Phase 2 第三のチームメイト
腕を伸ばし、脚を収納して、ジェット気流を噴き上げるゴルーグ。恰幅の良い背中は、人間のひとりやふたりぐらいどうということはない。機械然とした巨体は一時代前の文明へ想像を及ばせる。およそ生物離れした姿だが、襲うというよりも守るための力を感じさせる。
並の人間ならばとてもマッハ飛行についていけず、生命の危機すら感じて音を上げるはず。しかし、対G訓練を受け、移動にムクホークやピジョットを乗りこなすのが日常茶飯事の二人にとっては造作もない。
民間人の注視を浴びず、レーダーにキャッチされない高度を保ちつつ、沈む夕日に向かう。山奥の地平線がうっすらと見える。流麗に整えられた近代の町並みとて、こんな緊急事態でなければ、もっと興じることが出来ただろうに。
「波導が揺らいでいる」
「そんな」
「急いでくれ、ゴルーグ」
波導を自由自在に操るヒイラギからすれば、人の命にも等しい波導の気配が次々に脅かされる様子は、焦燥に追いやる材料としては十分すぎた。
駅に着地するや否や、ゴルーグは握り締めていたボールをヒイラギに向かって投げる。自分を主人の下まで連れて行ってほしい、という意思表示だろう。胸の封印に丁度赤外線を照射すると、ゴルーグは小さな粒子の集合体となって吸い込まれた。
「くっ!」
耳を劈くような悲鳴が、時間差で何度も反響する。全感覚を鋭敏にしていたヒイラギは思わず腰を落とした。波導使いの優れ過ぎた聴覚は、時として不利にはたらくものだ。
「大丈夫ですか!?」
「行かなければもっと酷いことが起きる!」
ピチューやププリンなどのベィビィポケモンを抱える、或いは手を繋ぎながら、阿鼻叫喚の巷を逃げ惑う光景が飛び込んで来た。
人ごみを掻き分け、押し合い圧し合い、駅の中枢を目指してひた走る。制止する駅員も、彼らの尋常ではない気迫に圧され、一目散に駆け出していく。
「出て来い、カメックス」
モンスターボールに戻していたカメックスを再度呼び戻す。生身では間に合わない。
カメックスの甲羅に飛び移り、イトハに同乗を促した。
ヤマブキ―コガネ間を繋ぐ線路。先鋭的なボディをしたリニアは発車のときを今かと待っている。階段を一挙に滑り降りるヒイラギたちと真逆に、民間人は体裁を捨てながら駆け上がっていく。
ホームは金切声にまみれ、無秩序に散らばる人々とポケモンが視界を掠める。立ち尽くす間も許さないほど、人ごみは激しい。
「遅かったか」
カントー・ジョウト間を結ぶリニアは、協定の証として開通したのが始まりである。以後カントーとジョウトの距離感は縮まり、二地方に橋を架けた。今や二時間もあれば、異なった趣の大陸を横断出来てしまう時代が訪れた。そんな歴史ある乗り物だからこそ、負の記憶を刷り込むきっかけにしてはならないのだ。
「追いましょう」
「無論、そのつもりだ」
ホームを離れるリニアを目で追いながら、カメックスを戻し、ゴルーグを繰り出す。どのポケモンならば最大ポテンシャルを発揮出来るか――任務には咄嗟の判断力も求められる。カメックスはハイドロポンプの噴射で疑似的に飛行出来るが、トンネルの長さを考えるとここはゴルーグで追うのが当然の帰結と言える。迷いなく、ヒイラギとイトハはゴルーグに同乗した。
先程よりも切羽詰まったふたりを旧文明の遺産なりに斟酌したのか、イッシュの白陽ポケモンにもひけをとらぬターボブレイズを発揮する。空気抵抗は凄まじく、息をするだけで肺がむせそうだ。ゴルーグの全速飛行は、余程鍛えられたギャロップなどのレーサーポケモンでない限りは影を捉えることも不可能だろう。
夕闇を道標に変えるライトが、残光を帯びていく。接近はまもなくだ。通信が入るも、風を切る音が大きくて聴き取りづらい。
『リニアは――ようです。J――気を付け――さい』
「なんだ!? 聞こえないぞ!」
ヒイラギとイトハが順番に降りて、ゴルーグを戻す。土管のようなトンネルは、防音フードですっぽりと覆われている。ポケモンの存在を前提に設計されたとしても、せいぜい周囲に少しの隙間を空けるぐらいのもの。ゴルーグを収納する場合までは考慮していなかったようだ。トンネル内では許容されないポケモンを戻し、匍匐前進で慎重に進む。
恐らくジュノーが伝えたかったのは敵性勢力の奇襲だ。リニアが発進したことは、彼らの暗躍が一枚噛んでいると見て間違いあるまい。ヤマブキ中央管制センターが軍団の手に堕ち、強制発進を迫ったというのが経緯だろう。ヤマブキ侵入時から企てていたのだとすれば、手際の良さにも頷ける。
「波導を感じますか?」
イトハが後ろから声をかける。ヒイラギは指折りで概算人数を示した。敵は十中八九分散している。駒はどこから現れるか分からないからこそ、駒としての役目を果たす。
こう車体の上が狭いと、作戦会議も出来ない。ヒイラギは後方のイトハを制止させ、互いの顔を突き合わせるように向きを変えた。物音を避ければ存在を気付かれず、相手とて迂闊な手出しは出来ない。
「サーナイトのテレポートで、リニア内に入れるか」
イトハは顎を僅かに動かし、可能の意を伝える。
「よし。お前はそれで突入しろ。ただし、座標を指定する」
「でも、あなたは?」
「よく聴け」
ヒイラギが喋り出すと、イトハは真剣に相槌を打って応じる。
「着地の際にゴルーグを見られた。よって、向こうは侵入したおれたちを奇襲する準備を立てているはずだ。仮にテレポートでおれとお前がワープした先にJがいれば御陀仏だ。そこで、奴らを欺くために二手に分かれる。天井に穴を開け、そこからカメックスの入ったモンスターボールを落とす。中で爆発を起こすから、混乱に乗じてお前はテレポートしろ。後方車両から洗っていけ」
「天井に穴を開けるって、そんなこと出来るんですか?」
「生きて帰れたら、今度岩を壊すところを見せてやるよ」
「本当に同じ人間なのかしら。分かりました、やれるだけのことをやってみます」
「三人目がいれば、こんな面倒も省けるんだがな」
ヒイラギは天井の一箇所を押さえ、一時的にすべての波導を右手に凝縮する。人間離れした技でこそあるが、ポケモンよりも遥かに低い戦闘力ではモンスターボール一個程度の穴を開けるのが関の山だ。攻撃を食らわないように体を捻り、腰のモンスターボールを外して、中に転がす。数秒した後、狙い通りの悲鳴があがった。カメックスの侵入は成功だ。
「行け!」
「サーナイト、テレポート!」
イトハはサーナイトがリニアの側壁に現れるようスタイラーを向ける。縮小化していたサーナイトが元の大きさまでふわりと戻って、そのまま手を繋ぎ姿を消した。風が彼らを包み込むような美しさだ。
水の波導を感じ取り、ポイントを避けるように転がり噴射を避け、自分が中に入るだけの穴を作らせていく。ヒイラギが飛び降りる頃には、あらかた片が付いていた。
さっと概観を見渡しておく。左右の側面にそれぞれふたつずつ、座席が配置されている。基本的にリニアでは小型〜中型のポケモンだけがその場に出すことを認可されるが、カメックスぐらいの大きさならば自由に動けるだけのスペースを余分に設けてある。それ以外に変わった点は見られない。
「侵入成功。そちらは?」
『Jは見つかりませんが、車両の勢力は縛りました。合流を要請します』
「了解。そちらに向かう」
ヒイラギが通信に気を遣っている間も、カメックスがガードを固める。どこから敵が現れても瞬時に迎え撃つ、それが波導を操る者の心構えだからだ。
警戒を怠らなかったカメックスは、不穏な閃きが微かに自身に発するのを感じた。甲羅に籠るのを見るや否や、ヒイラギとカメックスは席に潜り込み、黒い光線を間一髪でかわす。リニアには似つかわしくないほど抉られた。
後方から、社長室での交戦時よりも高純度の波導が流れ込んでくる。これほどの波導を有するポケモンは、Jの手持ちをおいて他にはいない。ジョーカーを引いてしまったのはヒイラギの方だった。
「こいつの命が惜しければ、抵抗するな」
悪意を悪意とも思わないほど感覚の麻痺した声を耳にして、思わず舌を打つ。
アリアドスが拘束した操縦者に向けて、脅しをかけている。ただの人間がこの至近距離で技を受ければ、無事は保障出来ない。
アリアドス一匹ならまだしも、ボーマンダがいるせいで分が悪い。先程の破壊光線はこのポケモンの仕業だろう。反動のせいか微かに体を震わせているが、カメックスが狙い撃つ頃には自由に翼を動かすはずだ。
ヒイラギの口が開きかけたところを、Jは見逃さない。指を鳴らすと、二人の黒装束が光線銃を突きつけるのが、振り向かなくても痛いほど伝わってくる。後ろの二人だけならばすぐにでも片付けたが、人質を取られては迂闊に身動きが取れない。
「カメックスをボールに戻し、床に置け。両手を挙げろ」
言われた通りにすると、次なる要求が出される。
「もうひとりの女をここに呼び出せ」
「こちら、ヒイラギ。Jと対峙した。人質を取られてしまった」
『要求は?』
「進行方向真逆に進み、こちらの車両へ来てくれ」
イトハも修羅場を潜り抜けた存在だけのことはある。このような場面に瀕しても、あからさまな動揺を見せはしない。とはいえ、絶体絶命に変わりない窮地をどう覆すかが問題だ。
未だ姿を見せない三人目の存在が、かえって恨めしかった。せめてもの足掻きとして憎まれ口を叩き、情報を搾り取ろうと目論む。
「ずいぶん頭の良い作戦だな。貴様だけで考えたのか」
「次に口を開けば、人質を殺す」
小悪党にありがちな慢心と油断もないときた。無論、JをSランク犯罪者たらしめる要因はそこにもあるだろう。張りつめた空気が集中を乱し、思考を鈍化させる。人質に迫りながら、後退を促すアリアドス。このままでは、またJに逃げられる。
何かひとつ、ひとつでいい、状況が変われば――それを生かせない波導使いではない。そんなヒイラギの切実な求めに応じるが如く、銃声が響いた。
「何をする!」
命令もなく人質に向かってレーザーを発射した黒装束のひとりに、さすがのJも焦りを募らせたようだ。行動の真意が掴めないが、この好機を逃すわけにはいかない。モンスターボールを蹴り上げる反動で宙返りし、片方の黒装束の後ろに降り立って意識を奪い去る。ボールから飛び出したカメックスは重量にものを言わせ、翼の根本を掴み、押し潰す。
一度きりの奇策だが、光線銃を壊されたJを止めるには十分だった。
体勢を立て直す必要があると見たか、Jはポケモンを戻して後退する。深追いする前に、ヒイラギは躊躇なくレーザーを放った男を、膝と手で固定し、覆い被さる。尋ねるべき事柄はただひとつ。
「敵か味方か。それだけを簡潔に答えろ」
サーナイトが念力で扉を開き、イトハが全神経に注意を張り巡らしたように入って来るが、混沌とした事態を掴みあぐねる。石化した人間へと駆け寄るが、最初から置物同然に放置されたような扱いに、思わず瞳を潤わせた。
「なんてことを」
きっと男を睨み付けるが、女性の涙にもまるで動じない。
「石化は死亡ではない」
「確証はあるのか」
「お前たちはデボンコーポレーションを知っているな。石化光線銃のメカニズムを突き止め、現在政府と手を組んで、石化解除装置の実験を行っている」
政府やホウエン大企業の裏事情にまで詳しい男に、ヒイラギとイトハは顔を見合わせる。
「もう一度同じ質問をする。敵か味方か」
「チーム名は?」
「何故、それを……」
命の主導権を握られているとは思えない余裕に、只者ではないと直感する。
「申し遅れた。わたしは第三のスナッチャー、元ロケット団・四幹部アポロ直属部隊長〈ホオズキ〉だ」
ロケット団――裏社会の事情に精通していれば、どこかで聞くことになる名前だ。かつてのボス・サカキには四人の腹心がいた。それぞれ、アポロ・アテナ・ランス・ラムダという。中でもサカキに最も近い実力を持っていたのが、アポロなのだ。サカキ行方不明後もジョウトで再興指揮を執ったほどには信頼されている。
四幹部はそれぞれ小隊を有し、自分を補佐させる隊長を据えていた。サカキの腹心の腹心が、目の前にいる男というわけだ。
驚きに目を見開いたヒイラギが拘束を解いても、ホオズキと名乗る男は逆上しなかった。淡々とバイザーを外し、変装を解く。えげつない作戦を考えるだけの目つきで、二人の同志を品定めするだけだ。
ヒイラギとイトハが大人の入口に立っているとすれば、こちらは年輪を刻んで完成された男と言うべきだろう。顎ひげを大事そうに伸ばし、ポケットから黒いキャスケットを被り、角度を整える。黒いトレンチコートの上は首元まで正体を隠すように覆われていた。言われてみれば、その姿は十年前のカントーを我が物顔で歩いていた服装と瓜二つ。あと足りないものは「R」の赤い刻印だけだ。
掴み所のない危険人物――ヒイラギとイトハの第一印象はそんなところだろう。
「騙すような真似をして悪かったな。ジュノー司令官の指示だ」
チームの構成員が揃い踏みしても、イトハはどこか釈然としない。ヒイラギにはなんとなく察しがついた。先程、ホオズキが躊躇なく光線銃を向けたことに疑問を抱いているのだ。それほどショッキングな出来事ではないにせよ、純真な心を痛めつけたのだろう。
「元ロケット団のやりそうなことだろうが」
「あのときわたしが撃たなければ、どうするつもりだった?」
ホオズキの意地悪な問いに、イトハは目元を強張らせる。見通しの甘い一流レンジャーに、泥沼の闇に浸かって来た男は厳しく諭す。
「ピストルだったら、わたしは人質の脚を撃っていた。これから戦うことになるのは、そういう選択を躊躇なく迫る連中だぜ」
「分かってます」
「トップレンジャーと聞いていたが、とんだ甘ちゃんだな。それで戦っていけるのかい」
「アルミアでは戦ってきました」
「ここはアルミアじゃない。カントーだ」
返す言葉もない。歯に衣着せぬ物言いをするホオズキの加入が、ますますスナッチャーの空気を乱している。
ヒイラギは内心滅入っていた。情に甘すぎるレンジャーと、犯罪組織の在籍履歴を持つ男。国際警察と手を組み、悪党を縄にかけてきた自分がこんな二人と一緒にハンター組織を相手どると考えるだけで先が不安になる。政府や司令官は一体何を考えているのだろうか。
しかし、誰であれ、十二分のはたらきをすれば構わない。重要なのはリザルト、周りは関係ない。
次のドアを念力でこじ開け、様子をうかがう。一見もぬけの殻だが、敵意ある波導が湧き出て来る。もはや奪還しない限り、ここはJたちの隠れ蓑だ。
光線銃の感触を確かめるホオズキを見て、怪訝そうに眉をあげた。
「利用出来るものは利用すべきだ」
「もしJを石化させようとでも考えているなら、その見通しは甘いな」
「情報を絞り出すことも出来なくなるし、Jを取り戻すためにデボンが狙われ、逆に被害件数が増加する恐れもある。おれたちの力でJを倒さなければ、根本的な解決にはならないんだ」
そもそも、光線銃に対抗するため組織されたのがスナッチャーだ。ホオズキの意見はもっともだが、何よりもプロフェッショナルは自分の力にプライドを持っている。ホオズキは彼らの若さを承知したように口元を緩め、ドアの後ろに張り付いた。
「では、こいつはサンプルとして持ち帰る。それでいいか」
「……死守出来ないときは、迷わず棄却しろ」
「了解した」
イトハが納得するまでの時間も与えられず、ヒイラギとホオズキは車両に潜入していく。自分を蚊帳の外にする二人に苛立ちながらも、後に従うしかない。
先程の交戦から得られた情報は大きい。ボーマンダの破壊光線は床を抉る程度で、事故や発火の誘発要因とまではいかない。色々のポケモンを動員し、相当念入りな耐久実験を行ったのだろう。これなら気兼ねなく戦うことが出来る。
針に糸を通すように、隙間からレーザーが飛んで来る。自分から位置を明かしてくれているようなものだ。後方車両のカメックスに合図を送る。予想通り、ハンターがスピンするカメックスに狙いを定めた。
瞳を細めながら、通路に切り込んでいくホオズキ。レーザー同士が相殺された。生じた隙を逃さず、スナイパーが水の矢を吹き、黒装束の腕をまっすぐ射止める。耳を塞ぎたくなるような悲鳴があがり、水を打ったように鎮まる。
カメックスの甲羅に飛び乗り、ヒイラギが中央を滑る。残されたひとりが陰から銃口を向けるも、シューターを引き抜いたイトハのディスクが正確無比のコントロールで光線銃に飛び掛かった。軸が食い込み火花が弾ける。弾き飛ばされた男の脇腹に間髪入れず、カメックスの凝縮された水流が差し込む。
息つく間もなく、前の車両ドアが開いた。ボーマンダの火炎放射が直線状に通路を焦がす。
一瞬の威嚇が時間稼ぎに使われた。黒装束のひとりは片手と僅かな意識を酷使して、モンスターボールを放り投げる。マタドガスが現れたのを見て、ホオズキはすぐさま敵の狙いを察知する。
「窓を開けろ!」
マタドガスの気孔から、見るからに有害らしき色素の気体が噴出する。ヒイラギとカメックスは窓を割り、イトハとサーナイトはテレポートで後方車両に離脱した。
ドアの隙間からモンスターボールを転がして、忍ばされたのはアリアドスだ。濃度の強い毒霧でも、夜目が利くアリアドスならば自由に動ける。ドアを締め切って、残されたヒイラギとホオズキを毒殺するつもりだ。ドア越しに視線を交差させるイトハとJが戦況をうかがう。片方は切羽詰まった表情、片方は高みの見物で。
「ドンカラス、霧を掃え!」
ホオズキが投げたボールからは、黒く、艶めかしいポケモンが飛び立つ。
帽子を目深に被り、首元の白毛は肉つきをより豊満に見せる。左目にはモノクルがつけられており、それこそマフィアの首領と見違える装飾だ。
Jは唇にあてた指を伸ばす――糸を使え、という意味のサインだ。
霧掃いに徹するドンカラスは邪魔者である。面倒な翼を縛ろうと糸を吐く。片方の翼に巻き付けられたが、引っ張られる間際の抵抗で滑るようにアリアドスを切り裂く。吹っ飛ばされたアリアドスは尻からも糸を発射し、マタドガスに巻きつけた。磨き抜かれた黒翼が散るが、嘴での反撃に出る。
ヒイラギは悪条件の視界でも、波導を使う選択肢がある。アリアドスは糸に念力を流し込んで自分より重いマタドガスを振りまわす。一糸乱れぬ規律を誇った座席は、すでに原形を留めていない。
「マタドガスの急所は結合部だ」
それだけ伝えておけば、後は必要ない。カメックスは双肩に背負ったキャノンを伸長させ、自らも後退するほどの出力でマタドガスを撃ち抜いた。
Jは白目を剥いて落下するマタドガスを見て、アリアドスにサインを送る。握った拳を開く――その意味にいち早く気付いたのは、イトハだ。
ドアを一気に開け、サーナイトが通路の中央に躍り出る。アリアドスが念力で、不吉な膨張具合を刺激する。左右の均衡が曖昧になって、苦しそうに破裂した。耳を劈く爆発が破片を蹂躙し、溜まり切った毒素を所構わず塗りたくる。
使い捨てられたマタドガスは、こころなしか小さくなったように見える。ヒイラギとホオズキが毒を浴びるだけで済んだのは、イトハとサーナイトのおかげだ。Jは爆発間際に車体を切り離し、ヒイラギたちがヤマブキに戻るよう仕向けた。犠牲になったのはトンネルだ。事を順調に運ばせてしまった。
朦朧とする意識でヒイラギはゴルーグの入ったモンスターボールを探し当てるが、腕を掴まれた。輪郭の定まらないホオズキが、まっすぐヒイラギを見つめ、鋭く諭す。
「解毒が先だ」
「Jを逃してもいいのか!」
「ゴルーグのスピードはわたしが一番理解している。それにコガネ方面は国際警察が張っているはずだ。これを飲め、嬢ちゃんがレンジャー任務に使う解毒剤だそうだ」
波導使いヒイラギは、人一倍敏感である。毒の回りもホオズキより早い。屈強な精神力も病魔に侵されては意味を為さないため、錠剤を口に入れ、カメックスのキャノンから水を飲む。ポケモンたちはモモンのみを液体状に溶かした薬を飲んでいたので、毒をもらう心配はない。甘味と苦味が渇き切った口内を潤すと、手足の痺れと不快感は少し取れてきた。
「まだ戦える」
おぼつかない足取りで立ち上がるところ、うなだれた肩をイトハに支えられる。
「アシストしますよ。わたしたちには、あなたが必要です」
「……すまない」
この時ばかりは、ヒイラギもふたりの存在をありがたく思うのだった。