第15話「進化するポケモンバトル」
ポケモンセンターで一夜を明かしたアユムは、さっとカーテンを開く。熱気が消えた本来のローズは、涼しい風が流れ込み、髪や頬をいたずらに撫で回す。
「朝だ……」
何もない朝は久しぶりだ。ヤヤコマのさえずりに耳を傾ける。くちばしを必死につつく姿が用意に想像出来る優しい朝の音楽だ。
「にしても、あれだけ人がいたのにね?」
モンスターボール内のポケモンたちに語りかけるが、彼らはまだすやすやと寝息を立てていた。起こすのも悪いし、寝られる時には思いっきり寝かせるべきだろう。そっと扉を閉めた。
『 名前も声も知らない 第十五話 』
ロビーでテレビを見ていると、世間はもう次の目玉に釘付けだとわかる。
『セイエイリーグの開催が、いよいよ後数か月に迫りました。今回も非常にハイレベルな戦いが予想されます。そこで今回、セイエイリーグが行われるサクラシティとはどんな場所か? レポーターのカンザキさんに尋ねてみたいと思います。カンザキさーん?』
『はい、こちらカンザキです。さて! リーグ開催も待ち遠しいサクラシティですが――』
少しはローズシティ・ポケモンバトルトーナメントに触れてもいいじゃないかとふてくされる。確かに開催規模、観客動員、強豪数どれをとっても、本命はポケモンリーグに軍配が上がるだろう。開催都市まで念入りに報道するマスコミの用意周到さに呆れて、アユムはなんだかその番組自体がどうでもよくなった。項垂れているアユムを見て、客も少ないせいか、ジョーイが声をかける。
「あら、リーグには興味ないの?」
「今回は見送ることにしました」
「それも一つの決断ね。昨日の決勝戦、素晴らしかったわよ。久々にドキドキしちゃった」
「あ、ありがとうございます!」
瞬間的に跳ね起き、何度も頭を下げる。大袈裟のあまりジョーイが手を振って制止した。
「ジョーイさんこそ、何度もポケモンたちを診てくれてありがとうございます。その節はお世話になりました……」
「あなたがバトルをするように、わたしもそれが仕事だから。なつかしいわね、ここでホクトくんと言い争ってたことを思い出す」
アユムは顔が急に熱くなるのを感じる。もっと他のことを思い出してほしかった。
「彼なら、まだセンターにいるわ」
「えっ、そうなんですか? 意外だな」
ホクトもシンジと似たところがあるから、用が済めばさっさと街から出ていくものだとばかり思っていたが、同じように道を探しあぐねているのだろうか。
「アユムくん、これからどうするの?」
「それが、まだ全然検討つかなくて……」
恥ずかしげに頭を掻く。リーグに出ないがバッジは八つ取得済み。となれば、武者修行の旅にでも出るか。安直な発想が脳裏をかすめる。
「やりたいこととかないの?」
「やりたいこと……」
「リーグに出ないんだから、何かやることを見つけなくちゃ。時間は止まってくれないわよ」
ジョーイはカルテを取りに、席を外す。その間、アユムは思索に耽っていた。眉間に皺を寄せ、心よりも早く老化する。あんまり面白いもので、出発の準備を整えリュックを背負ったユウリが降りてくるや否や、彼をじっと覗き込む。
「お前老けたか?」
「率直だね。考えごとをしてたんだ」
「心残りなこと、とかでもいいのよ」
戻ってくるなり、メガネをかけ、キーボードを一定のリズムで叩くジョーイ。シンプルな打鍵音が耳に心地よく響く。
心残り、といえばひとつある。自分を変えるきっかけになったのは、忘れもしないあのバトルだった。
「ライゾウさんに、会えなかったこと……」
「あたし会ったぞ」
「ええっ!?」
きょとんとして、さも当然のようにユウリが言い放つものだから、アユムはありきたりな驚きしか示せなかった。
「言ってなかったっけ?」
「一度も聞いてないよ!」
そういえば、第一回戦でユウリが敗退した翌日、けろりと回復していた。もしかするとライゾウと出会い、話をしたことで、今後の指針を見出したのかもしれない。
「ボクのバトルを見つめ直させてくれたのは、ライゾウさんのおかげだ。ちゃんとお礼を言いたいんだ」
「えらい!」
ユウリが褒め、ジョーイも感心したように頷く。
「ライゾウさん、まだこの街にいらっしゃるそうよ。あんまり大声では言えないけれど」
ジョーイがさりげなくウィンクを付け加える。前に進もうとするトレーナーへの助力は惜しまないというわけだ。職業という垣根を越えて、純粋に彼女はアユムを応援している。
「本当ですか!?」
「さ、そうとわかれば旅の支度。あたし待ってるからな!」
なんだかんだで一緒の旅路を行く縁になっている。そういえば、最初は彼女を鬱陶しいと思っていた頃がなつかしい。アユムは日常と化したそんな場面を心地良く感じながら、逸る気持ちで部屋に戻る。足取りが軽かった。
「この部屋ともお別れか……」
滞在期間はそう長かったわけでもないが、使ってきた部屋には思い入れがある。「発つポッポ後を濁さず」ということわざがあるように、荷物はすべてリュックに詰めていく。
選別作業の途中で、アユムはベッドに置かれている二本の小枝を、丁重な壊れ物であるかのように心を込めて扱う。
「今までマフォクシーのことをありがとう」
そっと撫で、自然の地肌に触れる。そう、これはマフォクシーの杖だった。最後のエース・ブーバーンとの戦いで真っ二つに折れてしまった。自力で魔法を使えても、杖のないマフォクシーはいわばネギのないカモネギと同じである。新しい杖に出来る頑丈な木を探さなければいけない。
ベルトに七つのモンスターボールをつける。本来ベルトの穴はモンスターボールの装着を六つまでに制限するが、市販の拡張用アクセサリなどを購入すれば、七匹を連れて歩くことも不可能ではない。ヘルガーを見ると、今でもホクトのことを思い出す。スペシャルマッチを一緒に見て以来、姿を見かけていないが、願わくばまた会えることを望む。
「よし!」
黄色いインナーのしわを伸ばす。フード付きの上着に袖を通し、リュックを背負った。カーテンは閉めなくても良いだろう。後は清掃員とチラーミィの得意分野だ。鍵を忘れずに、扉は開いたままにしておく。部屋に向かって一礼した。
*
タウンマップによると、ローズシティにはスタジアムが三つある。
ひとつは、激戦の舞台となったローズスタジアム。街の誕生以来、長い歴史を支えてきた戦場の跡だ。
二つ目は、ブルースタジアム。チャンピオンリーグ中に活躍する。セイエイリーグは本部を構えるサクラシティで開催されるが、四天王戦となると少し特殊で、各町に設置されたスタジアム内で試合を行う。これはバトルの見学機会を均等にするための措置だという声もある。それぞれ、パープルスタジアム・グレースタジアム・グリーンスタジアム・ブルースタジアムと、四天王の専門タイプに即している。すべての四天王を下した暁には、サクラシティのブラウンスタジアムにてライゾウが待つ。なお、スタジアムの砂は特殊染料で加工されている。雰囲気づくりに抜け目はない。
最後は、導入にあたり試運転を予定されている「マスタースタジアム」だ。今までのポケモンバトルはなるべく野生を思い出せるように、どの種族にも馴染みやすい土が用いられていた。しかし、砂のフィールドに問題がなかったわけではない。
そもそも〈すなあらし〉を使えるじめんタイプやいわタイプは始めからアドバンテージを取得している。でんきタイプの技は通りにくい。これらの欠点は以前から指摘済みだった。しかし、地方チャンピオンが〈グランドマスター〉であることから、根も葉もない噂が流れる。
例えば、ライゾウの威信を高める、挑戦者に勝ちやすくする、といった類だ。いかにもマスコミが飛び付きそうなエサがばらまかれた。砂地フィールドの継続は王者贔屓ではないかと騒がれ、だんだん事は大きくなっていった。そこで、本人はこの意見をつまらないマスコミのデマだと一蹴し、タイプ格差の生じない新形態のスタジアム建設を宣言した。あまりにも毅然とした態度を見せた彼は、逆に支持率を上げてしまう。
話を戻すと、それがマスタースタジアム――どんなポケモンも己の力を余すことなく振るうことが出来る――スタジアムの最終進化系だ。
チャンピオン・ライゾウは、件のマスタースタジアム視察を行うため、大会後も街に留まっているという。そうと聞いて、じっとしているアユムではない。
「えーと、次の角を左に」
ユウリが地図を片手に、アユムは忙しなく首を動かす。石造りの一王国と称しても差し支えないローズシティは、迷わない方が不思議である。小さい子がタネボーと追いかけっこをしている微笑ましい光景を目にしたが、ちゃんと帰路につけるのかどうかは甚だ怪しい。だが、地元であまり迷子の声は聞かないという。テレポートパネルでもなければ無理な話だろうとアユムは思った。
「まっすぐ行って、二番目の角を右に」
「そっちじゃない! 右だ!」
「この坂を降りて、トンネルを潜る」
「十字路をそのまままっすぐ」
「橋を渡ったら、長い道があるので、そのまま進む」
「これ、いつ着くんだろう……」
「あ、あった!」
ユウリが指をさし、なすがままに視線を引っ張られる。そこには、目新しい光彩を放つ真四角の闘技場が鎮座しているではないか。正面からだと幾何学的な図形に見えるが、外周を回ると円形を描いていることがわかる。
「さすが最新鋭スタジアム……」
開いた口が塞がらない。ローズスタジアムがケンタロス対バッフロンならば、こちらはポリゴン対ジバコイルとでも言ったところだろうか。何から何まで計算の上で造られた人工物的な臭いがする。従来の砂地を思えば、なかなか挑戦的な試みだと言える。やはり人間の行き着くところは、最終的に科学の力なのだと主張しているようだった。
警戒体勢は万全といったところ。門を硬く閉ざす二人の警備員が、左右にレアコイルを従えている。迂闊に一般人が立ち寄れば、電撃という名の歓迎が待っていそうだ。アユムとユウリは門にピタッと張り付き、そっと様子をうかがう。ライゾウが本当にいるかも定かではない現状、待ちぼうけを食らうのも馬鹿馬鹿しい。
「どうしよう」
「ここまで来て諦めるとか嘘だよな?」
「だって」
「ごちゃごちゃ言わずに行って来い!」
「うわっとっとっと!」
煮え切らない性格は嫌いなユウリは背中を押す。ほんの後押しのつもりが、アユムは存外前のめりになったので、片足でバランスを取ろうと間抜けなステップを踏んだ後、監視下に入ってしまう。目玉が四つ巡回している。ポケモンも加えれば十個になる。
ヒョイっと、カクレオン顔負けの速さで隠れる。情けなさに溜息をついて、ユウリが勇み出た。どちらが男かわかったものではない。
「すみません。あたしたち、ライゾウさんに用があるんですけど」
「あなた方はチャンピオンのお知り合いですか?」
「そうです!」
「紹介状は?」
「しょ、紹介状?」
「なんか適当に!」
気合だけで策が足りなかった。トレーナーカードを見せ付けるが、子供のお遊びだと知れると、すぐさま跳ね除けられてしまう。
「紹介状なしに、通すことは出来かねます」
「そこをなんとか……」
「お引き取りください」
万策尽きた二人。おとなしく街を去るべきなのか――そんな諦めがよぎった瞬間。運命の女神は彼らに微笑んだ。
自動ドアが開き、その中から金髪の男性がゆっくりと歩いてくる。
「何かトラブルでも?」
気品あるたたずまい。白いマフラーを流し、波を幾重にも重ね描くような服。
「チャンピオンへの面会を求める少年少女がいまして」
「紹介状がなければ、お通し出来ませんと伝えたのですが」
「ライゾウさんに? おや、キミたちは確か――」
大会以外で初めて目にするシンの眼光に晒され、委縮するアユムとユウリ。本来黒目であるはずのそれは海のように深い蒼をたたえている。
「アユムくんと、ユウリさん……だったね」
「四天王があたしたちの名前を覚えてくれるなんて!」
ユウリが嬉しそうに、アユムの手をぶんぶん振る。四天王の助け舟が出れば、チャンピオンにも漕ぎ付けるかもしれない。
「よくボクたちがここにいるとわかったね。何か用かな?」
「ライゾウさんに、どうしてもお礼が言いたくて……」
大物を相手にして気弱なアユムに、シンも必要以上の圧力をかけない。むしろ、目の動きはテルマの弟を興味深く品定めしているかのよう。シンは事情を咀嚼すると、警備員に小声で告げる。
「ボクの許可で、ということでいいかな」
警備員とレアコイルは王に道を譲るがごとく、一歩退く。シンは軽い調子でアユムたちに歓迎の意を示し、手招きする。
「着いてきたまえ」
*
廊下を抜けると、アユムとユウリがあちこち目移りするのも仕方ない。まだ試験段階のスタジアムは、開場前の静謐な空気に守られている。
ライゾウはスタッフと打ち合わせ中のようだ。そこに四天王も加わると後光が差すようで、アユムは場違いの感に萎縮してしまう。シンが事情を説明すると、ライゾウは礼儀正しくサングラスを外して髭面を向けた。地鳴りのようなしゃがれた声がスタジアムに響き渡る。
「おお、お前さんたちか。よく来たな」
チャンピオンから挨拶を受けている――そう思うだけで心拍数が跳ね上がりそうだ。先程までの威勢の良さはどこへやら、二人はぎこちなく頭を下げる。それでも、やっと待望の人物に会えたのだ。
「なに、気楽にしなさい。どうだ二人とも。これがマスタースタジアムだ」
ライゾウは両手を翼のように開き、大層誇らしげだ。アユムは緊張をほぐすため、百八十度ゆっくりと見渡していく。
大聖堂の如き天井から光が降り注ぐ。眼前に広がるスタジアムは、赤と青のコーナーごとに分けられている。中央にはモンスターボールの意匠を拵えてある。材質は既に砂ではない。観客席は戦場を囲むように丸い。鏡の形をしたモニターが全方向から余すことなくポケモンたちの勇姿を映し出す。四角く切り取られた従来のフィールドとは異なる造形だ。
触れるものすべてが、演出されるエンターテイメントの技巧に思われた。
「このスタジアムで、バトルしてみたいです!」
素直な感想を興奮がちに口走る。しかし、すぐに出過ぎた発言であることを恥じた。まだ四天王やチャンピオンのポケモンすら、地に足をつけていないことに気付く。
「す、すみません……」
「ははは! 野心があるのは良いことだ。何もこれは、リーグ側のものにしようってわけじゃない。テストが上手く行ったら、全国的に導入していくつもりだ。勿論、今までのスタジアムも残すとも」
ユウリがどこか不安そうにしているのを見計らってか、ライゾウがフォローを入れる。彼女は自然豊かな山麓で育ったがゆえ、たくさんの土を踏んできたのだろう。
「トレーナーやポケモンが進化するように、日々ポケモンバトルも進化している。この世に、何ひとつとして変わらないものがないようにね」
地盤をさするシンの手つきは、愛しい我が子の肌を撫でるようだ。
「だから、ボクたちはマスタースタジアムを作った」
明かされる秘めた想い。スタジアムひとつをとっても、そこには人やポケモンの願いが込められている。
「これからテストなんですか?」
「そう。ボクとライゾウさんで、バトルをね」
「四天王とチャンピオンのバトル!」
ユウリが目を輝かせる。防衛戦の迫力が生で見られるとなれば、チケットの無料配布にしては大盤振る舞いなことだ。
「お前さんたち、見て行くか?」
「いいんですか!?」
「断る理由がない。まあ、練習試合だけどね」
「ようしシン! 練習とはいえ、手加減なしだぞ。そっちに立て」
「はいはい」
ライゾウが腕をまくり、肩をグルグル回す。駆けっこでも始めそうな無邪気さだ。平生と変わらない親父を見ていると、安心する。アユムとユウリは期待に胸を膨らませ、シートに腰掛けた。ふんわりとした弾力が身体を吸い込んでしまいそうだ。
ライトが順番に点くと、シンが声を張り上げる。
「只今よりテストバトルを始めます!」
すると、どこからともなく声が返ってくる。定位置についたスタッフたちは、スタンバイ完了というわけだ。
「オッケー! カメラ回して!」
「今回は強度を見ます。地盤を攻めてください!」
ライゾウとシンが頷く。機器の動く音がした後、二人は駆け出してボールを放つ。
「舞い降りろ、マンムー!」
「行くぜ、カイザー!」
赤コーナーに降り立つは、紫色の鎧を着込んだドリルポケモン〈ニドキング〉。首をやや前に出し、背中を丸めているから、余計に刺々しい体つきが目を惹く。三白眼の睨みを利かせて相手を牽制する。背骨のラインに沿う尻尾、額から生えるツノはすぐにでも狩りの武器として真価を発揮するだろう。
青コーナーは、アユムもよく知るポケモン。自分が育てたマンムーより一回り大きく、キバはより曲線を描いている。光沢ある毛並みは、毛繕いが行き届いていることの証左だ。ゴーグルを被せたような目元が、いかにも氷結の時代を生き抜いたと言わんばかりに主張する。取っ組み合いでは負けの考えられない図体。育ちの違いを見せ付けられているようで、アユムは尻込みしてしまう。
「かえんほうしゃ!」
待ったなし。ニドキングの口内から烈火が迸る。一寸の迷いなくスタジアムを伝った。熱さのあまり、足を持ち上げ身を傾ける。
「先手は仕方ない」
火の手が止み、蒸気となって対象を覆い隠す。マンムーの〈あついしぼう〉は辛うじて皮膚を火傷させる致命傷を防いだ。敵の攻撃を利用することで一枚上を行く。ライゾウとシンの駆け引きは既に始まっている。
「そろそろ来るぞ」
潜めた声で、ニドキングに注意を促す。防御から攻撃への転移、手に取るようにわかる。長年の付き合いは伊達ではない。だが、それはシンにとっても同じこと。
ニドキングは棘から電磁波を自らの体に這わせ、青光りする球体を展開する。砂地では生まれ得ないほどのエネルギーが巡り、肥大化していく様に新スタジアムの性能を思い知るほかなかった。
「うん! 電気は通しやすい!」
瞬間、静まる水面に波紋を投げかけるが如く、一石が飛んできた。僅かでも指示が遅れていたら、ニドキングの足は地を離れていただろう。耐え切った――不敵に微笑む。これでバトルは振り出しに戻る。膠着は訪れない。彼らの頭の中では、絶え間ない演算が行われているのだ。氷の礫は囮、マンムーが迫る。
「アイアンテール!」
宙返りと共に尾を激しく叩きつけ、反動で上昇を図った。一撃で天井近くまで跳ね上がったため、率直な感想が零れる。
「砂地より跳ぶな」
空中を制する手段に乏しいニドキングは、眼下のマンムーにすぐさま飛び乗った。これはライゾウが上手い。かえんほうしゃを浴びせれば、マンムーは火だるまと化すだろう。しかし、シンが鋭く命じる。予断を許さない、張りつめた声だ。
「フリーズドライ!」
マンムーから吹き上がる冷気、急激にニドキングの体温を奪う。根こそぎ水分を持って行かれた!
白目を剥いたニドキングは乾燥から来る凍結を防ぐため、マンムーから距離を取る。元々のタイプ相性を考えると深刻なダメージが入ったといえる。
優勝者すら圧倒したライゾウと互角に渡り合うトレーナーなど、俄かに信じがたい。だが、眼前で起こるべくして起こっている。シンはライゾウから一勝をもぎ取るべく、決死の猛追をかけたのだ。それを真正面から受け止めてみせるのもまたチャンピオンの度量。
「今のはさすがに辛かったな」
語りかけるように、ニドキングの苦しみを分かち合うように。ライゾウは、指示ではなく、辛かったな、と寄り添う。
「技の威力が前より上がってるな!」
「あれから鍛え直しましたからね!」
「あれから」の意は、防衛戦だろう。シンとポケモンたちは敗北後より研鑚を重ね、以前までの弱い自分を克服した。その進歩を、二人は嬉々として語り合う。
「だいちのちから!」
スタジアムの強度を計るのが練習試合の本題だが、槌のように振り降ろされた技にも罅ひとつ入らない。スタッフらとしては、マスタースタジアムの完成度に驚嘆すら生まれるほど。しかし、彼らもまた、バトルの展開に全神経を集中させている。マンムーが衝撃波を喰らい、動きが鈍った場面だ。
「つららおとし!」
「かえんほうしゃ!」
ライゾウが指示を放てば、ニドキングは真意を咀嚼する。刮目せよ、崩れる足場の如き速さ、落下する氷柱の回避法に。
ニドキングはスタジアムにかえんほうしゃを放つと、反動の後退でこれらを避けて行く。次なる落下地点を予測し、その軌道から逸れるルートに向かうよう炎を放つ。数秒の間に何手もの複雑な駆け引きが繰り広げられるも、氷柱をすべて処理したニドキングに軍配が上がる。マンムーの下へ滑るように潜り込んで、腹からアッパーが入った!
一斉、衆目が上に向かう。打ち上げられたマンムーの体は大きすぎるがために応用が利かない。ニドキングがアイアンテールで自らも跳躍し、互いの視線が交錯。同じ轍は踏むまい、ニドキングが硬化させた尾を叩きつけ、これを決着にするつもりだ。
「振り降ろせ!」
「こおりのつぶて!」
生成の早かったのは礫だ。ニドキングが翻り、礫との根競べ。パワーでは負けないと王者たる意地を見せ、マンムーの頭上でそれらは四散した。
着地がスタジアムに響き、最期の火花を散らした後。マンムーは静かに地へと伏せる。
「バトルオフ! チャンピオン・ライゾウの勝ち!」
口笛から拍手まで、たちまち賞賛の嵐が起こる。トーナメントに比べれば、ひとつひとつは遥かにまばらなものだが、その興奮や高揚感は勝るとも劣らない。
こんなものを見せられて、黙っていられるほどアユムは利口ではなかった。