本編
第12話「ライバル・ラストバトル」


「お待ちどおさま! お預かりしたポケモンたちは、みんな元気になりましたよ」
「ありがとうございます! こら、くすぐったいよ」
 毎度ながら、ポケモンセンター設備の治癒能力に救われたトレーナーは数えれば際限がない。
 あれほどの激闘があったにもかかわらず、ヘルガーはアユムの頬を舐めてくるほどには回復している。傍らのユウリが腰に手を当て、世話の焼ける弟をたしなめる姉のように、戯れる様子を見守っていた。
 それを見てか、アユムたちの幸せな時間に水を差すのは憚られるとばかり、ジョーイは心底気の毒そうに切り出す。
「でもね、アユムくん。シュバルゴだけは、どうしても傷が治らないの」
「そうですか……」
「これは医師としての忠告です。このままシュバルゴをバトルさせるわけにはいかないわ」
 やはり、ホクトはただでは勝たせてくれなかった。バシャーモとの戦闘中、槍を折られ、鎧の砕け散ったシュバルゴは精神的に健康でこそあるものの、身体の回復がまるで追いついていない。ドクターストップをかける他ない、という判断だ。
「シンジくんにも、ブロスターとエレキブルを次の試合に出すことは出来ないと伝えたわ」
 公平を期すためか、ジョーイは対戦相手の実情もそれとなく告げる。
 勝利してもなお鋭い爪痕を残すタクトは、三対三に動員した中の二匹を戦線離脱させた。最強のメンバーを揃えて優勝候補を破ったとはいえ、決勝戦に大きく響くだろう。だが、それはアユムとて同じだ。お互い、どれだけレベルの高いトレーナーと戦っていたのか、今更になって戦慄するばかり。
「仕方ないよ。あんなポケモンと戦ったんだから……」
 脳裏に蘇る、DNAポケモンの鼓動。あんな激しいバトルは未だかつて見たことがなかった。自分はまだ二人の領域に追いついていないと、否が応というほど思い知らされた。しかし、引け目を感じるのは損だ。謙遜は毒になる。この場限りにおいては、栄光の場に立つ資格を許されたと胸を張ってみるのもまた一興。決勝の舞台で踊る以上は本気で勝ちを狙いに行く。それこそ、タクトの喉元を切り裂いたシンジのように。
 アユムは、自分のバトルがシュバルゴに激しい傷を負わせてしまったことを必要以上に抱え込みはしなかった。逆境を乗り越えたからこそ、その宣告の意味を吟味し、純然たる事実として受けとめることが出来た。
「ジョーイさん。一つだけ、お願いがあります」
「なにかしら?」
「それは――」


 『  名前も声も知らない 第十二話  』


 シンジはセンターの一画にいた。血縁を同じくする紫色の髪の青年が画面に映ると、ポケモンたちにもあまり見せないような打ち解けた表情――張っていた目尻を和らげ、結んでいた口元を緩める――を浮かべる。
「久しぶりだな、兄貴。時間はいいのか?」
『ああ、今はお客さんを待っているところだから……。シンジ、見たぞ準決勝。あのタクトさんに勝つなんて、すごいじゃないか』
「……オレだけの力じゃない」
「お前、なんだかサトシくんに似てきたな」
「あいつに?」
 その反応が、露骨に目を丸くし、顔全体で否定を表現するものだから、先程までの泰然自若とした態度との落差に思わず兄は吹き出す。
「冗談だよ冗談。決勝の相手、アユムくんって言うんだね。どうだい、その子とは話をしたりしたのか?」
「ああ、少しな。面白いトレーナーだ」
「お前がそう言うなら、オレも楽しみだな」
 一拍置いて、兄は言う。
「ここまできたら、優勝しろよ」
「そのつもり――」
 弟が決意を口にしかけたところ、丁度インターホンの響く音が会話を遮る。兄は慌ただしそうに身支度を整えると、接客用にスイッチを切り替える。相変わらず忙しそうな兄と、一人で通信画面の前に立つシンジ、二人のたたずまいからして対照的な兄弟であることは容易に想像がつく。
「お客さん、来たみたいだ。ごめんな、ちょっとしか話せなくて。思いっ切りやれよ!」
「ああ」
 シンジの応答を最後に通信が切れた。まだ早朝ということもあり、室内は静まり返っている。


 *


「みんな出てこい!」
 芝生の整備された公園に、少年少女の影二つ。
 三つずつ、両手に掴んだボールを一斉に放り、朝に似つかわしくない賑やかな喧騒が訪れる。
 オンバーンが空を自由に駆け、一周して戻ってくる。ミロカロスは相変わらず身だしなみを気にしており、ブリガロンはその場に座り込み、異様な貫禄をもって超然と構える。マンムーは眠そうにいびきをかいていたかと思えば、オンバーンの甲高い鳴き声で安眠を妨害され、鼻提灯が割れたようにハッと目を覚ます。マフォクシーはそんな彼らをアユムと共に、いつも通りであることを確かめていた。こうして、全員の顔をまじまじと見るのは久しぶりになる。
 ヘルガーは最初その輪に入れるかどうか案じているようだったが、ブリガロンが何気なく手招きすると、よしよしと頭を撫でてくれた。そこから、ミロカロスやマンムーが興味津々そうに話しかけていく。何も変わらない光景――自分がライゾウに負けてから、バトルを離れ、燻っている時も、吹っ切れて挑んだ大会の最中でも、ポケモンたちは何一つとして変わらないでいてくれた。そんな仲間と歩めたことは、彼の誇りだ。
 早くも子分のように扱われているようで、思わずユウリは苦笑した。あのヘルガーは、元の種族のイメージよりは少し幼い印象を受けるからだろう。しかし、小さな身体には余りあるほどのガッツが宿っている。
「あのブリガロン、あたしのゴウカザルと気が合いそうだな」
「お互い負けず嫌いだしね。みんなの中では、ブリガロンが一番歳を取っているんだよ」
「そうなのか」
 アユムが一歩前に出ると、皆の視線が一斉に主人へと向かう。マフォクシーもポケモンたちの側へと戻って行った。
 すうっと息を吸って、何を言おうか考える。謝りたいこと、感謝したいこと、言いたいことが多すぎて逆に喋りづらい。しかし、今のメンバーには一つ、決定的に欠けているものがある。そのことに気付いたオンバーンは、翼をはばたかせて訴えている。
「大丈夫だよ、オンバーン。シュバルゴは来る」
 オンバーンはそれを聞いて、一気に安堵したようだ。翼を折りたたみ、大きく溜息をついている。
「シュバルゴはバシャーモとの戦いで、大きな傷を負った。しばらくバトルは出来ない」
 悪い報告を聞かされ、メンバーはやはり心配なのか顔を見合わせている。
「ここまでボクを引っ張ってくれた。だからみんな、シュバルゴの分まで戦い抜くぞ!!」
 アユムが拳を揚げ、マフォクシーが頷き、ヘルガーが咆え、ブリガロンが拳を叩き、マンムーが足を踏み鳴らし、ミロカロスが微笑み、オンバーンが鳴く。士気は申し分ないほど十分だ。ヘルガーの件含め、改めてこのポケモンたちの包容力を知る。アユムはなんだか涙腺が緩みそうになり、そのまま身を委ねたい気持ちに駆られた。
「決勝戦の相手――シンジは、すごく強いトレーナーだ。ボクたちの全力、いやそれ以上をぶつけなければ、きっと勝てない。だから、みんなには色々迷惑もかけたけど……ボクに最後の力を貸して欲しい」
 アユムは自分の至らなさを詫びるためにも、腰を折り曲げて誠意ある陳謝を見せる。しかし、後ろからそっとかけられた透明な声色がその必要はないと教える。
「アユム。顔上げてみなよ」
 言われた通り、自信なさげにおずおずと顔を上げるアユム。そこには、満面の笑みを浮かべる六匹の姿がそこにあった。
「みんな……」
 マフォクシーが杖を差し出す。これでも握って、最後の号令をかけろと言ったところだろうか。湿っぽい展開はみんなあまりお好みではないようだ。
「勝つぞ!!」
 一斉、咆哮。
 太陽を突き刺すように鋭く。振り上げられた杖の粗い木肌には、これまでの道が刻まれている。


 *


 アユムたちは選手のため、一足早くスタジアムへと向かって行った。今頃、決勝戦を演じる二人はポケモンのコンディションチェックに余念がないだろう。
 ユウリは大都会に根を張る木々や植物に目をやりながら、眩しそうに手をかざす。燦々と輝く光が眩しく、木漏れ日であっても鋭く差し込んできそうだ。気候自体は決勝戦の熱さに呼応しているようだが、身体は軽い。むしろ空気が澄んでいて動きやすい。
 会場を急いだ自分が今となってはなつかしく思われる。色々なことがあった――楽しいことも、辛いことも。
「よう、なに黄昏れてんだ?」
 思い出に割って入る声が、空想を中断させる。するとユウリの中でどことなく意地悪な感情が芽生え、つんと澄ましてみせる。サングラスをつけ、夏真っ盛りを象徴するような金髪の青年が隣に立っていたからだ。
「あたしにも感傷に浸りたい時があるんだよ」
「ああ、そうかよ。じゃあな」
 ホクトが手を振り、足早に去ろうとする。今までの刺々しさは身を潜め、体内を巡っていたありったけの毒気が抜かれたような呆気なさだった。哀愁の漂う背中を眺めていると、こちらまで夕方に生きているような感を受ける。ユウリはせかせかと歩み寄ると、背丈の差から上目遣いに様子をうかがう。
「人をじろじろ見るのは良い趣味じゃないぜ」
「お前、少し変わったな」
 ホクトは自分を嘲るような冷笑を浮かべる。
「変わっちゃいねえよ」
「いや。変わった」
 距離を詰めるだけで圧迫され弾き返されるような威圧感は消えていた。かつて譲れない主張をぶつけ合った者同士だからこそ、その劇的なる変化を如実に感じられる。ユウリとホクトは隣に並びながら、しばらく無言のまま歩き続ける。屋台も盛況、上り坂を超えれば後は下り坂だとばかりに声を張り上げている。フワンテ型の風船を持った子供が横切って行った。沈黙を守っていると、チルットのさえずりが自然と耳に入ってくる。
「気張りすぎたんだよ」
「正直、お前のこと苦手だった。でも今は違う」
「そうか」
 ユウリはホクトの前に回り込んで、そっと諭した。
「ヘルガーには、ちゃんと謝れよ」
「大会が終わったらそうするつもりだ」
 満足気に頷くと、ユウリはさっさと会場の方へ走って行った。


 *


 さすがに早朝、開始時刻よりも少し早く行けば席を確保するのは容易いだろう――そうユウリは高を括っていた。しかしその見通しは甘すぎる。座席の争奪戦という、選手各位を差し置いて密かに舞台裏で繰り広げられる競技に対していかに無頓着なことか!
 彼女は今、ポケモンバトルという競技がもたらす都市圏への計り知れない影響をその身をもって痛感していた。どこを見ても、人とポケモンでごった返している。一体眠れる町のどこにこれだけの人数を収容していたのか、一度正規の人口記録を疑ってかかりたくなるほどだ。
 行ったり来たりとはぐれた友達を探すような真似をしていると、ユウリにとってはなんでもない人物の中に一人、苦い記憶を刻み込んだ元優勝候補を見つけた。彼はユウリを認めると、軽く手招きする。未だ周りは不在のようだが、他にも席があるだろうなどという楽観視はこの局面においては捨てるべきことぐらいは既習済みだ。それにユウリはたかだか十歳に過ぎないとはいえ、ジムリーダーのシャクドウに才覚を見出されて旅という茨の道を選ぶぐらいには強靭なメンタリティの持ち主である。故にそんな彼女が、今大会において神とも怖れ崇められたタクトの隣に座ることなど、何ら心理的抵抗感を及ぼすものではない。
 ユウリは言われた通り、タクトの横に腰を落ち着ける。こうして一見すると繋がりのなさそうな二人でいる光景がいかにも珍妙だと思わざるをえず、なんとなく苦笑にて紛らわした。
「久しぶりだね」
「どうも」
 ユウリとタクトは、ポケモンバトルにおいて全く別の方向を見ているトレーナーだ。
 ユウリはバトルを楽しみ、ポケモンとの信頼を最優先する。
 対してタクトは孤高の道を行き、突き詰められた強さを正義として君臨してきた。彼らの間にはわだかまりと衝突も生まれたが、タクトは以前よりもとっつきやすい印象さえ漂わせている。
「キミの言う意味、よくわかったよ」
「……あの時は、生意気なこと言ってごめんなさいっ」
 末尾に行くにつれ、声が心許ない様相を呈する。タクトは今まさにアユムとシンジの決戦が繰り広げられているかのように、静かにスタジアムの方を向いている。
「準決勝すごかった。デオキシスもエレキブルも……みんなかっこよかった!」
「さぞ、デオキシスも喜ぶだろうね」
 タクトは、腰元のボールを探り当てようとして、不在なことに気付く。
「治療中?」
「水晶をやられたからね。大分時間はかかる」
「いたぞ」
 上から降りかかる声には先程も聞いた覚えがある。どうにも切れない腐れ縁を感じ、ユウリは怪訝そうに後ろを振り向くと、似たり寄ったりの金髪が二人並んでいた。
「ユウリ、タクトさん。おはよう」
「おはよう、シューティー」
「オレには挨拶なしかよ、ったく」
「お前とはさっき会っただろ」
「可愛げのねえ。そこ空いてんだろ? 座ってもいいか」
「えっ」
「もちろん構わないよ」
 恐らく途中で出くわしたのだろう。いつの間にか出場選手の間でそれとなく奇異な繋がりが育まれており、ホクトとシューティーはすっかり観戦者の格好で階段を降りてくる。シューティーに至ってはカメラを提げる始末。コンテストアイドルのオンステージと違うんだから、とユウリは内心で突っ込みを入れる。そういう類に密集する連中も含めて、正直ユウリの好みからは遠い。しかし、今はそれが本題ではない。
「……不思議な面子だな」
 ユウリの後ろに座るホクトにそれとなく嫌味を入れる。ユウリ、タクト、ホクト、シューティーと、トーナメント観客からすればそれなりに豪華な面々が顔合わせときた。それも皆がアユムやシンジと確固たる面識を持つ者ばかりだから、この輪の形成にそれほど違和感もない。
 それ故か、かつては火花を散らし、スタジアムの内外を問わず戦いを好んでいた者たちは、ようやく緊張の糸も解け、くつろぐ姿一つとっても各人の特徴が出ているというわけだ。シューティーはカメラの調整を、ホクトは眠たそうに欠伸を、タクトは厳しくスタジアムを見下ろし、ユウリはそんな面々をなんとなく眺める。
「すごい人だ。みんな決勝を楽しみにしているんだな」
 シューティーの一言をきっかけに、各々が好き勝手に喋り出す。
「そのカメラで何をするんだ?」
「写真撮影だよ。旅の記録さ」
「これまでの試合も撮っているのかい?」
「バッチリですよ」
 タクトがそれとなく尋ねると、シューティーは待っていたとばかりに顔を輝かせる。バッグからファイルを取り出し、せっせと写真を見せていく。
「お前、真面目ちゃんかよ」
「これって準決勝だな」
 ユウリが指差したのは、アユムのヘルガーとホクトのバシャーモが向き合う、とっておきの一枚。一様にして追憶を伴った沈黙が訪れる。
 それから、しばらくシューティーの写真披露会が続いた。ローズシティの町並みや、パートナーのジャローダとのツーショット、夕方の逆光に染まるスタジアム、各試合で炎が燃えて風が舞い、鳴き声轟くあのバトルが思い出されていく。写真はそれ一つでは時間の経過と共に風化してしまうものだが、語り手がいることによってその意義を取り戻すものだ。ユウリたちはシューティーの撮影技術の高さを語ったり、この戦法はこうするべきだ、などと話題に花を咲かせる。
「昨日の敵は今日の友」――この光景に最もふさわしい言葉だ。
 それぞれに背負うもの、譲れないものに納得する形で結論を見出し、互いを認め合うだけの余裕と成長が育まれた。バトルが終われば、みんな友達になれる。アユムとシンジがフィールドに立つまで、彼らの談笑は終わりそうにもない。
 やはり行き着くところは、準決勝のアルバムだった。タクトも深く感じ入った様子で、写真を細部に渡るまで穴が開くほど見つめている。ユウリもヘルガーとバシャーモの一枚が相当お気に入りなのか、掲げたら新たなる文字が湧き出てくるのではないかと仰々しく手にする。
「気に入ったなら、それはユウリにあげるよ」
「いいのか!?」
 念を押しながらも、既にユウリは写真を自分の胸元に抱えている。
「ああ。タクトさんもどうぞ」
「そうか。では、ありがたく頂戴するよ」
 タクトはそのまま胸ポケットに写真を忍ばせ、ユウリはそれを見たまま呟く。
「この出会いが、みんなを変えている……そんな気がする」
「な〜んてね。詩人っぽいだろ?」
 あどけなく微笑むユウリに、否定する者は誰もいなかった。それはとても小さな陽だまりにすぎないが、力強く、一度出来ればそう簡単には崩れない輪だ。


 *


 アユムは個室のドアを開け、誰もいない所から、誰もが待つ場へと向かう。決勝戦まで来れば、一出場者の〈アユム〉という記号が、唯一無二の存在として絶大な意味を持つようになる。「あの」トレーナーがすごかった、ではなく、観客の目は「アユム」自身を捉える。そこに恥じらいはない。身だしなみも整っているし、心構えも十分だ。
「行くぞ、アユム」
 頬を叩いて気合一発。個人の名前を羅列した記帳から羽ばたき、価値と責任を伴った〈アユム〉として、己の名前で己自身に呼びかける。
「我が弟よ。よくぞここまで頑張ったな」
 アユムの声とは別に、廊下に澄み渡る声。やたらと仰々しくもったいぶるのが得意気なそれは、顔を見ずともすぐに判別がつく。
「本来は運営委員の個人的な接触はいけないんだが、まあちょっとだけな。かといって、オレはお前を贔屓するつもりはない。バトルが始まってしまえば、お前を支えられるのはお前だけだからな」
「ボクにはポケモンたちがいる」
「大切なことはわかっているな。ここまで来たお前に、オレからとやかく言う資格はない。……アユム、びびってるか?」
「いつも通り!」
「ならばよし。いいか、シンジは確かに強いが、お前の勝てない相手じゃない」
 それはタクトとシンジの試合を見ていれば、肌身に感じることだ。勝てない相手ではない、同じだけの努力をすれば牙城に届く。だからこそ貪欲に食らいついていく。その精神こそが勝利を招き寄せるのだと学んだ。
「今頃、家の奴らはテレビの前に集まってんだろうな」 
 カチヌキファミリー全員が、アユムの活躍を待ち望んでいる。期待をかけて送り出した可愛い息子の成果を確かめないはずがない。その善意はかつて背負いきれない重荷を与えたことを思い出し、若干陰りが差す。
「アユム、オレは士気を下げに来たんじゃないぞ?」
「でも、みんなが見てるって」
「大丈夫だ。家族は、ちゃんとお前のことを見ている」
 家族の間柄だからこそ。ちゃんと見ている、という言葉の裏に隠された意味を汲み取れる。そう信じたテルマはそれだけ告げたが、アユムにもしかと伝わったようだ。
「時間だ。行け、未来のチャンピオン!」
 テルマが背中を押し、送り出す。アユムは何か礼を述べようとしたが、上手く言葉にならず、それよりも早く光の間と歓声が彼を包んでしまったため、間に合わなかった。だが、テルマの激励がいつもながらアユムにとっては最大の贈り物であると、今更言うまでもない。
 未来のチャンピオン。アユムはその響きがなんだか気に入った。


 *


『おっと!? アユム選手の入場だぁ――ッ! 皆さん、盛大な拍手を!』
 挙動不審気味に現れたアユムの様子に、会場中の笑いと拍手が混ざり合う。その頃、観客席ではホクトやユウリは頭を抱えていた。
 テルマときたら格好の一つもろくにつけさせてくれない。自分は格好ばかりつけるくせに、アユムは内心で文句を言いながら苦笑と共に駆け出す。既にシンジはポジションについていた。
「シンジ。約束、守ったよ」
 シンジは直立不動のまま、聳え立つ壁として公言する。
「オレはお前と戦いたいと思っていた。お前は、あいつに似ているからな」
 あいつというのが誰でも構わない。アユムは始まる前から息を切らしながらも、どこか嬉しそうに言い放つ。この家族の一員で良かったと、今なら気兼ねなく言える。
「ボクは、ショウブタウン・カチヌキファミリーのアユムだ!」
「そうだな」
 シンジもまた、目の前にいるアユム自身を認める。
 審判が立ち、スクリーンに手持ちポケモン六匹が表示される。そこで、アユムは挙手をして審判に問いかけた。
「すみません! どうしてもこの場で観戦させたいポケモンがいるんですけど」
『おっと、アユム選手、どうしたんだ?』
 今日のアユムはなんだか落ち着きがないと、観客は顔を見合わせる。ホクトはなかなか試合が始まらず苛立ちを募らせているようだ。
「試合中の助言が見られた際には、失格行為とみなされる恐れがありますが?」
「了解の上です。ルールは厳守します」
「ポケモンの種族如何によっては、バトルに支障が生じるため、立ち合いを認められません」
「シュバルゴです!」
 アユムのボールには、目覚めの時を待つ騎士が入っていた。

「なかなかユニークなトレーナーだね、彼」
 チャンピオンと四天王という真の強者だけの間で、シンは興味ありげにアユムを捕捉する。
「オレとバトルした時から、随分と成長したもんだ」
「ライゾウさん、野外試合受けすぎでしょ。リーグの面子丸つぶれですよ」
「あ〜固い固い! いいじゃねえか、売られた喧嘩は買うもんだ。目と目が合えばポケモン勝負ってな。よく言うだろう?」
 どちらかというと規則が通用しないのは、この中年チャンピオンの方だ。まだリーグ上層部に意見出来る身ではないシンとしては、何をしでかすかたまったものではないと常々肝を冷やしている。ライゾウの行動は自由すぎるため、お堅い連中からは反感を買いかねないのだ。監視の立場は本来なら逆のはずなのだが、世話の焼ける大人は困る。
 すると、大会運営最高責任者(名目・名簿上はそのような規定である)に、審判を通じて関係者より打診が来る。軽く耳打ちで事情説明を受けた後、ライゾウはマイクを叩くとしゃがれた声で重々しく切り出す。と思いきや、耳をふさぎたくなる音が会場中に響き、途端に顔をしかめた。シンは大会決勝にあるまじき軽い空気をどうしたものかといよいよ案じている。その横でライゾウが喋り出した。
『……今大会においては前例のない事例だが、選手のポケモンがシュバルゴであること、先の戦いにより傷を負ったシュバルゴは現在も治療中であることから戦闘行為は認められるものではなく、その危険性も非常に薄いと判断する。また、助言行為の是非については観戦するポケモンとトレーナーがリスクを合意の上で観戦許可を求めているため、公正的態度の範囲を超えうるものではない。また、対戦相手のシンジ選手にも依存はないとのことである。これらを鑑みて、アユム選手の要求は十分許可に耐えうるものであると結論を出す。以上』
 マイクの電源を切ると、ライゾウはどさりと椅子にもたれる。暑くもないのに手を団扇にして仰ぐような真似をしている。
 会場の空気が一声にして変化した。盛り上がりは勿論のこと、ライゾウが喋り終えた後、一瞬会場ごと萎縮するような錯覚すら覚える。
「このオヤジ……」
 こんな雰囲気が、自分には出せるだろうか。不可能だと悟ったシンは悔しそうに頬を引きつらせた。

「準備は済んだか?」
 これ以上は待ちかねる、とシンジがモンスターボールを手にしている。
「待たせてごめん。シュバルゴ行くよ。ボクたちの決勝戦だ」
 横に控えるシュバルゴが頷く。ジョーイに無理を言って、観戦だけでもと許可を出してもらったのだ。ただベッドで寝ているだけでは、シュバルゴ自身もこの試合に出られなかったという悔恨が残るに違いない。だからこそ、最愛の者たちの戦いを見届けようと願った。シュバルゴがそこにいるという事実だけでも、チームには計り知れない力をもたらすだろう。
「……それでは、これよりローズシティ・ポケモンバトルトーナメント決勝戦、ショウブタウンのアユム選手とトバリシティのシンジ選手の試合を始めます。使用ポケモンは六匹、どちらかのポケモン全てが戦闘不能になった時点で、勝敗を決します――」


 *


『さあ、決勝戦の幕が開けた! アユム選手はオンバーンを、シンジ選手はガチゴラスをそれぞれ一番手に繰り出したぞ!』
 空の覇者・オンバーンが地上の王・ガチゴラスを見据える。オンバーンが自慢の翼を誇示するように開き、アユムの指示を仰ぐ。
「おいかぜ!」
 ふわり、地上から離れ、羽ばたきの速度を増していくオンバーン。たちまち、フィールドを吹き抜ける強風が、ガチゴラスの巨躯を後退させ、シンジの鮮やかな髪をさらう。
「ステルスロック」
 ガチゴラスが岩石群の生成にかかる。王冠が照り映え、岩の軌道を確実にコントロール。オンバーンの周囲は一糸乱れぬ浮遊石に囚われる。さながら異世界の魔術にかけられたよう。
 まもなく激しいせめぎ合いが始まるに違いない――観客をしてそう思わせたところ、アユムはすぐさまモンスターボールを手に取る。これは会場の度胆を抜いた。
「戻って、オンバーン!」
『おおっと!? アユム選手、これは実に冷静な判断! ガチゴラスの技が効果抜群であることを嫌ったか。オンバーン、モンスターボールに帰って行きます』
「キミの出番だよ、ミロカロス!」
 アユムの戦法に理解を示し、その気高く称揚に値する美と共に出現するミロカロス。扇子のように連なった鱗が照明を受けて、演出すら脚光に変えてしまう。しかし、ステルスロックの被弾、その餌食となり、高貴な顔つきを痛みで歪める。
 今度こそバトルが始まる――そう確信し、身を乗り出した者は多いはず。しかし、シンジもまた競い合うかのようにガチゴラスを戻す。
『ミロカロスに対して、ガチゴラスは不利。セオリー通りの判断だろうか、やはり戻って行きますガチゴラス!』
「ガマゲロゲ、バトルスタンバイ!」
 青々しい身体に、毒々しさを思わせる真っ赤な瞳。膨れ上がった図体の至る箇所にはコブが付着している。
 ここまでの試合運びで、シンジの意図するところには勘付けた。ステルスロックを放ち、交代戦に負担をかける。ポケモンの登場時に傷を与える効果を持つのがこの技だ。ユウリのゴウカザルも、ステルスロックとほえるの相乗効果に随分苦しめられていたことを思い出す。だが、おいかぜはこちらに吹いている。
「行くよ。ミロカロス、なみのり!」
 ミロカロスが尻尾の先端を扇状に広げたかと思えば、宙に舞う。一筋の流れるような体躯にて会場を魅了。楕円を描き、その軸に水力エネルギーを収束させていく。渦のように波打つそれは噴水となって溢れ出し、一種のアートを創り上げる。
 会場が水没しないための配慮として、スタジアムの仕掛けが作動し、エレベーターのように下げられた。そこでならば、危害を案ずることなく思いのままに技を放てる。喜びと共に、ミロカロスはフィールドを水族館顔負けの水圧で満たす。
『なんと芸術的なことか! スタジアム全体を覆い尽くす、母なる海!』
「まだまだ、これからだよ。ミロカロス! うずしお!」
 調べを奏でるような応答が木霊し、スタジアムには渦が発生する。
 これが十八番の戦闘スタイルだ。なみのりによってフィールドを満たす。うずしおでそのまま相手を飲み込み、反撃の余地を与えない。海神の影響下により荒れ狂うと云われるジョウトの海にも負けない怒涛の嵐に、ガマゲロゲは手も足も出せないでいる。
「このままガマゲロゲを飲み込んで終わりだ!」
 勢いに乗るアユム。しかし、シュバルゴは渦潮が暴れる光景をある意味では他人事のように眺めていた。それよりも、シンジの表情と視線に注目している。
 どうしたことか――まるで汗の一つも浮かべてはいない。いくらガマゲロゲが水中で活動出来るポケモンとはいえ、鬱屈とした箱庭では余りある渦潮に掴まれば最期、と言えるはずなのだが。シュバルゴはポケモン特有の野生的洞察をもって、不気味なほど動かないシンジの一手に警戒を巡らす。
「だくりゅう!」
 シンジがミロカロスの曲芸を一蹴するように叫ぶ。目下、清水の誇り高き透明感が、のし上がる濁流によって穢されていくではないか。下では何が起こっているのか、アユムは茶色の中に水没しそうなほど身体を曲げ、ミロカロスを案ずる。
 シンジが悦に浸ったように口端を歪める。シュバルゴは計算されたシナリオに思わず戦慄した。これが最初から狙いだったのだ。ミロカロスがフィールドを制圧したと見せかけて、だくりゅうからの反撃を図る。打ち上げられたミロカロスは泥に塗れており、未完成の陶器を思わせるようだ。
 水が退いていき、勝ち誇った表情のガマゲロゲが視界に映る。ミロカロスは汚れた己の身体を見て、思わず目を瞑ってしまう。
「ハイパーボイス!」
「くっ。じこさいせい!」
 アユムは優位が入れ替わったことを悟る。
 ミロカロスにとって、ガマゲロゲとは実に分の悪い相手だ。先程のだくりゅう――普通のポケモンならば、単にダメージを負うだけで済んだだろう。だが、アユムのミロカロスの場合は少々特殊だ。
 何故ならば。昔の自分を脱した姿こそが、ミロカロスだから。
 
 ヒンバスというポケモンがいる。
 みすぼらしい姿で、研究者にすら注視を浴びない。ヒレはぼろぼろだが、汚い川や海でも生きていけるしぶとさを持つ。一箇所に集まって群れをつくる習性があり、水草の多い川底で暮らす。
 まだミロカロスがヒンバスだった頃のことだ。どんくささの極みにあったヒンバスは、ある日群れの大移動に置いて行かれてしまった。生きていくための餌を見つくろう孤独な日々。トレーナーはいざ自分を捕まえても、汚らわしいものを見る目ですぐに逃がしてしまう。誰からも必要とされない自分は、生きている意味があるのだろうかとすら疑うようになった。
 そんな時、釣竿を背負った少年とテールナーがやって来た。この辺りは釣り人が屯するスポットだが、ヒンバスには目も暮れない。ところが何の間違いか、ヒンバスは餌にかかって吊り上げられてしまったのだ。それが今のおや・アユムとの出会いだった。
 ヒンバスを釣ったアユムもテールナーも醜悪そうな物体を見る目ではなく、むしろ一個の魂が宿ったポケモンとしてヒンバスに挑戦的な態度を取る。群れからはぐれたヒンバスは、割と珍しい存在であるため、アユムはすかさずモンスターボールを投げた。そんなトレーナーは今まで一人もいなかったから、ヒンバスは呆然とし抵抗もままならずゲットされる。アユムとテールナーはハイタッチなどして、ヒンバスの加入を心から喜んでいた。
 その後、自分の姿に強烈なコンプレックスを抱いているのだと看破された時があって、こんな自己嫌悪を知ったらアユムから見放されるのではないかと、深層心理で恐れていた。普段は優しくても、都合が悪くなると途端に掌を返す人間がいることをヒンバスは知っていた。
 アユムはしばらく考え込んだ後、名案を思い付いたように指を立てる。
「それならさ。綺麗になって、馬鹿にしていた奴らを見返してやろうよ!」
 気付けばヒンバスの目には涙が浮かんでいた。この人間は、自分のためにここまで尽くしてくれるのだと。

 手に入れた美が遠退き、昔に戻ったような錯覚を受ける。過去との離別を果たしたはずなのに! ガマゲロゲの姿は、かつての自分を想起させる。だからミロカロスにとっては不愉快な存在だった。ヒンバスから進化したことで、自分に見惚れる誰かを心の底で嘲笑に付すだけの気の強さを手に入れながらも、臆病な根幹は変わっていなかったのだ。外面を取り払われれば、忌み嫌う過去に帰される。嫌だ、もう昔の自分とは違う。
 過剰な自己防衛の本能は、かえってガマゲロゲへの戦闘意欲を喪失させていた。
「ミロカロス!」
「カウンターシールド、だくりゅう!」
 その美に傷をつけられることを恐れながらも、フラッシュバックが邪魔をして動けない。このままだくりゅうを受けたとすれば、ミロカロスはプライドを失うどころでは済まないだろう。もしかすると、二度と戦えなくなるかもしれない――。それは、アユムが幾度も立たされた場面だ。ポケモンバトルの是非を問う選択。
 だが、この場でミロカロスを戻すことが正解に繋がるだろうか? かつての自分がそうだったように、ミロカロスもまた過去に縛られている。最も恐れる相手と対峙し乗り越えなければ、きっとここで止まってしまうだろう。同じチームとして、事情を解するシュバルゴは心配そうにアユムを見上げた。
「仲間の恐怖さえ克服してやれないで、何がポケモントレーナーだ」
 シンジが目を見張る。アユムは心を鬼にして、叫ぶ。
「れいとうビームで迎え撃て!」
 しかし、ミロカロスは怯えたまま微動だにしない。対して、シンジが無慈悲の号令を出す。
「ガマゲロゲ。やれ!」
「ミロカロス! キミには、ボクがついている!」
 美の化身が目を覚ます。決死の覚悟で、空気を凍結させ迎撃に移るミロカロス。しかし、盾としての機能を備えるシンジのポケモン特有の技が、れいとうビームを四方八方に散らす。フィールドに結晶が生えた。濡れた大地はガマゲロゲの歩を進め、突撃を手伝う。
「ドレインパンチ!」
 間一髪のところで、拳を掠める相手。アユムの側にガマゲロゲが、シンジの側にミロカロスが睨み合う構図となった。
「確かに、キミにとっては美しさも大切なんだろう。でもね、ボクはそれだけじゃないと思う。だってボクは、キミが好きで、一緒に旅をしたいと思ったんだよ」
 アユムの告白を一言一句噛み締めるミロカロス。シンジは逸るガマゲロゲに攻撃を止めるよう合図する。会場もおのずと耳を傾けていた。
「ボクたちは友達だ。何も恐れることはない」
 見上げれば、アユムとシュバルゴが立っている。堂々と構えるアユムは、ミロカロスの全てを受け止める覚悟を既に備えている、そしてシュバルゴもまた。
 恐れも、過去も、執着も、何もかも捨て去って、楽になればいい。今のミロカロスには寄り添う者たちがいるのだから。
「来るぞ。だくりゅう!」
「行けえッ! うずしおだ!」
 ガマゲロゲのだくりゅうを打ち破ろうと、ミロカロスは決意のまなざしで飛躍する。先程まであった迷いが消えたようだ。シンジはアユムのトレーナーとしての能力を買い、惜しみない賞賛を送る。
「やるな!」
「そっちこそ。でも勝つのはボクたちだよ! ミロカロス!」
 ガマゲロゲが自ら渦潮に飛び込み、その上でミロカロスを完全に打ち破ろうという目論みだ。ここは有無を言わさぬパワーが打ち勝った。シンジは平静を装いながらも、心躍る様は隠し切れない。
「ドレインパンチ!」
 口を閉ざし、だくりゅうの飛散を甘んじて受けるミロカロス。しかし、瞳に一切の淀みがない。コブを振動させ威力の上がった拳を叩きつける、一瞬の隙を見越して――ミロカロスの口内に蓄えられた光線が瞬く。
「れいとうビーム、発射!」
 氷の一閃が彫刻を作り上げる。ガマゲロゲは氷漬けになって、器物のように崩れ落ちた。遂に一角が崩されたことで、観客の魂にも火が点く。こんなバトルを後何回も見届けることになる彼らもまた、息を抜くことが出来ない。
「ガマゲロゲ、戦闘不能! ミロカロスの勝ち!」
「やったあッ!!」
 アユムとミロカロスが快哉を上げ、掴み取った勝利を飾る。

 リードを許したシンジ。ミロカロスの心に眠る恐怖を受け止め、超克の道を選んだアユム。二人の意地とプライドがぶつかり合うフルバトルは、更に激化の様相を帯びていく――。


はやめ ( 2014/08/26(火) 19:26 )