眺め渡す。
「お気に召されたかな」
「良いセンスね」
「では、カロスリーグ四天王の実力……見せていただくとしよう」
「あなたはミュウツーを出すのではなくて?」
「ミュウツーは現在休養中だ。長くは活動出来ない」
「不便なつくりだこと」
パキラの手によって、「ファイヤー」の名を冠する火の鳥が召喚される。しかし。
「本来の姿と随分違いますな?」
「我々の研究により、ダークオーラ浸食率が高まると、ポケモンの内部器官や外見発達にも影響を及ぼすことを突き止めた」
オーレ地方のダークポケモン、戦闘マシーンとしてココロを失った彼らの中には、元の姿よりも戦闘に適した姿へと適応し自己改造を果たした種族もいる。それがダークポケモンの完成形・XDポケモンだ。
マルバは、エクストラダークポケモンを自分らの手で再度生み出すことがひとつの目的であるとアカマロに語り聞かせた。
「なんと。ポケモンの新たな可能性ですな」
「左様。この性質を利用し、我々は最強のダークポケモン兵団を組織する」
本来であれば神聖なはずの原型をもはや留めておらず、黒く発色し、茜色の炎を滾らせた、邪悪なる不死鳥とでも呼ぶべき存在と化していた。別のポケモン、だったとしても誰も驚きはしない。本物と偽物の境界に位置する概念(ハイブリッド)――堕ちた同胞を前にして、フリーザーは隻眼を見開く。
「オーレ地方でかつて猛威を振るったといわれるダークポケモンがカントー地方に上陸」
パキラは憎たらしいほど美しいアクセントや淀みない口調で文言を読み上げる。
フリーザーは鶏冠を瞬かせ、鳥籠の中から冷凍光線を撃ち放つ。
「ファイヤー、飛べ!」
伝説といえども見事指示に従わせるのは、四天王の手腕というべきか。
「指示は聞くのね。良い子」
フリーザーは抵抗空しく、ファイヤーの炎熱に溶かされてしまう。
「気に入ったわ。この子、わたしのものにしていいかしら」
「無論、そのために捕獲したのだ。J殿にも、いずれダークサンダーを使わせる」
パキラのご機嫌はマルバの名采配により見事上昇、団員たちの縮み切った胃もまた元通り、というわけだ。アカマロは人心をいとも容易く掌握するマルバの底知れなさに畏怖しながらも、ネオロケット団という新生巨悪を束ねる教導者のカリスマ性を知る。
「マルバ、ゆっくりと話を聴かせて頂戴。あなたが苦戦したスナッチャーについて」
ねっとりと述べるあたりがなんとも嫌らしい。マルバ相手に皮肉を述べられるのはこの女只一人だ。
「これは手厳しい」
「あなたほどではありませんわ。既に次の手は打ってあるのでしょう?」
マルバは意味深にうなずく。
「スナッチャーには必ず、最後に極限の絶望を味わわせる」
プラズマフリゲートに流れる、休息の間。
偶然そのふたりは鉢合わせた。
「あっ」
気を乱してはまずい、とそそくさ退散しようとする。
「別に出て行かなくともいい」
ヒイラギとイチジク、ふたりきりだった。話題つくりに困った二人だが、そこは年長者の方から切り出す。
「ホオズキの娘か」
「うん。おにいちゃんのこと、おとうさんがよく話してたよ」
「おれのことを?」
可愛げのない糞餓鬼だとか、無謀なことばかりする世間知らずの小僧だとか、そんなところだろうと高をくくっていた。
「あいつはすごい奴だ、って、勇気がある奴だって、何べんも話してたよ」
静かな感傷が、体を巡る。
「おつかれー。あれ、珍しい組み合わせ」
「はじめまして、イチジクです」
イトハに向かってぺこりと頭を下げた。
「お利口さんだ。よろしくね」
イチジクの遊び相手になってやるイトハ、なんとなく眺めるヒイラギ、という構図が出来上がる。中でも彼女の手持ちとおぼしきコジョフーは波導使いの目に留まった。
「そのコジョフー……波導弾を使えるのか?」
「使えるよ!」
話しかけられて分かりやすく嬉しそう。
「見てて!」
早速、張り切りながら技を指示。すると、コジョフーは見事な波導弾を繰り出す。これにはイトハも目を見張った。
「わ、すごい!」
「えへへ」
「どうですか、先輩?」
「まあまあだな」
この分野では誰にも負けないと分かっているヒイラギ、鼻を鳴らし点数をつける。大体こういう時は20とか30とか絶妙にありがたみのない点数をつけるのが批評者だ。
「え〜!」
親からの誉め言葉に慣れていたイチジクは、先輩の厳しい眼というものをまだ知らない。不満げに唇を尖らせる。
「意地悪な先輩だね〜」
「ね〜」
このままだとイチジクの印象が「すごいやつ」から「いじわるなせんぱい」にランクダウンしたまま終わってしまう。それは是非とも避けたい。ヒイラギは掌を開き、ぐっと力んだ。
「見ておけ。波導は我に在り……!」
波導を繰り出すヒイラギに、コジョフーは何度も目を瞬いた。
「えっ、今のどうやったの!?」
「精神を集中させ、一点に気を集めろ」
負けじ魂で対抗する。しかし、軽々しくあしらわれてしまう。
ゴングが鳴り、試合終了。
「完敗だね……」
肩を落とすコジョフーに、励ましの言葉をかける。相手がちょっと悪かった。
コジョフーはヒイラギの進路に立ったかと思えば、頭を下げる。教えを請うためだ。
非常に面倒そうな表情を浮かべられた。
「邪険にしないの」
彼は舌打ちし、仕方なく波導使いのなんたるかを説き始める。
「イチジクに何かあったとき、護れるのはおまえだけだ」
腕をチャイニーズ風に構え、こくこく頷くコジョフーである。
「そのためには日夜特訓だ。波導を体感し、違和感を補正しろ。反射ではなく、己の血肉に変えるんだ。そうすれば、おまえも一端の波導使いになれる」
数分後、なお続く講義に、女子二名は早くも飽きかけていた。
「なにあいつ、乗り気じゃん。エオフったらすっかりヒイラギを崇めちゃって」
コジョフーはようやく巡り合えた運命の偉大なる師の御言葉を聞き逃すまいと、一句ずつ耳を傾けている。
「でもにいちゃん、まんざらでもなさそう」
ヒイラギとコジョフーは、いつの間にか知己のように語り合っている。それを、イトハはどこか微笑ましげに見つめるのだった。
スナッチャーが再生してからのヒイラギは、時々思いもしない表情を覗かせる。
「まあ、良い相手が出来たかもね」
『プラズマフリゲート総員に告ぐ。敵襲、敵襲です。戦闘員はただちに司令室へ向かうように。ミッションを発令します。繰り返す、敵襲につき、戦闘員は……』
ヒイラギとイトハは、目配せすらせず、真っ先に駆け抜けていく。
「かっこいい……」
イチジクは二人の雄姿に見惚れていた。
「エオフも将来、あんな風になれるといいね」
コジョフーも心底から頷く。
「ミッションですね」
ヒイラギとイトハが同時に席へ着く。モニターに映し出される接近飛翔体には、どこか既視感があった。
「現在、プラズマフリゲートの停泊する双子島に向かって、伝説の鳥ポケモン・フリーザーが接近しています。フリーザーはかつてこの島に棲息していたこともあり、帰巣本能がはたらいたものと思われます。しかし、気性が通常よりも荒く、メンタル、フィジカル、共に安定していません」
「おふたりには、艦内への被害を鑑みて、フリーザーを捕獲していただきたいのです」
オペレーターの依頼に、うなずくヒイラギとイトハ。司令官が後を次ぐ。
「相手は伝説のポケモンです。しかし、数々の伝説クラスと交戦経験を持つ我々であれば、対応出来るでしょう。ヒイラギ、イトハ。フリーザー捕獲任務を成功させてください」
「「了解!」」
まもなくミッションが開始されようという時に思わぬ影がふたつ、司令室に飛び込んできた。
真っ先に気付いたのがホオズキだ。
「どうした、イチジク」
「あ、あの……。任務の様子を見せてください」
息を切らしての懇願に、ヒイラギが振り返り。それは駄目だ、と言おうとした瞬間。
「遊びじゃない。帰れ」
一同はホオズキの剣幕に驚かされた。
イチジクとコジョフーは、自分たちを叱る時よりも遥かに厳しい父に向けて、震えを必死に押し殺しながら告げる。
「絶対に邪魔とかしません。約束します」
「駄目だ。許可出来ない」
何か考えがあってのことだろう。あまりにも我が娘に対しぞんざいな言い方だと感じたイトハはイチジクの肩を持つ。
「……様子ぐらいならいいでしょ」
「イトハ。簡単に言うな」
「あたし……お荷物だって、分かってます」
人質としてネオロケット団に囚われ、解放された今は、戦力外の傍観者。
一同は彼女の立ち位置を理解した上で、船員として受け入れている。しかし、当人らにはどうしようもない劣等感があった。
「ここには、戦える人たちが揃ってる。でも、あたしたちは護られるだけ……」
コジョフーは無力感に肩を落とした。
オペレーターは顔を見合わせる。自分たちも助けられた過去を持つからこそ、彼女の気持ちが分からないでもないのだ。
「みなさんがやっていることを、少しでも、ちゃんと知りたいんです」
ホオズキが席を立ち、覚悟の程を問う。
「残酷な現実を目にしても、耐えられるのか」
その質問は、子どもが即答出来るわけなく、かといって熟慮の果てに答えが出るかも危ういラインだと、分かった上でする。
「おとうさんたちは社会の手本となるような綺麗な戦いをしてるわけじゃない。ポケモンも人も平気で傷付ける」
スナッチャー本部の戦いでも目にした通りだ。いざとなれば、妻をも撃たねばならない。イチジクに、そんな決断が出来るか。彼女には、自分の仲間や親を傷付けることなど出来ないだろう。
圧倒的に不利な立場から、歯軋りし、睨み合うことしか精一杯の抵抗と示せなくて。
コジョフーはどうか分かってくれと、小さなおやの気持ちを訴える。
しかし、この場で最終判断を下すのは親ではない。
「司令官」
「見学を許可します」
彼は間髪入れず、そう返した。
なんと、人間的な反応だろうか。ホオズキはもはや何も言うまい、と背を向けた。
一番認めてほしい人物からのOKが貰えないことを、イチジクは悔しがる。
でも――。
「イチジク、今度から任務開始直前になって司令室に駆け込むようなことはするな」
おやは、子どもがちゃんと分かっていることも、分かっている。
「最初からいるんだ。いいな」
「……はい!」
ミッションの開始が告げられた。
ただでさえ並外れた観察眼を持つ波導使いが気付かないはずがない。だから、イトハは敵の身体特徴を目視した時、警戒した。
それは、一種の赦しを得た気になっていたヒイラギを揺さぶるかのようにありありと現れる。
「隻……眼……?」
フリーザーの片目は、失明していた。
急にボーマンダが高度を落としたことにも気付かず、イトハとの連携が崩れそうになる。掠めた冷気に事なきを得たのは、パートナーのおかげだろう。
「す、すまない」
「集中」
イトハは厳しく、注意散漫を咎める。平常時コンディションの彼ならば回避することは造作もない攻撃だった。このような汎ミスをすること自体が珍しいのだ。
現場は混乱していた。
「ヒイラギさん、どうしたんです?」
明らかに、動きが精彩を欠いている。
完全無欠とすら思えた比類なき戦士に、綻びが見え始めた。ホオズキはそんなヒイラギの醜態を冷静に見つめていた。
「スレート、ヒイラギは駄目だ。精神的ショックをくらってる」
「では、イトハさん。お願いします」
『了解』
この場合、イトハの方が心強い。
「ヒイラギおにいちゃん……」
イチジクは失望しただろうか。
彼女らはヒイラギにきっと実力以上の期待を抱いている。
無理もないことだが、イチジクにとって、ヒイラギとは父親の窮地を救ってくれた恩人にも等しい。戦闘マシーンとして人やポケモンを打ち倒すことだけに値打ちを見出された彼が、はじめて誰かにとって羨望を集める存在になれたのだから、その代償もまた大きい。
「イチジクさん」
モニターの一部始終から眼を逸らさずスレートが切り出す。
「彼らは常に、死と隣り合わせで戦っています。彼らを取り巻く戦況は、息をするように変化する。それに対処するのは、どれだけ強い戦士であっても難しいことです」
エクリュもまたうなずく。
「イチジクさんの笑顔、とても素敵です。わたしたちは戦うことしかできません。ですが、あなたには彼らを癒すことが出来ると思います」
「あなたは、彼らを。戦場から帰ってきた時、温かく迎えてほしい」
ホオズキはぽんと頭を撫でる。
「そういうことだ。イチジクとエオフはスナッチャーじゃあないけど、スナッチャーだからな」
一人と一匹は感極まった。
結果から言えば、フリーザーの捕獲には成功した。しかし、イトハに負担が及んだこと、ミッション終了時に見たことないほど失意に暮れたヒイラギを除けば。
完全に足を引っ張ったと自覚するヒイラギの前に、コジョフーが出る。
早速、自分たちに出来ることを実践しようとしたのだ。しかし、まだイチジクたちでは彼を笑顔には出来なかった。
「すまん、独りにしてくれ……」
ヒイラギはそのまま通路の闇へと消えていく。