-4- 手紙
イッシュ地方のポケモンリーグは、挑戦者が自ら四天王の順番を選べるシステムを採用している。ただしこれは地方特有の措置であり、外国は規律正しく順列を決めている。アデクがリーグに自由を求めたことによる規定だ。一度戦いを始めれば、背を向けることは出来ないのは他地方と同じ。精神がどれだけ擦り減ろうとも、引き返した時点で負けを認めたことになる。
四天王は個室を配分され、私生活に使っている。入口は東西南北に分かれ、挑戦者は自分の意思で足を踏み入れなければならない。見事四天王の全員に勝利した暁には、中央の像から階下へと移動する。そこから途方も無く長い階段を上り、チャンピオンの間へと辿り着く。ところがプラズマ団の城に包囲され、威厳をすっかり失ってしまった今のポケモンリーグは、バチュルがゴルーグに脅かされている様を彷彿とさせる。
緊急事態を受けてチャンピオンのアデクは自ら出向き、リーグのシンボルで客人との待ち合わせを指定した。
茶色のスーツに身を包み、口を一文字に引き結んだ男性が、機械のような足取りでやって来る。腕を組んで待ち構えるアデクとは対照的だ。
「国際警察から派遣されました。コードネームはハンサムと申します」
「わしは、チャンピオンのアデクだ」
互いに握手をし、軽い自己紹介を交わす。会釈がこなれたもので、厳しい指導を潜り抜けたであろう捜査官の迫力がひしひしと伝わってくる。
「お目にかかれて光栄です、チャンピオン。早速ですが、イッシュの現状についてあなたの見解を窺いたい」
「うむ、では話しながら向かうとしよう。恐らく、ゲーチスの仕業だろう。こうなっては、わしらが戦う以外の選択は残されていない」
こころなしか速い二人の歩みは、焦りを隠しきれない。
「では、我々の捜査に手を貸していただけると」
「無論だ。他の者も準備は出来ておる」
「しかし、プラズマ団と戦うためには、Nと戦った青年……トウヤ君の力が必要不可欠かと思われます」
「それはそうだが」
アデクは渋い顔つきになる。ハンサムはある程度察したのか黙り込む。
「トウヤは今、戦える状態にない」
「預かり物があります。渡して欲しいと頼まれている」
ハンサムが差しだしたのは、一通の手紙だ。アデクは目を丸くする。
「トウヤ君に、直接お会いしてもよろしいでしょうか」
ハンサムの目は真剣そのものだ。
【 Pokemon Black & White an imaginary story 『もしもプラズマ団がポケモンの解放を実現していたら』 -4- 】
結局、民の心を一つには纏められなかった。荷が重すぎた。
若き王は、水面下で渦巻く野心に踊らされていただけだ。努力は無に帰す。
黒きドラゴンは事の成り行きに口を出さず、一切の干渉をしない。Nの想いを認めて、理想という願いを託したからだ。だが、もう叶いそうにはない。プラズマ団という愚かな媒体では、真の道を歩むことは出来ない。
各町に飛び去ったゲノセクトの襲撃に乗じて、王に反旗を翻そうとする動きが内部で高まりつつある。これからの指導者にふさわしいのはゲーチスだと、Nに反対する者達がこれみよがしに次々と名を挙げる。一方でNの支持者は反逆を拒む。
プラズマ団は完全に二分化した。
ゲーチス派につくか、それともN派に入るか。どちらが正しいのか。野心か、理性か。今に始まったことではない。ゲーチスに心酔する人間は、現実離れしたお花畑思想のNを最初から毛嫌いしている。暴力や虐待しか頭に無いゲーチス派の人間を忌み嫌い、志を抱くNに忠誠を誓う人間もいる。
確かに名目上は「ポケモンの解放」と銘打っていた。言葉だけで繋がっていた組織の真実。
何をもって理想と信じていたのだろうか。甚だ、馬鹿馬鹿しい。
自分の思想に反対する者達を力ずくで捻じ伏せ、思いのままに服従させるための正義として用いられたのはポケモンだ。
ポケモンを解放するために集った者達が、ポケモンを自分の都合で使役するという矛盾が生じる。
戦乱の火はあっという間に燃え移る。勝利の条件は、相手を完膚なきまでに叩き潰すこと。単純明快かつ分かりやすい。
勝者は正義。敗者は悪。結果が全て。力が及ばない者は混沌の中で、人知れずに淘汰されていく。知らず知らずの間に終わりを迎える命を誰も弔いはしない。誰の声も届かないところで、静かに息を引き取っていく。
Nに出来ることと言えば、城を走り回って、傷ついたポケモン達を逃がすことで精一杯だ。ダークトリニティはこんな時でも城にはいない。ヘレナとバーベナは停戦を叫んだので、気の狂った団員に怪我を負わされた。その時、Nの中で経験したことも無いようなどす黒い感情が芽生えそうになったが、無理矢理抑え込んだ。七賢人もいつしか二つに割れていた。Nはゲーチスを頼りにしている。こんな時に民を一つに出来るのはゲーチスだ。間違った争いを収めてくれる。ゲーチスは忽然と姿を消していた。
諸々の出来事は、黒きドラゴンの悪魔を目覚めさせるには、あまりにも十分すぎる材料だった。
*
「トウヤ。お前さんに会いたいという人がおるが、開けてはくれんか」
アデクが扉を叩くが、反応は無い。当然の結果だ。
「国際警察のハンサムと申します。どうしても渡したい手紙があるのですが」
悪いことをしたわけでもないのに、どうして警察なんかと顔を合わさなければいけない。自分はやることをやった。もう休ませてくれたっていいじゃないか。おおよそトウヤの心中は、そんなところだろう。
「やはり駄目でしょうか」
ハンサムは真面目な表情を崩さずも、お手上げの意思をアデクに訴えている。
「手紙だったか。わしが預かっておこう」
「いや、それならばここで読みます。必ず伝えるようにと、言伝を受けておりますので」
「何!?」
これにはさすがにアデクも、眉毛の位置がずれそうなほど驚く。ハンサムは指示を絶対遵守する仕事人だ。ばさばさと紙を広げると、たどたどしい口調で読み上げ始める。アデクは困惑しつつも、止められなかった。
「『拝啓――カノコタウンのトウヤ様。サンヨウシティジムリーダーのデントです。イッシュのジムリーダーを代表して、手紙を書きました。今、イッシュで何が起こっているかは、君も知っていることだと思います。みんなが七賢人と戦っている時に行けなくてごめん。そのことをずっと謝りたいと思っていました。僕達はあれから国際警察のハンサムさんにお願いされて、プラズマ団の秘密研究所を突き止めようと動いていたのです。僕達にも、出来ることをしたかったから。でも、恥ずかしい。僕達はダークトリニティと戦いました。絶対に負けないって思っていました。でも、みんな悲惨な負け方をしました。おまけに弱小ジムリーダーだと罵られてしまいました。サンヨウのジムを守っている理由が分からないって。僕達はトレーナーとして、自信を無くしました。でも、あれから考え直して、決めたことが一つあります。それは、ジムリーダーを1回辞めるということです。実はまだ、トウヤ君以外の誰にも伝えていません。ジムリーダーにふさわしいだけの力をつけ直してから、もう一度挑戦者と向き合えるようにって、3人でちゃんと話し合いました。もちろん、ポケモンバトル自体をやめるわけではありません。ねえトウヤ君、僕は今でも時々思い出すんだ。君と、チェレン君と、ベルちゃんでトリプルバトルをした時のこと、覚えてるよね? あの時のトウヤ君は目がとてもギラギラしていて、ちょっと怖いテイストだったけれど、バトルはとても楽しかったなあ。でもまさか、一人じゃ足りないから全員まとめてかかってこいなんて言うとは思わなかったよ! 後、Nに負けたことも全て聞きました。きっと、辛かったと思う。僕達のように……ううん、僕達よりもずっと落ち込んでいる。分かるんだ、一度味わったから。負けることの怖さ。トレーナーである意味を奪われるような恐怖が。ダークトリニティと戦っている時、全然楽しくなかった。もちろん、プラズマ団と戦うのに楽しいなんておかしいけれど、バトルをしていてあんな感情に襲われるのは初めてだったな。ダークトリニティは、感情は無いんだ。ポケモンへの愛情も、絶好のマリアージュも、何一つ感じられなかった。でも、強かった。彼らはポケモンを生き物だとは思っていない。そんな奴らに勝てなかったこと、とても悔し……くや、……。でも、トウヤ君は違うよね!? トウヤ君はしっかりポケモンと向き合ってきた。自分の中で答えを出して、Nに立ち向かったと思うんだ。そうじゃなきゃ、Nと戦うことなんて出来ない。もし自信を無くしてしまったなら、無理をして立ち上がれとは、少なからず僕達には言えない。でも、君ならもう一度必ず、立ち上がれると信じているよ。後、これは伝えておかなければいけないので書いておきます。ゲノセクトというポケモンを僕達はP2ラボで見ました。彼らが今、町を襲って、人々に危害を加えています。これが今のイッシュです。彼らがそのために作られたのだとしたら、僕達はやっぱりプラズマ団と戦います。だって、悲しいでしょ。人間に利用されるために生み出されたポケモンなんて、あってはいけないよ。ゲノセクトが泣いているような気がする。だから、人間もポケモンも、両方助けたい。いいや、助ける! なんて、ワガママかな? でも、頑張るよ。プラズマ団の好きなようにさせたら、僕の大好きな世界は滅茶苦茶にされてしまうからね。僕に書けるのは、こんなところです。少しでも元気を出してくれたらいいな。後、ジムリーダーのみんなに寄せ書きをしてもらったので、同封しておきます。みんなのことだから、おかしな文かもしれないけれど、心を込めて書いてくれました。トウヤ君のこれからを祈って。ベストウイッシュ、良い旅を。――敬具』」
なりふり構わず、扉が壊れそうな勢いで飛び出してきたのはトウヤだ。アデクは口元を綻ばせていた。
「あ、あの。見せてください!!」
ハンサムは頷くと、色紙をトウヤに手渡す。一字一句見逃さないように、慎重に眼球を動かしていく。
『ポケモン勝負の基本はタイプ相性! これ大事! デント・ポッド・コーン』
いかにも、あの3人らしい。
『好奇心は人生のスパイス 無くすと味気なくなっちゃうよ! アロエ』
いつもそうだった。知らないことに首を突っ込んでは失敗して。でも、それが楽しくて仕方が無かった。
『あー そうだねー キミむしポケモン使いなよ アーティ』
思わず吹き出してしまった。
『貴方がこれからも周りを輝かせる人でありますように カミツレ』
心の輝きが蘇る。
『いつだって自分とポケモンには正直に生きていたいよな ヤーコン』
あなたは正直すぎるんですよ、と心の中で突っ込む。
『キミが見てる空の下 皆が笑ってるんだよ! フウロ』
そうだ。もう一度、笑い合える世界を。
『熱いだけでなく冷たいだけでなく、2つを自在にコントロールせよ ハチク』
その教え、しかと受け取りました。
『まっすぐな心のトレーナーよ そのままたくましくなれ! シャガ』
今のまま前を向いて進むだけだ。
『アイリスねー! 強かった君のこと、絶対に忘れない! アイリス』
2回も名前書かなくても分かるって。微笑みが零れる。
ドラゴンマスターを目指すと自信満々に豪語していたアイリスのポケモン達は、本当に強かった。いつかチャンピオンになるのではないかと思わせるほどに。
いつの間にか涙を流していた。気付かない内に。くしゃくしゃになった顔でも、誓いは揺るがない。取り戻した意思は二度と揺らぐことなど、無い。
「アデクさん。ハンサムさん。戦います。もう一度、俺。戦います」
真実を求める瞳は力強い。ならば、手を貸そう――白陽が、再び煌々と宿る。
そして、大地が割れた。トウヤの手元にあったものは塵と化す。灰がぽろぽろと零れ落ちる。アデクが叫んでいる。ハンサムが目を瞑っている。何が起きたのか分からなくて、本能的に窓の外を見た。
空が怒っている。雷鳴が轟き、何度も何度も無茶苦茶に壊していた、プラズマ団の城を。獣の雄叫びが聞こえる。
目の前が真っ暗になった。
*
死の宣告より数時間前のことだ。
ありとあらゆる醜さというものを集約したような光景が、プラズマ団の城内にはあった。
傷口を抑え、痛みに顔を歪ませるポケモンは家具のように蹴飛ばされる。蹴飛ばした人間は背後から不意打ちを浴びて倒れる。助けた者は鬼の形相をしていたから、ポケモンにも逃げられる。
ポケモンは状態異常によって体調に変化をきたすが、人間もまた同じだ。
手足が痺れて動けないところに、ポケモンが吹き飛ばされて、巻き添えを食らう。
火傷を負って悲痛に水を求めると、ハイドロポンプによって壁まで撃ち抜かれる。火消しに一役買った人間は、意識を失った者を見下し、言う。助かっただろ、と。
毒のせいで呻くポケモン。城の庭に生えるモモンのみに手を伸ばすが、目の前で握り潰される。なんとか果汁だけでも舐めようと必死になる。
混乱して頭を壁にぶつけるポケモンに対し、もうやめて、と体を張って止めようとする女性は、その隙に攻撃を受けて倒れる。目を覚ましたポケモンは、もう目覚めない女を揺さぶり続ける。
人間を助けるために、れいとうビームの盾となったポケモン。涙を呑んで背を向ける人間。数秒後、命を落とす。
これが権利を勝ち取るための、戦争。後戻りは出来ない。あまりにも多くのものが失われすぎた。
解放という言葉はもはや見る影も無い。
暗澹とする夜空に漆黒の流星が瞬く。人間はポケモンを家畜同然にしか思っていないことがよく分かった。だから、鉄槌を下す。
雷撃という名の怒りを震わせて、理想の化身ゼクロムは咆える。
全ての人間へ送る。これは携帯獣と定義され、今や爪を隠して生きることを強いられた者達の怒号である。