-2- 暗躍者
革命から数日が経った。
イッシュ地方は、ものの見事に「時代の変わり目」という言葉が似合う土地になった。
変化の潮流に時間がさらわれようとも、鼻をくすぐる草木の匂いだけはそのまま残る。青々と茂る広大な景色が通り過ぎていく。次から、次へと。一時も気を抜くことは許されない。目を離す隙は与えられない。生と死は隣り合わせだと口をすっぱくして教えられて来た。精神を研ぎ澄ませながら、次の攻撃に備える。
来る。野生の勘というヤツが叫んでいる。方角は南、なるほど死角を取ったか。ならば、かわすことは難しい。迎え撃つか、身を隠すか。頭の中で無数の選択肢が樹形図となって最善の応手を導いていく。集中を保つように己へ語りかける。
横薙ぎ一閃、空を斬る音。足元が振り払われる。行き場をなくした葉っぱが風にさらわれていく。切り裂かれたら一巻の終わり。重々承知しているが、回避に専念すると、反撃の好機を見出せない。よけようとすることで頭がいっぱいになるからだ。いっそ、くだらない雑念に取り込まれる自我の弱さを捨ててしまいたい。ねだったところで、自分には届かない。
と、首筋にぴたと刃が止まる。薄ら寒い感覚がよぎる。意味するところは死。生き物は首を刎ねられれば死ぬ。ポケモンも人間も同じだ。生き物には血が通っているし、例外は無い。だから無闇に殺してはならない。口をすっぱくして、教えられて来た。
ビリジオンは草の剣を収める。訓練は終わったようだ。彼女の求める及第点には到底達していない。額にそう書いてある。
彼らの様子を岩盤から見守っていたテラキオンが、口を顔いっぱいに広げている。目元に浮かぶのは薄ら笑い。ケルディオは足を鳴らして喚いていたので、バッフロン達の群れに対する反応が遅れた。ビリジオンとテラキオンは大移動を鮮やかに避けるも、ケルディオはアフロブレイクも顔負けの突進をもらう。それでおしまいかと思いきや、今度は巣から湧き出すアイアントの大群に足元を掬われる。踏んだりけったり。どこを目指しているのかなど問う暇も無い。ゆらゆら揺れる尻尾と日光が交互に視界へ飛び込んできて、頭の中で複雑に絡まったと思いきや、それからケルディオは目を回した。つまり、意識を失ったということだ。
やっとの思いで目を覚ますと、自信という文字を体現するテラキオンがこちらをにやにやと眺めている。
大方言いたいことは分かる。何年も付き合ってきた仲だ。言葉を介さずとも、意思疎通ぐらいはお茶の子さいさいだ。
意地悪に対して食って掛かるも、ケルディオとテラキオンでは悲しいほど体格差があるので、喧嘩にも発展しない。
ケルディオにも今よりやんちゃで勝気な頃があったのだが、テラキオンと取っ組み合いをした時に角を折られて以来、二度と勝負を挑まなくなった。ビリジオンはそんな日常茶飯事の光景を、母性の籠る瞳で見守っている。
凛とした声で咆え、水色のポケモンが歩み寄る。近付くだけで息を呑む反面、破られない盾のような安堵も生み出す聖剣士の将だ。
聖剣士とは「せいなるつるぎ」を携え、悪を断罪するポケモンに用いる敬称である。
「てっしんポケモン コバルオン」「がんくつポケモン テラキオン」「そうげんポケモン ビリジオン」を表す。彼らはあえて人目のつかない場所で暮らしている。来たるべき時に備えて、剣の研磨も怠らない。
彼らの使命はもう一つ。弟子のケルディオを一人前に育て上げ、聖剣士の後継者とすることだ。ところがケルディオときたら一人前になるどころか、未だ半人前にも及ばない。先が思いやられる。聖剣士への道のりは果てしなく遠い。
コバルオンが人間には分からない、ポケモンだけに通じる言語でテラキオンとビリジオンに何かを告げている。
2匹は不安そうに顔を見合わせた。コバルオンは頷く他無い。青ざめた顔で語る一同はケルディオの知らない世界を生きて来たようで、置いてけぼりの見習い小僧は膨れっ面になる。自分だけ除け者にされるのが悔しいのだ。若さ故の煩悶にも無理はない。
ケルディオはリーダーに反抗的な態度を取るが、コバルオンは言葉を返すことなく、ただ空を仰ぐ。陽射しは遮られていた。暗雲立ち込めるイッシュの大空。ケルディオはそれ以上何も言わなかった。否、言えなかった。
世界の変革はもう始まっている。聖剣士コバルオンの予感は、的を射ている。
【 Pokemon Black & White an imaginary story 『もしもプラズマ団がポケモンの解放を実現していたら』 -2- 】
プラズマ団からの誓約は一つ。以下は、ゲーチスが七賢人に書かせた原稿を読み上げたものである。
「モンスターボールに閉じ込めているポケモン達を、野生に返して欲しい。しかし、今すぐにとは言わない。諸君らには、一月の猶予を与えよう。また、諸君らがポケモンを解放するのを確認した暁には、我々もポケモンを手放すことを約束する。もしも諸君らが我々の要求を飲まなかった場合には、従属の手段を講じることもある程度留意してもらいたい」
イッシュ全土の電波をジャックした運命の日。Nは全人民にテレビ中継を介して、王自ら語りかけた。
用いた手法を説明すれば、まずはポケモンリーグの陥落、チャンピオンのアデクが敗北した事実と証拠を見せ付ける。そして、プラズマ団のNとゲーチスがイッシュを治める権力者に選ばれたことを報せる。
簡単なことだ。ポケモンリーグ本部を包囲する城さえ公共の電波に流せば、力を持たない者の言論封殺は完了されるのだから。
また、ポケモンリーグを勝ち抜いたポケモントレーナーのトウヤ及び伝説のポケモン・レシラムとのポケモンバトルで勝利したこと。 二つを通達事項として、淡々と読み上げた。
統治者が変わったという突然すぎる状況下に置かれたイッシュ。いわば、現大王が暗殺された国の混乱に近い。
とはいえ元々、ゲーチスの演説による影響力は大きかった。巧みな言葉とは面白いもので、いとも簡単に人心を騙し、掌握する。善意という餌を与えられれば、容易く尻尾を振って御馳走に預かるのが人間の心理だ。しかし、悠然と否定出来るほど強い意思を持った人間がいないのもまた然り。
テレビ中継を見た者達は、当然のことながらどうすればいいかと悩み始める。まだ理解力の乏しい幼子には何が起きているのか分からないくても、周りの反応と表情でおのずと悟っていく。
扉を開けて外に出れば、言い争う人間とポケモンの姿が見える。否が応でも目に入る。何処に行ってもどの町でも、首を振るポケモンを無理矢理引きはがす人間が。何年も付き合っていたのに、別れの時は一瞬。あまりにも空しく、証すら残らない。
ところでモンスターボールに関する見解は多岐に渡るが、ポケモンの心までは縛れないという意見も散在する。例えば、ポケモンが望むならば、トレーナーの下を離れることすら自由自在だという。
しかし、この理論を認めることによって、モンスターボールの科学的視点から見た時の拘束力は意味を為さなくなる。それでは、ポケモンと人間を繋げるものは信頼という不安定な言葉に落ち着くが、解放に従う人間とポケモンの間に絆を見出すことなど出来ようか。彼らの関係性は偽物で紛い物に過ぎない。
Nはその点に疑問を提起した。ボールに入ることで、人間はポケモンを服従させる。餌を取りに行ったケンホロウは、モンスターボールに収納されれば、母の帰りを健気に待ち侘びる子供のことを忘れて、人間に付き従うようになる。使い物にならなくなったら、逃がすだけで済むので、後処理は簡単である。使いたくなったら呼び出す。用が済んだら適当に仕舞う。これでは、物の扱い方と何が違うのか。 ポケモンは生き物だ。生きとし生ける者だ。
Nには許せなかった。世界の黒と白がはっきりと分けられず、変えられるべき概念が灰色となって受け入れられる現実を認めるわけにはいかなかった。故に叫ぶのだ、解放を。
逃がされたポケモンは、突然のことに何度も何度も振り向く。ご主人様の機嫌をうかがいながら、木々の隙間や草むらに紛れて、やがて小さくなる。或いは、ポケモンに背を向けながら逃げて行く。空っぽになった赤と白の球体には、やり切れない怒りの矛先が向かう。投げ捨て、叩き割る。破片すら無数の雫に濡れた後、踏み潰される。今までトレーナーを支えた道具も八つ当たりで壊される。
イッシュには、ポケモンの鳴き声ではなく泣き声が響き渡るようになった。
逆らうだけで処罰を受けるかもしれないという先入観から、望まぬ行動を強いられる。ポケモンの解放も、結局は暴力的活動の一環でしかなかった。
被害者の立場を擁護すれば、今まで人間と暮らし、何処へ行くにもくっついて離れなかったポケモンを、今更になって野生に帰すというプラズマ団の思想は、そもそも世の理を根底から引っくり返そうとしている妄言に過ぎない。
さあ、やれ。ポケモンを逃がせ。誰が従うだろうか。そこで推進力となるものは、力だ。
人間がポケモンに勝手な理想を押し付けるのも、また変わらない事実。ポケモンとは何か。問いかけにはっきりと答えられる人間は多くない。友達。道具。家族。家畜。兄弟。品物。仲間。金銭。繋がるための言葉は、人間とポケモンの数だけある。切っても切れない縁にある。大命宣布という儀式自体は成功したが、雲行きは怪しい。Nが夢見ていたはずの理想とは程遠い方向へ。世界はひた走る。
比較的最近になってから開拓された土地――ヒオウギシティ。ここにも一人、画面に食い入る少年がいた。
「おにいちゃん」
拳を握りしめる少年の裾を、びくびくしながら掴むのは彼の妹だ。ぽんと頭を撫でてやると、震えは少しだけ治まった。
「気にするな。Nってヤロウが、勝手なことを言ってるだけだからなッ」
「でも、みんなそうするんでしょ。ポケモンと、わかれなきゃいけないんでしょ。そうしないと」
「Nが決めたから、か? お前はチョロネコと別れたいのか?」
まだ年半ばにも満たない妹には、酷な質問だった。少年は悔やみながら、頭を掻く。
「わかんない。でも、そばにいてほしいよ。おにいちゃんがプレゼントしてくれた、チョロネコだもん」
歯を食いしばる。小さな体いっぱいにチョロネコを抱きしめる無垢な妹の表情が痛ましくて、テレビの中で要求だけを行う無表情な青年がどれだけ恨めしかっただろう。画面越しからでも睨み殺せる気がした。だが、息巻いたところで何も変わらない。
力を持ちすぎたプラズマ団は、無情すぎる真実を弱者に説き、かえって絶望の淵へと落とし込んでいる。
*
17番水道にあるのは、寂れた研究所だ。既に放棄され、扉は固く閉ざされている。
というわけではない。無防備にも風が入り込むほどの隙間を開け放っている。訂正するならば、誰も知らないポケモンの胎動が波打ち、地下で虎視眈々と目覚めを待つ場所だ。
そこに訪れるのは、緑・赤・青の髪色がとりわけ目立つ三つ子の兄弟。トレーナーとしての可能性を秘めた若者に、ポケモンリーグ公認のトライデントバッジを授与する役目を担う。サンヨウシティのジムリーダー、デント・ポッド・コーンとは彼らのことだ。
「書いてあった場所は、ここだね」
「信用出来るのか?」
「国際警察なら、まず間違いは無いでしょう」
「なんだこりゃ。P、ラ……」
看板の文字は掠れていて読みにくい。本当に機密事項が隠されているのかと疑ってしまう。しかし、今やイッシュで最も暗部に近い情報を手中に収めている。ポッドが解読に精を出すところ、コーンとデントはさっさと警備の薄い研究所へ足を踏み入れる。
「置いて行きますよ、ポッド」
「待ってくれよ!」
こうして3人は、知ってはいけない世界の秘密に首を突っ込む。
内部は薄暗く、これといった照明もろくに灯されていない。散乱した機材の跡、複雑に絡み合ったコード、収納能力を超えて膨れ上がっているダンボールの類が、うっすらと差し込む月明かりによって辛うじて視認を許す。
歩いても歩いても、吸い込まれていきそうなほど奥行きがある。
やがて壁ではなく、階段へと辿り着いた。
「これは」
「ビンゴ!」
ポッドが指を鳴らすと、デントが顔をしかめる。仮にも敵地の中での振る舞いとは思えない。もっと警戒心を張り巡らせるべきだ。ポッドは軽く手を合わせて許しを請う。
コーンを先頭に、ポッドとデントはなるべく音を立てないよう心掛け、階段の手すりに沿って降りていく。
所狭しと並べられた培養器は、いかにも危ない実験を省みないマッドサイエンティストの居城を彷彿とさせる。
元来、科学的物質からは縁遠いポケモンが中に入っていることを考えると、余計に気分を害しそうだった。事実、デント達の前に現れたのは、大量のポケモン達だった。
外国の古代ポケモン・カブトプスにも似た鎌状の手。瞳は無理矢理に埋め込まれた赤いレンズ。何よりも目を惹くのは、背中に装着された大砲だろう。確かにまごうことなきポケモンだが、容姿は戦闘兵器を想像させる。
全く同じ姿をポケモン達が、赤い培養液で野菜を煮込むようにくつくつ、ごぽごぽと育てられている。
「なんだよ。これ」
ポッドの言葉が空しく虚を突く。デントもコーンも冷や汗一つ掻かない。そんなものを流すほど、精神的な余裕が無いからだ。
時既に遅し。一つの足音と人間の声が、招かれざる客を歓迎する。
「見てしまったのですね。見てしまったのなら! 無事に帰すことは出来ませんねえ」
「誰だ!」
「おっと、そんなに大きな声を出さないでください。ゲノセクト達が起きてしまいます」
「ゲノセクト? それが、こいつらの名前か!」
ポッドは今にも、モンスターボールから業火を振り撒くポケモンを放ちそうな怒号を上げる。
「こんなことをして、何をするつもりですか」
問いを投げかけたのはコーンだ。しかし、声が震えている。
「あなたがたには関係の無いことです」
「プラズマ団のやることが、俺達に関係無いはず無いんだよ!」
眩い閃光。男性の顔がほのかな明かりによって照らし出される。
科学者にふさわしい白衣と、一度見たら忘れられない特徴的な髪型だ。
持ち前の反応速度で飛び出したのは、頭を陽炎のように揺らめかせるバオッキー。対して、赤い閃光が手刀を繰り出す。コーンのモンスターボールから放たれた光が、危機一髪のところを救い出す。獲物を仕留め損ねたキリキザンは深追いを避けた。
「わ、悪い! コーン、ヒヤッキー。助かったぜ」
「礼は後にしてください。上を!」
指差す先、3つの人影が伸びる。首根っこに手をあてがい、準備運動として関節を鳴らしている。男は天井に張り付き、夜の闇に溶け込む生気を失った忍者の方を見ずに語りかける。
「ダークトリニティ、後は任せましたよ。私は霊獣達の探索に取り掛かります」
「お前の部下になった覚えは無いが」
「固いことを言わないでくださいよ。私達は、同じプラズマ団ではないですか!」
調子の良いことを言いながら、威勢の良い男は場を立ち去ろうとする。
そうは問屋が卸さない。逃げ場を塞ごうと、ポッドが追撃を命じる。
「はじけるほのお!」
しかし、バオッキーは炎を出さない。ポッドは怪訝な顔つきで動かない背中を見つめる。
「気付かないとは残念ですね」
忍者の真意を分かりかねていたが、納得せざるをえない。バオッキーが音も無く白目を剥いて倒れたからだ。
デントとコーンが振り返る。刹那の間にバオッキーは不意打ちを仕掛けられていた。タイプ相性では、ほのお対はがね。バオッキーの方が有利だったのは火を見るよりも明らかだ。しかし、絶対的な力の前には常識など通用しない。キリキザンの残像すら見止められなかった3人は歯痒い思いをする。
ポッドが取り乱してバオッキーに駆け寄ると、敵は揃って零距離地点に飛び降りてくる。
「命までは取らない。今すぐ引き返すことだ」
「我々はゲーチス様から、ここを守るよう仰せつかっている」
「君達はレストランでコーヒーでも注いでる方が似合ってるよ」
デントが人差し指を振る。不快な語弊を正すためだ。
「なんていうか、ナンセンスだねえ」
常に無表情なヒヤッキーも、今ばかりは許せない侮辱に静かな怒りを煮えたぎらせていた。親友の仇とばかりにキリキザンを睨み付けるが、そもそも相手はこちらを一度も目に留めていない。
「皆、七賢人と戦ったんだ。俺達だけ店番してろってか……? 舐めてんじゃねぇぞ!」
「言葉は汚いですが。コーンも、ポッドに同感ですね」
「あれ。まだ、やるの?」
愚問だ。三つ子の意地、ここで見せずにいつ見せる。
いよいよ全貌を晒すゲーチスの腹心にしてプラズマ団最大の暗部、ダークトリニティ。
その時、おのずと悟っただろう。デント達の力では、彼らのポケモンに傷一つすら付けられないことを。それでも引き返すにはいかない。ポケモントレーナーが最も恥ずべき行為は、相手に背中を向けることだ。
潮風薫る17番水道のP2ラボで、波の勢いにも劣らないハイドロポンプが激しくきらめき、開戦の狼煙を上げた。