第14話「スタートライン」
「残り一匹か」
スクリーンに表示される、互いのポケモン数を見比べる。アユムはマフォクシー、対するシンジはコジョンドとまだ見ぬ一匹。考えるまでもなく、敗北の二文字がいよいよ現実味を帯びてきた。絶体絶命の窮地に追い詰められながらも、気持ちは清々しい。
「世界は広いなあ……」
〈カチヌキファミリー〉という称号など、飾り物でしかない。一歩自分の知らない世界に出てみると、痛いほど事実を突きつけられる。純粋なほど澄み切って、真実だけを告げる戦い。それがどうして、今はもっと続けたいと願う。強さの源に触れ、ポケモンの一挙一動に歓喜の念を震わせたい。
「こんな強いトレーナーと戦えて」
滴る汗を拭いながら、恍惚とした笑みを張り付けて。
「ボクはもっと強くなれる」
今は敵わずとも、やがて必ずその土壌を崩すという大胆な宣戦布告を、シンジも真っ向から受け入れる覚悟だ。
「マフォクシー、きみにきめた!」
偶然の台詞に、思わず目頭が熱くなる。かつて見た二つの影が、目の前のチャレンジャーと重なるような錯覚に囚われ、瞬きせずにはいられなかった。
『 名前も声も知らない 第十四話 』
「ブーバーン、バトルスタンバイ!」
シンジが繰り出したポケモンは、今大会で初めて見る姿。無尽蔵のマグマを蓄えているのかと思わせる風船のような腹部に加え、取り付けられた銃口をこちらに向けて威嚇している。
「最後はほのおタイプか」
「炎を使えるのはお前だけじゃない」
万全のブーバーンに対し、マフォクシーはハンデを背負うような付加要素ばかりだ。ステルスロックの襲撃に膝をつき、身体を巡る毒で神経のはたらきも鈍っている。
「マフォクシー、これが最――」
苦しみを噛み殺してでも立ち上がるマフォクシーを鼓舞しようと、精一杯の言葉を考えるが、少し迷って言い方を変える。最後、ではあまりにも味気ない。
「ここから逆転だ!」
杖をぎゅっと握りしめ、確かにアユムの想いは伝わった。そう、いつだってこの一匹と一人は共に支え合って来た。ちょっとやそっとの脅威で挫けるほど軟弱ではない。
「威勢は良いな。だが、オレはもっと上に行く!」
「そういうことは、ボクたちを倒してから言いなよね!」
声を掛け合う二人、それまでは見えない壁のような隔たりがあった。しかし、今はお互いがお互いを認め、対等な立場で渡り合っている。そんな光景にシュバルゴは感じ入っていた。
残りポケモンがマフォクシー一匹だからといって、シンジはバトルを甘く見るつもりなどない。その証拠がこれだ。
「がんせきふうじ、発射!」
ブーバーンの手先から飛び出し、鎖の如く連結する岩石群。はがねポケモンの機械的なそれにも近い、慣れた動きでマフォクシーを翻弄していく。すかさず、マフォクシーは自らにサイコキネシスをかけた。浮遊術ならば、地上戦を強いられることはない。理に適った判断、しかしシンジは同じ手に二度もかからない。
「サイコキネシス!」
「向こうも使えるのか!? やるな……!」
ブーバーンの瞳が仄かに青白さを帯びるや否や、岩石の数々が持ち上がっていく。空中にいるマフォクシーを巨大な弾丸で狙撃するように狙いを定める。照準を合わせれば、後は標的が奈落の底へと落ちて行くのを見届けるだけだ。
だが、マフォクシーもただでは終わらない。加速も顔負けの俊敏な飛行を見せ、飛んでくる砲撃をいなす。杖から妖気が迸る!
「シャドーボール!」
「弾き返せ!」
マシンガンの如き連射に、念力の壁を設け、方向を捻じ曲げる。余波が僅かにブーバーンを後退させるが、ニヒルな笑みを浮かべるだけの余裕を見せつける。
「まずい、打ち消すんだ!」
マフォクシーも眼力を発揮し、シャドーボールが一直線に十字の爆発を起こす。防御のためには、技ごと消し飛ばすしかなかった。息つく間もなく、ブーバーン側の第二波が訪れる。
「がんせきふうじ!」
あくまでも地上戦で勝負を決めようという魂胆か。連なった岩が念力に操作され、均等な螺旋を描く。がんせきふうじと競い合うように大空を目指すマフォクシー。天井に激突し、大破した岩石が細かな刃と化し、血の雨を降らせる。マフォクシーは防御壁を作るために念力を回したため、浮遊術の効果は途切れてしまった。
「やられた……」
「これで条件は対等だ」
立ち込める煙を炎で払い除け、戦闘続行の意志を見せる。そうでなくては面白くない、というシンジとブーバーン。
向こうはかすり傷一つついていない。対して、マフォクシーは既に一戦終えた後だ。手負いの身では下手を打てば即刻、隙を突かれてしまう。とはいえ、この状況を打開するだけの策が思いつかない。マフォクシーのタイムリミットも、毒での消耗によって削られていく。砂は積もりに積もって、残りの粒が落ちてくるのを待っている。考える暇はない。やらない後悔よりやる後悔だ。
「やってみなくちゃ分からない、サイコキネシス!」
「10まんボルト!」
地を這う電撃の蟲が、束となってフィールドを荒らす。飛散した石塊が集中力を乱し、やはりサイコキネシスは不発に終わった。マフォクシーは軽やかに巨石から巨石へと飛び移り、牽制をものともしない。高い跳躍から、ブーバーン側の崖に殴り込みをかける。身体を回し、鞭打つように杖を振ると、先端からは烈火が迸る。
「マジカルフレイム!」
「かえんほうしゃ!」
互いの熱量は、少しも退く様子がない。崖際での攻防、スタジアムを一直線が貫く。
アユムの甲高い叫びとシンジの号令も加わって、会場の温度計は今にも破裂しそうだ。
「マフォクシー、いけえっ!!」
「ブーバーン、最大出力!」
ブーバーンが右腕を出し、更なる火炎放射を繰り出す。二対一では分が悪い。マフォクシーはこれを迎え撃つに、形相を険しくした。真正面から吹きかけられる熱風に歯を食いしばるも、杖は吹き飛ばされ、顔面に砲撃を浴びる。
『これは決まったかあっ!? マフォクシー、万事休す!』
うっすらと目を瞑り、焼け焦げた煤を張り付けながら、地上に伏す――これほどまで一所懸命に戦ったマフォクシーが倒れるというならば、それでも良いとアユムは思った。諦めではなく、自分のポケモンに対する敬意からの思慕だ。
優勝トロフィーはシンジの手に渡るが、元々そんなものに興味はない。
彼はポケモンバトルの意味を見出した。ポケモンと共に、最後まで戦い遂げた。これ以上ない幸せだ。彼の周りには沢山の味方がいる。それを思えば、これからだって頑張れる気がした。
ところが、アユムのパートナーは、思ったよりも負けず嫌いなようだ。
*
『おや、マフォクシーの身体が、七色の輝きに包まれている……。これはもしや』
「来たか」
シンジは感情の振れ幅を大きくすることなく、しかし期待していたように言う。
確かにまだスタジアムの地を両脚で踏んでいるマフォクシーは光に包まれている、というよりもむしろ、マフォクシー自身が七色に染まっているような錯覚すら覚える。
「もうか……」
振り向いたパートナーは、あくまでも不敵な笑みを浮かべている。このまま終わるなんて嫌だ、と言わんばかりに。ポケモンの意志がそうならば、トレーナーは全力で応えるのみだ。ポケモンのことを理解するために戦う、それがアユムのバトルだから。
「分かった。戦おう、存分に! キミが倒れるまで!」
マフォクシーは杖を拾わず、駆け出した。命を燃やした疾走が輪郭をおぼろげにする。既に身体はボロボロなのに、動きは見違えるほど速くなっている。
これしきで動揺を誘える相手ではない。ブーバーンは平静を失うことなく、発射口でマフォクシーを捕捉し続ける。ロックオンに一度でも捕まったらおしまいだ――掌から火が噴く。ブーバーンを炎の魔術が取り巻いた。自身の熱を遥かに超える業火に焼かれれば、ただでは済まない。
「がんせきふうじ連射!」
ブーバーンは片手を抑えつけ、大地に向かって連射。反動が飛躍的な上昇力を生み出す。驚いている暇はない。マフォクシーは念力で渦の形状を変化させようとするが、瞬間的にそれを拒否するような青白いフラッシュが迸る。10まんボルト、電気の帯が絡み付いて、赤と黄のストームが荒れ狂い、精製主をも巻き込んだ。
『これは、渦の中で決着をつけようという誘い込みか!?』
介入を断る壁。その中で落下するブーバーンと、マフォクシーの目線が交差する。
「がんせきふうじ! 上に撃て!」
「マジカルフレイム!」
二人の声は届いた。体力の差が幸いしたか、反応が早かったのはブーバーン。がんせきふうじが嵐の壁を貫き、穴がいくつも空いていく。マフォクシーは業火の鞭を振り回し、ブーバーンを腹部から吹き飛ばした。巨石をいくつも破壊しながら、ブーバーンはなんとか白線の内側で踏みとどまる。
「サイコキネシス!」
「最大まで溜めて、シャドーボール!」
シンジのバトルには次に繋がる鮮やかな伏線が張られている。がんせきふうじは渦を破る以外にも、マフォクシーを追い詰める後の手段として放たれたのだ。ここまでの流れを意のままに形作られながらも、アユムは夢中で叫ぶ。汗を散らして、トレーナーの本能が促すままに。
鋭角を描いて、岩石が飛び交う。一通り攪乱の軌道に沿ってから、一群が標的目掛けて飛んでいく。暗黒のバリアがこれらを打ち消し、肥大化するではないか。すぐさま牽制に移るべく、二匹は走り出す。
『シャドーボールをバリア代わりに、がんせきふうじを防ぎ切った!』
息つく暇もなく展開される技の応酬。会場中が、もっとこの駆け引きを見ていたいと願ったに違いない。しかし、物事にはけじめをつける必要がある。察したように、アユムはマフォクシーの限界を見計らって最後の指示を出そうと、息を吸う。
二匹は振り向きざま、これが決着になるだろうことを歴戦の勘から感じ取る。
「シンジ行くぞ! ボクたちの最大パワーだ!」
「来い!」
「マジカルフレイム!!」
これまでの戦いをその指示へのせるように。
シュバルゴにはその時、チームの想いを背負ったマフォクシーに、五匹の霊が寄り添ったようにも見えた。ミロカロス、ブリガロン、マンムー、オンバーン、ヘルガーがマフォクシーの背中を支える。それは儚い幻に過ぎないかもしれない。だが、今この瞬間を、アユムたちは一つにして生きている。
命を対価に繰り出される、アユムとマフォクシーを繋ぐ友情の一撃。
「かえんほうしゃァ!!」
シンジも声が裏返るほど、壮絶な勢いで命じる。
ブーバーンの豪腕から、爆炎が溢れ出す。灼熱は僅かに足りなかった出力を上回って、好敵手を完膚なきまで焼き尽くした後、大地を焦がすように暴れ回った。
数秒の沈黙を経て、審判が下される。
「マフォクシー、戦闘不能。ブーバーンの勝ち! よって、ローズシティ・ポケモンバトルトーナメント優勝は、トバリシティのシンジ選手!」
*
傷だらけのポケモンたちをすぐさまセンターに預け、アユムはシュバルゴと外界の空気を浴びていた。屋台は店仕舞いを始め、ドテッコツやヤルキモノたちがモニターを窺いながら、せっせと荷物を片付けている。
嗚呼、お祭りはこれで終わってしまう。そう思うとなんだか胸が締め付けられる。どこまでも広がる蒼穹の下は、石造りの道路だけが伸びる、いつもの無骨な風景に逆戻りしていた。
フルバトルを終えた後のアユムは、一瞬放心したように立ち尽くしたかと思えば、すぐさまマフォクシーの下へと駆け寄った。アユムがマフォクシーを抱きかかえながら目線を上げると、真っ赤な巨躯で堂々と起立するブーバーンの姿があった。戦いの中では想像出来ないほど優しげな目で、マフォクシーとのバトルを感謝するようにして、モンスターボールへと吸い込まれていった。シンジとアユムは互いに微笑み合うと、静かに背を向けて、フィールドを後にした。惜しみないスタンディングオベーションが鳴りやむのには時間がかかった。
ふと、シュバルゴが主君を見上げる。アユムは瞳を潤わせていた。今にもそこから、雫が止め処なく零れ落ちていきそうだ。
シンジはポケモンバトルへの目的を見つけていた。アユムはシンジとのバトルの中で、ポケモンバトルの意味を見つけた。その差は、埋めようもない溝となって現れた。
「ボクは、少しでも強くなれたかな」
歩を止める影に、シュバルゴも合わせる。戦いをずっと傍で見守ってくれた昔馴染みの仲にしかわからないことがある。ただし、答えを求めているのではなかった。
「アユム!!」
「うわあっ!」
怒鳴り声に驚きすぎるあまり、勇ましきポケモントレーナーのアユムから、可愛げのあるショウブタウンのアユムへと様変わりする。弟の間抜け面を久々に見られて満足したテルマは、彼と距離を保ったまま仁王立ちを決め込んでいる。
「兄さん、おどかさないでよ……。運営はどうしたのさ」
「抜けてきた!」
キッパリと言い放つ無責任さに唖然とし、アユムは開いた口が塞がらない。こんな奴が地位を得ているとは世も末だ。
「ってのは冗談だ。ちゃんと許可をもらってきた」
「なんでもいいよもう……」
アユムがおずおずと上目遣いで半ば迷惑そうにしていると、テルマはお気楽そうな表情から一転、真面目に切り出す。こうなった時は重大事項を発表すると相場が決まっている。
「アユム、オレはお前を大会に出すようけしかけたが、燻っていたのはむしろオレの方だった! 兄として、お前には厳しいことを言ってきた。だが、それも今日でおしまいだ」
「お前に教えることはもう何もない。お前はオレを超えた。だから、今度はオレがお前に追いつく番だ」
それは、ポケモントレーナー・テルマの復活宣言だった。
「じゃあ……もう一度、トレーナーを?」
「ああ、一からやり直す。第一、上から見てるだけなんてオレの性には合わなかった。ああいうのはエラいオッサンにでも任せておけばいいんだ」
「は、はあ……」
大人の事情は、十歳のアユムが考えるには早い事柄だが、テルマがバトルに一喜一憂している様を思い浮かべるのは容易だ。従来のテルマなら、何時間も椅子に腰かけていることなど耐えがたい拷問に等しいのだから。
テルマは指を突き付け、事細かに告げる。
「いいか、一年。一年だ。オレは生まれ変わっているだろう。次のセイエイリーグに出場し、優勝する。そして、チャンピオン・ライゾウを倒す! その時、チャンピオンリーグを賭けた一戦を行う相手は、お前でありたい」
遠回しな彼の言葉を要約すると、アユムとセイエイリーグの決勝を戦う約束を取り付けたいのだった。言いたいことを一通り終えると、テルマは誇らしげにうんうん頷き、勝手に踵を返す。さよならの一言も何もないのが、なんともテルマらしかった。彼は別れの言葉を好まない。
「なんだったんだ」
アユムとシュバルゴは顔を見合わせ、衝撃を共有する。しかし、アユムのバトルがテルマに火を点けたのだとすれば、それは光栄なことだ。
「兄さんがライバルかあ」
テルマの背中を追い続けたアユムとしては、少し複雑な心境に苦笑いを浮かべるが、悪い話ではない。間違いなく、テルマは次のセイエイリーグに現れ、旋風を巻き起こすだろう。彼はそういう人間だ。
「アユム!!」
「うわあっ!」
それから数分して、同じことが起こった。今度は割と高い声だったため、誰が発したものかはすぐに検討がつく。
「なんだよ続けざまに……」
「お前何やってんだ! シンジとライゾウさんの試合、始まっちゃうぞ!」
*
ユウリに引っ張られてきたおかげで、チャンピオンと優勝者の試合を見逃さずに済んだ。観客席の最前列で、ホクトとシューティーが息を切らしたアユムをやっと来たかという風に眺める。アユムとは久しぶりの対面にもかかわらず、ホクトの第一声は憎まれ口だ。
「どこをほっつき歩いてたんだ?」
全速力を出した後だから、頭の回転が鈍っている。何故ホクトたちがいるのだろうと考え、一緒に決勝を観戦していたのだという結論に行き着く。
「見ろ。オレたちが目指すものがどれほどのレベルか、今にわかる」
運動不足を痛感する我が身をおして縁を掴み、前のめりに突き出す。
ホクトの言葉を皆が噛み締めるように、数多の視線は一空間へと収束する。
「お前さんは、何のためにポケモンバトルをする?」
茶けた和装にチャンピオンマントを上手く調和させた渋い格好を着込み、気品と風格を如何なく発揮するライゾウが問う。この迫力に動じないだけでも、シンジは上級に位置するだろう。
「オレとポケモンたちのバトルを、つくりあげるためです」
間髪入れず返された答え。ライゾウは我が子を想う親父のように顔を綻ばせる。
「良い答えだ。楽しいバトルにしようぜッ!」
巨木が根をおろし、風にそよぐ平原。そんな世界が甲羅という枠の中に形作られている。命が芽吹くように、青々と生い茂って。昔、絵本で読んだことがあった。ドダイトスの背中で生まれ、ドダイトスの背中で一生を全うするポケモンの話を。
対して、チャンピオンのポケモンはガブリアス。ライゾウを絶対王者へと押し上げた最愛のパートナー、と言われている。
これはお互いのパートナー対決でもある。シンジは最後の最後まで、ドダイトスを温存していた。目覚め立てのまなざしが静かに真意を問う。
もしも、自分があの場所に立っていたら――。誰にもぶつけようもない後悔をも内に受け入れながら、今は出し得ない答えに思い馳せる。
タクトとアユムという強豪を下しても、シンジはまだ対チャンピオン用の戦力を隠し持っていた。甘く見られていたわけではないだろうが、本気を引き出せなかったことは何より心残りだ。悔しさをバネに、なんだって吸収してやろうという野心がアユムの原動力と化す。
まずはチャンピオンの出方をうかがっている。軽く砂塵がガブリアスの足元を舞い、駆けた! 観客の何人かが早速声を上げる。これまでの試合で見たポケモンの動きとは訳が違うからだ。ガブリアスの地を離れた瞬間が見えない。同じく観客となってライバルの戦いを見届ける四天王のシンには、もしかすると見えているのだろうか。
重量級のドダイトスでなければ、始まる前から勝負はついていただろう。
ガブリアスの突進を真正面から受け止めた。僅かなる後退。すかさず捕縛の罠を仕掛ける。あれはやどりぎのタネ――動きを束縛し、相手の体力を養分に換える技だ。
放たれたタネは一刀両断。シンジの表情を見るに、これは本命ではない。口元から覗くキバに炎の影がゆらめく。
しかし、速すぎる動きは時に自爆を招く。
ロックカット、というシンジの指示が会場に通った。
ガブリアスのスピードによって生まれた風が、身の垢を万遍なく削ぎ落とす。無駄を捨て去ったたいりくポケモンは生命の鼓動を漲らせる。ひとたびフィールドを踏み鳴らすと、地中から素早い蔦の応酬が繰り出される。ハードプラント、最大までポケモンとトレーナーの信頼が高まっている証だ。テルマとリザードン以外、使える者はいないと思っていた。
ドダイトス自身の研磨により、技を発動する際の隙が減少。足場を奪われ、意のままにバランスを崩されるガブリアス。
恐らく、シンジの狙いはここだ。あとは確実に攻撃を当てさえすれば、ガブリアスとてただでは済むまい。チャンピオンのバトルスタイルを逆手に取らなければ出来ない芸当だ。多くの者はマッハの挙動に攪乱され、攻めの限界を感じて自棄を起こし、一撃離脱戦法の前に手も足も出ない。シンジは、ライゾウのバトルビデオを何度も研究したに違いない。
大の字を描いた蒼炎が迸り、ハードプラントを消し炭に変えていく。ドダイトスは歯を食い縛りながらも、シンジの声に応える。
あの場に、自分も立つことが出来たら。アユムは一人と一匹の輪郭に自分たちを重ね合わせる。マフォクシーだったら、次はどう出る? アユムは想像する。
ドダイトスが大地を鳴動させると、蔦はガブリアスを絡め取ろうと交差する。檻のように行く手を阻む究極技を軽く断つガブリアス、竜巻そのものだ。
それでも、シンジは声を張り上げ、ドダイトスはハードプラントを諦めない。間隙を縫うも、次の蔦が襲い来る。それをいとも簡単にいなし、叩きつけ、燃やし、駆け抜ける。だが、ガブリアスも全ての蔦の出現箇所を把握し、処理出来ているわけではない。死角から伸びる一撃。チャンピオンの独壇場に旗を突き立てる!
会場が絶叫で湧いた。「生きる伝説」とまで称されるライゾウに一矢報いるトレーナーが現れるのか。新たなる時代はすぐそこまで迫っている。
宙に放られたガブリアスから誰もが目を離さない。脇腹を抉る刺突、しかし敵の眼は鋭いままだ。ライゾウが拳を突き上げた。それを見て観戦者のシンが嬉しそうに笑い、アイアンヘッドだ、とひとりごとを呟く。
実況が、ここから技を繰り出す体勢に入るのか!? と絶句する。否、語弊がある。不可能を可能にする者だけが、チャンピオンになれる。アユムは最強の風を感じた。
ガブリアスが総身を翻し、全エネルギーを頭部の頂点に収束させる。硬化、落下の勢いに重さが加わり、銀色の矢となった。この世のありとあらゆる理を平気で突き破る、力だ。
土煙が晴れ、崩れ落ちたドダイトスに「押忍」のポーズを取る。勝負はついたが、最後までガブリアスの後姿を見届けようとするドダイトス。瞼は痛みには耐えられなかった。
「ドダイトス、戦闘不能! ガブリアスの勝ち! よって勝者、チャンピオン・ライゾウ!」
鳴り止まぬ声援を受けるライゾウ。シンジに勝てたことをただの防衛とせず、本気で喜んでいる。ガブリアスを大いに褒め称えてから、モンスターボールに戻す。
シンジはアユムがそうしたように、ドダイトスの下まで歩いて行った。目線を合わせ、端的に不器用な愛情を示す。
「ドダイトス。良いバトルだった」
チャンピオンと握手を交わした後、シンジはその背中に向かって頭を下げた。トレーナーとして忘れてはならない礼儀。戦いに対する感謝の念。
身体を斜めに向けると、シンジは審判にも礼をした。ここまで彼らのバトルを見守って来た男性にも思うところがあっただろう。彼は爽やかに礼を返す。
シンジは敗者の定めに則り、スタジアムを後にした。
運営側のシンがマイクを付け、優勝者の表彰及び閉会式を行う旨を伝える。それまで観客席にいたトレーナーたちは重い腰を上げ始めた。
「閉会式だよ」
ユウリが振り向くと、アユムはまだスタジアムを見つめたままでいる。
「アユム?」
「あ、うん。行くよ」
結局、大会でライゾウの姿をまともに見られたのは今のバトルだけだ。彼はアユムを見てくれただろうか。数ヶ月前とはもう別人だと、気付いてくれただろうか?
これまでの自分を支えていたものが、ひとつずつなくなっていく。
*
興奮に次ぐ興奮が反動となったのか、その分閉会式は慎ましやかに執り行われた。
出場者たちは一斉にポケモンセンターへと向かい、旅支度を整える。彼らに腰を落ち着ける場所はない。ポケモンがいるところ、トレーナーは現れる。
観客たちは、あのバトルが良かったとか、この場面はどうなるかと息を呑んだとか、そういったことを語り合って酒のつまみにする。
この大会は、多くの者たちに意味を与えただろう。誰もが悩みを抱え、戦い続ける。前に進むということは、すなわち困難を避けては通れないことと同義。類は友を呼ぶということわざがある。ポケモントレーナーもまた然り。バトルの更なる促進として、一役買ったに違いない。
「さて。オレはこれからどうするかな」
運営陣が解散し、協会側の人間が後処理を行うことになっている。テルマの役目は終わった。もっとも、彼が注力したのは大会というより弟の叱咤激励だが。
今になって思えば、テルマはアユムに過去の自分を重ねていたのかもしれない。自分の叶えられなかった夢を弟に託す――ただの傲慢だ。アユムの道を決めるのはアユムであって、テルマではない。だから、自分の力でやり直すことにした。
「ん、どうしたリザードン?」
ボールで翼を休めるリザードンが、羽ばたくきっかけを見つけたとばかり、腰のベルトを揺らす。ガラスにぴったり張り付いて、それは高尚な存在を目の当たりにしたような態度だ。
炎の帝王とそのトレーナーが、こちらを見つめている。
「また会ったな」
「ああ。エンテイが立ち止まったと思ったら、やはりキミたちだったね」
テルマがからかうような笑みを投げかけると、エンテイが目を瞑った。照れ隠し一つとっても威厳が溢れている。
「アンタはこれからどうするんだ?」
「ボクはトレーナーとして、エンテイたちをもっと知らなければならない。そうだな、カロス地方に行き、バッジを集めるつもりだ」
「カロスか。キンカンで船に乗るのか?」
「丁度ミアレシティ行きの船が出るんだ」
テルマは腕組みをして、少し考える。カロス地方を旅して、もう一度セイエイに戻ってくるのも悪くない。
「どうする、リザードン?」
リザードンは翼を広げ、大袈裟なぐらい賛同の意を示す。
「オレたちも着いて行っていいかな? もう一度トレーナーとしてやり直そうと思ってるんだ」
「それは奇遇だね。なら、キンカンまで一緒にどうかな。エンテイも喜ぶだろう」
エンテイはあくまで無表情だが、タクトとテルマの間では話がまとまった。テルマはかつて目にすることすら眩しかった伝説のポケモンに笑顔を向ける。新たなる目標を見つけたテルマもまた、吹っ切れて良い表情をしていた。
*
夕日が差し込む頃合になった。
トロフィーを持て余しながら通信するシンジの姿に、画面越しの兄は苦笑する。こういった表彰を受けるのはいかにも不慣れといった感じだ。意外とマメに連絡をよこす仏頂面の弟を、兄は惜しみなく賞賛した。
『たまには帰って来いよ。リングマたちも会いたがってるぞ』
「ああ。リーグが終わったらな」
『行けそうか?』
「やれるだけのことはやる」
『その意気だ。リーグに向けて、こっちも調整しておくからな』
「わかった。後でドダイトスたちを送る」
『了解。じゃあな、シンジ』
通信が切れると、金髪の少年がポケモンセンターを出て行くところを目にする。シンジも兄との話を終えたら、すぐにローズを去るつもりだったため、ナイスタイミングだ。
「リーグに出るのか」
「シンジ。……ああ、セイエイリーグまではまだ期間があるからね」
「そうか。なら、今度は本選で当たるかもしれないな」
「その時は負けないよ」
大会で結ばれた縁は、それぞれの新たなる旅立ちに明るい兆しを投げかける。シューティーとシンジも例外ではない。
アユムは、直感的にこの街をまだ離れるべきではないと思った。だから、これといったあてもなく、ポケットに手を突っ込み、閑散とした景色を一望する。誰かに会えることを望んでいるのかもしれない。ライゾウとの再会が叶わなくとも、せめてライバルになれた友ぐらいは。いつでも偶然の出会いを欲する自分は、まだまだ寂しがりやの域を出ない。
だから、気付いた時には傍にいるこの少女を時々、愛おしいと思うことがある。
「アユム! シューティーたち見なかったか!?」
「えっ、ボクは見てないよ? もう出発したんじゃないかな……」
夕方だと、船の出航時刻も連なるだろう。
「ちくしょう。別れも告げずに行っちゃうなんて卑怯だ!」
改めて、純粋な人間だと思う。卑怯というのは毒舌も過ぎるが、声のひとつぐらいは確かにかけてくれても良いような気がした。それとも、敵同士が縁故を重んじるのは間違いなのか。どちらにせよ、悔しさを一度シンジにぶつけなければ、収まりがつかない。
石段を上がる一歩、細くとも堂々とした背筋がぴんと張って、二人は旅路を共にするところだった。このまま声をかけなければ、気付かれることもないだろう。しかし、なんとなくシューティーが後ろを振り返ったのは幸いだ。息を切らしたアユムとユウリの姿を見て、シンジの肩をほんのちょっと叩く。
振り向いた二人は、少しばかり意外そうにしていた。まさか追ってくることはないと思っていたのだろう。アユムたちは石段には上らず、敗者の位置に留まる。切り出したのはユウリだ。
「……もう行っちゃうのか?」
「セイエイリーグが控えているからな」
人々がまばらになった街並みでは、高低を問わず、互いの声がよく通る。去りゆく人々やポケモンの中で、シンジたちにとって二人だけは特別に見えただろう。
シンジはアユムの方に振り向く。
「戦う意味は見つかったようだな」
「シンジ、いや……それだけじゃない。ここにいるシューティーやユウリ、それにホクト、タクトさん、ライゾウさん……みんなのおかげだよ」
「そうか」
素っ気なく、だが彼なりに感情を込めた相槌を打つ。
「二人とも、リーグには出ないの?」
アユムとユウリは顔を見合わせる。考えていることは同じのようだ。
自らの未熟を認め、これからの展望を晴れやかに語る彼女の横顔はどこか楽しげですらある。
「あたしは、もっとジムリーダーになれるだけの実力をつけてからにする」
「ボクも、今回は見送るよ。今はもっと、ポケモンたちと旅をしたい」
「残念だけど、トレーナーを続ける以上、また会う日が来るだろうね」
「シューティー、今度は負けないからなっ!」
ユウリが指をさし、宣戦布告する。シューティーはいつでも受けて立つという調子だ。
活発な二人とは対照的に、アユムとシンジは静かに視線を交わす。何も言わなければ、相手は振り向いてくれない。追う側はいつだって、上だけをまっすぐ見ている。そうは言っても、気付かせなければ何も始まらない。
「ボクはシンジに負けて、悔しかった。すごく悔しかった!!」
声が枯れ、涙が入り混じる。アユムが初めて抱く、悔しい、という感情。
正念場において、ずっと勝ち星だけをあげてきた。しかし、上には上がいる、競技の厳しさを思い知った。
「オレはお前とバトルが出来て、良かった」
それは紛れもない、シンジの本心だ。御世辞でも愛想を振りまくでもなく、ストイックに強さだけを求める彼もまた、アユムとのバトルを楽しんでいた。
アユムはどこかで、シンジに恐れを抱き、一歩退いていた。決勝戦の試合内容を見れば、タクトの方がシンジを追い込んでいたのは一目瞭然である。
自分とのバトルに満足していない、これからの記憶に書き換えられてしまう程度の薄っぺらさ。アユムというトレーナーが、シンジにとってはさほど重視する要素には成り得ないのではないか。漠然とした不安に襲われ、暗澹とする気持ちを持て余しながら、ここまで来た。
だが、シンジの口から直接聞けて、もう思い残すことはなくなった。
「今度は。負けないからね!」
悔しさを滲ませながら、軽く涙ぐんで。
シンジは頷き、踵を返す。それに倣い、シューティーも手を振る。またいつか、出会うことを信じ、今は別れを告げよう。出会えたという事実に、感謝しながら。
*
石段を上る人々が彼らではないとわかっていても、一点を凝らすように目を離さない。夕日を受けて、二人の瞳が赤々と燃える。何かの拍子に戻ってこないか、そんなことも望まなかった。別れの後に残るものは、他人を求めることでしか癒せない渇きだ。しかし、傍らにはまだ少女がいる。
「ユウリとの決着、まだきちんとつけてなかったね」
本人の方を向かないまま、来るべき時の訪れを告げる。
「今のあたしじゃ、きっとアユムには勝てない」
一歩進み出て、夕日を背に浴びながら。ユウリはそっと振り返る。
「あたしがジムリーダーになったら。一番最初に戦ってくれないかな?」
「その時は、ボクが挑戦者第一号だね」
時を経ても色褪せることのない約束を刻みつけて、彼らは白線を越える。
戦いは終わった。
始まりがあるから、終わりが来る。終わりが来るから、始まりがある。
ここからが、スタートラインだ。