前編
同時に目配せし、笛の穴に十本指を預ける。
硬くも独りでに馴染むそれは、耳底で響かせていたメロディを奏で出す。仰げば美しい月光が満ち満ちて。躍る心と訪れる試練への緊張、両方の糸を編んだ。指先の芯へと血流が脈動し、一音一音を過ちなく紡ぎ出す。
四方に囲まれた床が輝きを帯び、水源から漲るとでも錯覚させる光の流れは合一し、月の紋章を抉じ開けた。自分たちの行動が何をもたらしたのか見逃すまいと構える。射出されるエネルギーに反応し揺れるバッグ――正確には中で眠るポケモン――は、やがて強大な風圧によって攫われた。
飛んで行くバッグに手を伸ばしながらも、為すすべなく一部始終を見守るのみ。リーリエは瞬きと共に、口を僅かに開いて、コスモウムに宿る月と太陽の力が限界まで増していくのを肌で感じる。堪え切れない光が祭壇から望める空を白一面に塗りつぶす。
飛翔する輪郭に変わらない親しみと、大いなる威厳を見た。
二枚の翼を暗夜に羽ばたかせ、祭壇の上に舞い降りた。ミヅキとリーリエは笛を取りこぼしそうになりながらも駆け寄り、率直な驚きの第一声をかける。
「ルナアーラさん……。ううん、ほしぐもちゃん。わたし母様に会いたい」
「待ってくれ」
衣服に幾多の切り込みを入れ、孤高を中で育んできたような青年が、待ったをかけた。
もうひとり、アローラの誰も拒まない自然を持ち合わせたような少年が駆け登って来る。
「グラジオ、それにハウまで!」
「いつも大事な時にいない兄じゃ示しがつかない。だから来た。エーテルはビッケが引き受けてくれている。オレとヌルは、何かあれば、おまえたちの力にもなれるはずだ」
「おれもね、気になっちゃって」
「ふたりとも……ありがとう」
出会った頃ならば、腕を掴んで振り回すほど直情的だったミヅキも、今やはにかむのみ。
「みんながいてくれる……わたし、もう怖くありません」
決意は揺るがない。島巡りで得た、一様には表せない縁によって結び付けられた者たち。想いを代表して月の使徒に告げる。
「ルナアーラさん、連れて行って。ウルトラスペースへ!」
静寂を切り裂き、アローラの宙に亀裂を入れる金切り声は、この世ならざるものだ。しかし、コスモッグからコスモウムと一緒に旅した記憶は色褪せない。全員の願いに応え、未知なる世界の中継点・ウルトラホールを開き、飛び立つ。切り裂く風だけを遺して――。
辿り着いた場所への疑問を器に注げば、滔々と溢れて行きそうだ。
重力世界への叛逆が繰り広げられている。宙という名の波間を、河川に表面だけ浮かぶ岩のように途切れ途切れで統一感なく、小島がばらばらに漂う。
薄暗く不安定で、行き先の見えない世界。ルザミーネらがいるとは、俄かに信じがたい。この世界をデザインしたものは未完成の美を完成としたに違いない。
一歩進んだ。神経という神経が敏感に作用し、五感を素早く稼働させる。翼と似ても似つかぬ尾あるいは触手を、風も吹かぬ世界に靡かせる――影。通り過ぎるだけで、自身の影を掴まれ、突き刺す悪寒が走り抜ける。ルナアーラの威光とは異なるが、近しい息吹を感じさせる。ポケモンが畏怖の象徴であるならば、今の影は証明に成り得るだろう。
「単独行動は禁止だ。全員で進むぞ」
グラジオがひとまずの指揮を執る様は、前回の潜入と変わらない。
エーテルパラダイスでの出来事を思い返すたび、夢心地に囚われる。
――アローラは土着のコミュニティと直結している故に穏やかな地方だ。何故、別世界に籠る必要があるのか、カントーから来た少女の子ども心には理解し難かった。
島巡りという試練に何ら疑問を抱かず、大人が舗装してくれる道に沿って歩いていれば、社会が認める資格の保持者として扱われる。血と等価値で通う島独特のメカニズムをごく当たり前に受け取り、満足していたからこそ、スカル団やルザミーネの存在は忘れようもない衝撃をもたらした。
実際は悶々として、どこか割り切れない想いを抱えたまま、答えもなく、目的が呼ぶままに殿堂の間へと向かい続けているわけだが。
チャンピオンになりたいと思ったらチャンピオンになる。元々ミヅキは感情で動くタイプで、論理的結論を導くことが大の苦手である。それでも心に引っ掛かった小骨がいつまでもつっかえてとれないのは、何故だろう。性に合わず、ずっと考え込んでいた。
「ミヅキちゃん?」
ああ、と顔を上げる。リーリエはポニ島上陸以降、自分を「ちゃん」付けで呼ぶようになった。そうお願いしたのだ。いつまでも「さん」だとくすぐったいから。
「あはは。だいじょぶ、だいじょぶ」
手の平をだらしなく振り、気の抜けた返事をする。
「しっかりしろ。おまえがそんなんじゃ、こっちも調子が狂う」
常に生真面目な調子を崩さない男、グラジオだ。ミヅキはこの青年から果たしてどういう風に認識されているのか、時折甚だ疑問になる。
「……分からないの。ほしぐもちゃんが進化したり、別世界に来たりと、色々ありすぎて」
ミヅキだけが抱える問題ではない。子どもの浅知恵で苦難を突破してきた。ひと夏の冒険というには、枠を出過ぎている。理解が及ばないことを責める者は誰もいない。しかし、世界の奥深くまで踏み込み過ぎてしまった以上は、より深く入り込まねばならない。
「それはそうと。グラジオ、もうちょっと優しく扱ってよね」
「冗談言ってられるのは今の内だぜ」
「冗談じゃないってば!」
「ミヅキ、ちょっと回復したね」
ハウの突っ込みに気恥ずかしさを浮かべつつ、虚無に向かうだけの笑いが咲いた。
妖精たちは逃げ惑う。
この世ならざる場所で、神の産物には程遠い造形をした生命体に追われていた。
切り立った崖の天辺に足を伸ばし、光源を見つめる四つのまなざしは人間のものだ。マフラーを首に巻き、ニット帽を被り、赤いコートを着込んだ少女は、同伴者であろう黒衣の女性に語りかける。
「シロナさん。あれって――」
「エムリット、アグノム、ユクシーね。それと……」
「ポケモン、でしょうか」
「それじゃ、確かめに行きましょうか。ヒカリちゃん」
「はい」
シロナと呼ばれた女性は、颯爽と死に向かって飛び降りる。
豪気な自殺ではない。生を見据えた進撃だ。
一周の偵察に向かわせていたポケモンが、まもなく彼女を拾い上げ、背に乗せた。
一秒でも間違えば大惨事につながるというのに。迷宮での灯に映る。
「トゲキッス、わたしたちも行こう」
フェアリーの魔術に包まれた体が粒子によって運ばれる。超念力さながらの浮遊は、シロナが愛してやまない相棒・ガブリアスの芸当に劣らない。
シンオウの神と謳われたポケモンが三原色の如く収束し、放射状の攻撃をやり過ごす。再度散り散りとなって、三箇所に隔たれた。
代わりに別世界の住民が迎え撃つのは、新たに紛れ込んだ闖入者だ。
「今の攻撃、パワージェムかもしれません」
「さすがっ!」
弧と鋭角の軌道を自在に使い分けるガブリアス越しに、シロナが称賛の声をあげる。
ポケモンの構え・予備動作・間に注目することで、次に放つ攻撃を予測可能にする。最初は遊び半分だったが、幼馴染と練習している内に会得した特技だ。普段は自分を表現することが苦手で、服の虚飾に頼ってしまうほど引っ込み思案なヒカリ。しかし、バトルにおいては天性の才能を発揮する。シンオウ内で誉れを得るトレーナーと最前線での共闘が叶うのは、大事に巻き込まれるだけの実力を有した証。
眼下の怪物を鑑賞と洒落こむ暇はない。幸い、敵への注目が反撃に繋がるのだったが。少女のような外見とは裏腹に、触手を震わせ威嚇してくる。
硝子細工で出来た帽子を彷彿とさせる頭部がきらめき、星々を瞬かせる。
「シロナさん! 来ます」
「ダブルチョップ!」
「マジカルシャイン!」
初動から発動までの隙がほとんどない。相当な反応速度だ。
ガブリアスの皮膚に光弾が掠め、焼け付く。怒号と共に振り下ろされる鎌の一発目が手痛く刺さる。チョップの洗礼に怯んだところで、すかさずこの世界から最も縁遠いであろう聖なる光を浴びせる。とどめの二発目が裏拳のように触手ごと薙ぎ払った。
陥落していく一匹を見届ける。そこで異変が生じた。
「シロナさん、まだ終わってない!」
「これは……」
PCノイズのように空間が歪んだかと思いきや、硝子のポケモンが軍勢となって取り囲む。触手を逆立てており、体から迸るオーラが気性の荒さを物語る。
エムリットたちを助けるには囮役を買って出るほかなかった。しかし、あくまでも怪物たちにとって、我々は招かれざる客なのだ。
先程、シロナのガブリアスを超える程の反応速度を見せた。腰元のポケモン図鑑も反応しない相手に、常識が通じると考えた瞬間、負けだ。
かつてスタジアムで見た記憶が正しければ、流星群が炸裂し群れに被弾するまで、およそ15秒以上を要する。直撃を待つことなく、無慈悲なパワージェムはまとめて銀の鱗を引き裂くだろう。と、なれば。
「ごめん……。このゆびとまれ」
「駄目、ヒカリちゃん――」
パワージェムを全弾引き受けようというのか、無茶が過ぎる。首を振り乱し、シロナは叫んだ。トゲキッスは指示に何ら嫌悪を示さず、役目であるとばかり引き受ける。元より、覚悟を決めていたように、無垢なまなざしがより洗練されていく。
早まるな。ガブリアスを引き返させようとするが、もう手遅れだ。獲物は一瞬で標的を刈り取る――故に、戦いというものは常に一瞬での決着を迎える。
トレーナーとして旅立った頃からは考えられないほど据わった瞳。内に秘められた助けを求める声に、別次元からの同じ招かれざる客が応えた。
「シャドーボール!」
「サイコキネシス!」
「トライアタック!」
光弾の軌道を念力で捻じ曲げ、元素の応酬で怯みを誘発し、重力波で押し潰す。
目を開けた先には、少年少女たちと屈強そうなポケモンが揃いも揃って屹立していた。奇襲を仕掛けた群れは、彼らの剣幕など意にも介さず、むしろ逆上したようである。
全員が手を繋ぎルナアーラに騎乗することで、なんとか事なきを得る。ガブリアスとトゲキッスもひとまず彼らに付き従った。しかし、執拗に追いかけてくる。
「やはり、あれは〈ウツロイド〉の群れか」
グラジオは種族名ととれる文字列を口にする。すかさず、シロナが眉を潜めた。
「ウツロイド? 聞いたことのない名前ね」
「ウルトラビーストだ」
「ウルトラビースト?」
シンオウ古典の辞書にはない単語だ。シロナは微かに歯を食いしばり、口元を険しくする。未知を既知に出来ていなかったことへの悔やみが垣間見えた。
「シロナさん、話はあとです。今はこの群れから逃げましょう」
「そうね」
しかし、ウツロイドたちは減少どころか増殖している。
「たくさん出て来るよっ、これじゃキリがない!」
ハウが悲鳴をあげる。尻尾をサーフボードに見立てたライチュウが電気袋の火花を散らし始めた。四方に放つ電流を掻い潜り、掴み所のない動きで翻弄してくる。触手が翼の尖端を掴もうと振り下ろされ、寸前のところで掠める。そんな駆け引きを何度か繰り返した。
「だめ、追いつかれる」
「ルナアーラさん……!」
リーリエは手を組み、最後の頼みの綱であるルナアーラに縋る。
空間を根幹から断つような奇声を轟かせ、抉じ開けた大穴へと突っ込んだ。
ここは脱出不能の監獄だと悟る。ウルトラホールは、あくまでもウツロイドが集結していた地点と別の座標に転移するだけのはたらきしか果たさない。
代わり映えしない景色が嘲笑うように沈澱する中で、番人の手から逃れた無事にほっと胸を撫で下ろす。
「ひとまず、撒いたようね」
「……助けてくれてありがとうございます」
「わたしからも、危ないところだった。ありがとうね。あたしはシンオウチャンピオンのシロナと申します」
「わたしはフタバタウンのヒカリです」
会釈をする彼らに倣い、各々自己紹介をする。
ミヅキはシロナのことが気になった。チャンピオン、と彼女は発言したのだ。
ククイ博士はホクラニで夢を語った。アローラで最も高い山の頂上に、ポケモントレーナーの一番を決める場を建てたいと。島巡りに成功した者だけでなく、正真正銘すべてのトレーナーにとって可能性をもたらし、励まし、高め合う場でありたいと。
「チャンピオンってポケモンリーグ?」
「それ以外に何かあるの?」
ハウとヒカリの会話は噛み合わない、それもそのはず。
「アローラとシンオウは全然文化が違うからね」
シロナがざっくばらんにまとめた。
「ところで、みんなは友達なの?」
ヒカリは次なる疑問を口にする。思ったことを聴かずにはいられないようだ。
「トモダチ」
ハウはともかく、グラジオやリーリエを友達と称するには、片言になる程違う気がした。奇遇に奇遇を重ねた彼らを、一語で割り切って良いものではないと感じる。
「オレたちは仲良しじゃない。だが、悪くない関係だ」
グラジオの代弁を聴き、正答にそっと微笑んだ。気障な奴だが、ばっちり決めてくれる。
「どういうこと?」
それをいわゆる友達というのではないだろうか。
混乱するヒカリをよそに、まだ人生半ばもいかない子どもたちが大事にしている価値観をチャンピオンは感じ取り、微笑む。
「それじゃあ、状況を整理しましょうか」
何故異界と思しき場所に迷い込む羽目になったのか、経緯の説明に入る。
シンオウでもギンガ団と名乗る団体が活動していた。宇宙エネルギー開発を目指す大企業だが、実態は時空伝説を暴き、神と呼ばれしポケモンを手中に収めることが目的だった。そのためなら、ポケモンの生態実験も躊躇しない。
総帥の野望を打ち砕くため、シンオウで最も高い場に推参した。テンガン山には槍の柱と呼ばれる神との謁見を許された遺跡がある。
「あたしたちが迷い込んだこの世界は文献によると〈やぶれたせかい〉という呼称がある」
シロナは考古学的観点から説明する。
「まさしく、ウルトラスペースもアローラとは別次元にある場所だ。繋がるな」
世界から「破れた」場所、無に見えるものが実は有である。
恐ろしい事実を突きつけられた。
「ウルトラスペースがやぶれたせかいで、やぶれたせかいはウルトラスペースってことー?」
「そう考えてもらって構わない。ウルトラスペース、ビーストについては何も知らなかったけれど、まさかギラティナの世界に生息するポケモンがいたなんて」
「ギラティナだと?」
すかさずグラジオが切り込む。ミヅキとハウが顔を見合わせ、同じ認識に至った。
「空間研究所の!」
「シロナさん。その、ギラティナ……。わたしたち、見たかもしれない」
「本当に!?」
「うん。ボクたちがウルトラスペース……じゃなかった、やぶれたせかいに来たときに」
「ギラティナはシンオウ地方の神々と対等な力を持ちながら、歴史の影に埋もれたポケモンだと云われているわ。存在さえ定かでなかった」
「つまり、ウルトラスペースもといやぶれたせかいは、ギラティナの力によって構築されているのか」
「その可能性は高い」
「だとしたら、あんたたちの言うボスとやらは、ギラティナを狙うかもな」
「ギラティナが倒されたり、ゲットされたりしたら、どうなるのー?」
「……分からない。でも――」
末尾を言わずとも、結末は想像出来た。
「とにかく、これで共通の目的が出来た。オレたちは手を組むべきだろう」
「こちらとしても心強い。ね、ヒカリちゃん」
「はい。是非とも、お願いします」
ここにアローラ・シンオウ間の協定が結ばれた。少しでも生還の可能性が見出せ、顔色がよくなるのと反対に、リーリエは俯いている。
「リーリエ、大丈夫?」
「はい、すみません。せっかく希望が見えてきたのに」
「どうしたの」
「ポケモンで生態実験、と聞いて、母のことを思い出してしまって」
「そっか。そうだよね」
今度は、ミヅキたちの境遇を語る。
エーテル財団の闇、ポケモン保護の生々しい実態にも目を背けず、不快感を露わにせず、真剣な様子で聴いてくれた。出会ったばかりでも互いの深い部分を共有出来る、そんな人たちだと分かり、リーリエの緊張や警戒も解けた。
「そんなことが」
「わたしはなんとしても母に会って、文句のひとつやふたつ言ってやるつもりです」
「ねえ、わたしたちと同じように、ルザミーネがアカギと会っていたりして。……ああっ、ごめん今のなし。言わなければ良かった」
「いや、ミヅキちゃん、それは充分有り得るわ。さっきの話を聴いた限りでは、ふたりとも思想的には共通している」
今度はミヅキが暗くなる。
「……戦えるのかな?」
「何を今更」
前を向き、グラジオが刺々しい響きで叱責する。だが、ミヅキの深刻は気迫面で彼を上回った。声色は既に震えている。
「グズマだっているんだよ!?」
スカル団、エーテル財団、ギンガ団――三大悪が一箇所に勢揃いしたら。目的のために手を組んでいたら。想像するだけで身の毛がよだつ。
大人のチャンピオンが付いている? 人間は万能ではない。先程の襲撃を思い出せ。意思疎通がままならず、本能のままに襲ってくる。ポケモン本来の生き写しだ。
ルザミーネとグズマは、地元トレーナーみたく礼節をもって由緒正しき戦いを申し込んでくるわけではない。障害物を徹底的に捻じ伏せる、文字通り戦いを知らしめてくる悪鬼だ。恐らくは、ヒカリとシロナもそんな死線を潜り抜けて来た。
だからこそ、いつの間にか地方を代表する立場に擁立されたことが、どうしようもなく、
怖い。
「みんな、ごめん。勝手だって分かってる。でも、わたしは、島巡りをしていたはずなのに」
――どうして、世界を懸けた戦いに巻き込まれているの?
誰も、何も言えなかった。
もはや少年少女の手に負える範疇をとうに超えている。自分が当たり前のように暮らして来た世界を否定する人々がいる。破壊を望んでいる。そんな相手にどう立ち向かえと。
シロナが口を開きかける前に、進み出たのはひとりの少女だった。
「だいじょうぶ!」
この期に及んで、人を勇気付けられる彼女が、強く見えた。
ヒカリは黙って、ミヅキの両手を支える。
「ヒカリちゃんの大丈夫は、いつも根拠がないけど」
「えっ、ひどい。シロナさん、そんな風に思ってたんですか」
「冗談よ。特に、今はね」
「ミヅキちゃん。わたしも少し落ち込んじゃったけど、ゼンリョクで行きましょう!」
「リーリエ……」
「だからオレたちを頼れって。な、ハウ」
「そーだよ。みんなで行けば怖くないよっ」
「あたし、チャンピオンとして約束します。ミヅキちゃんの旅を壊させないって」
「世界を守ろう、とは言わない。でも、帰ろうよ。元の世界に」
溜まった涙を拭い、鼻を啜りながら、ヒカリの冷え切った小さな手を握る。微かな震えを押し殺していることにミヅキだけが気付いて、二度と弱音は吐かないと誓った。
世界は静かに、侵入者を案内する。
束の間、旅の苦労を分かち合える同志との会話に花を咲かせた。やはり地方文化の違いが盛り上がる。意気を取り戻したミヅキが得意気に移住先の文化を語る様は、在住歴何年というベテランと同格気取りである。中でもヒカリはアローラの通過儀礼に食いつき、よく相槌を打っていた。
「シンオウには島巡りっていう儀式はないから……ジムバッジを集めて、ポケモンリーグに挑戦するの」
「ポケモンリーグ、これからアローラにも出来るんだよ」
「そうなの? あ、それでさっき……」
「そういうこと」
「じゃあ、そのポケモンもミヅキちゃんの?」
ヒカリは、先程からモンスターボールに入らないポケモンに気を取られていた。
ディアルガやパルキアが人知を超えた存在だとすれば、ルナアーラは月から人間とポケモンを見守る慈悲の女神とでも称すにふさわしい。
「ん? ほしぐもちゃんはリーリエのポケモンだよ。わたしじゃなくて」
リーリエのポケモン、とおやを明確化するように言ってのけるので、指名された当の本人は弁解に大慌てである。手を振って丁寧に断りを入れる。
「そ、そんな。わたしはトレーナーではなく、ほしぐもちゃんのお世話をしていただけで」
「そもそも何故トレーナーにならない。守るためにはポケモンの力を借りることも必要だ。オレもヌルを守り、そして守られてきた。おまえは立派なルナアーラのおやだぞ」
「それはわたしもちょっと気になってた。聞いちゃ悪いかなと思って」
「実は、ポケモンさんに触れなかった時期があったのです」
「それは初耳だ」
「……兄様が出て行ってからです」
半分瞼を下ろし、あどけなさの抜けない睨みを利かせて、不平をぶつける。妹のちょっとした意地悪な仕返しに、兄はすべてを察した。ビースト絡みの事情だろう。
「すまん」
「いえ、過ぎたことです。今は少しずつ良くなってきましたから」
ルナアーラは進化してもなお、視線をリーリエに注ぐ。茶目っ気は抜けず、傍目からも好意が分かる。放っておけないのだろう、時折危なっかしい言動に出る少女でもあるから。ミヅキもリーリエには同じ感情を抱いていた。
「そう、なのでしょうか。だとしたら、とても嬉しいです」
「まあ、無理になれ、とは言わん。だが、もしおまえ自身がルナアーラといることを望むなら、少し考えてみるといい」
「わたしが、ポケモントレーナーに……」
強制されることではなかったから、気乗りせず、ポケモンに触れなかったという過去でごまかしていた想いが、揺らぎ始めている。
トレーナーの辛さ素晴らしさ、ずっと旅をしてきた憧れの人が見せてくれた。
「ほしぐもちゃん、わたしはどうすれば」
ルナアーラはあえて沈黙する。
やぶれたせかい式のエレベーターが、下層への到着を告げるために停止した。
足元から出来損ないの植物が生えだす。普通、葉は空を目指してまっすぐ健全に伸びるものだが、しなだれ、ねじ曲がり、ありもしない方を向いている。縦横斜め、狭い一本道をひとりずつはぐれないように命綱と見立てて辿り、移動する大地に何より安堵する。
ちょっとした崖ほどの段差をロッククライムの要領で滑り降りると、いよいよ景色に圧倒的な変化が注がれた。真っ先に知覚したのは、神々との対面に焦がれたシロナだ。
「ユクシー」
シンオウ時空伝説の一角、知識を法典の如く授けたと云われるポケモンが待っていた。「神」という一単語が醸し出す力強さを具現化した姿というより、人間の頭蓋骨と変わらないぐらいのサイズで顕現していた。
辺りは十字架の迷路。ポケモンの力を借りれば押せそうなキューブ、穴だらけの凸凹。
植物の間を縫い、時の流れから切り離された日陰より出づる人間も、またひとり。ミヅキが真っ先に気付く。
「グズマだ」
「彼が?」
シロナが念入りに確認した。
「本当にこんな所までやってきやがった。ブッ壊れてやがる」
血走る眼孔を剥き出しに、歯を立てて笑う。ギャングの成れの果てを思わせる風貌からは既に理性が失われ、獣と相違ない戦意だけが亡霊のように憑依する。
「シンオウの守り神サマに御挨拶といこうか、グソクムシャ」
輝きをたたえる妖精の方に牙を剥いた。モンスターボールの内より、甲殻の鎧を携えた、乱世を想起させるポケモンが一太刀を浴びせかかった。
「ガブリアス!」
ユクシーの首を賭け、出会い頭とダブルチョップが一閃交わる。
右鎌で脳天を叩こうとするが、同じく左腕で薙ぎ払われる。互いに戦果をあげられず、足跡だけが土を掻き分けた。
「今あんたの相手をしている暇はないの」
ミヅキは苛立たしげに告げた。
「おれがブッ壊したいのは、おまえただひとりだ!」
どこまでも純粋で狂った願い。二回敗れてからというものの、トレーナーとして二度と立ち上がれることのないように、心を完膚無きまでに壊す、その一点張りだった。
「みんな、ポケモンを出せ!」
グラジオの号令と共に、トレーナーたちはユクシー死守包囲網を敷く。
「アクアブレイク!」
波動を叩きつけると、水流が奔出し、地表を根こそぎ抉り取る。グズマがかねてから提唱する破壊行為を体現した技だ。
不意打ちの一撃で連携が崩され、各々信頼するポケモンに助けを求める。
ハウは念力でサーフテールにしがみつき、グラジオはヌルの背へと飛び乗り、シロナはガブリアスに跨り、リーリエはルナアーラに拾われた。
うずくまる旅立ちの少女ふたり、そしてスカル団のボスを残したまま、距離は遠ざかる。
「こうなったらやってやる。どのみち、あいつとは決着をつけなきゃいけないんだ!」
「わたしも、残る」
有無を言わさぬ口調だった。
ミヅキは一瞬目を見開くが、すぐに口角を和らげて思い切りよく頷いた。
「ヒカリちゃんっ!」
「シロナさん、我儘言います。もしも、ミヅキちゃんに何かあったときのために」
「チャンピオン、ミヅキはああいう奴だ。こっちにいてくれるとありがたい」
「ミヅキちゃんなら、グズマさんを倒してくれます」
「分かった。ユクシー、お願い」
神が人間の意志を汲み、神話世界の伝承を今再現するように、導き手となる。あるいは、人と同じ地平に降り立ち、助けを求めているような心許ない瞬きともとれる。
スカル団のブラックリストにない顔。寒気に備えた服装は、アローラの住民ではないと一目で看破させた。
「誰だァおまえ。お呼びじゃねえぞ」
「シンオウ地方フタバタウンのヒカリ。未来のチャンピオン」
「チャン、ピオンだと……? 軽々しく使うんじゃねえ!」
グズマの無念を以心伝心し、グソクムシャがずいと進み出る。威嚇がてら左脚で敵陣に踏み込んだ。ミヅキはいつもよりずっと強く、ボールを握り締めた。
「ヒカリ。わたしのバトルを観てて。絶対勝つから」
「分かった」
「これで最期だ……おまえを粉々に打ち砕く!」
ミヅキは肩を引き、腕を薙いで、勢いよくボールを投擲する。
粒子と共に溢れ出る光は、やがて舵輪と錨が混ざり合った輪郭をとる。しかし、本体は付着した藻屑の霊体。故に性質はゴーストタイプ、ポニの船団に浮上するダダリンだ。
「ダダリン、シャドークローッ!」
出現と同時、腕を払い指示を出す。ヒカリは、ダダリンが錨を持ち上げるのに苦労している様子から、自分の体重が足を引っ張ってしまう鈍足のポケモンなのだと理解した。その分、一撃の致命傷は増す。影を忍ばせ相手を刺す、それがシャドークローだ。
「影を取らせなきゃいいんだよ」
重量の分、落下速度が増す。直撃を受ければ、装甲にも傷が付く。だから、逆に影を突かれなければ良い。グソクムシャの影が――飛んだ。
否、目にも止まらぬ瞬発力と推進をもって、眼前まで肉迫する。グソクムシャ自慢の六本腕が総動員して錨を首根っこのように掴み、頭突きを食らわせた。刃は不発に終わり、ダダリンは地に伏す。息の根を止めるようにグソクムシャが振りかかった。
「錨を伸ばして、アンカーショット!」
「不意打ちを叩き込め」
操舵部が、がちんと音を立てて外れる。鎖の雁字搦めだ。裏拳を叩きつけられ、締め付けの勢いは緩んだ。接近戦が仇となる。焦っているのか、一刻も早く後を追わなければと。
「きゅうけつだ」
「こっちもギガドレイン!」
グソクムシャを藻屑が伝い、光合成と同じ要領で精力を吸い取る。向こうもまた顔から生えた腕を鋭利に尖らせ、精力を奪い合った。その結果、勝者は。
「ダダリン……」
ミヅキの足元に、枯れた藻屑と化したダダリンが伏す。向こうは二本指をくいとあげ、二番手を要求した。以前の何倍も強い。この世界で一から鍛え直したのか。強くなったのは何もミヅキだけではないということだ。しかし、今はそこまで頭が回らない。
「ごめん、ありがとう。戻って」
労いも、つい早口に送ってしまう。今の采配は適切だったかと、自問する。
グズマはいきり立つ割に冷静な指示を出すから、余計に焦燥感が募るばかりだ。
格好つけるわけではないが、一度勝てた相手だ。トレーナーとしても、世界の命運を双肩に担う今としても、負けるわけにはいかない。
「お願いっ、メテノ!」
アローラに伝わるZポーズのように腕を重ね、そのままボールを放つ。
流星となって飛来した隕石ポケモンだ。核を閉ざし、罅割れた殻で準備を整えている。
「これで決めるよ、ストーンエッジ!」
メテノが激しく回転し、地中から万遍なく石柱を突き立てる。やぶれたせかいが生成する天然森林を真似た迷路が、アクアジェットの勢いを削いだ。
「切り替えろ」
相手は判断を間違わなかった。一度ストーンエッジの支配する通路であえて足を止め、アクアブレイクを発動する。石柱が同心円状に根本から崩れ、一気に瓦解する。大技を放った疲労で、メテノの挙動はおぼつかない。
「アクアジェット!」
グソクムシャは再び小回りの利く技に切り替え、メテノを彼方へと吹き飛ばした。
やぶれたせかいに飲み込まれかけたメテノを、そのままボールの中に吸い込む。ここはスタジアムではない。ポケモンがトレーナーの下に帰って来られる保証すらないのだ。
せっかくの色違いも映えることなく、輝きを曇らせてしまった。
偶然ホクラニの天文台で出会えたときの喜びを無下にするほど、愚かなバトルを演じた。目立ちたがりで、殻に籠るよりも外で活発に暴れ回るのが好きなメテノ。黒曜石のように鋭く光を帯びたコアを誇り、宙に鋭角を描き飛翔する様は、実に堂々としていた。申し訳なさが尾を引いても、謝ることしか出来ない。
「メテノ、ごめん……」
「腑抜けやがって、舐めてんのか。それとも、みんなをかっこよく救うヒーロー気取りで挑んで来たのか!?」
そんなことはない、と否定しようとして、喉から出かかった言葉を無理矢理飲み下す。
「その思い上がりが許せねェんだ!!」
初めて、グズマが壁として立ちはだかる。怒号が心臓を貫くかと錯覚した。
仲間の想いを受けて、決意を新たにしたはず。だが、トレーナーとしてミヅキの中にある迷いは、依然晴れないままだ。
スカル団のような脱落者を、島巡りで幾度となく目にしてきた。
アローラの在り方は本当に正しいのか。でも、郷に入っては郷に従え、という。ミヅキは子ども心におかしいと思った意見を押し殺し、自分を守ってくれる大人たちや神々の加護に甘えていた。でも、それでいいのか。
仮にこのままグズマを下し、彼の屍を踏み潰して進んだとする。いずれはチャンピオンになるだろう、アローラでミヅキに及ぶトレーナーは少ない。だが、称号の授与は自分が倒して来たものの叫びを、聴こえなかったことにする。
「おまえは、おまえらは、おれたちを屑として見下すだろうよ。でもな、世の中は必ずしもレールに沿って歩ける奴だけじゃねぇんだ。中にはレールを歩くことすらうまく出来ない奴もいる。乗れなかった奴は、脱落していくしかない。その成れの果てがここだ!」
グズマの演説を、グソクムシャは妨害しない。
破れた世界。現実の世界から破れ、敗れた者の集まり。無念の集合体だ。
「この世界が示してるだろ? おれたちは敗者だ。だが、まもなく勝者になる……!」
引き攣るような笑いは、今までのどれとも違う。
グズマの自信は、たったひとりでは成し遂げられない背後の力を感じさせた。ヒカリはそれが何者による仕業か分かる。ミヅキとグズマの因縁は全く分からないが、これがただのバトル以上の重大な意味に及ぶこともなんとなく察せた。
「気に入らねえもん、全部ブッ壊してやるんだ! 全部、全部、ゼンブなァァァッ!!」
己の演説に酔い、だんだん昂ぶっていく。明らかに自制が利かなくなっていた。
スカル団の頭領に上り詰め、アウトローの人間たちをまとめてきた。その彼が、やぶれたせかいで絶対的な力に感化され、単なる目先の破壊から、世界ごと復讐の標的に見据えている。
「だめだよ。だめだ、グズマ」
ここで彼を止めなければ、ミヅキはトレーナーとして大切なものをなくす気がした。しかし、勝たなければ、勝たなければと暗示をかけるほど、手はボールを取りこぼしそうなほど震えていく。そのとき、背後から声が響く。
「ミヅキちゃん。あなたはどんなポケモントレーナーになりたいの? わたしは、ポケモンたちを輝かせたい」
右胸に手をあて、心の内を確かめるような仕草を取る。
「わたしの母さんはトップコーディネーターだったの。でも幼馴染の父さんは、タワータイクーンっていう、凄く強いトレーナーだった。旅立つ頃、わたしはトップコーディネーターもチャンピオンも、両方目指したかった。でも、それは無理だった。欲張りだって気付かされた」
一次予選で連続して敗退し、涙を呑んだ日々。おまえのパフォーマンスは、派手なだけでポケモンを魅せることに向いていない……そう言われた。コンテストとジム巡り、どっちも甘い汁を啜ろうとしていた。真剣にその道へと打ち込んでいる人には、まるで通用しなかった。ヒカリはドレスを脱ぎ、親の背中を追うことをやめた。
「だから少しでも、一匹一匹がスタジアムで喝采を浴びるようなバトルを演じたい。それが、わたしの夢」
物腰こそ落ち着いているが、秘めた想いはチャンピオンに負けないほど鮮烈だ。ミヅキはヒカリほど理路整然としていない。だが、彼女の言葉は自然と勇気を起こさせる。
まっすぐ腕を伸ばし、相棒を呼ぶ。最初に認めてくれた最高のポケモンで勝つ。
「……。ジュナイパー!」
ミヅキが動なら、ジュナイパーは静。無音で降り立ち、両翼を誇示する。人間でいうところのフードにあたる紐を弓弦に見立て、抜き取った一本の矢を番える。
「かげぬい!」
「何度やろうが同じだ。アクアジェット!」
ダダリンと酷似した戦法に、グズマは辟易する。案の定、水流に攪乱される。
それでいて、フードの奥の瞳は、冷酷なほど好機をうかがっていた。
同じタイプだから、違うことが出来る。グズマにも見落としはあった。ただの〈かげぬい〉ではない――気付いたときには、左手首のZリングがトレーナーとポケモンの想いをひとつに束ねる。ミヅキはまるでジュナイパーさながら、弓矢を射る。
「しまった!」
かげぬいは誤判断を誘うための罠だ。本当の反撃はこれから始まる。
ジュナイパーの全身に紫のオーラがふつふつと沸き立ち、まもなく飛翔した。
「これが、わたしたちの……全力だ!!」
霊気を帯びた矢の数々が錐揉み落下に追従し、螺旋を描く。グソクムシャを捉え、抜き放つ。一本目が水流を裂き、二本目が左脚を射止め、三本目が蛇腹のような背中に食い込んだ。勢いを完璧に殺され、成す術もなく、矢の串刺しとなる。
通り雨が止むと、グズマの相棒は立ち尽くしていた。最後まで顔に泥を擦り付けられることはなかったぞ、とばかりに。
酔いしれていた己の油断を戒める壮絶な表情をもって、ボールに戻す。
「Zワザを使ったな。Zワザを!」
「あんたの、バトルに応えなきゃ、いけないと思った」
「なに……?」
肩で息をし、両手を膝でなんとか支える。ジュナイパーも立つのがやっとだ。
アローラに伝わる一撃必殺の奥義・Zワザがもたらす疲労は甚大なものだ。一度のバトルで、一度が限界。現実的に考えれば、後の戦いに備えて残しておくべきだった。それでも、Zワザを使ったのだ。
「今更こんなこと言っても、何言ってんだって思うかもしれないけど。わたしも、島巡りだけじゃ、みんなが幸せになれないと思ってた」
「同情か」
心底憎々しげに、頬を強張らせる。
「スカル団は悪いことをしてきた。だから、同情は出来ない。でも、ククイ博士だってトレーナーを苦しめるためにポケモンリーグを作ろうとしているんじゃないと思う」
「ククイに踊らされているだけだ。あいつはこう言った。自らキャプテンにならなかったんだとな。あの野郎は高みからおれたちを見下してやがるんだ!」
「そうだとしても、わたしたちは同じトレーナーなんだよ!?」
ミヅキの訴えは、グズマの胸を打った。
スカル団はアローラ民から、劣った人種のようにあしらわれてきた。ところがいずれ島巡りを完遂するであろう少女の口から直接「トレーナー」という言葉が飛び出す。グズマをポケモントレーナーの一員として認めたのは、団員以外にこの少女が初めてだった。
尊大な面を叩き壊したい想いと、一縷の可能性に懸けたい想いが交錯する。
「だったら変えられるのか!? 糞みたいな風習で人間とポケモンのすべてを決めつける――敗者に権利のない世界を!」
答えは決まっている。
「わたしが変える」
「わたしが、アローラ地方で最初のチャンピオンになる」
「すべてのトレーナーを見捨てない。どんなときも、全力で戦う。それがわたしのバトル」
「余所者だけど……今は、アローラのトレーナーだからっ」
子どもが夢を語るときの溌剌とした輝きが内に宿る。
若者は不可能など考えない。打算、リスク、偏見一切を知らない。怖いもの知らずだから、どこまでも前を向いて行ける。
ポケモンリーグが正しいのか、島巡りが正しいのか。最強を決定する段取りは各地に用意されている。それでも一定の仕組みは戦士を脱落させ、堕落させる。挫折を促さない強さであれ。みなが憧れ、自身も挑戦者に飽きない世界、それがポケモンリーグの理想。
傲慢に夢を掲げ、挫折を知らず、向こう見ずな、グズマの言う通り……戯言だ。努力が必ず勝利すると、信じて疑わない。まるで「かつての」自分を見ているようだった。
「は、ははっ……。出来るわけねえだろ!! すべてだぁ? 餓鬼が戯言を。おまえ如きが全を語るのか」
「このバトルに勝って証明する。もう、さっきまでのわたしじゃない」
ポケモンバトルをすれば綺麗さっぱり禍根も洗い流して、手を取り合い、ライバルになれると信じていた頃があった。
「……虫唾が走る」
現実は、王は神の気分次第で選出され、敗者を掬い上げる措置はない。キャプテンを目指していたグズマに、神の恩寵は振り向かなかった。世界ごと自分を白眼視してきた。
あれは、かつての虚栄だ。
自分の影を、壊さなければ。打ち消さなければ。
義務感は、グズマの唇を滑らかに動かす。
「オニシズクモ! 潰せ! ひたすらに! 喉元をへし折れ!」
呼び出された次のポケモンは、常のおやらしからぬ指示に困惑しているようだ。
冷静さを欠いては応え切れない。ポケモンはトレーナーを信じて、トレーナーはポケモンを信じて、戦うのだ。
「アクアブレイクで叩き割れェ!」
「ジュナイパー、ハードプラント」
もはやミヅキの敵ではなかった。だが、あくまでも容赦なく迎え撃つ。
戦いでの決着を望む相手に対する、最大限の礼節だ。
地盤を割って、蔦が底から侵入する。オニシズクモは突き刺すように脚を絡めるも、怒涛の流れに逆らえず、体勢を崩して埋もれてしまった。
ジュナイパーが数秒遅れてから倒れる。ミヅキは慌てて駆け寄った。
グズマも首を横に振り、現実を噛み締めるようにオニシズクモへと寄り添う。何もしてやれなかった無力感に打ちひしがれ、抱きしめながら嗚咽をこらえた。
「グズマァ、なにやってんだ……」
一体、自分は何をしてきたのだろう。
スカル団として、トレーナーとして、やることなすこと中途半端に終わった。偶然、世界に復讐するための後ろ盾を得たから気が大きくなっていただけで、本来はポケモンに頼らなければ何も出来ない。文字通りすべてを懸けても、ミヅキには勝てなかった。
今の自分から変えなければ、世界とて何も変わりはしないのだ。
「ごめん、無理させたね。戦ってくれて、……ありがとうね」
ミヅキはグズマのおかげで、このバトルを契機にひとつ吹っ切れた。おやの恥ずかしくなるほど眩しい微笑みを受けて、ゆっくりと蔓を引っ張る。
「あっ、なんで顔隠すの!? ちょっと!」
グズマはどこか遠目に、彼らを見つめる。もう一生届かない存在――かと思えば、グズマを見るなり遠くの人物はこちらに歩み寄って来るではないか。そして、手を差し伸べる。
「グズマ、強かったよ。またバトルしよう」
なんと一方的な約束の取り付けだろうか。
そして、思い出した。一度や二度、三度の勝ち負けが優劣を決めるわけではない。負ければまたリベンジを、勝てれば喜びを噛み締め、誰も知らない高みを目指すだけだ。
最も基本的なことを、いつの間にか忘れていた。だが、今思い出せた。
「……へっ、調子狂うぜ」
今までならば払い除けたであろう手を取り、起き上がる。
ポケモントレーナー・グズマがスタートを切った。
そして、ドラマの証言者となったヒカリもまた、思わず握り拳をつくっていた。