-3- 膨張
プラズマ団の城。その廊下は気配りの賜物か、埃一つ見当たらない。かえって光沢が恨めしいくらいだ。
話題に花を咲かせ、我が物顔で靴の跡をつけるのは二人組の団員である。
「プロジェクトGは凍結されたはずだろ」
「ああ。なんでもN様が、中止を命じられたって」
「じゃあ、今になって何故」
「ゲーチス様の計らい……って」
二人は顔を見合わせ、互いに腹がよじれるほど爆笑した。
「お、おかし〜っ! 無い、絶対無い。賭けてもいいぜ」
もう一人からさっと、血の気が退ける。肩を叩いて、夢想に浸る男を現実へと引きずり戻す。金髪を後ろに束ねたいかにも厳しそうな女性に対して、すぐさま敬礼する。
「こ、これは女神様!」
勿論、女神などというけったいな名前が本当であるはずがない。彼女の本名はヘレナ。身分差を明確に区別するため、下級団員には女神という呼称を使わせている。
「城内での誤解を招くような話はやめなさい」
ぴしゃりと窘められた。ヘレナは溜息をつきながら通り過ぎていく。
一方で叱られた側は、反省もせずに凛とした背中に心を奪われてうっとりしている。
「女神様って厳しいけど、そこがまた良いよねえ」
「ばか。やめろ」
下級層に位置する団員にとっては、ヘレナの笑顔など空想上のものでしかない。
「あ、おかえり!」
設置された銅像の間を通って、部屋に入ってくるのはNだ。ヘレナは嬉々として席を立つ。先程の団員が見たら、驚きのあまり卒倒してしまうかも分からない。
「今日もおつかれさま、N」
ピンクの髪を背中ほどまで伸ばしており、なおかつ垂れた眉毛が特徴的な女性は、バーベナと呼ばれる。
「ヘレナ、バーベナ。ありがとう」
Nは疲れきった表情をほんの少し和らげる。椅子に腰掛けるや否や、一点を凝視する。
「顔、険しいよ」
「王としての役目は、果たさないといけないからね」
「それもそうだけど。無理しないようにね」
「ゲーチスの言うことに従ってばかりじゃ、ダメよ?」
紅茶を注ぎながら、バーベナが釘を刺す。Nは苦笑いを浮かべつつ、あくまでも父を肯定する。
「ボクは、とうさんが作ってくれると思う。ポケモン達が自由に暮らせる理想郷を」
Nの安らかな顔を見ていると、ヘレナとバーベナも顔を見合わせて微笑む。
可哀想な坊や。これから起こる惨劇など、三人で長机を囲むような和ましい光景からは想像もつかなかっただろうに。
【 Pokemon Black & White an imaginary story 『もしもプラズマ団がポケモンの解放を実現していたら』 -3- 】
プロジェクトG。
Gの正体には諸説あるが、どうやらポケモンのイニシャルが最も有力らしい。プラズマ団の水面下で蠢く、人工ポケモン製造計画。しかし、プロジェクトの一端を耳にしたNが中止を命じ、完全凍結されたことで決着がついた。
人間がポケモンを作るなど、倫理に対する反抗。おこがましく、あってはならないことだ。
しかし、イッシュから遠く離れた外国では、黒装束の組織が遺伝子を組み換えることによって最強のポケモンを生み出そうと、日夜極秘の研究に勤しんでいたなどの噂もある。真相は闇の中に葬られた。現に、件の組織はたった一人の少年によって壊滅されており、確かめようが無いからだ。世の中には知らない方が良いこともたくさんある。
そもそもプロジェクトGは、何の目的をもって始められたか。正確に理解している団員は少ない。仕舞いにはプラズマ団が知らないことは全てゲーチスが情報を規制している、などという根も葉もない噂まで流れる始末だ。
ここでプラズマ団には、一つの議題が浮上する。ポケモントレーナー達から、どうやってポケモンを解放させるかについて。
例の日、ボックスからのポケモンは根こそぎ強制的に逃がされたことで、ポケモントレーナーの大半は困った時の拠り所を失った。旅に出ないような人々は誘惑に負け、容易くポケモンを逃がしてしまう節もあるから、それほど苦戦はしなかった。
ところが、相手が屈強なポケモントレーナー一同ともなってくると話は別。
敗北したポケモンリーグ勢は、秘密裏に対抗策を練っているとの報告も届いている。
*
「トウヤ!」
ポケモンリーグの一室にある扉を叩く。何回も何回も呼びかけた。ベルがやっても変わらなかった。親友にも顔を見せてくれないほどふさぎこんでいるのか。チェレンは、恐らく二度と開けられることの無いであろう扉の前で打ちひしがれる。
「何やってんだよ。こんな時に」
いっそ鍵など壊してしまおうか。モンスターボールにかけようとした手を抑えたのは、自分よりもずっと太くてたくましい腕だ。
「無理強いするな」
「でも!」
「戦える者が戦えば良い。わしは、何もかもトウヤに押し付けすぎたのではないかと悔やんでいるのだ」
「どういうことですか」
師匠の方をしきりに向こうとしない。アデクは腕を組み、考え込む。一拍置いて本音を語り始めたので、チェレンは耳を傾ける。
「わしは放浪の旅に出ておった。リーグを開けてまでな。伝えたいことがあったからだ。だが、ろくにバトルもせんでこのザマよ。わしは心のどこかでNに負けることを分かっていたのかもしれん。だからトウヤに押しつけてしまった。わしがもう一度昔の強さを取り戻せば、今度は勝つ。わしは腐ってもチャンピオンだ」
「それは」
「言ったろう。今のわしらでは、Nには勝てんと」
「アデクさん。あくまでもそれは、今は、ということですよね?」
「お前さんは、ポケモントレーナーの強さに限界があると思うか」
「そうは思いません」
チェレンは眼鏡を押し上げる。イッシュ最強のトウヤでも及ばなかったNを、プラズマ団を自分達が倒す。
必ず。
暗がりの部屋の中でうなだれるトウヤは、彼らの新たなる決意を静かに飲み込んでいた。
*
厄介なポケモントレーナーをどのようにして従わせるかは、城内で議論の焦点となっていく。
力で屈服させる。或いは理性を持って、説き伏せる。冷静に交渉を持ちかける。有無を言わさずに奇襲を仕掛ける。案だけは嫌というほど膨れ上がるが、直接の解決には一向に結びつかない。
Nはあくまでも無駄な血を流すべきではないと考えていた。彼の中での戦いは、白きドラゴンを下したあの日以来終わっている。城内にもポケモンバトルで相手を服従させるのはやめるべきだと呼びかけていた。Nの方針に賛同する者は多い。
しかし、一部ではNのやり方だといつまでも現状を打破することが出来ないと、手厳しい批判を浴びせる声も生まれる。
プラズマ団が目指す最終目標はポケモンの解放だ。Nが勝利したとはいえ、全てに終止符が打たれたわけではない。プラズマ団の戦いはまだ続いている。
例外は認可されない。ポケモンはバトルの道具として良いように扱われ続ける限り、幸せは享受出来ないというのが組織全体での見解であることに変わりは無かった。
肝心なのはNの思想だが、王の側近が好きには動かしてくれない。ゲーチスだ。
Nは確かに実質の王へと君臨した。だが、父であるゲーチスは裏方で権力をほしいままにしている。これでは、組織の結成当時と勢力図には何ら変わりが無い。Nはゲーチスを信頼してこそいるが、王である責務を果たすのは自分だと考えるようにもなり、空回りの決心を固めた。
さて、ポケモン解放宣言より、早くも半月が過ぎようとしている。短い月日だが、時の流れは飛ぶように早い。
組織内にはやがて綻びが生まれることとなる。イッシュの解放政策に陰りが差し始めたからだ。
始めはモニターで逐一監視されていた野生ポケモン総数も、今ではすっかり変化に乏しい。原因はすぐに突き止められた。大方、ポケモントレーナーの抵抗。しかし、それだけには留まらない。頑なにポケモンを手放そうとしない人々の意地だ。
そこで七賢人を向かわせ、直接頼み込んでみるという手段に出たが、逆効果だった。
ポケモンと離れたくないあまり、だんだん家の中に立てこもる人々が増えたのだ。話だけでも聞いて欲しいとお願いしても、物を投げつけられたり、言われなき罵声を浴びせられたりする。
中には七賢人を殴りつけたことで警察沙汰になった者までいた。愚かなことに、加害者はポケモンといられる残り少ない時間を自ら水の泡にするのだ。ある意味では成功に転んだ。「こんな危険な人間の手に囚われているポケモンを解放しよう」という名目が成り立つ。
負傷した七賢人はロット。思慮深い彼の性格からして、暴力に訴えようとは考えなかった。ロットが力による粛清を拒んだことで不和は少しの間静まり返ることとなる。Nはロットに心から感謝する。ゲーチスも賢明な判断だと褒め称えたが、表情にはうっすらと余裕が張り付けられている。この不穏な状況下で、自信ありげなゲーチスの真意は誰にも分からなかった。
組織内では、Nに不信を抱く者の声が随分と大きくなっている。理性と理想だけでは変革は成し遂げられないという意見を、Nは真っ向から否定出来ないでいた。
今や世論の風はプラズマ団に吹いている。
掌を返したように擁護者も増えた。ポケモンと人間の付き合いを減らすことで明らかにポケモン絡みの事件は減少する。危険なポケモンバトルによる被害件数も少なくなる。警察までも、組織に靡く者さえ現れた。
そして、驚くべき展開が到来する。入団を申し出る者が後を絶たないという事態が発生する。
所詮軽い気持ちだとか、地位を狙った浅慮だと嘲笑されながらも、プラズマ団は着実にイッシュを取り込んでいた。味方が、同志が、駒が、増えていく。思いのままに。なるほど支配はこのようにして進めるものだ。人心を掌握するというゲーチスのプロセスに過ちは無い。やはり彼は偉大なる指導者であり、七賢人にふさわしい頭脳を有している。
その晩、ゼクロムが前触れもなく尋ねる。ポケモンの言葉を聞けるNは、会話が出来る。
「お前の理想は何だ」
ポケモンの理想郷を作ることだと熱弁した。ゼクロムは、語りに一切口を挟むことなく聴いている。
王・Nは悩める青年だ。年頃といってはそれまでだが、彼の場合には歩んできた人生が他者と比べ物にならないほど稀有な境遇にあるため、葛藤の内容もまた尋常ではない。分かってはいたこと――覚悟もしていた。
しかし、実際に町々を視察すると、ポケモンと離れて暮らすことに抵抗を持たない人々は数少ない。皆、心にぽっかりと穴が開いたかのように、日々の業務を淡々とこなし、栄養を摂取するだけの無味乾燥な生活を繰り返している。
Nが触れたのは、温もりだ。人々の温もり。ポケモンの温もり。人とポケモンが笑顔になれる温もりを肌で感じながら、旅を続けた。己のやるべきことに誤りはないかと、飽きるほど自問自答を行った。それでも彼の中で答えは見出せていない、未だに。だから混沌としていく世界の潮流に取り残されている。自分がやろうとしたことは果たして正しかったのかと。
確かに人間はポケモンをモンスターボールに封じ込め、思うがままに使役する。競技と題してポケモンに命令し、自分は被害の及ばないところで高みの見物を決め込む。だが、人間全員が自己本位でもないということは、旅をする中で学んだことの一つだ。
つまるところ彼は、優柔不断なのだ。
*
あくる日。
かつてロットに暴力を振るった者をあろうことか英雄視した過激派が、交渉に参じた七賢人アスラをポケモンで痛めつけるという残酷な事件が発生する。幸いアスラは一命を取り留めた。
Nはこの事件に困惑の色を隠せない。ポケモンと隔たられた人間の無気力さを間近にしていたところに、爆弾を放り込まれたような衝撃が心を掻き乱す。
もはや、個人の都合を待つことは出来ないと一念発起する団員がいた。
プラズマ団の旗印でもある七賢人達の度重なる負傷は、団員達に怒りを伝播させる。結成当初よりも増えすぎたプラズマ団では、色々な思惑が飛び交っている。Nは全てを把握していたわけではない。彼は幼い子供に過ぎない。プラズマ団には大人が多い。Nは名立たる大人にあれよあれよと擁立されたが故に、臣下の意見を一つ一つ拾い上げて正誤を吟味する能力には乏しかった。だからゲーチスが補佐をする。ゲーチスは自分にとって都合の良い意見を多く採用する。丁度、いつまでも決起しないであろう王に対する不信が高まっていた頃だ。その意見とは、イッシュのトレーナーからポケモンを奪い取り、解放するための具体的な方策である。方策の正体を単純に言ってしまえば、ただの暴力である。イッシュをこれまで以上、厳しくプラズマ団の監視下に置くための手段。
すなわち、プロジェクトGの再稼働。しかし、これはゲーチスの管轄から外れた勝手な判断である。研究所の所長・アクロマから正式にプロジェクトGの発表を受け、組織内は沸き立つ。
「今回発表するのは、プラズマ団科学部が極秘に研究及び開発を進めていたポケモンについてです。それでは、こちらの画面をご覧ください」
三億年前の化石から復元されたポケモンを改造したもの。「こせいだいポケモン ゲノセクト」の頭文字を取ってGと名付けた。
特殊なカセットを装着することによって、タイプを自由自在に変化させる技を使用可能。開発はP2ラボで行われた。
「計画を嗅ぎつけたサンヨウのジムリーダーが研究所に入り込むというアクシデントも起こりましたが! 御心配なく」
「全て、我々が片を付けた」
アクロマの声と共に、どこからともなくダークトリニティが現れる。音も無ければ、気配も全く感じさせない。置物よりも存在感の無い存在。言いようの無い不安が一同を取り巻き、数分前まで沈静化させることも難しい空間に、いとも簡単に物音一つしない冷たい空気が流れる。
「ゲノセクトによって、プラズマ団の戦力はいよいよ……盤石なものとなるのです」
一人、暗黙の了解と圧力に屈しなかったのは、Nだ。
「馬鹿な! 暴力による報復は、暴力の連鎖しか生まない。それでは」
「ではあなたは! どのようにしてこの現状を打破すると仰るのですか? 王よ」
Nは言葉に詰まる。事の経過を不安そうにヘレナとバーベナが見守っていた。饒舌な一部下に過ぎないアクロマ如きに言いくるめられるとは、仮にも王としては辱めである。Nはゲーチスにも擁護を求める。
「とうさん。こんなことは間違っています」
「ワタクシはアナタの決断こそが、プラズマ団の今後を左右することになると考えておりますがな。英断を頼みますよ」
親は我が子を谷から突き落とすという。博識なNには分かった。言葉の意味が心をじんわりと蝕む。
一旦プロジェクトは自分の命令によって凍結されたはずだった。Nの声は王の発言にも等しい威力を持つ。それが何故、今更になって。
Nは頑なに力による統治を認めようとはしない。
陰口を叩かれた。ヘレナとバーベナは、日に日にやつれていくNの顔を見ては心配そうにしてくれた。ゲーチスは不気味なほど沈黙を保っていた。だんだん王の権力は紛い物となった。
*
そして始まる。
イッシュ地方は、災いの炎に包まれる。刹那の出来事。
誰もが願っただろう、夢であってくれと。
机を囲んで談笑していると、壁が突き破られた。親子は逃げ出す。自分の家なのに、財産を捨てて逃げて行く。耳を塞いでも流れ込んでくる叫び声と金切り声。背筋を走る寒気。眠っていた人は飛び起きる。窓を開けて、外を見る。
ポケモンが、人を襲っている。見たことも無いが、あれは確かにポケモンだ。
背中の大砲から光線を放ち、家屋を燃やしている。
逃げ惑う人々の混乱に乗じて。
看板を蹴り倒し。
雑草を貪り。
無秩序な破壊を繰り返す。
粒になった人々の縮図を見て、腹が張り裂けそうなほど高笑いする者。目を擦り、また擦っては、テレビの画面から離れない者。
Nは茫然とした。そうする他、無かった。すぐにやめさせるよう訴えた。これは話と違う。標的はトレーナーだけだったはずだ。町を襲えなどという命令は出されていない。
だが、もう遅かった。プラズマ団の旗は一気に揚がった。生きとし生ける者に絶望と殺戮を与える、侵略者としての国旗が。
溜まった鬱憤を晴らそうと暴れ出す団員もいた。血に飢えた人間を抑え付けるのは、至難の業だ。導火線が燃え尽きてしまえば、後は砲弾が撃ち出される。夜空を行脚するゲノセクト達のように、さまよい続ける。