最終話「次なるステージへ」
ライゾウとシンが回復装置を通したモンスターボールを片手に、談笑しながら戻ってくる。顔半分ぐらい背丈の違いがあって、親子と見違える和やかな雰囲気。そこに割って入るのは躊躇われたが、アユムは一歩前に進み出た。
「ライゾウさん」
「お前さん、どうした」
「ボクと、バトルしてもらえませんか」
『 名前も声も知らない 最終話 』
別段、二人は驚かない。アユムの覚悟に水を差す者はいなかった。
四天王やチャンピオンからすれば、挑戦を受けるのが日常茶飯事である以上、闘争心など透けて見える。何にせよ、ライゾウはどこか待ち望んでいたようですらある。
「売られたバトルは買うっきゃない! と言いたいところだが……」
得意な調子はどこへやら、弱った親父は頭を掻き、しょんぼり肩を落とす。
「生憎、謹慎を言い渡されちまってなあ。アマチュアトレーナーとはバトルさせてもらえないんだ」
「そんなあ……」
アユムとしては、一大決心として叩きつけた挑戦だったが、上の事情が絡んでしまっては無理強い出来ない。こればかりはチャンピオンの沽券に関わる問題だ。
「あれだけ好き勝手にやっていたのを、今まで黙認されていたことの方が驚きです」
「とほほ……。こいつぁ手厳しい」
どちらが保護者かわかったものではない。親父を諫める青年の日常的な苦労がうかがい知れる瞬間だった。
「お前さん。オレだけでなく、色々なトレーナーとバトルすることも勉強だぞ」
それは暗に、アユムがライゾウしか見えていないことを優しく諭すかのようでもある。
「ここにいるシンなんかはうってつけだ。今のお前さんには、むしろオレとやるより学ぶところが大きいだろう」
本人の願いとは違う形だが、シンと肩を組んで微笑むライゾウ。酒を酌み交わす友人のようなノリで指名された本人は思わぬ話の成り行きに唖然としている。
「ボクがアユムくんと!? それではまた協会に何を言われるか……」
「いいじゃねえか。大体、プロとアマが何だっつうんだ? 戦いたい者の願いを無下にする協会の方針こそ、オレには理解出来ん」
ライゾウの言葉に、何人かが拍手を送った。スタッフの了承はこれで得られたことになる。二つの立場で板挟みにされるシン。彼は困ったように口を結ぶ。
「四天王とバトル出来る機会なんて、滅多にないぞ」
ユウリの声が響いてくる。
四天王シン――〈アイスマスター〉というこおりタイプ使い最高の誉れを若くして所持するトレーナー。連勝記録を伸ばし、セイエイ地方でライゾウに最も届きうる男として期待をかけられている。シンジがライゾウと戦ったように、アユムは自分にとって未知であるシンと戦う、それは新たなる世界へと進むための必要な一歩。
「シンさん、お願いします!」
「あたしからも、お願いします!」
アユムとユウリから頭を下げられ、さあどうする? という意地悪なプレッシャーが圧し掛かる。ポケモンバトルでは天下無敵の強さを誇る青年も、気苦労の絶えない環境に置かれてはたじたじだ。しかし、彼とてトレーナー。好奇心は時に規則を破る。
「……わかった。相手をしよう」
顔を上げると、シンは既に迎え撃つ者の態勢。思わず後ろを振り返ると、ユウリも小さなガッツポーズを取る。
「大目玉決定だな」
「協会には黙っておくよ!」
「そうしてもらえると助かります」
スタッフの配慮に苦笑交じりの溜息は、まんざらでもなさそうだ。
「そのバトル、オレも観戦していいか?」
サングラスから不敵な視線を覗かせるのは、忘れもしない青年だ。紹介状を指に挟み、得意気に見せびらかしている。ユウリが思わぬ来場者に騒いでいる中、ホクトはまっすぐライゾウの姿を認めた。わだかまりは消え、ライゾウの方から声をかける。
「久しぶりだな」
「御無沙汰してます」
ライゾウは意外な縁に驚いたのか、髭を摩っている。
「なんだ、みんな友達なのか?」
「トモダチ……」
間違ってポケモンフーズを食べてしまったときのような表情を浮かべるユウリ。ホクトも同じく、このような人種と同じカテゴリに括られるのは我慢ならないといった様子だ。
「腐れ縁の間違いじゃないか」
「っていうか、宿敵?」
アユムがとどめを刺す。シンは笑いを押し殺しているが、ライゾウは彼らの関係性を把握すると、豪快に笑い出す。
「はっはっは!! なんでもいい、こうやって集まるからには、お前さんたちの間には何かあるんだ。さあさあ、見て行きなさい。きっと楽しいぞ」
まるで隠れたお祭りが始まるような賑やかさ。
アユム、ユウリ、ホクト。切っても切れない縁の三人が一同に介し、スタジアムはいつの間にかトーナメントの如き盛り上がりを取り戻していた。
*
アユムは青コーナー側だ。試作段階のスタジアムを使わせてもらえることに感謝しつつ。
そう、今の自分はチャレンジャー。炎を打ち消す氷の冷たさ、最後の相手にふさわしい。
いてもたってもいられない。考えるよりも早く、行動に移したい。そうすれば、おのずと道は開けてくる。兄もそうやって旅路を切り拓いたと聞いている。
ここからは自分で決めなければいけない。目指すべき道を知る――これは、そのためのバトルだ。カメラは止めてもらった、思いっ切り行こう。
「ローズシティ・ポケモンバトルトーナメント準優勝者、ショウブタウンのアユム」
シンが経歴を高らかに詠み上げる。
「キミの実力に敬意を表し、最初から本気で行かせてもらうよ。お互い、最も信頼するポケモンで戦おう」
パートナー対決というわけか、面白い。受けて立たない手はない。
手札は割れている。もしかすると、一撃で勝負がつくかもしれない。それでも、アユムは過去の自分から羽ばたこうとしている。殻を脱ぎ去って、今日とは違う空を望む。
「氷上で舞う小さな獣たちよ。我が調べに応え、ひとつとなれ。舞い降りろ、ユキノオー!」
口上と共に、シンのハイパーボールから雪の精が現れる。否、精というには少し厳めしい印象を与えるか。雪男のような外見から付けられた〈アイスモンスター〉という呼称がこれほど似合うポケモンはいまい。ユキノオーの足元からブリザードが発生し、マスタースタジアムを彩る。降り注ぐ霰、極寒を打ち破る猛火をその身に宿すのは、旅を支えてもらったパートナー。
「マフォクシー、きみにきめた!」
アユムの口上に関し、観客席の二人から突っ込みが入る。
「あいつ、きみにきめた、って気に入ってるのかな?」
「大会のときにも言ってたな」
一方、ライゾウは腕組みをして厳かな観戦を決め込む。サングラスを外し、年季が入った皺を寄せ、少年のすべてを受け止めようとする覚悟だ。
一世一代のスペシャルマッチが始まる。
「こおりのつぶて!」
トライアングルの構えから放たれる神速の礫。マフォクシーは直線軌道を見抜くことすら出来ず、顔面への侵入を許す。痛々しい破裂が脳を揺さぶった。
しかし、アユムはマフォクシーならばこの一撃を耐え切ると確信していた。目を擦りながら、マフォクシーは果てしない敵に立ち向かおうとする決意を崩さない。信頼関係は上出来、シンの口元がどこか粗野に緩む。
「今のは小手調べだ。並のポケモンならば、一撃でやられている」
やはり、勝負を決めるつもりだった。四天王からの重たい威嚇だ。
「だが見たところ、マフォクシーは立っていられるようだね」
マフォクシーが杖なしで戦おうとしていることも見破っているだろう。シンに小細工は通用しない。ならば真っ向勝負を挑むまでだ。
「キミはボクと戦う資格を得た……これで本気が出せる」
アユムの全身がおぞましさに震える。とんでもない人物を敵に回してしまったようだ。
シンが口にするだけで、尊大さは凄みと殺気を伴う。歯向かうトレーナーすべてを相手取る覚悟が出来ていなければ、口にするのもおこがましい。それだけ、シンが己の力量を絶対視しているということ。気迫で負けるわけにはいかない、アユムは腕を薙ぐ。
「マフォクシー、走れ!」
「こごえるかぜ!」
指を鳴らすと同時、ユキノオーが冷気を吐き出す。足元をそっと掬う微風が絡み付き、減速せざるを得ない。
「動きが取れないなら!」
氷の鎖に束縛されたマフォクシーは、念力でユキノオーを引き寄せる。N極とS極のように離れられない運命を強制するも、こごえるかぜを拳に当て接触に備えている!
「疑似れいとうパンチ、受けてもらおう」
「くっ!」
声にならない声を出し、マフォクシーが吹き飛ばされるのを黙って見届けるしかない。四天王のポケモンは技のひとつひとつが洗練されている。それは、常時において最大火力を出せることを意味する。アユムたちとしては攻め込んでいきたい場面だが、いかんせん相手のレベルが高すぎる。
だが、拳が鎖を割り、捕縛は解かれた。反撃開始だ。
「マジカルフレイム!」
「ふぶき!」
掌から飛び出し、アーボックやハブネークのようなとぐろを巻いて、ユキノオーを灼熱地獄へと誘う。だが、吹き荒ぶ霰が腕を殴打し、軌道が逸れる。それだけでは飽き足らず、ユキノオーを取り巻く吹雪の壁が、まるで炎を寄せ付けてくれない。こんなことは初めてだった。
「上を取れ!」
「かかったな」
「えっ!?」
「はっぱカッター!」
隙を見て中心から仕掛けるも、読まれている。野心を隠さず、獰猛な双眸でマフォクシーを捉える四天王の将。ユキノオーの背から、二枚の葉が発射された。文字通り体を切り刻むカッター、だがマフォクシーの動きを止めるには威力不足。これを好機と見たアユムは、直接ユキノオーを狙いに行く。
「マジカルフレイム!」
「こおりのつぶて!」
速さでは敵わない、本能が危機を告げる。回避を切り出そうとしたときには、マフォクシーの焔を防ぎ切った礫が腹を抉る。呼吸もままならないマフォクシー、腕と胸に切り傷が二つ。氷帝の冷酷な指示が通る。
「ふぶき!」
射程圏内に打ち上げた状態から、吹雪での追撃。自ら炎の色に染まりながらも、手を緩めることのないブリザードを浴びた。
「小技はこうやって使うものだ」
マフォクシーの腕が、まだぴくりと動く。シンは余裕を見て、アユムのバトルに足りないものを説いていく。その間にもう一度立ち上がれと言わんばかりの挑発だ。この程度ではお遊びにもならない――暗にそう告げ、闘志を掻き立てる。
「威力の高い技だけでは面白くない。小技でダメージを稼ぎ、大技で決める。技を制する者がポケモンバトルを制する!」
シンの語尾が強まるところを見て、ライゾウは楽しげに笑う。
「スイッチ入って来たな、あいつ」
飛び出す影への反応もきっちり逃さない。ユキノオーが取っ組み合い、不意打ちや力任せで自分を出し抜くことは出来ないと思い知らせる。
「アユムくん、何故その技を選択するのか。考えているか? 技だけではない。ポケモンの動きひとつひとつには意味がある。総じて無駄なものなどない」
熱さを纏いながらも、冷静に語りかけるシンは、まさに四天王。トレーナーの模範に位置するだけのことはある。アユムとマフォクシーはその説教を傾聴した。以前ならば、我を押し通すことで躍起になっていただろう。
「己の思考回路を余すことなくはたらかせ、次に繋がる動きを作る。わかるか、それがポケモンバトルのリズムであり、呼吸になるんだ」
一連のバトルは、流れを見ているようでもあった。
正面からの攻撃は速度を落とし、壁を設けて封殺。上にははっぱカッターやこおりのつぶてといった、初動の早い技を置く。はっぱカッターは傷口を作ることで、ふぶきを体内に浸透させるはたらきを担う。
遠近どころか、いかなる局面もユキノオー一匹で対処出来る。何年もかけて、シンの作り上げたバトルの型だ。
「バトルの、呼吸……」
今まで考えても見なかった世界。シンジにことごとく上を行かれた。彼もまた動きや流れを意識して、相手のペースに飲まれないバトルを作っていたことを思い出す。
自分にも、出来るだろうか。トレーナーとして更なる高みに達するための戦い方が。
「やってみます!」
それでいい、シンは頷く。
互いに譲らない攻防。打点を得るには、仕掛けなければ始まらない。
「マフォクシー、行くよ。息を合わせて!」
アイコンタクト、よし。今までは杖頼りのバトルをしてきたが、新しいスタイルを身に着けるならば、今しかない。
「サイコキネシス、頭部に集中!」
シンは腕を引き、ユキノオーに後退を命じる。マフォクシーの額に念力が集まり、首が前へと突き出された。鈍足ではかわせず、初めて四天王のポケモンに一撃が入る。思わず会場のスタッフが息を呑み、ユウリたちは喜びのポーズを取る。
「そっちが疑似れいとうパンチなら、こっちは疑似しねんのずつきです」
「なるほど。一杯喰わされたのはこちらというわけか」
「まだまだ! マジカルフレイム!」
アユムは曲芸で観客を魅せるように、次の演目へと移る。アユムの指揮によって描かれる弧が、烈火の軌道を決定した。スタジアムを輪が一周し、炎熱のフィールドで雪がはらはらと舞う。それはまさに相対する属性が同居する、ファンタスティック・ワールド。
「ふぶきで打ち消せ!」
「マジカルフレイム!」
ユキノオーの雄叫びが加速の源となるが如く、激しさを増す猛吹雪。寒暖入り混じり、二重の感覚が戦士たちを弄ぶ。今度は一直線上に火の手が伸びた。ユキノオーは掌底で隙を潰す。
「攻撃を続けるんだ!」
今までの雪辱を果たすように、怒涛の連続攻撃にて畳みかける。
アユムは杖がない分、全身運動を利用してマフォクシーに指示を伝えているが、功を奏した。指示の正確性を促すものがまだシンにわかっていない――。
「とでも思ったかな」
「えっ?」
「はっぱカッター!」
念力を血管中に流し込み、炎を操作する。シンを出し抜く唯一の手だと思っていたが、いとも簡単に見破られていた。四肢を削ぎ落とす執行者によって、マフォクシーの腕が機能停止する。杖のない今、マジカルフレイムを自由闊達には動かせない。戦法的には、詰み。
「こおりのつぶて!」
トライアングルを模った礫が投擲される。幾多の次元を通り抜けて、マフォクシーの前に現れた。指示が間に合わない以上、回避出来るはずがない。リードへの儚い期待は一時的な錯覚に過ぎなかった。
「これを受けても、まだ立っていられるか」
シンはマフォクシーの耐久力に、素直な感嘆を示す。少し得意気になった。歴戦の傷は作り物ではないのだ。
腕は切り刻まれ、腹に二つ撃ち込まれ、顔面は腫れている。以前までのアユムなら、これ以上マフォクシーを戦わせることを避けただろう。
だが、何も言わない。理由は明白、マフォクシーがまだ諦めていないから。
「アビリティ、ノウレッジ、スピリット、タクティクス。これがシンボルならば四つ……申し分ない。既に及第点は越している」
シンは予想以上に食らいついてくるアユムとマフォクシーへ相応の評価を下す。しかし、彼を恐れさせるところには至らない。アユムがシンを恐れ、シンがアユムを恐れさせる、という構図は不変だ。それでも挫けない秘密を解き明かそうとする。
「シンさん。まだ、力を隠してますよね」
なんて貪欲で不敵な表情をしているのだろう。シンの前にひれ伏し、ただ実力を崇め、媚びへつらってきた有象無象とは違う。彼は思わずマフラーを掴んだ。
「確かに、本気で行かせてもらうとは言ったが、ボクはまだ手を抜いていた」
「本気のシンさんと、戦わせてください」
足元にも及ばないというのは、火を見るより明らかだ。
しかし、トレーナーたる者、限界という文字を壊したくなる。本能が疼き、更なる強さを欲している。その先でこそ、進化は産声をあげる。
「キミのそういうところ、嫌いじゃない」
マフラーを脱ぎ捨て、近くに放ると、その衣服にはふさわしくない速度で落下した。
彼の首に巻かれたチョーカーには、紛れもないキーストーンが付けられている。
「では……越えてみせろ!」
ユキノオーの胸元に隠されていたメガストーン。シンの紡ぐ糸と、一本一本指を絡ませ、手を繋ぎ合う。一人と一匹のエネルギーが交わり、殻が作られた。スタジアムを震わせる爆音と共に、繭を突き破って新たなる姿が顕現する。
大きくなりすぎた身は地に預けた。背中からは氷柱が生えている。前傾姿勢を取ることでより威容を増す。叫び声を耳にするだけで、全身の魂を吸い取られるような怖気がする。
「メガユキノオー、ふぶき!」
「マジカルフレイム!」
シンが終幕のベルを鳴らす。マフォクシーは口から火球を打ち揚げようとするも、押し寄せる雪の波がすべてを掻っ攫う。技を放つ、放たないという領域ではない。マフォクシーが受け止めた冷気の片鱗を浴びて、アユムは自分も雪崩に飲み込まれるのではないかと錯覚した。
氷像の出来上がりである。
がっくりと肩を落とすアユム。メガシンカのパワーは、今の彼らには到底受け切れるものではなかった。愚かな挑戦をしたと、霰だけが冷笑的に舞い散る。
「アユム、マフォクシー……」
ユウリが手を組む。まだ終わりじゃない、そう祈るように。
「てめえの力は、そんなもんじゃねえだろ」
ホクトも呟く。好敵手が再び蘇り、一矢報いることを承知済みと言わんばかりだ。
ライゾウだけは何も言わない。一部始終を、アユムのバトルを、厳しく見据えている。
異変に気付いたのは、ユキノオーだ。勝利を疑わないシンに警笛を鳴らす。まだ油断してはならない、番狂わせこそがポケモンバトルの醍醐味だと。
突如、紅の閃光。
熱線が氷塊を切り裂いた。立ち昇る噴火は竜を模り、天目掛け飛翔する。マフォクシーの周囲を旋回して、咆えるような爆発と共に飛散していく。霰と衝突しては、相殺を繰り返す。
かつて彼らがこの街を訪れたときに目にした炎と、それは似ていた。火の粉を被りながら現れる。
シンがこれまでにない気炎を上げ、ユキノオーが腰を据えた。
溶岩そのものと化したような奔流が、止め処なく煮え滾る。ユキノオーは真正面から押しとどめてみせた。微風が焔を少しずつ裂き、正体をおぼろげにする。
「もうか……?」
炎の化身・マフォクシーは輪郭だけを残し、今やいつ消えるかもわからない灯の生を全うしていた。だが、それは決勝戦とは異なる輝きを放っている。
「いや、違う」
ライゾウが端的に告げると、ユウリとホクトは彼を見る。
「マフォクシーの、まだまだ戦おうとする闘志の表れだ」
猛火ではない。だが、猛火に勝るとも劣らないものの正体。
それは、闘志。
シンは火照る頬で叫ぶ。
「そう、ガッツ。キミたちを押し上げるものだ!」
マフォクシーは両胸を開く。今飛び立たんとする命の翼が燃え上がる。アユムの瞳に映る炎は色褪せないきらめきだ。このバトルで、ありったけを出し尽くす。後悔しないように!
「最後の一撃を!」
「遠慮は要らない。誇り高き挑戦者を迎え撃て!」
友情の一撃、マジカルフレイム。
帝王の防壁、ふぶき。
赤と青のフィールドに、蒼と紅の境界が敷かれる。それは数秒も持たない間に均衡を破り、地上の終焉をもたらした絶対零度の極致を、僅かながら体験させた。スタジアムの半面は侵食する氷に覆われ、マフォクシーの上には雪が積もっていた。
*
モンスターボールを愛おしく両手で包み込む。スタッフが出張用回復装置を運んできてくれたので、すぐさまポケモンを休ませた。
回復の合図が表示されるのを待たず、シンが切り出す。
「アユムくん。バトルフロンティアに興味はないか?」
首根っこを掴まれたように現実へと引き戻される。シンの表情はいたって真剣だ。
「バトルフロンティア……?」
カントーやシンオウで有名な施設だと小耳に挟むことはあれど、カチヌキファミリーの食卓でバトルフロンティアの具体的な話が持ち上がったことはなかった。
「元来トレーナーには、七つの心得がある」
いかにも戦いを終えた後、という穏やかな電子音が鳴り、アユムとシンはそれぞれボールを手に取る。
「ラック、ガッツ、タクティクス、ノウレッジ、ブレイブ、スピリット、アビリティ。これらが備わることで、心技体に優れたトレーナーとなる。バトルフロンティアは、その心得の伝授を目的として生まれた施設だ」
アユムの知らない世界が、瞬く間に広がりを見せていくようだった。
「キミはルールに従い、各施設を周回する。一度も負けずに勝ち続けることが出来れば、やがてその心得を究めたトレーナー〈フロンティアブレーン〉への挑戦権を認められる」
目の前に突如現れた時空の裂け目に、七人の影が屹立する。運、闘志、戦略、知識、勇気、精神、才能、これらを司る、まだ見ぬトレーナーたち。
そこへライゾウがやって来て、親友の肩にぽんと手を置いた。親父の手は、彼の肩に丁度はまる具合のサイズだ。
「シンは元々、フロンティア畑出身のトレーナーでな。七つすべてのシンボルを獲得したのは、後にも先にもこいつだけだ」
シンだけがフロンティアを制覇したトレーナーと聞いて、俄然興味が湧いてくる。無論トレーナーとしての姿勢を気に入ったのが一番には違いなくとも、ライゾウがシンを高く買う理由はそこにもあるのだろう。誰も成し遂げたことのない快挙を、一人だけが達成してしまったという現実。
シンは驕るでもなく、ただ照れ臭そうに顔を赤らめる。そんなあどけなさは、まだ大人に成り立ての青年、といった感じを改めて周囲に与えた。だが、すぐ真顔に切り替える。
「フロンティアを制覇すれば、リーグを勝ち抜けるとは限らない。それだけは個人の努力に比例するからね。でも、挑戦する価値はあるだろうし、今のアユムくんに足りないものを補ってくれると思う」
たった一度のバトルで、そこまで見抜かれていた。シンはポケモントレーナー・アユムをこのまま放っておく気などない。彼もライゾウと同じ志を抱く、お節介焼きの先駆者だ。
「どうかな。もちろん強制はしない。だが、もしその気があるなら。そのための手筈はボクが整えよう」
間髪入れず、答えは決まった。
「行きます!」
*
みなが談笑に耽る中、アユムは体を休めていた。
これまでのバトルを、ひとつひとつ記憶の底から手繰り寄せる。
四天王の風格。優勝者の堂々とした姿。業火と爆炎が競り合うフィールド。叫びと汗で前の見えない中、互いの矜持を激突させた。闇を照らし、道を示す双翼。大胆不敵な挑戦者――色々なことがあった。
「隣、いいかな」
サングラスを外したライゾウがサイコソーダを片手にしていた。アユムはあわてて席を開ける。よいしょと腰をかけたライゾウは、一息に飲料を流し込むと気持ちよさげに息を吐く。
「ライゾウさんにずっと尋ねたいことがありました」
「言ってみろ」
「あのとき。どうして、ボクの名前を……?」
二人の会話は、二人の間でのみ行われた。チャンピオンと一対一で、あの日聞くことのできなかった質問をぶつける。
「お前さんが足りないものを正して、オレの前に再び現れると思ったからだ」
アユムは思わずライゾウの横顔を見る。白髪の混じった色素は、勇ましさと同時に老いも感じさせた。
「現にお前さんはオレを追ってきた。老いぼれの勘も、まだまだ捨てたもんじゃねえなあ」
ライゾウはすっくと立ち上がり、缶を捨てる。起立には起立で返すべきだと思い、アユムは腰から折り曲げ誠意を見せた。
「あの、ありがとうございました! ずっとそれが言いたかったんです」
「そうか。お前さんもまた、戦っていたんだな」
初対面の硬派な雰囲気は、今や成長に感打たれる応援者のそれに変わっていた。
「今度はオレの番だ」
例の質問が来るのだろうと思った。
少年はかつて、その問いかけに答えられなかった。だが、今は違う。はっきりと、大きな声で、確固たる自信を持って、相手に伝えられる。
「聞かせてくれ。お前さんは何のために戦い、何のためにポケモンと歩む?」
「ポケモンのことを、理解するためです」
ライゾウは目を瞑り、解答に対して何度も頷いた。ゆっくりと咀嚼し、自分の中で消化するようにして、幼いが強いトレーナーの辿り着いた結論を吟味する。
「お前さんらしい答えだ。行き着いた答えを、大切にしなさい」
「はい!」
ライゾウはすっくと立ち上がり、席を離れる。
この短い時間を、一生忘れないだろう。
*
マスタースタジアムに別れを告げ、アユムたちはローズシティの入口まで戻ってきた。今度はお世話になった大都と別れる番だ。
誰ともなく、自然に足が止まる。今この場には、アユムとユウリ、そしてホクトだけが残っていた。道中は話が弾むわけでもなければ、かといって無言が続くわけでもなかった。
日常通りの広場。ニャースを散歩させる貴婦人や、モンメンと一緒にお菓子を分け合う子供の姿。チャンピオン防衛戦を映したテレビはCMの途中だ。
「そういえばさ、どこで紹介状を?」
「テルマの野郎がオレによこした」
「また兄さんか」
一同、苦笑いにて済ませる。なんとなく予想こそついていたものの、ここまで隙なく仕組まれていると、末恐ろしさすら感じる。
だが、一枚の紙切れはテルマが残した最後の置き土産だ。それがなければ、三人が偶然揃うことも二度となかっただろう。テルマは「彼らがもう会えない」という運命を選択しなかった。たった一度の邂逅は、これからも人と人を結び合わせるきっかけとなる。
「どうしてもオレとお前を引っ付けたいようだ。やられっぱなしも癪だしな、次はリベンジさせてもらうぜ」
「うん、またバトルしよう」
牽制を加えたつもりだったが、動じないどころか明るく返される始末。ちょっとやそっとでは揺るがない度胸を手に入れてしまった。
「……だんだんテルマの顔つきに似てきやがったな」
「え、そう?」
挑発も効力なしと見るや、ユウリがくすくす笑っている。相手にすると面倒なのでホクトは放っておくことにした。
噴水を中心として、東西南北に道が伸びる。三人がそれぞれ、違う方向を行くであろうことは推測がついた。彼らは少しでも立ち止まる時間を長引かせようとする。
「二人とも、これからどこに行くんだ?」
「山を降りて、船に乗るよ。だからキンカンシティだ」
「もう一回、ゴギョウの道場に顔出すのも良いかもな」
「そっか。実はあたし、決まってなくてさ」
ユウリは後ろで指をいじりながら、進路が決まっている二人にそれとなく打ち明ける。
「〈シラカシ山〉はどうだ?」
「四年前に伝説の鳥ポケモンが降りたっていう……」
「ああ。オレとバシャーモはそこで鍛えた。お前のゴウカザルとはタイプが同じだから、条件は悪くないと思うぜ」
「確かに。そうか、シラカシ山か……!」
ゴウカザルとバシャーモはスタイルこそ違えども、タイプという点では共通している。ホクトがシラカシ山の修業を勧めるのは理に適ったことだ。
「良かったね、ユウリ」
「うん。お前、良いところあるじゃん」
「少しは手応えのあるトレーナーになってくれないと、オレが困るからな」
「やっぱりムカつく奴!」
やはり一言余計だ。アユムはもう咎めるわけでなく、ユウリとホクトがいがみ合うのをある意味愉快な気持ちで見つめていた。
トレーナーよろしく睨み合いを利かせていると、ホクトの方から爽やかに退く。
「それじゃ。オレは行くぜ」
「またどこかで」
「ふん。負けたまま消えるかよ」
余程根に持っていると見える。ホクトはそのまま踵を返すかと思われたが、アユムの予想に反することを頼んできた。
「なあ、ヘルガーと話をさせてもらえないか?」
「ヘルガーと?」
「その、そいつとの約束もあるしな」
ちらりとユウリを見やる。自分の知らないところで、二人が約束を結んでいたとは意外だ。
今のホクトとなら、ヘルガーと話をさせても大丈夫だと確信する。アユムと同じく、これがホクトにとってのけじめだ。
「ヘルガー、出ておいで」
ヘルガーはかつての主人をどんな想いで見つめているのか。アユムがホクトを認めても、ヘルガーがそうとは限らない。人間のエゴは押しつけられない。判断するのはヘルガーだ。
「すまなかった。今更許して欲しいとは言わない。だけどよ……悪かった」
真っ先に頭を下げたので、ヘルガーも面食らったようだ。これがモンスターボールを踏み潰していた男だとは想像すらつかないほどに、彼もアユムたちとの出会いを通し、大切なものを身につけた。
「だってさ。どうする、ヘルガー?」
少し意地悪に腕を組んで、アユムが審判を問う。ヘルガーはしばらくじっと考えてから、尻尾を差し出した。
握手の求めだ。
バトルが終われば、みんな友達。そんな詞を歌っていた曲を思い出す。ヘルガーがホクトをもう〈おや〉だと思わなくても、ライバルとしては既に了承しているのだ。
サングラスからでは目元はうかがい知れないが、きっと穏やかな調子の気がする。ポケモン流の握手に対して、彼はしっかりと右手を差し出したからだ。
*
アユムは噴水の音に耳を澄ませ、ユウリはポケモンたちの散歩を眺める。別れを誤魔化そうとしているのではなく、心の整理だ。彼らの間には、沢山のことが起こった。
「最後の炎――エンテイみたいだった」
マスタースタジアムに立ち上った炎は、見る者の心を蕩けさせた。あのときのアユムとマフォクシーの気迫は、伝説と比べても遜色ないほどだ。
「伝説のポケモンには及ばないよ」
「ううん。あたしには、そのくらいに見えたんだ」
かつてベンチで過去を語り合ったときのように。ユウリの瞳は熱く、灯る。
「悔しいよ、同じほのおポケモン使いとして」
二人の関係性は白紙に戻るが、今回の旅で経たものまでがなくなるわけではない。それをわかっているから、宣戦布告を叩きつける。
「ジムリーダーになったら、真っ先にお前を倒してやるからな」
「わかった」
「あ、それより前にリーグでも会うかも……? そしたら約束が……うーん……」
「そのときはそのときだよ」
「そっか、それもそうだな!」
あっけらかんと言い放つことで、問題は解決した。
彼らのライバル関係は、まだまだ続くようだ。続くったら、続く。
「あたしはシラカシ山に」
「ボクはバトルフロンティア!」
息はぴったりだ。この際、言うべきことは言っておこう。またどこかで会えることを信じて。否、必ず彼らは再会する。
「それぞれの夢に向けて、進んでいこう!」
二人の声が重なって。手と手が合わさるハイタッチ。
届け、大空に!
いつの時代、どこの場所でも。名前も声も知らない者同士は出会い、惹かれ合っていく。
その道が前途多難なものであったとしても。彼らに刻まれた記憶は、行く先までも明るく照らし出すだろう。
そのポケモンが飛んだ跡には、虹が出来るという伝説がある。
世界が七色の光に満ち溢れるとき。人間とポケモンは真に歩み寄る。
完