私が相棒と出会うまで
*
ポケットモンスター。縮めてポケモン。この星の不思議な不思議な生き物。
空に、海に、森に、街に、世界中の至る所でその姿を見ることができる。
ポケモンが大好きだった。生まれる前から大好きだった。
うん?と不思議に思う人もいるだろう。でも事実だ。この世界に生まれる前、私は違う人間として、ポケモンのいない世界で生きていた。
物心ついた時から何か自分と周りに対する違和感が付き纏っていて過ごしにくかった。けれど、テレビでポケモンバトルを見た時──ストンと記憶が落ちてきたのだ。
情報量のあまりの膨大さに私は泣き喚いて気絶し、そのまま三日三晩高熱で魘されたという。無理もないね。5歳の子供の体に三十路のオバチャンの記憶が詰まったら脳みそが焼き切れてしまう。
生死の境をさまよったと言われゾッとしたが、何はともあれ、私はこの世界に生まれついた。
ポケモンのいるこの世界に!!
ウッキウキで跳ね回った私を母親は地に叩き落とした。もちろん比喩だけど。
「ママ、ミィちゃんポケモン欲しい」
「あらあごめんねミロ、ママ、ポケモンアレルギーなのよ」
ポケモンアレルギー……?
理解するのに数秒かかって、分かった途端私は崩れ落ちた。精神年齢三十路なのに精一杯5歳児のフリして甘えた結果に打ちのめされてしまう。
あまりにも盲点だった。そんな。ポケットアレルギーが存在していたなんて……!
マイマザーはポケモンが大好きみたいだった。けれど、体毛の生えているポケモンに接触すると痒みを覚えて、もし毛が体内にでも入ってしまうと喉が腫れて最悪呼吸困難に陥るらしい。
動物系は全部ダメだ。
アレルギーの大変さは前の記憶もあるからよくわかってる。ママも申し訳なさそうだったし、ポケモンが好きなのに触れないのも可哀想だと思う。
でも私は諦められなかった。
だってポケモンが大好きだった。
前世の私は虐めにあったり、恋人と上手くいかなかったり、職場で人事部にいたこともあって人間の汚いところがすごく目に付くタイプだった。人間の汚いところばかり見て、どうせ……と諦めていた。
でもポケモンを見ている時だけは癒されて、人間も捨てたものじゃないな、と思えたのだ。
人間とポケモンの絆、熱さ、ポケモンの健気さ、人間の努力、何もかもが尊くて眩しくて。悪の組織の人間でさえポケモンを慈しむ。
ポケモンの健気さと一途さにいつも救われていた。
「じゃあじゃあ虫タイプとか水タイプは?毛がない子なら良いでしょ?」
ママは困った顔をして、パパが言い聞かせるように頭を撫でる。
「虫はママも僕も苦手で……。水タイプの子は、水浴びさせて自由に泳がせてあげるプールもないのに、家族にしたら可哀想だろう?」
「お風呂があるよ!」
「ミロだったらって考えてみて?今まで海や川で仲間と自由に生きていたのに、いきなりお風呂の中でしか水に触れなくなってしまうのを。家族と離れ離れになって」
想像するまでもなくその言葉は私に刺さった。
その通りだ。深く考えていなかったけれど、ポケモンはポケモンで家族がいて、故郷があって、みんなが自由に生きている。
家族に迎える以上幸せに過ごさせてあげたいのに、水タイプだとそれは出来ない。
ジワ……と涙が浮かんで私は観念した。諦めざるを得ない。ママとパパに抱きしめられながら私はぎゃあぎゃあ泣いた。5歳児の体のせいで涙腺がバカになってるんだ。
ああ、ポケモンと生きたいなあ。
*
私は8歳になった。
相変わらずポケモンはいない。
今私が住むガラル地方は多分まだ発表されていなかった新作だろう。ウルトラサンムーンまでしか知らない。
エンジンシティはレンガ造りの工業都市で武骨な印象のある巨大都市だ。ジムリーダーは炎タイプ専門のカブさん。ホウエン地方からやってきたらしい。
ガラル地方ではバッジを集めるのが「ジムチャレンジ」としてエンターテインメント化されているらしく、年一回のトーナメントとして連日賑わっている。
しかもダイマックスとかいう、こう来たかーみたいなインフレ現象もあり、テレビの中でポケモン達が熱いバトルを繰り広げられている。
「そこだ!いけっ!カブさん!」
「ああ〜っ」
「来た!キョダイマックス!」
ママもパパも私も年甲斐もなくテレビの前で声援を投げかける。カブさんはエンジンシティのヒーローだ。
こんな風に無骨で燃える展開を見ると、旅に出たい気持ちが強まっていく。
この3年間私はいい子で過ごしていたけれど、去年スクールに通うようになってから、どうにもこうにも抑えが効かなくなっていた。
気持ちを頭だけで抑えられるほど、大人ではなかったみたいで、肉体年齢に精神が引き摺られてしまう。
スクールの子供たちの中にはもうポケモンを持っている子もいた。
もちろん手持ちということではない。トレーナーは10歳から、それはどの地方でも共通の概念のようで、でもすぐ手持ちに加える約束をして両親からプレゼントしてもらう例も多いらしい。
最初のポケモンが研究所から貰う3匹じゃないトレーナーはたくさんいる。
スクールの子供たちにポケモンの話を聞くたび、羨ましくて羨ましくて、手足を振り回して泣きたくなる。
ママのバカ。パパのバカ。
言っても仕方の無い、私のワガママが私の中に降り積もっていく。
エンジンシティは工業都市だから、草むらが少ない。
フレンドリィショップでは子供にボールを売ってくれない。
野生のポケモンはシティの外れまで行かないと会えない。3番道路や街外れは子供1人だと言っちゃダメだと言われている。
あーあ、どうにか方法はないかなあ。
「ミロ、遊びに行こうぜ」
「どこ?」
「公園」
「何するの?」
「へへっ、母さんが散歩に連れてっていいって」
スクール友達のコーディが得意げな顔をしてモンスターボールを見せびらかしてくる。ムッとしつつも、ポケモンと触れ合う機会に顔が輝いてしまう。
コーディは薄いブロンドの髪とグレーの瞳が印象的なイケショタである。中身はクソガキだけどね。
私は焦げ茶色の髪に焦げ茶色の瞳で、色合いは地味だけれど、顔立ちはハッキリしている。そばかすがあるけどはっきり言ってそこそこ可愛い。日本人だった前世とはぜんぜん違う。
早く行こうと急かしてくるコーディにそうだ、と思いついて提案。
「セルマも誘おうよ」
「え〜、まいいけどさ」
「呼んでくる!」
セルマは私の幼なじみの女の子で黒髪のくせっ毛にアンバーの瞳をしている。少し泣き虫だから悪ガキのコーディはいつも泣かせて大人に怒られているのだ。でもセルマもコーディもお互い嫌いあっていない。どっちも友達だから私はもっと仲良くなって欲しいなとこっそり思っていたりするのだ。
セルマとコーディと私で意気揚々と公園に向かう。
「来い!カモネギ!」
「カモッ!」
「わあー!カモネギだー!」
バヒュンとカモネギちゃんにくっつく。慣れているカモネギは嫌そうな顔をしつつも避けなかったので、これ幸いと私は撫で回していく。
カントーのカモネギしか知らなかったけど、ガラルのカモネギは何か変。眉毛もネギもなんなら体の色も色々太くて濃くなっている。しかもネギガナイトに進化するらしい!
初代からゲームをしている私は良かったね良かったね……と嬉しく思うのだ。ふかふかの羽根に顔を埋めてスリスリしていると、コーディにゴツンと拳骨を落とされてべりっと引き離された。
ああ、カモネギちゃん……。
「いやがってるだろ!毎回毎回……」
「いやがってはないよ!」
「いやがってる!この目がそう言ってる!あきらめの目をしてる!」
「ちがうもん。すべてを受け入れる目!」
「うがあああ、もういい!早く行くぞ!」
3人と1匹がよちよち歩く。私の膝くらいまでしかないカモネギが頑張って歩いてるのが可愛くてニッコニコしてしまう。
「いいなあ〜コーディはポケモンがいて」
「ふふん、いいだろ?10歳になったらこいつとジムチャレンジするんだ!」
「私も早く欲しい……」
「ふ、2人とも凄いね、ジムチャレンジやるなんて……」
「えっ?お前やんねーのかよ!?」
大声にビクッとしてセルマが頷く。
「1人で旅とか怖いし……テレビに映って試合するのも怖いよ……。ポケモンに好きになってもらう自信もないよ」
「セルマ……」
彼女の言いたいこともわかる。私も自信はないし人前に出るのは大っ嫌いだ。ただ、ずっと焦がれていたポケモンを前に、旅に出ない道はないというだけ。
しょぼんとするセルマをバカにするようにコーディが吐き捨てた。
「あっりえね〜。ガラルに生まれたくせに、やってもないうちから諦めるなんて」
「そ、そこまで言わなくても……」
ヤバい、とコーディの顔が歪んで、慌てて謝る前にセルマの瞳にみるみる涙が浮かんだ。
「うあああ」
「な、泣かないでセルマ!」
頭を撫でたりあやしにかかるけど泣きわめくセルマは強敵なのだ。謝って!という意志を込めてコーディを睨みつけたら、居心地悪そうな顔をしているくせに、そっぽを向きやがった。こんにゃろう。8歳児のクソガキはこれだから。
公園はもうすぐだというのに立ち往生して、泣き喚く子供と泣かせている子供2人に、ジロジロ視線が突き刺さる。あ〜セルマも早く泣き止んでよ〜!このままじゃ大人が来ちゃう。
幼女の体というのは不思議なもので、親友が泣いていてどうにもならなくて途方に暮れていると、大人の私の心は冷静を保っているのに、瞳から不安が現れるのだ。
私の目にも涙が浮かび始めたのを見てコーディがギョッと体を仰け反る。
分かるよ、びっくりするよね。私もびっくりしてる。もう嫌だこのからだ。不便で仕方ない。その不満もまた涙に集結する。
その時カモネギが動いた。
「いで!いでっ!なんだよ!」
手に持った太いネギをぶん回してコーディのケツをバシン!バシン!と叩いたカモネギは、あの全てを悟ったような真顔でじーーー……とコーディを見つめる。
「カ、カモネギまで俺の敵になるのかよ!」
「じーー……」
コーディはねばったがすぐに折れた。
「わかったよ!謝れはいいんだろ!セルマ!悪かった悪かった!……これくらいですぐ泣くなよ」
バシン!ブツブツ言うコーディのケツをすぐさま叩いて教育的指導をしてくれるカモネギさん。なんて紳士的なの!
「いでで……。わかった!ごめん!……ごめんセルマ。ジムチャレンジはやりたいやつがやればいいよな」
「ううん……私も泣いちゃってごめん」
「仲直り?仲直り?」
「うん……な、仲直り」
「……おう」
2人は握手した。カモネギが腕(?)を組んで頷いている。私の涙も引っ込んでいた。
「それにしてもカモネギはいいこだね〜」
私は嬉しくてネギを振り回しながら歩いた。ネギが無くなったカモネギはパタパタ不安定に飛んで着いて来ている。カモネギって飛べたんだ!
微妙に不安そうに私を見ているから笑顔で「大丈夫だよ、このネギは大事に扱うから」と言って見せれば、微妙に納得していない顔で諦めていた。ごめん。カモネギって何故か絶妙にちょっとした意地悪をしたくなっちゃう。
前世の、全てを諦めて"虚無"になったネコチャンみたいな可愛さを感じる。
公園は昇降機で降りるとすぐ広がっている。
水路の方は大人と一緒じゃないと近寄ったらいけないと言われていて、ユニフォームショップ前はランニングコースとしても人気だった。
公園には遊具や小さな噴水もあって、整えられた庭みたいな木々もあるから、たまにポケモンもいたりする。
カモネギはその中の1番太い木に向かってネギを振り抜いている。パシン、バシン、コーディが「いいぞ!その調子だ!」と叫んでいるのを後目に、私とセルマはのんびりベンチで流れていく雲を見上げている。
「何してるのー?」
「れんぞくぎりの特訓だ!」
「へえ……」
レベル上げて自動で覚えるわけじゃないのか。そうだよね、バトルだけで経験値を得るわけじゃないよね。
普通に過ごしてても人間と生活しているうちに進化するポケモンもいる。ゲームとは違う。
「いいなあ……」
万感の思いがこもったため息が零れて、セルマが気遣わしげに私をうかがう。
「そんなにポケモンが好き?」
「うん……」
「そっかあ…。何のポケモンもらうか決めてる?」
「みんな可愛いから迷ってる。セルマは?」
旅に出なくても、ジムチャレンジに参加しなくても、成人を迎えた子供は研究所に行けばみんなポケモンを貰える。もちろん貰わない選択肢もあるけれど、トレーナー資格は1人前として扱われる目安なのだ。
それに生きていく上でポケモンに関わらないということはほぼないから、身を守るためにも、パートナーは必要になる。
「その……」
言いづらそうにモジモジしているセルマにピーンときて、私はベンチに全てを投げ出した体制を辞めて、体を起こした。
「どうしたの?」
「うん…その…」
どことなく申し訳なさそうに見えて、ああ、ポケモン関連なんだな、と分かってしまった。ずしんと心が重くなる。
「パパが知り合いにポケモンの卵を譲って貰えるって……」
「卵!?すごい!」
本当に凄い。セルマの両手を握りしめてキラキラした目で見つめれば、彼女は安心して肩のこわばりを解した。怒らないから大丈夫なのに。もちろん羨ましすぎて死にそうだけど。
「何のポケモン?」
「わ、わかんない。それで私の手持ちにって……でも私、ポケモンのことあんまり知らないのに……」
「もしかして迷ってるの?」
「う、うん……」
「絶対貰った方がいいよ!もったいないもん!卵は神秘なんだよ!」
私の勢いにセルマが押されているのも構わず語りまくる。だって本当にもったいない。そんなチャンス滅多にないのに!
「これから知っていけばいいし、セルマもポケモンが大好きでたまらなくなるよ。ねえ、生まれたら私も会いに行っていい!?」
「ふふっ、うん。いいよ。一緒にお世話しようね」
「やったあ!」
すっごく楽しみ。
何のポケモンなんだろう?生まれたばっかりの赤ちゃんはきっとスッゴク可愛いに違いない。
今から想像して心が跳ねる。
楽しいことを考えて、私は心に僅かに滲む、嫉妬や悲しみを忘れることにした。
忘れたはずだった。
*
セルマに見せてもらったポケモンの卵は、ザラザラして、意外と重たくって、そして暖かかった。
孵卵器の中でたまにコロンと動く度にセルマと抱き合って絶叫したけど、卵はまだまだ生まれないらしい。まんまるの卵の時点でも、「命」というものが分かってドキドキした。
どこか現実味のないこの現実が、さらにリアリティを持って私をこの世界に縫いつける。
カモネギと未来のジムチャレンジのために毎日特訓してるコーディ。
卵のお世話をして前よりポケモンに対して前向きになったセルマ。
じゃあ私は?
大人の私はちゃんと分かってる。でも8歳の私がもう我慢できないと泣いていた。
ポケモンフーズとおやつを持って、遊んでくるねと普通の顔をして私は走り出していた。
今日は日曜日。
スクールはお休み。ママもパパも最近はいつも遊びに出ている私を疑ってはいない。
期待と不安から心臓が早鐘を打って、それに追い立てられるように駆け足になった。手汗が酷い。
向かうのは公園……の向こうの水路だ。
水路の奥には寂れたビルや工場の跡地も広がっていて、野生のポケモンもたまにいる。
治安が悪いから深くまでは行かないけれど、水路の少し奥なら、すぐ近くに公園もあるし万が一何かがあってもすぐ逃げられるはず。防犯ブザーも持ってきたし、私のスマホロトムはキッズ仕様だから、何かあったら自動で連絡をしてくれる。
万が一のためにコーディとセルマも置いてきた。
うん、準備はしっかりしている。
私は楽観していた。期待に目が曇っていたとも言える。
公園を人目を忍んで抜け、ランニングする人にいい子の顔で挨拶して、ひっそり水路に向かう。水路が禁止される理由は危ないからだ。私に子供はいなかったけど、昔の大人の私でも子供が水路で遊んでたら止める。そりゃ止める。
でも今の私は理性でも法でも正論でも止まれないのだ。
だって!!!!
だってずるいよ!!!!!
私の中の8歳児が泣き叫んでいるのだ。大人にバレるつもりは無いけれど、もしバレても甘んじてお叱りを受けるつもりだった。つまり私は誰にも止められない。
水路についたらそろそろ息を潜めて歩いた。
人間の気配を感じてポケモンたちが逃げてしまったら嫌だ。
こうして期待に胸を膨らませて来たけれど、釣り竿なんて持っていないから今日のところは下見で帰るつもりだ。あわよくば存在を確認できたらいい。
水面をじっと見て歩いていたらプク……と泡が浮かんだ場所が見えて思わずビクッとした。多分釣りスポットだ!まだポケモンがいるかもわからないのに手がビチャビチャになった。
リュックを下ろして持ってきたフーズを少し掴み取り、泡の周辺にポイッと投げてやる。
フーズが沈んでいく。
泡はなくなった。逃げちゃったみたいだ。でも確実にポケモンがいた。絶対にいた。
「ロトム、この場所を記録して」
「了解ロト」
スマホロトムはSiriみたいにボイスで反応するし、知能高いし、お前に普通して勝手に動作するので本当に楽だとしみじみする。ゲームでは釣りスポットは定点だった。ここはゲームとは違うけど一応また同じ場所に来れるように写真を撮っておく。
しばらく水面を眺めて諦めかけた時、また近くで泡がポコポコ浮かんだ。
すぐさまフーズを投げ込む。
次は少し多めに。
今度は水面に影が見えた。
その後数回に渡ってポケモンは現れて私が投げた餌を食べてくれた。
姿を見せてくれなかったけどいつか会ってみたい。
*
毎週日曜日に水路に通うようになって3週間が過ぎた。
相変わらずポケモンは顔を見せてくれないけど、話しかけると反応を返してくれるようになった。例えば「おかわりいる?」って言うと、チョロっと水しぶきが上がるのだ。
それと、水路の近くに近付いても泡が逃げなくなった。
今日こそポケモンちゃんの姿を見たい。
泡に向かってフーズを投げながら取り留めのない話をして行く。
「今日はね〜ちょっと高めのご飯なんだよ〜。あなたにお金使うせいでお小遣い無くなっちゃったんだから、大事に食べてよね」
「水タイプが喜ぶ木の実を使ってるって。なんの木の実かな?公園に生えてるかな?」
「ねえ、そろそろ顔を見せてよ〜。一緒にお話したいよ」
「今日はポカポカしてるよ〜。水タイプのポケモンってやっぱりお家にプールとかがないといや?」
水路に腰掛けてぶーらぶーらとのんびり足を揺らす。こうしていてもポケモンは逃げなくなって、足元で影が見えるからすごく嬉しい。
この水路はけっこう深いし、建物の影が濃いせいかポケモンの姿は見えない。
せめて何のポケモンか分かったらいいのにな。
たまにフーズを投げ込みながらボーッとしていると、その時がやってきた。
ポチャン……。
水音がして、慌てて水面を覗く。
ちょこんとこちらを見つめる瞳と目が合った。
「!」
思わず息を飲んで見つめ合う。水色のボディ、頭の2つの突起、まんまるくて黒々した瞳……。
「カラナクシ……」
頭の一部分しか出して無いけれど、私は何だか胸に迫るような何かに襲われて、うるうるしながら話しかけた。
「顔を見せてくれてありがとう……!私ミロだよ。ポケモンフーズ食べる……?」
手に取ってフーズを揺らすと、カラナクシは私から瞳を逸らさないまま、ゆっくり、ゆっくり近づいてきた。ドキドキした。
一定の距離になるとカラナクシは止まってしまったので、私は餌をたくさん投げ込んだ。警戒が強い子なのか、私を見たまま動かない。
食べてくれるところを見たかったけれど仕方ない。
「カラナクシ、今日は帰るね。また来週ご飯持ってくるからね!」
突然叫んで立ち上がったのに驚いたのか、ピュッと水面に潜り込んで見えなくなってしまった。失敗失敗。私はちょっとそそっかしいところがあるかもしれない。
最後にまた振り返るとカラナクシが私を見ていた。
嬉しくって笑顔で手を振って帰る。順調に仲良くなれて嬉しい。しかもカラナクシは粘性の液体を纏うナメクジ系統のポケモンだからママのアレルギーには当てはまらない。いつか連れて帰っても大丈夫になるかもしれない。
私はスキップをして帰った。
*
「カラナクシ〜来たよ!」
ポケモンフーズを投げ入れると、今日はすぐにカラナクシは顔を見せてくれた。やっぱり距離はあるけど、先週より近づいてきてくれている。
私から目を離しはしないけど、水に浮いているフーズをモグモグ食べてくれて、感動で小声でロトムに叫ぶ。
「ねえ!今の撮ってる!?」
「撮ってるロト撮ってるロト。動画も撮ってるロト」
「やったあ〜優秀だねロトム!」
「ミロの性格はインプット済ロト」
可愛げはないけど有能ではあるロトムとじゃれ合いつつ、カラナクシを眺める。
今日は口元まで顔を出してくれてる!
目と口の周りの黄色い模様が可愛くてほのぼのしてしまう。
「おいで〜」
手をヒラヒラさせて、さらに近くに餌を撒くと、すす……と近付いてくるカラナクシ。ほのぼのしててを水路付近でひらひらさせていると、カラナクシが突然ポチャンと水面に潜り込んでしまった。
「あっ……」
どうしたんだろう。寂しく水面を眺めていると何かの影が写っていた。勢いよく後ろを振り向く。
「何してるの?」
「いえ、えっと……」
綺麗な女性だった。ミルクティー色の波打つ髪をポニーテールにまとめ、丸眼鏡をかけている。人の良さそうな表情なのに、細められた目は冷たい。
「水路には近寄らない方がいいよ?」
「ご、ごめんなさい……」
女性がじっと見下ろしてくるので視線の落とされる手元を見て、ポケモンフーズを持っていたことを思い出す。慌てて後ろ手に隠したけれどもう遅い。
チラッと見上げる。
「あのね、今エンジンシティ周辺の水ポケモンたちの生態系が変わってきてるの。親から来ちゃダメって言われてない?」
優しい声だった。私は少し落ち着いてかんがえたけれど、確かに水路の周辺は人がいつもいなかった気がする。
生態系が変わるってかなり重要な出来事だと思うけれど、大丈夫なのだろうか。
「もう帰りなさい。今日のところは見逃してあげるから、もう来ちゃダメよ」
「はい。ごめんなさい」
ペコッと頭を下げる。もちろん従う気は無かった。それを女性は素早く見抜いて私の腕を掴んだ。
「待ちなさい。あなた、名前は?」
親に言う気だ!
ザッと血の気が引く。どうしよう。馬鹿だった、見抜かれるような態度のつもりは無かったけど、もっと違う顔をすればよかった。
女性が怖くて思わず涙ぐむ。
ああ、またこの体は8歳児の精神に引き摺られる。女性は私の泣き顔を見ても一切手も冷たい視線も緩めなくて、ますます萎縮した。今度は心の底から思う。この人は誤魔化せない。
「!ポニータ、まもる!」
甲高い鳴き声ののちに、輝く円状の盾が現れて目の前に勢いよく水が吹き飛んできた。いつの間にか薄紫と淡緑色の豊かなたてがみを揺らすポケモンが目の前で嘶きを上げている。
後ろ足で立った拍子にたてがみが揺れ、もこもこのしっぽも大きく靡いた。
「綺麗……」
ガラルのポニータは従来の見た目と大きく異なっているとは知っていたけれど、生で見ると言葉を失うくらいに美しい。
「下がって。サイケ光線」
「キャヒン!」
ヒンヒン泣いてポニータが虹色の攻撃を繰り出し、そこでやっと我に返る。なんで突然バトルが?女性は私を守るように手で制していて、彼女の後ろから水路をひょっこり見る。
そして息が止まった。
カラナクシがサイケ光線を浴びて水面に叩きつけられた。
「待って!!」
ほぼ悲鳴のように怒鳴って私は何も考えないままに飛び出した。
「なんでこの子を攻撃するの!?待ってよ!」
「ちょっ、危ない!ポニータ!」
女性の静止の声にポニータが慌てて私の前に立つ。女性は私の腰を掴んで引きずるけれど、私は暴れて叫んでいた。
「カラナクシは何もしてない!辞めてよ!」
「突然攻撃して来たの!まもるを使ったのをもう忘れたの!?」
怒鳴られて冷水を浴びせられた気分になる。確かにそうだ。ポニータは出た瞬間まもるを使った……。
「やっと冷静になった?」
女性はため息を押し殺していた。私の頭を優しく撫でてくれる。
「ごめんなさい」
パニックになって飛び出すなんて恥ずかしい。申し訳なさと羞恥で女性が見れない。
「ポニータ、警戒してて」
「ポニュ」
不思議な鳴き声を上げて前足をたしたしするのを確認した女性は、私に向き直った。
「あなたが逢いに来てた子はあの子?」
「はい……」
「じゃあ攻撃してきたのはあなたを守ろうとしたからかもしれないわね」
「えっ、ほんとですか!?」
嬉しくって顔を上げると女性は見下すような瞳で私を睨み付けていて思わず怖気付く。すぐに女性の表情は優しいものに変わった。
「カラナクシを落ち着かせてくれる?エサを持っていたわよね……。でも気が昂っているから、遠くからよ。ポニータ、まもる」
光に守られながらカラナクシに話しかける。女性は私にウンザリしているようだった。冷静に考えたら、立ち入りを制限されている場所にルールを破って入ってきた子供が、バトルの最中に飛び出して来て泣き喚いているなんて、私でも辟易する。
三十路の精神とは思えない。穴があったら入りたい。
「この人は怖くないよ……私を守ろうとしてくれたの?カラナクシ、ありがとう……」
ポチャン。エサを食べにカラナクシが近づいてきて、女性が私の肩をそっと抱いた。すぐに後ろに持っていくための体制だろう。
カラナクシはエサを食べて、頭をコテンと傾げた。
「美味しい?」
「ナー」
「な、鳴いた!」
振り返ると女性は「良かったわね」と頷いた。嬉しくてエサを持って水路に手を伸ばす。
「私のためにありがとう、カラナクシ!良かったらこれも食べて……」
少し逡巡してカラナクシは私の手のひらからエサを食べ始めた。ぬとっとした独特の感触がくすぐったくて笑ってしまう。
私の手から食べてくれた……。本当に嬉しい。
落ち着いたのを見計らって女性が私に向き直った。説教が来る、と分かって、私は俯いた。さすがに私が完全に悪いと分かっていた。
「ポケモンを持てない子が野生のポケモンとの触れ合いを制限される理由が分かる?」
「き、危険だからですか?」
「ポケモンを守るためよ」
「ポケモンを……?」
女性は水面を泳ぐカラナクシを見た。釣られて視線を向ける。
「あのカラナクシはエンジンシティ周辺の分布図には該当しない。周りのポケモンよりもレベルも高い。トレーナーに捨てられたんでしょうね」
「えっ……」
「人への警戒心も相当に高い。虐待に類する何かを受けた可能性もあるわね」
絶句してあの子を見つめる。カラナクシは確かにずっと顔も見せてくれなくて、最初は近づいてすらくれなかった。
ポケモンを虐待するトレーナーがいるなんて。
人間を慕うポケモンが多い中、人間に警戒するほどまでに不信感を高めるカラナクシの過去……そして、それでも私に段々慣れて、今日守ろうとしてくれたんだ……。じわりと視界が潤む。
「野生のポケモンでも手持ちのポケモンでも、人間を命令以外の行動で傷つけた場合、殺処分が有り得るわ」
淡々と女性が言った。
「へ……?」
「ああ、殺処分って言うのは、ポケモンの死刑っていうことよ。犯罪に使われたポケモンはトレーナーの責任だけれど、躾不足やトレーナーの意図しない行動で人間を傷つけたポケモンは、トレーナーとポケモン両方の責任になる」
女性は私に向き直り、冷え冷えとした声で言った。
「あのカラナクシの攻撃がもし私に当たっていたら、カラナクシもポケモン保健所に送られていたでしょうね」
女性にじっと見つめられて指先がどんどん冷えていく。彼女の言葉が遠い。じっくり刺されているみたいだった。
「野生の環境ならともかく、ここは人間の居住地なの。人間とポケモンが共存するための最低限のルールがある。それを犯した時、尊重されないのはポケモンなのよ」
女性がガッ!と肩を掴んだ。強い力だった。
「バカな人間のせいで、処分を受けるのはポケモンなの!」
涙と嗚咽が止まらなくなって、体がブルブルと震えた。恐ろしくて仕方がなかった。現実的に考えたら、ポケモンという人間を超えた生き物に対して、なんの規制もないわけが無い。
人間を噛んだ犬は、飼い主が責任を持って保健所に連絡しなければならない。
人間の味を覚えた獣は殺処分しなければならない。
生き物を大事にするためには、社会に溶け込むための努力を飼い主が怠ってはならない。そんなの、わかっていたはずなのに。
「か、カラナクシは殺されちゃうの?」
震える声を何とか絞り出した。心臓が冷え切っていて、答えを聞くのが怖かった。女性が緩く首を振ったのに酷く安心してへたり込む。
良かった。
本当に良かった……。
「元々あのカラナクシを保護するために来たのよ。保健所……つまりポケモンセンターね。ポケモンセンターで保護してもらったあと、民間の保護施設や育て屋の元に行くと思うわ」
前世で保健所は公的機関のことを指していた。この世界ではポケモンセンターがそれに当たるのか……。
カラナクシが酷い目に合わなさそうで安心したけれど、結局お別れしなきゃいけないのかと思うと、胸が締め付けられるようだった。
女性がフッと笑った。
「エンジンシティの育て屋の元に行くよう掛け合ってあげる。だからもうバカなことは辞めなさい。禁止されるのには理由があるってわかったでしょ」
「はい……」
目をぐしぐし擦ると、優しく手のひらを捕まれて柔らかなハンカチを目元に当てられる。私を嫌っているのかと思っていたけれど、彼女の瞳は柔らかくて、私は安心して身を委ねた。
「おねえさん、名前は?」
「シャルルよ」
ミルクティーのウェーブヘアのシャルルさん。彼女ほ私の記憶に強く刻まれた。怖くて強くてあったかい大人の人。私もこんなトレーナーにならなきゃダメだと、心の底から思った。
これが、私のパートナー、カラナクシと出会った時の思い出。
*