Phase 4 解き放たれる禁忌
依然としてミッションの成否は暗闇に包まれている。連戦続きで閃きも鈍い。
ヒイラギは疲労を押し殺しつつ、ボーマンダの一挙一動から目を離すまいとする。体を駆け巡る波導もすっかり不安定だ。勝負をつけるとすれば、時間はかけられない。
イトハもシルフ奪還から出ずっぱりだから、現状チーム内で一番余力を残しているのはホオズキ。個々のポケモンでは圧倒的に実力不足で、その分は波導使いが補わねばならない。
少しずつチームの輪郭が掴めてきた。上層部が自分にどのような役割を求めているのか。
「ボーマンダを倒す」
迷いなく言い切るも、勝算と自信なくして夢想を語るほど愚かしいことはない。
「ゴルーグを出せ。こちらがサポートする」
「了解」
上体を唸らせ、ボーマンダが爪を覆い被せようとする。血走った目は焦点が定まっておらず、自分の腹を削り始めた。暴れに暴れたことの対価は、狂気という形で支払われる。
ホオズキは勢いよくボールを投擲する。現れたゴルーグは脚にブーストをかけ、ボーマンダを線路側まで後退させる。リニアの取り壊しが決定された今、律儀に狭い箱庭で戦う必要はない。
「ヒイラギ、ボーマンダの急所はどこだ」
「首筋の裏だ。そこが薄い」
ホオズキは心得たと指を鳴らし、ゴルーグを異界の穴に沈ませる。開けた空間目掛けて火炎が這いずり回る。カメックスのスピンが炎を分散させ、方向を見失った火の粉をサーナイトが集めて、ボーマンダにぶつけていく。思わず白目を剥いたドラゴンは顔を背ける。覗いた腹部には深い切り傷がついていた。戦局を左右する新たな手掛かりに対し、ホオズキは目を細める。
「どうした?」
「おかしくないか。いくらドラゴンの爪でも、あそこまで傷つくとは思えない」
言われてみれば、ボーマンダの腹部が硬いが故に、ヒイラギは苦戦を強いられた。ドラゴンの鱗はドラゴンが引き裂くものとはいえ、ボーマンダが自傷させたのは腹だ。ヒイラギとホオズキの見解が一致したかのように、嫌な沈黙が生まれる。
「もしお前の推理が正しければ、長期戦になるほど窮地に立たされるのはおれたちだ」
「仮説を証明しようじゃないか」
再びの合図を鳴らすと、ゴルーグが出現した。ボーマンダは重力の負荷を一気に引き受けるような形で地に沈む。翼を我武者羅にはばたかせ、脱出を試みるが、手足は拘束済みだ。
ホオズキは瞬時に次の作戦を要求する。
「ボーマンダを浮かせろ。手足以外を使わせれば良い」
「了解。ハイドロポンプ、脚を狙え」
カメックスのキャノンが、頑丈な鱗に守られた足元を突く。ボーマンダが後ろ脚でふんばりを利かせたところを抑えつけ、更に撃ち込んでいく。
「一発、二発、三発……」
狙い通り、荒れ狂うボーマンダは翼で自らを叩きつけた。痛みに怒声が歪む。手足が封じられれば、意地でも翼を使おうとするだろう。そこに自傷ダメージを加えさせる、ホオズキの計画は成功した。
「浮いた!」
「はかいこうせん!」
カメックスの波導が迸る前、裂くようにJの命令が飛ぶ。光線発射時の反動を利用して、ゴルーグの錘を払い除けた。だが、判断材料は充分揃ったため、ブレインの審議を待つ。
「分かったか」
「奴の特性は〈じしんかじょう〉だ」
「どこまでも厄介な……」
ヒイラギが舌打ちするのも無理はない。ボーマンダの特性は本来〈いかく〉だが、稀に珍しい特性のタツベイが生まれてくることがある。成長したタツベイは、ボーマンダになると〈じしんかじょう〉さを手に入れる。己が力に絶対の自信を持ち、一匹のポケモンを倒すことで攻撃性を増すという危険極まりない性質だ。
今回の餌食はドンカラスだった。普段は敵に向ける上昇を、混乱し、敵味方の区別もつかぬほど荒れているため、自分に向けてしまった。ホオズキとヒイラギは、そこからボーマンダの特性を割り出した。つまり、混乱が解ければ、向かう刃の先はカメックスとゴルーグ、そして自分たちだ。
「早期決着だ。メガシンカを使って……」
「おい、自分の状態を省みろ!」
「構わん。おれたちの抹殺が目的ならば、こちらの勝利条件もまた始末」
「なんて奴だ」
悪意ある組織に属した男すら怯ませるほど、鋭い闘志を露わにする。戦士の中の戦士がコアに手をかざそうとするも、甲高い制止の声が届く。
「待ちなさい!」
瞬間移動し、ボーマンダの視界に映るのはサーナイトだ。紋章が連なり、輪を描く。それらが重なり合い、サーナイトが中央で踊る様は、囚われの姫君をも思わせる。手をかざすと、ボーマンダの周囲にも輪が現れる。それらは互いを知り、情報を共有する。頭脳へと吸い込まれていくプログラムの行き来は神々しく理知に富む。
「セレクト・ゴルーグ!」
イトハが対象を告げると、サーナイトはゴルーグに自分が手に入れた成果を譲渡した。
当然、ここにいる者ならば何が起こったかを一から十まで理解している。
行われたのは、特性の交換だ。一度目は、サーナイトからボーマンダへ、ボーマンダからサーナイトへ。二度目は、サーナイトが得た〈じしんかじょう〉をゴルーグへと渡すための交換だ。
「セレクト・ボーマンダ!」
サーナイトが受け継いだゴルーグの特性を、今度はボーマンダへ。ホオズキとヒイラギは歴戦の勘でそれぞれに動き始めた。
「はかいこうせん」
「ヒイラギ、頼むぞ」
「任せろ。ミラーコート!」
カメックスがスピンで躍り出て、一面オーロラのように鮮やかな障壁を張る。ボーマンダ決死の反撃は吸い込まれたかと思いきや、極彩色の光線となって瞬く。
まともに反射を喰らったはずが、直前に翼を防御へとあてたか、まだ宙に浮かぶだけの余力を残している。どこまでも桁違いのバイタリティだ。
「すてみタックル」
「受け止めろ!」
スピンはタックルの勢いを殺し、威力を削ぐかに思われた。しかし、ボーマンダの眼は迷いから晴れ、敵と定めた障害を容赦なく叩き潰す。カメックスごと巻き込みながら、リニアに無理矢理突撃していった。ゴルーグが満を持して受け止めようとするも、二匹分の質量を一匹で引き受けるのは難しい。リニアの端まで一気に戻されていく。
本来すてみタックルはノーマルタイプの技で、ゴーストタイプのゴルーグは貫通してしまうはずだ。それにも関わらず防戦一方なのは、間にカメックスが挟まれているから。カメックスというブロックを介して、味方同士で潰し合いをさせている。
完全にヒイラギの失策である。恐らくJは、最初からカメックスのスピンを利用するつもりで、すてみタックルを命じたのだろう。
痛いほど分かるからこそ、ヒイラギは屈辱を正の原動力に昇華させようと、すぐさま後ろまで駆けて行く。手の甲に指をかざしながら――瞬間、鬼気迫る表情でイトハが肩を強く掴んだ。
「メガシンカを使う気でしょう」
「失態は自分自身で取り返す。お前はJを逃がすな」
「何してる。早く支援に向かえ!」
ホオズキの怒声が飛ぶ。戦場の失敗は、失敗した、では済まされない。名誉挽回のためには、失敗したとき以上の責任が伴う。それを覚悟の上で、彼らは戦いに臨んでいるのだ。
「あいつの言う通りだ」
ヒイラギはそれとなくイトハの腕を払い、後端へと向かう。イトハは後姿を見やりながら、ひとりごとのように呟いた。
「でもそれじゃ、あんたの体はどうなるのよ……」
状況は芳しくない。
リニアは大爆発の被害を嫌ったJによって切り離された。現在、ヒイラギたちの車両は停止したままだ。カメックスはゴルーグを支援すべく立ち上がる。特性を奪われてもなお、ボーマンダの戦闘能力は群を抜いている。一匹だけでは勝機も薄い。
「カメックス、戦場で気を抜くな。左斜め角度修正、ハイドロポンプ照射!」
忠誠を誓う主人の声が響き、臨戦態勢へと移る。ゴルーグの巨体から見える僅かな隙間を通して、出来る限りボーマンダに負荷をかける。ヒイラギは辿り着くや否や、手の甲に指をかざす。イトハの忠告を無視するわけではなく、リスクなど承知の上だ。ヒイラギの頭にあるのは、成功という二文字のみ。満足行くリザルトが出せなければ、チームに在籍する意味はない。
「行くぞ、波導は我に在り!」
カメックスと呼応し、トレーナーとポケモンの扉が開く。文字の羅列に似たものが光り、鍵が差し込まれた瞬間――人間とポケモンのシンクロが始まる。
「はどうだん!」
メガカメックスは右腕のランチャーから波導を濃縮した弾を撃ち込む。ゴルーグには効かないから、エネルギーの続く限り、思う存分叩き込めばいい。ホオズキがいない分、ヒイラギは二匹分の注意を払い、同時命令を下す。
「ゴルーグ、ゴーストダイブ。カメックスは翼の付け根を狙え」
適応力をはたらかせ、素早い判断を下し、ゴルーグはすぐさまヒイラギに従う。カメックスは両腕から水の矢を放ち、ボーマンダの部位をひとつひとつ潰していく。
ヒイラギの戦い方は、常に相手の脆い部分を攻め立てて行くスタイルだ。傷口があれば集中的に抉り、急所が見つかればすかさず叩く。環境上、瞬間的な始末は、大量生産される有象無象をこの身ひとつで引き受けるために身に付けねばならなかった。
加えて、今のボーマンダはノーガード状態である。すべての攻撃に対して自ら当たりに行こうとする電気信号が流れる。スキルスワップにより神経系の改造を受けたボーマンダは、かつて恐れたほどの敵ではない。
翼の付け根を痛めたボーマンダは飛行能力を著しく落とす。地に縛ればこちらの仕掛けた罠が作動する。直接の指示がなければ、理性を失った暴れ竜に過ぎない。
「終われ」
ヒイラギはホオズキがやった通り、指を鳴らし、ゴルーグを呼び出す。顎にアッパーが入ると、腹部が明るみになった。迷わずカメックスは角度を調整し、必殺の構えに入る。
「決めろ。りゅうのはどう!」
メガランチャーから純色の塊が解き放たれ、紛い物のオーラと化す。ボーマンダの自傷箇所に噛み付いた。至近距離からの攻撃は効果覿面で、掻き切れたような苦しみを数回咆哮した後、崩れ落ちる。
躊躇なくモンスターボールを構える。人のポケモンを捕獲することは不可能にも関わらず、常識を覆すことがここにいる価値だとでも言わんばかりの不敵さで。
触ることを避けていた、もうひとつのコアに指をかざす――そのときである。
全身を貫く熱い衝撃が走り、思わず膝をついた。波導を操るカメックスにも伝わったらしく、神経の接続が途切れるように、メガシンカは解除され、無防備を晒す。
「な……んだ、この波導は……!」
体の隅から隅を金縛りするプレッシャー。ポケモンの仕業なのか。少なくとも、人間が体得出来るレベルの波導ではない。ボーマンダから感じた波導はあくまでも強者の範疇に収まるものだった。メガヤンマが繰り出した内臓系への振動とも違う。それらを凌駕する波導があるとすれば――。
「どうなって、いる」
服を掴み、不気味な胸の振幅を抑え付けようとしたが、無駄だった。情けないほど声にならない声が飛び出し、カメックスとヒイラギは成す術もなく倒れる。
リニアは轟音を上げ、逆走を始めた。事態は彼らの理解を越え、悪意の掌で踊る。
「まさか、隠し玉を持っていたとはな」
Jの手元で鳴り響くハイパーボールを見て、もはや恐怖も起こり得ない。敵は予想より一枚も二枚も上手だった。飛行艇から注ぎ込まれたおびたたしい数のポケモン――レントラーやライボルト、ビリリダマたちが大挙する。リニアからの逃亡を許さない意思表示だろう。
「やれ」
つまらない、という感情すら匂わせない。Jは逆転に対する何の感慨も持たなかった。トンネルの破損部分から送り込まれた援軍に、機械のような号令を下す。
マタドガスの大爆発でトンネルに穴を開けたことは、意図的な増援を見越しての戦略だったと気付いた頃には遅かった。しかし、ホオズキに絶望は見られない。
「来い!」
後方から加速を届かせるゴルーグが電撃を受け止めるという、確信があるからだ。
弾けるスパークが服の端々を切り裂く。向こうの猛追を防ぎ切れなくても、ゴルーグはふたりを守る盾であることをやめない。
「状況判断が遅いぞ。ヒイラギの救出に向かえ」
「でも」
ハイパーボールから溢れ出る電流を見ても背を向けられるほど、イトハは強くない。
もしもボールから高電圧の正体が露わになれば、ホオズキやゴルーグとて焼き尽くされない保障はないのだから。
いつまでも煮え切らないイトハに、苛立った様子でホオズキは吐き捨てる。
「自信過剰は手元にある。三分持たせてやるから、行け」
イトハは歯軋りすると、サーナイトと共に踵を返して走り出す。
ホオズキは光線銃を構え、Jのボールに照準を定めた。効くかどうかはわからないが、一か八か。釘を刺されたこともあり、不意を打つために温存していたが、いよいよ手段は選べない。
「回転しながらアームハンマー!」
鉄球が迫るような重量にものを言わせ、電撃を跳ね返し、ポケモンたちを吹き飛ばしていく。
ホオズキは合間を潜り抜け、レーザーを照射した。
「なに!?」
ボールから迸る凄まじい磁力が、不幸にも倒れていたレアコイルを引き寄せる。Jの盾にされたポケモンは硬い落下音をその場に響かせた。
次の石化光線発射までには時間を要するため、連射が出来ない。賭けはホオズキの負けだ。
「もうリニアは止められない」
「貴様だけでも撃ち落としてくれる!」
ゴルーグの手がJを掴もうとするが、虚しく空を切った。敵は身体ごと上へと吸い寄せられる。爆破されていたリニアの天井を利用したのだ。
Jは、おぼろげに現れた飛行艇と共に景色へと同化する。死の置き土産だけがそこに残された。
柔らかな感触がそっと瞼を起こさせた。目線の先には、切羽詰まった女性の顔が浮かび上がる。
「戦局は」
目元を歪めながら、ヒイラギは曖昧な重心で手を付く。あくまでも回復より状況確認が先だ。
イトハの様子を見れば、詳細を聞かずとも方向の悪化が手に取れる。
「状況は悪い。要因は二つ。ひとつ、でんきポケモンの援軍。もうひとつは、リニアの逆走」
「おれたちを事故死させる気だな」
歪んだ笑みと共に面白がるヒイラギと対照的で、イトハは面と向かって死の運命を口にしたくないようだ。渡って来た死線の違いから、否が応でもそうさせるのだろう。
「Jは」
「隠し玉を取り出した。ボールはハイパー。正体は分からない。波導は感知していましたか?」
「いや、いきなり現れた」
「ということは、感知付加のプロテクトでも施していたのかしら」
「そいつの仕業だとわかったのは僥倖だ」
「ちょっと、大丈夫なの?」
体を慣らしながら、ヒイラギは考えられる限りの憶測を語る。
「聞け。逆走はそのポケモンによる磁場への干渉だ。恐らく、タイプはでんき。根拠は走るような波導、強大なプレッシャー。援軍のポケモンだけでリニアを逆走行させることは不可能だ」
状況確認を終えて、先程まで自分を監視していた異常な威圧感がすっかりなくなっていることを確かめる。乗車時と比べれば、波導の数は相当減った。
「Jを逃がしたか」
導き出された分析に屈辱が滲む。
『ヒイラギ、イトハ、ホオズキ。無事ですか』
「司令官、Jを逃がしました」
『いえ、わたしたちも侮っていたようです。一匹、規格外のポケモンを感知しました』
「やはり、あれは」
『その話は本部で行いましょう』
『現状、あなたたちが最優先すべきはリニアからの脱出及び停止。チームが解体しては元も子もありませんからね。いかなる手段を使っても、生還するのです。こちらからも可能な限りコントロールをかけます。ヤマブキから勢力は撤退したようですから、駅に迎えを配置させます』
「了解」
ふたりの声が重なる。
「Jは本気でわたしたちを、その、殺そうと考えていたと思いますか?」
「奴にとって、今回の作戦はテストに過ぎんだろう」
「テスト?」
「おれたちの力量を計るための、な」
ヒイラギは意識を失ったボーマンダを見ながら、残酷な事実を淡々と告げる。
見捨てられた哀れなポケモン。金か力か、そのどちらにもなれないなら、Jの手元から引き剥がされる。
ボーマンダ一匹だけでスナッチャーがあれだけ苦戦したことを思えば、先の見通しは暗い。考え方を変えて、逆に向こうの力をこちらのものと出来れば、あるいは少し機運が傾くか。
「リニアが衝突するなら、わたしたちだけの問題じゃなくなります。ポケモンたちだってJに利用されただけです」
「そんなことは心得ている」
レンジャーとしての責任感がポケモンたちの救出へと突き動かす。無愛想にヒイラギはコートを翻し、同行を促すのみだ。
サーナイトがそっと念力を込めた手でボーマンダに触れる。気を張っているつもりで、一刻も早くリニアを停止させることに気を取られるふたりは、爪がぴくりと動くのを見逃していた。
車上をそれこそ「逆走」しながら、屍と化したポケモンたちを集めるために東奔西走する。比較的被害が薄い中央車両ならば、まだ陣を張りやすい。
テレポートを使う手もあったが、サーナイトの転送・収納能力が個体数に対して追いつかないことや、遠すぎる座標の指定は困難という諸々の理由から却下された。逃げ道を探すのはかえって遠回りだ。ここは正面切ってリニアを止めるのが近道と言えるだろう。
「それならゴルーグに任せろ」
進言したのはホオズキである。
「今のゴルーグは〈自信過剰〉だ」
「任せていいのか」
ゴルーグは胸の刻印を叩き、珍しく意志を見せた。何も言うことはない。自ら重大な役を引き受ける勇気を買う。
そこでサポート役にサーナイトが任命された。イトハの説明は以下の通りだ。
「わたしのサーナイトは特性を応用して、テレパス能力が使えます」
「あなたは出来る限りゴルーグに近付いて、脳内で指示を出してください」
「サーナイトがあなたの意志を汲み取り、ゴルーグに伝達する、中継役を果たします」
ゴルーグはサーナイトの華奢な手を握り、リニアの先端へとテレポートしていく。
ホオズキも先頭車両に向かい、残ったヒイラギとイトハは背中合わせにじりじりと迫るポケモンたちの電撃網を迎え打つ。
「左45度、右20度修正。ハイドロポンプ、発射!」
「キャプチャ・オン!」
ミサイル針の要領で放たれる電撃と、ピンポイントに的を狙う激流の競い合いは、後者が制する。次々と戦闘不能に追い込まれながらも、地獄の照準を逃れたマルマインたちはトップレンジャーの包囲網にかかる。今度こそ、コンビネーションに狂いはない。シルフの二の舞は回避した。
Jが用意した大量のポケモンたちは、満身創痍のスナッチャーに負担をもたらす。カメックスは射撃精度がぶれているし、イトハのディスクはキレがない。ヒイラギとて、観測する波導の輪郭が曖昧になっている。一瞬も気を抜けない張りつめた糸という各々の責任を果たす中、それを嘲笑うかのようにリニアは加速する。
汗が目に流れるを防ごうと瞼を瞑ったとき、司令官から命令が下る。
『みなの体力は限界に近付いています。コアを使用し、一斉捕獲を試みてください』
「目的と違うな」
『事態は急を要します。もはや一刻の猶予も許されません』
「ちょっと、気を抜かないで!」
「特例のいただきだ」
コートのボタンを外すと、イトハが目を見開くのも無理はない。
装備されたいくつもの内ポケットには、機動性を削がれかねないほど、縮小したモンスターボールが収納されているからだ。
「何をするつもり?」
「波導は我に有り!」
未使用のコアが、意味を為す――ヒイラギの手袋に嵌められた宝石はふたつある。
ひとつはキーストーン、ポケモンと人間を繋ぐ証。
もうひとつは、〈スナッチグローブ〉。
動力源たる波導を注がれたコアは、眩い蒼の戦慄に包まれる。
モンスターボールを手に取り、一回転しながら振り切るように下手投げ。
括目せよ――人間に使役されるエレブーが、そのままボールに収まるではないか。それだけではない、レントラーもコイルも、エモンガもピカチュウも、次々と光を浴びて元の粒子形態に戻る。
掲げた右腕は、妖しげなコアの光が蠢く。掟破りのきらめきは、彼を特殊空間の超越者として飾り立てていた。
この世界に暮らす者ならば誰もが言葉を失う光景を目にして、イトハは思い出したように呟く。
「スナッチャー……」
「成功だ」
アンノーン文字にこんな単語がある。
S-N-A-T-C-H 【 強奪 】
ヒイラギは人のポケモンを横取りしてみせたのである。もはや誰の手持ちであったかもわからないほど、再び野性的に飼い慣らされたポケモンたちだが。
まだイトハは現実を疑うかもしれない。そんな余裕すら与えてくれないほど、逆上の爪がけたたましい雄叫びと共に襲い掛かる。スタイラーが興奮するボーマンダを抑えようと起動するが、奇声を上げながらの斬撃に引き裂かれてしまい、機能停止する。
イトハは咄嗟の反応を利かせ、死角に転がり込んだが、当の強奪者は無防備だ。
「ヒイラギ!」
ボーマンダは背後を取り、自分の傷と同じ痛みを刻みつけようとする。
「そんなにおれが恨めしいか」
身を翻すと、腹部の下を取るように回り、スナッチボールを叩きつけた。
半ば本能だけで動き、衰弱の果てにあったボーマンダに抵抗の術はない。目の前で赤い可視光線に飲み込まれ、数回バウンドした後、足掻くように振動を繰返し、やがて音も立てなくなる。
ヒイラギは一歩退くイトハを後目に、ボールを拾い上げ、冷たく宣言する。
「ボーマンダ、スナッチ完了」
「Jのポケモンを……ゲットした……」
「おれの獲物だった。こいつは良い戦力になる」
ヒイラギはボーマンダのボールを立ち尽くすイトハに向かって放ると、何もなかったかのようにスナッチを繰り返す。その度、もはや持ち主の分からなくなったポケモンたちを自分の所有物にしていった。
サーナイトからスキルスワップを施されなければ、大事故を防ぐどころの話ではなかったかもしれない。正体不明のポケモンに操られたリニアは、ゴルーグに摩擦熱との格闘を強いる。生身の人間やポケモンならば、とっくに足が焼け焦げて、一生使い物にならなくなっている頃だ。
激しく煽り立てられたのかように。あるいは、何かを求め、生き急ぐかのように。リニアは止まる気配を見せず、駅をも貫こうとしている。
――重心を落とせ。
心内で命じると、サーナイトの汲み取った意志がゴルーグに伝わる。リニアは微妙に車体を傾け、かと思えばまた上下運動を経て、巨躯の怪力を解こうともがく。
少しはおとなしくなりつつあるところを見るに、中央管制センターからのコントロールが功を奏したか。計ったようなタイミングで、司令官からの通信が入る。
『ホオズキ、こちらは対処しました。やむを得ない場合、リニアを攻撃してでも止めてください』
「……了解」
中にいる者たちを考えれば心苦しい選択だが、生き残るためにはそんな心配など無用だ。
ゴルーグとサーナイトの背後に、ヤマブキ駅のホームが見え隠れする。
戻って来た。
ひとつでも作業を間違えれば――その後は考えるまでもない。ホオズキは、自分がエスパーポケモンと同じぐらい脳を消費しているのではないかと思っただろう。
――もっとブーストをかけろ! このままではぶつかるぞ!
ゴルーグは足を収納し、ジェット形態に移行する。サーナイトが強くゴルーグの手を握り締め、勇気を分け与える。
オペレーターの声が反響する。
『ホームに接近中。あと92mです』
『車内の混乱収拾を確認』
加えて、ノイズを介して、聞き覚えのある声が侵入する。
『おれたちに構わずやれ!』
『リニアを止めて、みんなを救って!』
ふたりの瞬間的な声援は、ホオズキにとって最も安堵をもたらす。すぐにオペレーターの現実に引き戻された。
『衝突まで77mです!』
目元のメーターを確認。スピードは減速中だ。
それでも止まる気配は薄い。ホオズキは死ぬよりましな選択に賭けた。最後にサーナイトがホオズキの脳内を念写して見たものがあるとすれば、背の高い女性と小さな娘の姿だろう。
「力を……」
――アームハンマー!
迷いなくゴルーグが拳を振り切る。
持ち上がったレールが行く手を阻む。ホオズキはおろか、車内全体が倒れかかり、硝子の砕ける衝撃音がやまない。
平衡感覚など二の次。捕まっていられる箇所もなく、宙をさまよい、放り捨てられたモノのように何度も打たれる。壊れることへの悲鳴が耳を劈き、やがて遠ざかるようにぷつりと切れた。
雑音のように命令が飛び交う中で、ヒイラギはほんのり甘い香りがするのを感じる。
覆い被さるようにしてイトハを守ったことを忘れていた。乱れ切った毛並みが鼻孔をくすぐり、仄かな体温が冷え切った体を暖める――こんな状況はかえって非現実的だ。
むくりと身を起こし、意識の遠退いた女性を見やる。こじ開けるようにリニアの破片を取り除き、救護班が現れた。
「負傷者はいますか!?」
「ここだ」
すばやく仕事に取り掛かる人間やラッキーたちに応急処置を施され、自分もその対象であることを知る。波導は微かにしか感じ取れないが、少なくとも生きてはいるらしい。
黒髪の、自分より幾分若そうな女性――これから生死を懸けたミッションを共にするチームメイト。未だに信じられなかった。同時に、何回も救われもした。
「お前とは、長い付き合いになりそうだな」
ヒイラギがその言葉にどれだけの意味を込めたか、知る由もない。イトハの耳にはまず届いていないのだろうから、単なるひとりごとにしかならない。
インカムの故障か、ノイズ混じりに通信が入る。
『よく、頑張りましたね』
「ああ……」
わざとらしい賞賛は要らなかったから、その一言だけなのがありがたかった。
「帰還する」
破損したリニアのボディと瓦礫の崩れた駅のホームに、僅かな光明が差す。