叛骨の強奪者






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Opening Stage
Phase 3 光の軌跡


 トンネルごと吹き飛ばすという暴挙は、妥協も躊躇も一切ない、こびりついた殺意を教える。人やポケモンを乗せる車体からはかけ離れ、液体がこびりつき、何かの実験に失敗したような立入禁止区域の惨状である。
 ヒイラギは腰からモンスターボールを外すと、ホオズキの手に収めた。
「こいつはお前のポケモンだったな」
 声のトーンがほんの少しだが、以前よりも柔らかさを帯びた。
 支えてくれるイトハの髪から、ほんのり甘美な匂いが漂って、この場合は毒を記憶から排除するのに助かる。そんな彼女が肩を揺らしたので、異変がすぐわかった。
「こっちに近付いてませんか?」
 ヒイラギの体調はまだ回復していないが、迫る風に身を任せ、流れから存在を感じ取る。
 元々、自然と一体になることが波導の始まりだった。流動するものは、根源を遡っていけば、すべてひとつに収束する――トンネルを吹き抜ける風も、そこにポケモンの翼が交われば、音を変える。仄かな手掛かりを探し、森羅万象を自分自身に刻ませる。波導使いの極意だ。
「追う手間が省けて助かる」
「本当に、そう思うか」
 ヒイラギとイトハは、同時に元ロケット団小隊長の洞察へと耳を傾ける。
「スナッチャーから逃げる立場のJが、スナッチャーの包囲網に殴り込みをかける。これはどう考えても矛盾している。逃亡が目的ではなく、始末が狙いなんじゃないか。Jが戻ってくるということは、わたしたちへの宣戦布告だ。奴がSランク犯罪者であることを忘れるな」
 つまり、Jにはスナッチャーを正面から叩き伏せるほどの勝算がある。楽観は絶望的見解によって、一刀両断された。
 ヒイラギとカメックスは自分たちの実力に確固たる自信を持っているが、彼らほどの戦闘力に長けていないふたりにとっては恐るべき事態だ。
「どうする。ヒイラギ、イトハ?」
 ふたりの名前を呼ぶ行為が、新しい立場・環境に立たされたことを否が応でも自覚させる。
 運命共同体に与えられたこの一時は、Jのボーマンダと直接戦うという熾烈な既定事項を飲みこむための猶予だ。
「リニアへの上陸を許さなければ、こちらから急所を捕捉することは出来ない」
「分かりました。ボーマンダの気を引くために、わたしがディスクで翻弄します。今度こそ、タイミングを合わせてくださいね」
 ふたりの間で作戦が了承され、ホオズキにも異存はない。
 だが、先の戦いにおいて、人間のみならずポケモンたちの身も心も困憊している。このまま戦闘に突入すれば、どちらに分があるかは一撃の差で明らかになる。
「敵は意識不明のままだ、車両ごと後退しよう。出ずっぱりだったポケモンから休ませ、少しでも時間を稼ぐ」
 ホオズキの意図を汲み取り、カメックスがボールに、サーナイトがスタイラーに戻される。ヒイラギたちは待機勢力がいないことを確認し、アリアドスや戦闘員が屍と化す破壊の跡を去る。


 障害物さながら置き去りにされた石像が目に入る。イトハの人生は、それを無心で見過ごせるほど血塗られた道程ではない。腰を屈め、石化を自分が背負う責任のように語りかける。
「必ず、元に戻れますからね」
 ホオズキはそんな彼女に対して何も言葉をかけない。ひたすらに真っ黒な瞳は、不思議がりもせず、哀れみもせず、目を逸らさない。
「ヒイラギ。敵性勢力は?」
「今のところはいない。鈍っている可能性もあるが」
「よし、誘き寄せられるところまで後退した方が良いかもしれないな」
 ヒイラギはドアの近くで耳を澄ませるように集中する。リニアの走行に混じるこの不協和音はなんだ? 聴覚を掻き乱し、髪の付け根からじわじわと蝕んでいく頭痛。嫌な予感が当たらなければいいのだが。
「超音波か、敵性勢力は身近にいる!」
「ヤマブキからの増援か!」
 ホオズキがレーザーで窓を割り、四角く模られた隙間をドンカラスが飛び去る。辻斬りでゴルバットたちが切り裂かれ、力なく椅子に寄りかかっていく。
 ヒイラギは舌打ちする。大方、J着陸の間に手土産を用意しようという魂胆だろう。
「休ませてくれる暇もない」
「敵の数が多い。こっちに来るぞ」
 ブニャットがドアを引っ掻くのが見え、お返しにカメックスを繰り出す。無理矢理剥がされたガラスから甲羅がせりあがって、硬さに爪が持って行かれる。
 向こうの波導は急速に増え始めた。ポケモンの大群を相手に、カメックスの重量でどこまで持ちこたえられるか。
 咄嗟にイトハがディスクを放ったため、顔を逸らす。隙間から入り込んだディスクを確認した後、カメックスはキャノンを構え、うつ伏せになる。ドアを蹴破ったブニャットの腹部に照準を定め、波導弾を撃ち抜く。耳を劈く悲鳴が木霊すると、天井に頭をぶつけて白目を剥いた。至近距離からでは相当効いたはずだ。日が沈むまでは、目を覚まさないだろう。
 イトハは前の車両に進み、ディスクの指揮を執る。トップレンジャーのお手並み拝見だ。戦闘意欲旺盛のポケモンをどのように鎮めるのか。見たところ黒装束がいないということは、遠隔操作の類でポケモンに指示を与えている可能性が高い。危険が孕むことは言うまでもない。
「気を付けろ、どこからレーザーが飛んで来るか分からんぞ」
「そのときは、あなたがカバーしてくれますよね?」
 ヒイラギは予想外の返事に眉をあげる。
 あどけない顔つきが少し変わった。〈シュート・スタイラー〉を操るイトハの腕は、トライアングルの軌道を描く。ハーモニーを奏でるタクトのように、波から波へと移ろいゆく旋律。
 あれは手足だ。
 トライアングルに取り込まれたニョロトノやケンホロウが、絶対命令遵守という名の電気信号から解放されたように、力なく眠りへと誘われていく。
 ヒイラギは今まで、ポケモンを懐柔するのがレンジャーの仕事だと思っていた。しかし、イトハのそれは手なづけるどころか、強者が「我に従え」と言わんばかりのテレパシーを送っているようだ。
「これがトップレンジャーだというのか……」
「ふたりとも急げ。Jが来るぞ!」
 メガヤンマとドンカラスの攻防が、ディスクの紡いだ連鎖反応〈チェイン〉を破る。ヒイラギはすぐさまハイドロキャノンの照準をメガヤンマの複眼につける。色眼鏡を壊せれば、怖いものはない。
「そいつは少し厄介だろう、おれたちが引き受ける。お前は後方車両を守れ」
「助かります。こちらは任せました」
 ヒイラギとイトハが入れ違いになり、車両の勢力図が書き換えられる。
 イトハと共に身を翻したドンカラスの方は、最初から逃がすつもりなどなかったようだ。一閃が瞬いたかと思いきや、ドンカラスの首に噛み付き、天井へと叩きつける。平生通りなら、カメックスはすぐさま標的を仕留めるが、様子がおかしい。ハイドロキャノンの照準がぶれている。誤差の修正が間に合わない。僅かでも角度がずれれば、被害を受ける立場は変わる。
「撃つな、ドンカラスに当たるぞ!」
 これでは撃てない。完全にコンディション不全を突かれた。毒牙の後遺症が響いたせいか。メガヤンマと対峙した辺りから、何故か体が重い。体内の命令系統が根こそぎ断ち切られてしまったようだ。
「ボーマンダ着陸、こちらに接近中!」
 弱り目に祟り目とはこのことだ。ヒイラギは珍しく切羽詰まった様子になる。
 作戦にしては上手く出来過ぎている。ゴルバット、ブニャット、ニョロトノ、ケンホロウ、メガヤンマ……これらのポケモンから見出される共通項は。
「まさか!」
 メガヤンマがドンカラスの羽を食い千切り、複眼の奥から妖しげな光を瞬かせる。視線が見据える先は、ヒイラギとカメックスだ。

 ふたつの車両で、同時に戦いが展開されていた。
 ヒイラギが餌食となる前に、Jの侵攻は始まっている。椅子を焼き払いながら進むため、リニアの内部はもはや原形を留めていない。隠れる必要などないとばかりに、薙ぎ払い、噛み千切り、吐き捨てる。暴虐の化身と言わずして、なんと形容しようか。
 Jは戦闘員に目も暮れず、モンスターボールを取り出す。そうはさせまいと唸る銃口。レーザーが発射する前にボーマンダの咆哮が照準を狂わせた。足元がおぼつかず、あらぬ方向を撃ち、その隙にアリアドスの回収を許してしまう。
 揺らめく炎を草のように掻き分け、ボーマンダがやって来る。一歩進むたびにホオズキの胸は早鐘を打つ。意地を張って皮肉な笑みを張り付けてはみたが、光線銃の扱いにかけては向こうが一枚上手だ。銃弾と同じ要領で可視光線がボーマンダを貫いてくれるとは限らない。熟練度はそれほど戦局を左右しかねないものである。
 ここで取れる手段はひとつ。次に希望を繋ぐことだ。
「任せた!」
 ボーマンダの注目を引きつけ、ホオズキはレーザーを天井に撃つ。しかし、おやまでも苦し紛れの策に乗っかってくれるわけがない。Jはバイザーの探知システムで、視界の裏に潜む敵を炙り出す。レントラーの眼が障害物の中身を透視するように。
「そこか」
 モンスターボールの人工治癒力によって、僅かだが息を吹き返したアリアドスを差し向けようと構える。死角に収まったレンジャーを糸で縛り、血祭りにあげるためだ。幸いにもボーマンダがホオズキに気を取られていたおかげで、イトハのディスクが火花を散らし、襲い掛かるだけの時間稼ぎは出来た。
「キャプチャ・オン!」
 陽動作戦、完了。ディスクが周回するのを見れば、苛立ちを募らせ、弱点を剥き出しにするだろう。
 ヒイラギの育てたカメックスならば、敵のエースとも互角に渡り合える。勝算があるとすればそこに賭けるしかない。血眼で駒を追うボーマンダは、ナックラーが張るありじごくのように、イトハへと吸い寄せられていく。
 波導使いの一手はまだか。ホオズキとイトハの焦りが、じりじりと心を締め付ける。
 ボーマンダが大きな影になって、後方車両の様子が分かりにくい。だが、ホオズキの眼には信じがたいものが映った。ヒイラギが床に崩れ落ちているではないか。
「ヒイラギがやられた」
 イトハは予想もしなかった一言を受けて、ディスクの魔方陣を崩してしまう。そこに付け込まれた。
「はかいこうせん」
「まもるっ!」
 ボーマンダの口内から発せられる黒々とした光の束が、ふわりと現れたサーナイトの障壁に阻まれる。防御壁を展開するように命じた本人は、鋭い口調で増援を促した。
「行って!」
 イトハの作ってくれたチャンスを無駄には出来ない。ホオズキは間を縫って駆け出し、後方車両で何が起こったかを確かめに行く。ボーマンダの爪がサーナイトを引き裂かんとするが、振り向いている暇はない。車両と車両を繋ぐドアが開け放たれ、戦場同士が交わる。

 中央を陣取るメガヤンマの翅が、重低音を響かせる。翼のシンメトリーを無造作に食い千切られたドンカラスの頭上に、シルクハットを飾る緋色の羽が眩しい。
「お前は無事か」
 カメックスは頷くも、苦戦の痕がうかがえる。このままでは敗色濃厚、といったところか。
 突如、高所から落とされたような重力が腹部を殴りつける。ホオズキは思わず膝をついた。防弾チョッキを着ているため、物理的なダメージとは関係しない。とすると、これはメガヤンマ自身の性質に絞られるのではないか。
「ドンカラス。翅の動きを止められるか」
 応答はない。ホオズキが振り向いた先には、Jとボーマンダの魔の手が伸びていた。
 回転力を失い、床に小さく跳ね返る駒。イトハがそれを拾おうとした矢先、メガヤンマの視線が動く。翅がはためくたび、ホオズキは体が悲鳴をあげるのを感じる。
「ヒイラギはこれにやられたのか!」
 ドンカラスは横腹を蹴られ、毬のように何度も体を打った。毛繕いにかけた時間も無に帰されてしまったようなもので、見るも無残なほど。
「はかいこうせんで仕留めろ」
 前にも後ろにも隙がない。レーザーで応戦するが、極太のレーザーが相手では比較にならない。大人が子供をいたぶるように、床の底が抜けた。戦闘続きでリニア自体の耐久力も落ちている。残骸は線路の上に残されていく。
 周りを見やると、イトハまでもが意識を失っている。間に合わなかった。
 メガヤンマは最後の仕事に取り掛かろうとしている。レーザーを掠めるに留まったドンカラスへと鋭角を描いて接近する。
 ヒイラギとイトハがやられたのは、恐らく催眠術のせいだ。当然、ヒイラギはJの仕向けたポケモンたちの共通点を探り、ここまで辿り着いただろうが、遅かった。
 翅の振動が、ヒイラギの敗因だ。表面ではなく、内部組織に損傷を負わせることで自由を奪い、催眠術を絡めて、じっくりと始末する。少しの衝撃を倍化する諸刃の剣にはさぞかし響いたことだろう。積年のスナイパーが照準を狂わされたのも無理はない。
 ホオズキは二の轍を踏めない。だから、ドンカラスの技で振動を制止出来れば。まだ充填量は残っている。微かな眼がこちらにサインを送る。破壊光線の反動で動けない、今が好機だ。
「ひみつのちから、放て!」
 ドンカラスが体内からPPを迸らせ、リニアの制御システムへと干渉する。
 だが、ホオズキのあては外れた。メガヤンマの翅がさざめく様子はない。
 攻撃ではなく、暗示だ。相手の急所がよく見えるピントレンズを通して、より催眠が深く深く、脳裏へと刷り込まれていく。
 特性〈きょううん〉を逆手に取られた。ホオズキのドンカラスは森でも弱所を突く夜戦に長けていたが、不眠不休の体質には恵まれなかった。
「だが、メガヤンマは討ち取ったぞ……」
 敵も代償を払わなかったわけではない。ひみつのちからは、地形によって異なる状態異常をもたらす技だ。この場合、リニアを動かす電磁波が飛び交う。雷に貫かれ、翅が機能しなくなったメガヤンマは、そのまま地へと伏せた。これでは戦うことも出来ないだろう。とはいえ、Jはまだ切札を温存している。気が遠くなりそうだ。

 ヒイラギは催眠術を受けた「ふり」に励んだ。
 あの凶悪なボーマンダを出し抜くには、不意を打つのが得策と考えたからだ。心の隙に付け入る術を無効化出来ずして、精神を巧みに掌握する波導使いとは言えない。幸い、敵はそのことまで頭が回らなかったようだ。ホオズキには悪いが、先にメガヤンマを片付けてもらわなければならない。
 気力を振り絞って、ボーマンダの波導から弱所を探し当てる。腹は固い皮膚に覆われているが、比較的首筋の裏が手薄だ。カメックスの狙撃技術でそこを突く。
 メガヤンマが崩れ、時は満ちた。相手の挙動を追うのにヒイラギの安否確認を紛らわせ、サインを待つ。ヒイラギの手がスローのように動き、首の裏を数回叩いた。
 ボーマンダはドンカラスの方を向いている。力こそ有り余るポケモンだが、それほど素の知能が高くない。自らに迫る脅威にも気付かず、長い首を振り回し、車体を揺らす。カメックスはドンカラスに振り向いた瞬間を、確実に、ミリ単位も逸らさず、撃ち抜いた。
 
 悲鳴と怒声が混ざり合う壮絶な雄叫びが、ボーマンダの理性を狂わせる。更に破壊的な惨劇が起こることを予感させる形相だった。
 Jはボーマンダが怒りに身を任せるのを止めない。ホオズキは思わず舌打ちする。ボーマンダというポケモンは、ここが厄介なのだ。一度でも怒りに触れれば、野山を荒らして回るほど手が付けられなくなる。尊厳に満ちたドラゴンポケモンを飼い慣らすのは至難の業、と言われる所以でもある。
「起きているなら起きていると言え」
「騙すような真似をして悪かったな」
 自分の行いをそっくりそのまま返され、ホオズキは一杯食わされた。
 我を失うボーマンダを、冷徹な静かさをもって見つめる。ドラゴンポケモンの逆鱗を止めないことには、Jの捕獲など夢のまた夢だ。
「これでは攻撃をしても刺激するだけだ」
「となると、あいつに一仕事してもらわないとな。ポケモンたちもパワーが落ちている」
 ボーマンダは辺りに地響きを起こし、衝撃波で身を守っているせいで、攻撃が届かない。床に撃ち捨てられたドンカラスなど、視界から消え失せたかのように振る舞っている。或いは興味の対象から外れたか、怒りで他のことを考える余裕もないか。
 ヒイラギが手を挙げると、圧縮に圧縮を重ねた水が撃ち出される。矢よりも細く、ドンカラスの首に刺激を与える。神経に電気信号を流されたことで、一気に瞳孔を見開く。
「面倒だ。まとめて薙ぎ倒せ」
 Jの冷たい声色が通り抜けると、ボーマンダは腹の底から煮え滾る憤怒を放出する。大口をがばりと開いて、それがただの攻撃では終わらないことをヒイラギは歴戦の勘から読み取った。
「伏せろ!」
 ボーマンダの焼け付く激情を余すことなく表現するかのように、喉から溢れ出す火の波。天井を這い回り、むしポケモンのように伝っては降り注ぐ。ドンカラスの翼に次々と火が移ろい、全身をくまなく蝕んでいくのが見えた。高度が下がったドンカラスに飛び掛かって踏みつけ、頭で無茶苦茶に殴る。
 ホオズキはリニアの窓側にもたれかかり、点火したコートを脱ぎ捨てた。モンスターボールを取り出そうとするが、無秩序に飛散する火の粉が阻む。
「ハイドロポンプ!」
 カメックスが大量の水を噴射し、全体に行き渡った炎熱を退ける。なんとか事なきを得た。
 頭から水を被ったボーマンダだが、おとなしくなるどころか、滑る足場で水滴の音にものを言わせている。
「接近は危険すぎる。遠距離から仕掛けるしかない」
 ボーマンダは死骸の如く生気のない鳥ポケモンを持ち上げ、投げ飛ばす。ボールから紅い閃光が迸り、これを受け止めた。切羽詰まる戦いの中でやるべきことは果たしてくれたのだから、後は休ませるべきだ。
 これほどの狂気を粛清出来る者がいるとすれば、ポケモンレンジャーのイトハしかいない。頼みの綱は眠りの淵にある。だが、ホオズキは向こうの車両に妙な違和感を覚えた。
 あるはずのものが欠けている。倒れていたはずのサーナイトが、消えている。

 描かれるのは光の軌跡。
 はっきりとした曲線ではなく、掴もうとすれば消えてしまう。目をこすったようにおぼろげな輪郭がディスクを守り、ボーマンダを抑えつけている。
 逆鱗状態のボーマンダに近付いても大丈夫だとすれば、怒気を寄せ付けないサーナイトの体質だろう。ドラゴンの鱗は、うかつに触れてはならないとされている。しかし、激情を和らげる妖精ならば、皮膚でやけどすることもない。
 高速で消えるポケモンとディスクを波導で追いつつ、倒れたと見せかけた操縦者が生きていると確信する。
 遠隔操縦するディスクに、サーナイトが自身を含めた一時的なテレポートを施す。ラインを掻き消す動きが原因となり、座標変更からの反撃結果が生じる。
 例えラインを自ら打ち切ったとしても、ボーマンダに送り込まれた強力な思念は未だ活発なまま。囲めば囲むほどにメンタルゲージは蓄積されていく。
 神経を逆撫でするどころか、諭されたように落ち着いていくではないか。サーナイトの瞳には慈愛があふれている。見かけだけの浅ましい同情を兼ねた哀れみは捨て去って、ただ制止を命じる。
 なんと柔らかで、厳かな波導だろう。
 ヒイラギはそのとき、戦いの血潮を浴びて育った、燃えるような思いが、根本から覆されるほどの敗北感に陥りかけた。
「おい、ヒイラギ。ヒイラギ!」
 ホオズキの声で、はっと我に返る。
 地響きを起こしていたボーマンダが目に光を取り戻す。戦闘意欲はあれど、先程のような興奮状態は消え失せ、代わりに逆鱗の副作用とキャプチャの効果が絡み合い、我を忘れているようだ。
「レンジャーに懐柔されたか」
 第二のスナッチャーは眠っていなかった。横たわった姿勢から高らかに手をかざし、ディスクを手に取る。ヒイラギとホオズキからは見えないが、無言での仕事を果たした。ヒイラギと同じく、攻撃の機会をうかがっていたのだ。イトハの機転により、攻撃が通るようになった。
 カメックスの後ろ、サーナイトが守護霊のように張り付く。

 スピンで接近するカメックス。ボーマンダはわけもわからず二本足で立ち上がったかと思えば、腹筋を利かせ、無理矢理抑え込む。壁のように回転を阻まれるが、キャノンを突き出して、敵を滑らせる。足場は濡れているため、カメックスにとっては有利にはたらくはずだ。
『ヒイラギ、イトハ、ホオズキ。まだ無事ですね?』
 ヒイラギが注意深く、インカムに意識を向ける。通信は全員に行き渡っているだろうが、Jに勘付かれては厄介だ。カメックスとボーマンダの取っ組み合いからも気が抜けない。二重の意識を使い分ける。
『よく聴いてください。ヤマブキ中央管制センターのコンピュータが乗っ取られました。敵は〈ポリゴンZ〉というポケモンです。わたしたちのポケモンで、出来る限りの善処をしていましたが、間に合いませんでした。通信が遅れたことをお許しください。管制センターは今回の被害状況から、リニア運行を当面見送り、破損した機体を処分するという判断を下しました。ですから、あなたたちが戦闘態勢にあるならば、リニアを破壊してでもJを食い止めていただきたいのです』
 Jの罠が、アリアドスの張った糸のように、スナッチャーの手の届かないところまで浸透し、彼らを捕らえようとしていた。どのみち、逃げる選択肢など残されていない。生きるか死ぬか、ふたつにひとつ。
 通信はそれで終了するかと思いきや、ヒイラギの無線にはまだ声が続く。
『これはあなただけへの通信です。試せそうなポケモンはいますか』
 見積もりは済ませてある。目利きが正しければ、格好の獲物がそこにいる。
「許可を貰いたい」
『いいでしょう。コアの真価を試さねばなりません』
 今度こそ、通信は途切れる。
 ヒイラギに課せられた使命は、ふたつある。ひとつは波導使いとして尽力すること。
 そして、もうひとつ。チーム名に託された咎を背負い、戦うこと。



はやめ ( 2015/08/19(水) 21:58 )