第11話「不屈の闘志! 不屈の心!」
帝王の次は、宇宙の神秘ときた。題材に事欠かない手札の豪華さにはチャンピオンと四天王も圧倒されるばかり。実況側は慌ただしく、ポケモンの詳細データを記した資料を取り寄せるので精一杯だ。そんな彼らの苦労も露知らず、チャンピオンたるライゾウは一目で正体を看破してみせる。
「あのポケモン、デオキシスだな」
「デオキシス!? ホウエン地方で発見されたという、あの……」
テルマとシンの発した驚愕は同時に重なるほど、剥き出しの関心を示す。
「タクトさん、どこまで底の知れない人なんだ。エンテイだけでなく、デオキシスまで連れているなんて」
「だからと言って、それだけで勝負が決まるわけじゃないぞ。お前さんも見たろう。エンテイが戦闘不能になった瞬間を」
「ですが、伝説や幻クラスのポケモンが次々と繰り出されるのでは……」
「テルマ、シンジを見ろ。あいつは、諦めたような表情をしているか?」
「それは」
テルマは困惑しながら、シンジを見つめる。自分とはまた違う茨の道を歩んできたトレーナー。世界を救ったとはいえ、四年も燻っていたのだ。トレーナーの才と努力の量は恐らく比較することも失礼だろう。こうして上座にいることが申し訳なくなるぐらい、シンジは現実を受け入れようとしているではないか。
『 名前も声も知らない 第十一話 』
エンテイが道という道を駆け巡る百獣の王ならば、デオキシスは人間世界には見当もつかない次元からの視察者であるように思われた。ポケモン離れした風貌がそれを顕著に表している。人類の常識とは全く異なる方向性を突き詰めた存在。それがDNAポケモン・デオキシスだ。
「この〈デオキシス〉とは、ラルースシティという場所で出会った」
「ホウエン地方にある大都市ですね」
「よく知っているね。さあ、続きを始めようか」
「受けて立ちます」
タクトの誘いに、シンジも頷く。シンジはこれまでもレジロック・レジアイス・レジスチルというホウエン地方の古代ポケモンとバトルを行った過去がある。デオキシスにすぐさま反応出来たのも、南国諸島のポケモンに縁があるからだ。
「ブロスター、アクアジェット!」
「デオキシス。フォルムチェンジ!」
瞬発的に水流の力を借りて飛び出すブロスターを見ても、デオキシスは身動き一つしない。エンテイのフレアドライブにも対応出来たスピードに無関心を決め込むとは、命知らずにも程がある、と観客までもが高を括っていたに違いない。しかし、宇宙より飛来した隕石でその胎動を守り続けたポケモンに、地上の理が通用するはずなどなかった。デオキシスはぬるりと千変万化の法則に従う。流線的なフォルムへと瞬く間に形態を変化し、ブロスターの先制攻撃と互角の立ち合いを見せた。
『速い!! そして皆様、大変お待たせしました。ただいま資料が届きました、それによると、先程までとは異なる現在の姿は――』
「スピードフォルム、というわけか」
シンジが歯軋りして、タクトがほくそ笑む。得体の知れない余裕は、これが根拠だったのだ。
フォルムチェンジをするポケモンは、シンジの故郷であるシンオウにおいては、チェリムやロトムなどが該当する。
しかし、同一のポケモンが明確に姿形を変えた様子に「フォルムチェンジ」という呼称が付けられたのは、シンジの記憶するところ、ホウエン地方の学会が論文を発表してからだ。一匹のポケモンがいくつもの姿に変化する――従来の「進化」とは異なる概念があることを裏付ける存在が、そもそも宇宙より生を授かったデオキシスだった。言うなれば、フォルムチェンジの始祖。
「ボクのデオキシスのスピードに付いてこられるかな?」
初動はブロスターが勝ったにもかかわらず、デオキシス・スピードフォルムは速度の名を冠するだけのことはあり、今やどちらが上かをはっきりさせている。
トレーナーの目にも止まらぬ軌道で、デオキシスとブロスターが鎬を削り合う。両者の戦いは、新たなる次元へと突入した。アクアジェットでなければ、一瞬で引き離されてしまう。アクアジェットだから、紙一重のところでその速度と渡り合える。そして、電光石火の如き攻撃の応酬をもらうことになるだろう。どちらが先に力尽きるかはあまりにも明白。
「アクアジェットォ!」
「引き離せ」
閃光のレースを彼らは目にしている。橙色の残像が、蒼色の流星に妨害をかける。四方八方から一方的な攻撃を食らうところで、ブロスターもまた文字通り身を砕きながら、地上を限りなく逸れる勢いでデオキシスに応戦する。二つの閃光は弾かれては弾き、今やスタジアムの存在意義は決められた枠の中で辛うじて戦えることにあった。柵や壁がなければ、振り切れるメーターに従って、彼らは水平線の見える海上で競い合うだろう。
『なんというスピードバトル……。我々の目には、もはや何が起こっているのか分かりません……』
ブロスターが追う。デオキシスが逃げる。推進する、それを振り切る。直線が意地でも食らいつく。方向転換、そして突撃。応手による火花が散る。衝撃は土煙を起こす。トレーナーたちの声が響き合い、音速を奏でる。
デオキシスのスピードは留まることを知らない。ブロスターは肉体に無理な信号を送っているため、減速を免れない。とっくに戦える範囲を超えている。しかし、このバトルでは先に力を抜いた方が負ける。これは肉体だけでなく極限の精神的苦痛を強いる戦闘だ。ポケモンバトルというには、死力を求めすぎている。
「デオキシス、止まれ。でんじほう」
デオキシスがタクトの指示を聞いて、振り向く。ブロスターから瞬時に間合いを取って、両腕の間に砲撃の弾を紡ぐ。電磁の爆ぜる音を聞いて、すぐさまシンジはボールを取り出そうとする。たった一掴みのチャンスでも逃さない――エレキブルは付き合いの長いトレーナーが愛してやまない勝利への執念に応えて、でんじほうを受け止めようとする。エレキブルの最速が発動し、デオキシスと渡り合う、そんな未来を思い描いただろう。
しかし、彼らはスピードフォルムの神髄を知る。その真価は赤い光線よりもいち早く、ブロスターを砲撃が貫いたことで発揮された。技を溜める隙すら感じさせない。
「ブロスター、戦闘不能! デオキシスの勝ち!」
シンジは言葉も出ない。でんきエンジンを狙ったのが、戦略ミスだったか? しかし、ブロスターはもはや戦える状態をとっくに超えていた。モンスターボールを向けなければ、でんじほうの矛先が変わったわけではない。どう足掻いたとしても、結果は同じ鞘に収まるのだ。
一匹に対して十の対策を練るのがシンジだとすれば、一匹に対して一の戦術で突き放すのがタクトだ。彼のポケモンはあまりにも強すぎるため、チャレンジャーを絶望に陥れる。シンジの視界には、双眸を妖しげに光らせ、風前の灯を観測するデオキシスの姿が映ることだろう。
「お前はこんな相手と戦っていたのか」
シンジは呟く。語りかけるはずの相手は、遥か遠くに行ってしまったと分かっていても。
以前までのシンジならば、この時点で平静を失い、荒ぶる強熱に任せてモンスターボールを投げだしただろう。しかし、今の彼には勇気のシンボルがある。
シンオウリーグを後にしたシンジは、キッサキシティに戻り、ピラミッドキング・ジンダイへの再戦を申し込んだ。条件は前回同様、六対六のフルバトル。
ジンダイは先の騒動により、レジロックたちをキッサキ神殿再建のため手放したことから、カントー地方に生息する伝説の鳥ポケモン、サンダー・ファイヤー・フリーザーの三匹が新たにシンジを迎え撃った。彼は既に幾度も伝説の洗礼を受けていたのだ。ピラミッドの内部は、キッサキの雪をも溶かしてしまいそうなファイヤーによって地獄の戦場と化した。飛び交う焔に戦意と意識を奪われかけながらも、ポケモンに寄り添うことを覚えたシンジは最後まで自分のバトルを貫き、死闘を制した。
シンジはようやく兄が成し遂げられなかった夢を現のものとしたのだ。しかし、それはあくまでも彼を縛っていた過去の枷にすぎない。この勝利は、彼と彼のポケモンの手によって掴み取った、唯一無二の証だ。そこには兄弟という因果にも介入する余地はない。ポケモントレーナー・シンジは自分の道を歩き出した。
その後、ジンダイにはセイエイ地方における古代遺跡の調査予定が入り、しばらくの間はピラミッドを閉めることになった。それに興味を抱いたシンジは同伴し、まだ見ぬ強者を求め、またゼロからのスタートを始める。
「エレキブル、バトルスタンバイ!」
最後の一匹に望みを託すシンジ。それはタクトも同じことだ。
デオキシスが無機質に佇み、エレキブルも静かに口内の舌を震わせる。ここからは執念の戦い――先に折れた方が負ける。
*
一連のバトルを見て、ユウリは自然と、率直な感興を隣に打ち明けていた。
「見ているだけで息が詰まりそうだ」
「ああ。まさか、ここまでのバトルになるとはね」
「あたしだったら、逃げ出したくなるだろうな」
ユウリの真意を、ようやくシューティーは掴み取る。彼女の気持ちとて分からないわけではないが、心中のどこかで弱気を正当化してはいまいか。
「トレーナー同士のバトルで背を向けたら、その瞬間負けが決まる」
「分かってるよ。でも、こんなのってあんまりだろ……」
ユウリは悔しいのだろう。シンジはエンテイ撃破という偉業を成し遂げた。恐らく、伝説のポケモンとの戦闘経験を持ち、キャリアに富んだシンジだからこそ出来たこと。それにもかかわらず、三番手は努力一切を嘲笑うような選出。無尽蔵に生み出されるコピーポケモンと戦っているような気分になるのも仕方ない。デオキシスに立ち向かおうとする勇気すら、大抵のトレーナーには無理難題を突き付けるのと同義だ。以前よりタクトのバトルに疑問を抱いていたユウリからすると、到底認められるものではないのかもしれない。
「シンジだって、がんばってるのに」
「確かにこの試合は、アユムとホクトのバトルとは正反対だ」
互いのバトルスタイルを否定しながらも、試合を介して、ポケモンとの絆を確認し合ったことにより、アユムとホクトは理想のライバル関係へと昇華した。バシャーモの叫びは二人だけではない、多くのトレーナーの心に何かをもたらしただろう。ヘルガーも、最後にはバシャーモに追いつき、追い越した。汗と火花が散り、そこには敵も味方も関係ない――楽しむためのポケモンバトル、原初の本質を見せられているようだった。
それに対して、タクトはエンテイとデオキシスを使役し、シンジの心を折るが如く、能力の差で圧迫していく。そこには愉悦など存在しない。シンジとて、笑顔でバトルに望んでいるわけではなく、悲壮な叫びで己を何度も鼓舞している。そうしなければ、とても精神がもたないのだろう。
「あたし、絶対シンジに勝って欲しい」
タクトが勝てば、晴れてアユムが第二の犠牲者に選ばれるだけだ。敵はダークライかもしれないし、ラティオスかもしれない。トーナメントはタクトの優勝という予想通りの結果で完結を迎えるだろう。
しかし、勝負の世界から見れば、タクトのスタンスが責められる道理もない。所詮は少女の我儘にすぎないのだ、友達のアユムが惨敗する様を見たくない、などという言い訳は。
「シンジが強いのは、ボクもよく知っている。それでも、タクトさんには……」
「シューティーはタクトさんを応援するのか?」
「入れ込んでいるわけじゃない。でも、あの人だって……ポケモントレーナーだ」
*
トレーナーを続けていると、誰もが同じ壁にぶつかる。
自分は、果たしてポケモンバトルを楽しんでいるのだろうか? という疑問だ。
最初は無垢に技の名前を叫び、ポケモンと健気に笑い合っているだけでも済まされる。やがて、雨音を聴きながら敗北と後悔の味を噛み締める日がやってくる。そうした過程を経て、勝つための手段を各々の形で探り始めるようになる。行き着く先は十人十色だ。徹底的な強さ、練りに練った戦略、ポケモンとの友情、唯我独尊の精神。はたまた一転して、自分の拘りを貫こうとする者、といった風に面白いほど枝分かれし、無限大の樹形図を描いていく。一つのタイプを究めるジムリーダーなどは顕著な例だ。
しかし、勝利は制約に等しい。勝利と愉悦は最悪の相性だ。最初から反発し合って、天秤はどちらかにしか傾かない。楽しむためのポケモンバトルを取るか、勝つためのポケモンバトルを取るかの二者択一を迫られる。
楽しむことはすなわち、相手の胸を借りるつもりで創り上げる一戦に繋がる。一方で勝つためには甘さを捨てなければならない。相手のいかなる都合も、自分の執念に勝るものではないと切り捨てるのだ。それを極端なまでに磨いていった存在が、シンジの目の前に立つトレーナーといえる。
「かげぶんしん」
このバトルは、見る者に何を抱かせるのだろう。上には上がいるという証明か。最後に笑うのは能力の高いポケモンだという再反論か。
デオキシスが一点に立ち、その輪郭がぶれていく。身体から霊体が抜け出るような錯覚を覚え、気付けばエレキブルの周囲を色の異なる影が囲っていた。
「かみなり!」
エレキブルの動きを拘束しようとする分身群。迸る電流での一掃を図る。プログラムが削除されるような呆気なさで、紫色の影分身は消滅していく。
「〈デオキシス・シャドー〉を打ち破るとは見事だ。ばかぢからで投げ飛ばせ」
やはり、技を命じられてから発動するまで、他のポケモンとは反応速度が一線を画している。素の姿に戻ったデオキシスの腕が力み、エレキブルは二本の尻尾ごと身体の制御を奪われた。空中の絶え間ない回転が平衡感覚を狂わせ、なんとか足を踏みとどめたかと思えば、次なる一撃が強襲する。
「かみなりパンチィ!」
応戦するのがやっとという状況。エレキブルの体力が着々と削られていく。デオキシスは逞しい腕を鋭い触手に変化させたかと思えば、対角線の中核に念力を繰り始める。
「サイコ……ブースト!」
タクトの指示から数秒も待たず、最強の思念がエレキブルをスタジアム外へと吹き飛ばした。
『デオキシスの最大必殺が決まった! これで、勝負はついてしまったのか……?』
観客が騒然とし、エレキブルを心配する幼児の声までが飛び交う。デオキシスは、ほんの一仕事を終えたという身軽さで舞い降りた。
審判がすぐに旗を揚げないのは、まだ雷撃の獣に戦闘続行を望むだけの意志が残留しているからだ。震える首をもたげ、敗者復活戦からのし上がるように、輪郭の定まらない相手をそれでも一点に据えようとする。シンジは厳しさの中に思いやりを含んだ表情で、パートナーを待っていた。
デオキシスが、触手をくいと上げる。
眼鏡の縁を上げるのと変わらない、些細な動作だった。かつては猛火を見定めるために起き上がらせた相手がいたが、エレキブルは今逆の立場から挑発を受けている。これほどまでに成すがままにされると、やはり血の気の多い者たちは、どうしたって悔しく、自分の無力を嘆きたくなる。
どうして、こんなにも弱いのだろう?
きっと、このバトルに全力を懸けて戦えば、観客たちも、そしてトレーナーであるシンジでさえ、誰もエレキブルを責めることなどしないだろう。相手が悪かった、よくぞ健闘した、と知った風に評価されるのが関の山だ。そんなものは野獣の渇望として浅すぎる――エレキブルは黒い指を砂の色に染める。どれだけ相手が強くても、届かない壁に挑み、無様に散る運命だとしても。最後の一瞬まではファイターだったと、胸を張りたい。
かつての好敵手も、こんな気持ちだったのかもしれないと、シンジは苦笑する。ゴウカザルとのバトルが今になって語りかけてくる。心の芯から燃え上がらせるような感情が、デオキシスとの戦いの中でもう一度目を覚ます。
これは、ただのトーナメント第二試合・準決勝にすぎない。そして、シンオウリーグ準決勝の特別な延長戦でもあるのだ。
「不思議なものだな」
エレキブルが傍らを通り過ぎる中、それとなくシンジが告げる。感情を交えないでさらりと言い放つところが、いかにも彼らの関係性を象徴している。
勇気の証。ポケモンたちと共に勝ち取った、シンジにとっての栄冠。それは、デオキシスという最強の敵に立ち向かう勇気をくれるはずだ。
エレキブルは気合を入れ直すように両の拳を叩く。まだまだ体内から電気が湧いてくる。タクトとデオキシスは互いに見やり、それを満足そうに受け止めた。
*
「シンジの奴、なんで笑っていられるんだ?」
誰もが抱くであろう疑問の代表者を率先したのはユウリだ。アユムとホクトのバトルとは全く異なる方向性の準決勝・第二試合。しかし、タクトとシンジの間には、確かに他のポケモントレーナーたちが結ぶ友情と相違ないものが育まれつつある。傍から見れば、一方的な差でシンジが引き離されているようにしか見えないというのに。
「エレキブル、かみなり!」
高らかに指示を出すシンジの声からは、先程まであった必死さが消え失せている。しかし、表情はそれと真逆で、絶対に勝つという信念を文字に描いたようだ。それに応えるが如く、エレキブルはコードを地中に突き刺し、電圧を一挙に流し込むことでフィールドを破壊する。見上げれば、宙を舞う岩石群。疑似的ないわなだれを見て、タクトは気付いたように口角を上げる。
「デオキシス、フォルムチェンジ!」
攻撃的な姿が嘘のように一変し、デオキシスの芸当が披露される。刺々しさは影を潜め、豊満な肉体が己を守るように武装を施す。それは空中からの連続攻撃をものともしない。シンジは悔しそうに歯軋りする。
「ディフェンスか……!」
「ノーマル、ディフェンス、アタック、スピード。これがDNAポケモン・デオキシスだ」
『四つのフォルムを自在に使いこなすデオキシス。このポケモンに、弱点はないのか!?』
本当にそうだろうか――実況の後を継ぐように、シンジが呟く。
「どんなポケモンにも、必ず弱点はある」
エレキブルもそれを分かっているようだ。ポケモンである以上、倒せない相手ではない。根本となる部分での意思疎通が出来ている彼らが、そもそも心を折られるはずなどなかった。シンジは誰もがタクトの勝利を予想したこの試合で、本気の勝利を獲得しようと目論んでいる。憎たらしくなるほどの貪欲さをもって。
「かわらわり!」
「受け止めろ!」
デオキシス・ディフェンスフォルムが、エレキブルの手刀を白羽取りに掴む。膠着する事態、互いの出方をうかがう二匹。いち早く異変を察したのはタクト。
「デオキシス。エレキブルから離れろ!」
「逃がすな! そのままかみなり!」
エレキブルは左手を犠牲に、コードを伸ばしてデオキシスの腕に絡み付ける。束縛を嫌ったデオキシスは再び鋭利な触手へと変化させ、脱出を試みる。刹那の間に痩身と化したデオキシス、獲物を取り逃がすエレキブル。敵の胸元で、サイコパワーが波打つ。
「サイコ――」
「まもる!」
障壁を張っても安心など出来ないほど、烈火のように迸る熱がエレキブルを後退へと押しやる。まもるで防いでも、直接受けた痛みが少し軽減されるぐらいのものだ。やはり、エレキブルの体力を鑑みた時、この戦いを長引かせるわけにはいかない。なにせ、肩で息をするのもやっとの状態だ。時間制限を設けながら、あのフォルムチェンジを攻略する術を編み出す――ポケモントレーナー・シンジに与えられた極限の試練だ。
しかし、先程の流れで判明した手掛かりがある。デオキシスは、胸の水晶体付近に四本の触手を据えて、そこから攻撃準備に入る。でんじほうに加え、サイコブーストという技の予備動作にもそれは当てはまる。
また、ここまでで傷をつけられていないから思わず判断を誤ってしまいがちだが、シンジが分析するにデオキシスのバトルは非常に消極的かつ臆病だ。エンテイのように、圧倒的な力にものを言わせて突っ込んで来るような戦い方をしない。ブロスターをスピードで突き放し、疲弊させたところからのでんじほう。エレキブルを取り巻くかげぶんしんで攪乱し、ばかぢからで投げ飛ばす。接近戦にはディフェンスフォルムで対応した。出来る限り距離を取って、ほぼ自分から肉弾戦を挑んでくることはない。それには何か秘密があるのではないか。
シンジが思索に耽る様子を見てか、タクトもデオキシスに告げる。
「気付かれたようだね」
トレーナーとポケモンが共有する秘密、それを見破られたが最期、これまで築き上げてきた帝国が瓦解してしまう――タクトは苦境に立たされながら、さも愉しそうにする。
そう、シンジは着実に近付いていた。行く先もなく、光の途絶えた迷宮で待ち受ける、たった一筋のゴールへと。
「デオキシスの弱点はなんだ?」
「素晴らしい」
「突破口があるはずだ」
「ボクたちは」
「行くぞ……エレキブル!」
「キミのようなトレーナーを、待っていた」
奔るエレキブル。策を持たず、突撃一直線の体勢だ。ここにきて、戦略を変えたのか。観客の視線が真意を問い、縦横無尽に駆け巡る。斜めにも真横にも、目まぐるしく展開していくバトル。デオキシス・シャドーがエレキブルを永遠の眠りへと誘おうと、魂の籠らない身体で寄り添う。それを荒ぶる掌底にて掻き消し、本当の敵だけを目指す。少しでも喉を開ければ、肺を叩くような風が入り込んでくる。野獣の唸り声が轟き、人知の及ばない生命体が迎え撃つ。
槍のように突き出される触手をかわし、体内の電流という電流を全て呼び覚ます。しかし、相手は一枚上手の存在、神速の反応でエレキブルを投げ飛ばし、あらぬ方向へと電撃が飛び交う。ディフェンスフォルムで身を守ったデオキシスは無傷だ。しかし、バランスを崩しながらも降りかかる拳は金色のきらめきを伴っている。何度やっても同じ結果とばかり、デオキシスは筋力を増強させ、ばかぢからを出す。しかし、そこには見落としていた誤算があった。筋肉に負担をかけ続けた副作用として、デオキシスの腕力が抜けていく。切り替えろ、とタクトは叫んだ。スピードフォルムにチェンジすれば、エレキブルの攻撃を受けずに済む。しかし、足元を走り抜ける強烈な違和感に、最強は初めて表情を歪ませる。エレキブルが解き放った、かみなりの残滓だった。それが一瞬の内に変化を図ろうとするデオキシスを食い止めたのだ。拳を腕で受け流そうとして、瞳孔を見開く。ありったけの闘気を託された手刀が、背後に控えていた。
「エレキブルは、もう一本の腕が使える」
かわらわりが、水晶を打った。
デオキシスは、核たる水晶を叩かれたことによって、全身に巡っていたコスモパワーが弱まっていくのを感じる。元来の姿に戻り、これ以上はフォルムチェンジの自由も利かない。
大地を踏みしめるエレキブルも、首を上げることすら辛そうだ。本来ならば、もはや戦うことすら不可能な状態。辛うじて戦場に繋ぎとめてくれるものは、一種の闘争本能でしかない。
「デオキシス!」
「エレキブル!」
「サイコブースト!!」
「かみなりパンチィィ!!」
エレキブルが雷撃の名を冠する意地を見せ付け、デオキシスが両腕でサイコパワーを生成する。刺すか刺されるかの数秒が勝敗を分ける。
シンジが睨んだ通り、鍵は胸の水晶体にあった。いわば〈デオキシス〉という一生命を構成する、脳の部分だ。血液の循環が悪くなり、デオキシスの動きに先程までの研ぎ澄まされた鋭さがなくなっていく。逆に言えば、異常なほど傷を嫌ったのは、デオキシスが一撃でも食らうことによって、司令部たる水晶が破損するのを恐れたことの裏返しに他ならない。フォルムチェンジを繰り返していたのも、防御が手薄だったからこそ。
電撃を纏った拳をそのままに、デオキシスへ猛然と挑みかかるエレキブル。一発目のサイコブーストが頬を掠める。その余波で、片腕が使い物にならなくなった。両腕を交差させ、顔の前で盾のように組む。緑色の障壁が味方をし、二発目の衝撃を削ぐ。
「サイコブースト!」
「まもる!」
皇帝デオキシスまでの聖なる通路を阻むように、サイコブーストという厳かな刺客が解き放たれていく。その度に念力の弾は縮小し、破裂も小規模なものとなっていく。
それでも、タクトは指示することをやめない。勝負を捨てたのではなく、諦めないからこそ叫び続ける。
「サイコブーストォ!」
「かみなり!」
三発、四発、五発――遂に念力と雷が相殺された。開ける視界、決着を望む相手がそこにいる! 瞬間、エレキブルの太い腕を流れていく感触。
絶対に逃がさない。デオキシスのまなざしが、エレキブルを捕えて離さなかった。
「これで最後だ!」
「全力で受けて立つ!」
エレキブルがコードを伸長させ、デオキシスの腕を絡め取った。自ら、接近戦を申し込んだのだ。片腕は封じ合った。顔面に向かって互いの腕が迫る。
「最大パワーでかみなり!!」
「デオキシス、ばかぢから!!」
身体のどこに、そんな力が残っていたのか。エレキブルと共に宙へと翻るデオキシス。巻きつけた尻尾と触手が制空権を奪い合う。次には、会場の中心でフィールドを貪り尽くすような一閃が弾けた。波のようにせり上がる砂と岩が目に痛い。やがて、赤茶けた荒野と化した。
赤い双眸には、全身を蝕む電流の邪魔にも屈さず、道連れを図ろうとする執念の塊が映った。零距離でのかみなりは確かに致命傷を与えたはずだ。だが、デオキシスはまだ戦闘不能の旗を審判に揚げさせない。震えの止まらない両手で、念力を繰る。
タクトは激情の一切を隠さず、デオキシスに応える。
「サイコブーストォォォォォ!」
「それが、あなたのポケモンバトルですか」
シンジは、ポケモントレーナー・タクトの全てを受け止め、敬意を表する。僅かな可能性があるなら、もぎ取ってでも自分のものにする、その姿勢に共感を覚えたのだ。
彼を特別視する者もたくさんいた。だが、タクトが他のトレーナーと違うと、どうして言えようか? シンジはこのバトルの中で最後まで挫けなかった。タクトを神のように崇め奉るのではなく、勝てる相手と見込んで対峙したからだ。シンジに感化されたタクトもまた、いつの間にか夢中になっていた。アユムやホクトとは違う形をもって。苦しみに溢れていたバトルは、楽しくなるようなバトルへと昇華を遂げた。
ポケモンバトルで最も大切なものを、彼らは知っている。
それは――。
やっと、届いた拳。水晶に深く響き渡り、雌雄を決する一撃となる。纏われていた電流はその気配を失って、最後は正真正銘の拳が炸裂した。
デオキシスの身体が、淡く薄れ、光と共に消えていく。散り際、タクトに向けられたその瞳はとても優しげだった。一緒に戦ってくれたことの感謝を伝えるように――タクトもまた、最後の粒子が消失するまで、目を逸らさない。
後には水晶だけが残される。空に澄み渡る神秘的な音色を奏でた数秒の余韻を経て、静寂は爆発へと変わった。
*
佇む敗者のタクトは、シンジに惜しみない賞賛を送る会場を見渡していた。これで終わった――チャンピオンへの挑戦権を手に入れ、渇きを癒してくれるようなバトルを求めたが、既にその目的は果たされた。今まで味わったことがないような満足感に浸り、会場を後にすることが出来る。
「ボクは、いつの間にか忘れていたのかもしれないな」
最強のトレーナーとして崇められ、畏怖の念を浴びるが故の孤独。強さに固執するしかなく、それこそがアイデンティティだと信じて疑わなかった。
「まだまだ、この世界には素晴らしいトレーナーがいる」
モンスターボール越しから戦いを見届けていたダークライとラティオスとも、同じ気持ちを分かち合えるはずだ。
『そして、皆さん。素晴らしいバトルを見せてくれたタクト選手にも、盛大な拍手を!』
タクトは呆気に取られ、伝説を操っていた者の威厳もすっかり抜け出ている。力という概念に憑りつかれていた彼らは、今や清々しい表情で、身体に染み渡る音に感慨を抱いている。その中には、とある少女から送られる拍手もあった。
シンジに勝っていたとしたら、際限のない虚無感はいつまでも留まることを知らなかっただろう。或いは、これでよかったのかもしれない。
歩み寄ってくる好敵手は、どこか強張った顔を浮かべながらも、そっと手を差し出した。タクトは迷いなくその手を取る。力強く握ることで、シンジはようやく顔を綻ばせる。
「ありがとう。シンジくん」
その言葉に色々の想いが詰まっていることは、言わずとも分かり合えると信じたからこそ、余計なことは付け加えなかった。至極簡潔に礼を述べると、おのずからそっと手を放し、タクトは踵を返す。敗者は勝者と同じ時間だけフィールドに立っていてはならない。本当に称えられるべき人間はあくまで一人だ。
「また……バトルしましょう」
温かな声に、思わず足を止める。そのまま立ち尽くしていると、感極まりそうだ。タクトは手を振りながらも、彼の方を向くことはなかった。
一人残された中で、シンジは思う。今回、タクトに勝利出来たのは奇跡に近い。恐らく、百戦行って九十九戦負けるとすれば、その内のたった一握りを掴んだのだろう。無論、それは自分たちでもぎ取ったものだ。しかし、伝説のポケモンがもう一匹登場したとしたら、今のシンジではまず勝てなかった。どこまでも末恐ろしく、底を見せないトレーナーである。
しかし、この瞬間は素直な喜びに浸ることを許そうじゃないか。理屈など片付けてしまい、ありのままの結果を受け取るべきだ。それが、決勝で待つトレーナーに示す誠意にもなる。
シンジはどこかにいるだろう人物を見つけ出そうと、群衆を眼で掻き分けていく。
丁度、会場通路の一番上にいた。そして、スクリーンに映る勝者の姿を、まっすぐに見つめていた。