まんまるオタチとシュークリーム
*
スクールからぶすくれて帰っていたコウキは通学路に見慣れない何かが、どで〜んと落っこちているのを見つけた。
はてなマークを顔いっぱいに浮かべ、眉をぎゅうと寄せ、じわりじわりと近づいてみる。それは茶色くてまるくてふわふわしていた。規則的にまんなかの部分が上下している。それは生きていた。
「ポ、ポケモン?」
茶色いポケモンはへんにゃりと倒れたままか細い声で鳴いた。意識がある!でも、今にも死んじゃいそうに思った。
コウキはひねくれたガキであったけれども、目の前でポケモンが死んでしまうのを見捨てられるほど薄情では無い。しかしわずか八歳であったために、どうしたら良いのか分からずにオロオロするしかなかった。
周りを見回してもおとなどころか、人っ子一人いない。
「な、なあ、どうしたんだよ。どっか痛いのか?ポ、ポケモンセンター……」
まあるい生き物をなんとか抱き抱えようとする。あったかい。
「重っ……」
ちいさな体の割にずっしりと重たくて、踏ん張って何歩か歩くけれどしっぽがズルズル地面を引き摺っていた。無理だ。太っちょのコウキはすぐに汗だくになって、茶色いポケモンと一緒に道路の隅っこに座り込んだ。
フウフウ息をついてバッグから水を取り出してごっきゅんと浴びるように飲んでいると、膝小僧に重みを感じる。茶色いポケモンが可哀想なほど目を輝かせてコウキを羨ましそうに見ていた。何かを期待している。
「水?ほしいのか?まあこれくらいなら……」
ペットボトルを渡して困った顔をしているのを見て、ああ飲み方が分からないのか、と気付く。
「口開けて」「手で持って」「そう。んで、口付けて倒す。……おお、意外と飲めんじゃん」
ポケモンはちっこい手で割と器用にペットボトルを掴んだし、ちっこい口をなんとか開けてゴックゴックと飲み干した。よっぽど喉がかわいていたのか、飲み終わったあとは至福のかおをしている。
「タチッ!」
茶色いのは、キリリとしてコウキにペットボトルを返した。しかし、ゴギュルルルルルグルウウ〜…………地獄の番犬の唸り声みたいな音がしたと思ったら、すぐにこいつはへなへなぱたんと地面とお友達になった。
「タチ〜……」
「もしかして腹減って倒れてたのか?」
「タチ……」
肯定するようなちいさな鳴き声。コウキはうぬぬ、と唸った。バッグの中にはご飯前のとっておきのお八つ、大きなシュークリームがある。しかしこれはコウキが自分で買った物だったし、コウキは食べ物を誰かに取られるのが大っ嫌いだった。取られるよりも奪って食べたい。そういうタイプ。
でも、目の前のちっこい生き物は死んじゃいそうに弱っていて、死んじゃいそうなほどおなかが空くなんて可哀想だとも思った。コウキはおなかが空けばいくらでも食べられたし、おなかが空かなくてもいくらでも食べられた。
すこし迷って、仕方なく苦渋の決断を下す。
バッグをおもむろに下ろし、ゴソゴソと漁り始めたコウキをポケモンがコテンとまあるい体ごと傾けて眺めている。
内心ブツクサちょっとの不満はありつつも、コウキは袋を開けてやって無言で突き出した。
「チタ〜……?」
クンクン鼻を近づけてはいるが、ポケモンはなかなか食べ始めない。皮のい〜い匂いがして、コウキは涎が垂れそうなのに。
食べ慣れてないから警戒しているのかも。
「しかたねえな、お前。美味いんだぞこれ。せっかくおれが分けてやってるのに、手のかかるやつ」
袋の上にシュークリームを割ってやって、一欠片つまむ。ショップで買ったばっかりだからまだひんやり冷たくて、ホイップのとろける甘みが口の中に広がる。
「うめえ〜!うう、やっぱりこいつにやるの、もったいなく思ってきた……。食わないならおれが食っちゃうぞ」
まるっこい目をくりくりさせて、ちっちゃく鳴きながらポケモンはシュークリームを掴む。コウキの真似っ子をしているのだ。
おててをクリームまみれにしながら、ひとくち、ぱくり。
「!!!チタっ!!チタ〜〜〜ッ!!」
つぶらな瞳をきらっきらにして、ポケモンは顔を跳ね上げた。体中でいっぱい美味しいを伝えられるとコウキも嬉しくなった。
「へへっ、だろ!?」
「タチ!タチ!」
たちたち鳴きながら夢中になって食べるポケモンの背中を思わずなでなですると、もふっと手が埋まった。ポケモンは一瞬固まったけれど、すぐにシュークリームに意識を戻す。
意外と毛があつくて、コウキのぱんぱんの指が少し隠れるくらい、ふわっ……もふっ……と誘うものだから、手を話せなくなった。
ポケモンは食べ終わると、たちたち鳴きながら、自分の手のホイップもぺろぺろ舐める。綺麗に舐め終わっても名残惜しくぺろぺろぺろぺろ舐めているから、べちゃべちゃになっていた。
もう大丈夫そうだ。
コウキはふわふわからなんとか頑張って手を離すことに成功した。よっこらせ、八歳児らしくないおおきな体を起こして、ポケモンを振り返った。
「じゃあな。もう行き倒れるなよ」
「チタ?」
ポケモンを見て、手を振って、すこし寂しいがコウキは歩き出した。案外可愛いやつだったな。ひねくれたコウキでも素直におもった。
てくてく。
よちよち。
「…………。」
てくてく。
よちよち。
コウキは振り返った。
「タチッ」
ポケモンが、フン!と胸を張ってコウキを見上げた。
「着いて来るなよ。家に来てもおまえにやるごはんはないんだよ」
てくてく。
よちよち。
「着いてくるなってば!」
コウキは困り果てた。とうとうマンションの前までやって来てしまった。
オートロックでセキュリティばっちりのマンションだから、野生のポケモンはぜったいに入って来れない。エントランスをくぐって、耐えられずに振り返る。
ポケモンが太いしっぽでピンと立ち、コウキを見上げていた。くりくりの眼差し。
「あーーもう!ママに怒られちゃうよ!」
茶色いポケモンが「タチッ」と喜びの声を上げる。コウキの家に家族が増えた。
*
茶色いポケモンはオタチ、というらしい。
ふわふわまんまるの体におおきなしっぽ。つぶらな瞳。オタチと、まんまる体型のコウキはそっくりだった。
ふたりはすぐ仲良くなった。
どっちも食べるのが大好きで、家の食費は二倍になったが、いつもムスッと楽しくなさそうな顔をした息子がオタチにはお兄ちゃんのように振る舞うのを見て、母親はキープするのを許してあげることにした。
母親は嬉しかったのだ。
スクールにもお友達が出来ず、不機嫌な顔はどこかさみしそうにも見えた。そのコウキに朗らかに触れ合える友達が出来たのだから。
朝から夕方までコウキは学校に行き、父親と母親は夜まで仕事、オタチはおうちでお留守番。
そんな生活が一ヶ月ほど続いた。
コウキとオタチはどんどん仲良くなっていたが、同時にオタチはしんなりすることも増えていた。
そしてある日。
スクールの校門をくぐるとき、聞き覚えのある鳴き声がした気がした。
「チタ〜」
振り返る。オタチがどこか寂しそうにしっぽで立っていた。
「お前、着いてきたのかよ!」
よちよち歩いてオタチはコウキの手を繋いだ。甘えているサインだ。コウキはぎゅうっと嬉しくなって、いつもしているようにオタチのふわふわの毛を空いて、頭をうずめたくなったけれども、ここは学校なのだ。
「ダメだってば。帰れよ」
「タチ……」
ぺたん。座りこんでオタチは地面を見つめ始めた。なんと哀愁を誘う姿なのだろうか。そんな顔してもダメ!そう言いたくなったが、コウキはまんまとかわいそうになってしまい、一緒に怒られるか、とあきらめた。
オタチが悪い。開き直ってそう考えることにする。
「行くぞ、オタチ。ここに座っててもしょうがないだろ」
「オタチ!」
途端に元気になってしっぽでぴょ〜ん!と飛び上がり、コウキの手のひらにちっこい温かさが繋がった。オタチはけっこうスキンシップが多い。
教室に入ると視線がバッ!!と突き刺さった。二度見されて居心地が悪い。コウキは機嫌が悪いわけでもないのにムス〜という顔になった。どんな態度を取ればいいか分からない不器用なこどもなのだ。
コウキは椅子にずんぐりと座り、オタチは机の上にぽってりと座った。
「おいハム野郎、ポケモン連れてきちゃいけないんだぜ」
「てかポケモン持ってたの?」
「ハムの癖に生意気。ポケモンが可哀想だろ。お前みたいにブクブクになって立ち上がれなくなんじゃね」
「有り得る」
「もうワンチャンなってるよな。デブとまんまるである意味お似合いじゃん」
「デブはデブを呼ぶ!」
「うぇーい!」
悪ガキ共にコウキは虐められていた。
タテマエは公貴の「公」だからハム、けれどホンネはデブのボンレス「ハム」だとみんな知っていた。
主犯のガキは、コウキより背が高くて、シュッとしていて、バサバサものを言って、みんなから好かれていた。手のかかるガキだけれども、先生からも好かれていた。
無口で、常にブスっと全員を睨みつけ、誰に対しても反抗的なコウキとは違う。
無言で睨みつけたあと黙ってオタチを撫でているコウキに悪ガキの声が低くなる。
オタチは撫でられるたびに「タチャ〜〜……」と気の抜ける声を上げて、机の上でゴロゴロした。教室の子供たちが静かにざわめき、噛み付くように怒鳴る。
「何とか言えよ!ポケモンしか友達いねえくせに。いや、友達じゃなくておやつか?」
悪ガキ共が下品な笑い声を上げる。
……ああ?
その言葉は見過ごせなかった。
相手にしないようにしていたけど、黙ってやっているほどコウキは優しくも大人しくもない。
主犯の悪ガキはいつも余裕がなかった。こいつがコウキの何にコンプレックスを抱いているか、コウキは察していた。
薄ら笑いを浮かべるコウキに悪ガキどもが口を閉じる。
「何笑ってんだよ」
「羨ましいだろ?お前んちはポケモン飼う金なんかねえもんなあ!むしろお前んちこそ、食べるもんなくてポケモンでも食ってんじゃねえの?」
「…………黙れよッ!」
一瞬で悪ガキの顔面は沸騰し、涙さえ浮かべながら掴みかかってくる。コウキは腕力はある。
「やんのか!」
「許さねえ!」
「チタ〜〜ッ!」
一触即発のふたりの子供の間にオタチが割り込む。お互いは胸に、もふわんっ……とした感触がぶつかってきて勢いを削がれてしまった。
たしん!もふん…… たしん!もふわっ……。
机にしっぽを叩きつける柔らかい音が響く。オタチはコウキに「チタッ!」と鳴き、悪ガキに「チタッ!」と鳴いた。
「な、なんだよ」
悪ガキはどんな顔をすれば良いか分からなくなって、ムスッとした顔をした。それは奇しくも、コウキと同じ表情であった。
おもむろにオタチはコウキのリュックをガサゴソと物色し始め、呆然と成り行きを見守る教室中の視線の中、マイペースにシュークリームを取り出した。
コウキが常に常備しているおやつである。
人間社会に慣れ切っているオタチは、ちっこい手でシュークリームの袋を破り捨てると、袋の上に置いて見せた。
そして、3つに割ってふたりを順番に見る。
「チタッ!」
「は、はあ?おれのシュークリームだぞ!」
「オ〜タチッ」
「うわ!わかった!わかったからしっぽで顔を叩くのは辞めろ!毛が口に入るだろ!」
どこか羨ましそうにそれを眺める生徒たち。
黙り込むっきり喋らなくなった悪ガキの背中をしっぽで叩き、机のシュークリームをさす。
「た、食べればいいの?」
「チタッ」
「チッ。仲直りでもさせてるつもりかよ……」
オタチはそこの読めないおめめでくりくりきょとん、としている。でも、どこか得意げにも見える。
オタチが3つのうちの1つを悪ガキに、1つをコウキに渡した。
戸惑いつつ、お互いは気まずく視線を交わしてシュークリームを、しかたなくおずおずとぱくり。
ぬるくなったクリームがべったり広がって溶けていった。どんな状況だよ。そう思いつつも、美味しそうに食べるオタチを見ていたら、ふたりともなんだかバカバカしくなってきてしまった。
「……やっぱりうめえ。シュークリーム」
「……んなもんばっか食ってるから太るんだよ」
「……あ?たまの贅沢くらいありがたく思えや」
「うるせえんだよ!……クソっ、でもまあ、確かに美味いよ……」
「だろ?」
「チタ〜……!!」
ボソボソしゃべるふたりを見て、シュークリームを頬張ったオタチがとろけそうなほど幸せな声を上げる。
ふたりの仲直りを嬉しく思ったのか、シュークリームが大好きなのか。神のみぞ知る。
3等分されたシュークリーム、いちばんおおきなものを頬張るオタチは、やっぱりなんにも考えてないかもしれない。
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