本編
第13話「だからスタジアムに立つ」


『ミロカロス、劇的な逆転を果たしました。数の上ではアユム選手が一歩リード。さあ、シンジ選手の二番手に注目が集まる!』
 ミロカロスの心の傷を抉り、手痛い一撃を与えながらも、ガマゲロゲは健闘空しく散って行った。敗者はボールに戻るという定めに従って、無慈悲にもバトルは進む。
 傍らにて決闘の行方を見守るシュバルゴが何より恐れているのは、表情の一切を崩さないシンジの冷徹さだ。これが自分の仕える君主ならば、動揺と自責の念が脳裏にすぐ浮かぶ。シンジはそういった感情一切の発露を固く禁じ、貫禄を滲ませている。
 たしかに、トレーナーは戦いの要、故に情緒の変動は敵に等しい。とはいえ、シンジの冷静さは異常だと言わざるを得ない。これがあらゆるリーグを転戦してきたトレーナーの地力だとすれば、いよいよアユムの進撃にも区切りが付く頃かもしれないと、観戦の身でありながら密かなる覚悟を胸に灯すのだった。


 『  名前も声も知らない  第十三話  』


「キリキザン、バトルスタンバイ!」
 透明な光は、兜を体現したような赤いポケモンの出場準備を整える。主君に跪く姿勢のまま現れ、刃を纏う屈強な上半身を起こす。流麗なボディを傷つけられてしまうと考えた時、またもやミロカロスにとっては分の悪い相手と言える。
「まだ行けるかい、ミロカロス?」
 ミロカロスはアユムを見ず、尻尾を鋭く振って応える。案ずるまでもない、ここはミロカロスの戦意と闘志に任せよう。
 しかし、次の瞬間にはシンジが厳しい戦士の皺を刻み付ける。静かな闘志が明るみに出るこの瞬間、アユムは唾を飲んだ。
「ミロカロス、構えて。れいとうビームで威嚇!」
「突っ込めキリキザン!」
『第二回戦のゴングが鳴った! おおっとキリキザン、素早い動き。れいとうビームの洗礼をかわしていくゥ!』
 先発と比べれば華奢だが、接触を許さない身体を武器に加え、風を切るような動き。疾走の最中に少しずつ腕を引き、牽制の前触れを見せるかのような挙動。喉元に手刀が迫る!
「尻尾でガード!」
 尾を盾にキリキザンの腕を受け止める。衝撃に仰け反り、僅かな隙が生まれたがそれを潰そうとする。ミロカロスの鱗は、ふしぎなうろこだ。状態異常になると加護の力が増す鱗は、ドラゴンタイプのそれにもひけを取らない屈指の硬さを誇る。キリキザン如き、攻撃を受け止めることなど造作もない――と思われたが。
「はたきおとす!」
 ミロカロスの身体をバネ代わりに脚を付け、大きく旋回。真剣白羽取りの如く、両手を合わせ、一挙に振り下ろす。ならば、退避を命じるのが吉だ。
「横にかわして! れいとうビームで防御壁を作れ!」
 掴み所のない水の流れのように、ミロカロスがたなびく。頭部の触覚から空気を凍らせる冷気が紡がれ、フィールド全土に氷の道を開通させる。串刺しの罠を張り、キリキザンを待ち構えようという魂胆だ。喉元を逆に狙い返す。願わくば、はたきおとすの威力ごと軽減したい。
 しかし、この程度の見え透いた罠にかかってくれるほど、敵は親切ではない。
「アイアンヘッドに切り替えろ!」
「しまった!」
 痛恨のミス。シンジの命令によってキリキザンは戦法を百八十度切り替え、重力の恩恵を味方につけて落下してくる。増す勢いは隕石の如く。氷が嘘のように削られ、迎え撃つための段取りはまるで意味を為さなかった。
 瓦割りの要領で、破片が宙に舞い、切り取られたフィールドを映す。破壊活動の余波を被り、突き刺さる氷塊の断片と付着する泥で体力を奪われる一方だ。
「でんじは!」
「まずい、うずしお!」
 間髪入れぬ動作の継続。計算された指示に、シュバルゴは目を見張る。
 金属製の両手を擦り、磁場を発生させる。渦の中心へと投げ込まれたそれは、ミロカロスに直撃し、甲高い悲鳴と共に掻き消えた。
「アイアンヘッドでとどめだ!」
 ロケットずつきかと見違える迫力で突っ込む。ミロカロスは回避行動を取るよりも悔しさを露わにした。試合を捨てたのではない――危機回避的本能に従って出そうとした技よりも、キリキザンの鍛え上げられた迅速が勝っただけの話だ。
 渦潮を容易く突破され、壁に打たれる。咄嗟にシュバルゴがアユムを見上げる。ここでミロカロスを戻せば、最悪の事態は防げる。しかし、助言やそれにあたる仕草等も許されていない以上、判断はアユムに仰ぐほかない。
 しかし、ミロカロスはアユムを見上げる。火を点けられた熾烈な瞳は、まだ戦えると訴えていた。ボールを構えかけたアユムも、今回ばかりはミロカロスを頼みの綱にする。
「はたきおとす!」
「零距離でれいとうビーム!」
 確実に仕留めるため、片手のみを振り上げるキリキザン。両手を合わせる時よりも力こそ減るものの、大振りから生じる隙を最大限削ることが出来る。会場中が釘付けにされた。れいとうビームが決まるか、はたきおとすが先か?
 勝利の女神は、アユムを嘲笑う。
 ミロカロスの全身に電流が走り抜ける。相手からすればこれ以上ない最高のタイミング。思わずアユムは歯軋りし、目を見開いた。後は、キリキザンの手刀が振り下ろされるのを黙って見つめるしかない。
「ミロカロス、戦闘不能! キリキザンの勝ち!」

 束の間のリードもすぐイーブンに戻されてしまった。会場の興奮からは取り残され、独りアユムは致命的な判断ミスをしたことを悔やむ。
 本当ならば、ガマゲロゲを倒した時点で、ミロカロスを入れ替えるべきだったのだ。入れ替えを誘発する場面は何回かあった。それでもアユムは、ミロカロスのやる気に委ねた。それはシンジからすれば、有り得ない選択だっただろう。そして、自分でも驚かずにはいられない。
 機械的に効率良く戦いをこなしてきたアユムの中で、何かが変わりつつある。
「よく頑張ってくれた。後は任せて、ゆっくり休んでね」
 ミロカロスに労いの言葉をかけ、沈みかけた心を発起させる。
「凹んでいる暇はないよね」
 シュバルゴが安心したように頷く。今の彼なら、何が正しく、何が誤りだったかをすぐに吟味することが出来る。アユムはにいっと歯を見せて笑い、次なる挑戦者を送り出す。
「巻き返していこう。ブリガロン!」
 老齢の騎士、いわばシュバルゴの先輩にあたるポケモンが、ミロカロスの無念を晴らすように大地を踏みしめる。幾多の棘を乗せた甲羅に、守るための腕を携えて。
 やはり、ステルスロックの小爆発が最初に襲い掛かった。だが、アユムとブリガロンにはオンバーンの残したおいかぜが吹いている。彼らは独りで戦っているのではない、それを感じさせるような温かい風だ。
『おっとシンジ選手、ここでポケモン交代だ!』
「コジョンド、バトルスタンバイ!」
 秀麗な動きでゾロアークを翻弄したコジョンドが、ここにきて現れた。かくとうタイプ同士の対決と洒落こもうという誘いだろうか。無論、真っ向から受けて立つまでだ。水中戦を終えたスタジアムがせり上がり、両者の視線が交差する。


 *


 ここまでの戦局を整理しよう。
 互いの手持ちは六匹の内、一匹が既に戦闘不能。シンジはガマゲロゲを、アユムはミロカロスを失っている。パーティバランスの考慮という専門的な見地に立てば、これ以上みずタイプを隠し持っている可能性は薄いといえる。特殊な水流を操り幻惑に陥れる妙技とは異なる戦慄が、まもなくアユムたちを襲うことは明らかだ。
 いつ踏み出せば良いか分からない、一瞬の緊張感。先攻を買って出るか、後攻にて迎え撃つか? 一つ判断を誤れば、その失敗が戦略全体を瓦解させる。
「まだだ。いいか――」
 一歩前の土を踏もうとしたブリガロンに鋭く制止を促し、作戦内容を告げる。
 一方、敵方――首を屈めるや否や、先程までそこにあった紫色の輪郭が消えた。残っているのは、助走の際に発せられる土煙のみだ。タイミングを見誤ることのないよう、アユムは辺り一帯に声を響かせる。
「ガードで迎え撃て!」
 エンテイ戦でその実力の一端を見せたコジョンド、その時は敵との力量差にあえなく撃沈するも、その限界を悟らせたわけではない。未成熟のアユムたちにとっては、十分な脅威と成り得る存在だ。
 ブリガロンは簡潔な指示一つから、求められている事柄を理解する。おいかぜの援助があって、反応も速い。両の拳を突き合わせると、腕の甲から身を護る盾と化していく。堅固鉄壁、隙のない緑色の棘が伸び、攻撃側が致命傷を浴びることは不可避に思われた。
「甘い!」
 コジョンドが寸前のところで膝を引っ込め、手刀に切り替えた。その技をアユムは過去に一度見ているはずだ。忘れているとすれば、観察不足か集中力の欠如。
 どちらにせよ、シンジにとっては大きなアドバンテージ。タクトと同じ罠にかかった――勝ち誇ったように口角を吊り上げる。
 死角から鞭のような一撃が差し込まれる、そう睨む観戦者の度肝が違う意味で次には抜かれていた。
『いや、これは見えている。見えているぞ! アユム選手の策略にはまったのは、シンジ選手の方だ!』
 シンジは歯を食いしばり、声にならない唸りをあげる。決勝の相手が自分よりも更なる上の読みを行ったと痛感したに違いない。
 ブリガロン、そしてアユムはフェイントの襲来を予期していた。ニードルガードはコジョンドにフェイントを使わせるための囮に過ぎない。アユムは拳を突き上げ、手の内までをも隠していたベールを脱ぐように堂々と命じる。
「アームハンマー!」
 コジョンドの細い体躯では、ブリガロンの腕力に抗えるはずもなく。ひらりと投げ飛ばされた獲物を上から叩く! 豪快な振り下ろしによって、ひとたまりもなく相手はフィールドへと真っ逆さまだ。快哉を上げたくなるような決定打。
 だが、コジョンドの掌には青白い気が漲っている。それが何であるか、分からないはずもない。
「波導……!」
「お前のおかげで、オレのコジョンドの攻撃がブリガロンに対して通じないことが分かった」
「どういうことだ?」
 着地間際、コジョンドは、はどうだんをクッション替わりに衝撃を和らげた。着地の際に生じる隙をなくし、素早い反撃へと転じるためだ。ブリガロンが追撃を加えようとしたところを掴みあげ、膝で上空に打ち上げる。無駄のない洗練された動き。ニードルガードを自ら解除したブリガロンには手痛い一撃となるだろう。
「めざめるパワー!」
 コジョンドの波導が、見る間に凍てついていく。技を出す速度なら、はどうだんの方が早いはず。ここでめざめるパワーを指示することに、勝負を決めようとするシンジの本気を感じずにはいられない。
「ぼうだんを見透かされている!」
 ブリガロンの特性は二種類発見されている。
 一つは〈しんりょく〉で、満身創痍になると極限の集中力を呼び覚まし、己が得意とする草の術を如何なく発揮するもの。
 だが、それは研究もまだ浅い頃の話。ポケモンの中には、そもそも発見されにくい特性を持つ個体がいるとの論文が発表された。「一つの種族につき、二種類までの特性を有する」と定義した学会を根本から揺るがす事実。それは「かくれとくせい」と名付けられ、今日では当たり前のこととして認識されている。

 里で暮らすハリマロンと、アユムは出会った。
 ハリマロンは、近辺の野生ポケモンが使用する一定の技を防げるという魔除けのような特性〈ぼうだん〉(コジョンドのはどうだんを始めとした技が該当する)を持って生まれたことから、里を守るリーダー的存在として憧憬のまなざしを投げかけられていた。
 しかし、長のブリガロンはそんなハリマロンに頼りきりな同族たちを案じ、あえてハリマロンを旅に出させるよう取り計らう。時間を見たかのように、里の危機は訪れた。
 アユムたちの手伝いもあって、ハリマロンたちは襲ってきたゴーストの群れとも互角以上に戦う強さを身に着けた(しかし、それはブリガロンとゲンガーという、群れの長同士が練った自作自演だったのだが)。仲間の勇気を見届け、自分がいなくても里は大丈夫だと確信したハリマロンは、新たなる付き人にアユムを選んだのだ。

 ブリガロンの脳裏には、ふとそんな過去がよぎった。背水の陣にも等しい状況にして、このような走馬灯が浮かんでは消える。戦いは自らの恥ずかしい歴史をも晒す酷な現実だ。
 今にもコジョンドの技が炸裂の頃合をうかがっている。追い風も切れた。そんな逆境を打ち破るだけのパワーをブリガロンは有している。アユムの一声があれば、守る者としての強さを誇示するだろう。
「キミに託す! ブリガロン、グロウパンチ!」
「めざめるパワー、発射!」
 ブリガロンは落下も構わず、腕を引き、爆裂の魂をその手に宿す。炎のように燃え上がる成長の拳が大地に向かって解き放たれるのと、凍てつく波導の激突には僅かな差が生じた。めざめるパワーが直撃し、グロウパンチの威力が落ちる。それもそのはず、アームハンマーを一度使用したことで、ブリガロン自体の消耗は激しくなっているからだ。リスクを承知で、アユムはブリガロンが勝利を招くと疑わなかった。

 スタジアムを赤と青の爆風が覆い、アユムとシンジをさらうように吹き付ける。二人とも目を瞑らず、自分のポケモンが最初に立ち上がることに絶対なる信頼を置いた。
 先に立った方は、愉悦に浸ることも許される。それが勝者の特権だ。
「ブリガロン、戦闘不能! コジョンドの勝ち!」
 無念の表れと仲間への賞賛を織り交ぜ、顔を俯けるシュバルゴ。これで完全なる逆転を認めてしまった。
 ブリガロンの力がきっとコジョンドを上回るものだろう、という夢のある仮定は見事に粉砕された。心のどこかで奢っていたのだ。ブリガロンを見下ろすコジョンドの威厳が更に増したようにすら思われる。アユムが意を決してまともに目線を合わせようとした時には、赤い光となってフィールドを後にしていた。
 口をついて出て来るのは、弱気な思い。
「強い……」
 シンジはアユムの感想など意に介さない。それよりも沈黙を守っていた彼が気にかけているのは、アユムのバトルそのものにあるようだ。
 キリキザンのみならず、コジョンド戦でも失態を演じたことは否定しようもない事実。効果抜群のめざめるパワーを侮り、更に素早さで負けたことから、ブリガロンは戦闘不能に追いやられた。チームの肉体的・精神的支柱が失われたことによるひずみは大きい。残り四体、どこまで食らいつけるか。
 ミロカロスを戻せば、ブリガロンを戻せば。悔いても仕方のないこと。後の祭りと片付けるのが賢明な判断。シンジならば迷いなく交代させるのかもしれない。しかし、アユムとシンジは似て非なるトレーナーだ。強さを求めるプロセスも、ポケモンバトルにおけるスタンスも。この世界に、何一つとして同じなものなどないように。
「それがお前たちの全力なのか?」
 面と向かって言われ、返す言葉もない。全身が総毛立つ。ここに立っている自分ごと否定されているような気分。シンジはこれっぽっちも満足していない。二人の間に立ちはだかる歴然の差は、これで証明されたことになる。

「シンジの奴、アユムが全力じゃないって言いたいのか!?」
 これに反応したのは他でもなく、己の器を満たそうともがき苦しみ、それでも前に進もうとする空虚な人物の意志を傍らで見守ってきた、ユウリだ。しかし、隣席の者たちは安易にアユムの味方をしてはくれない。それどころか、突き放すような物言いをする。
「いや、事実だ。そうだろ、タクトさん?」
 厳しい立場を演じながらも、アユムをライバルとして認める素直な心からシンジに言い返したい――そんな気持ちを押し殺し、厳しく我を曲げんとするホクトの様子が目に映り、押し黙る。
「準決勝を戦ったトレーナーなら分かる。オレたちと違って、あいつには戦うだけの理由がない」
 明確な目的が見出せないまま、ここまで登って来た。否、正しくは答えから目を背けたまま、器用な誤魔化しを利かせることで問答を避けて通った。
 ――お前さん、何のためにポケモンバトルをする?
 決勝という晴れ舞台にもなって、最初の言葉が余計に重い響きを持つとは、皮肉なものだ。


 *


 間違いなく最良のコンディションにあるはずだった。気負うこともなく、萎縮することもなく、団結だけを望んだ。しかし、猛者にかかれば、降りかかった火の粉を払うのに一振りで事足りる。司令塔がタクトを振るだけで、いとも容易くその差は開く。
 モンスターボールを握る手がかすかに震え、何度も瞬きする。良くない兆候だ――シュバルゴは不安そうにアユムを見上げる。これがバトルに悪い影響をもたらさなければいいのだが。
「ガチゴラス、バトルスタンバイ!」
「行けえッ、マンムー!」
 シンジがアユムの平静を乱すために挑発を仕掛けた、とあたかも精神攻撃的に解釈する者もいるだろう。しかし、事はそれ以上に深刻である。彼はアイデンティティのひずみにすかさず切り込んできたのだ。
 ガチゴラスの爪が大地に突き刺さる、それだけで迫力満点の光景。しかし、まもなく古代から生を同じくし、氷河時代を生き抜くための毛皮とキバを携えた怪物が白い息を吐く。ステルスロックの洗礼にも微動だにせず、巨躯を身軽そうに扱い、矢面に立つ。
『一億年前のポケモンと、一万年前のポケモンが激突! これは滅多に見られない光景だ!』
 太古の魂同士シンパシーを感じたのか、戦闘意欲を刺激され、ガチゴラスは所構わず咆え猛る。暴君の鎖を解くかのように、シンジが攻撃を促す。
「よし。行け!」
 これだけのポケモンを従えるのは、並大抵の実力者でなければ不可能だろう。聖なる生き物・ドラゴンのタイプを天より授かった無敵のハンターが荒地を突き進む。空間が王者にひれ伏し、前を譲るように過ぎ去っていく。
「う、受け止めてっ!」
 明らかに反応が遅れたのは、素人目にも疑いない。マンムーは二本のキバで、ガチゴラスを抑え込むのがやっとの状態だ。

「ガチゴラスって、あんなに凶暴なポケモンだったか……?」
 ゴウカザルと戦った時よりも遥かに血走った眼で、相手を粉砕し、仕舞には肉ごと喰らってしまいそうなガチゴラスの狂騒ぶりに怯えるユウリが、控えめに尋ねる。
「ガチゴラスとバトルしたのかい?」
「うん。でも、あの時は今より大人しかった」
「恐らく、計算の内だろうよ」
 ユウリとシューティーは、思わずホクトを見る。二人の方を向かず、スタジアムから目を離すまいと、淡々とした語り口で続ける辺りがあくまでも彼らしい。
「どのポケモンを使って来るか、事前に知っているからこそ出来る作戦だってことだ。シンジはガチゴラスを出すことで、アユムの奴が効果抜群を取れるマンムーを繰り出してくるだろうとふんだ。オレでもそうするだろう。だが、相手が相手だ。古代ポケモン同士、ガチゴラスはマンムーに闘争心を燃やしている。かえって火を点けちまったな」
「じゃあ、シンジはわざと……」
「そうだろうな。ガチゴラスの最大ポテンシャルを発揮させるための、罠だ」
 
 自身の手が凍り付いていく感覚器官の悪化に気付かないほど、雄叫びを上げることに御執心なのか、まるで周囲が見えていない。キバをへし折り、相手を屈服させることを絶対勝利条件としている。マンムーは防戦一方で、重量級対決は早くも結果が見え始めた。
 シンジはバトルの最初から今に至るまで、アユムの一枚上を行く。手の内どころか、思考そのものがトレースされ、行く道を先回りされているかのように。
 どうして、全力を尽くしているのに――。否。本当に、今の自分は全力と言えるのか。そもそも、何をもって全力と非全力とを定義するのか? そんな自問自答は、冷酷な敵の命令によって掻き消されることとなる。
「そのまま組み伏せろ!」
 ガチゴラスが二本目のキバを掴んだ。しかし、溢れ出る冷気はドラゴンの皮膚を急速に衰えさせる。見よ、みるみる雪化粧に侵食されていく、たくましき腕を。これほど乱暴な戦い方では、体力の減りも激しいはず。
 まさか、相打ちを狙っているのか? しかし、それではガチゴラスは当て馬にされたようなものだ。シンジの残りメンバーが全てマンムーに不利でもない限り、決して取らない戦法。だとすれば、これはアユムのメンバー中最も厄介なマンムーをここで退け、王手をかけるという意思表示だと見なすべきだ。
「シンジ。そうなのか!」
「お前は一つ忘れているようだな」
 忘れて来たものなどなかったはずだ。二匹が取っ組み合う中、二人だけの箱庭で会話が繰り広げられる。
「準決勝、お前はグライオンを倒すためにオンバーンを犠牲にした。オレは同じことをしているだけだ」
 グライオン、オンバーンという種族名から導かれる答え。紛れもなく、ホクトとの一戦を指している。必死に探り当てた記憶の欠片は、グライオンの一撃必殺が決まる直前の指示まで時系列を戻す。確かに、グライオンを道連れにするよう命じた。しかし、それはハサミギロチンが直撃するにあたって、刹那の迎撃判断を迫られたからだ。それ以外の指示をしたならば、シンジと戦うのはホクトになっていただろう。
「あの時の……」
 なおさら負けられないという思いが、アユムを腹の底から叫ばせる。
「つららおとし!!」
 口からありったけの息を放出し、鋭利な氷柱を形作っていく。ガチゴラスがマンムーを地に伏せる、その前に! どうか間に合ってくれと、アユムは願をかける。
「もろはのずつき!!」
「マンムー負けるな! 行けえええッ!」
『同時!!』
 光に包まれることで、血眼すら判別のつかなくなったガチゴラスが頭部を叩きつけるのと、骨まで断ち切らんとする氷柱の嵐が落下するタイミングは、まさに実況の言葉通り同時だった。

「ガチゴラス、マンムー。共に戦闘不能!」
 引き分けが宣告され、会場にどよめきが広がる。まさに一瞬たりとも気の抜けない攻防だった。アユムは力を出し切ってくれたマンムーを精一杯労う。
「ありがとう、マンムー……この一勝、無駄にはしな」
 そこまで言いかけて、モンスターボールに収まったマンムーのキバにひびが入っていることに気付く。丁度掴まれていた根本の辺りは痛々しく裂けている。ガチゴラスに勝ち星をあげたとはいえ、これはシンジの思い描いた理想の引き分けだ。
『さて、ここでアユム選手のポケモンが三体戦闘不能になったため、三十分のインターバルを設けます。次の試合開始時刻は――』
 フルバトルは通常のシングルバトルと異なり、トレーナー・ポケモン相互に尋常ではない疲労感をもたらす。故にどちらかのポケモンが三体戦闘不能になった時点で休憩を取ることが義務付けられている。インターバルで心と身体を回復させ、ベストコンディションに持っていくためだ。
 シンジはガチゴラスをボールに戻し、一瞥もくれずに去って行く。次の作戦を練り、一気にケリをつける算段だろう。確かに、戦略の構築も褒められたものだが、今のアユムにはそれよりも真剣に向き合わねばならないことがある。


 *


「シュバルゴ、ボクはどうしたらいいんだろう」
 一人と一匹以外には誰もいない閉鎖空間にて、ぽつりと落とされた弱音。
 ロッカーに寄りかかり、白い天井を穴が開く程じっと見つめるシュバルゴに助けを求める。ポケモンは人間の言葉を解せども、自由自在に操れるわけではない。それでもシュバルゴが人語を巧みに扱う高度な存在であるかのように、答えを欲する。
 主君の気持ちに応えたいのはやまやまだが、誰かがこれと決めた定義を与えれば解決するような問題ではない。仮初と偽りで固めた虚言は、本人をいたずらに惑わせるだけだ。
 アユムはずっと――それこそ、この街を訪れる前から――袋小路に迷い込んでいる。本人にしか解決出来ない悩みを抱えながら。シュバルゴやマフォクシー、ユウリたちに出来るのは、あくまでその手伝い。アユム自身が発起しなければ、何も始まらない。
「シンジは、ポケモンごとに役割を決めているんだ」
 先程のバトルを思い返す。シンジのバトルは根拠ある理論で固められたものだ。さながら念入りな彫刻の完成を見ているようですらある。無駄がなく、攻めと引きのバランスが整っている。ポケモンごとの向き不向きを把握し、その上で役目を割り振っている。
 例えば、ガチゴラスを餌にマンムーを誘き寄せ、引き分けに持ち込んでリードを奪う。そして、作戦自体はアユムのバトルがヒントになっている。他者の戦法も研究し、取り入れることに躊躇いがない。
「ボクはきっと、シンジみたいにはなれないだろうな」
 シンジはポケモンだけではなく、自分をも信じている。絶対を疑わない自信があるからこそ、毅然とした指示を出せる。そんな強さ、アユムにはまだない。
 腰につけたモンスターボールが揺れている。アユムは三つのボールをそっと両手で包み込むと、これから戦いに赴くヘルガーやオンバーン、マフォクシーが心配そうなまなざしを向けてくる。
「みんな……」
 シュバルゴが槍で残りのボールをつつく。瀕死になったはずなのに、ミロカロスもブリガロンも、マンムーまでも、こちらを見ている。彼らはボール越しに微笑んで、エールを送り合っているようだ。アユムは確信する。この温もりは、他の誰でもなくアユムのポケモンたちにしか持ち得ない、かけがえのないものだと。
「ボクの悪い癖だ」
 自嘲気味に、瞼をうっすらと降ろしながら呟く。その自省を聴き及んだのはシュバルゴだけだろう。追い詰められると、アユムは独りで戦っている気分になる。世界から色という色が消え失せ、霧の中に取り残されたものだとばかり錯覚してしまう。それは間違いだ。アユムの傍には、ポケモンたちがいる。彼らが一つの輪となれば、個々の強さにだって立ち向かえる。


 *


 三十分のインターバルが終わりを告げた。過ぎ去ってしまえば短い時間だ。
 すっかり整備され元通りになったスタジアムの両端に、アユムとシンジが立つ。観客は固唾を飲んで見守る。審判の旗が振り下ろされた瞬間から、待ったなしのノンストップ・バトル。今度はどちらかが倒れるまで決着はつかない。限界を競い合う戦いが始まる。
「ペンドラー、バトルスタンバイ!」
「巻き返していくよ、マフォクシー!」
 後半の幕開けを任せるのは、チームのエースにして最愛のパートナー。マフォクシーに絶大な信頼を置く、アユムならではの采配だ。この日のために磨き抜かれた毛皮は、より光沢を帯びて流れる。登場際のステルスロックは甘んじて受け入れるしかない。
『遂に始まる後半戦! 相性的にはマフォクシーが有利だがシンジ選手、持ち前の戦略でまたもリードを奪うのか? 注目のカードだ!』
 マフォクシーと密かにアイコンタクトを取る。それだけで十分だ。彼らの意思は通じ合っている。作戦は、ない。
「ペンドラー、どくびし!」
「サイコキネシス!」
 さっと振袖の如き懐より取り出される杖――サイコパワーの源――が弧を描く。
 敵は身体を震わせ、毒素を全面に振り撒く。マフォクシーが杖をまっすぐに向け、先端に念力を送り込むことで、トラップは宙に持ち上がった。どくびしの群が激しい回転運動を起こし、収束していく――向かう先は、ペンドラー本体。
「いわなだれ!」
 頭から大きくツノを振りかぶって、地中を貫くほど突き刺す。剣で言えば、刺した直後よりも引き抜いた方が傷は深くなる。それと同じ原理で放たれた岩雪崩が、どくびしを巻き込み、マフォクシー目掛けて落下してくるではないか。激突すれば最後、ダメージを受けるだけでは済まされず、ペンドラーの強力な毒液を体内に仕込まれてしまう。
 そんな背水の陣でも機転を利かせるのが、ポケモンバトルの醍醐味だ。
「自分にサイコキネシス!」
「なにっ!?」
 杖を、ほんの少し軽く、こつん。
 柔らかな羽を手に入れたかの如く、ふわりと浮かぶマフォクシー。
「自らの力でテレキネシスを行うとはな!」
「ボクたちだって、やられっぱなしで終われない。全力だ!」
「その全力、受けて立つ!」
 杖を回し、炎を繰る。反撃開始の合図だ。高らかな号令と共に、それは放たれる。
「マジカルフレイム!」
「あなをほってかわせ!」
 上空より襲来する炎の魔術。ペンドラーを火炙りにするよりも速く、獲物は穴へと逃れる。
「マフォクシー、落ち着いて。上空だ、迎え撃つのは容易い……」
 三百六十度、視界を展開。ペンドラーが蠢く気配を見つけたら、そこに火を放つ。地上戦であれば相手の背後や足元を狙うのが筋だ。しかし、ペンドラー側からすれば、飛んでいるマフォクシーに地上から直接攻撃を当てることは難しい。故に相手は派手なアクションを起こし、こちらの反撃を許さないはず。ならば、出現を見切るのは容易い。
 砂利が動き、僅かな紫色の先端が覗く。そこに現れると教えているようなものだ。もらった! 沸き立つ高揚感を抑えられない。
「撃て!」
 マフォクシーは鋭く杖を振り降ろす。炎の渦はペンドラーの身体という身体を這いずり回り、隠れていた全身を文字通り炙り出す――かに思われた。
「ハードローラーだ!」
「しまった、その手があったか!」
『マジカルフレイム防がれた! 地中からの砂嵐、これはペンドラーの仕業か!?』
 炎が立ち消え、砂塵がマフォクシーの視界を狭めた。留まることのない追撃が来る。嵐をさまよう火の粉が飾る、おぼろげなメガムカデポケモンの影。
「まさか。穴の中でハードローラーを使って、砂嵐を起こしたっていうのか」
 アユムは愕然とするも、その逆襲がマフォクシーの念力戦法を瓦解させるものではないと言い聞かせる。むしろ、歓迎して然るべきだ。これほどの使い手とバトルする機会など、滅多に訪れるものではない。一度は暗闇に閉ざされた表情も、明るみを帯びている。
「やっぱりシンジは凄いな」
 アユムは汗を拭う。瞳に照明が映り込み、余計に輝いて見える。
 波ならぬ「砂」に乗るペンドラー。夏場の脚光をほしいままにするサーファーさながら、慣れた動きだ。マフォクシーは激しい回転をひらりといなす。杖を両手持ちに替え、念力を宿し、これを迎え撃った。
 火花散る空中でのせめぎ合いを制するのはどちらか。制空権を勝ち取った方が強者を名乗るにふさわしい。膠着を打破すべく、シンジが声を張り上げた。
「杖を奪え!」
「サイコキネシス、ペンドラーに!」
 ハードローラー形態を解除し、ツノで杖を掻っ攫う。虚空へと放られたそれは持ち主の手元に収まることなく、砂地に突き刺さった。
 マフォクシーは掌で繰った即席の一撃を浴びせ、敵を意のままに動かそうと試みる。しかし、突き出されたツノはそれに抗おうという意志を感じさせるのだった。
「まだだ! メガホーン!」
 全体の機能を乗っ取られてもなお立ち向かおうとする強靭な心に、マフォクシーも感服する。恐ろしい執念の刺突が殺気を帯びて、二匹はそのまま杖と同じ運命を辿る。激しい気流が身体の節々を嘲笑い、傷口を抉る。
「みがわりを作れ!!」
 アユムの絶叫。片手でペンドラーのツノを掴み、片手で念力を放出する。しかし、フィールドには着地の罠が張られていることに歯を食いしばる。岩雪崩が飛散した後のフィールドはまさに毒の沼だ。上も下も隙がない。
「ここまでも計算の内なのか?」
 毒を受けずして猛攻から逃れることは不可能。一瞬で結論を下したアユムは、マフォクシーが地上に戻ることを最優先事項に置く。
「転がり込めッ!」
 間一髪――無残に突き刺される〈みがわり〉を盾に、相手の懐からの脱出に成功した。時間稼ぎの分身が霧散していく。毒に塗れた身体で杖を拾い上げ、震える両手を強引に抑え付け、狙いを定める。
「行ける。この距離なら――」
「尻尾を使え!」
 ツノではない。尻尾を回して横からの殴打。マフォクシーは強く打ち上げられるが、宙返りと同時に炎を浴びせる。たちまちスタジアムは炎上し、毒素が蒸気となって噴き上がる。白煙の向こうからけたたましい鳴き声が響き、強敵は遂に力尽きた。
「ペンドラー、戦闘不能! マフォクシーの勝ち!」
 審判が轟くや否や、マフォクシーをすぐにボールへと戻す。連戦は危険すぎる賭けだ。

「シンジ」
 自分の名前を呼ばれ、シンジは目線をこちらに寄せる。
「マフォクシーを交代させなかったな」
「それは、マフォクシーが勝つと思ったからね」
 鼻の下を擦り、得意気にしたところで、伏目がちに本音を漏らす。
「でもマジカルフレイムが最後に当たっていなければ、多分ペンドラーが勝っていたと思う」
「お互い様だ」
「ボクはきっと、どっちつかずなんだ。トレーナーもポケモンも、両方大事にしたい」
「それがお前のバトルなのか?」
「えっ?」
 不意を突かれた質問に、思わずアユムは聞き返す。
「仲間を理解し、共に歩む。それがお前のバトルなのか」
 重い沈黙に返事は帰って来ないだろうと悟ったか、シンジはモンスターボールを握る。
 バトルへの想いはバトルでしか語れない。
 バトルの中にある答えは、バトルの果てにしか見出せない。


 *


 次に迎えるは、オンバーンとキリキザンのマッチング。指摘の後だと、オンバーンを見る目が特別になる。あの時、りゅうせいぐんを指示した自分をどう思っているのだろう。
 シンジはアユムのバトルを好意的に評した。
 仲間を理解し、共に歩む――考えてもみなかったことだ。
 しかし、一つの疑問が浮かび上がる。シンジの言う通り、本当にポケモンを理解しているのか。仮に、ポケモンと一心同体になれば、手の届かない世界の風を浴びることが出来るのだろうか。
「キリキザンを寄せ付けるな。おいかぜだ!」
 オンバーンが高く飛翔し、フィールドに向かい風が走る。キリキザンは日光を防ぐように手をかざし、天駆ける双翼を視認する。
「ばくおんぱ!」
 音と音が重なり合い、大地が破裂した。衝撃波が伝わり、元の形を失っていくスタジアム。身体を掻き毟られるような不快音が鳴り響く。膝をつき姿勢を屈め、降ってくる岩をやり過ごすキリキザン、次には紅い閃光と化す。
「来るぞ、エアスラッシュ!」
 おいかぜの後ろ盾があるとはいえ、キリキザンのボディは風を受け付けない。夢の抵抗力を実現する鋼の肉体は砂礫を弾き、真空をものともしない。肘を引く構えはドラゴンの首筋を斬り落とす予告。
「腕に噛みつけ!」
 開かれた口に勢い余って突っ込むキリキザン。思惑通り――オンバーンは牙を突き立てる。折れそうなほど固い腕を持ち上げるには顎の力が足りなかった。零距離から頭部の刃で突き刺されよろめく身体に、容赦ない追撃を命じる。
「でんじはを叩き込め!」
 オンバーンを足場に跳躍。両手を擦り、電気の線を紡ぐ。それを見上げることで、先程までとは構図が逆になった。
「これは……」
「思い出さないか、準決勝を。これはグライオンがハサミギロチンを決めようとした時と同じ構図だ」
 忘れもしない準決勝・第一試合だ。脳裏に描かれるのは、戦いの軌跡。

 *

『ああーっと、オンバーンの首をグライオンが掴んだ! ハサミギロチン決まってしまうのか!?』
 可否を問う前に、オンバーンは翼を叩きつけ、再度怪音波の発生を試みる。しかし、グライオンが離れてくれる様子はない。それどころか、地上へ真っ逆さまだ。これが決まれば、オンバーンは一撃で戦闘不能を強いられることになる。アユムは夢中で叫んでいた。鍛え抜いた技、繰り出すならばこの局面をおいて他にあろうか。
「りゅうせいぐんだァッ!」
 オンバーンが咲かせた花は、悲鳴と共に蕾を膨らませる。火の雨がまもなく降り注いだ。背後から獲物を掴んだグライオンにとっては、死を呼ぶ風向き。ホクトは思わず目を剥く。
「前回よりも発動が早くなってやがる!?」
 グライオンが振り向いた時には既に遅し。自らをも巻き込む捨て身の退場にて、オンバーンはアユムの戦力と引き換えに、グライオンを葬り去った。

 *

 意図的にしては、随分意地の悪い再現だ。恐らくアユムを試しているのだろう。ここでどのような指示をするか、それがアユムというトレーナーを問うのにも等しい迫力を出すとばかりに。
 しかし、アユムはすぐに指示を出せなかった。
 双翼の内、一枚が機能を失う。あまねく電撃の影響だ。キリキザンの構えと、シンジの叫びが重なる。
「はたきおとす!」
 ホクトとの戦いでは、何よりも勝つことを意識した。だが、ライバルに弱みを突かれ、自分のバトルすら見つけあぐねている少年に、今この択への決断を迫るのは酷だった。

『アユム選手、指示が出せない! このままではオンバーンがやられてしまうぞ!』
 観客席からユウリたちの叫びが聞こえるはずもなく、アユムは立ち尽くす。そうしている間にも針は進み、後には戻らない。はたきおとすが直撃し、オンバーンが抜け殻のように落下していく――はずだった。
『おおっと、オンバーンまだ持ちこたえている! はたきおとすでは落ちない! 落ちないぞ!!』
「えっ!?」
 トレーナー本人が驚くのは実に滑稽だが、ここにきてアユムはポケモンの可能性を見せつけられた。オンバーンが脚ではたきおとすを受け止め、震える翼で耐え抜いているのだ。これにはシンジも悔しさを露わに歯軋りする。
「まだ……いける!」
 オンバーンは定まらない焦点からも、しっかりとアユムを見つけ出す。シュバルゴもアユムを見上げた。諦めかけていた闘志に、再び火が宿る。
「旗はまだ揚がってない!」
 自らの頬を叩き、赤みの増した顔で告げる。
 ポケモンの気持ちに応える、と豪語しておきながらすぐにこれだ。やはり、アユムはシンジと比べようもないほどの初心者。駆け出しで、トレーナーの何たるかを理解していない。ポケモンに支えられ、ポケモンを支える、二人三脚での歩みしか出来ない。アユム一人が力強くチームを牽引することはない。だからこそ。
「力を貸してくれ!」
 間髪入れず、オンバーンが甲高く応える。心の底からの叫びに音波も漏れ出し、キリキザンがわずかにたじろいだ。シンジが彼らを刮目する。
「来るぞ!」
「りゅうせいぐん!!」
 遥か天空に撃ち出された流星が四方八方に弾け飛ぶ。隙を見せない速さで。空という空が飛来の色に染まり、オンバーンの軍門に降る。地上の終わりを告げる隕石群は技の主にも牙を剥き、火を移ろわせていく。これが一度解き放たれてしまえば、天地を焼き尽くすまで止むことのない竜の怒りだ。あまりの威力に、会場もしんと静まり返った。
「ポケモンがトレーナーの意志に応えたのか……」
 シンジは袖で隠した視線から、キリキザンがまだ生きていることを確認する。本来畏怖すら抱きかねないはずの口元は、興奮と愉悦から来る笑みで野蛮に歪められていた。
「メタルバーストォ!」
 翼を地上に預けていたオンバーンが、光の束に飲み込まれる。流星を受け切った者が下す、鋼の鉄槌だった。今度こそ、勝者に向けた旗が揚がる。


 *


 どんなバトルをしても、後悔はしないと決めた。
 オンバーンのおかげで、ようやく自分の思いと素直に向き合えたアユムは、詩を吟じるような柔らかさで、倒れた者の名前をなぞる。
「ミロカロス、ブリガロン、マンムー、オンバーン……」
 メガリングは外してきた。その方が良いと思ったからだ。進化を超える進化、そんなもの自分たちには荷が重すぎた。だから、そのままの姿で挑む。
 開かれる瞳にはボールの軌跡が映る。現れしは、焔を牙に纏わせた地獄からの番犬。
 反撃を終えたキリキザンがフィールドに着地する。片脚で立つ平衡感覚の存在が、まだ戦えると示している。向こう側はポケモンを交代してくる様子も見られない。
「ミロカロスもオンバーンも、あのキリキザンには勝てなかった」
 ならば、弔い合戦というわけだ。爆発しそうな戦意を滾らせるヘルガーの瞳に迷いはない。ホクトに逃がされた頃とは見違えるほど強くなった。そんなヘルガーを、アユムもまた頼りにしている。
 シュバルゴが頷き、ヘルガーが頷き返す。その言葉が分からなくとも、シュバルゴが何を伝えたいか、アユムには伝わった。
 戦場へと足を踏み入れる第一歩を許さず、追尾型岩石からの洗礼。電気信号に撃たれたキリキザンが、電磁波で迎え撃つ。紙一重の差、ツノを掠めていく。今度はこちらの番だ、ヘルガーの口元から溢れる火炎――予め温めておいたとっておきをスタジアムに点火させていく。キリキザンを焼くようにじりじりと追い詰め、灼熱の幻惑に陥れようとする罠だが、それには乗ってくれない。退路を見出すこと、僅か数秒。
「上だ!」
「逃がすな、あくのはどう!」
 火の疑似監獄で逃げ道を塞ぎ、たった一箇所の活路に誘導することで、アユムの思惑通りに事は進む。悪魔の鳴き声を滲ませたような波導が弧を描く。
 懸念すべきはメタルバーストのタイミング。ダメージを倍にして返されたことで、オンバーンはやられた。ならばキリキザンも、りゅうせいぐんによる外傷は深い。だとすれば、早々に決着をつけに来るはずだ。
 キリキザンが腕を交差させ、悪の波導の衝撃を和らげる。迂闊な着地は鎧を燃やす失策となることが分かっているから、動きの歯切れが悪い。攻め込むならば絶好の好機。リズムに乗ってきたような快活さでアユムが指示する。
「だいもんじ!」
「はたきおとす!」
 身体の倍もの規模を誇る大の字が、キリキザンを赤の世界へと招き入れる怪物と化す。だが、鬼の形相で総身を翻し、闇を灯した手刀がその存在を亡き者に変える。
 タクト戦で既に分かっていたことではあるが、直接対峙するとこの執念には恐怖すら覚える。シンジも、彼のポケモンも絶対に折れないからだ。肩の上下動は激しい。連続して波打つ鼓動に呼吸をするのも辛い。きっと、そんな感覚。爽快感の微塵もそこにはない。それでも肩を掴み、己を鼓舞する。かつて見た戦士と同様、いやそれ以上の迫力にヘルガーもたじろぐが、決して後には退かない。退くわけにはいかないのだ。
 先までの戦いに音を上げたのか、スタジアムに地割れが生じた。炎という名の紅いカーテンが崖際に流れ、二匹を隔てる。一瞬、間があった。
 沈黙を蹴破り、キリキザンが侵攻を開始する。
 爪を立てて飛び掛かるも、手の甲で防がれる。重心を落とし、下から頭突きを食らわせようとするが、反応が早い。振り降ろされる手刀を間一髪で避け、尻尾を突き刺すと向こうは仰け反る。方向も分からぬまま、鋼の頭を打ちつける。攻撃を受けながらも、肩に噛み付き炎を侵食させる。殴られれば、殴り返す。打たれれば、打ち返す。崖際までもつれ合い、岩壁でも相手を叩き落とすために戦う。
 そう、これは戦い。
 無秩序で、美しさも何もあったものではない。しかし、彼らの瞳は腐るどころか、より輝きを増していく。そんな両者を見ていると。敵味方という区別を超えて、心が躍る。

 あれほど疑問に思っていたのに。
 ポケモントレーナーは、何故ポケモンを戦わせることに喜びを見出すのか?
 勝負を宿命付けられた世界に生まれながら、ずっと胸の奥には懐疑を秘めていた。中途半端な決意がマフォクシーを傷つけてしまってからは、一度スタジアムを離れようとも考えた。戦うことが怖い――いつしかそう思うようになっていたのだ。
「だいもんじ!!」
「メタルバースト!」
 戦うことで生まれる恐れを乗り越えた。ポケモンの気持ちに応えることを教わった。戦うことで相手を認める優しさを育んだ。
 楽しい!
 いつの間にか叫んでいた。なりふり構わず、格好も気にせず。しがらみから解き放たれて、無心になる。目の前の光景だけを見据えて。実況は、声を忘れていた。それだけではない、スタジアム以外の音が何処かへと連れ去られて、炎が燃えて風が舞い、鳴き声轟くあのバトルに誰もが没頭していた。
 挫折も待っているし、痛みばかりを伴う競技だけれども。何度でも立ち上がり、立ち向かうことの大切さを教えてくれる。その過程で、異なる生き物同士は心を通わせていく。
 ポケモンは望む、共に戦うことを。
 トレーナーは求める、共に戦うことを。
「きしかいせいで決めるぞ!」
「油断するな! 相手のパワーは今までと違う、メタルバーストでは受け切れない!」
 キリキザンが目を剥き、敵意のありったけを右腕に込める。引かれる軌跡に闇が辿った! 蒼く疾駆するヘルガーと、正面からぶつかり合って。
 完全なる互角。キリキザンは押されない。敵は遥かに強大だった。むしろ、引き裂かれそうなのはヘルガーの方だ。力の均衡が崩れ、手刀が岩盤を貫く。
『きしかいせい破れたああああッ!』
「もう一度きしかいせいだァァァッ!!」
 気持ちの揺らぎを寸分でも見せた方が負ける――アユムはそう確信した。一度スタジアムに立ったからには、絶対に譲らない。バトルの最中に背中は向けられない。
 それに、戦うのは人間ではなく、あくまでもポケモン。精神をすり減らして、その身を削る。だからこそ、試合が終わった時、恥ずかしくないバトルをしたと胸を張れるトレーナーでありたい。
 何故、そこまでする? 少年はかつて疑問を抱いた。戦うことの意味が分からなかった。彼は空虚だったからだ。だが、今やその器は潤うほど、沢山のものがもたらされた。それらは、旅の走馬灯のように、浮かんでは消えて行く。

「お前さん。何のためにポケモンバトルをしている?」
「何のために戦うか分からない? 馬鹿みたい。楽しいからじゃないのかよ」
「そんなもん決まってんだろ? マフォクシーやお前のポケモンたちは、お前のことがスキなんだよ」
「ポケモンの気持ちに、応えられているかどうかだ」
「オレのバトルを作り上げるためだ」
「アユム、メガシンカは確かに強い。だが、最後にバトルを決めるのは、メガシンカなんかじゃないぞ。ここだ」
「オレのバシャーモは最強だ! 誰にも負けねえ!!」
「キミのようなトレーナーを、待っていた」
「行け、未来のチャンピオン!」

「ボクは、ショウブタウン・カチヌキファミリーのアユムだ!」

 何のために戦う。家族のため、否。では、自分のため? それも違う。
 自分を支えてくれるポケモンのことを、もっと分かりたい。自分を理解してくれるポケモンたちと共に、この道を究めたい。ならば、解は出た。迷宮は抜けた。

 激闘の幕は閉じられる。キリキザンは壁に打ち付けられた。そして、ヘルガーもスタジアムの白線を越えて、アユムたちの足元に倒れ込む。
 そっと痛みが走らないように優しく、ヘルガーの首を起こす。両者戦闘不能を審判が告げたところだ。
 チームを引っ張れるほどのリーダーシップは、自分にはないけれど。まっすぐポケモンを信じることが出来た。ポケモンたちはそんなアユムを理解してくれる。アユムはポケモンたちを理解しようと努める。お互いの足りない部分を補い肩を組む、彼にとって理想のチーム。アユムにしかないポケモンバトルが、はっきりとした概念となって現れる。
「シンジ!」
 キリキザンに何かを告げるシンジ。こちら側からは詳細を聞き取れないが、きっと優しい表情を浮かべている、そんな気がする。
 シンジは立ち上がり、アユムの溌剌とした声色から核心が発せられるだろうと予期した。
「ボクが……ボクがバトルをするのは」
 かつて、少年は問いかけに何も返せなかった。
 そして、少年は知った。戦いの果てにある答えを。

「ポケモンのことを、理解するためだ!」


はやめ ( 2014/11/09(日) 20:47 )