モヤモヤボール
モヤモヤボール
 

「モヤモヤボール?」
「はい。お一ついかがですか」
「いえ、ボールは足りていますので」
「今ならお安くしておきますよ。なんていったって新製品! ですから」
 そう迫られ、私は思わず頷いてしまった。
 コガネシティの地下通路では商人達がこぞって店を出す。私は会社の帰路につく途中、この地下通路を愛用しているのだが、残念なことにこれといって興味を惹かれる品物は今日までなかった。その代わりにくだらないセールスや正体の分からない団体が、カモと定めた獲物に擦り寄る歪な光景を幾度となく目にしてきたものだ。私はそのような下劣の連中には一切取り合う余地を持ち合わせていないのだと、襟を正して街路を歩くようにしていた。
 ところが運の悪いことに、ヤマブキシティの学習塾に通う息子を駅まで迎えに行くところ、こうして黒装束の女性に声をかけられてしまったのである。私はポケモンを何匹も連れ歩くことに躊躇を覚えるため(故に数匹ものポケモンを育て上げるトレーナーというものの思想は未だに解せない)、陳列するモンスターボールを物欲しげに眺める日がやって来ようとはよもや夢にも思わなかった。
 妻と並んで歩く時、私は少々彼女を置いて先に行ってしまう癖がある。そうすると決まって彼女は息を切らしながら、付いてくるのがやっとという様子になる。あらかじめ断りを入れておくならば、これは私が妻を視界から排除しているのではなく、歩幅と速さの問題が絡んだが故に引き起こされる事態なのだ。何を述べたいかというと、情緒ある景色に一瞥もくれない私を引き留めるには大きな理由がある。
「実は息子にポケモンをプレゼントしようと考えているのですが……そろそろ十になるので」
 近くで見ると容姿端麗な商人は、黒い帽子から爛々と輝かせた目をのぞかせ、手を叩く。彼らはああやって客の機嫌を損ねることなく、慎重に慎重に自分の思う壺へと誘っていくのを何より得意技とする人種である。私はその誘惑に打ち勝たねばならないのだと肝に銘じてこそいたが、息子の喜ぶ顔を脳裏に浮かべた際、迷いは紐が切れるように断ち切られた。
「プレゼントですか! 素敵ですね。初めてのポケモンは、かけがえのないパートナーになりますものね。でしたら尚更、当店のモンスターボールはご期待にそえることが出来るかと」
「すみません。このボールは、誰が作ったのでしょうか」
 そもそも、モンスターボールは素人が開発出来る代物ではない。各地に点在するぼんぐりの木から、良好な質を保つ実がボールを作るための適性材料として選ばれる。それを自在に扱う職人がおり、職人は幾年もかけて後継者に技術を教え込む。何代にも渡る系譜がおのずと出来上がるのは、特にこのジョウトにおいては自明の理である。近頃、モンスターボールを優れた科学力で開発するデボンなんとかという会社が名をあげているようだが、私は職人の温もりと愛情が籠ったボールこそ、未来に受け継がれるべきものだと考える。
「ガンテツさんですよ。御存知でしょう」
「ヒワダの?」
「はい。私は元々ガンテツさんのボールを販売しておりまして。縁あってコガネにも……」
「そうでしたか」
 確かに他の品揃えは、ガンテツ作モンスターボールというべき傑作が並んでいる。ラブラブボール、スピードボール、ヘビーボール――数えだせば際限がない。れっきとした商人のようで、私は強張らせていた肩の力を抜いた。
 初めてのポケモンを連れて歩く息子。息子だけのモンスターボール。ふむ、なかなかに格好がつくだろう。私は各部位の尖った謎めくモンスターボールをバッグに入れつつ、駅へと急ぐことにした。

 夕飯も近い時間帯、駅では相変わらず大都市に見合った群衆がゴローンのように押し寄せてくる。一日の疲れを早く癒そうと、人々は脇目もふらず迷いない足取りだ。その中で比較的小さい背丈の我が息子を探すのは少々骨が折れる。私は子供じみた好奇心を抑えきれず、自分が買ったモンスターボールがいかなる効力を発揮するのか、すぐさま確かめたい気持ちに駆られていた。やがて人とポケモンの波から、まっすぐこちらに走ってくる輪郭が見える。人ごみに揉まれながら、やけに晴れ晴れとした顔をしている。アキラは肩で息をすると、爛々とした瞳を持ち上げ、さっそく今日の成果を報告してきた。
「今日ね、テストで百点取ったんだよ!」
「アキラはいつも勉強頑張ってるなあ。お父さんも嬉しいぞ」
 頭を撫でてやると、アキラは大人に付き添っているポケモンが気になるのか、ちらちらと目線を明後日の方に向けていた。私はいよいよ機も熟した頃であろうと感じ、遠回しに一つ質問を仕掛けてみる。
「アキラ、ポケモンと友達になりたいか?」
「うん。でも十歳になってからって……」
「でもお前の誕生日はもうすぐだ。ついさっき、お父さんも新しいボールを買ったんだ。アキラ、ポケモンをゲットしてみないか」
 我が息子の可愛いことといったらない。つぶらな目を大きく広げると、勢い良く首を縦に振る。私にもこんな風に、飾らない気持ちを表に出す日があったな、と振り返るのは我ながらこそばゆいものだ。

 野生ポケモンが飛び出すのは、コガネの郊外に限ったことではない。古今東西を廻ってもポケモンが草むらから現れない地方はない。ただこの世に絶対という言葉は適用外であるからして、広い惑星のどこかには我々の常識をいとも容易く打ち破る世界がないとは言い切れない。
 ところで私はポケモンが草むらから飛び出すことについて、何かの文献でその理由を読んだ記憶がある。しかし、今は忘れてしまった。確か、ポケモンが人間に感謝を――といった内容だったような気がするが、いかんせん昔のことであるため、私の記憶に留めておく優先順位としては最下位の枠に入るものであった。
 また遠回しな言い方を免れることは出来なかったが(私は一つの物事に対して前置きが長すぎると妻に度々指摘される)、コガネシティ近辺の草むらではポケモントレーナーが尻尾を巻いて逃げ出すほど屈強なポケモンは出て来ないので、時折そだてやに世話されているポケモン達が自分の庭のように駆け巡っている様を見かける。丁度その辺りがアキラのような塾帰りには入門編としてふさわしいだろうと判断した。忍耐力のない若者はすぐに能力の高いポケモンを捕獲しようと試みるが、私の考え方はそれとは百八十度真逆を行くものである。ポケモンと共に成長するという経験が、人を人として育てていくのだ。その過程を取り除いてしまうような輩に、ポケモンと在ることのありがたみなど理解出来るはずもない。
 34番道路は大都市の近郊であるからか、警官が交代で治安維持に勤めている。なるほど結構なことである。そだてやのポケモン達が危険な目に遭ったり、草むらに生息する他のポケモン達の安住を乱さないように、などの意図の上だろう。ともかく、何かあった際でも案ずることのない管理下でポケモンをゲット出来ることは私とアキラにとっても幸いであった。
「まずはお父さんが手本を見せよう。ヨルノズク、出ておいで」
 私はバッグからモンスターボールを取り出し、ヨルノズクを繰り出した。ジョウト地方では連れ歩く者も多いポケモンである。私と長年付き添っている相棒で、お互い気心も知れている。是非ともアキラには後悔のないよう、しっかりと初めてのポケモンを自分の意志で選び出して欲しいという希望を表情にのせ、私は肩を木の枝代わりに着地するヨルノズクに指示を出す。
「フラッシュで、この辺りに住んでいるポケモンをおびき出せるか」
 お安い御用だ、とばかりに両翼を広げて応じる私のヨルノズク。
「少し、目を瞑っていなさい」
「はあい」
 アキラは無邪気に返事をすると、言われた通り目をぎゅっと瞑る。瞬間、カメラが繰り出すそれとは比較にならないほど眩しい光が辺りに満ちて、すぐに止む。雷鳴のような迫力を持ちながら、ほんの僅かのみ時間を静止させるようコントロールされた光の射出は、期待した通り慌てふためくポケモンを割り出すのに成功する。ポケモンをびっくりさせてしまったことは少々申し訳ないが、戦闘の経験を積ませるという勝手な理由で寝ている野生ポケモンを乱暴に叩き起こすポケモントレーナーの行為よりかは幾分ましであろうと己を擁護する。
「あっ、お父さん。あのポケモンがいい!」
「どれどれ」
 アキラが指差す先を確認すると、黄金がかった身体に糸の如き細い目が私を捉える。あれはケーシィと呼ばれるポケモンではないか。この辺りでお目にかかれるとは、アキラも余程幸運の持ち主であるとみえる。ケーシィは高みの見物を決めるようにして、私達の様子をしばらくうかがっている。これは好機だ。私が手を出せば簡単に事は終わるが、それではアキラのためにはならない。何事も失敗と成功を繰り返し、蓄えられたものが彼を正しい方向へと導いていくことになるのだから、必要以上の介入はすべきではない。しかしそうは言えども、まだアキラはポケモンを持たない駆け出しの身である。全てを自分で処理しろというのはあまりにも酷な話だろう。私もまだまだ甘いというべきか、親心がはたらいた結果かは明確な結論を出せないが、とにかく口からはヨルノズクへ新たなる指示を発していたことは確かである。
「ヨルノズク。さいみんじゅつでケーシィを眠らせるんだ」
 味方でなければ、ヨルノズクが赤い瞳をますます深紅に染めることを恐怖するかもしれない。ケーシィは催眠術にかかり、無防備にも居眠りを始める。元々が寝ているように見えるから、今も起きているのかどうか区別がつかないのがなんとも面白いところだ。
「アキラ、後はお前が自分でやりなさい」
 私は全体が尖ったモンスターボールをアキラの両手にしっかりと渡す。軽く頭を撫でて微笑みかけると、息子は意気を発して走って行き、勢い任せにケーシィへボールを放つ。私はてっきり狙いぐらい定めるものだろうとふんでいたものだから、彼の唐突かつ勇気ある行為にはある意味感心を示さずにはいられなかった。若者は得てして大胆不敵なものだ。
 はっきり言ってこれで捕まるかどうかは疑問符を浮かべたくなるが、シンオウ地方の伝承に語り継がれる神とやらが味方をしたのか――奇跡的にも、ケーシィは無抵抗でボールへと収まった。アキラは初め、喜びよりも不安を増長させているようだったが、全てが良い結果に終わったことを私とヨルノズクの表情から感じ取ると、ボールを夕日にかざしていた。そうしていると、不思議にも謎めいたボールでさえ他と変わらないれっきとしたモンスターボールの一種であるという威光を放つように感じられるのだった。

 全てが順風満帆の進みに思われたが、山を登り終えれば後は下るしかないように、少しずつ不運が私達を取り巻くようになっていった。
 あれから我が息子はケーシィとコミュニケーションを図るべくボールから繰り出すが、こちらがどのように呼びかけても応じることはなくただ首をかしげているのみである。通常モンスターボールの内部はポケモンにとって快適な空間になっており、その作用も伴ってポケモンはより人間を受け入れやすくなるものだが、無論例外はある。先程も述べたように、この世に絶対というものは存在しないのである。
 しかし、レベルの高いポケモン(肉体・精神共に健全な方向で成長した個体を言う。例えば、シロガネ山に生息するポケモンなどが該当する)でない限り、人間が心を通わせるのに苦労することはそうそうないはずだ。となれば、後はポケモンの性格における問題になってくる。もしかするとこのケーシィは今まで幾多の人間を弄び、指示を聞かずに困らせてきた――と考えるのでは、いかにも無粋であろう。人間の意思疎通が上手くいかない原因をポケモンに押し付けては、おや失格である。と、私はアキラに語るまでもなく色々の可能性を探り当てようとするわけだが、果たして思い当たるところはない。アキラの悲しそうな顔を見るたび、なんとか活路を切り開きたいとは思うのだが。なにせ、アキラもまだポケモンを持ったばかり。そうそう上手くいかなくとも、いつかケーシィは心を開いてくれるはずだ。
 
 
 *


 しばらく、私は会社の同僚にどうすれば初めてのポケモンとコミュニケーションがとれるようになるか尋ね、ネットワークを利用して情報を調べ上げることに専念した。
 グローバルトレードステーションなどではしばしば交換のトラブルが勃発するようで、その事例は私にとっても勉強になった。イッシュやカロスという外国圏のポケモンは、そこに根付いた文化に親しみ、言葉に慣れていることが多い。故にいきなりカントーやジョウトの人間と気軽に接するのは時間がかかるという。極端に臆病な性格のポケモンを連れて行けば、異国の地に対する拒否反応からパニックを起こしかねないことまで書き連ねてあった。
 なるほど私達人間は同じ言語を操ることが出来るが故に、互いの意思を伝える手段に長けている。だが、それをポケモンにまで当てはめようとするのは我々人類の大きな傲慢ではなかろうか? ポケモンと一口に言っても、数え切れないほどの種族が存在し、彼らはそれぞれ考え方も生き方も異なる。私はヨルノズクとの仲を疑わないために、ケーシィに求めるものが多すぎたようだ。同僚にも言われたことを頭の中で反芻する。ポケモンによっては、まともなコミュニケーションがとれるようになるまでは相当な月日を要することもある、と。

「ケーシィは、ボクのこと嫌いなのかな?」
 だから私はアキラにこう尋ねられても、一抹の不安を決して見せまいと努力している姿勢すら悟られぬように取り繕った表情で、優しく諭すのだ。
「アキラ。ケーシィはまだ慣れていないだけなんだ。アキラが優しく語りかけていけば、きっとケーシィは慣れてくれるし、心を開いてくれる。分かるね?」
「うん。ボク、頑張るよ!」
 なんという可愛さだろうか。この息子のために何もしてやれず無力に打ちひしがれる私を、今日ほど恨んだ日はない。
「さあ、もう寝なさい」
「おやすみなさい」
 アキラが大事そうにモヤモヤボールを抱えながら、床に就く。最近アキラは自分の傍にボールを置いて離さないのだ。ゆくゆくはケーシィと友達になれる――そう信じているのだろう。健気なその心を、いつまでも忘れず大切にしまっておいてほしいと私は願う。

 私が情報収集に励む折、妻が怪訝そうに口を挟む。
「あなた。ケーシィのことなんだけど……」
「どうした」
 私と妻は食卓に座って、改まる。喉に何かがつかえたような煮え切らない表情。口に出すことを躊躇っているのだろう。
「心配なことがあるなら、言えばいいじゃないか」
 自分から切り出しておきながら、遂に観念したと言わんばかりの様子で妻は静かに呟く。暗夜を包み込む静寂にて零される彼女の言葉は、私に否が応なく得体の知れない不安を煽らせる。
「じゃあ、そうします」
 妻はやはり何度か目線を逸らした後、ようやく私を見た。
「ケーシィをゲットしてから、もう二週間近く経つわ。それなのに、こんなに言葉が通じないことなんてあるかしら。あの子達、まだ話だってしたこともないのよ」
「それはケーシィがアキラに慣れていないだけだろう」
 私は若干の微笑をもって空気を和らげようと試みるが、妻の鉄仮面には通用しなかった。
「私ね、ミチコさんに聞いてみたのよ。そんなことは珍しいって言ってたわ」
「ミチコさんのところはトレーナーだろう。トレーナーと塾帰りの息子を一緒にされては困る」
「でもすぐに言うことを聞いてくれないなんて、あなた。ケーシィはそんなに強いポケモンでもないでしょうに」
「ポケモンは人の言葉にはいはい頷くだけの存在じゃないぞ。おやを認めるか認めないか、そんなものはポケモン次第だろう」
「じゃああなた、ケーシィはアキラのことを認めていないと言いたいの?」
 これには私も言葉に窮した。腕組みし、反論を頭の中で組み立てる。決してそんな意図はないのだが。
「アキラはまだポケモンを持ったばかりよ。いつまでも今の状態を続けているのは、良くないと思うの」
「ケーシィを逃がせというのか」
「落ち着いて。でもこれから何ヶ月もそうなったらどうする気? その度に、ケーシィはまだアキラに慣れていないんだ、って言うの? そんなのいつまでも通用しないわよ。アキラが自信を無くしたら、あなただって可哀想だと思うでしょう?」
 妻の意見は実に人間中心の考え方だが、間違ったことは言っていない。アキラの意思も尊重したい私としては狭間に放り込まれたような気分だ。私は苦し紛れに協力を要請する。
「もう少し、もう少しだけ様子を見よう。手は打つ」
 呆れたのか強めの溜息をつき、妻はその場を離れる。やがてガラガラと音がしたので、風呂に入ったとみえる。
 
 私としては善処を続けたつもりだが、成果と呼べるものは現れることなく月日が流れていく。それは短いようで長い時間であった。私はそろそろケーシィをポケモンセンターに診てもらう必要すらあるかもしれないと思い始める頃合に差し掛かる。何を焦っているのか、と傍から見れば笑い飛ばすかもしれないが、想像してもらいたい。初めてゲットした思い出のポケモンが、一日とて健気な少年の言葉に耳を傾けることなく、それが何日も何日も何日も何日も続くのだ。どんな気分になるだろう。
 例えば、ヤドンの井戸に投げた小石が音もなく飲み込まれていくようなものだ。それを百回も繰り返せば、嫌になるのも無理がない。
 私は親としてアキラを助けてやりたいと願ってきた。今現在の状況として、その務めを果たせるかどうかは、甚だ怪しくなってきたのである。同じポケモンであるヨルノズクにも相談してみたが、物知りで理知的な彼にも分からないことは沢山ある。
 同僚からは最近のお前は覇気がないと言われるようになった。どうやら、四六時中ケーシィのことを考えていたようだ。私の知らぬところで、仕事にも影響が出ているのでは言葉もない。私はそれを恥じねばならず、事態の収拾に取り掛かるべきだといよいよ決意した。

 コガネデパートの巨大スクリーンでは、ニュースキャスターが一日の事件や出来事を読み上げているスタジオが映し出されている。私はただ喧騒や雑音と同じくそれを受け流すだけであったが、ふとある単語だけが耳に留まる。
『――――――――――ボールを――いた――密――――』
 私は刹那、電撃に撃たれたように周りを掻き分けて進み、一目散に地下通路へと向かった。
 今日モンスターボールへの信頼が強すぎるあまり、考えもしなかった。ガンテツ製だというから鵜呑みにしていたが。もしもモヤモヤボールに原因があるとすれば、おおよそ合点がいく。ケーシィはその名の通り煩悶しているのかもしれない。私は実に至らない人間であった。アキラを喜ばせ驚かせることに執心するあまり、真偽を見分ける力すら失いかけていたのだ。私はモンスターボールの紛い物を掴まされた。
 肩がぶつかり怒鳴り声が遠ざかるのにも構わず、私はとにかくかつての店だけを一心不乱に目指した。そして私が目にしたものは、そこが漢方薬を販売する新しい店に変わっていたという事実である。とにかく、その時の私は冷静な判断力を失っていたため、店主を圧倒するような剣幕で叫んでいたのだ。
「ここは、ボールの店じゃなかったのか!?」
 店主は髭の白い老人だったので、ただただ私に対して口をぽかんと開けているのみである。そこでふと通りかかった学生が、私に告げる。

「すみません。その店――ロケット団が経営していたみたいですよ」
 私は何も言えず、その場で立ち尽くすより他はなかった。 



はやめ ( 2014/03/17(月) 20:19 )