本編
第8話「決めろ! 勝利へのラストスパート」


「これより、準決勝・第一試合、ショウブタウンのアユム選手とキンカンシティのホクト選手の試合を始めます」
 互いに善しとする鼓舞の方法にて、モンスターボールを空に放る。
 これから始まるものは、意地とプライドのぶつかり合い。余計な挨拶は交えない。トレーナーは恐らく、戦うことでしか分かり合えない生き物なのだから。
「試合、開始!」
 観衆の視線が、一点へと注がれる。


 『  名前も声も知らない 第八話  』


 蟲がそのまま外形に合致した鎧を着て、槍を携えたような姿は、高潔の騎士・シュバルゴ。一方、砂地のバトルフィールドの向こう側で妖しげに破顔する相手。長い尾を脚のように立て、悪魔の如きマントに執行用のハサミをがちがちと鳴らす、砂地の処刑者・グライオン。
『アユム選手はシュバルゴ、ホクト選手はグライオン。さあ、どんなバトルが繰り広げられるのでしょうか』
 審判の旗が振り下ろされる刹那、それを待っていたかのように飛び出す敵。シュバルゴは槍を交差させ、先制攻撃を食い止める。狙うはアドバンテージの奪取。駆け引きは既に始まっている。
 シュバルゴは槍をもって、ハサミを弾き返す。双方、互角の出だし。鋼鉄の鎧は伊達ではない。グライオンはホクトの冷静さを映したかのように不気味な笑みをたたえたままだ。アユムは息を大きく吸い込み、ポケモンの心に寄り添おうとする。
「シュバルゴ、行くよ。つるぎのまい!」
 つるぎのまい――それは、戦いの踊り。激しく攻撃的なダンスを披露し、自らの戦闘能力を飛躍的に上昇させる奥義である。そこから繰り出される槍での一撃は――突き抜けて、重い。
「メガホーン!」
「上だ」
 スタジアム、指差されるのは上。グライオンは尾を縮め、バネの要領で見事飛翔を果たす。一直線上に突っ切る騎士の刺突は未然に防がれた。尾を跳躍に利用し、後は黒い翼に滑空を任せる。なるほど、身体の部位を地上戦と空中戦で使い分けているのだ。
「突き上げろ、ドリルライナーッ!」
 シュバルゴの槍が火花を散らし、高速回転を始める。アッパー攻撃にも似た勢いで、大空の所有権がどちらかを教える。無論、空中戦を挑まれて黙っているグライオンではない。
「迎え撃て。アクロバット!」
 風に乗り、流れに逆らうことなく身を委ねる。シュバルゴが壁をこじ開け、道を切り拓く兵士であるとすれば、グライオンはその反対だ。自然の摂理に従い、流れを柔らかく受け止める。その対照たる一撃同士がぶつかり合い、両者バトルフィールドの端まで距離を取る。
「無理は禁物だな……お疲れ様、シュバルゴ。一旦戻るんだ」
 このバトルにかける想いを強くしながらも、今日のアユムは平静の極みにある。交代という判断を引き寄せたのは、心の均衡がとれているからに他ならない。
 主人の方を向き、誠実に頷くシュバルゴ。モンスターボールの光に吸い込まれ、次なる仲間へとバトンを繋げる。
「行くよ、オンバーン!」
 アユムの二体目は、音波の翼竜・オンバーンだ。ホクトは眼鏡越しに、かつての戦い――烈火の底に眠る記憶を呼び覚ましていることだろう。だが、感慨に耽るほど彼は夢想家でもなければ、記憶の断片に感情を垣間見せる男でもない。
「アクロバット!」
「エアスラッシュ!」
 オンバーンから放たれる真空の刃が、グライオンを切り刻まんとする。しかし、相手は気流を知り尽くしているようだ。攻撃は全て見当違いの方へと飛び、確実に獲物との間隔を詰めていく。死神が迫るような感覚に、オンバーンは思わず怯む。
「急降下だ!」
「逃がすな。追え!」
 掴み所のない動きで、ふわりと、しかし鋭く襲い掛かるグライオンをいなし、オンバーンはスタジアムの地肌が見える部分に向かっていく。グライオンも後方から狩人のようなハサミを光らせ、見え透いた誘いに乗ってやる。
 張り付くような追尾で、オンバーンをマークするグライオン。スタジアムの四角形を一周する。彼らの翼は風を切り、今まさに羽ばたこうとする産声をあげていた。アユムもホクトも髪を靡かせ、視線を上空に移す。振り向きざま、オンバーンは音波から不協和音を発する。丁度スタジアムの外郭を二周したところだった。
 ホクトは眉を上げ、アユムは不敵に笑う。相手を追尾に専念させることで、忘れた頃に奇襲をかける。だが、これで事を上手く運べるほど単純な相手ではないことを、何を隠そうアユム自身が痛いほど知っている。どんな戦法にも応手を講じる、それがホクトの強みだ。
「ばくおんぱの射程距離外に潜り込め。ハサミギロチンで決めろ!」
「ハサミギロチンだって!?」
 命じられた通り、グライオンは爆発の中を掻い潜り、尻尾の反動で煙の隙間より斬首の必殺を仕掛ける。これにはアユムも度胆を抜かれた。
「おいかぜだ、寄せ付けるな!」
 オンバーンが翼をはためかせ、気流を操る。グライオンにとっては辛い、向かい風だ。しかし、風圧をものともせず、アクロバットを利かせて着実に肉迫する。まもなく、首筋を捕える直線を編み出した。
『ああーっと、オンバーンの首をグライオンが掴んだ! ハサミギロチン決まってしまうのか!?』
 可否を問う前に、オンバーンは翼を叩きつけ、再度怪音波の発生を試みる。しかし、グライオンが離れてくれる様子はない。それどころか、地上へ真っ逆さまだ。これが決まれば、オンバーンは一撃で戦闘不能を強いられることになる。アユムは夢中で叫んでいた。鍛え抜いた技、繰り出すならばこの局面をおいて他にあろうか。
「りゅうせいぐんだァッ!」
 オンバーンが咲かせた花は、悲鳴と共に蕾を膨らませる。火の雨がまもなく降り注いだ。背後から獲物を掴んだグライオンにとっては、死を呼ぶ風向き。ホクトは思わず目を剥く。
「前回よりも発動が早くなってやがる!?」
 グライオンが振り向いた時には既に遅し。自らをも巻き込む捨て身の退場にて、オンバーンはアユムの戦力と引き換えに、グライオンを葬り去った。
「オンバーン、グライオン。共に戦闘不能!」
 沸き起こる拍手。自らをも犠牲にし、刺し違えてもグライオンを倒す、という覚悟は、観客の手を自然と動かさせる。
「オンバーン、お疲れ様。無茶な指示をしてごめんね……キミの覚悟は無駄にしない。ありがとう」
 アユムはボール越しに語りかける。ポケモンと共に戦う、という彼の決意が賞賛の言葉をとめどなく押し出す。この場において、アユムの決断は酷でもあるが正しい。あのままハサミギロチンが決まるのを黙って見ている方が、余程三流トレーナーの状況判断だ。
 ホクトは無言でグライオンを戻し、次なるポケモンのボールに手をかける。それを見ると、嫌悪感を抱かずにはいられない。グライオンだって、チームのために貢献したというのに。その努力をまるで無きもののように扱うホクトを、やはりアユムは許せない。
「絶対に、負けるもんか」
 ボールを握る力が強くなる。今まで眠らせていた分だけの、感情の発露だ。

 アユムはシュバルゴを、そしてホクトからは新鋭が送り出される。三つの浮遊体を統合する円盤に、巨大な磁石が付与された姿。監視者の眼差しは、まもなく警告音を発する無機質さによって統一されていた。電撃の断罪者・ジバコイルの登場。
「やはり、もう一度シュバルゴを繰り出して来たな」
「どういう意味だ……」
「じきに分かるさ」
『アユム選手は再びシュバルゴをフィールドに。対するホクト選手、次のポケモンはジバコイルだ!』
 挑発かと勘繰るアユム。ホクトが何かを企み、着実に糸を張り巡らせているのは疑いようもない。油断すればバトルの主導権は移る。
 しかし、まだ風は吹いている。オンバーンが残してくれた、追い風が。
「シュバルゴ、行くよ。ドリルライナー!」
 双槍を鳴らし、交差した状態から回転させる。機械音が響き、ジバコイルの装甲を傷つける。まさに突風、ジバコイルは激突を余儀なくされた。故障時のような火花をボディから散らす。なんとか手負いの状態にもっていけた。
 今度は敵の反撃だ。磁石を回し、電磁波を帯びたそれが電圧の負荷をかける。
「10まんボルト!」
「横に避けて!」
 光線状に一本のルートを辿って放たれる電撃の束。シュバルゴはおいかぜを利用して、水平移動での回避を試みる。まさにその瞬間だ、ホクトが狙ったような笑みを浮かべたのは。
 ジバコイルの磁石が、シュバルゴを引き離してくれない。まるで監獄からの脱出を試みた囚人を追いかける看守のように。二匹ははがねタイプ特有の性質によって引き寄せられ、互いの鉄分をすり減らしては、禁を解かれたように離れることを繰り返す。嫌な予感がして、モンスターボールを構えるアユム。やはり、シュバルゴが戻ってくる様子は一向に見られない。
 この時アユムは、何故ホクトがジバコイルを差し向けて来たのかを理解する。答えは、ジバコイルの磁石だ。
 しかし、彼の性格からして三匹目が切札であることは間違いない。そして、恐らくバシャーモが控えている。ほのおタイプの技で攻めれば、何もこんなまどろっこしい真似をしなくとも良いはずだ。そこが腑に落ちない点だった。
「三匹目はバシャーモのはず。どうしてこんな戦法を?」
 アユムの疑問に、ホクトも見え透いた隠し立てをする様子がない。
「お前の言う通り、三体目はバシャーモだ。だが、シュバルゴに対してバシャーモを出せば、お前はシュバルゴを戻すだろう。しかし、お前はまだ切札を温存しておきたいはず。もう一度シュバルゴを繰り出すだろうと俺は読んだ。だからこそ、逃げられないための罠を張ったのさ。シュバルゴにはここで離脱してもらう」
 完全に裏をかかれ、アユムは改めてバトルの恐ろしさを思い出す。そこまで計算し、アユムを残り一体という状況に追い込もうとしていたとは。確かに、残りの手持ち数はトレーナーの士気に大きく揺さぶりをかけるものだ。トレーナーが司令塔と呼ばれる所以を今になって痛感する。ポケモンだけが強くても、王座を勝ち取ることは叶わない。
「やるかやられるかのデスマッチだ」
 その通り、シュバルゴとジバコイル――どちらかが倒れるまでこの戦いは続く。しかし、攻撃を受けて疲弊しているのはむしろジバコイルの方だ。罠にはめられたのならば、逆に利用し返してやるのが強者の礼儀というもの。
「受けてやろうじゃんか……デスマッチ。ね、シュバルゴ!」
 シュバルゴも主人の方を向き、またこくりと頷く。互いに異存はない。それを受けてか、会場はますますヒートアップの一路を辿る。
『じりょくの罠によって、アユム選手は交代を封じられた! シュバルゴ対ジバコイル、制するのはどちらかーッ!?』
 
 一定の距離を置きながら、決してそれ以上離れることを許さない束縛。今まで経験したことのないポケモンバトル。広大な敷地を持ちながら、彼らの戦場は限られた範囲内だけだ。
「めざめるパワー!」
 ホクトが命じると、ジバコイルは磁石の間から迸る火球を生み出す。シュバルゴは襲い掛かるであろう焔にも臆さず、防御の構えを取る。なるほど、最初からこれが目的だったのだ。磁力でシュバルゴを縛り、ほのおタイプのめざめるパワーで確実に勝利をもぎ取る。大した戦法、大した執念。
「まもる!」
 シュバルゴは槍を交差し、薄い障壁を展開する。間一髪、めざめるパワーが飛散するまでに展開されたバリアは、ジバコイルの攻撃を阻む。だが、問題はこれからだ。
「まもるで時間稼ぎか。いつまで通用するかな」
 ホクトの言う通り、まもるは連続で出すと失敗を招きやすい技だ。この後は強引にでも立ち向かっていくほかない。ホクトはどうやってシュバルゴを料理してやろうか、愉しげに思案する。だが、そうやすやすとやられては、カチヌキファミリーの名が廃るというもの。
「突っ込めシュバルゴ! メガホーン!」
「血迷ったか? 10まんボルトだ!」
 槍に先発を任せ、雷撃の束へと突撃していく。焼け付くような痛みが絡み付き、シュバルゴを叫び出したくなるような激情へと駆り立てるが、構わない。一点集中の刺突が、ジバコイルを構成するユニットの目を潰した。電源が落ち、一部が機能停止する。ジバコイルの挙動が少し鈍った。その代償は、この局面においては取り返しのつかないものだったが。ホクトがほくそ笑む。
 シュバルゴは膝をつくように槍を立て、必死に崩れ落ちまいとする。地縛霊の如く電流が取り憑くことを許した片方の槍――ここまでの戦果を挙げるために差し出した犠牲だ。
「片方逝ったな」
「でも、片方は生きている!」
 ジバコイルも再起動し、めざめるパワーの発射準備に入る。だが、シュバルゴは迎撃に備えることが出来ない。全身を重力のようにその場へと押しつける麻痺のせいだ。アユムもさすがに歯軋りする。天はホクトに味方をするのか?
「焼き尽くせ! めざめるパワー!」
 シュバルゴは視線を上げる。今度こそ逆らえない奔流が、気高き鋼鉄の騎士を混濁の意識へと招き入れる。意識が朦朧として思考がはたらかず、自分はここで果てるのだという冷静な確信。甲高い悲鳴をあげるでもなく、取り乱して槍を振り回すこともなく。黙って炎の渦を受け入れる様は、己の未熟さ故に招かれた敗北を否定しない騎士道精神の表れ、そのものだった。
 相手もまた、立派に戦い遂げた猛者である。これで負けるならば、悔いもない――。
「諦めちゃダメだ!」
 眠りという名のゆりかごに身を委ねようとした、その時。
 暗夜の森で、大樹にその身を持たれかけ、少しの暇を貰おうとしていた。シュバルゴはすぐさま意識の中に根を張る草木を掻き分け、声のする方を辿って進む。雷に撃たれたかと思った。仕える君主が諦めていないのに、自分は何をしていたのだ?

 アユムのポケモンの中でも、一際礼儀正しく、主人に忠誠を誓うのがシュバルゴである。最も付き合いが長く、それだけに気心も知れている。旅立つ前には、テルマのチョボマキとよく競い合っていたことを思い出す。負ける度に角の傷が増える。カブルモはいつも涙ぐんで、アユムに助けを求めていた。
 やがて、チョボマキの着ていた立派な鎧を授かり、強くなるため騎士道を学び始めた。守ってくれたアユムに、今度は自分がアユムを守り、恩を返す番だと。テルマとの交換で、好敵手も姿を変えた。そんなアギルダー――シュバルゴが唯一ライバルと認めた雄――が、自分以外の敵に敗北するところを見て、どう思うだろう。奴のことだ、情けないと見下すに違いない。マフラーを靡かせ、腕組みをしながら。
 負けられるものか――シュバルゴは立ち上がる。テルマの腰についているモンスターボールから見下ろすアギルダーよ。その目に焼き付けよ、鋼鉄の騎士・シュバルゴの神髄を!

 炎を振り切り、シュバルゴは現実へと舞い戻る。スタジアムが凱旋のような歓声に包まれた。後ろを向くと、アユムが頷いている。主君のためならば、どんな過酷だって耐えてみせる。受けた恩の数を考えれば、こんなところで這い蹲っている暇などあるはずもなかったのだ。
「ごめん。キミにはいつも、無理させるね」
 シュバルゴは驚く。アユムはこんなにも勇壮な顔つきをしていただろうか。少なくとも、シオラのジムバッジを勝ち取った時点ではあんな顔をしていなかった。覚悟を決め、自分のやるべきことを成し遂げるために戦う者の姿勢――シュバルゴはそんな主君に全力をもって応えようとする。
 背中を押していたおいかぜは吹かなくなった。だが、ここまでの戦いでジバコイルに爪痕は残した。それもオンバーンのおかげだ。シュバルゴは心中でオンバーンの活躍を労い、頭を下げる。
「決着をつけよう。ドリルライナーだ!」
「同じことだ。めざめるパワーで焼き尽くせ!」
 シュバルゴは回転力を、ジバコイルはエネルギーを、それぞれ高め合う。接近すると磁力によって強く引き合う。鎧を溶かしそうな高熱に触れるが、刺突の勢いでなんとか誤魔化す。何度も何度も金属音が響く。一発一発が重い。後はそう長くない。駒のように、互いの身体を刃に代えて鎬を削る。視線が絡み合い、本物の火花が散る。ジバコイルがバランスを崩す、その瞬間をアユムは見逃さなかった。腕を突き上げ、高らかに命じる。
「今だ! 貫け! メガホーン!!」
 アユムとシュバルゴの想いが重なり、天をも穿つ槍となる。真下を取られたジバコイルは完全に重心を掬われ、打ち上がる。爆発を幾度か起こしながら、煙と共に墜落していく。磁力から解放されたのか、シュバルゴは自由に動けるようになった。
 喜びを分かち合うアユムとシュバルゴの向こう側で、ジバコイルはそれを羨ましそうに、物悲しげな目で見つめていた。


 *


 グライオンとジバコイルを下したことで、アユムがリード。シュバルゴともう一匹を残すアユムに対し、ホクトはバシャーモ一匹だけだ。勝利は目前、などとアユムは思わない。むしろ、ここからが真の戦い。油断をすればあっという間に形勢は引っ繰り返るだろう。それが身に染みて分かる。
「……シュバルゴ、おつかれさま。一旦戻って」
 語気に警戒を含めながら、シュバルゴを戻す。それと同時に、ホクトは人差し指の上で器用かつ華麗にボールを回してから、放り投げる。
「一つの策が破れたところで動揺するオレじゃない。分かるか? どんなに作戦や戦法を考えようが、力の前には何もかもがひれ伏す。全てこいつで薙ぎ倒せばいいだけだ」
 むくりと半身を起こすバシャーモ。手首の炎は既に赤赤と燃え上がっており、ジバコイルよりも機械然とした感情のない瞳をたたえている。その場に立っているだけで伝わってくる迫力は、エースと形容せずして何と称すべきか。
 アユムはシュバルゴを戻しながら、ホクトの発言にまたも傷つく。確かに力がなければ、まともに戦うことは出来ない。しかし、戦略や気合でそれをカバーすることもまた立派なバトルスタイルだ。先程までのホクトは策を練ることでアユムを攪乱してきたが、それがはったりにも成りえないと分かった今、頼るものは絶対的な能力へと回帰した。
 それどころか、ホクトは最初からこうなることを予見していた可能性が高い。逆転の術を隠し持つのはトレーナーの共通認識だ。だが、これまで戦ってくれたポケモン達に対して、ホクトは何の感謝も持たない。全てをバシャーモで倒せば良いという発想は、グライオンとジバコイルを侮辱するものだ。彼らはチームの相性を補完するための捨て駒。最初から頼りになどされていない。
「ボク達の強さを見せてやる! 行くぞ、ヘルガー!」
 アユムは思いのたけを叫び、戦友を繰り出す。砂をしっかりと踏みしめて、着地を決めるヘルガー。鋭く遠吠えを上げる。ヘルガーもこのバトルを待ち侘びていたのだ。

 明かされた三体目に、観客席のシューティーは思わず困惑の声を零す。
「ヘルガー!? 相性は不利なのに……」
 シューティーらしい、基本概念に則した考え。ヘルガーとバシャーモ、アユムとホクトの因縁を知らない者では、そう思うのも無理はないだろう。対照的に、瞬き一つしないでスタジアムに食い入る隣席のユウリが、自らにも言い聞かせるように零す。
「このバトルは、アユムとヘルガーにとって、特別なんだ」
 シューティーはユウリを見てから、再びスタジアムに目線を戻す。

 アユムは自身の喉がすっかり乾いていることに今更気付く。張り付くような感覚だけが残り、潤わせる粘液は枯れ果てた。腕に当たる金属の冷たさが、この時を現実だと自覚させる。
 ホクトへ見せ付けるように、アユムは二本の指をキーストーンへとかざす。ヘルガーの首にかけられたメガストーンが反応する。キーストーンから迸る電流のような光が、メガストーンから発するそれと呼応し、手を繋ぐようにして螺旋を形作っていく。ヘルガーは目を瞑り、促されるままにして新たなる姿へと変身を遂げるのだ。
 湾曲していた角は、すっとまっすぐ伸びて。胸元の意匠は骸を被り、より厳かに。尻尾の先は二本に分かれ。地獄からの刺客は、悪魔的な容姿を手に帰還する。紅蓮の申し子・メガヘルガー。
「にほんばれだ!」
 アユムはスタジアムの天井を指差す。指示を受けたヘルガーは口から光球を打ち出す。すると、それは上空にて留まり、肥大を伴って熱量迸る惑星と化す。フィールドを灼熱の色に染める太陽の訪れだった。
「とびひざげり!」
「だいもんじで迎え撃て!」
 ホクトは、それこそ相手が一つの戦略を取った、という様子で冷徹に指示。アユムは熾烈さを帯び枯れた声で気合一閃、腕を薙ぐ。以前戦った時と違い、技構成を変えてきている。バシャーモは全力疾走の後、屈折した膝を力点として、一気にヘルガーの懐へと切り込んでくる。
 ヘルガーはメガシンカにより、いかなる力を得たのか。その真価がまもなく発揮されようとしていた。口から溢れ出る炎の量は、並大抵には収まり切らない。今まで溜め込んでいた怨念を一斉に吐き出すかの如く、バシャーモに迫る業火。激突した火炎放射は、大の字に広がってバシャーモの勢いを極限まで削ぎ落とす――かに思われた。
「そんな!」
 炎を突き破って、格闘術が炸裂。ヘルガーは一撃でスタジアムの壁まで吹き飛ばされる。目で追うことも難しいほどまっすぐに整えられた直線は、美しさすら覚える一閃であった。
 立ち上がったヘルガーだが、心的ダメージの大きさに動揺を隠し切れない。
 だいもんじが、効かない。
 太陽の力を借りることで、莫大な威力を実現するヘルガーのサンパワー。その炎の鞭がしなれば、フィールドはたちまち紅蓮によって滅ぼされる。見よ、その惨状を。焦げた痕、灰と化した砂。メガシンカによってようやく手に入れたものですら、バシャーモには通用しないのか。打ち震えるヘルガーに、アユムが声をかける。しかし、その声色はあくまでも独りよがりに切羽詰まったものだ。
「怯んじゃダメだよヘルガー。気合で負けたらそれこそ終わりだ」
「まずは、その邪魔な太陽からだ」
 バシャーモは俊敏に飛び出し、風の抵抗すら感じさせない跳躍を行う。炎に包まれる脚が、次なる行為の真意を暗示する。一蹴を決めようとする標的は――。
「にほんばれを打ち消すつもりか……!」
 ヘルガーはだいもんじではなく、邪悪を込めた波導でバシャーモを飲み込もうとする。しかし、その脚が惑星に到達した時には、ブレイズキックが岩石群を弾き飛ばしていた。
 あくのはどうでは支え切れない。ヘルガーは瞬間的に悟ったのか、攻撃の手を緩めてしまう。アユムからしてみると、それは自殺行為に等しかった。
「ダメだ、ヘルガー!」
 アユムの悲鳴と、ヘルガーが押し潰されるのは同時だった。現実はなおも牙を剥く。バシャーモが降下と共に、流星群のような青白い炎に包まれていく。急降下からのブレイズキック。
「ヘルガーッ!」
 烈火の蹴りが岩にひびを入れ、その中で倒れていたヘルガーごと粉砕する。アユムはそれを、悲嘆に暮れることでしか受け止められなかった。

 粉塵を掃い、ヘルガーを見下すバシャーモ。無機質な瞳が品定めする。エンテイに負けた時と、まるで変わらない――そう言わんばかりに。
 事実、ヘルガーは見かけだけの手段に頼り、肝心な部分は成長しておらず、精神的にも肉体的にも弱いままだった。
 マフォクシーやシュバルゴなど、アユムに理解を示し、強さも弱さも知り尽くしているポケモンと、ヘルガーは全く違う。大会が始まる一週間前に、アユムが引き取ったポケモンだ。確かに、彼らの中で一種の友情なるものが育まれたであろうことは否定しない。しかし、マフォクシー達からすれば一朝一夕の期間で、到底彼らの積み上げには及ぶべくもないものだ。
 現に、アユムとヘルガーはバラバラのバトルをしている。ホクトに勝ちたい、バシャーモに勝ちたい。ヘルガーを勝たせてやりたい、アユムのために勝ちたい。強すぎる勝利への欲求は空回りして、すれ違いを生む。それが答えである。
 メガシンカのエネルギーが身体中から抜けて行くのを、ヘルガーはただ感じる。本来メガシンカがバトル中に解除されることなど有り得ない。それでも、ヘルガーの衰弱する精神の中では限界を告げる声がけたたましくなっていく。
 虚勢を張っても、最初から勝ち目はない。バシャーモは本当に強く、鍛え抜かれたポケモンだ。あらゆる状況に対応出来る運動神経、磨かれた技、屈することのない心を持っている。ホクトの手持ちだった頃から、ヘルガーはバシャーモに憧れの眼差しを向けていた。
 バシャーモの瞳には、ヘルガーがどんな風に映っているだろう? バシャーモの瞳から覗く己の姿が情けない。失望した、と告げられているようだった。
「バシャーモ、そいつは虫の息だ。とどめを刺せ」
 ホクトが命じるが、バシャーモは厳しい目でヘルガーを睨み付けるだけだ。その様子を怪訝そうに見つめ、眉を寄せる。この局面で手加減などありえないからだ。それでもバシャーモは一向に動こうとしない。
「てめえ……」
 ホクトが声を荒げようとすると、とうとうヘルガーの衣は剥がれた。
『これはどういうことだ!? ヘルガーのメガシンカが、バトル中にも関わらず解除されてしまった! アユム選手、絶体絶命だ!』
 アユムは悔しさに顔を歪ませ、まともにヘルガーへ顔向け出来なかった。ただ一言、ごめん、と呟いてモンスターボールへと戻す。
 元の姿に戻ったヘルガーは、魂が吸い寄せられるように消えて行った。


はやめ ( 2014/07/01(火) 22:07 )