本編
第6話「炎の帝王」


 テルマは肌に染み込む朝の日差しを感じながら、しんと根を下ろした木々が涼しげな顔で眠るのを眺めていた。町は大きな催眠術にかけられたかのように、深い寝息を立てている。噴水だけが日夜を問わずに働いているのだ。幾何もすれば、この景色は様変わりするだろう。普段は気に留めることもないそれにひとたび目をやれば、忙しなく闘志という火の粉を撒き散らす者達に対して、傍観を決め込むような優しい世界へと誘い込まれる。ポケットに手を突っ込み、風に赤毛を靡かせる彼には自然の景物を楽しもうとする情緒がある。これもまた、彼が守ろうとしたものの一つだ。ベンチに背をもたれながら、相棒が翼を丸めるボールに語りかける。
「いい天気だなあ」
 リザードンはテルマと同じ空を見ることで応える。通りかかった人影を見て、抑え切れない感情をぶつけるようにピタリとボール越しに張り付くリザードンを見て、テルマが体を起こして訝しげに尋ねる。
「どうした?」
「ボクのポケモンに反応しているのかな」
 片目を隠す狙いで髪を伸ばしたかのような、妖しい雰囲気を醸し出す男がそこにいた。その男のたたずまいから、只者ではないと悟ることは容易だった。そして、運営側としての頭脳を回転させる。確か、トーナメントの選手にいた――一回戦を圧倒的な力で勝ち抜いたトレーナーだ。テルマが席を離した隙に試合が終わってしまったので、どんなポケモンを使っていたかは知らない。名前は、タクトといったか。しかし、そんなことよりもテルマを釘付けにしたのは、隣に控えているだけでも主人以上の存在感を放つ茶色の獣だった。テルマは立ち上がり、言葉をなくす。
「エンテイ……」
「知っているのかい」
 感心した様子で、タクトは呟く。テルマは旧知の友と偶然の再会を果たした時のような笑みを浮かべる。
「知っているなんてもんじゃないさ。そうか……お前」
 エンテイは一歩前に寄り、テルマを見据える。普通の者ならばその眼光に射竦められてしまうところだったが、テルマとリザードンに向けるものは回顧の念である。お互いがお互いを懐かしむ、心が温かくなるような時間だった。エンテイは目を瞑り、頷く。それだけでテルマはエンテイの意図するところを汲み取ったようだ。
「ライコウとスイクンは、今頃どうしてるだろうな」
 エンテイは遥か虚空を見上げる。生き別れた友を想うような、戦士が時折見せる意外な表情そのもの。彼らの間に何かがあったことを問うのは、無粋というものだろう。それを察してか、タクトは何も言わない。やがてエンテイは踵を返し、テルマに別れを告げる。去り行くトレーナーとポケモンに、かつてセイエイを救った青年が歩み寄る。
「タクトさん、だったか」
「ああ」
「そいつのこと、大切にしてやってくれな」
 親が子を託すような、力強い瞳。タクトは重大なものを感じずにはいられなかっただろう。全て心得たとばかりに頷く。
「責任をもって、引き受けよう」
 タクトはマントのような服を翻し、新たなる道を選択したエンテイと共に行く。テルマはエンテイに声をかけ、手を振る。しばらくして、小さな桃色の火の粉が撃ち上がった。


 『  名前も声も知らない 第六話  』


 全ての試合を経て、トーナメントは第二回戦に突入する。次なるステージへの門を叩く資格を手に入れたのは、アユム、ホクト、シューティー、シンジ、タクト。この五人中、恐らく最も今日の試合に尋常ならざる想いを抱いているのは他でもなく、ユウリを下したシューティーだろう。アユムはまだリフレッシュが完全に施行されていない頭で、ぼんやりと試合の組み立てを考える。三対三は、一対一と違ってチームプレイになる。ただ攻め立てているだけで勝てるほど、大会は甘くない。
「おはよう、アユム!」
「うん、おはよう」
 ユウリは会場席の一番上で柵にもたれかかっていた。元気にこちらへ向かって来る。アユムは、彼女が敗北を引きずるのではないかと危惧していたが、どうやら杞憂だった。それどころか、翌日を迎えた彼女はトランセルがバタフリーに進化したような勇ましさすら感じられる。その正体が気になり、アユムは尋ねようとしたがすぐにやめた。ユウリ自身の中で整理がついたなら、問いただすべきことではない。
 観客となったユウリは、既に試合を最善のコンディションで観戦出来る理想の席を探していた。切り替えの早さは彼女の強みだ。ポップコーンを持って座るや否や、ユウリは一つの懸念事項を口にする。心なしか重たい口調である。自分に勝利したシューティーへ思い入れが生じるのは、死闘を演じた者として当然のことだろう。
「シューティーの対戦相手、タクトさんだって」
「そうだね……」
 昨日、第一回戦を終えた後、対戦カードが発表された。そこでは、伝説のエンテイを操るトレーナー・タクトとシューティーの激突が無情にも告げられたのだ。周りの何人かは、気の毒に、可哀想に、とうわべだけの同情を寄せていた。他人事だと思って、とアユムは内心で毒づいてみせた。
 タクトは例によって、一回戦をエンテイで勝ち抜いた。圧倒的な実力、考える暇も与えない暴力――恐れ慄かない方が無理というものだ。だが、アユムはシューティーが気の毒だ、などと考えてはいない。タクトは強い。恐らく、今大会の優勝候補、その筆頭だろう。だが、自分のポケモンがどこまで通用するのかを試せる、絶好の機会でもある。戦う前から逃げ出しては負けを認めたことと何ら変わらないのではないか。ポケモントレーナー失格だ。
「タクトさんは強い。でも、シューティーだって強いトレーナーだ。ボクは二人のバトルを楽しみにしてるよ」
「そっか。そうだな!」
 ユウリの不安は晴れたようだ。観客が増え、だんだん騒がしくなってきた。みな、初回ではトレーナーの動向を様子見していたが、今はまばらになっている。控え室に籠る者、観客席から対策を講じる者。自分の番まで精神統一に励む者。会場から離れて心を癒す者。バトルに参加さえすれば、後は自由行動が許可されている。よって、観客席の見物に責められる道理はない。一回戦を切り抜けて、アユムはやはり気心の知れた人物と話す方が、あの狭い箱に閉じ込められているより幾分ましだと思った。
「アユムぅ、なんだか頼もしくなったな」
「な、なんだよ!」
 今まではそんなに頼りなかったのだろうか。アユムは若干ショックを受けながら、無垢なユウリの発言を額面通りに受け取るのだった。


 *


 白熱する第二回戦が幕を開けた。強者は依然強者としての貫禄を崩さずに、難なく勝ち上がっていく。こればかりは一朝一夕で埋めがたい差というものがある。
 フィールドに立つバシャーモは、早く上がって来いとばかりに指で手招きをする。火をつけられた相手は、見え透いた挑発に乗ってしまう。ホクトは馬鹿正直な子供を弄ぶように、このバトルを短絡なものとみなしている。勝利の方程式が出来上がった今、ホクトの中でこのバトルの価値は地に落ちた。
「このバトルに負けたら、俺達に後はないんだ……! ハリテヤマ!」
「ククッ、熱いねえ」
 ハリテヤマは地を踏み、焦がされた掌で一矢報いようと、果敢に立ち向かっていく。その姿勢だけで賞賛に値するが、それだけでは足りていない。勝利を満たすための条件としては、何も。
「バシャーモ、飛べ!」
 バシャーモは怪鳥の如き声を上げ、太陽光を味方につける。残像を目で追ったハリテヤマは瞳を火傷し、次には腹目掛けて強烈な蹴りが叩き込まれていた。ハリテヤマは岩から岩を貫通しながら、フィールドの外へと吹き飛んで行く。まもなく、審判から試合の終了が宣言された。
「ハリテヤマ、戦闘不能! バシャーモの勝ち! よって勝者、キンカンシティのホクト選手!」
 溢れ出る拍手を耳障りだと言わんばかり、ホクトは沈黙を貫き通してその場を後にする。崩れ落ちる対戦相手には目も暮れない。彼が見ているものは栄光の未来だけだ。ホクトはせせら笑う。バトルに負けたら後がない? 何を今更。そんなものは、ここにいる誰もが背負っている。

 一方、アユムはヘルガーと共に、大会の盛り上がりを満喫していた。決して戦いを甘く見ているのではなく、ヘルガーとの距離を縮めたいが故のコミュニケーションを計ろうという試みである。目を背けたくなるおびただしい量の傷から回復したヘルガーは、ダークポケモンという分類からは考えられないほど、無邪気に屋台を見ては瞳を輝かせている。
「こういうお祭りは好きなのかな」
 そうだ、と思いついたアユムが、屋台に駆けていく。ヘルガーがきょとんとしたまま、歩を進めると、彼は財布を懐から取り出し、鯛焼きのメニューを眺める。
「ヘルガーも食べる?」
 ヘルガーはこくこくと頷くと、アユムはにっこりしながら、店主に二つ注文する。数秒佇んでいると、荒々しい掛け声と共に、コイキングの形をしたお菓子が渡される。客を待たせないための腕前は日々磨かれているようだ。
 アユムは目線まで屈み、鯛焼きを渡してやると、ヘルガーは美味しそうに噛み付いた。落ちないように手で持ってやると、パリパリと良い音を立てながら皮がこぼれていく。ヘルガーは満足そうに口元を舌で拭い、小さく咆えた。お礼を言っているのだろう。食べ物は人やポケモンを自然と笑顔にするものだ。
 それからアユムは、ヘルガーと祭りを見て回る。大広間では、パラソルを差した曲芸師が丸まったオタチを回しており、拍手喝采を浴びている。向こうではバリヤードと共にパントマイムを実演している人間がいる。公園に行けば、少年少女の快活な指示を受けながら、ブイゼルとニャオニクスが戦っている。丁度、ソニックブームをニャオニクスが跳ね返したところだ。一瞥くれたヘルガーが、どこか遠い目でそれを眺めていた。戦いという行為から離れていた者の傷が疼く。

 ポケモンセンターに戻ると、ポケモンを回復させていた男が、何よりも早くアユムの視界に飛び込んでくる。ホクトは振り向き様、アユムとヘルガーに嫌味ったらしく挨拶をする。
「よう、久しぶりだな。観戦もしないでお散歩か。コミュニケーションに一所懸命なのは御立派なことだ」
 予測していたが、つまらない皮肉に付き合っている暇はないため、アユムは早々に切り上げようと挑戦的な態度を取る。
「何か用かい」
「オイオイ、冷たいな。お互い大会を頑張ろうぜ」
「お前に言われなくてもそうするよ」
 ホクトは舌打ちし、通り過ぎるアユムに追い打ちをかける。ヘルガーはなるたけ彼を視界に入れまいとしていたようだが、後方からの声は標的を変更した。
「まさか、そいつを育てているのか? 強くなる見込みなんて、どこにもないのに」
 紛れもなくヘルガーのことだ。度重なる中傷に、アユムはたまらず途中で言い返す。
「それが元の仲間にかける――」
「その話、聞かせてもらえないか」
 ホクトとアユム、ヘルガーは、一斉に紫髪の少年を注視する。彼はポケットに手を突っ込みながら、こちらへとやってくる。ホクトが部外者は黙っていろ、と跳ねつけたところで動じない威圧感を出している。そのため、ホクトは違う言葉をもってシンジを迎えた。
「お前、トーナメントの参加者だな」
「そうだ」
 ホクトは面白くなさそうに退散しようとする。
「シンジ。あいつ……ホクトは、このヘルガーを捨てたんだ。強くなる見込みがないから、って……」
 アユムは今にも殴りかかりそうな激情を無理して抑え込んでいる。ヘルガーは改めてホクトの背中に複雑な視線を投げかける。対照的にシンジは真っ先に糾弾するよりも思案に入る。
「酷いと思わない!? トレーナーだったらさ」
「トレーナーだからこそ、最善の手段を探るんだろうが。お前は勝つ気があるのか?」
「当たり前だ! でも、勝ちさえすれば何をしたっていい理由にはならないだろ!」
 サングラスの淵を上げるホクト。これから一体、どんな道理を説いてやろうかと企んでいる様子だ。シンジは二人の対立を咎めるでもなく、黙って行方を見守る。
「この際はっきりさせておこう。オレはポケモンを仲間だとは思っていない」
「じゃあなんだ。道具か?」
「それは飛躍だよ。オレから言わせれば、ポケモンは手段……勝利を得るための手段だ」
 相手の主張を捻じ曲げ、少しでも道徳から外れていれば指弾することが正義だと信じているアユムには、到底認められない。この二人の考え方は、根本からして寄り添うものではない。お互いにそれを把握しない限り、堂々巡りはいつまでも続く。
「分かったか、坊主。お前のヌルい考え方とは違う」
「だったら、お前の考えが間違っていることを証明する。この大会で!」
 指を突きつけ、宣戦布告する。ギャラリーが何人かこちらを向いているが関係ない。アユムにとって一番の起爆剤となったのは、やはりライバルともいうべき存在・ホクトだったのだ。ホクトは人差し指を下げさせると、挑戦状を受理する。二人は至近距離で睨み合いを利かす。
「甘い夢ばかりをほざくトレーナーが、オレは一番嫌いだ。徹底的に叩き潰してやるよ、スタジアムでな!」
 ホクトが去った後、アユムは自然と肩の力が抜ける。倒れかけたところを、ヘルガーが口元で軽く突いて立たせる。アユムの夢を理解し、だからこそ支えてくれたのだ。馬鹿にされたまま黙っていられるほど、ヘルガーは野生の生き様を忘れた負け犬ではない。
「お前達を見ていると、昔を思い出す」
「昔って?」
「その内、話すかもしれないな」
「なんだよ。気になるじゃん」
 シンジはアユムの疑問をあしらい、彼なりの流儀でヘルガーを鼓舞する。
「お前の能力を引き出せるかどうかは、トレーナー次第だ」
 それを言われて、アユムは余計気を引き締める。目を逸らさないヘルガーに、シンジは満足したのか、ふっと目を細める。


 *


 時は満ちた。
 シューティーは静かに瞳を開き、控え室のドアノブを捻る。すると、ホクトと入れ替わる形になった。二人は軽く挨拶を交わす。
「これから試合か」
「ああ」
「相手は伝説のポケモン様だぜ」
「対策は立ててある。思い通りのバトルはさせない」
 シューティーは得意気にカメラを取り出す。タクト戦の攻略法を模索していたのは、それを見れば一目瞭然である。ホクトは野蛮な笑みを浮かべる。激励か冷笑か、本人にしか恐らく分からないだろう。
「せいぜい喉元に食らいつけるよう、頑張るんだな」
「言われなくても、そのつもりだよ」
 ホクトは扉を締め、シューティーを外の世界へと送り出す。歓声を浴びるまでの孤独な廊下で彼を支えるのは、彼自身だ。

 いざフィールドに立つと、ユウリ戦の時とは全く違う緊張感がシューティーを襲う。どうしたことか、あれほど鮮明であった観衆の輪郭が定まらず、揺れて見える。
 スタジアムを隔てた先に立っている男は、いたって平静を貫いている。彼なりにこの試合を恐れているのだろうか。それとも、単なる通過点として片付けた後、どんなに楽しい晩餐に与ろうと考えているのか。相手は相手だ――飲み込まれてはいけない。シューティーは言い聞かせる。
「決めるのは、自分だ」
 かつての師に教わったことだ。
「これより、第二回戦・第六試合、カノコタウンのシューティー選手とアルトマーレのタクト選手の試合を始めます。それでは、試合開始!」
「ゆけ、エンテイ!」
「頼むよ、ブルンゲル!」
 体内から迸る炎熱を宿しているのか疑わしいほど、涼しげに靡く茶色の体毛。取り付けられた帝王の仮面が威厳を刻む。伝説の称号を冠する内の一匹、エンテイがフィールドに現れた。
 対するシューティーが取った策は、実に正攻法である。ほのおタイプには、みずタイプ。トレーナーズスクールの一年生でも分かる常識。
 頭部を風船のように膨らませ、不気味に機能を開始する赤い瞳。王侯の礼装を着込んだ迫力を体現するのは、ふゆうポケモンのブルンゲルだ。
「先手は貰った! しおふき!」
 ブルンゲルは身体を痙攣させると、冠にも似た頭部から、この時まで溜め込んでいた潮を一斉に吹き上げる。まもなく岩場のバトルスタジアムをみだりに濡らし、エンテイは篠突く雨の洗礼を受けると思われた。シューティーが用意した戦略、エンテイを沈めるための第一球である。
 第二回戦からは三対三のシングルバトルになる。タクトがエンテイに先手を任せた以上、控えにも強力なポケモンが備えているとみるのは、正しい警戒だ。楽観的な所見によって切り捨てられていいはずがない。つまり、エンテイを倒すことだけに終始するのは愚の骨頂。たった一匹に全力を使い果たして、残りを撃破する力を失っては元も子もない。
 会場がシューティーの作戦に騒然とする。エンテイを初手で葬る――まさにブルンゲルの役割は命を懸けた速攻だと言わんばかりの一撃。無論、これで終わりならば苦労はあるまい。沈没船から逃げ出そうとする者達を捕える時のように、水分を推進力として進み出す。
「あのポケモンは動き出す前に、大きな隙がある。そこを叩けばいい。ブルンゲル、シャドーボールだ!」
 カメラ撮影によって導き出された分析を言い聞かせるシューティー。ブルンゲルは自らの影を伸ばし、邪悪な怨念が籠った球を放つ。巨大なマルマインがのしかかりを仕掛けたような圧倒的質量。アユムのマフォクシーを遥かに凌ぐ、既に命なき亡霊だからこそ繰り出せる至高の技だ。
「ストーンエッジ!」
 エンテイが咆える。大地を踏み鳴らしての合図は、仕えるべき君主の到来を報せる。小さな大陸は隆起し、杭となって魔球を粉々に貫いた。それと共に、熱風が吹き荒れ、ブルンゲル、しいてはシューティーまでもを後退させる。
「なんてエネルギーだ……!」
 シューティーは歯を食いしばりながら、吹き飛ばされまいと脚を前に出す。顔面を両手で交差することで守っても、途方もない灼熱が判断力を狂わせる。みるみるうちに、蒸気した風景が浮かび上がる。世界は一変した。水分は吸い取られ、赤く点灯する岩石群は溶けだしている。
『こ、これは……エンテイから溢れるエネルギーが、フィールドを蒸発させています!』
 だいもんじを浴びせたわけではない。かえんほうしゃを空中から放ったわけではない。ふんえんでフィールドを爆破したわけではない。最初からポケモン自身の力が作用した結果だ。
 セイエイに伝わる昔話。ライコウは雷雲と共に現れる。スイクンは北風と共に現れる。そして、エンテイは火山の噴火と共に現れる。
 シューティーは我が目を疑う。ブルンゲルは萎び、ふくよかであった体躯は見る影もないほど頼りなく細々としている。マグマの奥底に、悪魔が潜む。
 ブルンゲルは元々、体内に吸収した水分を原動力として活動する性質をもつポケモンである。糧となる塩水を奪われれば、その先に待っているのは――。
「ブルンゲル、戦闘不能……」
 審判が困惑しながら、ブルンゲルの限界を告げる。あまりにもあっけない幕切れに、会場はどうしたらいいか分からないようだ。だが、その被害を最も受けているのはブルンゲルのトレーナーに他ならない。彼は天地の識別もつかない状態で、一匹目を失った。
「ブルンゲル……すまない。よく頑張ってくれた」
 見るも無残な肢体に、己の無力さを噛み締めながら、健闘を称える。まだ勝負は始まったばかりなのだ。そう、勝負という名を偽った――処刑は。
「頼む。バルジーナ!」
 骸を被った怪鳥。二匹目の犠牲者が、フィールドに羽ばたいた。
 エンテイはトレーナーを見ず、ただ声がかかるのを待っている。タクトとエンテイは傍から見れば繋がっているようで、繋がっていない。技の名前をなぞるだけで、後は勝手にポケモンが敵を倒してくれる。
「バルジーナ、イカサマだ!」
 バルジーナは高低差を利用して、地面を滑る。その挙動は、仲間のフライゴンを想起させる。そこから、連携をチーム全体に教え込んでいるというシューティーのトレーナーたる手腕がうかがえる。感心をもって計るべき力量も、彼らのバロメーターではさほども動かない。
「リフレクター」
 エンテイに肉迫したことが、逆に仇となった。バルジーナは展開された障壁に勢い良く弾き返され、不格好な体勢になる。タクトはその隙を見逃すほど甘くない。
「フレアドライブ!」
 紅蓮を纏った鬼の形相が、骸を乱暴に引き裂く。甲高い声が断末魔となって、混じり気ある色素の羽が何枚かはらはらと散る。桃色の火の粉が、羽を美しく染め上げていた。

「えげつないね」
 四天王シンの第一声はそれだった。テルマとライゾウも、バトルに食い入っている。シューティーが見せたもう一つのバトルとは、違う意味で注目を集めていた。
「彼、立ち直れなくなるかもよ」
 ライゾウは渋い面をして、深く腰を下ろす。
「勝負である以上は、避けて通れない道だ」
 どんなポケモンを使ったとしても、頂点を勝ち取る権利がある。四天王もチャンピオンもトレーナーの模範として、タクトの在り方を非難する気など毛頭ない。
 ただ、シューティーが第一試合で見せたバトルは、多くのトレーナーを鼓舞する内容だった。そんな良い試合を見せた彼とポケモンが、湧いて出た蛆虫のように蹂躙されているのを見るのは、酷な現実である。まるで絶対的な力が、発展途上の芽を摘んでいるようだった。
「優勝は十中八九、彼でしょう。ポケモンのレベルが他選手と違いすぎる……」
 テルマが呟く。あくまで徹底的な強さだけを吟味しており、そこに感情の含まれる余地はない。弟やその友達の可能性を排し、ポケモントレーナーとして現実だけを見据えている。かつて共闘したエンテイの強さを、今になって骨身に感じる。あの壁が敵に回って立ちはだかった時をテルマは想像出来ない。
 シンとライゾウの無言はおのずと肯定を示す。ライゾウは腕を組み、髭を摩る。そうする時は決まって、何か打開策を見出すことをシンは知っていた。
「オレはチャンピオンとして、アイツに負けるつもりはない。でもなテルマ、まだ分からないぞ。オレの前に立つのが、タクトかどうかは」
「分からない、ですか。タクト選手のポケモンと実力は、誰がどう見ても群を抜いているように思えますが」
 ライゾウの意図を察したのか、シンが意地悪に微笑む。
「見ろ」
 ライゾウは二人にスタジアムを見るよう促す。変わらぬ光景――シューティーは最後の一匹・ウインディに命運を託したようだ。同じタイプのぶつかり合い。まず思うのは、戦闘不能になるまでの時間稼ぎが延命するか否か、ということだ。
「ポケモンバトルは、思いっ切り楽しむもんだ」
「ライゾウさん、このバトルを楽しめと?」
「さあな。それを決めるのは、オレ達じゃない」
 チャンピオンの思考は、時として常人には理解出来ない。テルマはフィールドにますます深く鋭い切れ込みを入れる。この局面を楽しめと言うライゾウの真意が掴めないでいた。こんなもの、楽しむためのバトルではなく、余分な要素を削ぎ落として勝利だけを求めた修羅の練習場ではないか。

「しんそく!!」
 切羽詰まるシューティーの余裕ない動作が、敵との温度差を生み出す。ウインディはとある地で、伝説として崇められる神秘的なポケモンだ。しかし、そんな伝説は紛い物であると、本物の威容が知らしめてやまない。
 ウインディの動きは、灼熱地獄にも怯まない神速。さしものエンテイも、目で追うのが精一杯である。炎と同化し、伝説に牙を剥く。一個の火の玉となって襲い掛かるウインディ。エンテイは活路を切り開こうとしているが、自らフィールドを蒸発させたのは失策だと今になって気付く。岩石群が健在ならば身を隠し、フレアドライブの威力を半減することも出来たろう。エンテイはリフレクターをもって、これを受け止める。シューティーの叫びとウインディの咆哮が重なり、エンテイを押し退ける執念と化す。決して諦めまいとする彼のバトルは、多くの観客の共感を呼んだのか、実況と共に更なるヒートアップを見せる。
『エンテイ、防戦一方です!』
「おおおおおおッ、りゅうのはどうッ!!」
 シューティーの髪から汗が散る。今度はウインディの毛皮が意思を持った魔物の様相を帯びていく。橙、青、紫を混血させた禍々しいドラゴンが、エンテイを取り込もうと真上から覆い被さる。これを受けて立っていることは困難であろうことは、強者ならすぐに見極められる。
「フレアドライブ!」
 桃色の矢が飛翔。天駆けるそれは、竜の顎から真っ二つに引き剥がしていく。獲物を仕留めるまでその暴力が止むことはない。特性を無視し、神速の獣を燃焼させる。どちらが真の伝説かはもう明らかになっただろう。しかし、ウインディは砕けそうなほど歯軋りをして、一撃を耐え抜いた。ほのおタイプから立ち上る煙が壮絶さを物語る。沸き起こる拍手に理由は要るまい。タクトは敬意を表し、シューティーに語りかける。
「ボクのポケモンの攻撃を耐えるとは見事だ。キミのウインディ、よく育てられている」
 上から一段、見下ろしたような物言い。シューティーは神の喉元に噛み付くような形相で凄むも、あらかじめ保証された強さを所持するタクトは終始戦火の及ばない場所に立っている。どれだけ頑張っても、掌を翻すように簡単に覆ってしまう。これはゲームだった。
「だが、そろそろ終わりにしよう。ストーンエッジ!」
 ここまでのバトルで傷一つ付いていない完全無欠の猛者が、フィールドを揺るがす。地中を掘り進むようにして、標的を探り当てようとする無慈悲の杭が、ウインディを下から突き上げた。嘘のように軽く放り投げられたウインディは、魂の抜けた体を思うように操れず、成す術もなく音を立てて落下した。シューティーのこれまでが瓦解するように。
「ウインディ、戦闘不能。エンテイの勝ち。よって勝者、アルトマーレのタクト選手!」


 *


 タクトとシューティーのバトルを見た者の反応は、まさに十人十色だった。そして、ここにもまた、バトルの影響を受けた者達がいる。
「……シューティー」
「あたし、ちょっと行って来る」
 ユウリは堪え切れない様子で席を立ち、階段を駆け上がる。突飛な思い付きにアユムは眉根を寄せる。彼はその場から大声で叫んだ。
「行くってどこに!」
「タクトさんの所だよ!」
 振り切るように、ユウリは行ってしまった。若々しさがそうさせるのだ。自分の中にこうでなくてはならない、という固定観念があって、軌道から逸れていく者を黙って見ていられず、思い付きのままに奔走する。

 退場の帰路に立つと、そこで待ち構えていたのは見覚えのある青年。一度野試合を申し込まれたことがあり、かつその後が色々と長引く事情に見舞われたので、タクトの記憶に新しい。
「久しぶりだな。見せてもらったよ、あんたのバトル」
「それはどうも。キミも順調に勝ち上がっているじゃないか」
 ホクトは壁から背中を放すと、腕を組んだまま話す。
「あんた、前に言ったよな。覚えてるか? 野試合の時さ。ユウリとバトルをすれば、何かが分かるかもしれない。だが、オレの期待するものは得られなかった。だからこそ、オレはあんたがどんなバトルをするのか楽しみだった」
「そのことはよく覚えて」
「タクトさんッ!」
 タクトとホクトが、外部からの横槍に反応し、目を見張る。息を切らして、ユウリが階段の手すりに掴まっているからだ。舌足らずにも何かを言いたくて仕方ない、衝動に突き動かされた少女の姿だ。これでアユムという当事者を除いた、かつての役者が集結した。
「おい、お前に聞きた」
「タクトさん。あれが、あんたのバトルなのかよ」
 ホクトの言葉を遮り、ユウリが真を問う。彼は存在を無視されて舌打ちするが、遠回しに仕掛けた話から持って行きたかった結論を先取りされる。
「ボクのバトル、とは?」
「あんな風に、力で相手を捻じ曲げるバトルだ」
 不服そうに語尾を濁す。ユウリは階段を下りて、微妙に距離を空けながら、青年の隣に立つ。ホクトは顔一つ分小さい少女を見やり、本来の話題へと戻す。
「能力の高いポケモンを使って、勝利を求める。あんたのやり方はオレと同じだ。説教される筋合いはないぜ」
 ホクトは結局それを言いたかったのだろうと、タクトは察する。ユウリとホクトは、能力の高いポケモンを使用する点でタクトに詰め寄るとはいえど、考え方は真逆を行くものだ。
「ボクは、ボクの正しいと思うやり方で、戦うだけだ」
 タクトは一言一句ゆっくりと紡ぐ。一見無機質な台詞には、僅かな起伏が生じていた。
 勝つためならば、伝説のポケモンでも使う――タクトというポケモントレーナーの正義が表れた瞬間だった。失礼するよ、とこれ以上無駄な雑談に付き合う暇はないという方針を示し、ホクトとユウリの間を通り過ぎて行く。
 気まずい空気の中、どちらもその場を離れようとはしなかった。互いを見ないまま、異なる声色が廊下に流れる。
「タクトのやり方自体は正しい」
「シューティーは辛そうだった」
「自分を負かした相手に感情移入か。反吐が出るな」
 議論はいつでも平行線を辿るばかり。やはり、取り合う余地も価値もない。それを知った彼らは向き合い、密かに宣戦布告を交わす。
「オレはこの大会で優勝する。お前が信じる絆とやらを、お前が嫌う力で叩き潰してやるよ」
 ホクトは指を一本一本折り曲げて、固く握り締める。
「今に見てろよ。アユムがお前を倒す!」
 血気盛んな者達は、決して自分を譲ろうとはしない。
 一つの戦いが終わっても、新たなる戦いが始まる。タクトの登場は、ポケモントレーナーの在り方を根本から揺さぶり、今一度問いかけている。


はやめ ( 2014/06/03(火) 21:22 )